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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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今週休載

所用につき今週は休載いたします。次回は6/4です。


五月雨やえんどう豆のサヤ太る

五月雨やとぎれとぎれのセレナーデ

ほころんだ猫は陽溜まり草枕

土嚢をも突き破る草剣に風

十六夜に追われてヤクルトさんが来た


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人生のしみ…

あれこれ仕度していたら時間がなくなったので時局の話はさておいて…目下心の枷になっているのは…先週お助けした革靴の事でやきもき…勇躍早速本革のお手入れを入念に致さんと、さりとて事前に知識を仕入れる慎重さに欠ける浮き足立った先走りの執着のままに…靴を買った店で革を保湿しつつ経年で艶を与えるクリームと、靴底の革に柔軟性と防水性を付与するらしき、アンメルツヨコヨコの形状をした油液を買い込む…胸元から銀鎖をじゃらりとさせた、ポマードでオールバックの三つ揃えの縦縞スーツを仕立てよく着込んだ店主から豚毛ブラシ等も勧められたが舞い上がって這う這うの体でそそくさと帰ったのがいけなかったのか…布でええやろと甘く見て、今にして思えばあまりに質が悪いから雑巾用に切り刻んだ濃紺の布団カバー(洗濯すれば色落ちしてその他の衣類を真っ青にする、破れやすい、毛玉だらけ、そのくせ吸水性はなくて雑巾としてもあまり役に立たない)を切り刻んだ雑巾でまずは手持ちのクリーナーを擦り付けると一瞬、革の表面がさっと青く染まった瞬間小生の眼球表面が真っ青に血走って…その後どう対処したのかほぼ記憶に無い程内的恐慌状態に陥りつつ茶会用の白いさらしでクリーナーとクリームを塗り着けたり伸ばしたり空拭きしたりを盲滅法にやりまくった結果…十円玉大の仄暗く青いシミが何とはなしに、念願の革靴に沈着しているように見えてしまい…しかし其のシミは、比較的視力がよい小生がさんざん光の角度を検討したら辛うじてごくうっすらと見えなくも無いレベルであるし、何となれば其れは小生のしくじりのせいと云うよりも、元元の革の風合いの一種としての自然な色合いの変化とも思えなくも無く、なぜならば手入れをしようと発起する以前はさほど革の表面を観察していず、靴磨きを思い立ってから、殊更に革の表面を神経質に見るようになって、其の結果、革の表面の微妙な差異までもが過敏に見えるようになった、と云う、観察能力の激変があるのだから、其のシミが小生のしくじりのせいなのか、革本来の元元の色合いなのか、最早区別は付かなくなっていると云う現状は理解するにしても…一度しみついたシミのような疑念は理屈や感覚のゴマカシで払拭しようにも、払拭しようとすればするほど、限りなく薄い其のシミが心の中では無性に焼印されたかのように解決し難く濃く見苦しく感じられて耐え難い思いが募るばかりで…こうした執着は健康に良くない、多少のシミは侘びに適うではないかと思うのも露骨な付け焼刃で隔靴掻痒は否めぬ…因果な事になったものだ…時が解決してくれるのを待つしかないほど…救い難い執着が酸のシミのようにあくどく深く浸透して、心の平穏が蚕食される此の感覚…革靴の魔性、恐るべし…

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五月晴れ…

かねてより事有る毎に物色していた革靴を、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購う…目ぼし付けた其の店に陳列してある意中の革靴を数か月前から監視下に置きつつ…機が熟したのを見計らって店内突入し、縦横無尽に店内で其の靴のサイズ違い三種類を履いて歩き回って試着三昧…其の靴の履き心地を入念に確認に及ぶ…どうも、以前手に取って目視した時と比べて形状が設計変更されているような気もしないでもなく、其の多くがシュッと先が尖がっているため小生の足形状に合わない最近の靴と異なり、カモノハシの口ばしのように先行きが幅広い形状に邁進していた其の靴の姿勢を高く評価していたが…其の靴が昨日になっていささか流行りの形に近い感じで若干先がシュッとしているように今更ながら思えるのは、やはり売れ筋の形状に変更したためなのか、しかし其れでも凡百の、先がシュッとした革靴よりはカモノハシに近い形状が保たれているので御の字として購ったのであった…そうは云っても、今日、近所のスーパーまで歩いて確認した処、結果としては履き心地に大きな問題は無く、後は革が馴染むのを育てる課題と云うか悦びが待つばかりではあった。些か歩き疲れて帰宅後野球中継を垂れ流しながらうたた寝ならぬ、布団に横臥した正式な昼寝に及び…爽快極まる五月晴れ、時局に毒付く気概も失せて…折悪しく連休中の暴飲が祟ったのか口内炎も真っ盛りで…今日は国際情勢を概観したいと思っていたが来週…まずは、英国のEU離脱から数えると、ロシア、中国と云う二大ファッショ国家の存在を下敷きとして…フィリピン、トルコがファッショ独裁に突入し、アメリカにファシスト大統領が誕生するも賢明なる議会や司法、メディアが粘り強く抵抗するが一進一退の状況を呈しつつ、オーストリアでの首長選挙か国政選挙で極右政党を退け、続くフランスでも何とか極右を退けて中道政権が誕生し、事情は欧州とは異なるも韓国でも中道左派政権が誕生という事で、それだけで云えば、世界中の国家主義台頭の動きに対して多少はリベラル勢力が白星を重ねているように見えるが…と、取り急ぎ今週は此処まで。

