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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「靖国考 ~天皇制 その不在の中心をめぐって~」

鷲に掴まれ空飛ぶ魚薄笑う

恒星太陽の核融合反応が少しばかりくしゃみをしたら地球は吹っ飛び生命絶滅、究極的にひ弱な人間社会をふと思い起こしてはびくついている。今年はズートルビのデビュー40周年。ネオダダの篠原有司男氏の健在ぶり、御家芸のボクシング・ペインティングを御年82歳で披露する元気ぶりをテレビで確認。篠原夫妻のドキュメンタリー映画がアメリカの何かにノミネートされたらしい。60年代、やれアンフォルメルだ、次はアクションペインティングだ、と、当時欧米で流行る美術潮流をいち早く嗅ぎ付けてはそれに託けてやらかそうとする「がさつな前衛」の急先鋒篠原氏の著書「前衛の道」は小生も蔵書している。氏のボクシングペインティングにならって以下に書き殴る靖国考、主に、よくありがちな天皇制について兎も角、自前の頭を使って考えてきたが、ぐちゃぐちゃに混乱して自分でもわけが分からなくなった、頭がおかしくなりそうになったのは否めない。自分の頭の悪さと迷妄を晒すだけとなった。飽くまでも「私にとっての靖国」に限って進めたらよかったと反省しているが、「私にとっての靖国」と「私が考える、日本人にとっての靖国」「私が考える、戦勝国にとっての靖国」がごっちゃになってしまったから、不可解となったと、事後、反省するものである。その事を予め承知の上であら探しでもしてもらえたら幸いです。

積日の鬱屈と憤懣を詳らかにせぬ事には解消せぬ卑しげな捌け口に萬の言の葉を使役するには忍び難い、叶うならば小春にそよぐ冷たい微風の行く先の爛漫の花づなに心馳せたく思えどもふと此処で起されるは皇軍末期卯月の決死行、戦艦大和を旗艦とする第二艦隊の出撃とその末路の壮絶を切実に「報告」する形で文体ながら敬礼の状を醸す吉田満「戦艦大和ノ最期」を深更読み砕くに夜通し切迫、自ずと研ぎ澄まされるのは戦争というものを、思弁で片付ける表層でのやり取りをこなすに限られた痴戯に瞞着させず、思弁がそのまま感覚と感情にまで、即ち心が身体性を帯びてくるまでにやり場無く割り切れぬ臨場で以って彷彿させる。ゆえに、その現場、即ち死の現場、に居合わせなかった者たち、それは後から生まれた者もさることながらその現場に居合わせながら辛くも生き残ってしまった者までも奇しくも含まれるのであるが、そのようにして戦場での死に居合わせぬ者が、切実に、口伝でも優れた記録でも媒体は何でもいい、兎も角その戦場を思う時何が出来るか、己は図らずもどうなってしまうのか、といえば、膝を屈して愕然とこうべを垂れ目は括目して静謐、ただ、祈るよりほかあるまい。この事は何も戦場だけに限らないが、己をして決して震撼なさしめようとせず飽くまでも安全安心な理屈的高所から情報を仕分けする事で利益を得んとするに汲々なる浅薄の徒、志なき保身にのみ反射的に自働するだけの心無き情報化人間奴隷に、この深甚なる祈りの切迫と誠など腑に落ちるはずも無かろう。詳しくは先にあげた著作を読めば分かるが米軍の猛爆の中戦術上の理由で兎に角一刻も早く艦を水平に戻さねばならぬ、それには片側の舟底の機関室にポンプ注水せねばならぬがそこには数百人の戦友が油まみれで何も知らされず奮闘している、一応退避ブザー鳴らすもその区画全員の退避を確認する暇など戦闘中あるはずもない、もうきりが無いから時間が無いから、必死で上に上がろうとする戦友の頭を蹴り飛ばしてハッチを閉め注水、数百人の下士官の命を犠牲にして何とか艦を水平に戻すもそんなこととて劣勢を覆すには足りよう筈も無い些事、こんな悲惨事がごまんとあった、狂気だの不条理だとかなんとかの片言でおさまるはずもない、人類世界でおよそ5千万人の死者を出した未曾有の世界大戦の事を思えば、こそ、とりわけ他者を踏みつけて生き残ってしまった、そうせざるを得なかった者に残された最底辺の、ぎりぎりの生の所作とは何か、それは、唯ひたすらに心が流されるだろう祈りよりほかあるまい。かような祈りの底辺に思いを致さぬ者ら、ここまで論が至ってはこの時点で特筆する要は抹消されたも当然なれど過去の記事の脈絡を重んじて云えば例えば春香クリスティーンの戦勝国史観を代弁したという立場での発言「靖国神社に首相が参拝するのはドイツの首相がヒトラーの墓参りするのと同じですよね」や、その論を支持する旧戦勝国は何にも分かっていないのだろう。戦争というもの、ついには人間というものを何にも分かっていない、と云いたい。もっと云えば旧戦勝国がこしらえた戦勝国史観に便乗する鼻息のさもしさを隠そうともせぬ無恥極まりない中韓の、件の史観に承認されたがゆえに盲滅法に振舞うのが可能になっていて手がつけられぬ、己を利する雰囲気に浮かれるのの披瀝(ここ数年の尖閣、竹島、アメリカでの慰安婦像乱立等々)などは本来語るに足らぬ下賤といってよい。中韓即ち遅れて来た帝国主義国家の時代遅れな僻みと嫉みの言い掛かりの悪ノリが嫌がらせの落書きのように日日報道されるのに一喜一憂する愚かしさを思えども、それを書いてもそれが彼らに自分のものとして意志として感応されはしないと早合点する絶望のあまり恬淡として静観しながらも最底辺の熾き火がぐつぐつ煮えたぎるを、ともすればその熾き火を掻き起こせば忘我の業火に炎上するを堪えながらでも最早到底我慢ならぬ仕儀ゆえに、このことを、これから、書かないことには暮らしが荒れて生活に支障を来たすので書かなければならなくなった。そして靖国問題は、最早、私のものともなった。これは飽くまでも私の靖国問題であるから、政府間の外交姿勢のあり方を論ずるものではない。

