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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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頭いっぱい…

今日は一日中苦手なことに頭を使ってへとへと…加えて、ブログ屋の調子も悪く…更新画面につながったりつながらなかったりの不穏な状態なので今週はこれにて。

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断章

話の流れは大まかに踏襲しながら前著「多様性原理」を全面的に書き改めるべく「不連続ネットワーク理論」の執筆をようやく開始する…前著のそれなりの苦闘を具に辿りつつ思い出しながら更なるバージョンアップを構築するための長い長い戦いが始まり…この場ではまとまった筋書きのある論旨を書く余裕はなくなった事、悪しからず…。

 とうに釜の底が抜けた現代社会…コロナ対策では明暗分かれる…全予研として着目すべきは、政治政体による違いだが、中国のような全体主義社会だと対策を上手くやったという訳でもなく、民主主義を奉ずる国でも上手くできている実績があったから、表層的には朗報とは云える…明暗を分けた要素として云えるのは、感染症対策に対する国家の真剣度と、国民のネットワーク化なのだろう…全体主義でも民主主義でもネットワーク化が進んでいる処は比較的上手く抑え込みが出来ており、国民も政府のコロナ対策に満足しているらしい。全体主義国において、真剣度とネットワーク化のレベルの高かった中国は其れなりの犠牲を払いつつも一先ず制圧の目途を付けているが、コロナをなめていたらしきロシアだと、感染期まで時間があったにも関わらず今現在どんどん増大している模様…民主主義国でも、近年は全体主義寄りのファッショ的指導者が頭角を現している国だと、都合の悪い事実を権力で胡麻化せば切り抜けられた経験にしがみ付いてコロナを軽視するが、コロナをフェイクだといくら罵った処で感染伝播と云う自然現象を変える事は出来ないのだから、そのようにして当初はコロナを舐めていた政権ほど、感染拡大が止まらぬようだ…アメリカ、イギリス、ブラジルが此のパターンだろう。とはいえ、中国の一人勝ちだと、全体主義なら感染症にも強い、しかし民主主義だと感染症対策もろくにできない、だから21世紀は全体主義万歳と云う国際的趨勢に成りかねなかったが、韓国、台湾、ドイツ、ニュージーランド、アイスランドなどの民主国家は感染症対策できちんと成果を出したから民主主義にとって面目躍如だった。いずれも、感染症への真剣度と国民のネットワーク化が進んでいるのが成果の要因だろう。特にネットワーク化によって、外出禁止とセットで困っている人に素早く給付しなければならない送金がスムーズにいったから、国民は経済活動を止めて外出禁止に精を出すことが出来たがために、ウイルス対策が上手くいった。
 ここで国民のネットワーク化に着目すると…ネットワークを進める動因は、①全体主義国では現政権の保身のための監視のための強権発動だが、②民主主義国ではそれこそ民主的に、即ち国家と国民との信頼関係を前提として、国家が国民の人権を侵さない事が国民に信用されているという前提が確保されているからこそ、ネットワークの便利性を推進する議論が可能になる。つまり、政権と其のリーダーが、日頃からの政治活動や言動において啓蒙思想を人格として身に付けていると国民から思われているのが基盤となっているから、ネットワーク化による監視社会と人権弾圧の心配は無用と云う事で、ネットワーク化による便利性が推進される(台湾、ドイツ、ニュージーランド、アイスランド)。あるいは、国家をそこまで信頼できないにしても、いざとなったら国民が政権を転覆できる抵抗権の確保に自信があるから、国家から人権を奪われる心配は無用と云う事で、ネットワークの利便性が承認される(デモが盛んな国民性の韓国)。
