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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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夏バテ…

納豆の糸玉響に扇風機

人間ドッグ…早く着きすぎたので、人気のない、早朝の歓楽街をぶらつくと…梅雨の終わりの、篠つくような土砂降りに見舞われ…折り畳み傘では埒あかず近場の店先で雨宿り…すると、仕事明けのホストとおぼしき、将棋の佐藤名人のような風体の男と二人、雨に降り込められる気まずい沈黙…数値はいい感じで、体重も学生時代にだいぶ近づく良好な結果…其れでも連日の猛暑で食欲減退し…次回は7/30です。「玉響に」は「たまゆらに」と読みます。

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政見の夏バテと警鐘

アスパラの穂先腐りて口内炎カット葱さえ腐るグジュグジュ

ようやっと内閣支持率が三割台まで下がったが政党支持率を見ると公明、共産の微増とは裏腹に民進がごっそり減って無党派が増えている事から誰の目にも受け皿不在即ち受け皿となる新党への渇望が読み取れると云う事で俄然、小池新党の国政進出そして小池総理の現実味が高まった事になるが…と、なると、事態は改善へ向かうと云うよりも劣悪化への胸苦しさに暗雲垂れ込めるのであって…都知事小池は細川や小沢などの野党を渡り歩いたとは言え最終的に自民に落ち着いた其の政治思想は自民の其れであって…「しっかりした国家観をお持ちで」などと自民時代は同志を誉めそやす処や其の他自民時代での言動を思い出すと、国家が主体であって民衆を奴婢と見なす、民主主義者を弾圧する国家主義者である事には間違いない…自民を表向き脱した今でこそ都民ファーストあるいは国民ファーストなどと、民衆を主語即ち主体として民主主義風な言説を述べて幅広い支持を手際よく集客しているように見えるが、心根で燻らせている政治的信条と云うのは簡単に変節するものではない…。自民も小池も、国家主義的共通点を有する同じ穴のムジナの仲であって、今は政治的戦略によって表向き反目しているように見えるが其れは一時的な事に過ぎず、元来、其の政治信条は同根なのだから、折を見て、其れこそ国政進出し小池が政権を掌握した暁には、すぐさま小池は自民と馴れ合い、何だったら連立政権さえも辞さないしたたかさを備えているのだろう(お互い反目の素振りを見せながらも、其の事を互いに阿吽の呼吸で了解している、つまり茶番である)…小池が、情報公開の姿勢を示して民衆への説得力を表現しつつ全体的な合意形成を図るスマートファシズムを具現化せしめる可能性が高い…安部政権初期もそこそこスマートにこなしていたが此の頃になって地金が出たと云うのか、自民伝統の、本質的に料亭政治から抜け切れない隠蔽体質、近親の奸臣を厚遇する側近政治から抜け切れない、反民主主義的国家主義的私利私欲的政治の地金が、株価と為替の数値が良ければ絶対に支持率は下がらないとの、国民を馬鹿にした思い込み、札束を口に突っ込んでおけば物言わないだろうと云う、国民に対する嘲笑的楽観的憶測の傲岸によって野晒になったのが一連の事件であったが…自民はそういう意味で幼稚なファシズムだからいずれは瓦解する希望が持てるが…小池が目指すスマートファシズムは其れこそ情報戦略やプレゼン上手に長けて、自民のようなボロを出さないスマートさで其の本質の国家主義が進行すれば、其れこそ、自民ファシズム以上に突破口の無い、隙の無い、絶望的な全体主義=スマートファシズムの到来が予見され…此処に警鐘を示す次第である。情報公開やら合意形成の巧みさを表層的にプレゼンした絶対的民主的正当性を後ろ盾にした、透明性の果ての結晶の中に人間が雁字搦めに閉じ込められたかのような、あらゆる些細な異物が徹底的にスマートに除菌される、水晶内制度(笙野頼子)=スマートファシズムの到来を、小池の着実な政治的野心からひしひしと感ずるので、警鐘を鳴らす次第…

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練習問題

ラジオつければ此処は球場カマス焼く

雨が揚がればすかさず付け込むように蝉が鳴き込んで来る本格的な夏の到来も見掛けの化生に過ぎず…心中では既に年末を迎えている自分すら思い描き、何事も為さ無かった己の阿保面が門松に挟まれている愚かしく目出度い図すらも、腐りかけた真っ赤な紫陽花を眼前にしても、ありありと思い描く始末…そうは云ってもそこはかとなく否応無く静かにしかし確実に訪れるだろう変化の兆しに発作的に怯えるが、其れでも、軽やかに変化に対応したい理念を慄きながら旗立てる己も居つつ…漫然と頭が鈍く、傍枕の書物が頭に入らない鈍麻に抗うようにして落書きだらけの解析の教科書の中の定理だけを摘まみ読むが当然ながら理解力の衰えを改めて認識するまでもなく無理解しながら…何かの参考になればと、誠に表層的な理解だけを脳の表面に吹き付けてみるが定着する筈も無く…テイラー展開はある関数を高階導関数のべき級数に書き直しているらしい…マクローリン展開は…テイラー展開のある変数を零とした場合の特殊系…などといった、恐ろしく浅い理解…

