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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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white moles「パレイド」(2011)volt-age records stereo bqgs-25



自分にとって 寵愛の対象でありつつ呪いの主に様変わりしてしまった革靴…購入早々己の先走った愚昧によって仄かなシミを当の革靴にも己の心にも浸みつけてしまった、取り返しのつかないしくじりが呪いの始まりであったにしても、続く日々には、まるで餌付けのような僥倖も齎してくれるから、寧ろたちの悪さに感付きながらも、遁れる事が出来ない執着の底無し沼に引きずり込まれるようで…シミはどうにもならないにしても、其の後も己の無意識に自虐的な粗忽故なのか、むきになって磨いているとうっかり爪で引っ掻いて革靴を傷つけてしまうと云う、錯乱した絶叫を喉に詰まらせた救い難い絶望に陥れられるも、いつの間にか、数週間経つと、其の傷が見えなくなっており…本革にはある程度の自然治癒力が備わっているのか…小生を呪いに引きずり込む悪意ある僥倖…其の上…甲がきつくて足が痺れるほどで、長時間履いていると足の甲で血栓ができて其れが心臓や脳に飛んで心筋梗塞や脳梗塞を起こす懸念すら担わせていたのに…昨日履くと、なんかちょうどよくなっており…僥倖に次ぐ僥倖が不安を深める日常…今日も、革靴を、布で磨く…祝福された呪い…其の証拠に…最初に小生が此の革靴に齎した仄青いシミは、決して消えない。

何が聴きたいのか小生の中ではくっきりした像を結んでおり…小生は決定的にノリが悪く音楽の才には全く恵まれておらぬから自分での創作は不可能と諦念したが故に、他の、才能ある方々が創作した音楽を探して入手するしかないのだが…しかしいつしか、其の、小生が渇望して止まぬ音楽に現実に邂逅する機会に恵まれぬ失望を重ねると…探究する気概も薄れ…要するに…ビーチボーイズのペットサウンズを楽曲の骨格としたハードロック、を聴きたいのであって…ペットサウンズあるいやハードロック(ザ・フー、イエス、レッド・ツェッペリンの三位一体)を要件とする以上、此の両者は当然の帰結(=ロックの王道)として過去に小生が提唱したサイケデリアの本然とガレージパンクの内積を表出するのであり、ロック史上、唯一小生の此の渇望に近い成果だと云えるのは、ザ・フーのトミーに他ならなず、此の事は其れだけでも十分奇蹟的な価値を称揚して止まぬが…其れでも厳密に渇望すれば、せいぜい近傍と云う概念に救われているに過ぎない、本来気にするほどでもない微かな、無視しても何の問題も無い差異ながらも其れでも存在するが故に決定的に際立つ其の差異が、殊更に更なる渇望を欲深くするのであって…従って…ペットサウンズを構造としたハードロックは、いまだに認められない…(=王道なきロック史)フー、イエス、ツェッペリンの三位一体としてのハードロックとは何か、については、小生のしこりとして未だに残っている、やり残している課題ではあるが…サイケデリアやガレージパンクの本然の姿については、過去のブログにある程度論じ得ている…

ふっと、頭の栓が抜けたように思い出して此のCDを入手した前段には…2013/10/13米子でwhite molesの音楽に接したのがきっかけであって…其の時の模様は過去のブログ記事に恐らく何らかの記載があろうが…其れは其れとして…其れを読み返す事無く…改めて此の音楽を体験する事になって…地獄としての天国にいざなわれたのは確かであって…しかし其の天国は飽く迄も日常の地平から逸脱する事なく…日常に潜む、と云うよりも、日常そのものの形をした悪意への確かな過敏、即ち制度そのものへの殺伐たるイラつきの棘がそのままの形でソフトに、即ち、日常と地続きで外に出ており…殊更に取ってつけたような反抗の大見得が、現代の歌舞伎のように体制への補完的隷属に瞞着しているのにも気付かない罪深い愚かしさ故にうるさいだけで図体ばかりでかいのが厚顔無恥なマッスル馬鹿的似非ロックなど端から眼中に無い無視の一閃で無効化する批評的ソフトだからこそ…音の根源に己を晒す知性=勇気が欠けた奴隷的音圧狂いを排して、其れこそ、目的のための急所を撃つ的確な音の配置に徹するソフトな連なりが、単に耳に心地よい産業サイケ的ソフトサイケとは異なって…たとえソフトであっても…事有る毎に人間に隷従を強いる制度からすり抜ける陰湿な戦略を音楽的手法で以て勝ち得ているから、説得力があるのである…其れは…ジョン・アンダーソンほど天上への親近さとは違って、日本の日常の曇り空の直ぐ下程の低空を行く、白く濁った柔らかい裏声が…くも膜の下に滑り込んで通俗的な感覚を一時的に麻痺させる夢心地の、麻酔が切れた後の些か禍禍しい夢心地である故に、一層日常の禍禍しさを一種清潔に覚醒させてくれる。