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岩の国から

麗らかな五月晴れ、連休の事始を飾るに相応しく、錦帯橋祭に馳せ参ずるのは、祭り本体が目的ではなく、其の協賛事業として催される掘り出し市であって…葉桜も既に色濃く、日差しは初夏の眩しさの中、橋を渡る強風は何か透明な一匹の竜神の腹が無造作に擦り付けられている程、長く、強靭な風に苛まれつつ…目当てにしていた逸物にはたいして出会えなかった意気消沈…来る茶の湯に備え、旅先まで持参するのに茶筅を保護するために、いわゆる茶筅筒、あるいは其れに見立てられるイカシタ品物との度肝抜く邂逅を期待して物を漁る晴天の午後なのだが…茶筅筒其のものはおろか、見立て可能な、お誂え向きの品物に遭遇する事は無く、丁度良い大きさであっても錫製で重過ぎるし、材質の軽さは良くても茶筅が入りそうに無いなど、帯に短し襷に長しの態で…最も、茶筅筒目的というのも目的が特殊に過ぎたのであろうとも自戒しつつ…分解可能な白木の天目台と、透かし彫りとエキゾチックな着色が施された印度の真鍮の器を連れて帰る…持参した手作り弁当を、錦川の清流や大名行列などの賑わいを眺めながら、黙々と頂く至福の時…次の目当てである岩国屈指の古本屋、文化教材社を数年ぶりに再訪…数年前、道教系の書物をお助けして誠に勉強になったから、其の時買い渋った、同じシリーズの道教系書物を全巻買い上げようと云う腹づもりだったが、そんな都合よく残っている筈も無く逃した魚の大きさに身悶えしながら、其れなりに満足出来る出会いを齎した諸諸の古本を連れて帰る…絶対に面白いに決まっている安岡章太郎の「流離譚」、中国古典新書の「唐宋八家文」と「画論」、戦前の物理学雑誌と、同じく戦前の女子用修身の教科書(「二の一 隅ツル子」と記名有り…一瞬、ライブハウスのオーナーさんの御先祖かと早合点したが字が違うので他家の方だろう…無責任な国粋扇動家、徳富蘇峰がイカツイ大言壮語で、「今」に通じる空虚な国家観を披瀝しているよ)、東洋文庫「光悦うたい本」の復刻版、ぶっ飛んだ構図が往時の少女マンガの自由を再確認させる、竹宮恵子のSFサイコロジック少女浪漫「ジルベスターの星から」、それから、三島の「英霊の声」…2.26事件を夢幻能に仕立てた台本も所収…誰も付いて行けない、きちがいじみた三島の創意の炸裂…と、此処で小生が書く時点で、三島の、皮相なる現代社会に対する内的憤りの核みたいなものは、其の良し悪しは別としても、理解は出来る気がするのである…とても付いてはいけないとしても…総じて三島が恋い焦がれて止まない青年将校というのは、非現実的で実戦感覚が全く感じられない、ある意味独自過ぎる故に歴史的にも社会的にも民衆的にも容易な解釈を拒む不可解な美意識の産物であるが…其れは兎も角として、今日の尖兵右翼が、三島ほどの気概と覚悟と学識と造詣を併せ持つのなら一聴に値しようものだが…実際の昨今の国粋扇動者らの浅薄なる体たらくと云ったら酸鼻を極めるほど貧相で惨めな、凡そ論評に値するものではない下劣である…森友学園は…学園への天皇行幸の事実など存在しないのに(宮内庁がはっきり否定している)、天皇陛下が学園に行幸したと云う事実を捏造して公表、吹聴したり、更には、補助金詐欺やら何やらで理事長辞任に追い込まれた会見の時、ぬけぬけと何ら悪びれる様子も無く「耐え難きを耐え」などと、昭和天皇の終戦の詔を平気で引用してうそぶき…自身の、補助金=税金詐取が原因で理事長を辞めざるを得なくなったと云う、身から出た錆びの、あまりにチンケで小汚い反国家的所業の結末に対して、右翼扇動家からすれば畏れ多い聖断であるはずの、そして苦渋の決断が忍ばれるはずの、終戦の詔という神聖なる物を引用する事は、彼らが日頃天皇陛下万歳と唱して敬愛して止まない皇統を愚弄する事に他ならないではないか。恐らくそうした不敬其のものが彼らの本質だからこそ、其れを全く意識せず無自覚に、あの場でああした発言がぽろっと出るのであって、即ち、自称天皇崇拝者のうっかりミスなどではなく、彼らの主義の原理的本質が露顕したと言う事なのである。いわゆる君主主義者というのは表層的には君主を尊崇し滅私奉公も厭わぬと大言壮語して憚らぬばかりか滅私奉公と大政翼賛を他人に正当化しさえもするが、其の本質として、原理的に、必然的に、彼らが表層で大事にしている君主の存在を軽侮し、愚弄し、嘲笑し、私腹を肥やすための道具として利用しているに過ぎないし、利用している事になるのである。君主主義者だけでなく国家主義者も同じ帰結である。その証明は既に数週間前に書いたので此処では繰り返さない。

慌しくホテルにチェックインし、フジグランで買い込んだ酢豚弁当と青菜の白和えをベッドの上で一人もそもそ腹ごしらえ…此れから苛酷な、長時間に渡る音圧地獄(岩国ロックカントリーでの4/29のライブイベント「超次元ロック」)に耐え抜くために、自覚的にしっかりと酢豚を腹に溜め込む…話は変わるが前衛芸術家の故 赤瀬川原平氏のエッセイで、非常に興味深い記録がある…1960年代のある日、氏と其の仲間達でネオダダイズムオルガナイザーズと云う美術集団を立ち上げる最初の会合の時、会場の一室があるビルの外階段に通じる出入り口の擦りガラス越しに、何やら怪しげな人影がうろうろしているのが見えていたらしい…気になって開けてみると、当時既に気鋭の評論家だった瀧口修造氏(澁澤龍彦氏かも?)がばつの悪そうに立っていたと云う…喜んだ赤瀬川氏らは、せっかくだからぜひともお入り下さい、と勧めるのだが、瀧口氏は、いえ、自分は此処で結構です、と言い残して中に入らずそそくさと帰っていったと云う…翌日の新聞で、瀧口氏は、ネオダダイズムオルガナイザーズ結成と其の美術的意義についての記事を発表していた…赤瀬川氏が思ったのは、瀧口氏は、この1960年代の日本において、本当に「ダダイズム」の名を冠した美術団体が旗揚げされたかどうか、此の程度の事なら伝聞を事実として認識しても事足りるのに、わざわざ、自分の目でしっかり「確認」するためだけに足を運んだのだ、しかし其の会合に自分が参加する事は美術の「歴史」に影響を及ぼすことになりかねない、と云う批評家独自の奥ゆかしさ故に入室は遠慮しておきながらも、「結成された事実」だけはきちんと「確認」すると云う、実に控え目ながらも、些かいやらしいほど強烈に生真面目な瀧口氏の批評魂を赤瀬川氏は感得したのであって、其れを読んだ小生も、瀧口氏の奥ゆかしいのと同時に貪欲な批評のあり方の不気味なおかしみと、その事をきちんと嗅ぎ取る赤瀬川氏の鋭敏な感覚の邂逅に、素朴な感動を覚えるのであった。

瀧口氏の研究熱心には及ばないにしても、此度のライブで小生としてわざわざ立ち会ってまで「確認」すべき事は、予め明確にしていた。何故ならば、日頃時局について書いてばかりいるように見えても、其の影ではいつだって音楽について思いを廻らしているから、自分が聴きたい音楽のあり方と云うのは否が応にも造形されるのであった。

確認事項はこうであった。
「楽器を演奏する事で音が出ているのかどうか」
「楽器を演奏する事で音を出さなければならない」

要するに、楽器の演奏が聴きたいのではなく、楽器を演奏する事で音が出ているかどうかが試されていると考えているのである…此れだけでは大変わかりづらいので以下説明すると…当然ながら、此処で云う「音」と云うのは、通俗的な意味での音波としての音ではない、演奏すれば音波としての音が出るのは当たり前なのだから、此処で言う音とは、其れとは通底しつつ隔絶した、「本質的な音」「根源的な音」であって…楽器を小器用に巧みに演奏する事に執心して没入し、其の外部で鳴る根源の音を予め体制的に排除したような、社会的歴史的に愛玩され承認されたような、うまいこと演奏された音、きれいな音というのは当然飼い馴らされ媚びへつらって来る宮廷のデザートに過ぎない…其れはクラシックや歌謡曲のみならずロックバンドといえど楽器を扱う以上は逃れ難い陥穽であろう…しかるに本質的な音とは…まず以てうるさいものであって、断末魔や産声のみならず、とりわけ動物が音を立てる時というのは切迫した状況で止むに止まれず「出す」のであって…畢竟、其の音は根源的に、状況への「抗議」であり「異議」であり「抵抗」であり…其れは、始点を産声として終点を断末魔とする、抗議でしかありえない、誠にうるさい、耳障りな、しかし其れゆえに耳をそばだててしまう「音」なのである。ならば、こういった本質的な音はどうやったら出るのか、ただ楽器を演奏するだけでは駄目ならば、例えばわざと下手に、あるいは天然で下手に演奏すれば其れが本質的な音なのか、兎に角大きい音ならば其れが本質的な音なのか、と云うと、そんなマニュアルが存在するはずも無く、元来マニュアルどおりしたら出る音なぞ本質的であろう筈が無い。どうすれば本質的な音が出るのか一聴衆の立場から云えば皆目見当がつかないけど此の現場では本質的な音が出るかもしれないと期待するからわざわざ相応のチケット代を払って確認しにやって来るのである。