都議選で自民大敗前夜、秋葉原での街頭演説で総理安部が、大衆による安部辞めろコールに対して「こんな人たちに負ける訳にはいかない」発言…そして、保守系の連中は、あの時街頭で安部辞めろコールしたのはごく一部の過激派に過ぎない(と云う強弁で以て、政治的意志を持つ勇者と大衆との分離工作を図る、国家主義者のいつもの手口)、あの中には反レイシストの過激派集団の代表がいた、あるいは共産党の動員だ、と事件を矮小化、隠蔽化する主張を為し、そうでない人人は、火を付けたのは政治的意志を持った少数の人間だったかもしれないが其れが起点となって安部辞めろコールが大衆的に燎原の火のように起こったのだ、それは大衆に潜在的に国家主義者安部への怒りがある事の証拠に他ならない、レイシストに反対する政治運動家が中に居て何が悪い、共産党の動員である証拠は何もない、問題を矮小化しようとするお前等の流言飛語だ、と云った首謀者の身元捜しに躍起になって問題の本質とは関係ない場外乱闘がある一方で(「あれは共産党の動員だった」と己の願望まかせの憶測を述べた元都知事猪瀬に対して、現場の状況を的確に述べた民進議員から、其の証拠提出を求められると、特に証拠は無かったようで、猪瀬は不遜な態度で負け惜しみたっぷりの皮肉を込めて悪びれる様子も無く発言を撤回。と云う馬鹿げた愚行さえも形振り構わぬ国家主義者のあがきがそこかしこで炸裂の模様)、安部辞めろコールをした連中を共謀罪で逮捕すべしと云うフェイスブック上での誰かの提起に対して自民の議員二回生がいいねボタンを押したのを朝日にばらされて報道されるとすかさず撤回、うっかり間違っていいねを押したとの由…いずれにせよ、安部辞めろコールは安部派からすれば彼らの言論の自由を阻害する実力行使に見え、だからこそ「こんな人たち」発言を擁護する主張、総理安部の言論の自由が否定された、との主張もまるで正当であるかのように罷り通る、と云う事で、格好の、実地の練習問題である。

練習問題 安部辞めろコールは是か非か
解答   是

証明 

政治問題第二定理を参照。「言論の自由を否定する者の言論の自由は否定されなければならない。」

あの現場だけに事態を限定するならば、確かに総理安部の言論の自由は否定されたとまで行かなくても、其の言論に対する反対意見が単に表明されたとも云えるが、此処は分かり易く自民側の立場に立って考えると、其の声量によって多少ならずとも妨害されたとも云える。しかし、事態はあの現場だけに限定される筈も無く、歴史的経緯が政治の実態であるからして、そうすると、自民と反自民の、どちらが先に言論の自由を否定したか、と云う事実が重要になってくる。即ち、先に言論の自由を否定した者こそが、「言論の自由を否定する者」であり、其の者の言論の自由は否定されてしかるべきなのである。
では、自民と反自民、どちらが先に言論の自由を否定したか。其れは火を見るより明らかに自民党である。その事は、自民党が数年前に発表した自民党憲法草案(2012年版)の第21条から明白である(此の詳細は過去の記事での小生の論考を参照ください。左下のブログ内検索にて。)。あるいは、此処数年で度々自堕落に麻痺したように話題になるが、例えば幹事長二階などは度々マスコミ弾圧発言を公言して憚らぬし、議員大西と其の仲間どもも経団連を動かして広告料を絞り上げて目障りなマスコミを弾圧すべしと数年前に公言している。
従って、先に言論の自由を否定した安部自民の言論の自由は否定されなければならないから、安部辞めろコールは民衆による正当なるカウンター行為として是である。

此の問題を受けて、以下のように第二定理を修正したい。
「問題系において初めに言論の自由を否定した者の言論の自由は否定されなければならない」

話は戻るが…産経は…安部辞めろコールの群集の中に対レイシスト過激派団体(対レイシスト過激派と云っているのは産経である。なぜ反レイシストと表記しないのか。此の事からも、産経の、レイシスト団体への親近感と、反レイシストへの偏見的侮蔑がうかがえる)の代表が居たと吹聴するが其の意図の姑息で卑しい根性と云ったら、わざわざ指摘するのも気分が悪いくらいだが…レイシストに反対を表明する事に一体何の非があるのか、産経は、レイシズムに賛成なのかといぶかざるを得ないが恐らく表面きってレイシズム賛成を表明する度胸も無い姑息な小心ゆえに…、産経が殊更問題視しているのは…いわゆるヘイトスピーチを得意とするレイシスト団体のデモへのカウンターとして繰り出した反レイシスト団体が、レイシスト団体と街頭で揉め事を起こした事を風紀紊乱と見なした官憲が反レイシスト団体を拘束した事に対して、此の反レイシスト団体を過激派と指定しているらしいが…そもそもレイシストと反レイシストのどちらが悪徳かはレイシストに決まっているのであって、原因かつ悪の根源はレイシストである。レイシストが存在しなければ反レイシストも存在しないのであるから。どちらが過激派かと云うとレイシスト団体の方である。そうした本質を隠蔽するようにして、十把一絡げに御上を煩わせたと云う一点で以て、嫌らしくもここぞとばかりに付け込むように庶民感覚に便乗して、官憲に捕まる=過激派と云う「印象操作」を抜け抜けと捏造する産経の本質はもう誰もが知悉している事だが産経の国家主義傾向、国民主権否定を如実に表すし、レイシスト団体が存在しなければカウンターとして存在する事は無かった反レイシスト団体、言論の自由を守ろうとするごく良識的な反レイシスト団体を過激派扱いにして大衆との分離工作を吹聴しようとする産経の、自己の存在に対する卑屈で根暗い鬱屈による屈折したやっかみ、人権とか主権在民とか平和主義とか綺麗事を云う人間への先天的嫌悪による腹いせが為せる、新聞としての誠実などかなぐり捨てた非道理的傲慢には、姑息且つ貧相を通り越して憐憫の情すらも禁じ得ない。人権、主権在民、平和主義が存在しないと新聞も存在できないのに、己の存在を否定する言辞を弄して一体何がしたいのか。そんなにまでして、会社丸ごと、国策発表機関として編入されたいのだろうか。公正中立な民間の報道機関と云う立場で国策報道を天壌無窮とばかりに押し戴いて無条件に肯定化する事ほど、事態の本質を隠蔽する悪質な事は無いのだから、産経や読売はいっそそのまま丸ごと国策報道機関NHK傘下に入って、あるいは総務省広報部として、国策報道機関として正直にやればいいだろう…その時には、当然ながら、官邸からの政府広報を垂れ流すだけで記者による情報の裏取りをする必要が無くなり、余剰人員が生じるから元産経と元読売は大リストラを甘受する必要を迫られるが…。

