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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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カテゴリー「カテゴリーなし」の記事一覧

発芽!



去年の宮崎旅行の折、青島で拾った浜木綿(はまゆう)の種…栗の形したマシュマロといった風情で…今年の四月頃植え付け、土が乾いたら水をやる日々だった…しかし六月になっても芽吹かずに、諦め、……其れからは水やりも中断し、もうそろそろ処分するか、と、一月ぶりぐらいに、遣る瀬無い思いで嫌々眺めやると…少し種が浮いているように見える…ふっと気付いて、種の廻りを少し掘ってやると、三センチメートルほどの長さの、根とも芽ともつかぬ緑色の突起物が水平方向に生えていた。何なのか調べてみると、どうも根のようであり…根を先にしっかり土に張り巡らした後に、根から芽が分岐して地上に出る算段らしい…浜辺などの過酷な環境に耐える植物ならではの、周到な作戦が伺えた。しかしとうに水やりは怠り、しかも雨が入らないベランダだから土はカラカラに乾いているのだが、梅雨時期の濃密な湿気に反応したのか、ようやく活動期に入ったらしく…歓喜もひとしおであった…というのも、発芽せぬ不発の浜木綿の沈黙が、我々の生活に暗い影を落としていたは確かで…床が軋む、網戸が劣化してぼろぼろ、エアコンの黴臭がひどい、バカ犬がうるさい、などの些細な事から漠然とした先行きまで、いろんなところで限界が来ている閉塞感に加え、寄る年波の心身の不調が加速する生活苦の暗雲が足音立ててやって来る日々におののく元凶のようにして、芽吹かぬ男としての小生の存在が通底する訳だが…其の事を追認するメタファーとして、芽吹かぬ浜木綿がそこはかとなく、しかしいやに露骨に顕在化した具合だったのである…其処へきての発芽、と云うよりも発根は、其の薄ら寒い定説をひとまずは覆す小さな奇跡であった…しかし、発根したものの、一向に地上に芽吹く気配を見せずやきもきしていたが…発根から三週間ほどたって、ようやく発芽しました。
それにしても高校野球、宮崎の富島高校のキャプテン、脚速いな。強豪校との対決ではあったものの…一塁全力疾走で内野安打をもぎ取ったかと思えば、同じく俊足を生かした巧みなホームスチール(?)…眼前の相手選手が、ボールを取る瞬間における、まさに其の時間の一点では相手選手の動きが止まる、其の一点に至る直前で、観念したかのようにスピードを緩めたかと思いきや、動きが止まる其の一点に付け込んで瞬発的に猛ダッシュして相手をかわすと云う…ボールを取る瞬間は体の動きが止まらざるを得ない、と云う物理的条件を利用した、理に適った作戦が鮮烈であった…そして、一塁全力疾走、で思い出すのは、どうしても、一塁全力疾走を怠ったと見なされた野間が緒方に張り手撃ちされる、そして其の後の試合で、若手投手のアドゥワが一塁全力疾走して内野安打をもぎ取り、試合の流れを呼び込む、みたいな、本来ならばファインプレーとして素直に称賛されるべき事にも、野間の事があったから、と云う風に、野間の一件が影を落とすように思い出されはするものの…此の処の勝ち続きを見るにつけ…暴力だろうがなんだろうが結局はチーム内のある程度の緊張感が勝利を齎すのか、と云う即物的な結論が妙に説得力を持つように感じ、割り切れぬ思いもする。