其れでは何故に「楽器を演奏する事で」なのか。本質的な音云云ならば、市場や歴史において洗練され承認された楽器よりも、その辺の任意の自然物や非楽器の器物や道具から音を出したほうが、本質的な音が出やすいのではないか、と考えるのも普通である。確かに其の可能性は否定しないが、しかし、時折ワークショップだとか、観客参加型で似非民主主義気取りのスマートな、しかし空虚な自己満足に過ぎぬエコなイベントなどで遭遇しがちかもしれないし、竹輪で尺八のような音を出したり、シャベルを叩いて津軽三味線風の音を出したりといった目くじら立てるほどでもない大衆演芸の他愛の無いものもあるかもしれないが、兎に角、自然物を使って、流通する楽器のような音を出す事ほど醜悪なものはないと云い置けば事足りるであろう。既に形容してしまったが即ち楽器とは、市場的歴史的社会的に許認可された発音装置であり、そういう意味では体制に飼い馴らされた道具である。しかし、其れが音を出す道具である以上、其の音は常に、本質的に顕現しうる可能性を秘めているのであって、とりわけ、体制内道具に過ぎない楽器から、体制への異議を原理的に申し立てる本質的な音が出た時、此の発音行為は必然的に体制内革命と云う社会的意義を持ち得るし、其れが過大な意味付けだと云うならばあるいは「異議=意義」を生成させて社会との格闘の現場に初めて立てるとも云えるだろう。また、楽器で音を立てることを反体制云云と云った社会科学的意義に押し込める事をせせこましく感じるならば、斯様な音の社会性は、生そのものや人間そのものに由来する世界への異議を根源とすると考えてもよい。まとめると、「楽器を演奏する事」で「音を出す」事の意義は事のほか重大だと云わざるを得ないのである。特にロックは、電力と云う、文明と資本のリンパ液(文明と資本の血液は貨幣としておく)によって音を増幅変調させる事を基礎としているのだから、いよいよ以て電気楽器を使って音を出すという事に意味と責任が生じるだろう。だからこそ、此の御時勢も意識しつつ、「楽器を演奏する事で音が出ているのかどうか」確認しに来たのである。

時局が切迫した社会的人間にとっての優先順位をまとめるとこんな感じである。

自然物による本質的な音 △
自然物による飼い馴らされた音 ×
楽器による本質的な音 〇
楽器による飼い馴らされた音 ×

Dead Vaginas…パンキッッシュな力相撲で押して押して押しまくると表の曲とリズムが汚く摩滅して、自ずと空中に赤裸々になる核心のリズムが直接聴衆の脊椎と強制的に共鳴して背骨をバキバキに折れ兼ねない方向性を示しつつ…こうした方向性で云えば、比較に意味は無いとしつつも、山口住のめがほんずの方がより徹底的に高速で構造を築きつつ同時に破綻させる膂力あるいは馬鹿力において勝っていたと思い出すのであった。結果としては、恐ろしく凡庸な力技による物凄い遠回りによって、ごくごく刹那的に、「楽器を演奏する事で音が出ていた」。あるいは、「本質的な音が出ていた。」其の意味では誠に痛快であったが、斯様な力技を駆使するバンドは幾つか散見されるようで…例えて云えば…常温常圧では起こり難い化学反応を無理矢理起こすためにガッツリ設備投資して高温高圧条件下で無理矢理反応させる、其の効率の悪さを愛すべき聴き処とすべきなのは分かってはいても、此の反応系ではあまり此れ以上可能性が無いのではなかろうか、と思う次第で…似たような論旨の事は過去にも書いた事があるが…可能性と云うよりも多様性が制限される凡庸さと云える。

そして、前のバンドさんが後片付けしつつ、次のバンドさんがしつらいを整えるインターバルの、御歓談の時間に…誠におぞましくも…野太く過敏な暗闇を執拗に爪弾く、聞き覚えのあるギターに俄然神経が興奮を抑制しきれないままに…脅迫的に逼迫の度合いを徐々に加速度的に増すドラムが地獄の夜明けを告げては…ポンキッキのガチャピンじゃない方の、毛むくじゃらの化け物ムックがじわりじわりと首を絞められつつある野性のきちがいじみた声が断続的に此の世の悲惨を告知しつつ、別の彼方では小さな蒟蒻の妖怪みたいなのが猿轡かまされながら手が付けられぬほど場違いなはしゃぎを遠くから揚げている時点で此れはあれだ、小生の精神の核の一部を形成しているthe 13thフロアエレベーターに違いないのであって…何度も聞いた事があるのに再度新鮮な気持ちで半ば聞き惚れながら今まさにムックが絞殺される寸前の断末魔が揚がる、一番盛り上がる最も聴きたい箇所に差し掛かった処で、此の、BGMとしては格が高すぎる13thフロアエレベーターの名曲が容赦なくぶち切られ、ジゲンオルガンが始まったのであった。

たまたまなのだろうがあのエレベーターの名曲をぶち切って此れから聴かせてくれる音に一体どれ程の自信があっての所業なのかと一瞬憮然とした気分を持て余しつつ確認作業に入る…音量、音数は此れまでよりも控え目ながらも…最早、音量、音数にいたずらに依存する事無く…しかし誠に的確に「無駄な音」が出ていると云うべきか…今回聴いた限りでも、去年か一昨年に聴いた時に小生が感得した、ジゲンオルガンが達した境地の本質は維持出来ており、其の実相は去年か一昨年に記述しているので過去のブログを確認願いたいが、其の本質は維持されていると云う事は、確認の結果は、「楽器を演奏する事で音が出ている」のだが、今回特筆すべき事は、「無駄なく無駄な音が出ている」、と云うべきであった。…此処で云う「無駄なく」と云う意味は、下手な鉄砲を数撃てば当たるではなく、的確に自覚的に、ある意味狡猾なまでに冷静に的から外すと云った強烈な意志の現れであって、其れによって出ている「無駄な音」と云うのは、「的=飼い馴らされた音=ただの楽器の演奏」、ではなく、即ち「本質的な音」なのであって、此の本質的な音は生命の根源でもあるのだが、其れを何故無駄と云うのか、其れは常に生命が根源であればあるほど己の無価値を告発され続け、あるいは異議し続けると云う偽らざる現実、あるいは偽り続けるしかない現実と対峙する事そのものが生命の根源の姿であって音の本質だからである。もっと云えば、生命あるいは人間が感じないと存在しない音の本質だからである。無駄である事を隠蔽しないからこそ無駄でしかないのが無駄な音の謂いであり、此れが、音の本質である。このように本質的に無駄な音と云うのが、はたして盲滅法に、偶然任せで出るだろうか。其れは原理的に不可能であって、それこそ、生命の根源と、逃げずに対峙し、自覚し得る明確な意志、ある意味凡庸なまでの、当たり前の意志があって初めて無駄な音が出せるのである。なぜならば此の意志は普遍的に生命の根源=異議申し立て其のものだからである。無駄な音とは、余計な音、なくてもよい音と云う意味ではなく、自ら無駄の底辺に身を置く事で無駄でしかない状況を暴露する音、其の暴露を隠蔽する宮廷の音を告発する音である。