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旬の枇杷旨し

梅雨晴れや産毛で弾く枇杷たわわ

なかなか状況がじっくり書かせてくれない状況の中で…手短に…人工知能と云う訳語の氾濫について…一体何が知能と云えるのか未だ定かではないはずの、人類永遠のテーマである知能がソフトウェアで再現できると云う事らしく、人工知能と云う文脈で云われる処の、其の知能として措定されている「機能」としては自己学習機能などが挙げられているようだが…実際、人間にとって知能とは何か、と云う問いに対して普遍的で絶対的に正しい解答など得られていない状況であるにも関わらず、プログラミング技術の当事者たちが、其の社会的影響を深く考慮する事なく行き当たりばったりで早い者勝ちとばかりに「こういったものが知能でござい」と喧伝しまくり既成事実化すればするほど…即ち、人間の知能と云われるものが目に見える形で商品化されればされるほど…本来の人間自体と関わる知能自体が、其の、「商品化され定義され有限化された人工知能」へと馴れ合い、漸近して行く傾向は免れないようで…

其の人工知能が、人間が所有する知能よりも良質なものならある意味神の領域に近づく訳で結構な事とも云えるが…人間が漸近する対象である人工知能が劣悪なものであるならば、人間が所有する知能は劣悪化する訳で、実態は後者である可能性は高いから、また新たな反吐が出る訳である…要するに、人間の知能は、商品化された人工知能へと劣化するだろう…一体、商品化された知能の何が愚かなのだろうか…其れは、其の現場で喧伝されているセールスポイントを列挙すればいいだけで…曰く、大勢の群集の中から顔認証できる、とか、将棋で人間に勝てる、だとか、人間の言葉に其れらしい応答が出来るだとか…要するに現在の処、人工知能と云われているのは外的で現象的な機能に過ぎず、其れだけで云えば単にプログラミング技術の延長に過ぎない…翻って、人間が考える、容易な定義を拒む人間本来の知能とは…そうした機能の現象的顕在能力のみを独立に扱うのではなく、心や感情と云った、何処までも内在的で、顕在化する現象との対応関係それ自体を無効にし得る不連続で不確かなものとの関係性を排除しては語れないものなのであって…

愚昧なる脳科学者や行動心理学者などと云った、人間を社会に売る奴隷商人どもが例えば…怒っている人間の脳みそのある個所が充血している、あるいは何とか云うホルモンが分泌されているから、感情の一種である怒りは脳のある個所、あるいは何とかホルモンであると定義する訳だが…そんなものは目先の現象に過ぎず、たとえそうした現象が身体で起きようとも、其の人間が、怒っていないと主張すれば覆る、「主観」的問題なのだから客観的現象的結論など意味がないのであって…知能と云われるものも、そうした、不連続で不確かな心や感情と不可分なのである…だから、内在的な心や感情を都合よく捨象した(人工)知能を人間の知能と認めてしまうと、知能は、単なる現象へと劣化する。云いかえると…心や感情は内在的でしかなく、外的な条件付けや外的な表出は本来不可能なものであり、例えば身体の状況や外部からの実力的脅迫が内的心理に影響を及ぼす、などと云うのは、其れを肯定する者にとっては真実かもしれないが其れを否定する心を持つ者にとっては虚構に過ぎず、即ち主体である人間の主観に左右される事から、心への影響云々は普遍的真理ではない。また、心理の表出としては言葉や表情があるが、結局此れらを解釈するのも人間である以上、主体である人間が判断する事なのだから普遍的真理では有り得ないだろう。現象を判断する人間がどこまでも主体であり主観的である限り、そうした主観は外的に普遍化されず法則化されないのだから、主観は何処までも不確定で不連続で曖昧な振る舞いに留まる…そして、かような曖昧さ、即ち自由こそが主体の立脚点の条件なのである(そして、斯様な主体や心さえも結局は虚構に過ぎない…)。心が、外的条件で決定され、外部に対応するならば其れはいわゆる機械論であり、自然の摂理による万物決定論に堕するだけなのだから、其れは人間の主体性の否定である。単なる高速アルゴリズムに、人工「知能」と云う商品名を烙印する事は、人間を機械的決定論で抑圧し、人間の主体を否定する事になる一方で、人工知能の隆盛に乗して機械的決定論に組する奴隷的人間は、其の決定論に従って、単なるロボット人間へと堕するだけだろう。こうして、人工知能の流布は、主体性が無いし求めもしない、奴隷的ロボット人間を量産するだろう…

しかるに、たかだか現象のみを取り扱う高度なアルゴリズムに人工「知能」という商品名を被せてしまうと…それでなくても国家と市場の理屈には滅法弱いあまたの奴隷的人間は、商品の中で承認された浅薄極まる(人工)「知能」をこそ人間の知能なんだと無批判に従属的に嬉しげに受容して、…人間の知能の劣化に歯止めが効かなくなり…皮肉な事に、人間本体の知能の方が、「人工知能」に等しくなってしまう、と云う、惨めなSF的結末が、もう、現時点で目に見えるようである。「人工知能」と云う商品名の「高度アルゴリズム」の流通のせいで、現象だけを連続的に線形的に高速で追いかけ、目先の事しか効かない(人工)知能を己の知能としたロボット的人間が増殖する未来に…胸糞悪く思っている次第である…そして、主体性が元元備わっていない奴隷的ロボット人間が、全体主義社会を構成する主たる「材料」(ドストエフスキー)になるのは火を見るより明らかである。

だいたい、「人工知能」の真っ先の使い道は、国家による言論の「検閲」に決まっているではないか…中共は人海戦術でネットを監視して、不穏分子を洗い出しているようだがそんなものは、「人工知能」にまかせて、ネット上のあらゆる言論の中から不穏な用語や文脈を洗い出させて、其れを書き込んだ人間の身元まで官憲に一括で報告させれば済む話である…人工知能で文明生活が便利になる反面、人間の本来を不当に取り締まる碌でもない道具になる蓋然性の方が遥かに高く、絶望的である…此処で書いているような事も、そして小生のブログも、共謀罪法成立によって、将来開発されるだろう、そして既に密かに稼働しているかもしれない人工知能「特高君」(小生による仮称)によって監視されるのである。そして此れを閲覧した御方や、拍手ボタンを押した御方の身元も一網打尽という訳である…人工知能のせいで奴隷人間がロボット人間へと更なる劣化を遂げる時、人工知能によるこうした人間弾圧に更なる拍車をかける劣悪な相乗効果となるだろう…

