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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「david bowie/heroes(1977)tocp-65315」



まず腹が立ったのはこのアルバムのCD付録の解説のどこにもこのアルバムの発表年月日が記載されていない事であり、隈なく文字を虱潰しした挙句蟻の頭の半分ほどの大きさの文字で辛うじて西暦が記されており、やけっぱちになって己の心臓を掴みだしてこのアルバム生産の責任者に命を賭して叩き付けたい毛羽だった怒りがまだ呼吸が荒い。鼻水が止まらないせいもあるのかもしれない、脳みそが熱い鼻水に置換せられたが如く、何にも考えられないし、この即物的で瞬発的なイラつきは…風邪ではないと思っている、冷たい空気が過敏な鼻腔を撫でたからだと信じてやまぬ、肥溜めに沈む鬼瓦のような情けない怒気がまだ火を噴く。もう、彼が演ずる半沢と古美門の彼方に織部を強烈に幻視している…いまだ実現ならぬ切望が凶悪な強請へと、いたたまれぬ。来年と再来年は官兵衛と吉田松陰の妹だから、三年後の大河ドラマではへうげものが実写化されるのだろう、この計画はもう水面下で進んでいるといえよう…思えばへうげもののアニメは低劣な出来であった…ただ単に原作の漫画をアニメに起こしただけ、というやさられ仕事感が否めず、アニメならアニメとしての独立した創意工夫が全く惹起されていぬ…かような創作の意志の必然性はそれこそ原作を己のものとして理解し尽くしておれば自ずと醸成されるものを…それに対して赤毛のアンと、これをアニメに仕立てた名作劇場の赤毛のアン(高畑勲 監督)との関係では、アニメでの創意が原作を契機によく奮発されてアニメもアニメとして楽しめる佳作なのであった…オープニングの歌の作曲が現代音楽畑の三善晃、繰り出される発想を次次巻き込むふくよかなその楽想は従来の子供向けアニメのレベルを遥かに超えて豊穣極まりない楽曲なのである。ベニシアの暮らし上手ぶり、ナチュラル過ぎだろーとどす黒く突っ込みたくなる。鬱屈した藪睨みでベニシアのナチュラルな暮らしぶりを呪うように愛好する…細君がフィギュアスケート好きだから小生は嫌々ながら視聴するのだが…女子のコスチュームの、大きく開いた胸元や背中を隠す肌色の肉襦袢とその不自然な皺みたいなのがどうにも目に余るほど無粋である…演技後半の楽曲のノリやすいところに付け入る、そういう種類の自堕落な依存性が発露して演技を台無しにする観客のダサい手拍子にも我慢ならぬ。この一週間、死にそうなほど充実した生活をしている。この一週間でこれまでの一年過ごした程の危険極まりない充実ぶり…あまりに個人的に充実している故に、他人のそういうのに敏感な奴隷=国家=官憲から目ざとく感づかれて、逆恨みの摘発を受けるんじゃないか、小生のこの充実ぶりをいぎたなく妬む奴隷階級が小生の自由を奪うべく官憲を差し向ける、あるいは懲罰の意味も込めて赤紙を送りつける、あるいは充実させないように生活を破綻させるべくピンポイントで重い租税を課してくる…そんな恐怖も現実味を帯びてくる…まっさらな地獄に括目した小生であってさえも…もう、充実しすぎて声を失いそうになっている。発声能力から出家しつつある…それを引き止めんがため細君と辛うじて言葉を出すが、声が空気に溶けて波立たず、掠れ、声が空振りするのにも慣れっこ。こんな生活が長続きするはずがない。一週間で一年ぶんの充実だから早死にするとも思われる。

デヴィッド・暴威(ボウイ)とかギリシャ哲学者列伝(ディオゲネス・ラエルテイオス著)とかと遭遇すると、民主制の欺瞞へのあきれを通り越して封建制を指摘する以前に封建制の不徹底にまで思いを致し、ついには奴隷制こそが人間社会のあるべき姿、真実の姿のようにも執念する…結局人間は、他人や制度や社会や生産や文脈や空気の言いなりに無意識になる生まれながらの奴隷性格=奴隷階級と、己の意志で以て文脈の有無に関せず創作する魂の創造者の二種に収斂されるのであれば…承認と物語に餌付けされ支配されたがる奴隷に権利を与えても行使する意志を持ちやしないので奴隷は奴隷らしく創造者の身の回りの奉仕に徹すべし、そして一切の承認を蹴散らす創造者はひたすらに天衣無縫に創作に励む…そんな事を度を越して納まり処を喪失したヤケクソが心する…インダストリー(産=業)とキャピタル(資本)の只中で、共同体への帰属呪縛を商品の消費が宥めすかす卑しさが勃興した19世紀末への郷愁が現状認識にもなる悪ふざけが一切切断せられたこの音は…退廃とか豪奢でもいいが…金が溶ける、金が錆びる。岩と鉄の巨塊の地滑りが声になって一切を押し流す怒涛の中での而立の詩…独断たる創作者としてのボウイ…まあ、いろんな人の協力もあるのだろうがそんなことはどうでもよい…ボウイはボウイだ。他は奴隷、その冷酷、その腐敗の美を垂れ流す…そんな超封建的音楽が…サイケの資質を脱退したパンクに対して階級闘争の無為を断罪する?

意志はなにものにも所有されない。私にも人にも神にも自然にも意志は所有されない。私の意志、など無い。

david bowie:vocals, keyboards, guitar, saxophone
carlos alomar:rhythm guitar
dennis davis:percussion
george davis:electric bass
brian eno:synthesizers keyboards, guitar treatments
robert fripp:lead guitar
daid bowie, tony visconti, antonia maass:backing vocals

件の、三善晃も今年亡くなった。ネルソン・マンデラも亡くなった。黙祷…

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