此の凡庸此の普遍性は、先述のデッドヴァギナズの凡庸とは方法を異にしており、例えば極端を云えば、デッド~が、高温高圧での火力発電で、大掛かりな設備で水を液体から気体に変えて其の蒸気でタービンを回して電気を作るという力づくで遠回りながらも汎用性の高い方法であるのに対し、ジゲンオルガンは、水素と酸素を反応させて水と電気を直接作るという、実に明快で直接的な、在り来たりな物質を使った方法なれども、いざ実用化となると難易度が高いのか汎用性が低く希少性ばかりが目立つと云う事がある。例えば水は、地球の生態系において欠かすことが出来ないが同じ分子量の物質と比較すると様様な特異性を有する奇怪な物質と云わざるを得ないが、其の水を、ロック、として照応させると…デッド~は、其の起源が問われないまま受容された、既にある水(=ロック)に外部から無理矢理エネルギーを加えて相変化させた上で其の変化を力学的エネルギーに変えてタービンを回して電気(=音)を作る。対して、ジゲンオルガンは、まず其の現場で自らは触媒として働きながら、水素(=ガレージ)と酸素(=サイケ)の爆発的反応を起こして、水(=ロック)と電気(=音)を生成する訳で、ジゲンオルガンの凡庸さは凡庸ながらも、其の時其の場でガレージとサイケと云うロックの起源を明示しつつ、ロックと言う本質の音を生成しているのだから必然的に其の水(=ロック)も電気(=音)も新鮮そのものであるし、新しさしか存在しないのであろう…本質的な音というのは新しさでしかないのだから…いや、そこまでではないかもしれないが…

わけが分からなくなってきたが其れは兎も角として、ベースは常に挑戦的に何しでかすか分からぬ手が付けられない変態弁才天としてライブごとに本地垂迹しては悪ふざけにも程がある親切な、人懐こい天衣無縫であるし(ベースが弁財天の琵琶に見える)、また、他バンドのような、バランスよく様様な太鼓への打撃を八方美人に配分するリズムへの依存あるいは自堕落をきっぱり排除した此のドラムの叩き分けは、時として執拗に、目的があって目を付けたある太鼓のみを執拗に叩く事に平気で傾倒し、時として捨て鉢に色んな太鼓にばらける感じで、時に無駄な一撃を入れるべきタイミングを、楽曲の破綻寸前まで虎視眈々と一瞬待つ事も厭わない老獪な余裕(=しくじり寸前)も聴き取れて、かと言って音なら何でも云い訳でもなく、此の音が求めるべき音か、あるいは宮廷のデザートになっていやしないか常に峻別する社会的意識も要所で布石しつつ…両者とも緩急自在に開かれたやり口だからいつ聴いても新しく、可能性と多様性が開かれる無駄の底辺で暴れるのを怠らなかった。ジゲンオルガンが其処までの境地に至ったか否かは実際保証できないにしても(本質とは、保証されるものではない。常にぶれているものだ)、こうした希望的観測を書かせるに足る可能性と多様性を開いている演奏であったのかもしれなかった。思い切りやるときは自身も痛みを伴いながら相手のほっぺを思い切りはつり、相手の肉を集中して叩く残忍も憚らず、流す時はいい加減に開いて寛ぐ様だったのを緩急自在と云っているが、だからといって上手い演奏という訳ではないのはもう説明する必要は無いだろう。当事者から云われるまで、今回は、あの脳天をつんざくキーボードが故あって無かった事に気付けなかったのは小生の痛恨の不覚であった。思えば、キーボードを足蹴にして音を出すと云うあのスタイルも、人手不足と云う事情故なのは分かってはいても、西洋の伝統(=キーボード=音階の統制的配列)に対する、尾崎紅葉の金色夜叉的演劇(熱海海岸で貫一がお宮を足蹴にする名シーン)にも見えるのはあながち比喩的な意味では済まされない本質が露呈している気もする。

とすると、Radical Faceはどうだったのか…立派な手練れでありつつロックの本質は十分滲み出せていながら…やはり、其の修練への生真面目さが、楽曲の破綻を恐れる壁になっていたのは否めなかったのか…

計5バンドを体感後…将棋でいう処の感想戦に入る…初夏の地下のライブハウスでのビール旨し…海老蔵は一刻も早く、自身の事件を材に取った平成歌舞伎18番「六本木酒場過誤」(ろっぽんぎさかばのしくじり)を上演すべき事、さもなくば伊藤利尾介との決着をつける事で朝鮮半島情勢の緊迫を鎮静化させるべしとの衆目一致をみる…頃合いを見計らって、一度炎上したが近所で復活を果たした居酒屋さんで五橋のヌル燗を嗜みつつ、時局批判に怪気炎…目玉焼きを乗っけた焼きそばが、酒で疲弊した胃を癒す…他愛のない料理ながら、こんなものでいいのですよと心の中で熟した快哉を叫ぶ…二軒目たぬ吉に潜入…一件目と同じく、誠実な御店…五橋の冷やともろきゅう、そして雅な品名が心ときめかせる「磯の松原」(海苔の上に梅肉と納豆を乗せたもの。自分で巻いて食べる)を注文…心に沁みる一時…翌日になって、たぬ吉で提案すればよかったと少し悔やんだが、改めてしめやかに…ムッシュかまやつとTHEEE BATの女性メンバーの方の御霊に…、献杯…。

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今週休載

夜の地下室の、ロックの国へお参りに行ったり…せっかくの五月晴れを持て余しつつ…昔はガバガバ飲んでいたビールも、最近は何か体に合わなくなってきたのか、酔いとは異なる、質の悪い怠さに襲われるようになり…意識がぼーっとして…今週は休載…ふとつけたNHKの、完全な大本営発表ぶりに少し心の火花が散ったが…今宵は引火する気力も失墜して…