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胸に閊える…

結局、例のゴキブリの御遺骸…旅先から帰って来たら、ゴキブリに向けて殺虫剤を噴霧した現場の部屋のベンチシート下に設置してある、コロコロやウェットティッシュなぞを収容した、云われてみればちょうどゴキブリ色をした籠の中で発見されまして…仰向けにひっくり返って六本の脚を広げ切った硬直した姿なれど、自身と同じ色をした籠の中を最期の死に場所に選ぶ事で擬態への執念を見せつけられつつ、当方としては当惑するのみ…故あってある種の体の不調を患い医師を訪ねるが…医者は当然ながら、小生の主訴から導かれる判断で以て薬を処方する訳で、確かに小生の主訴からすれば其の薬を処方するのは至極な訳で反対の仕様がないが…小生としては此れは些か説明しづらいが、小生の秘めたる考えでは…確かに直接の原因は「其れ」である訳だが「其れ」は云わば呼び水と云うかきっかけに過ぎず、其のきっかけによって、別の本質的病状が発現されていると思っており…確かに、表面上の症状は、「其れ」による症状と、本質的病状による症状で区別はしにくいが…小生としては其れとなく暗に、別の本質的病状の存在を示唆してはみたものの…通じるはずも無く…結局、「其れ」に対処する薬のみ与えられ…しかし実際は「其れ」のせいかもしれないからしおらしく云いつけ通りに其の薬を試すものの…案の上、悪くはならないにしてもさして良くもならないと云う膠着状態となり、本質的病状に対処した薬であれば改善が見込めるものを、実は其の、本質的病状の薬を小生は持ってはいるが既に少量で且つ期限切れで効能が落ちているから、此れを期に、其の薬を入手したいと云う存念であったがままならないもので…何かしら歯車の噛みあわない、喉元に骨が刺さったままのような、胸に閊える後味の悪い感じを引きずる状況で…今週は休載し、次回は7/2です。

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ポリティカルマジックショーの読み捨て

其れにしても見事な手際であると認めざるを得ないではないか…憲政史上類の無い最悪な強行採決を一度ならず二度までも強行したと云う意味で憲政史上類の無い最悪な強行採決であった共謀罪の事は当然の事ながら…同時並行していた加計学園問題の扱い方が、あまりに見事で惚れ惚れするぐらいである…野党が有している、共謀罪を廃案に追い込む唯一の手駒であった加計学園問題…文科省による再調査結果の発表タイミングの絶妙さといったら…即ち、肉を切らせて骨を断つ剛腕で以て先にさっさと共謀罪を可決させ、大目的を果たし得た後になって、文科省の再調査結果を発表させる…此の事によって、本来、共謀罪を廃案に追い込む一手であった、文科省再調査結果発表が、一転して、共謀罪の強行採決と云う暴挙を、メディアの中で希釈させたのである…

議会制民主主義を否定しきった此の暴挙、はっきり言って加計学園問題より遥かに悪質な此の暴挙を、である…実に巧妙な離れ業をやってのけているとしか云いようがない…実際、共謀罪はもう成立し国会も閉会したのだからそれ以上マスコミ的なネタは共謀罪からは出て来ない、せいぜい其の危険性を概念的に雪辱を以て細々と訴えるしかなくニュース的な新鮮味は欠けるのは否めない…其の穴埋めとしての格好の餌として、見事に、此の加計問題を充当しているのである…しかもご丁寧な事に文科省は、疑惑の文書のみならず、わざわざ、新たな文書と云う新鮮な餌まで加えて撒いているではないか…此れを餌と考えずに何と考えるのか。野党、メディアを引き寄せる撒き餌そのものではないか。ほとんどポリティカルマジックとしか云いようがない…自民党としては、共謀罪可決の後に、再調査の発表すれば何の問題もない、と云う、彼らの目的からすれば至極合理的な戦略であったに過ぎなかったのかしれないが…結果はこうもあっさりと、共謀罪可決による毀誉褒貶の嵐を、何事も無かったかのように加計学園問題にすり替えてしまい、共謀罪可決による民主主義破壊を、無かった事にしてしまうとは…此処までのマスコミコントロールを意図してやっていたとしたら、まあ見事としか云いようが無い訳である…結局、現状では、加計学園だろうが何だろうが自民党の支持率が下がる事はないし、加計学園問題にしたって(森友学園も)、独立した権力であるべき司法が捜査に動かない限り、政権には何のダメージもないのだから、加計学園と云う餌にしばらく群がってくれる方が、政権にとっては共謀罪による民主主義破壊との誹りを免れる事が出来て、有り難いばかりなのである。

メディアや野党としても加計学園問題が現時点では格好の餌に過ぎないと分かってはいても、与えられた餌を貪らない訳にはいかないから、完全に敵の術中に嵌っている状況である。メディアや野党としては、加計問題をつつく事が、自民党による共謀罪可決と云う犯罪を隠蔽する事でしかないと分かってはいても、此れをつつき続けるしかないのである。(無論、加計問題が長期化すると其れなりに政権はじわじわとダメージを食らうので、頃合いを見て森友問題みたいに収束を図るだろう)無論、政権にとってこうした万々歳な状況が構築できるのは、独立の気概なき司法による日和見と、何がどうあっても落ちない支持率があるからこその盤石があってこそなのである。従ってしばらくは、たとえば、泥棒を疑われている人に対して、盗んだ物をだせ、と要求しても、持っていません、と云う返答で終わり、あるいは、盗んだ物は確かに自分の家にあるけれども、其れが何を意味するのかは分かりせん、などと云う返答で終わり、みたいな、馬鹿げた茶番をみせられるだけである…こうした問題を当事者本人に聞いても、当事者が、自分の都合の悪い事を自分の口で喋る訳がないし、其れは確かに通常の刑法捜査でも認められる事なのであって、森友問題と同じように、知らない、確認できない、捨てた、と云えばそれで終わりになるのである。従って、加計学園問題は、共謀罪が可決した今となっては、政権側からすれば何ら痛痒を感じないどころか、むしろ政権側の利益にしかならない。現状では此の問題を幾ら追及した処で、知らぬ存ぜぬとの強弁が罷り通る政権本丸が炎上する事はなく、せいぜい出城の家老が詰め腹を切らされて終わるだけなのだから。権力にあぐらをかいて非合理的な言説を喋る事を何ら恥と思わないどころか、非合理な言説を吐いても身の安全が保障されている事を自らの特権とさえ考え、そうした特権にあずかれない下々の者らが合理性を盾に批判して来るのを腹黒く嘲笑さえしている権力側の傲慢は、元元理性を軽んずるアジア的特徴なのだろうが…此の件で司法が動く訳がないし動きようも無いのだろうから、此の、非合理と私利私欲による専横を許すか許さないかは、有権者国民自身が判断すべき事である…益も無い、馬鹿げた結論だけれども…。

