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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the mummies/death by unga bunga(2004?)bs2100」立秋



 蝉の腹お岩のおしろいアスファルト

 透明な枠組みの果てに激突せぬ石を吐く珍重される金魚ウゴウゴ

 英国は倫敦その他各地にて暴動惹起せり。政治性や思想性から零れ落ちた、食うことよりもむしろ精神面での生活苦の貧相に根差した粗末で無目的で目先のことのみを渇望するし店舗からの物品の略奪による一時的な富を獲得する、秘密の無い祭りが、高失業率に喘ぐ英国の若者らの間で燎原の火と化したようである。こうした、大文字の文学や思想や歴史と完全に絶縁しえた、単なる無恥と肉迫した有様はかつてのポストモダンの論客が望んだ状況なのかどうなのか聞きたいところではあるが今更インテリゲンチャの意見に権威なぞありますまい。インテリという単語すら知りはせぬ若者たちなのだから…しかし、かような、一見すると政治的思想的に見えるが政治的に組織化されはせずその実はまことに貧相でチャチな目的しかない卑小なる事件という意味では日の本の方が遥かに先進しているだろう…以前に本ブログで書いたが、厚生事務次官夫婦を、愛犬が保健所で殺された恨みゆえに殺害に及んだ事件や、秋葉原連続殺傷事件など…現状への不満が体制の破壊へと思想的に目的化されぬのはそうした思想を知りつつ忌避してるのか単にそうした思想の存在そのものも知らないのか、しかしたとえ知らなくても人間の思考の道筋というのはだいたい、形にならぬ現状→体制破壊へと進むとするとそうした思考力を支える忍耐力が衰えているのか判然せぬ。興味深いのは、日の本では英国のようにプレ民衆レベルの複数人の暴徒とはならず、いずれも単独行であるということである…お国柄と一言で片付けるにはもったいない何かがありそうな気がする…きっちり組織化されなくともネットを通じて緩く同時多発的に集まり暴動を共にしたという意味ではまだ英国のほうが人間同士の連帯の可能性がある分、社会的に健康である。しかし日の本ではそんな、ストリートで自然発生する連帯などなさそうだ(もっとも、日の本では報道規制がかかっている可能性あり。尖閣問題で日の本で中国でのデモを上回る人数のデモ行進がなされた事もマスメディアは黙殺したように)日の本で何事かを惹起する者は関係とは無関係に点在しながら点火、そして立ち処に鎮火される珍事の勃発の果てに如何なる諸相が見えてくるか、とんでもない文化が生まれやしないか。…まことに浅はかで貧相なる荒み(すさみ)という意味では日の本社会の方が遥かに病んでおり、最先端である。小生はこれらの事象をこう呼びたい。「待ちに待った閉塞感」であると。

 さて、ザ・マミーズという芸能者の音源である。お国がいずこなのかよく分からぬしCDの添付された紙に書かれた文字情報読んでもメンバーの楽器分担はよく分からぬし、録音年代もいまいち不明である。調べようと思えばネットで調べはつくのだろうが、眼前の情報のみが彼らの意志であろうという尊重ゆえに調べない。いずれにせよ、ぶすぶすと不完全燃焼する赤熱する灰の根元から恨みがましく聴取せざるを得ぬ、(セックスピストルズ以降のパンク経由の)ハードロックという未明不審の一形態である。ジ・アドヴァーツを思わせる、刃先の角度は鈍いが切れ味だけは鋭いゆえに切れ味良くぶった切るという、繊細なんだか粗雑なんだか不明なパンクのおが屑を所々で着火剤としてまぶしながら、黒色音楽起源ながら当世気質の能天気な白人ライブなノリも踏まえる…昭和元禄ゲバゲバサイケのように茜色の隠微な斜光をいっぱいに浴びて…まぶされるサイケデリアは既に、現代人が民芸品を扱うような市場サイケの上っ面しか残さぬのは致し方ないにしても、どす黒くこみ上げる猥雑はロックという音楽を志してしまった者には不可避な誠実さゆえである…秘密の無い祭りの、空疎な賑やかさ。息はしっかりと臭そうだからお近づきにはなりたくないタイプである。しかし、聞かざるを得ない…容赦無い拳の如きドラムの、場を弁えぬというほどではないが他愛無い小石にも躓きうる、しかしバシバシと重ったるくみぞおちにキメてくる重工業系のドラム…殺伐と歯並びの悪く素行も悪いジャギジャギの、小うるさい蝿のギター…燃えながら水に浮いてゆっくり速く流れ刻む、そこんところはしっかりした重油ベースの妙…聞く者の耳を積極的に聾してくるように変調された、奥行きを幻想させぬ、鼓膜の直近でガナルが如き亡者の攻撃的絶叫。セックスピストルズ以降の思想化されたパンク以前の、ガレージやサイケとほぼ同義語であり1965~69年までに既に勃発使用されていたパンクが貫通している…無論、パンクをかように思想化したのは小生ないしは聴衆の身勝手なマスコミ承認欲求というおもねりに過ぎぬ。