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新じゃが

新じゃがの、小さいころころしたのを一袋百八円で買い込む…皮ごとテリテリした煮っ転がしを作製せんと旬に欲深く目論む旬の週末…ぽかぽか陽気にほだされて時局の、最早危機を通り越しての純正全体主義体制の補完状態に頬かむりしてやり過ごすしかない惨めな絶望に自己憐憫する胸糞悪い自家中毒で自虐する惨めがそこまで熟成されたら決起出来るのか…いずれにせよ事態がこうなったのには主権者である自分の責任であり、此の純正全体主義体制を批判する事はそっくりそのまま自分の臆病な不甲斐なさへの批判として帰って来るのだから気勢は鈍り、情けないだんまりを決め込むしかない…自民独裁体制を祈願する狡猾なる政権は当然ながら…憲法21条改正で言論の自由を抹殺すると云う最終局面に向かう前段、あるいは露払いとして、閣議決定で決まったも同然の共謀罪成立によって国民から言論の自由を剥奪する決定的な一手を繰り出すのであって、此の政権の立場から云えば当然の措置であり、小生の如き一部の人権擁護主義者の、憲法改正の国民投票の動きになったら動けばよいという、不利な時局から目を背ける自己慰安の悠長な及び腰逃げ腰の思惑に付け込んで、実務に長けた政権は、速攻で先手を打って、共謀罪によってあらゆる組織的反体制運動を政治権力で以て封殺するのであったか…と思い詰めたらもういざという時に楽に死ねる薬があればさっさと服用したい軽率な焦燥に駆られるが如何ともし難く…国家主義者は私を滅し公を奉ずると云う大義名分によって最終的には論理的にも思想的にも社会的にも国家を私物化する、幼稚なまでに矛盾した貧相な実態を露呈させる、政治的には文字通り国民主権を否定した専制主義者であって、一部の特権階級の利益と保身のみを追求する私的政体である事は先々週証明した処で…リベラル勢力がそこそこ健在で、議会が大統領独裁を封ずる上できちんと機能しているアメリカをうらやましく思っている場合ではなく…主に資本家と軍人から成るトランプ政権…極右思想的スパイスも当初はまぶしていたようだが実務に劣る故なのか一旦極右思想アドバイザーのバロン氏は遠ざけつつのようで…どう転ぶかよく分からんがシリアや東アジア情勢など興味ないかと思っていたら、内政の行きづまりを糊塗するためかミサイルぶっ放して安易な目くらましに打って出る…深く探るべき真意など皆無の、政治的老獪さに欠けた浅知恵の思いつきほど、意表を衝くものはない…とは言え、外交的にも内政的にもあそこで一発ぶっ放さないといけないタイミングだったのはよく分かる…選挙中のロシアとの内通疑惑を国内的に払拭しつつ、外交面でロシア、中国になめられないためにも効果的ではあった…また、北朝鮮への関与をアメリカが明確化した事で表層的には東アジアでの中国の覇権にアメリカが介入的に釘を刺す影響も期待できるから日中直接対決の懸念による日本国内の軍国主義化への潮流が少し和らいだという意味では有り難いがしかしだからと云って其れは表層的な事象に過ぎないのは誰もが承知の事であって、基本的には東アジアに興味が無いトランプが外交的メンツに拘泥する筈も無く、今はたまたま議会の抵抗によって文官を制御出来ないから直近の軍人たちの意見だけは取り入れて政権維持を図っているトランプだが、基本的には米中露の悪の枢軸による此の国の内憂外患の危機的状況に目下あるという状況は変わらないだろう…今はたまたまの小康状態…

メモ

戦前の、家父長制=父親による家族内専制政治(父親の意向が絶対!)
現代の、絆制家族主義=中心なき、家族内全体主義(家族が大事!)

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旬…

初夏の陽気に誘われて、気の早い素麺を茹でる…つるつるとのど越しも爽やかにテレビで野球観戦の…安眠貪りたい、まったりした午後…調子に乗って旬のアサリなどを購う…いそいそと塩水を作製してアサリを入れ、塩抜きに挑戦するも…異変を察知したのか皆一様に口を噤んで断固として砂を吐こうとせぬ頑なさで抵抗の姿勢を最期まで貫くが無情にも酒蒸しに…飲酒用ではない、下等の料理酒のみを無造作にぶち込んで鍋で蒸すと、一枚また一枚と逃げ場のない鍋の中でカタカタと殻が開く音が…食すに美味でない筈も無く滋味深く臓腑に浸み渡り…誤魔化し無用の調理方法が功を奏して…旨みが濃縮して皿に溜まった汁をすする…砂は運よくあまり入って無くて…今までは、休日の土日は御惣菜で済ます事が多かったが最近になって店屋物の間違いのない味付けがどぎつく感じられて耐え難く…少々面倒でも天然の味を生かした料理を自分で作った方が、噛みしめる薄味から滲み出る食べ物の有り難い豊穣の風味が感度よく感じられて…断然此方の方が豊かな食生活である。今後とも旬の食材を念入りに追っていきたい。

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春闘…

先週の文章に追記…追記部分は下線部で表示しているとして…今更ながらハラワタ煮えくり返るのは…春闘でテレビで話題になるような大企業、有名企業などは既に十分たんまりがっぽり給料をもらっているのだからこれ以上のベースアップなどは絶対必要ないのに歯止めの効かない強欲なのか際限なくそうした大企業に限って給料を上げるから、そうした大企業が、「もうお腹いっぱい。これ以上食べられないよ~」と云って、脇に控える中小企業におこぼれを投げ与えるのをひもじく物欲しげに惨めに待ち続ける中小企業にはいつまでたってもおこぼれにありつけない、なぜなら金は幾らあってもお腹いっぱいにならないから…中小企業の製品を安く買いたたいて搾取し、其れによって構造的に私腹を肥やす大企業が春闘でベースアップされる必要性は全く無い…大企業が、其の傘下の中小企業、サプライヤーより給料が高いのは明白なのだから…大企業において自社がベア出来る余裕があるならば、政権得意の経済介入によって大企業が中小企業から日頃ねちこく安く買い叩いている部品などを大企業が高く買い上げるようにすれば中小企業もベアが可能だと云うものを…聞く処によると…中小企業が自社努力によってベアしようとすると、大企業から、「そんな余裕があるくらいならもっと部品を安くしろ」と云ったえげつない要求、干渉があると云う…そうした不当かつ隠然たる干渉と云う形においても、中小企業は大企業から搾取されていると云う…ごく少数に過ぎない大企業の社員はたいして金に困っていないのに政権は大企業のベアばかりをわっしょいファッショいとばかりに応援するから政権から承認を得られたと忖度する大企業ばかりがベアで肥え太って如何にも日本全体が春闘で給料が上がっているようなマスコミでの印象操作ばかりが欺瞞と虚飾に満ちて横行する羽目になる…此れは無論、中小企業の製品を大企業が安く買い上げて組み立てると云う製品構造、産業構造自体に由来するピラミッド、俗にいうシャンパンタワーを自明の構造として承認しているからだが、当然、此の構造は自明でも絶対的正義でも自然の原理でも何でもない…どの部品も最終製品の品質に欠かせない価値があるものであり、其の部品一つ取って見てもそれぞれに設計と製造の創意と努力がある限り、組み立てだけが最高の価値があるものとして高給を取る理由にはならない…ある一つの製品について、最終組み立てや設計だけが高い人件費を取り、其の発注を受注する部品会社は安い人件費で買い叩かれ搾取される現状に疑問を呈するならば、ある一つの製品に携わる人間全てが同じ給料にならなければならない理由も成り立つのではなかろうか…無論、原価はそれぞれの部品製造元で固定となるとして、労務費、売価の調整は必要になるだろうがそうならば単純な多項連立一次方程式を解けば何とかならないのか…完全なる平等は現実的方法上困難としても、少なくとも組み立てと部品との賃金格差是正する努力を否定する論拠はあまりない…同じ製品を協力して作っているのだから…人間を尊重する政治的意志が介入する余地はある…句境を催して…