強行採決、議会制民主主義と多数決の問題については後日やります。と、ここで、カーテンに、ちょっと有りえないほどデカくておぞましい、大きめの爪切り程の大きさのゴキブリが張り付いているのに出くわして度胆抜かれ…努めて冷静に料理を別室に移動させて、殺虫剤を噴射…奴は神経性の痙攣を発してジタバタとカーテンから転がり落ちたのは確認したが、一体どこに落ちたのやら…床やらサッシやらを懐中電灯まで照らして隈なく探しても、奴の遺骸は見当たらぬ…殺虫剤は絶対効いている筈だから余命幾ばくも無いはずだからそう遠くには行けない筈なのに一体何処に転がり込んだのやら…家の何処かにゴキブリの遺骸が潜んでいるにも関わらず其れの処理は叶わぬ、後味の悪い結末が尾を引く…

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第五政治問題の証明

日増しに劣悪化を辿る時局なれど…梅雨入りとは名ばかりでこうも爽やかな週末を過ごしていると…殊更に気色ばむ前のめりの義憤もまた萎えもするし…其れに輪を掛けて…過日の茶会で堪能した数奇三昧の風雅交流の余韻が未だ冷めやらず…早朝には鶯がホーホケキョ、御昼時には雀がチュンチュラ囀る長閑に間の抜けた直近の状況、いつもだったら速攻でイラつきの逆鱗に触れようものを、通奏低音のようにしてどこからともなく草刈のエンジン音が小さく響き続けるのさえも国土の豊穣を想って好ましい風情にさえ感じられ…因縁の札幌ドーム日ハム戦でカープ三連勝で折しも楽天戦でも初戦を白星で飾るし…脳みそが生温かく神経が鈍麻した安穏を決め込むにつれ…生けとし生けるもの全てを言祝ぎたい心境である一方、底辺から時局に噛みつく鋭意は失墜免れず…仕方がないから恐らく思索に汗かかなくても何にも考えなくても解けるであろう、残りの証明問題を解いて御茶を濁したい…

此処数年で証明して来た第一~第四政治問題の題目を整理すると…

1.憲法は国の未来像を語るものではない。憲法で国の未来像を規定するならば、其の像は思想・信条の自由の範疇であるので、ある種の固定された思想・信条を規定する事になるので、思想・信条の自由を否定する事になる。云うまでも無い事だが憲法とは基本的人権(=国民主権あるいは平和主義)で以て国家権力に制限をかけるものである。

2.憲法21条の表現の自由に、公益及び公の秩序を名目にして制限をかけることは、公益云々を政権が恣意的に解釈し運用できるため、重篤なる表現の自由の破壊である。表現の自由は民主主義の根本である。従って、1.と同様に、表現の自由を否定する政権は民主主義を破壊する事を政治的目的としている反社会的集団あるいは組織的犯罪集団として、共謀罪で有罪とされなければならない。表現の自由を否定する者(レイシスト、ナショナリスト等)の表現の自由は否定、制限、禁止しなければならない。

3.選挙に行かない人間は自ら政治的主権を放棄し、自らを奴隷階級として宣言したに等しい故に、選挙に行かない人間からは基本的人権や公民権、主権を剥奪して奴隷階級に落とさなければならない。

4.国家主義者は原理的に利己主義者であり、反社会的存在(刑法的犯罪者あるいは社会契約違反者)である故に、国家主義は否定、制限されなければならない。
※国家主義者とは、国民主権を否定し、国家に政治的主権があるとする思想。反ルソーにして親ホッブズ的考え。あるいは、選挙の時だけ国民主権であり、選挙が終われば、選ばれた代議員に、国民の主権が「移譲される」として国家主権を正当化する者。
※ルソーによれば、国民の主権は「移譲」も「分割」もされない。「主権」が「主権」であるためには主権は国民のものでしか有り得ない。此の事は社会契約論で証明されている。

さて、第五政治問題として、以下を挙げ、今から証明したいと思う。

5.奴隷根性=特権意識
奴隷根性とは特権意識であり、特権意識とは奴隷根性であり、此の両者は人間の一つの相を二つの側面から云い表している過ぎない。もしくは、言い換えても結局同じ事だが、奴隷根性は特権意識を肯定し、特権意識は奴隷根性を肯定し、相互補完の関係にある。

此処で云う奴隷根性とは…現実として国家権力やその他諸々の階層における集団的体制による権力が生殺与奪の実力を行使して言論の自由を弾圧する全体主義状況において、其の状況に政治的抵抗を示す勇気が無い者、を意味しない。事が其処まで進行した場合には、人間個人の資質的心情に由来するような事で奴隷根性と規定するのは不可能であろう…しいて云えば、そうした全体主義状況の中で、状況から期待され強制される以上に、殊更に率先して其の状況を増強、加速させるような翼賛行動に邁進するような扇動的阿諛追従の輩は、奴隷根性と見なしてよいかもしれない。

しかし此処で更に着目するのは、むしろ、全体主義状況が完成していない状況、あるいは全体主義状況の網目がまだ覆い被さっていない階級らが示す行動にこそ、奴隷根性と規定すべき特徴が顕在化するのであって、そして、此れから証明される事になるが、「全体主義成立以前において奴隷根性を行動で示す者ら」こそが、(日本のように)政治的多数派を形成しがちな傾向であると、より広範なる全体主義の礎として、全体主義の完成に決定的に寄与するのである。