 ここで日本を振り返ると…①にならなかったのは評価できるが、②でもないからウイルスの蔓延が終息できずにいる…。結局、日本国民の政治への不信は戦後この方根強くなる一方で解消する事はなく、特に政権安倍の悪行の数々、データや文書の改ざんなど国会での議論を徹底的に愚弄する民主主義の基盤への破壊行為のみならず、政権与党が其の憲法草案において明確に天賦人権説を否定し、我が国の文化と伝統に合わせて表現の自由を制限する条項を明記するとあっては、此の政権は人権を破壊し、階級化=奴隷化させた国民から搾取して私利私欲の暴利と権益をむさぼりますと宣言しているに等しいのだから、自民党の利権にあずかる一部の少数者(最近は上級国民というらしいが…胸糞悪さすらもう枯渇して)以外はこんな政権を信用できるはずもない。だからマイナンバーでの国民の抵抗は全的に頑強で普及せず、貯金通帳と紐づきするネットワーク化には至らなかったという現状がある。其の結果、困っている人に直ぐお金を配るシステムが無い物理的限界によって、人々はウイルスを恐れつつも経済活動せざるを得ず、政府も強く禁止できない事態に陥り、其の結果、ずるずると人々が接触し続けてずるずると感染者が増え続ける最悪の事態を招きつつ、感染爆発今や遅しの段階で既に医療崩壊が加速化している始末なのである。
 つまり重要な事は、ネットワーク化について云えば、性根の腐りきった政権への不信が其れを妨げ、ひいてはウイルス感染への無策も招いたのである。日本でネットワーク化が進まなかった理由は、国民が、例えばフィルムカメラを畏怖する未開の原住民が文明の利器を受け入れられないように、ネットワークの便利さを受け入れられない暗愚ゆえなのではない。ネットワーク化を国民が受け入れるための民主主義的基盤=人権確保の信頼性を政権が確保しないのが原因なのである。
 こうした日本において次の段階での懸念はこうだ…。コロナが蔓延した理由を、緊急事態条項が無い事と、国民のネットワーク化が進んでいない事に帰して、自らが民主的信頼性を勝ち得ていないと云う根本原因を反省する正規の過程をすっ飛ばし、緊急事態条項とネットワーク化を無理やり正当化する言説を鼓吹せんとする事である。いかにもありそうなことだ。自民党政権が信用できないからネットワーク化に国民は踏み切れないのに、其の根本原因を蔑ろにして、表層的な事実をつなぎ合わせて緊急事態条項やネットワーク化の正当性を扇動する…だまされる国民は腑に落ちないながらも欺瞞の言説の表層的な論理に流されて渋々受け入れる…その結果、民主的信頼性は担保されずに緊急事態条項とネットワーク化が推進されるのだから、元々民主主義を破壊する事を党是としている自民党が中国式の全体主義体制を敷きにかかるのは目に見えている。憲法の緊急事態条項が日本で抵抗されるのはネットワーク化と同じく、要するに政権が信用されていないからであり、緊急事態に託けて政権が国民主権の全面的恒久的破壊に乗り出しやしないかと云う懸念が拭えないからである。政権が信頼される民主主義国家ならば、いざと云う時は緊急事態と云う事で国民主権を必要なところだけ制限する必要があるのは容易に了解されるべき事である。実際、成熟した民主主義国では緊急事態では直ちに国家権力を発動して経済原理に有無を言わさずバシッと対策が打てるからウイルス対策も上手くいっている。
 繰り返すが、主権の制限とネットワーク化においてウイルス対策が上手くいかないのは、国民の暗愚によって法整備とシステム整備ができていないからではなく、国民が政権を信頼できない、あるいは国民が、信頼できる政権を選択できていない民主主義的未熟に起因する。此れは第一義的に政権と其の支持者の責任でもありつつ、一応民主主義を奉ずる日本にあっては国民の責任でもあるのだ。此の事実を直視しないと、自ずと、中国式の全体主義国家を翼賛する未来がすぐそこだろう。このコロナ禍において日本が羨み、学ぶべきは、対策をうまくやった全体主義国ではなく、同じくらい対策をうまくやった民主主義国であるべきだ。