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打ち上げ花火、近くで見るか、遠くで見るか

なるべく政治的な情報を自分に入れまいとして意識的に遮断していても、テレビを1秒見ただけで其の手のニュースが、コンタミのように侵入するから油断ならず…少しでも政治情報が体に入ると瞬時に怒りで沸騰するほどむしゃくしゃに掻き毟られるから…先週は港付近で恒例の花火大会があり…しかし現地まで出かけると人ごみによる地獄を見る事が必定なので、地図を眺め…方角と地形を考慮して、遠くからでも花火が見えそうなスポットを予想する…駐車料金が有料ではあるものの、遠くに港付近が見おろせそうな山腹の運動公園に狙いを定め…モスバーガーとスムージーを買い込んで、夜八時前に到着…花火は八時開始九時終了、公園の閉演時間は夜九時なので、鑑賞時間は十分確保される見込み…到着すると…多目的施設のようなところで、恐ろしい大音量で和太鼓の練習に励む者らが山々に遠慮なく太鼓や横笛、腹太い掛け声などを響かせており…我々にとっては些か過剰なほどの演出が整っていた…さすがにうるさすぎて風情どころではないので、少し上った処に潜むあずま屋に腰を落ち着ける…其処だと和太鼓の煽りもまた予期せぬ祭り風情と相成り…街灯が付近にあるが其の光はあずま屋には届かず、星明りのみが頼りのあずま屋…細君のスマホのライトで僅かに闇を凌ぐが、懐中電灯を持参すべきであったと反省しつつ…程なくして花火開始で、実によく見えるから、予想的中の喜びと相まって、落ち着いてゆっくり鑑賞…花火なんてものは近くから見るもんじゃないな、と云う、余裕を醸した優越感に浸る…顔に激突してくる甲虫の類をあしらいながら…小さいながらも遠くならではの視認によって開いた形の特徴がはっきりと分かる大輪小輪の花火が音も無くパッパッと開き、一連のプログラムにおける一小節が終わった頃に、光との時間差で音が山々や谷筋に木魂する風情で…存分に七月の終わりを惜しむ…散るために開く矛盾を全く意に介する事無く、開く事さえも散る事に含めてただ散るばかりの打ち上げ花火…

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無題

心身の健康維持のためなるべくテレビを見ないようにしているので美味しんぼのDVDばかり見ているが…続けて視聴していて不審に思う事は…岡星の暖簾の割れ数が、回毎に異なると云う事…暖簾が四つに分かれている回もあれば、五つに分かれている回もあり…当時のアニメーターのいい加減さが目に付く…製作陣に、京都アニメーションの名もクレジットされていたが…縁起を担ぐ店屋では、偶数は割り切れるから御客との縁が切れると云う事で忌み嫌い、だから奇数を選ぶはずだが…其れは兎も角として、やはり、究極対至高が始まると、話に一本筋が通って俄然面白くなるわ…コミックスの方で悉く内容を知り尽くしているとは云え…そして…続けて見ていると更に気付いたのだが…例えば暖簾の割れ数が五つであっても、其の暖簾に配された岡星の二字の位置が、同じ回の中でも場面ごとに異なると云う、製作陣の怠惰な露骨が見て取れる…右から3番目と4番目に岡星の二字が染められているかと思うと、2番目と3番目に染められている場合もあり。
散るために開く矛盾を全く意に介する事無く、開く事さえも散る事に含めてただ散るばかりの打ち上げ花火を、穴場で鑑賞…其の顛末は後ほど。
此れで、巨人、中日、ヤクルトを三タテに制しての九連勝にはなるものの…緒方が、凡打後に一塁への全力疾走を怠ったとされる野間へ平手打ち数回、と云う暴力沙汰が暗い影を落とす…小園大暴れ…

