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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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病みつきの休載…

この期に及んでまだ…終わらないのか…重い仕事を抱えて、明日への鬱屈にしか考えがいかない窮屈な苦しみが、残酷に続く…先週はちょっと書きすぎた。こんなことに時間を浪費している場合じゃない。垂れ流しのダダ漏れの汚物 をこね回す時間なぞ無いにも関わらず…将来の夢=ノリスケ。生まれてこの方収監されている無期懲役があと数十日で明けるような気もするし、死ぬまで続く気もするが…いくら捺印記名せども昏迷深まるばかりで結局何なのか疑問ばかりが各所の行間から吹き上がる…ちょっとした記載ミスによって何もかも台無しにしてくる口実を、あの連中に与えているような懐疑が…意味不明な箇所ばかり乱立してきて…ころっと転がして身ぐるみ剥がさんとする小ずるい連中の手玉に乗るしかない己の不分明なる境遇にまたぎりぎりしく痛みがこみ上げてくる…あの手この手で不労収益を上げようと虎視眈々と労働者から搾取しようとすることばかり考えているあの連中…柳葉包丁を両手にガムテープでくくりつけて往来を走り回りたい殺伐としたイラつきはおさまらない…結局また手続き地獄に巻き込まれて、休日に汚物をべっとりなすられて何もする気が起きないクサクサ感が厳しいのでまた休載せざるを得ない…リーガル・ハイ、わりに面白いと思う…やはり織部役には堺雅人しかいないと確信に至る…モダンですっきりしたデザインの品のいい黄色いコートをまとったガッキーが可憐かつ爽快でいい…まずい…物欲の焔が触手の牙を擡げてきたのであった…うずうずと…花梨の玉杢や葡萄杢を…どうしても我が物にしたいというえぐい欲が、発作した以上、もう、その暴走は止まりやしないだろう…物欲が確固たる対象を得た途端、その物欲の獰猛さが何か殺意にも似て研ぎ澄まされた計画性を帯びてくる…尊崇して止まぬ岡倉天心の顔は誰かに似ているとずっと思いあぐねていたが、思い出した、小沢一郎だ。ああ、さっさと誰かやってくれないだろうか…ずいぶん前にも同じことを書いたが新作薪能「小沢」を…武悪面の小沢がシテ、同じく武悪面の田中角栄の霊がワキ、翁面の金丸信の霊がツレ、政治家小沢一郎の、波乱万丈ながらじめっとした、割り切れぬ薄暗い生涯を描き切りたい…角栄の丁稚時代…絶頂の幹事長時代…自由党解体…政権交代…献金疑惑…無罪…そして震災、放射能を恐れて狼狽、早々と東京脱出、その情けない這う這うの体に愛想尽かせた嫁さんから三行半突きつけられその様子を文藝春秋にすべて暴露され…生活は第一。斬新なる政治夢幻能の上演が目に浮かぶ。今度の日曜はゴルフのせいで鑑定団がつぶされていたのは、先週二本立て放送していたのが予兆だと気づかなかった、先週の段階では…糞…記憶が混濁しているので依頼人と品とが一致していない可能性があるが、幕末~明治の彫金師 海野勝眠の煙草入れの値が発表された時、脚萎えの高齢者のためにステージに用意された椅子からいつの間にか依頼人が立ち上がっていた。司会の今田氏が「○○さんが立ってる!」と思わず叫ぶ感動的な場面は、ベタな例えだが、「クララが立った!」に匹敵する名場面だった…叙勲されたかなんかの時の海野勝眠の言葉が痛烈だ、彫刻家の矜持が凄まじい…「絵描きごときとの同席は御免蒙る」絵なんぞは誰でも描ける、彫金してこそなんぼだろ、という事…この海野氏の師匠筋の加納夏雄とこの海野氏という、当時の彫金第一人者の二人が図案と下絵を施し、木彫の逸見東洋氏が彫り上げたという、明治の三大名工合作の大衝立がボストン美術館に所蔵されているらしいがいつか実見したいものだ…夏雄という彫金師の作品の図版も見たことあるがこれまた凄まじく、ここで語る時間もスペースもない…懸案だったコタツ問題もほぼ解決、後は入金と納入のみ…細君の嫁入り道具の一つであった、思い出もある大事なコタツの老朽化と、どうにも拭えぬ実家色に耐え兼ね、この度、北欧風の、モダンで簡素なコタツ付きテーブルをクリック購入したのであった…コタツを探す過程で、杢目を愛でる欅や栃や花梨といった「銘木」という新たな分野にぐいぐい惹きつけられ、物欲着火したのであった。グランドジャンプに連載されていた本宮ひろし先生の反アベノミクス/アナキズムやくざ漫画「男樹四代目」の終わり方が、露骨に、「打ち切り」といった感が否めない性急で唐突なものだったのは、やはり、どこかから圧力があったのか、あるいはこの国が得意な「自粛」という内発的圧力か…戦時中の「自発性の強制」は、昔の話ではない、今も変わってはいない…破れかぶれで自虐的なその最終回では日本語の放棄と英語の国語化という自虐ぶり、民族の自己同一性を破壊させる国体憎悪にまで発展して手短に終わっていた…そして次回作はこれまた野蛮なる禅僧が人生の真実一路、問答大喝して下山、「釈迦牟尼曰く、托鉢は貧者より行え」街のホームレスの人人相手に托鉢、彼らから施しを受ける気迫満面の聖(ひじり)の痛快劇のようだ…期待する。ターナーの絵が欲しい。画集の図版だけではもう飽き足らぬ。…また明日が来る、クサクサ感の残尿感がひどい。

岡倉天心の歌を引いて締め括り。

 谷中、うぐいす、初音の血に染む紅梅花、堂々男子は死んでもよい。
 奇骨侠骨、開落栄枯は何のその、堂々男子は死んでもよい。

もう一つ引用…

 南無大煩悩、南無大光明、春ならば花にやならえ、夏ならば杜鵑、若葉の夢に迷はん…(中略)…星は涙か天の河、流れ尽くせぬ三千大千世界。南無無量慈光、南無大無明。

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