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花散らしの雨…

いつの間にか志村けんがいない日本を生きる事にもなったが其れにも慣れる花散らしの雨に、桜は無暗に美しく思い返され…ヒノキ花粉は洗い流されるのだろうがウイルスは宿主の中でじっとしているからそういう訳にはいかないのだろうなと改めて感慨するが…ついに外出自粛要請発出、介護施設でもクラスター発生して感染者数は倍増コースに乗り始め、一挙に事態のフェーズが上がる…今週末は従っておとなしく家に蟄居…細君はカミュのペスト、私は文化、文政期の俳文を読む一日…いろいろ云いたい事はあるが、たまには静かに散る花を見ずして思うのもよいかと。明日も雨か、などと工夫もなく述懐しつつ。

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徳政令と改元要請

志村けんがお骨になって戻ってくる現実…どうかギャグであってくれと思っても、此れが厳然たる現実なのだろう…逝く人は帰らず…此れでタモリも亡くなってしまえば、もう此の国で空気を吸って生きるメリットは無くなるだろうし、いずれそういう日もやってくるに違いないと覚悟すべきである。コロナとは無関係だろうが秋山祐徳太子も無くなり…泡沫桀人列伝を己の肥やしとした経験も含めて…一足早く冥府入りされた赤瀬川氏共々、アンデパンダンの灯が最早この国には途絶えた事が偲ばれる…数か月前に何かが兆してバカ殿を一応視聴しており…昔のバカ殿なんかには普通に、乳房丸出しの女性がなだれ込んできたり、今では考えられない大らかさで子供心にどぎまぎさせられたが…最新にして最後になったバカ殿の、理屈抜きの、時勢に流されぬ最底辺の笑いの姿の稀有は認めるがやっぱり30分も見ると退屈であった事は否めず…ともあれ、眼中に飛び込んでくるだけでバカげた可笑しみが噴き出るバカ殿のビジュアルが、一応気を使って湿っぽくしつらえられた追悼番組にデカデカと遺影として飾られているのは、生涯最高のギャグなのだろうと追福した…柄本明との呑気な年増芸者コントが今や懐かしい…指数関数的ではないものの一次関数的に確実に増加の一途を辿る東京のコロナ感染に対して呆れるほどの等閑視ぶりは一体どういう事なのか政権安倍…検察官の定年延長など、自分の保身に対しては脱法違法お構いなく法律解釈でごり押しするくせに、国民の命が直接関わる事に関しては無駄に慎重になるのは解せぬ仕儀である…私個人としては、基本的に信用ならぬ政権安倍が此れを機に強権を振りかざすのはお勧め出来ないので、政権安倍が法の不備を根拠に強制出来ないのであれば、積極的に関係各所に要請するのは有りだと思う…先週も書いたが、何でもかんでも法律で強制しなければならない訳ではなく、対処すべき道理があるのは明らかなので、日頃懇意にしている経団連などと話をつけて基本テレワーク、それが出来ないならば経済活動停止要請くらいすべきだろう…無論、生存に必須な産業は停止から除外されるし、此れを機に、言うなれば、其の企業は生存に必要か否かが峻別され洗い出されると云う別の影響も派生するのだが…中小零細企業や飲食店などに自粛要請するならば補償の話がセットになる訳だが…個人的にはコロナで打撃を受けた飲食店が支払っている家賃やテナント料などのショバ代を一時的にチャラにすべきと考える。そして、其の家賃を国家が貸しビルオーナーに補填する必要もないとすら考えている。人への補償は国家がすべきなのだろうが、家賃に関してはチャラにする事で国も企業も助かる部分があるのではなかろうか。此れは、減価償却が終わり、維持管理費は別として後は黙っていても家賃がオーナーに積算されるような物件に対しては徳政令で家賃停止すべきと云う事だ。だいたい、土地というものは国家の領有であり、国家は国民の領有に係るものである。土地は国民の共有財産なのだから、一部の不動産屋が土地に値段を付けて取引するのは元来不当な事である。無論、生産や生存に適した土地とそうでない土地がある自然的条件により、需要と供給に多様性が生まれるから市場での取引対象となる訳だが…通常の商品のように其れ自体を所有できず、飽くまでも権利を売買するだけで、其れ自体では直接的に生産に寄与していない観念の世界で金を儲けているのが実態なのだから…権利に安住できる仕組みに乗っかった後は金が転がり込んでくるだけの物件オーナーや地主に、此の緊急時においても際限なく儲けさせる道理は皆無である。減価償却後にある程度の利益を確保した物件オーナーへの、家賃収入の際限のない上積みは此の時局において必要ないばかりか公共の福祉に反するので、国家が補償する必要もない。此の論議は金持ち批判の文脈に属するので別途議論が必要なのだが今日は省略する。其れと、何度も訴えてきたが、天からの禍は元号に原因があるとは云えないが、天からの禍に対して理屈抜きで責任を取るのが年号の役割である…従って、あまりに禍が多すぎる令和などと云う劣悪な元号を早急に改めるべきである…無論…今それをやっている余裕はないのだろうが…。ウイルスと云うのは生命世界と多様世界との境界的存在だから、人間へのウイルス感染は、多様世界からのメッセージである事は間違いなく、その結果、人間は、生命世界の防御としての反応と、多様世界への開放としての反応の二面性を有する影響を社会に構築する事になる…其の萌芽は既にあちこち散見されるが(中国と台湾、其の対照的なコロナ対策の内容…)…いずれにしても、生命世界の根底を成す多様世界への開放が最終的には勝るだろう…即ち、多様性原理型全体主義としてのソーシャルネットワークファシズムの加速化と云う形式で…。此れに対して述べようとすると本一冊分になるので、「多様性原理」を大幅に改変する予定である「不連続体ネットワーク概論」で明らかにしたい。今日は、徳政令と改元だけを云いたかった。