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己のプール開き…

四月以降の心身の不調を根本解決するために念願としていた水泳に、ようやく挑戦がかなう…事前に試着した水着姿は、まさに結果にコミットされる以前の其れであったのを否めないが、破れや着脱の不具合などの問題は無い事を確認後、午前中、近所のプールに行ってみる…思っていた以上に体が動き、夏休みのプールを体が思い出したのか幾分はしゃいで数往復してしまったから息切れする度にプールサイドで休憩を挟みつつ平泳ぎで往復…帽子を忘れて脱衣所から出るのにもたつき、職員に借りる羽目になった細君がまるでリゾートホテルのように優雅なフォームで泳ぐおかしみもありつつ…初回としては充実した時間を過ごす…其の後、川沿いにひっそりと居を構えるアジア系喫茶店に遭遇し、勢いで入店…こだわりの強い女店主の説明と歓待を受けつつ、ベトナムコーヒーを味わう…抽出方法も独自であり、ペーパードリップでもネルドリップでもサイフォンでもメタルフィルターでもなく独自の器具を使う…どちらかと云うと、津山で見た、幕末の蘭学者が最初に試行した抽出器具の構造に近い…いわゆるスペシャルティコーヒーとは一線を画した、野趣溢れる直球の風味は…香りが図太く甘いが、砂糖を入れた訳ではなく焙煎の妙との由…しかし香りは甘いが飲み口はそんなに甘くなく土臭い豊潤で、香りと同じく野太い筋が一本通っている感あり…何よりもヌルめに設定された湯温、と云うのが猫舌の私にとっては殊の外有り難く…ベトナムは暑いから、コーヒーはヌルめが基本との事で好感度アップ…火を使う食べ物飲み物は何でもかんでも舌がヤケドするほど熱くする此の国の風潮に心底うんざり、こう熱くては味も何も分からんではないか、馬鹿の一つ覚えみたいに何でもかんでも熱くしやがって、とやり場のない憤慨を日常的に抱えている私にとっては、ヌルくて旨いベトナムコーヒーは新発見であった。安南直輸入の練乳が別に添えられていたが…ベトナムコーヒーでは此れが基本的に添加されて出て来るけれども日本人には甘すぎるので別添えにしているとの由…現地の味を経験するために少し入れたが舌が痺れるぐらい甘く、辟易…そのまま放っとくと硬化してキャラメルになると云う恐るべき代物…いい気分で雨に降られながら更に行くと、昼飯時となって腹が減り、結局…大阪系の、昼から呑める居酒屋のランチ定食に吸い込まれ…飲む気は無かったのに、隣席の、50代の、夫婦とは異なる謎の関係性らしき男女が会話弾まず黙って蛸ワサだのホッケの開きだの串焼きだのを肴に飲みまくっている既成事実に負けて、から揚げ定食を注文後、ビール追加…帰宅後…差し引き300g太る。運動した後だから、罪深い程飯とビールがが旨くてたまらんわ。

様々な文章や思想において、相互作用と云う概念がしばしば用いられるが…どうも、其の意味が不明確で漠然としたまま任意の現象や思念に都合よく適用されているように思えるから、論旨全体としても信用の置けない仕上がりになって、ミテクレばかり調子のいい空論が罷り通っているように思われる…相互作用を、例えば、AがBに作用してB’になり、B’がAに作用してA’になり、A’がB’に作用してB’’に…と考えると、此の現象の内実は、一方的な作用が交互に連続的に起こっているに過ぎず、要するに一方的な交互作用だと私は考える…しかるに相互作用とは、AとBが同時に互いに作用する事によってAとBの区別すらつかない局面と捉える事こそが、此の作用の一筋縄ではいかない困難と可能性を記述するものであり、まさに相互作用していると思われる諸事象の根源に迫る資格を得ると自覚すべきなのだろう…どうも書き手によっては、何とはなしに前述の単なる一方的な交互作用を相互作用と捉えるから、訳が分からないのだ…しかし、後者の、真の相互作用の意味を受容すると、其れは言説の核心を破壊する概念でもあるから、此の概念を用いるには其の書き手に相当の覚悟と思惑が無いとおいそれと用いられない、極めて困難な概念であるはずである…其処の処の覚悟が足りない輩が手前勝手に相互作用などと云うから、生煮えの愚劣な言説が蔓延るのだ…。

個別の生の謳歌と、種(=国家、あるいは民族でもよい)としての生の存続のどちらを優先すべきか、と云う問いに対して、後者を優先すべきという答えが暗黙の裡に罷り通っているから、個別の生の謳歌を抑圧する言説が罷り通り、抑圧への疑義を封じ込めるために無闇矢鱈に不安や恐怖を煽る権力が際限なく横行しているのだろう…本来は、種としての生の存続などと云う言説は妄想に過ぎないので、個別の生の謳歌を優先すべきなのだろう…少なくとも、一旦は、個別の生の謳歌を優先すべきである…其の上で、個別の生の謳歌を優先する事で種としての生の存続が成り立たない事によって個別の生の謳歌も困難になる、と云う事実を経験するなり、思想的に真に己のものとして実感する局面を個別に味わう局面を迎える事にはなろう…其の上で改めて、種としての生の存続のために必要な事が自覚的に取捨選択され、其れは畢竟、個別の生の謳歌としての選択へと返り咲くのである…其の際には、当然ながら、主権国家どうしの経済戦争などは無駄事として切り捨てられるだろう…個別の生の謳歌を、判断する己の核心とせず、頭ごなしに種としての生の存続を暗黙の正義として振りかざす心情は、種としての生の存続の危機を前提とした不安や恐怖を煽って事態を無駄に硬直化させ、硬直化した事態を既成事実化するための抑圧機構を大がかりに構築しようとする手練手管に膨大な労力が費やされるから実に非効率的で無駄で、実際にそうした非効率が種としての生の存続さえも本当に危機に陥れている逆説さえも現実となっている…環境、気候変動、現代文明を存続させるための資源やエネルギー確保、核などの、真に種としての存続のために解決すべき問題が棚上げされている現実である…