此処で改めて定義すると、奴隷根性とは、「全体主義成立以前」において、全体主義体制の現前化を先取りして構想し、其の妄想による不安(体制による弾圧を先取りして恐れる妄想)から、妄想が妄想を生む起点と動機となって際限なく現体制に率先して媚びへつらう輩、であるとしよう。こうした輩は、現体制に、全体主義を成立させる正当性を暗黙の裡に与え、全体主義完成を草の根で主導する大勢となるのである。全体主義の現前化の構想が先か、不安が先かはどちらがどうと云う訳でもなく、同じ現象が同時に起こると見てよい。

こうした奴隷根性の発生要因は、いつになるか分からないが次回の、第六政治問題「安心のインフレーション」に譲りたい。此処では、奴隷根性の現象的分析を続けるとして…此処で疑問が生じるのは、そもそも、全体主義の完成と、未完成を、区別できるのか、と云う問題である…客観的には、治安維持法あるいは其れに類する法律制定(共謀罪、憲法での言論の自由の否定、緊急事態における内閣の特権強化…)を以て、全体主義完成と見なされるが…社会状態の、絶えざる全体主義への移行現象と云う政治的現実を踏まえたら、其れは事を安易に捉え過ぎであろう…全体主義とは畢竟、常に先走る予感であり不安の先取りであって、体制の完成の線引きなどできない曖昧さこそが体制の本質なのだから…ならば、如何なる駆動力で全体主義へと決定するのかは、繰り返しになるが第六問題に譲るとして…

兎も角奴隷根性とは…自分は体制による弾圧の餌食になりたくない、あるいは勝ち馬に乗りたいと云う社会的不安と野次馬的功利主義を何にも増して先走って構想する結果…体制に媚びる行動を其の都度自動的に行い…そして、先走る不安が内的に構想する事で皮肉な事に其れの実現性すらも潜在させてしまっている全体主義が、文字通り不安の中で内的に肯定されている事を核としつつ、率先して媚びる行動の小さな積み重ねが…政治的感度に長けた体制側にとっては、そこはかとなく、一般大衆による全体主義肯定の雰囲気を読み取らせるのであって、そうなってしまえばもう、大衆の潜在的承認を得たと確信した体制側は、少しずつ統制を強める施策を小出しに大衆に承認させては、全体主義への反感を鈍らせる大衆鈍麻を施せばよい話だから、大衆と体制の区別の無い結託が熟成しつつ、後は単純な排除の論理と多様性の否定が進むのみである…心理的に説明すれば、むやみやたらな不安が全体主義を内的に構想する事が文字通り全体主義を潜在的に存在せしめ、其の潜在的存在は顕在化への欲望に反転して、無意識に現実化を欲望する事で全体主義を肯定させると云う話で、起こって欲しくない不安な事を構想して不安で居続けるのに耐え難い精神が、別の後天的原理で働く理性を取っ払って、いっその事現実になってしまえば安心にすっきりする、と云う人間精神のサガ、とも云える…

其の一方で、絶対的正義とか理性とかどうでもよい、兎に角自分は体制の餌食になりたくない、と云う奴隷根性の保身欲求は、一旦体制側についた途端、愚かにも体制の餌食になった者らとは違って、自分は巧い事やって体制の餌食にならないように振る舞えた、体制にへつらう事で刹那的に惨めな思いをした事はあったけど一旦体制側についたら其れ相応の幸福をゲット出来た、あの、無意味に反体制を気取るお高くとまった連中とは違ってな、と云う特権意識を生むようになるであろう此の奴隷根性による特権意識が、取りも直さず全体主義の駆動力の一つであろう。そして、此の奴隷根性による特権意識が、体制に異議を唱える者を時に残虐に弾圧する正当性の根拠となっているのである。

多数派による多数派としての特権意識を奴隷根性と云ってもよい。

以上は、奴隷根性から始まって特権意識に至る道程を示したが、特権意識から始まって奴隷根性に至るのも、似たようなものである。まず、特権意識に二つあるとする。一つは、既に体制の中で特権を享受しつつ、特権意識を持つ者、二つ目が、一般大衆の中にあって特権を享受していないにも関わらず特権意識を自我の中で育んでいる者、である。

一つ目の特権意識について。此処で注意したいのは、特権とは、多数派側に存在するのではなく、多数に承認された少数が所有すると云う事である。多数派の「中」に存在する少数が特権を享受する。実際に特権で利益を受けるのは多数派の中の少数であり、其の少数を承認する多数派は直接的には特権は享受できない、と云う差がまず駆動力、奴隷根性へ至る駆動力として潜在する。こうなるともう、特権を実際に享受する少数派は、多数派の承認が無いと其の特権を維持できないから、多数への媚びへつらいを行動原理として表す事になる。いわゆるポピュリズムであるが…こうなると此の特権意識は、実際の特権自体を根拠としているために、其の特権自体を維持するために、多数派の思惑から外れたら命取りになると云う不安に先走って、率先して多数派に媚びへつらうようになる。いまだ多数派からの支持は失っていないのに先走って多数の意識を構想し、其の不安のままに多数のへつらうために多数からの少数の排除の原理を働かせるのは既に奴隷根性と等しいと云える。従って一つ目の特権意識もまた、排除の論理によって成立した多数派による全体主義から排除され弾圧されるのを「全体主義成立以前」に先立って構想し、不安のままに媚びへつらうのだから、其れは其のまま奴隷根性と等しくなると云える。別の云い方をすれば、特権を享受する少数の特権意識は、多数の中にあって多数からいつやり玉に挙がるか分からないと云う不安と恐れを心理と行動の原理とするから、上記と同じ帰結となる。

二つ目の特権意識について。今現在、特権を体制から享受していないにも関わらず自分だけは体制の餌食にはなりたくないし、体制の餌食になるはずがない、と思っている特権意識は、結局、自分は体制からの弾圧を回避できる特権を有していないのだから、此の者の特権意識を維持するためには、率先して体制側に入る事でしか、其の特権意識を守れないのである…体制からの弾圧を免れて、己の非力な特権意識を維持するためには、率先して体制の中に入り、体制に媚びへつらうしか道はないと云う皮肉なる帰結となるのである。従って、此の二つ目の特権意識もまた、「全体主義成立以前」に全体主義を構想して、全体主義から弾圧されるのを先走って不安がるのを心理と行動の様式とするために、奴隷根性へと帰結する。

奴隷根性と特権意識に共通するのは、全体主義を先走って構想する不安にまかせた、排除の論理と多様性の否定である。そして、全体主義を先走って衝動的に不安にまかせて構想する奴隷根性=特権意識が、取りも直さず、全体主義を現実化させる原動力なのである。
奴隷根性による特権意識、そして特権意識による奴隷根性の成れの果ては、他者の排除と多様性、基本的人権と国民主権の否定である。
よって、奴隷根性=特権意識である。Q.E.D.