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疫病に思う

吹けば飛ぶよな当座の方針を構え終えた処で何やらかしましい世情を見回してみるといつか見た光景の繰り返しで、人が年を経る毎にボけて来る理由がよく分かる…実際、此度のコロナ禍は、東日本大震災、とりわけ未だに先の見通せない原発事故に比べれば大した事ないように思われ…放射能にしろ、ウイルスにしろ、トイレットペーパー買い占めにしろ、其の原因に人的要因が絡んでいる可能性はあるとは云え其れ自身は自然現象である事象に対する人間社会の右往左往と云うのは…織部助曰く「会う顔会う顔皆同じだと耄碌するわ」の言の通り、年を重ねる事でこうまで同じ事の繰り返しに付き合わされると確かに認知症になるのも無理は無いのは、偏に同じ事を相変わらず繰り返す社会が一因なのだろう…私としては、ことコロナに関しては基本的に自然現象であると云う認識に立つ。従って、政府機関や行政が意図的に発生させたものではないはずだから、基本的に行政の責任ではない。むしろ、こういういざと云う時のために、感染症対策として専従で人、モノ、金をつぎこんで研究していたはずの自然科学者らに対しては、一義的に責任があると思ってはいる…地震のように物理的破壊力が凄まじすぎる災害に対して地震防災の専門家のみに責を負わせるのは酷かもしれないが…基本的には人間の振舞いを適切にシミュレートすれば何とかなりそうな防疫に対しては、専従自然科学者が税金を使って獲得した知見の効果を期待する事に無理はないはずだと…しかるに、まずはクルーズ船の件に関しては、どうも専門家の知見が前面に出ることが無かったから、何となく怪しい連中は船に閉じ込めて様子を見とけ、と云うような、科学的知見に基づかない大衆的思い込みに迎合した行政のその場しのぎのやっつけ仕事に思えたから、表に出ない専門家集団に失望を禁じえなかった。今となってもあの状況で正解を出すのは困難だったのかもしれないが…少なくともアメリカはあの顛末を失敗と見なして即座に自国に寄港した感染者を含むクルーズ船乗客を陸に降ろしているし、実際にあの顛末でおよそ三千人中700人くらいの感染者を出して数人の死者を出している結果は重視すべきなのだろう…専門家集団はあの時、すかさず、想定される状況や対策案に対して、疫学的知見に基づく感染度合いのシミュレーション結果を公表し、其のうえで船内隔離や他の方法を提案すべき立場にあったのだ。まったくそうした提案が専門家集団から成される事は無く、なし崩し的に船内隔離だったから、毎日、朝から晩まで感染症研究に心血を注いでいるはずの専門家集団は、自らの無能と怠慢を晒した、恥を知るべき所業としか思えなかった。日本には感染症の研究所はあるが対策組織が無いから仕方がないと云うのは詰まらぬ言い訳に過ぎず、決められた事しか出来ないのであればただの出来の悪いロボット同然であり、人間の研究者であるならば、例え研究専門であっても、其の知見を活かした対策を自ら立案するのは当然ではなかろうか。とは云え、アメリカの、世界最強と云われた感染症対策専門組織であるCDCであっても、感染者を数万に広げてしまい打つ手無しのようだからどうしようもないのかもしれないが…
けれども、ようやく此処にきて、日本の専門家集団は、クラスター、オーバーシュートなどの概念を用いて、感染症対策の表舞台に出てきた事は、遅まきながら評価に値するだろうし、今後の名誉挽回に期待したい。
私見ではあるが、東京と大阪はさっさと都市封鎖、外出禁止にすべきだと思う(スーパーや医療関係は除く)。直接法令で以て外出を取り締まれないのであれば、不要不急の産業が営業したり個人が出歩くならば民事で国が損害賠償請求すればいいとすら考えている。出歩いたり複数の人間で活動すればコロナが蔓延すると分かっているのにそれをあえてやるのであるから当然である…。まずは新幹線は全線停止。空路も高速道路も、物流以外は遮断すべきである。
未だ緊急事態宣言を出すレベルには無いなどと悠長な御託を並べているが、緊急事態になってから緊急事態宣言を出すのに何の意味があるのか。感染症対策のためには、緊急事態の到来を未然に防ぐために宣言するからこそ宣言の意味があると云うものだろう。かつて原発事故の時、件の事態をメルトダウンと呼称すべきか否かで一悶着あったが、現象を表現する事で事実認定してしまうかどうかの瀬戸際でのレトリカルな政治的攻防などと云う、実際に起こっている深刻な事態への現実的な対処とはあまりにもかけ離れた政治的形而上学にうつつを抜かすのは愚昧の極致だろう。コロナの件に関しては、例えば学校の閉鎖や自粛要請などの、政権や行政の対応は感染症対策としては妥当だとして、私としては異論は無かったのだが…こういう事だと、雲行きは怪しく思われる…しかし感染症対策においては、一人一人の用心が結局は重要なのだろう…其れが出来ないと、国家権力やシステムの奴隷に自ら成り下がる事を肝に銘じる時だ…事此処に及んで未だに自粛ムード、などと云っている輩もいるが、震災時と違って、今回は自粛要請なのである。震災の時は、自粛が要請されていない場合であるにも関わらず自粛が進んだのだが、今回は自粛が国家から要請されているのだから文脈は随分と異なる。諸外国と違って日本では法整備がされていないから、緊急事態宣言を出しても法的に外出禁止令を出す事は出来ないと云う…だからこその自粛要請であり、個人の裁量=主権を認めつつ感染症予防に協力してくれと云う国家の提案である。