産業サイケ的なソフトサイケとは…本然サイケデリアにおける平和=ピースを、制度的資本的悪意を以て勘違いした隷従サイケの事であって…過去に小生がサイケデリアの条件を論じた事があるから其れの繰り返しになるが…サイケデリアの本然におけるピースとは、すやすやと眠ってこそいても、道行く者の足首をがぶりと食い千切る獰悪さを突発させるほどの、眠りと覚醒が一致した純真無垢だからこそ凶悪な惰眠の事を云うのであって…此れは即ち理性と云う狂気と同じ謂いなのだが…其の事を意図的なのか早とちりなのか勘違いして、産業サイケにおけるソフトサイケ部門は、此の、サイケデリアの条件の一つであるピースフル概念を、単に、政治的困難に際して無邪気にラブ&ピースを無能に唱えるだけが関の山の、人畜無害な痴愚の如き扱いにして、表層的には爽やかな雰囲気に便乗して此れを売りとして称揚しつつも裏で嘲笑しているのである。しかし、ホワイトモールズにおけるソフトは、此の、産業サイケにおける隷属的嘲笑的アイロニー的ソフトとは断絶して、サイケデリアの本然としての獰悪ピースフルを顕現させる事が出来ている。此れは稀有であって、そして、本物のサイケデリアである。

制度からすり抜ける陰湿な戦略とは何か…其れは、それぞれの楽器の役割が体現している…前述のように、聴く者のくも膜に滑り込んで麻痺させながらも、日常が麻痺そのものである事を告知する曇り空的裏声でもあり、歌詞の意味云々とは関係も無く意地悪な福音を齎す日常を歌い…音、特にロックが百家放斉の方法で異議を突き付けるものならばとりわけロックにおける音の本質は警鐘、警報である事を如実に表していたキーボードの繰り返し音は…一筋縄ではいかぬ苦み走った音色選択を万華鏡のように繰り出しつつ切迫感を損なわない殺伐の漣を渡らせて…聴く者の神経をイラつかせる単調なキーボードの、挑戦的なほど単純な音の繰り出しと、其の音色の薄気味悪い含有は…Jアラートの例のように、音が警報である根源を執拗に告知して来る…また、キーボードによる警報が転調への契機を為す楽曲構造は焦燥的でユニークではある…そして、適時電化されたコーラスは楽曲の賑やかしと云うよりも、キーボードの音色と地続きを為しているから本質的な意味での警報ともなっている。ギターは思いの外肝が据わって、荒んだ生活にしっかり根を下ろしながら、他の楽器が全体として柔らかで緻密な虹色の濁りを蔓延させる中で、野太く歪んだ音を棘だらけの背骨としている心強さがある。従って、ソフトでポップでいながら骨太の荒みを放出したハードロック足りえている。時折突拍子もない性急なリズムを前のめりに発破させて創意あるリズムも自然に接続させる不可思議さが巧みなドラムや、確かな地面を鱗雲のように柔らかく捉えた濃厚なベースが齎すスピード感は…凡百のバンドが、せいぜい地球上で車を走らせるスピードに甘んじているのに対し、ホワイトモールズのスピード感はどこか天体的にリアルなスピード感、即ち、地球が自転しながら太陽の周りを公転しながら太陽系が銀河系の中を回りながら銀河系が銀河団の中を回っている地球の表面で体感するはずであるスピード感であるかのような、本来人間にとって日常的ではあるが実際には現実感の乏しいが現実ではあるスピード感を体感させてくれて、其れが、天界であるかのような、しかし、其の、天界こそが現実ではある日常と云う地獄であって、天界と日常と地獄が乖離しない天界、あるいは天界と日常と地獄が乖離しない日常、あるいは天界と日常と地獄が乖離しない地獄でもある事を告知してくるのである…音の始末の電気的効果は小憎らしいほど巧みな工芸のようでまことに神経が行き渡っている。