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・・・つづきはこちら

閑話休題

浅草キッドの玉袋筋太郎が、芸名をいつの間にか「玉ちゃん」に変えていた…NHKの番組で水道橋博士と司会していた時に表示されていたので知った。仕事の幅を広げるためなのは分かるが、腑に落ちぬ…(否、芸名自体を変えてしまったわけではなく、「玉ちゃん」という芸名で出演することが多くなった、ということのようだ…玉袋筋太郎という本芸名?はまだ生きているようだ…)ポテトチップス…食べると二週間後に口内炎になると分かっていても暴食…かつてはコンソメ味一筋であったが、最近ではのり塩一辺倒である。リサイクルショップ「バカ安」の窓から見える、伊万里焼の下劣な徳利が気になる…

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今週休載のお知らせ

気が付けば、抹茶茶碗を50碗以上も所持している羽目になり置き場に窮し、その辺に日用食器のように重ねて置いているのを見かねて棚を購入したものの、どの位置にどの茶碗を鎮座さすべきか、この茶碗の隣にはどの茶碗を置くべきか、地震対策も含めて重要な茶碗ほど下段に置くのだが上段に重い茶碗を置くとリスクが高い…などと考えに考えているうちに頭痛がひどくなり、今週は休載します。

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「bastro/sing the troubled beast+diablo guapo(1989-90)pcd-23590」左京忌



 殺せども部屋の隅より蚊のいづる

 日本酒のつまみには、味付け一切なしの炒り大豆に限る…淡白で芳しいかおりが一噛みで砕けては去る小ざっぱりした無味が、酒の旨味を引き立たせてあまりある。萩焼藁すぼ形徳利、掻き彫り花鳥呪紋青磁盃にて。

 なぜか首筋が痛み続ける。こめかみを中心とした頭痛が止まらない。頭に風船をつけて、その浮力でもって首への負担を減らしたい切実な思いに駆られる。それでも頭痛は治らないだろうが…あまり首筋をもみ続けると大事な神経系がやられそうで怖い。

 昨日も今日も、虫も殺せなかった極貧の農民が満蒙の地でいかに憲兵隊として完成され、中国の人たちに残虐非道の限りを尽くしてきたかが書かれた本を読み続ける…関東軍潰走、赤軍につかまったチチハル憲兵隊の土屋氏らは5年間、シベリヤ抑留で瀕死のどん底を生き抜いた後中国共産党政府の引き渡し要求によって中国へ送還され、日本人戦犯管理所で拘束される…シベリヤでは零下40度の中、一日二回の水のごときコウリャン粥を与えられるのみで過酷な伐採労働を強いられてきたが、中国ではなぜか労役も強いられず、しかも毎日鱈腹の白飯に肉、野菜が日に三度、与えられた…はじめは「大和民族の優秀さを中国人は理解しているから厚遇してくれているのだな」程度にしか思っていなかった旧憲兵隊らは、いつ処刑判決が下るか分からぬ不安な日々においていつまでたっても裁判が始まるわけでもなく厚遇される生活が4年近く過ぎたころ、自分らがやってきた残虐行為を思えばすぐさま拷問で殺されても仕方がないはずなのに逆に丁重に扱われることに良心の呵責が芽生え始め、ついに、床に膝をついて泣き崩れ、自らの罪を自白し始める…そう、これは当時の中国共産党の政策で、自ら積極的に罪を認め心底からの反省を促す認罪運動というものであった。下部構造(白飯)の質を高めることで上部構造(反省、悔悟)の質も高めるという、よくできた応用例ではあった。シベリヤでは過酷な抑留の合間での赤軍からの取り調べに対しいい加減な回答で済ませ、裏でベロ出して北叟笑んでいた元憲兵隊らが、中国ではこのように豹変したのだった。当然ながら歴史のことゆえ、あらゆる例外は存在しただろう、この本に書かれていることが全てではないだろう。
 今のようにインターネットもない時代、一応戦勝国の中国が日本人戦犯を秘密裏になぶり殺しにするくらいわけなかっただろうしそれを実行する十分な理由も日本人自身が作っていたにも関わらず、4、5年かけてタダ飯食わせてでも自らに反省を促そうとする気の長い、根気強い人間観は、やはり、この当時の、毛沢東がいた頃の中共というのは論語や韓非子、老子孟子を生んだ国としてのしたたかな寛大さや余裕を駆使する大陸的発想と云うのを保持していたのだなと思わせる。共産党が好むいわゆる自己批判はともすれば性急で形式的になりがちだが、諸子百家の伝統が通底した時にそれが人間臭く生きてくるのを、文革以前の中共は知っていたのだろう。そう思えば、どうも漢文臭いことばかり言っている日本の初期無政府主義者、石川三四郎の文章なども、これまでと違った読み方が出来るかもしれない。いわんや、昨今の、高速鉄道の事故処理を巡る対応を見るに、中共の資本主義的堕落というのは、相場(情報)の動きに一喜一憂する場当たり的な貧相へと矮小化の一途を辿るのみである。無論、我々にしたって、神も仏も知恵も無い議会制民主主義が、自らを主体的に律しえぬゆえに創作した市場と云う自然に取り縋る資本主義に振り回されながら、さらなる人間性の卑小化を生き抜くしかないのだろう。