今回は投票以上の政治活動をしてみる…組織の後ろ盾はなく個人で立候補しており、しかし其の志に賛同できる候補者に、其の志に理論的根拠を与える論述を手土産にして、激励の手紙を送る…其の程度で時局を変える事など出来ないのは分かっているが…せめてもの灯を絶やさぬためにも…微力に過ぎるが…

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消えた思い出…

先週…絵本作家の企画展絡みのTシャツが欲しいと細君が云うので美術館に行き…ミュージアムショップでお目当てのTシャツを買い求め…常々鑑賞したいと願っていた常設の印象派以降を観覧…ヴラマンクの風景画に心を射抜かれ申した…黒い傷口みたいな細い木々が風に吹かれていると云うよりか、自ら不吉な風を巻き起こしている混沌とした終末感が、最後の一日のような御破算に伴う潔さとは断絶して、其れが粘り強く毎日続いているかのような日常感を絶望的に湛えており…異様に熱く燻る寒気が、人間とは無関係に吹き荒れている…其の隣の、花瓶と其れに活けられた花の絵ももまた、ぞんざいに叩き付けたかのような絵の具の盛り上がりが的確に花弁の運動の輪郭をなぞってさながら闇の花…家に置くにはデカすぎるので、ああいうコクのある油絵でもう二回りほど小さいのが欲しいものよと詮無い欲が疼く…こっそり写真を撮ったが、其の画像を見返すと、てんで魅力が失活しており…実物の凄みに改めて敬意を払う…ピカソの能天気な馬鹿さ加減は鮮烈な一笑を禁じ得ず、底抜けの面白さは一流だが…ブラックの、渋い構成から滲み出る静かな滋味とおかしみもまた、味わい深いもので、欲しいものだ…
店頭から枇杷が消え去り…初蝉が蒸し暑さに拍車を掛けるが…事此処に及んだ責任は総合的に見て当然監督に帰するのだが…其れにしても…せめてもの救いは…丸が移籍先でそこそこ活躍しているらしい事…鈴木がオールスターのホームラン競争で面目躍如したらしいので、此れが復調のきっかけになるか否か…梅雨寒の曇天は続く…代謝が一層悪くなり、太りやすくなったし、体のあちこちが痛むので個別の痛みに対応した運動を取り入れていると其の種類が無暗に増え過ぎて訳が分からないので自分の身体を救うのは全身を使う水泳しかないのは分かっており、プールの選定と水着の試着まで終えているものの、どうしても行く機会を作れず…悶々と不自由な陸上生活を強いられる鬱屈もある…