此れは、公衆衛生上の公共の福祉の尊重(此の場合は公益と云う言葉を使っても妥当なのだが、此の言葉は此の国にあっては容易に権力の私利私欲に使われるので使わない)であるから、主権者が自ら其の意義を内面化して協力に努めるべき正当性を有する事項である。其れなのに、法律が無いから外出してしまうじゃないか、とか、自粛と云っても何処まで自粛すればいいのか分からないなどと言い訳する事は、私は法律で命令されないと何もできない奴隷人間です、と自ら宣言しているようなもので、今回のような公衆衛生上妥当な公共の福祉の概念さえも国民は理解できないとなると、自民党はそれこそ憲法改正して緊急事態条項を付加し、なし崩し的に国民から主権を奪う事に躊躇しない状況を自ら招いている事にすら無知なのだろう。あのように、私は自分の頭では何も考えられない未熟で幼稚な大人ですと云っているのと同じ無能を国民自らが国家に晒すようでは、国民から如何に主権を奪うかを党是としている自民党から付け込まれる事必至であり、其の事にすらも考えが及ばない蒙昧ぶりだからこそ、厳然たる自粛要請を、事態が異なる過去の自粛ムードに挿げ替えて揶揄する浮かれた自分に優越感を感じる浅はかな倒錯を演じるのである。無論、自粛要請と云う矛盾を孕んだ言葉への反動が生じるのに、歴史的政治的背景があるのは理解できる…戦時の、自発性の強制の最たるものである特攻しかり、最近では森友問題での忖度しかり、此の国で自発性が強制される場合は大抵、権力機構の私的な保身の発動でしかなかったのだから、此度のような、公衆衛生上の正当な自粛要請でさえも警戒的に歪曲されるのは政治の責任でありつつ、そうした政治を許容、推進した国民の責任でもあるのだ…
そうは云うものの、今回の自粛要請の内容は公共の福祉の観点から正当ではあるので、自粛要請と云う概念内の意味的矛盾に反射的に反応して倒錯した否定を演ずるのは得策ではないだろうし、自粛要請の内容に着目した上で理性的に判断すべきなのだろう…先に述べたように、感染症は自然現象であり、人間の社会的理屈とは関係なく専ら自然の摂理に従って蔓延するものなので、専門家が提供する科学的情報を元に、各自が自然の摂理に思いを馳せながら考えて対策すればよいだけである。義務教育を身に着けておれば出来るはずであるそんな簡単な事に頭を使う事さえも反射的に拒否反応を示して行政の上げ膳据え膳が無い事を言い訳にして反動に倒錯する事は、自らが未熟で幼稚な大人である事を表明するに等しい。そうすると、繰り返しになるが、虎視眈々と日本人から主権を奪って一党独裁を目論む自民党は、日本人は総じて奴隷になりたがっていると云う認識を得て、其の認識にお墨付きを与える事になるから、此の程度の事はいい加減自分で考えて行動せよ、と云いたい。従って、特に東京の人は、外出禁止の法律が無いから外出禁止できないなどと云う幼稚な言い訳に瞞着するのは止めて、自らを律するべきである。最近メディアでも此の件に関して蔓延る、法律が無いから云々と云う言説は人間理解に対して本末転倒であり、法律と云うのは信頼関係が破綻した時に致し方なく発動される無残な支配関係であって、願わくば法律などに頼らず社会が上手く回れば其れに越した事は無いのである。
因みに、今回の自粛要請への反動が生じる理由、特に若年世代で反動が勃発する理由は、①先述の歴史的経緯だけではなく、他に幾つか考えられる…
②日本では社会的な同調圧力の方が自然からの脅威よりも遥かに強いと云う事。地震や津波、土砂災害は例外かもしれないが、例えば公の場で天皇制を批判したり無政府共産を宣言する事の方が、ウイルスによる感染死よりも社会的に致死率が高いのである。だからこそ、ウイルスが社会や自分に及ぼす影響を軽視する。
③少子高齢化や地球温暖化、来るべきネットワーク国際競争社会に対して最早成すすべなくおぼつかない年代の者らは、デジタルネイティブの若年層に頼るしかないから、此れまで若年層をちやほやしてきたが、科学的見地から若年層が感染に与える影響が鼓吹され始めてから、ちやほやされてきた若年層に対して急に掌返しで批判の矛先が来て、此れまで甘やかされてきた若年層は反射的に感情的な反動、即ち甘ったれた反抗に走っているだけなのかもしれない。デジタルネイティブと云っても、彼らがコンピュータ技術を発明したわけでもなく、ただ単に幼児期から其れを与えられたが故に其れを上手く使いこなしているだけで、彼ら自体が内在的に優秀と云う訳ではなく、本当はコンピュータを作った上の世代が凄いと云う事は忘れてはならないのだが…其れに、甘やかされていると云っても其れは新卒を無暗に嬉しがる特殊な、そして少年愛じみてサディスティックなオッサン的日本の企業風土だけの話で、当の若年層は、ネットを通じて、上の世代が肌身で感じる事は無いシビアな国際感覚を身に着けているとも考えられるから、頼もしい側面もあるかもしれないが…
④世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)、と云ったところ。春と桜に浮かれざるを得ない日本人の心性ゆえに、自粛要請も何のそのでそぞろに出歩いてしまった風流ゆえなのかもしれぬ。
⑤元気だからウイルスへの耐性に自信があり、有り余る体力を消費して今を楽しみたいだけ。
⑥コロナ対策を声高に訴える者=基本的人権とか云う者=リベラル=反自民と、若年層は考え、此処では其の内実の分析は省略するが基本的に反リベラルで自民翼賛の若年層が、自粛要請への対応をリベラル的と考えて政治的に、あるいは生理的に忌避している。
いずれにせよ、疫病に関しては科学的に自分の頭で考えて行動する事が肝要である。
話は変わるが、コロナのせいで今は茶の湯受難の時であろうと推察する…狭い茶室で数人の大人が濃茶の回し飲み、はコロナ的には不謹慎だろう…



