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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「始末記、しめやかに…」

学生時代、二郎が相変わらず鯖の味噌煮定食を食していると本条が「鯖ばっか食ってないでたまには肉豆腐でも食え」と、これまた相変わらず苛立たしげに手厳しく云う。肉豆腐…なんとも旨そうだ。最近は米を見ると少し胸がいっぱいになる、あまり米を食いたくない、血中コレステロールは何故か下がったが血糖値は上限ぎりぎり、尿酸値は基準値超えだから米を控えたいところだったからちょうど良い、米に替わって豆腐を主食にしつつある昨今、肉豆腐という料理が気になり、自作、何週間か前の事だが…恐らく豆腐メインのすき焼き、といったものだろうから、肉はわき役という事でひき肉をチョイス、味付けは醤油に砂糖、生姜のしぼり汁と生姜の千切りでよい(砂糖はうちでは北海道のテンサイ糖を使っている。清々しい甘味である)、水引き状の糸こんにゃくに旨味を絡ませ、辛味が仄かに残る程度にさっと一緒に葱を煮れば出来上がり…豆腐は一丁丸ごとをどかどか鍋に入れて、器に移す段でお玉で思い切りよく不定形に掬い取るべし。旨すぎたので、また作る予定だ。終りという事だ、これが、要するに…鬼になった今もさめざめと灰色の涙が無闇に止まらない、心の内で。終焉の衝撃ともいえる、根こそぎ楽天的な目移りのさかしらを払拭する憔悴が激甚であり、折からのしめやかな曇天もあいまって陰陰滅滅、不貞腐れた陰惨すらも物々しさを通り越して寄る辺ない空しさと終わり感が捉えどころなく風も無いのに賽の河原の風車はからからと空回りする骨の音、聾唖の欠伸、残忍な麻痺状態がこのまま続くのか…事を成したとて解放感達成感などの明朗ほど遠く寧ろ惨めな、忌忌しい苦苦しさに一層切実に、窮屈な不安が一時の覚悟なんぞを容易く蹴り倒すのを遠い意識で傍観するしかないほど、他人事ではないのに…だいたい、とうに終わっていたのであった、それは書いた時から分かりきっていた事であったし後で読み返しても最早当たり前の事しか書いていない退屈極まる綺麗事にすぎないのじゃないかと心の隙間で感づいていたとしても後の祭りで、やる気も無い、やる本人の自分すらもがこれからやろうとすることにそそられていないし、とうに白けている…書いてしまうということはそういうことだと分かってはいたが、それに拍車をかけて、これも必然的ではあったと事後的に了解されるのであるが、いざ開始の段になって会場の雰囲気を、ほとんど視野が失われた状況で感ずるに、もう、終わっていたのであった…元より言葉の世界じゃないところにしゃしゃり出た以上覚悟の上、「荒み宣言」の本質は「場違い」であるからして望むところではあったにせよ…これから宣言することが全く理解されない嘲笑と無関心が渦巻く無理解の場、であるならばそれはそれで格好よさ自慢の糧になりうるかもしれないが、そうではない、もう、これから宣言することが、既に、来場した人々の人生の機微で、わざわざまだるっこしい言葉で意識化せずともとうに活動の表れとなっているほどに、あの場に訪れた人々は、もう、この宣言の内容など改めて必要ないほどに分かっている事…理屈を通じて意味を読み解くなどという行儀のいい善良な馴れ合いがとうにいい意味で砕け散ってしまって意味なんかどうでもいいからとにかくはやく音楽を、ロックを聴かせろ躍らせろという獰猛な欲望が率直に揺るぎなく暴発寸前である事…それに感づいた小生は浅はかな、まだ状況が呑み込めないが心底では感づいてしまっている惨めに襲われ…だいたい、いい年した大人なら言われるまでも無く当たり前の心構えをくどくどと得意げに作文にして読み上げている自分の幼稚が、そう思えば思うほど現場では殊更惨めで、情けなく、ちっぽけな恥部を晒して意気地も無く笑い物にすらならぬ、成すべきことを知る大人の中でただ一人居る、くよくよとつまらんことに悩める真ッ裸の碇シンジ(性徴中学生)のような幼い恥ずかしさ情けなさの晒されが、己の意志で登壇したとはいえ、手厳しい惨めではあった。