戦勝国史観とは戦勝国の占領政策で綱領された、敗戦国への押し付けの思想の一であり、上層指導者層を戦争責任者として裁きの対象に認定し、その他国民一般は何ら戦争被害の責任を負わぬとまでは云わぬまでも指導者に唆された全体主義の被害者でもあり、かような全体主義の被害者でもある敗戦国民の解放者として戦勝国による占領政策を正当化し容易化するものであり、それが戦後70年近くなってなお遺制として残る、中韓が便乗する処の戦後の国際秩序である。この史観は日本に先立つドイツ占領においては的を射ていたというべきである。特にアドルフ・ヒトラーという特異点が独裁の頂点にあった極めて独特なる独裁とそれによる惨禍において、むしろ例外的に正鵠を射ていたともいえる。ユダヤ人絶滅政策とその実行というものの度し難い人間蹂躙の極端性且つ独自性の責任をドイツ一般国民全てに加担させるには、ヒトラーは政治家として国民性から突出し過ぎていた、スターリンと同じく、である。古来から欧州文化圏においてユダヤ蔑視は底流していたし、他方のユダヤ人の思想にしても旧約を読めば多民族への絶滅政策を「聖絶」という概念で肯定していた歴史は確かに存在する。新思潮の芥川は斜に構えて、思想というのは実行された時に初めて危険思想と呼ばれるというが、前者を実行したのがヒトラーのユダヤ絶滅政策(「最終的解決」)、後者が現イスラエルによるパレスチナ人絶滅政策である。翻って大日本帝国、近衛文麿や東条英機に至るまで戦時中目まぐるしく変わった首相連とその内閣は、果たして国民から乖離できるほどの独自の性質があったか、否、ないだろう。彼らはむしろ、(ある部分を除いては)ごく一般化しうる全体主義国家の進行に流された、あらゆる人間と同じく矮小なる道標に過ぎない、風立ちぬでいえば「あの時代を懸命に生きた」律儀な小役人の風采でしかない。従って、近衛や東条は国民から分離し難い存在であり、彼らのみを抽出して戦争責任者として措定するのは単なる的外れであるばかりか日本軍国主義の実相を隠蔽する破目になる。日本軍国主義で重要なのは、先に括弧付けで記した、(ある部分)である。云わずと知れた、天皇制、である。天皇制とは何か、それはもう論を俟つ必要もなかろう、大いなる無責任の体系である。帝国大元帥であり帝国憲法にあって陸海軍の統治者でありながら、自らは神聖不可侵ゆえに、戦争というおよそ俗事の中枢という意味で汚れた陸海軍を触る事ができず、即ちよく統治しえなかった。下の者らは、大元帥への責任に成りかねない決定的な政治的軍事的失態を、あまりにありがたい現人神ゆえに人間世界の俗事で汚すわけにはいかないから責任が先天的に解除された大元帥の威信を損なうためその責任を負わせまいとするあまり報告を過小に誤魔化したり、あるいは大元帥を表向き敬う言辞を弄しながらその行動は全く大元帥の勅に反するのを平気でやってのける個人の突発的皮相なる欲得が統帥部(陸軍参謀本部と海軍軍令部)の仲間内あるいは前線の佐官クラスごときで勇猛果敢と褒め称えられ、大元帥への底意の侮蔑もあるのか妙に統制されたフリーダム、大元帥は大元帥で統帥権がありながら臣下の上っ面の言上に辟易しながら大局を断ずる権を行使する気力も無く喃喃と下からの具申をその日暮らし的に追認する始末で云われるがままに議会や閣議承認を経ぬ超法的勅令で以って軍事拡大と体制護持政令を乱発、その大権をやっと勇躍振るったのは国際的には御家騒動でしかない2.26事件のみという卑小、その辺の著作は世に山とあるのでそちらを参考いただきたい。尊崇と侮蔑は紙一重、被差別最下層民の流浪の非人=稀人=鬼あるいは神、という中世民俗の古層の事例を紐解いてもよいがここでは割愛する。宗教権力と政治権力の混淆という中世封建社会の継承と二重権力による責任の非在と曖昧化を云ってもよい。このあたりを掘ればこんな半端な指摘程度ではすまないがここは割愛させていただく。