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連帯…

根本的な事業に打ち込むのに全てを費やしたいので最早個別の事象のいちいちに構う事に体力も時間も費やせず…何も出来ないが…勇気ある香港市民に連帯の意を捧げたい…

主亡き枇杷も倒され蜻蛉湧く

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初夏の吟

多面体掴み損ねてらっきょ哉
小手毬の増える虚しさ揚雲雀
其の艶に照り返されて椿の実
離れたる電線掴んだ雀死す

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生口島茶会記 後編

旅館料理による持て余した満腹を抱えて港周辺の防波堤の切れ目の階段に茣蓙を敷き、一服を企てる…脇の街灯がお誂え向きにスポットライトとなって…波にもならぬようにゆっくりとのたっている黒い海面には対岸の島の乏しい家灯りだけが頼りなく影を作るのみで、連絡船の最終便が帰港した一時の賑やかさも収束した今となっては、静けさは怖いくらいに我々主客の息をのんだ…すると、磯臭い夜の海のしじまを破るようにして、シュッ、ポチャ、と云う音が、闇と静寂に無頓着な素っ気なさで断続的に聴こえてくる…魚でも飛び跳ねているのかと海面を見やっても、深冥なる海が底知れず横たわるのみで、空しい程平滑なる内海の様相…しかし程なく其の音が近づくにつれて正体知れると、納得の行く雅馴であった。釣り人が、シュッと棹を振り、投擲された錘が円弧の糸を引く時間を含んだ後にポチャ、と仕掛けが海に沈む、そういう音をさせながら、ポイントを変えるために移動しているのである…折しも、菓子に出した金平糖を噛み砕いて頭蓋に響く音や、茶筅を振るう音と、そんな釣りの音が見事に邂逅し、「合わすれど、当てるべからず」と云う雅楽の奥義さながらに望外の雅致を呈し、一座建立相成ったのであった。

夜の海辺の茶会

日時 2019年5月25日 21時頃
場所 生口島 瀬戸田港 防波堤

亭主 私
主客 先輩 讃岐住
半東 細君
菓子器 新緑図七宝合子 岩国骨董市にて
菓子  金平糖(檸檬、サイダー、苺) 京都 緑寿庵清水
茶杓  黒木 亭主先端を尖らす
茶入  アルミ缶
茶   宇治 至宝の昔
茶碗  萩 平筒
湯   宿のT-fal
水筒  ?

細君は部屋で寛ぐつもりの軽装のまま成り行きで引きずり出されたので早速蚊に刺されて五百円玉大に腫れ上がり怒り心頭ではあったものの茶事其の物の成否は揺るぎなく、ごく自然に部屋呑みへと移行…酔いが回って思想と政治の桎梏に話が及び侃侃諤諤議論が白熱、頭を冷やすためにもう一ッ風呂浴びるのもおかしな話だが、暢気に造作なくレモンをプカプカ浮かべたレモン風呂に浸かった後にまた呑んで談論風発…就寝…

翌朝…旅先では一睡もできない私の神経過敏に自己嫌悪するも、天候には恵まれ…次に狙いを付けていた場所への道順を、宿の人に教えてもらう…車は其のまま宿の駐車場に置かせてもらい、歩いて此の集落の古刹、潮音山向上寺に向かう石段を登る…朝からもう汗だくの日当たりと急勾配…国宝三重塔を拝観し、頂上の展望台からの景色は風光明媚を絵にかいたような多島美…折しも、ふもとの島の小学校で運動会が催されているらしく、気忙しいマーチングと歓声が穏健なる島の朝におかしみを与えながら、予期せぬ激励を受け取ったような感受性も高まって、ベンチに腰を下ろし、一服。熊ン蜂が辺りをブンブン警戒し睨み付けるようにホバリングする危機感とも同席しながら、勇躍茶筅を奮う…。早速、茶杓で抹茶を茶碗に入れる際、海から山に吹き上がる涼しい風に、抹茶を散らされズボンに茶飛沫が付着するが、此れまでの野点の経験から云ってよくある事。此れを恬淡と受け入れる自分であった。

朝の山上の茶会

日時 2019年5月26日 10時頃
場所 生口島 潮音山 向上寺 山頂展望台

以下、同上。

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生口島茶会記 前篇

梅雨入り前のうららかな五月下旬…ゲテモノ寺院耕三寺見物がてら、生口島を物見遊山する…ここぞと云う時に天気を良くしてくれる自家製の神、通称テル達磨の御利益が効いたのか、絶好の晴天に恵まれ…播州は大石神社から連れて帰った達磨人形だけに、本願を遂げる能力は一度ならず発揮されており、宮崎旅行に続き此れで二戦二勝…高速道路で一路しまなみ海道を進み、瀬戸内の風光と海上の橋の数々の風貌を楽しみつつ…首尾よくお昼頃現地に到着。腹ごしらえしてから寺見物しようと云う事で、門前の飯屋にて、地元名物蛸天丼を注文…油ぎたぎたの分厚い衣、味濃厚のタレが飯の層の奥深くまで浸透し…蛸脚は太く容易な咀嚼を拒むし全体的に量が特盛が普通と云う感じ…其の店自慢の正規の特盛天丼は其れこそラーメンどんぶりを土台としてドカ盛飯、蛸天が通天閣みたいに聳えて上から特濃タレ、と云う趣向で…ツーリング中のアベックが二人で一つ注文し、インスタ映えとしけ込むのも時流よの…と横目で見やりながら、己が眼前の天丼の減りは鈍く…胃もたれ必至の過剰な腹ごしらえと相成る。