書いた途端、音読した途端、樹立した途端紙くずになるのはこの「荒み宣言」の必然であったし本文にもそれは明記しているにも関わらずそれを書いた本人の自分がその必然の顕現に最もうろたえ、及び腰で為す処知らず惨めをさらし…ともあれ、米子市の荒み音楽祭もとい現代ビート族第二弾というロックイベントのオープニングで「荒み宣言」、宣言した途端、何の価値も無く、瞬く間に詰まらぬ紙くずへと回帰したのであった。自作の当世具足の面貌の狭すぎる視野でほとんど見えない原稿にそれでも必死で食らいつく惨めを思い出すだに…10分程度で、と言われていたがまあ30分くらい欲しいと主催側に申し出るも実際には細君によると45分超喋り倒して客の退屈感うんざり感のボルテージ最高潮で、最後に、客から鋏を借りて「鋏ありませんか、鋏ありませんか、ナイフでもいいんですけど」袋を切って板コンニャクを床に叩き付ける予定でいたが(もっといえば糸こんにゃくとウニ(海の棘棘)と栗(陸の棘棘)を会場にぶちまける思いつきもあったが自粛)そんな雰囲気ではなくなった状況に、これも情けないが、負けて、すごすごと終わらせたのであった(だいたい、板こんにゃくを叩きつけてもよさそうな状況、というのがあるはずないじゃないか…奮起してやればよかったのだ、雰囲気に負けずに…不甲斐無い)…著作物販売の出店などゆるさぬほどの大盛況のお客さんの入り、数学でいうならばフラクタル構造のような複雑な動きを繰り出す熱狂した客の踊り…動きの細部にその動きのひな形を忍ばせてさらにその動きの細部にも…といった無限の踊りを一心不乱に繰り出す橙色の女性…かような憔悴状態だったからこれも情けない事に、肝心のバンドの音のほうをほとんど覚えていない…
ペットサウンズをハードロックするというのはロックという音楽の一つの夢であるがそうしたものに果敢に挑もうとしている音もあったがまだそれは表層の意匠レベル、雰囲気作りレベルであり楽曲の抜本の構造に対してそうした嗜好を導入した形跡はない…ならばどうすればいいのかと言われてもそんなことは答えられるはずがない、途方もない道ゆえに…健闘を祈るよりほかない…逆光、煉獄から帰還した麗人と仙人と入道の出現、切実に、「異形の王権」という言葉がついて出る…キャラクターとは断固闘争するつもりであるが、事ここに至ればいう事なし、ほとんど音の記憶が残らないというのは音のあるべき姿かもしれないが記憶にない以上ここで事後的に何か云う事すらも出来ぬもどかしさ、音の内容を具体的には思い出せないがこんな印象は残った、とすら言えぬほど、印象すらも残っていない、これは小生の内的失態のせいも大きいが、音自体の成果=無駄の至りでもあって、何も言えない、どうしようもない、いずれのバンドさんも己の出している音に自らが脅かされている様子が聴こえない堂々たる余裕というのか場馴れというのか、あったし、だから聴いている小生も安心して聴けて少し踊れた安全であった事から芸術的批判ができるのかもしれないがそこまで付け込めるほどの生易しい音ではなかった気もするし、ここでも結局記憶がないからどうしようもない、理屈が通じないという事が理屈の全的通行止めというよりも理屈の通用自体が通用しながら流通ではなく破綻するという意味でなければならない事を踏まえるとあの場では単に理屈が通じないという狂熱であって、だからどうしたというのか、何も言えず、それもあるのか、それはそれでよい、それはそれで、もう、事ここに至っては、どうしようもない、事を踏まえて言うことなど無い、理屈が通じない狂熱超臨界なのだから…自分の内的状況が客として整っていれば、恐らく、ジーバットというバンドさんの音の真価ときちんと向き合えたと悔いるが、貧しいながらも演者としての当事者の感情に翻弄され、その音の凄みを体感できなかったのは事実だが、一体、どんな音だったのか…分からないにも関わらず、だが、もっと、構造を、リズムを、波乱させることができるのじゃないか、切れのいい変拍子とかじゃなくて、もっとぐちゃぐちゃで、ぶんぶん楕円旋回複素数展開、乱れた塊を構造自体に持ち込んでリズムへの信頼を絶つべき時が、すかすかに外れて、音の癌細胞増殖、癌が人間になり替わる音を…そういうのを聴きたい、と、ぎりぎり思う。実際はそうだったのかもしれない、理想が現実に現場で出現してもそれを受け止める心が自分を支えていなかったのかもしれない、だから理想が出現していたとしてもしつこく蒙昧にも難癖つけているだけなのかもしれない、何も確かなことは云えない。ただ、いずれのバンドさんも、音を信頼し過ぎているような気がしてならぬ…ライブ会場スタッフとの細かいチューニングの様子もあった事からすると…チューニングが悪いと云っているわけじゃない、そんな意味ではなくて、もっと捨て鉢な、場違いな、すれっからしな音を!ただし、こんな望みは、ライブが終わってから少し時間が経ってからだから云えることで、当日当時はこんな批評めいた余裕なぞ云えるもんじゃない壮絶音楽であったのは重々肝に銘じている。そして本当に壮絶だったのか、根底から記憶に無くて、記憶に頼る事すらも許されぬというのか、音楽は。…一般的に芸能においては技術を捨ててはならぬ(小生は、捨てるが)、しかし技術を信じてできたものがどうだというのか、どうすれば…ッ。ライブ会場で、岩国のライブハウスオーナーの方とビール飲みながら雑談するという交流も試みたのであった。ともあれ、一年に一度か二度は、こうしたロック体験をしたい、映画でも見るようにこうした会場に足を運びたい、と素直に思ったから、多分この事が一番肝要だと思う。自分でも探して、まずは勘で、ライブハウスに入ってみようと思う…。
ああ、こうして書いていると、終わったことすらも終わった気がするのが幽かに、次の歩を、行方不明ながらも、打つことができそうだ。少し、清々しい気もしないでもない、次が、と…。角度によって表情を変える大山、伯耆富士の名称に留まらぬ豊かな威容が澄んだ秋空に浮かぶ様を各所で満喫、アイスクリーム濃厚で旨し、古刹大山寺参拝、神社の様式である檜皮葺を瓦屋根で再現している唐破風の大胆な建築様式に感服。いにしえの僧兵どもの武辺ぶりを忍ぶ、僧兵バーガー渋滞…南朝の心強い味方、名和長年の家紋は帆掛け船だった気がする、素敵だ。

生まれた途端終わってしまった、棺桶に跨って子を産み落とす恐ろしいほどの呆気なさ(ベケット)、いちいち口にするのも恥ずかしい、現代人の常識「荒み宣言」
(←クリックしたら)自分の中での終わり方が凄い。

破れかぶれついでにもう説明してしまうと、本文中の写真だと分かりづらいから説明すると、ライブ会場で吊り下げさせてもらった小生自作の旗、黒い布地の真ん中を日の丸サイズで貫通させたものである。意味はもう、分かるだろう。黒旗へのオマージュでもあるし、中心無き日の丸でもある。近所の祭りに寄付金出したらくれたカップ酒が、すこぶる不味い。甘ったるくてどうにも…。隠岐の島に行きたい。

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