南風にもり盛り上がる雪柳

ひからびたミミズSの字金具2個

跳び箱を跳んだ形の雀の死

すみれ咲く道割りて尚いく処

ラスター彩れんげ躑躅は飛び火して

日本国民の声なき声
「どうか、奴隷にさせて下さい」
「そんなに奴隷になるのが嫌なら、此の国から出て行け」
「奴隷にあらずんば人にあらず」
「オレは奴隷になりたいんだっつーの!」

と、そうこうするうちに、高校生の七割が官憲による、容疑者への自白強要に肯定的、との、胸糞悪いニュースを垣間見る…反吐が出る…

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国家主義者=愛国者=利己主義者=反社会契約主義者=反人権主義者=特権主義者=犯罪者

消音していても球場のざわめきが噎せ返るような陽光…空気は未だ温もらず…菜の花畑に入日薄れ見渡す山の端霞深しで…どこか弛んだ守備エラーが目に付くが…大勢としては取り敢えず森友一家を御取潰しに処して一件落着を決め込む手筈が功を奏しつつ…蜥蜴のしっぽ切りとは云え…其の尻尾も其れなりに有毒だから切って捨てる価値はあるとしても…本体の猛毒である御上は至って健在を決め込むしたたかさを目の当たりにして…アメリカの新興ファシストの尻の青い、徒に性急なだけの若さの取るに足らなさに比べたら、此の国の、腰を据えてゆるりと事を進めつつ少々の難局にも動じないしぶとさを顧みれば此の国の絶望の深さに改めて絶望…問題の幹…値引きの根拠である八億円分のゴミの有無…政権側は、総理が寄付したらしい百万円に関しては、百万円をもらった事実が存在すると主張する森友側に証明責任があると云う…此の論理は確かに正しい…やっていない、寄付していないという非存在の証明は不可能なのだから、存在を主張する方が、其の存在を証明する義務が生じるのは至極尤もである…だとすると、此の論法は政権側に翻って、政権側は、八億円分のゴミが存在した、だから国有地売却額を八億円値引きしたと主張するならば、八億円分のゴミの存在を証明する義務はたちどころに政権側に発生するではないか。百万円に関して政権が総理の関与を否定する其の論法が正しいならば、八億円分のゴミの存在を説明するのを拒否するのは筋が通らない…政権は未だに、処理費用八億円分のゴミは土中に存在したが、其の証拠を提出するつもりもないし必要も無いと強弁して憚らないのだから…此の程度の矛盾などものともしないのが政治権力なのだと云う事は百も承知だが、野党はこの辺をきっちり衝くべきであろう…其れと、問題の根っこの部分である、憲法違反、教育基本法違反の森友学園支持を公言した総理大臣はじめ政府与党の憲法違反、教育基本法違反へ加担した罪を国会の場で批判すべきだとめげずに繰り返しておく…此の事は、とある民放で微かに遠まわしに指摘する識者も居たのに少しだけ出くわしたが、此の論調が大勢を築くのに全く足りない状況なのは明白である…

森友が愛国主義の大義名分の下に、自分らは国家のためにやっているのだから少々の税金詐取など大目に見られるべきだし特別に優遇されてしかるべきだと悪びれる様子も無く公言する確信犯的態度で以て、国民の血税を横領し、しかるに国家をワタクシする事で、結果として彼らが一番の価値を置く国家の国力を危うくしている自己矛盾に陥っているのが白日の下に晒された此度の事件…此の件は、ある特殊な、常識をわきまえない不埒なごく一部の愛国者が為した悪行であって、他の一般的な愛国者は衷心より国家を愛する事で国家の利益になっていると云う、一見理性的な此の判断は誤りである事を以下証明したい…森友が特別な事例なのではない、いわゆる一般的な愛国者、国家主義者、あるいは正統保守主義者を自認する者は、其の思想的原理として、国家をワタクシして国民から奴隷的搾取を目論む国民の敵なのである。無論、森友のような尖兵右翼の論理としては、一時的には国民の税金を詐取している事にはなろうが大局的には将来的に国家の繁栄に役立つのだから、今現在の些細な犯罪などは目をつぶられてしかるべきだと云うのだろうが、当然ながら此の論法は自分勝手な私的な思い込みに過ぎないのだから公にも国家にも通用しない…いわゆる国家主義者(愛国主義者、天皇君主制主義者、ナショナリスト)が、如何に表面的には己の身を犠牲にして公に奉ずる美徳を吹聴しようとも、其の思想の原理として、結局はまことにちんけで詰まらぬ私的なる卑小なる利己主義に帰着するのである…

国家主義者の思想の原理は云うまでも無く、国民あるいは民衆あるいは人間の主権を否定し(=基本的人権を否定し)、国家と云う抽象的観念的制度に主権を認めるものである。抽象的国家に具体的国民が奉仕する事を要求するのが国家主義であり国家主権である。国家と云うのは必要悪の統治機構であり、統治とは何らかの中心乃至は中央がその他の全体を執行権で以て支配するものであるから、統治が中心である以上統治と云う実際の仕事を執行する具体的人間は全体ではなく、少数である。此の少数は、全体からの普通選挙だろうが神権的特権的世襲だろうが如何なる選択方法であろうとも、いずれにせよ全体から選択的に抽出されている概念の遷移を経ているために、必然的に全体から切断された存在である。此の少数とその他の全体との間の切断された関係や紐帯を、如何なる正当性や理屈で以て隠蔽しようとしても其れは空虚な虚飾、欺瞞に過ぎない。如何に公明公正な普通選挙であっても此の切断を隠蔽する事は不可能である。従って間接民主主義や代議制などと云うものは民主主義ではなく、民主主義とは直接民主主義でしかない。

(にも関わらず間接民主主義に依存しなければならぬ苦渋が政治制度として人間の血の通ったものになるのは偏に此の切断と云う実存経験に深く思いを致しているかどうかであって、最終的には個人個人の誠実さに掛かっている此の現実は、此の矛盾を知悉している事を条件としている…原初から民主主義を不可能性の下で捉えていたルソーの社会契約論が何故民主主義の古典たりえているのかは、畢竟此の矛盾を些かなりとも美辞麗句で誤魔化さず白日に晒した冷然たる誠実さによる…こうした切実なる困難から全く逃げずに、国民主権と云う、これまた矛盾に引き裂かれたルソー独特の概念を定立したルソーと云う人の、実にアクロバティックで奇跡的な思想の凄みと云うのは、勘のいい読者の方なら此処まで読めば感得されるだろうけども、其れは、直に社会契約論を読めば良く理解できる事であるだろう…)