そして結局、理由は諸説あるのだろうがこの戦勝国史観においては何故か天皇自体は免責されてしまった。日本軍国主義の責任の中心を問うことが可能なのは唯一天皇制のみであるにもかかわらず、そこが免責されたための齟齬が国民の心情に戦後も底流することとなった。ヒトラーという陽の特異点とそれを中心としたナチズムは断罪されたが、天皇という陰の特異点とその中心なき日本軍国主義は、天皇免責でもってその戦争責任という概念は宙吊りとなった。天皇免責によって戦勝国史観は破綻しているのである。繰り返すと、日の本で戦争責任者というのがもし存在するとしたら天皇のみである。そうでないならば一億総懺悔である。しかし、戦勝国側も調べたのだろうが、先の戦争で、その推進に当たって最終的には玉璽の詔書を形式的に天皇が出してはいるが、何かしら天皇自身が強烈な意志でもって戦争した、という形跡がないのだろう。それは結局、目まぐるしく変わった首相にしても同じである。その時々で決定的な方針や法律が出されているがそれがその当時の首相の強烈なる意志の発現、というよりかは、何か分からぬ、それこそ雲を掴むような、周囲の、あるいは無責任な下位の者らが何となくせり上げる雰囲気の熱気に気圧されての事であって、首相が強烈な意志で以って状況を切り開くために方針を決定したというよりも、その時々の決定の時点に、歴代の首相らがたまたま「居合わせた」、まるで道祖神のように、という解釈が正しいと思う。「おれがこうあるべきだと思うからこうすべきだ」と言い張った、政治的形式上責任ある上層部は一人も居ない。戦時中の、無責任な連中の野次紛いの雰囲気作り、経済恐慌や冷害飢饉といった外的状況から導出される理屈ごときに己を委ねて自分の意志を樹立しない雰囲気作りが大局を形成するこの大いなる無責任の体系こそが天皇制という中世からの遺制によって「象徴」されることで暗に機能していたのであった。戦後の象徴天皇制は、戦時中から何も変わらぬ戦後の遺制への、薄気味悪く極めて鋭い皮肉でもあった。これを戦勝国が意図してのことだったらむしろ天晴れである。案外、GHQも白洲次郎なんかも戦後の天皇象徴制の皮肉を自嘲的に分かっていたのかもしれない。昔の人はそういう肝要を丹田できちんと分かっていたと思う。天皇制についていえば、戦後の象徴天皇制は戦時の帝国憲法の運用実態をより正確に記述し、継承したものともいえよう。日本人のこうした深層での了解が戦勝国による天皇免責によってますます無意識に護持されることとなった。(そういえば昔、吉本隆明を読んでいてしきりに彼が遺制という言葉を使っていて全然意味が分からなかったが、今、自力でその意味が分かった、やっと到達した。)以上のような無責任五里霧中体系の日本人が自ら天皇の責任を抽出し明確にする思想が大勢になりえない。あるいは、戦後湧出した一億総懺悔は戦争責任論に加えて、戦時体制の把握という観点からも正しかった。しかし、正しすぎた。正しすぎて、結局何にも決意したことにはならなかった。戦後になっても戦時の同語反復しか出来ぬことを表明した大いなる無為であった。それは現在も続いている。戦勝国史観が成立しえたのは「マイン・カンプ(我が闘争)」と、専ら己の意志を強烈に示した独裁者の存在ゆえである。