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定まる春…刹那的に、儚く。

散々足掻き、右往左往した挙句、希望の1パーセントほどのなけなしの微々たるものを得て…現時点では此れ以上の活動は人生的に詰んでいると判断されたから、要するになるようにしかならず…取り敢えず今後半年か一年の態勢が定まる事と相成る…ある種の岩山の登攀を目指しながらも、其の3割ほど登れたら御の字と踏んでいたにも関わらずあっと云う間に滑落、あわや地面に叩き付けられるかと思いきや、どうせ使う事は無いだろうとたかをくくりつつ念のため確保していた命綱に地面すれすれで助けられたといった処…とは云え、其れも、およそ自分の置かれた人生状況からすれば安定的な地歩である筈もなく、飽くまでも一時的な小休止に過ぎないのは痛切に感じながらの、常に無常に晒されている事を意識させられる寒々しく刹那的な覚悟に過ぎないが…其れでも、ようやく自分なりの展望を以て本分に邁進出来る足掛かりを辛うじて自分なりに得た刹那的な喜びは、春風薫る此の季節、柔らかく開放的な気分へと連なる…ずっと胸苦しいような逼塞したやきもき感で不甲斐ない自分に窮屈に気を揉んでいた暗澹たる日々の出口に、春の陽光を浴びる蓮華畑が広がるよう…コロナどころではなく。