まとめられなかったメモ

全体主義肯定=国家主義=利己主義=特権の肯定=基本的人権の否定
全体主義状況での勇気=特殊的勇気=英雄的勇気
全体主義未満での勇気=一般的勇気=良識の範囲=独立した自己=市民

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初夏の鳥取野点ツアー 茶会記

日時 2017年5月27日 土曜日
場所 鳥取市内
亭主 小生

第一席
場所 鳥取砂丘付近 砂浜
茣蓙 一畳分が二枚
客  讃岐国住 丹後国住 因幡国住

茶箱 緑色人工皮革貼化粧箱

席上揮毫
水滴 砂浜にて拾った貝殻 波打ち際にて海水を汲む
硯  砂浜にて拾った石
筆  かな文字用
墨  呉竹精昇堂
海水で墨を擦り…短冊にて亭主が発句奉り、砂に立て置く
「砂ならぬ海もありけり御茶乃泡  黒曜」

振出 図星形アッシュケース
菓子 明治屋ゆかり店製 金平糖 紅白中、白のみを精密ピンセットにて菓子器に移す
菓子器 日露戦役戦勝記念 軍帽と歩兵銃の図蒔絵紙胎朱塗盃 
    蒔絵にて一首「国のため尽くせり犠牲も・・・・・逢ふぞ嬉しき故郷の人」
    (「・・・・・」は読解不明)

茶入 アルミニウム製抹茶缶 ラベル剥がして
仕覆 手榴弾形
抹茶 宇治 至宝の昔
茶杓 黒木 亭主側先端を亭主手ずから小刀で尖らす
茶碗 焦げ黄瀬戸釉割高台高坏形 銘「明星」
茶筅 一二〇本立て
茶筅入れ 亭主手製 紙胎帯巻上にチーク風ウレタン塗布 カルビー製蓋付 裏に千代紙貼付
水筒 木目調蓋付ステンレス製に湯を入れて
水指 ボルビック350ml

程よく曇った青天なれど…初夏の日本海は未だに荒く…むしろ刺々しい程の…人の声を掻き消す波音…そして、執拗な悪意すら覚える、絶え間なく体に吹き付ける潮風の無情といったら…此処で茶入の蓋を開ければ確実に、どんなに亭主が身をかがめて風から守ろうとしても懐まで風の舌が抉り込んで来ては虎視眈々と抹茶四散を狙う潮風の餌食になるは必定だが茶の湯故開けない訳にはいかず…案の定、開けた途端、抹茶がドハっと撒き散らされ…否…斬られた、と云うべきなのだろう…血飛沫ならぬ茶飛沫が小生のズボンの太腿に扇程の面積に散り付けられ…慌てて其の茶飛沫を拭ってしまった狼狽の態は、まだまだ亭主としての未熟を露呈したものとして反省点に数え挙げられるとして…風の一瞬の隙を衝いて茶碗に抹茶を入れるも、茶杓に盛った茶の半分以上は鳥取の浜風へと散逸したのであった。自然の中で茶と親しむ、などと云う悠長な風流気分に喝を入れられるかのように、無情なる自然が容易ならざる対決姿勢を鮮明にして来た、のっけから挑戦的な野点となり…人間の営みに頓着する筈の無い自然へのたじたじの体で自ずと成果の挙がる茶会であった。吹きすさぶ容赦ない日本海の波風の中で、ただ一つの句が立ち、ただ一つの碗中にあえかなる茶の泡が点つ…願わくば此のはかなき茶の泡、此の数奇があの日本海の荒波程に溢れ出さん…ぎりぎりの一座建立…短冊はそのまま、砂浜に刺し置いて、次の茶席へと旅立つ…。


第二席
場所 湖山池 青島 展望台の、屋根付きあずま屋の椅子に腰かけて
客 同上

墨蹟 落書「暴走」
   (あずま屋のコンクリート製床に、地元マイルドヤンキーが引っ掻いたと思しき…)

菓子と茶 同上
釜 チタン製カップ
風炉 コールマン製ガスボンベと着火装置

展望台と云いながら周囲を小高い森に囲繞されて眺望は望めないあずま屋だが、其の閉鎖性故に、お誂え向きの、公共且つ天然の茶室ともなり…第一席の水筒の湯ではやはりぬるかった不如意を解決すべく、風が少ないのを見計らって湯を沸かせる、静かな時間…折しも、床に刻まれた不穏なる墨蹟「暴走」を見おろして鑑賞しつつ…虫の音と鳥の囀りが静寂を際立たせる。
次の茶席のため、水筒の余ったぬるま湯を、ガスボンベで沸騰させて、再度水筒に戻しておく用意周到自画自賛。


第三席
場所 湖山池 青島側 青島大橋の近くの、葉桜の木の根元
茣蓙 一畳分が二枚
客 先述御三方に加えて、御夫人御二方

菓子と茶 同上

席上揮毫
硯 池の岸に転がっていた、ちょうど硯形をした石を拾って、直接、池の水を汲む
池の水で墨を擦り…
短冊にて亭主が発句奉り、客座にて回覧 「池の中にこもる緑や虫の音  黒曜」