民主主義が不可能性を内在させている云々は余談として…兎に角、重要な事は、国家が統治機構、統治の制度である以上、其の国家の仕事である統治に携わる人間は全体とは異なる少数であるという事である。国家主義者らが、国家に主権を持たせるという事は、如何に観念的には、国民全体に奉仕する国家が主権を持つと国民全体にいい事があるように主張しようとも、現実的には直接的には、国家を運営する少数者が主権を持つ事に他ならない。少数者が所有する主権の事を特権と云う。此の少数者は国民に奉仕すると口先で強弁しようとも、其れは何の原理的根拠も保証も無い妄言に過ぎず、現実的には少数者が特権的に私的に恣意のまま主権を行使できると云う事である。そこは法律で以て制限を加えればいいと云う論法で、少数者の私的行為は公の行為に転移可能だと云うのは空虚空論に過ぎず、主権が少数にある以上はそんな法律は少数の恣意によって如何様にも改悪可能だから意味はない。国家主義者とは原理的に少数者による専制政治を肯定するものであり、即ち国民主権を否定して国民から主権を奪い奴隷身分に貶める輩である。国家主義者はこのように、少数者の特権でもって国家制度を執行するのだから其の行為は原理的に私的なものに過ぎず、公の事としての正当性は必然的に皆無である。従って、国家主義者のやる事為す事は全て、単なる利己主義の産物と同じなのである。従って、国家主義者は利己主義者であると云う、自己矛盾した厚顔無恥の帰結を晒すのであって、国家主義者には原理的に何ら社会的大義は無い。国家主義者は結局、利己主義的に国家をミスリードしてワタクシする事で国家本来の役割である、国民全体の生命、財産、人権の保障をないがしろにするため、国家主義者は、国家国民への害を為す者として、いわゆる一般的刑法犯罪者と同列である。云うまでも無い事だが国家の執行権が社会的に正当性を持つのは、主権が国民に有する場合のみであって、主権が国家や君主に有する場合ではない。此の事はルソーが社会契約論で証明している。

笑止を通り越して滑稽ですらあるのは…かような国家主義者が、主権者国民の集まりである社会に対して広く自己の思想への支持を訴える事であって…要するに国家主義を自認する者らは、眼前の大衆に対して、「私に、おまえら大衆とは隔絶した特権を与えてください。私の特権を認めてください。私に特権を与えて、其の特権で以ておまえらを奴隷にさせて下さい。お願いです、どうか、おまえらを私の奴隷にさせて下さい。」と云う内容の事を、眼前の大衆に対して真剣に訴えているのである。こんな事を「懇願」する人間を支持、肯定する大衆が存在するのか。しかし、実際、自民党が政権を取っていると云う事は、此の公言を肯定する大衆が存在する事を意味するのだから、滑稽を通り越してぞっとするしかないが、現実に起きている此の事は、何と馬鹿げている事だろうか。悲劇なのか喜劇なのか。

日頃は特定の人種や民族の人権や(国民)主権を否定し(人権とは普遍的なものである。其の普遍性を否定する者は、人権ではなく特権を肯定する者である)、自己の特権の正当性を社会に認めさせようとする国家主義者らが、いざ社会的に劣勢に立たされると、図々しくも、「表現の自由を弾圧するのか」「人権侵害だ」「大衆の一人を国家権力で弾圧するのか」などと手前勝手に、己の国家主義的思想で否定している人権や主権を手のひら返しで自己に都合よく肯定して、保身を図る様子は無様を通り越して惨めですらある。こうした、自己の思想に対する一貫性の無さも、国家主義者が単なるちんけな利己主義者に過ぎない事を証明している。国家主義者は、まさに日頃は国家主義者自身が、戦後リベラル云々と駄弁を弄して口汚くののしっているところの、利己主義者そのものである。国家主義者に人権や主権など存在しない事は先週証明しておいた。

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国家主義者、愛国主義者、ナショナリストを弾圧すべき正当性

鯛煮るや胸鰭は立つミモザ咲く

鼻糞やほじくり出された伊能地図

チャック・ベリーへの哀悼は当然の事としてもやはり驚愕したのはまだ御存命であったのかと云う今更ながらの失礼な認識を改めつつ…御冥福を祈るのみ…

火曜日のドラマ「カルテット」…第三回くらいから毎週欠かさず楽しみに視聴…近年稀に見る、非常に風通しの良い、間口の広い、自由度の高い巧みな脚本で…最終回、カルテットが稼ぎにならぬのに続けている事に対して、社会的正当性による虐待に打ち負かされた逆恨みのねちこさが倒錯的に社会的正当性の優位に胡坐をかかせた、およそ自堕落なほど一般的かつ流通的な批判の手紙が読み上げられた挙句での世間での悪評を逆手に取って集客したコンサートから一転、馬鹿馬鹿しい程在り来たりな夢オチのような怪しい一手で以て痛烈に、硬直した社会的正当性を軽やかに転覆させる手際は見事であった…カルテットを批判するあの手紙の主の、もっともらしい理屈も含めて、何の権威も立脚できない夢に過ぎないのだと…

森友問題…いわゆる愛国主義者たちを根絶やしにすべく此の炎に油を注ぎ続けなければならない状況…此の問題を長引かせる事によってあわよくば共謀罪を廃案出来れば御の字と云う戦略に立って…萌えいづる春の息吹に合わせてか問題の枝葉が茂り過ぎて根幹が見えにくくなっているから剪定する必要があるのだろうか…根幹の、幹の部分は…国有地の鑑定価格9億円が、ゴミがあるからと云う理由で8億円値引きされて1億円で売却されてしまった事における、そもそも撤去費用に8億円も要するゴミが存在したのか、もう、現時点では誰もあそこの土地に八億円分のゴミがあったなどとは信じていない状況にも関わらず、何の説得力ある証拠も提出せずにあそこに8億円分のゴミがあったと政権が強弁する始末であって…ゴミがあったのか無かったのか再調査するつもりもないと財務大臣が切って捨てている事からして、8億ものゴミなど存在しないのに虚構の理由づけと虚構の計算に基づいて無理矢理9億円を1億で森友に売った、と云う問題で…此の幹から一挙に種々の疑惑や虚偽報告や詐欺罪や経歴詐称や補助金詐取や園児虐待などの葉っぱや、あるいは総理府人による百万円の寄付云々という桜まで芽吹いて来て…今や疑惑の御花見の席取りでごった返す始末…