 社会的能力的ヒエラルキー的理由などいろいろありはするだろうがそんなものはもうどうでもよい、畢竟、他の人間から、下の身分として、馬鹿にされて当然のようにして扱われることに、これも金のうちとして我慢する理屈も空疎に棚上げされるがままに、もうこれ以上こらえきれぬ、表象せぬ憤りのみがいたずらに根を深くするのみである。小生がかような構造に心身ごと同調できず批判するがゆえの見返りに過ぎぬと分かってはいる。殺伐とした、見るもの触れるもの全てに過敏に毒つきたくなる、余裕のない、イラついた心の伴奏に相応しいのはやはりロックと云う如何わしい底辺の音楽に限る…バストロ、アメリカ80年代末のハードコア…もはやパンクやメタルといった言葉も意味をなさず死語に等しく成り果てた芸能者たち…メタル的ドスの効いた奏法が重厚に、逆立てた鱗を土壁にごりごり擦りあてながら路地を高速徘徊する亜細亜の龍を思わせる圧密された音圧。筋肉質の白人が身勝手な狂気を吐き散らかすが切れ味は鋭くなく、繊細なる鋭利さでもって対象を切るというよりも、対象よりも固い棍棒でもって兎に角ぶん殴る類の冷静なる凶暴である。肉を切るのではなく肉を叩くという執拗さ。一歩間違えれば体制の犬になりかねぬような…時折シロップの如き叙情を垂れ流すことも忘れはせぬ。しかしそれでも…小生のやっかみなのだろうか…どうしても、パンク的精神を経由したハードロックの一典型、というふうに聞こえてしまう。それはそれで悪くはない。しかし、そうした経緯のややこしさによってまことの混沌、即ち正方形に混沌の姿を見るが如き危険な混沌が無かった事にされ、ただのジャンル横断的消化試合的発想に格納されるきらいがあるのが、何とも遠まわりに思えるだけである。サイケ、ガレージからしか、ハードロックという閃光は聞こえはしない。パンクやグランジ、オルタナなんぞへの道草乃至は迂回も、殊にハードロックという途方もない音楽からすれば、道は全ての道に通ずるという常識をあてにできないだろう。延長なのか飛躍なのか判然せぬが歴史の時間軸としてサイケ/ガレージの次に来たハードロックという事実を主体的に生き直す素直でもあるし途方もない愚鈍こそがハードロックを聴きつけるし演奏するだろう。袋小路にしかハードロックは存在しないし、道なき荒野にしかハードロックは佇まない。狭き門より入れ、ということなのか…。
 バストロ聴きながら、盆灯篭界の新型モデル、蓮の花を蛍光ダイオードで縁取った妖艶なものを買いに行くと、無かった。先週はあった。どこぞの数寄者に先を越されたらしい…品物との出会いは一期一会、なぜ先週即断即決でお助けしなかったのか、幾度も経験したことなれどまたしても拙劣にほぞを噛む思いだ…イライラする…

デイヴィッド・グラブズ:ギター
クラーク・ジョンソン:ベース
ジョン・マッケンタイア:ドラム

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「talking heads/remain in light(1980)wpcr-2664」小鳥



 台風が来る度に、愚かしいと分かってはいても、命(と小生所持の茶碗と掛軸とその他古陶磁とCDと蔵書と金と盆灯篭)だけは残して、それ以外はみんなぶっ壊してくれないか、という未熟な、無責任な破壊願望の拠り所にしてしまう。台風直撃を願っている。断水と停電くらい我慢する覚悟である。

 野分に乗って速さスコブル小鳥群
 
 去年買いそびれた、銅細工の泡沫水中花盆灯篭を今年こそはゲットするつもりだ。しかし、昨日目撃した、造花のハスの花びらを、蛍光クラゲのようにあやしく発光するダイオードで縁取った、盆灯篭界のニューフェイスも捨てがたい、と、悩んでいる。

 先週、近所のスーパーで買い物していると、店内では、凶悪な司祭血祭り系のデスメタルがBGMとして絶叫していた、と同時に、その店の生温いテーマソングも鳴らされており、おかしな世界となっていた。今となってはこれも、自分の妄想なのか、と疑獄に陥る。

 山田洋二が、「復活」というテレビ映像を作っていた。遊園地に展示されていたSLを修理して実際に軌道で走らせるまでの技術ドキュメンタリーである。そこでの山田氏の発言のあまりの幼稚さに愕然となった。蒸気機関車を、科学が人間の生活を良くしてくれることに全幅の信頼が寄せられていた幸福な時代の象徴、などと云っていた。これは単なる無知無恥発言に過ぎない。蒸気機関の発明と産業革命は、それ以前になかった過酷な労働環境(幼児や婦女子も含む)をもたらし、蒸気機関による挟まれ、巻き込まれといった労働災害は産業革命当初から深刻の度を増し死亡事故は激増、何よりも機械による効率化が雇用を奪うということで労働者による蒸気機関の打ちこわしはイギリスのみならず後進各国でも頻発したという、中学の教科書にすら記載されている程度の歴史を知らないのだろうか。蒸気機関が人間の生活を良くする?かような状況で、そんな認識を誰が持つのだろう。持つとしたらごく一部の資本家やブルジョワ貴族に過ぎない。産業革命後、イギリスで史上初の労働組合結成、マルクス・エンゲルスの共産党宣言、ヨーロッパ各国でのプロレタリア革命運動、パリ・コミューン、そしてロシア革命という歴史の根本の一つが蒸気機関による産業革命であったことを知らないのか。
 また、蒸気機関の仕組みは、ピストンやクランクの動きを辿っていけばよく分かるけれども、原発はなんだかゴチャゴチャしてよく分からないから人間にとって危険なのではないか、などとも云っていた。小生、唖然となった。原発だろうが何だろうがああいうものは図面見たら仕組みは分かるようになっているし、それを分からないというのは山田氏の単純な勉強不足、怠慢に過ぎない。それを、何の根拠もなく自分の、あるいは社会雰囲気内で何となく承認されている短絡的なイメージで、原発はよく分からないから怖い、などと云っている…短絡的なイメージに乗っかった浅はかな認識を、さも説得力ありげに発言することで、結局、こたびの原発の問題を含む科学技術と社会との根本関係に巣くう問題を公衆に対して見えなくさせようとする愚かさを露呈させていたのだった。結局その程度の認識だから、このSLドキュメンタリーにしたって、従来からはびこる、技術立国日本、みたいな、まことに空疎な衆愚的イメージを再生産させるのみであり、無自覚に問題を誤魔化してしまう欺瞞にセンチメンタルに加担するはめになっている。要するに、山田氏は、この件に関して何も考えていないし批判できていないばかりか、承認されている既得権益へのお追従の上手さを披露したみじめな人間である。山田氏の幼稚な発言やこのテレビ映像が発する幼稚なメッセージに影響される視聴者など、今時いないだろうと期待するしかない。ではこの問題とは何なのか、詳論すれば長くなるのでかいつまんで言うと、社会化政治化経済化された存在である人間が主体となる科学技術の限界に対する認識と社会的許容、ということに尽きる。科学的人間など存在しないし、科学を支える科学的良心というのは科学の中では規定しえず、あくまでも社会的なものに過ぎぬということである。今更云うまでもないことなのだけれど…。
 