楽曲としては…木造のバベルの塔がコンコルドになって飛翔する貴婦人の不時着のようであって…一部のプログレやメタルのような天上に向けて組み上がる静的な石造のゴシック内陣ではなく、構築が速度に変換されて水平方向への流れとしての建材がばらばらにまとまりながら量子的振る舞いで時折意表を衝く切断と接続を露わにする楽曲もあって…そういう意味ではイエス的なプログレッシブ展開(=マクローリン展開)でもあるし、マクローリン展開であってみれば即ちペットサウンズ的切断と接続での不連続による連続もあって…加えて…よくあるジャンル的通説の組み合わせで説明すれば…ぬけぬけと歌謡曲的でもあればプログレ的でもあり、ガレージ的でもあって、前述通りサイケデリアの本然を外さないし、ロックの音の本質である警報としての切迫感や異様感も申し分ないとすると、ホワイトモールズは極めて、小生が渇望する音楽に近い達成であると云える…ノイズ的な遊びを付加的に付けた部分があったが、此れは、伝統的なサイケデリアのアルバムにありがちな装飾を踏襲したものだからして、いわゆる、ガチのノイズミュージックではないとは云え…しかし、である。しかし、其れでも小生は、まだまだ渇望するのである…思い出していただきたい…小生の渇望とは…ペットサウンズを骨格としたハードロック、なのである…惜しむらくも、ホワイトモールズを以てしても、ペットサウンズ的量子的音の振る舞いを、楽曲の骨格に据える事は出来なかった、せいぜい、骨格に影響を及ぼさぬ装飾としての遊びとして散りばめるのが、此のアルバムでは精一杯であった、と、苦汁を飲んで、断じなければならないのである…

ホワイトモールズが楽曲をポップにまとめたから、と云うのではない…此の場合のポップも楽曲の達成の一部であって、楽曲の肝はポップでありながらも逸脱でもある事を主としているのは小生も承知している…にも関わらず、なのである…ならば、どうすればよいのか…ホワイトモールズはそうはいっても…ある程度堅実な連続性を保証されたリズムを前提として、其の流れの中で、量子的な振る舞いの切断=接続や、巧みな音の始末を装飾的に事後的に散りばめており、其れは其れで実に啓蒙的な稀有な達成である事には違いないのだが…楽曲の構造そのものが非線形且つ非連続性(=非線形且つ非連続である事が線形且つ連続である)ではなく、ある程度の線形性と連続性を前提としている漫然たる作曲態度は否定できないから、一種の限界ではある事から免れないだろう…リズムの骨格自体を量子的にしたら、楽曲そのものが崩壊したり前衛音楽に収容される閉塞感に陥るのではないか、と云う懸念が付きまとうが、現実として量子で出来ているらしい我々の現実は知性と感覚の両面において古典力学と量子力学が共存した処の、「こういったもの」である以上、崩壊とか構造が意味をなさない境地が必要になるのだろう…其れを説明するには…小生の渇望である、「ペットサウンズを骨格としたハードロック」という処の、ハードロックとは何か、への回答、即ち、小生の頭の中ではだいたい完成しているが、いまだに執筆できていない課題への回答が、改めて待たれるのである…ハードロック、と云う事が、即ち、イエスとフーとツェッペリンを同時に聴く事とは何か、が、渇望する達成への鍵となろう。別に、ソフトだから駄目だ、と云う意味ではない。ソフトとかハードと云ったジャンル的区別は無意味であり、ホワイトモールズは通俗的にはソフトサイケに分類されるかもしれないが、その辺の自称ハードロックに比べてはるかにハードロックとも云えるし、ハードを、困難、と解するならば、ある程度の困難を達成しえた、立派なハードロックとも云えるのである。筋金入りのロックである。しかし、其れでも、小生の渇望への道標になったとはいえ、渇望の標的そのものには至っていないのである。益益の今後の活躍を期待する次第である。末筆ながら黒の揚羽蝶…いつまでも心にヒリヒリ浸みるように傷み続ける哀切であった。

話は変わるが…数年ぶりにまたテレプシコーラを読んでしまい…チカちゃんの事で不覚にも涙ぐんでしまう…山岸先生が…畳み掛けるように…チカちゃんの死後…「此れがチカちゃんだったら」「チカが生きていたら」と、度々、生前チカちゃんが輝いていた踊りの姿を活写するから…悲しくて。ユキちゃんのコリオグラファーとしての才能を到底見抜く事が出来やしない先生五嶋の愚昧ぶりに改めてムカつきつつ…。

メラノ斉藤(vocal, guitar, etc)
ズルイズルイス大場(bass, chorus)
がっちゃん(drums, chorus)
ゆら田ゆら美(organ, synth, chorus)

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