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ことごとく失敗にて

一月から、いや、正確には去年の後半から自分なりに努力して獲得しようとしていたものがことごとく失敗し…其の殆どが自分の不甲斐なさ、世間知らず、機転の利かなさ、うっかりミス、言葉足らずに起因するから自責の念は日増しに鋭く、救い難い様相を呈して…一つしくじる度に目の裏が血走り、脳の裏に鮮血がぱあっと広がり、胸や心に犬釘を撃ち込まれるような鈍重な焦燥と絶望感に苛まれたところで事態は決して好転せず…結局…そうは云っても人生であるから得ようとしていたものの半分ぐらい獲得出来たら御の字、何となれば3割くらいでもよいとすら思っていたのに、事此処に至ってはせいぜい2パーセントくらいしか獲得できない目算が高く…ゼロではないのが救いなのかもしれないが…改めて努力の虚しさに鬱屈する…気落ちする沈痛の度合いが甚だしく…せいぜい、この失敗の経験を次に活かす教訓として無形の獲得に含ませる心理的手立ても発し、むしろ、来るべき本番でしくじるよりは、今、失敗して良かった、と考えるべきなのか、と思えど、慰めにもならぬ無力感に打ちひしがれる…人間本来無一物、裸で生まれて裸で死ぬ覚悟は遥か遠く…新品のパソコンも糞遅く、自分の入力スピードに全く付いてこないからイラつきが輪をかけて絶望感を空虚に膨らます…そんな陰惨たる日々を内に秘めているからこそなのか、ネットワーク主義者らの理論的誤謬がほぼ自分の中で固まっており、後は自分が文字に起こすだけなのだが…要は自分が集中さえ出来れば形になるはずなのに、其の集中が覚束ない、無駄にイラつく焦燥と悔恨が心底恨めしい…思えば、自分が集中さえ出来れば思う存分成果が上げられる環境に居るのに、そうした足元の幸運に落ち着かず更なる目先の安定を求めようとした浮足立ちだったからこそ、しっぺ返しを受けたのだろう…しかも、何の救いもない形で…事情は確かによく分かっていた…状況の悪化と心身の弱りに焦って自分の外部に救いを求めようとした浅ましさを外部のシステムに晒したから、すかさず外部のシステムに弱り目を付け込まれて散々に心を収奪されるよくあるパターン…とは云え、目的物の2パーセントくらいしか獲得できなかった絶望が、改めて自分の内的充実を高め、自分の初志を貫徹させる契機になると言い切れるほどの、都合のよいナルシズムに溺れる事が出来るほど、事態は楽観的なのを許さない事を痛感せざるを無いほどの、老いに関わる日々の変容だったからこその、愚かしい焦燥だったのだ。どちらにしても逃げ場はなく、初志に集中するしかない…3月いっぱいまで足掻く予定ではいるが、四月からは何が何でも集中へと切り替えねばならぬ…折しも霙まじりの氷雨が嵐の様に…

金柑を齧る苦虫マスクして

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春まだき…

結局、気まぐれな僥倖のせいで事態は更に悪化の一途を辿り…一端上方に上げられてから底辺に突き落とされたから余計にダメージが大きいものの、此の結末もまた予測の範囲内ではあった個人的な懊悩の日々はまだまだ続く…こんな些末な卑小事に拘泥している場合ではないのに…旧来の生命原理型全体主義よりは其の人間性への影響度において深甚である事は間違いないが明らかに現在進行している多様性原理型全体主義としてのスマートファシズムの到来を予見しながら目下の処は漠然としているから未だ来たらざる、あるいは現在進行形で其の全体像は鳥瞰し難いスマートファシズムの構造を自分で理論化した上で批判する作業を控えていたが…此処にきてどうも「なめらかな社会とその敵」は明らかにスマートファシズムの理論的中核を成すに十分である事が明確になったので、自分としては此れを的確に批判すればよく、逆に云えば自分でわざわざスマートファシズムを理論化する手間が省けたから仕事は少し楽になったものの…其れでも、容易に非難出来ぬよう周到に記述されている此れを批判しようと思ったら本一冊また書かなければならないから最低でも一年はかかる…そうこうするうちに、システム屋は其の飽く事なきアクティブな行動力と社会性によって着実に政治と社会に影響力を及ぼしているのは日々感ずる処であるから、其れでなくても周回遅れどころではなく救いがたいほど出遅れているのは否めない私があの本ほどの影響力を世に行使するのはほとんど絶望的であるにしても…王様のブランチで、あの本の二次創作的小説本と思しき「なめらかな社会と、その敵」が売れてる様子を知るにつけ…スマートファシズムの理論を構築したあの本が今や広く世に受容されている現実を思い知らされ…本当はファシズムなど今更どうでもよい、どうあがいても此の大勢は変わらないのだから、本当は自分は、ただひたすら生きとし生けるものを言祝ぎたいだけなんだと云う本来の願いが頭をもたげ、天明調の俳諧の味読に逃避する時間もあったが…さっさと個人的な人生の困難事にけりをつけて、最早手の施しようがないほど間違いが頻発している「多様性原理」を大幅に加筆修正した「不連続体概論」の執筆に着手しなければならず、此れには当然、前著では不十分だったスマートファシズム批判をきっちり盛り込む予定だが…其の準備のためあれもこれも読まねば、資料を取り寄せねば、と思うと、途端に億劫になってきて、数奇事へと夢想してしまう…医療現場はともかく、一般人が使うマスクなんかは個人で手芸屋に行って手作りでもすればいいのにどうして使い捨てマスクにこだわって殺到するのか、全く意味が分からない…因みにウチでは、細君が高機能フィルターを内蔵した布マスクを複数枚、過去に通販で入手し常用しているので洗濯しながら何度でも清潔な其れを使えるので一向に困らないが…トイレットペーパーは流石に作れないので入手困難は本当に困る…細君は「葉っぱで拭けばいいじゃない」と豪語し、さすればどの葉っぱで拭くかがしばし議論にもなったが…方々探して何とか一袋入手したからひとまず安堵…。