そして、靖国である。戦勝国認定のA級戦犯が合祀された靖国神社への、日本政府首脳の参拝を非難するは全く的を射ていない。前述のようにそもそも日本への戦勝国史観自体が日本の実態からしたら荒唐無稽な虚構の、ほとんど意味不明な理屈の押し付けに過ぎず、そのことを、国民国家に対して超越的にずば抜けた精神を持ったコスモポリタンならいざ知らず、民族文化の文脈で生きている日本の民草ならば知っており、かような戦勝国史観への棘のような違和感はどこまでも拭いきれないだろう。本来あるべき戦勝国史観の最もシンプルな形は天皇有罪であった。それをしなかったのはその場しのぎ的な遠慮ではないだろう。戦勝国が日本人の古層を読み解くにつれ天皇制という逆鱗に気づき、ここを犯して戦後処理を荒立てるのは面倒だという恐れと配慮があったのか、天皇制は犯さずに、トカゲの尻尾切りで本質的ではないが形式的にA級戦犯指定で事を納めるのは日本人への配慮と寛大なる赦しであるという戦勝国側の日本人への表明ともとれる。戦勝国による、そうした物語の提示だと日本人が頭で受けとれたとしても、身に付いていないから、如何せん天皇制という大きい流れで生きる日本人は分かっちゃいるけど止められない天皇制だからついつい分別せず参るわけである。また、上記のように物語が提示されたというふうに括弧にくくって虚構を取り扱うほど気が利かなかった多くの日本人は、戦勝国が措定した官僚風情の村一番の秀才出のA級戦犯なんぞに戦争責任が所在するなどとは、全く思わないまでいかなくても、結局の処、確信が持てないのである。「全く思わないまでいかなくても」というのが前述した無責任体系のミソである。少なくとも小生は、戦勝国史観が提示した物語を全く拒否するものである。それでもあえて戦勝国史観が国民の代表としての責任者を追及するならば天皇こそがそれである。しかし天皇は戦勝国史観でさえも免罪されているではないか。天皇制を非難しないならばA級戦犯の靖国合祀とそれへの参拝は許されているといってもいい。参拝を非難する前に、日本人が天皇制を引きずることは戦時の反省がないからだと非難するのは正しい。しかし、かたや天皇制については全く不問に付しながらも、天皇制の五里霧中にただ翻弄されながら天皇制の主役を演じ、天皇制の護持に努めたA級戦犯を非難するのは筋違いというもので、了解したい論理が無茶苦茶に破綻している。戦勝国から押し付けられるかような矛盾に引き裂かれた居心地の悪さに業を煮やした日本人の一部が短絡的なナショナリズムに走るのはまだましだが、かような矛盾に引き裂かれるのを先んじて恐れるあまり、あるいは、単なる歴史へのあっけらかんとした無知によって助長される隷属性によって(これも無責任体系の流儀の一つだが)、分かりやすい方に、即ち、天皇制を都合よく捨象した単軸の戦勝国史観におもねて保身に走るのである。物をよく見ない、読まない、聴かない、己を脅かす芸能や思想を殊更に忌避して、戦勝国側に裏では馬鹿にされながらもそれへの隷属を誓っている情けない状況にも気づかないのが如実なのが春香クリスティーン発言である。(これも結局天皇制=無責任体系の流儀の一つだが)いろんな事情による釦の掛け違いがもどかしさを募らせて相互不信を生み出す。天皇免罪による国体護持を許してやったのだからせめてA級戦犯の刑死を敬うようなまねはやめろなどと戦勝国と、その利に便乗すること抜け目ない中韓がいうのであれば単に恩着せがましいというものであり、戦時の体制の本質を見誤る誤謬へと誘うことで戦後の状況をより複雑化させた戦勝国史観に従属する必要はない。国民から戦争責任者を抽出して断罪するという戦勝国史観のコンセプトは極東軍事裁判においては天皇制を捨象したことによって破綻している。従って内的に壊れている戦勝国史観にこれ以上拘泥する必要もなく従属、受容する必要も無い。あえてこの言葉を使うが英霊はA級戦犯ごときのために戦死したのではない、あくまでも名目は天皇の名の下に戦死したのである。この空っぽの名目があくまでも実質として機能したのが天皇制全体主義なのである。