鋼管の特許などで巨万の富を得た耕三寺耕三氏が、御母堂への思慕が嵩じて一大寺院の建立を企てた由。年譜を見ると、父については厳父だったと一言しか触れられず、其の後はひたすら母礼賛と云う尋常ならざるコンプレックスはさておいて、耕三氏が得度した真宗には親孝行と云う概念はないはずだが…東照宮陽明門や関西の有名寺院を模した建造物が悪趣味を過ぎて圧巻のゲテモノ風情…極め付きは背後の丘に現代美術作家を招いて大理石の山を築き未来心の丘とするに至って…しかし折からの晴天でヘロヘロ…喫茶店でレモンソーダが爽快…茶道具や日本画の蒐集に関しては成金らしく通り一遍のものでたいしたものはなかったが、御母堂のために寺院に併設された家は、贅を尽くした材で細工され…欅の一枚板の廊下、二条城か西本願寺かとおぼしき豪華絢爛な合天井、ぶっとい黒柿の床柱、紫檀の調度、網代の雪隠など、ペンキ塗りの寺院本体よりも本物の材料で拵えられており見ごたえ充分であった。当時の財界人との交友のために必須であったろう茶の湯は藪内流に師事、小山を登った東屋風の茶祖堂には利休と剣仲の木像が鎮座し、此処で一席できればよかったと悔いたが道具は車内だから静かに休憩する。

宿でひとっ風呂浴びた後、旅館料理に舌鼓…海鮮尽くしでどれもおいしいし何よりビール旨しであったが、如何せん量が多すぎて意識が朦朧となりつつ…ゆっくり暮れなずむ入日の瀬戸内を眺めながらは至福であった…食いきれぬ分は折に包んでもらい、部屋に戻る。
腹ごなしに一服やるか、と云う流れになり、部屋付属のT-falで湯を沸かし、水筒に詰めて…茶道具と茣蓙を抱えて、宿のすぐ前の、夜の港近辺へ繰り出す…
さていずこでやったものか、所在なく岸壁の道を三人そぞろ歩き、夜のしじま、ほろ酔いに涼風を伴い…ところどころで島の若者らが何するでもなく自転車で屯し、スマホをそれぞれいじくりながら黙っている鬱屈ぶりも、一時の旅人にとっては風情ではあり…決めかねてだらしなく歩き続けると街灯が途絶え本当に真っ暗になったので怯えて引き返し、もう適当に、開閉式の扉が仕舞われた防波堤の切れ目の階段に座を作った。

続く

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体調不良…

天安門事件のせいで動悸がひどく…今週は休載…

湯上がりに爪跳ぶ夜風涼しけり

ブルックナー聴く蜘蛛止まる網戸破れ

先日、自転車を買った時に書かされた書類に41歳と書いてしまったが其の時はまだ40歳だったのであって…いつの間にか41歳にはなったが、42歳ではなかった事に気付き、ささやかに得した気分…次は六月十六日です。



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HN:
仄々斎不吉
性別:
非公開
自己紹介:
 数寄の天下を獲らんがため号するは、仄々斎不吉。

 三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)及び諸家茶道流派に例外無き教条点前に豪を煮やす一方、近代数寄者(益田鈍翁、高橋掃庵等)以上に見立ての幅が広がった現代茶会に更なる侘びの新風を吹き込むべく研鑽を積む。

 利休の、無産有産といった階級をも併せ飲む侘びの骨頂に根ざしながら、そうはいってもありがちなブルジョア金満足だけは厳に慎みたい労農茶人。

 草木に臥してなお風雅を愛でる仲間であるために、茶の湯だけでなく、路上観察、テレビ跋渉、音楽及び納豆評論、 30人31脚批判もこなす趣味人にして愛陶家。 猫舌。


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