掛け軸 蟹の図 御客の画 亭主の表装 
    亭主の発句後、残りの墨で御客に画の落款を所望し、快諾。葉桜の枝に掛ける

再度 菓子と茶 同上

今回の野点茶会は、本来なら二月に行う予定だったが…折悪しく大雪に見舞われて交通機関が遮断された故中止に相成り…其の後、客の御一人からの文に、其の未会となった茶会の後に舌鼓を打つ予定だった山陰の蟹を惜しんでか、蟹の画が添えられていたのだった…其の出来栄えと、お流れとなった蟹鍋への執着と云うおかしみを讃えて、小生は手ずからに、其の蟹の画を表装して掛け軸に仕立てたのであった。しかし、其の画は元より手紙の主からすれば手すさびの挿絵に過ぎなかっただろうから画竜点睛を欠いて、落款が記されていなかったので、表具として締まらない感じは否めなかった。そこで、其の御流れとなった真冬の茶会の雪辱の意味もある此度の初夏の茶会の場で、此の画に落款を所望したいと画策していたのであった。しかしながら、一度中止となった茶会を髣髴とさせる、しかもわざわざ表具までされた蟹の画を此度の茶会で持ち出すのは未練がましい無粋へと堕して茶会を台無しにする可能性も高く…従って、茶会の流れの中で時宜を得たら御披露目せんとして茶箱に其の掛け軸を忍ばせてはいたが…逆を云えば、茶会の流れにおいて此の掛け軸をわざわざ持ち出すのはふさわしくないと小生が判断したら其のままお蔵入りとすべき、優先順位の低い代物だったが…事此処に至ってまさに運よく機が熟し、機を逃さず御披露目の本望を果たし得たのであった。夏に向けて濃緑の葉桜の木陰が頭上を覆って自ずと天然の開けた茶室となり…其の枝にかけた掛け軸が、風に揺れる風情も新しく…其の先には満ち満ちた池の水が広大で…人事景趣の交感した、寛いだ雰囲気に、一座建立相成る。暮れかかって金色に輝く池の水面に風が渡り…宴の夜へと向かう。

反省点としては、抹茶がダマになるのをおそれて、撹拌を入念にやり過ぎたがため、些か茶がぬる過ぎたように思う処である。適度な撹拌時間の練習が必要だろう。更に、茶会中に茶箱が開きっぱなしだと其の場が些かごちゃついて見えるので、必要最低限を除いて極力閉めておくべきであったと反省する。

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今週休載

所用につき今週は休載いたします。次回は6/4です。


五月雨やえんどう豆のサヤ太る

五月雨やとぎれとぎれのセレナーデ

ほころんだ猫は陽溜まり草枕

土嚢をも突き破る草剣に風

十六夜に追われてヤクルトさんが来た


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人生のしみ…

あれこれ仕度していたら時間がなくなったので時局の話はさておいて…目下心の枷になっているのは…先週お助けした革靴の事でやきもき…勇躍早速本革のお手入れを入念に致さんと、さりとて事前に知識を仕入れる慎重さに欠ける浮き足立った先走りの執着のままに…靴を買った店で革を保湿しつつ経年で艶を与えるクリームと、靴底の革に柔軟性と防水性を付与するらしき、アンメルツヨコヨコの形状をした油液を買い込む…胸元から銀鎖をじゃらりとさせた、ポマードでオールバックの三つ揃えの縦縞スーツを仕立てよく着込んだ店主から豚毛ブラシ等も勧められたが舞い上がって這う這うの体でそそくさと帰ったのがいけなかったのか…布でええやろと甘く見て、今にして思えばあまりに質が悪いから雑巾用に切り刻んだ濃紺の布団カバー(洗濯すれば色落ちしてその他の衣類を真っ青にする、破れやすい、毛玉だらけ、そのくせ吸水性はなくて雑巾としてもあまり役に立たない)を切り刻んだ雑巾でまずは手持ちのクリーナーを擦り付けると一瞬、革の表面がさっと青く染まった瞬間小生の眼球表面が真っ青に血走って…その後どう対処したのかほぼ記憶に無い程内的恐慌状態に陥りつつ茶会用の白いさらしでクリーナーとクリームを塗り着けたり伸ばしたり空拭きしたりを盲滅法にやりまくった結果…十円玉大の仄暗く青いシミが何とはなしに、念願の革靴に沈着しているように見えてしまい…しかし其のシミは、比較的視力がよい小生がさんざん光の角度を検討したら辛うじてごくうっすらと見えなくも無いレベルであるし、何となれば其れは小生のしくじりのせいと云うよりも、元元の革の風合いの一種としての自然な色合いの変化とも思えなくも無く、なぜならば手入れをしようと発起する以前はさほど革の表面を観察していず、靴磨きを思い立ってから、殊更に革の表面を神経質に見るようになって、其の結果、革の表面の微妙な差異までもが過敏に見えるようになった、と云う、観察能力の激変があるのだから、其のシミが小生のしくじりのせいなのか、革本来の元元の色合いなのか、最早区別は付かなくなっていると云う現状は理解するにしても…一度しみついたシミのような疑念は理屈や感覚のゴマカシで払拭しようにも、払拭しようとすればするほど、限りなく薄い其のシミが心の中では無性に焼印されたかのように解決し難く濃く見苦しく感じられて耐え難い思いが募るばかりで…こうした執着は健康に良くない、多少のシミは侘びに適うではないかと思うのも露骨な付け焼刃で隔靴掻痒は否めぬ…因果な事になったものだ…時が解決してくれるのを待つしかないほど…救い難い執着が酸のシミのようにあくどく深く浸透して、心の平穏が蚕食される此の感覚…革靴の魔性、恐るべし…

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仄々斎不吉
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非公開
自己紹介:
 数寄の天下を獲らんがため号するは、仄々斎不吉。

 三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)及び諸家茶道流派に例外無き教条点前に豪を煮やす一方、近代数寄者(益田鈍翁、高橋掃庵等)以上に見立ての幅が広がった現代茶会に更なる侘びの新風を吹き込むべく研鑽を積む。

 利休の、無産有産といった階級をも併せ飲む侘びの骨頂に根ざしながら、そうはいってもありがちなブルジョア金満足だけは厳に慎みたい労農茶人。

 草木に臥してなお風雅を愛でる仲間であるために、茶の湯だけでなく、路上観察、テレビ跋渉、音楽及び納豆評論、 30人31脚批判もこなす趣味人にして愛陶家。 猫舌。


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