それに加えて、冒頭に示した祈りへの切実が、A級戦犯とその他英霊との分別などという俗事を超越した全的な祈りになってこその誠実に傾く。戦争の全相を一身に受け止めるこの祈りの観点からは、形式的戦争指導者と軍人軍属、銃後を区別して祈るなどは小賢しい欺瞞でしかない。かような祈りにおいては、たとえば戦争への否定も肯定も無効になる。死者は生者に死というものを身を以て教えるという一点において尊ばれるのであって、この死者への儀礼は生前の所業によって軽んじられることは祈りの切実からいって原則あり得ない。早急な口吻だと思うが、死んでしまえばそれで終わりという日本の死生観と、敵の墓を掘り返して晒してまで死者を辱めることも辞さない中韓の文化との違い、といってしまえばあまりに俗耳に心地好いのだろう。

更に、中韓がいまだに、現在の日本人にまで加害者意識に発する謝罪とへりくだりによる自己卑下を要求するのであれば、これはあくまでも小生個人の立場だが、人間の尊厳に立脚して拒否する。戦後生まれた小生は当然加害者でもなんでもない。ただ日本人に生まれただけという、己の責任に帰せられない、出身、民族、門地などの理由による隷従と差別は、個人としての人間の尊厳の一言で以って、近代国家であるならば否定できるだけである。「千年経っても日本人の罪は消えない」などという現在の韓国大統領の公言は、国連憲章でも謳われている個人の尊厳をないがしろにし、一人の人間の罪が一族郎党子々孫々まで伝播継承されると考える近代以前の封建制をいまだに声高に宣言している時代錯誤に過ぎない愚かな無恥である。

と、ここで、ここまで窮屈に嵩張りながら進んできながら一つの矛盾に撞着するのに気づいてしまう。中韓の今日の施政を担う者らが受けた反日教育は、自国が一方的に日本軍に攻められ占領と支配を受ける被害者意識の中で、日本軍の兵站見通しの甘さを挽回する現地調達と反日ゲリラへの怯えによって促進される綱紀紊乱の蛮行をつぶさに、それこそ切実に記録し、後から生まれた者に授け、後から生まれた者はその情報と理屈を己のものとして切実に受肉し、己の感情にまで見事に誠実に昇華せしめた可能性がある。それならば、昨今の中韓の、執拗な反日政治は、国家間で締結した条約を無視する無軌道非礼なる反日政策は、冒頭に記した、戦死した皇軍兵士への祈りと同じく、正当化されてしかるべき、となる。冒頭示した祈りの切実も被害者意識に発するのかもしれないが、被害者意識は切実に継承されるが加害者意識は継承されないという都合のいい人間感情の組み方にも、この靖国問題の源泉があるのだろう。今回はこのへんで一旦しめて、日を改めて靖国問題に再挑戦すべきか。かなりきつい。

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