 喋る頭、アメリカ、1980。パンクの灰。アフロアメリカなるもののファンキーな体臭にすらも何かしら古臭い厚かましい制度的欺瞞を感じ取らざるを得なかったプログレ以降の者たちは、ジャズにおいてもロックにおいてもより直接的にアフリカなるものへの視線を明敏に主張するのだろう。ブルー・ノートとして規制される以前の、すなわち黒人奴隷市場としてのアメリカにおいてこそ発達したジャズやロックという歴史の範疇からの反抗的逃散を目論む者らは、アメリカ化される以前のアフリカに次の手を打ってくるのは今にしてみれば必然であった。しかし、そうした者らが、たとえば同時代80年代のレゲエ(ボブ・マーリー)や一部のソウル(スティービー・ワンダー)のように母なるアフリカを楽観的に希求するポピュリズムに身を委ねることなどできはしなかった。音楽上、いかに直接的にアフリカの民族音楽に根差した奏法を採用しようとも、結局のところ白人の都合に限定されたアフリカしかとらまえることが出来ぬ袋小路であることを、何よりも自覚した音楽を作るしかないのであろう。煽るようでいて冷め切った単調ポリリズムも既に著しく電化処理されざるを得ず、所詮、アフリカの土俗などに感応しようも無い限界を承知しきっている白人の身勝手な、だからこそ行き場の無い絶望をハリネズミのように撒き散らす。しかしこの種の絶望は思えばかつての凶暴サイケデリアが保持していた矜持でもあったのだが、その矜持を捨てて更なる精神の底辺へ至らんとする衰弱した破滅欲が不健康に先走っても仕方が無い時代ではあった。ロックにおいて王道への道行きは異端へ至る逆説である。そして無益な計算処理しているがごとき尖がった、珍妙電子音が場違いに陽気に無責任を託ち、食欲の無い、顔面蒼白な男がか細い声で、遺書の黙読のように非元気に変態じみて頓狂に歌うしかない。アメリカ化される以前の直接的なアフリカの再発見などといったところで、そんなものは終わりが見えきった者が流れでやるしかない消化試合に過ぎぬことを、それでもあえてやるということに、ブライアン・イーノのその後の音楽の新しさが聴かれるのだろう。だから、楽曲としても、決定的に盛り上がりに欠けるし、線が細い。陳腐な言葉だが、終わりの始まりという奴なのか。反抗ですらない自滅なのか。音楽は楽しむためのものではない、と、最底辺のポテンシャルから北叟笑む、悪趣味の系譜の道標(墓標)である。全然関係ないかもしれないが、こたびの震災と津波で、15年間ほど家に引きこもっている40代男が、津波が迫っているから早く逃げろという母親のいうことを無視してまで家に閉じこもり続け、母親は息子を捨てて家から逃げたものの現在も行方不明、しかしこの40代男は家の二階ごと津波に流され、ドンブラコドンブラコうまいこと漂流の末、救助された、救助される際も、食糧が無いから渋渋外に出たが本意ではないという態度であった、というニュースを思い出した。うろ覚えなので事実と異なる部分もあるかもしれないし、小生の妄想かもしれないことを注記する。

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「the beach boys/smiley smile(1966~67?)tocp-3323」七夕崩れ



 下線部緊急追記(2011年7月16日午前9時)

 車の運転中、目にゴミが入る。かなり危険な状況が、こうもあっさりと、ありふれた事で生じるとは!本当に危なかった…目が二つある理由に、しっかと感謝する。

 百日紅や立葵、朝顔などと並んで夏の花を謳歌する槿(むくげ)の花をそこかしこで見かけるように…強烈な日差しの裏側の木陰で揺れる槿の花は青白さの先に向けて紅が淡く微か、全的に青ざめている衰えた印象…涼しげであるが何だか儚くも病的な印象である…結核患者を隔離する高原のサナトリウムで、闘病と云うよりも死をやり過ごすために待ち続ける浴衣姿の少女…竹久夢二絵のような…結核治療が確立される以前の結核治療方法というのは、決定打が見つからぬものだからあの手この手で思いつく限りの相当エグイものだったようだ…藤枝静男の私小説を読むと心が苦しくなる…脇腹に孔を空けて新鮮な空気を吹き込んだり、とか何とか…
 