しかし一方で此の問題の根っこの部分は、国会は元よりマスメディアでさえも無視され、文字通り問題の根っこが隠蔽される怠慢が目に余る…此の問題の根っこは、どう考えても、此の学校法人の教育内容であって…真っ先に非難されるべきは森友学園の教育内容が日本国憲法違反並びに教育基本法違反である事なのは誰の目にも明白だ。1、此の学校は園児に、旧帝国憲法下による教育勅語を暗証させている。先々週にも説明したが、教育勅語はいくら論語的友愛や孝行を述べ立てるにしても其の目的は日本皇室の存続なのであって(「~以て皇運を扶翼し、」と原文にあるだろ!)、国家と皇室のために、臣民が生命を捧げる事を美化しつつ要求して来る、国家と天皇が主権を持つ国家主義乃至は君主制によって国民主権と基本的人権を明白に否定した勅語なのである。従って森友学園が教育勅語を暗唱させる事は、国民主権と基本的人権を謳った日本国憲法違反である。だからこそ、オキュパイド ジャパンではあるが昭和23年に、教育勅語は教育現場で使わない事を衆参両院で議決しているのである。それに、2、此の日本国憲法を基本とした教育基本法では当然、国民主権と基本的人権の尊重を教えるし、加えて、教育現場に政治を持ち込む事を禁止しており、例えば昨年の、高校三年生の参政権取得に際して、あれほど学校内での政治活動や学校内で政治教育する事を神経質なくらい禁止していたにも関わらず、此の森友学園では、安保法案などの明らかな政治問題を学校の中で園児に教え込んでいるではないか。此れは明らかに教育基本法違反である。

従って、森友学園は明らかに日本国憲法違反、教育基本法違反、国会議決違反であるがその犯罪行為も顧みず、国民主権、基本的人権の尊重を否定する教育内容を確信犯的に実行する学校であり、此れは新設予定だった小学校でも同じ事をするのは明白である。そして深刻なのは、此の、明らかに憲法違反、教育基本法違反、国会議決違反の学校の教育を、こともあろうに多くの与党議員や其の友党維新の会が熱烈に支持しており、園児の教育勅語の朗誦への称賛を公言する国会議員も存在し、其の頂点に総理安部夫妻が存在すると云う事である。要するに森友を支持し、あるいは援助していた国会議員どもは日本国憲法違反に加担し、国会議員のくせに国会議決をも愚弄して加担する事で自覚的に国民主権と基本的人権を否定しているので主権者国民の敵である。憲法を守る義務のある国会議員どもが現憲法を否定し、旧帝国憲法を奉じて教育勅語を園児に暗唱させる事で将来の君主制的天皇制の復権を画策し、現憲法下で保障された国民主権と基本的人権を否定しているので、此の国会議員どもは憲法違反で議員の資格はないどころか主権者国民の敵である。従って、総理が此の学校の教育を国会内で称賛した事は、其の一事を以てしても憲法違反であって、国会議員の資格は抹消されるべきであるに加えて、国民主権と基本的人権を行政の長として公の場で否定したのだから国民の敵の頂点に君臨するのは確かなのだから森友との共謀罪で以て即刻告訴されるべきである。加えて森友を支持した国会議員、府議会議員らも憲法違反なのだから同罪である。与党側は、仮に総理が百万円ほど、森友側に寄付した事が事実だとしても何が悪い、何の問題も無いと開き直るが、寄付自体に問題は無くても、憲法違反の学校への寄付なのだから憲法違反に結託した有罪なのである。

一部メディアは、此の森友を、ごく特殊なカルト右翼集団として、いわゆる保守本道と切り離して問題を矮小化するゴマカシが見受けられるが…総理夫妻を頂点として政権与党自民党の赫々たる大物議員らがこぞって此処の教育を称賛しているのだから、つまり総理夫妻をはじめ保守本道である自民党の中枢議員が此の学校を支持しているのだから、此の森友の有様が、いわゆる保守本道の保守主義者、愛国主義者、ナショナリスト、そして国民主権を否定する国家主義者の実態であると云う事が今回の事件で明白になったと云える…従って保守主義者は国民主権、基本的人権を否定し、此の日本国憲法の原則を、たかだか100年前に過ぎない明治発祥の、虚構の狭量なる天皇元首制を日本の伝統などと欺瞞的に虚言しては此の浅はかな虚構の伝統を論理的根拠として国民主権と基本的人権を否定し、其のために種々の多様性を否定する輩である。こうした保守主義を思想の多様性として承認すると、保守主義自体が思想の多様性を否定しているのだから、思想の多様性自体が破壊され、思想・信条の自由は破壊されるだろう。従って、保守主義は思想の多様性の埒外であるとして、保守主義は思想的に弾圧されなければならない。此れが、保守主義を主権者国民の敵として、社会契約(国民主権と基本的人権の尊重)を破壊する者として社会的に正当的に、法的整備と公安的実力を駆使してまでも弾圧しなければならない正当性であり、論理的実際的理由である。教育勅語を奉じて基本的人権を否定する愛国者気取りに限って、自分が今まで自分が奉ずる国家から税金を詐取していた事を棚に上げておいて、自分が不利になれば基本的人権や主権者国民を盾に、己の保身を正当化する貧相で惨めな泣き言に此れ以上耳をかす必要はない。

以上の事から、今回の森友事件で、憲法草案からして明らかに主権者国民への敵性を露顕させた政権与党を責めるには、第一に森友の憲法違反、教育基本法違反に焦点を当てて、其れへの結託への罪として政権与党を論難すればいいものを、メディアや野党は何故か教育勅語批判に及び腰で煮え切らぬ態度なのはなぜか…それは、たとえ旧憲法での事であろうとも天皇制に言及せねばならず、何よりも此の国では天皇制について語るのは絶対のタブーであるからなのだろう(其の証拠に、天皇退位問題への与党の対応の、何とも馬鹿丁寧な事よ…残業時間規制と云う、国民にとって直接的に最も重要な事をあれほど強引に決定するくせに。100時間が過労死ラインだというのに上限を100時間未満にするという事は、過労死するまで、99.9999…時間は残業して働け、と云う事なのか。此の政権は国民の生命を軽視する敵性国家である。)…先々週、小生は「自発的配慮」と表現した事を最近はメディアや国会ではようやく「忖度」と云う言葉で表現しているが…決定的な物証がリークされない限り、組織内部が忖度で自動的に動く全体主義体制では明確な責任者や首謀者、指示者を特定する事は困難なのだから其処にこだわり続けているとうまく政権から攻撃をかわされて問題が立ち消えになるだけだ。忖度自体は悪い事ではないのだから、忖度自体で攻める事は出来ないだろう…其れよりも、政権与党が憲法違反に加担する方向で忖度した事が罪深いのだから、教育勅語という根っこの部分を批判しないと、此の問題が生まれた社会的意義は皆無である。

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仄々斎不吉
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非公開
自己紹介:
 数寄の天下を獲らんがため号するは、仄々斎不吉。

 三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)及び諸家茶道流派に例外無き教条点前に豪を煮やす一方、近代数寄者(益田鈍翁、高橋掃庵等)以上に見立ての幅が広がった現代茶会に更なる侘びの新風を吹き込むべく研鑽を積む。

 利休の、無産有産といった階級をも併せ飲む侘びの骨頂に根ざしながら、そうはいってもありがちなブルジョア金満足だけは厳に慎みたい労農茶人。

 草木に臥してなお風雅を愛でる仲間であるために、茶の湯だけでなく、路上観察、テレビ跋渉、音楽及び納豆評論、 30人31脚批判もこなす趣味人にして愛陶家。 猫舌。


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