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浜木綿の衰え…

宮崎で拾った種から発芽した浜木綿…一枚、また一枚と葉が枯れていく日々…日照が良く、人肌には温かく感じられる陽気であっても外に出すと全体的に萎れるから、蛍光灯の下で暖房に当たらせると元気になるにはなるが、本来野生の植物がこんな事でいいのか、其のもやしっ子ぶりに先行きが思いやられる…なんとか春まで持ちこたえてほしいと切に願うのみ。システム屋が矢鱈と提唱するネットワーク社会は確かに国家や企業などの硬直して横暴極まる中央集権的組織構造を相対化するには有効なのだろうが、評価する者が評価される事もあるループ構造を有するネットワークは言うなれば相互監視の密告社会みたいなもので、典型的な全体主義社会でもある…鈴木健氏の「なめらかな社会とその敵」は、ある一面では其の世界認識は正しいと思われるし納得する部分も多く、其の上で繰り出される斬新なアイデアには舌を巻くスマートな書きぶりなのだが…国家やプラットフォーム企業、あるいはネットワーク社会が本来要請する多様な世界認識には至らない未熟なユーザーによる自己組織化によって結局はSNSが新手の分断と専制を敷きつつある様が露になった現在においては、鈴木氏のSNSへの楽観視がいささか残念な理論的落ち度に見えるが…とはいえ、あまりに劣悪な現行の貨幣や投票システムに代わって、なんとか人間の多様性をありのまま実現すべく数理的な理論的実証性で以て新しいシステムを提案してくるのはシステム屋ならではの仕事ぶりであり、勉強になるし、重要だとは思う…とは云え思想的には、ネットワークをなめらかな連続体として捉える処に、自分としては批判的である…まだ全部読んでいないので最終的な評価は保留したいが、彼の提案するシステムが、基本的人権を判別式として特権化するのか、あるいは基本的人権さえもネットワークの議題として相対化させるつもりなのか、が重要になるだろう…システム屋はえてして個人の意識の変革に絶望するから、そういった愚劣な人間の意識をシステム関数で最適な出力値として獲得しようとし、尚且つシステムの改善が人間の意識を改善する事を期待するのだろうが…過去の歴史から学んで、社会システムの変容が人間の意識を抜本的に変容させた事はないだろうし、確かにシステム改善によって人間生活の部分的改善があった事は否定しないが…とりわけ多様体の素直な出力を目論むシステムであってみれば、それこそ入力する人間意識の品質に依存する事になるから、個人の意識へのアプローチは避けて通れないだろう…。そんなこんなで、自分としても改めて自分の理論の大幅なる改良を進めたい野心の契機にはなった…ウイルスに関しては…これは基本的に自然現象であり、此れだけ他国との往来がある以上は国内感染がある程度広がるのは致し方ないとは思うが、…コロナウイルスに関する一連の顛末についてはまた今度にしたい。

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パソコンの不如意もあり…

常日頃から一方的な支配関係を強要してくるIT業界への憎悪は日増しに募るばかりだが…買って2か月にも満たないパソコン…ぼちぼち書こうかと思って起動させようと思って電源を入れると…こっちが頼んでもないのに勝手に何やらソフトの更新するからそのまま待ってろと云う最後通牒みたいなものをこれまた此方の都合など一顧だにせず一方的に突き付けられ…その後は待てど暮らせど一向に更新が終わらず起動途中の画面から先に進まずとうとう日を跨いだから昨日はこっちの更新が出来ずじまいであった。一晩経ってパソコン画面を確認すると流石にソフトの更新は終わって通常画面になっており、そしてデスクトップに、マイクロソフトエッジなる見知らぬアイコンが何食わぬ顔で加えられていると云う…何の役に立つのか意味不明なものを与えられて気の遠くなるような馬鹿馬鹿しさもまた寒々しく…そんな訳で先週は機を逸したからやる気は払底されたので二、三悪態をついて終わらせたい…はっきり云って改元以来碌なことが無いのは衆目一致する処、台風やら大水害やら、今年の初めには戦争勃発の危機、そして極めつけで流行り病と至っては…令和などと云う史上最悪の元号をとっとと変えるべき、再改元が必要だというのが天命である証拠である…それにしても日本人と云うのは…其の一般的性質は特に昨今…人に媚びるか人を見下すかの二種類しかないのか…対等の関係で信頼関係を結ぶ自立した主体性など皆無、自己が確立されないから自分の行動様式を自己の外部の社会的自然的な階級関係に委ねるしかないから、支配するか従属するかしかない、本質的に卑しい民族性が資本の隆盛と相まってますます露骨である…ほとほと嫌気が差す…。

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