 ここで駄歌を幾つか披露…

 山際の緑あくどいほどに濃い夕暮れ間近の白熱閃光
 紫陽花を燃やし尽くすか梅雨明けの夕暮れ間近の白熱閃光
 山の端にのぞく入道雲遠慮がち

 子供が見たらワッと、手が付けられぬほど泣き出すんじゃないのかこれは、と思わすものが存在した…枯れた笹を使った七夕飾りである…乱暴に扱われても故障ゼロのバンや軽トラックに使い込まれた機材や人足を矢鱈詰め込んだ一連の状況が山奥の現場や工場に向けて走りまくる、信号が無さ過ぎる県道…周囲の、きっちり田植えされた田園と石州瓦の豪農屋敷の点在といった、長閑な風景(小生からしてみればその風景も既に荒んで見えるが…)に無頓着に、暴力的にかような車両が行き交う荒んだ風景である…そうした県道の脇の畑が潰されて、老人が憩う施設として、アメリカンなウッドデッキがある時設えられた。夏は暑いし冬は豪雪だし春秋は極端に短いその地域、かような屋根が無く野晒しのウッドデッキで寛ぐタフな老人など見たことは無いのだが、その施設の入口らしき、丸太の門柱に、七月七日の数日前から、くだんの笹が縛りつけられていたのだった。縛り付けた当初は青々していたが時間が経って茶色に退色した、というのではない。縛り付けられた当初から、既にその笹は茶色に小汚く枯れていたのだった…嫌がらせとしか思えぬ…青々と瑞々しい笹に、願い事をしたためた真白き短冊やら稚拙ながら愛らしい色紙飾りなんかが結われ、さらさらと涼しい夜風に揺れている…多くの庶民が望む、そんな七夕の風情を真っ向から破壊するものが、よく分からんウッディな、決して老人には優しくない野晒し施設に飾られたということ…笹は枯れて、葉も幹(?)も、晩秋の飛蝗のように薄茶色であるが、飾りの色紙だけは退色せず鮮やかで、それがかえって禍々しさを増す。七月八日には撤去されていた。荒んだ労農県道脇の珍事は、真夏の夜の夢のごとく儚いものだが、それにもまして後味の悪さは拭い難くべっとりしている。

 三週間に渡る工場での勤労を終え、来週からまた本社(と工場との往復)勤めである…これはこれで地獄である…そういえば今年に入って報告書の類を全く書いていないなと気付き、早くもげんなりしている…何かしら実験や試作をする度に報告書を提出し、それが個人に対する社会社からの評価になり、一定のノルマは無論課せられている状況なのだが、思想的にこれ以上耐え難い処まで来ている…原因と結果の恣意的数珠繫ぎを社会通念に喜ばれる範囲内で作成するよう言外に強要される事に対して、もう吐き気を催す所まで来ている…国鉄の懲罰的日勤教育や極左の自己批判や物語大好き検察の妄想調書へのサインのように、自分の思想信条と反したことで洗脳されようとする思想的拷問に等しい…自然科学技術とは所詮、政治的フィクションに過ぎぬ…この事の論証は、既に先週、広島を訪れた友人との時局的対話において大いに論じ合ったのでここでは繰り返すつもりはない…美味しいウイスキーを飲ませる流川のバー「ウスケボ」、素敵なお店でありました。カウンターテーブルの分厚さや丸み、ツヤが、お店の中の琥珀めいた時の流れをゆっくり整流するようで…時間も空間も芳醇ウイスキーで満たされる至福の時を見事に演出していた。月に一度くらい、系統的にウイスキーを嗜むために訪れたい店である…
 些細な事ではあるが、工場での重労働中、珍事があったので備忘のために。予め階級化されていない人が複数、何らかの事業を全うするために集められると、たとえ階級化されていなくとも、自ずと、リーダー的存在というのが頭角をあらわすものである…有史以来、狩猟採集や農耕牧畜、手工業重工業サービス産業政治その他に例外なく、こうしたことは起こるのだろうし、それによって今日の文明文化生活が成立しているのも否めないが、小生とは無縁の存在であるのも確かだ。生産が間に合わず追加要員として本社から派遣された人が、同じ場所に居ると自ずと醸し出される、気配りや行動力、声の大きさ等の性状の突出によって、俄的リーダー的存在となっていった。彼は、持ち前の仕事力人間力をここでも発揮せんとして、ここをもっとこうしたら効率がいいのでは、みたいな、作業手順の改良を皆に提唱しつつあった…彼の本社での仕事は抜本的な工程改善などだから当然の発想ではあった…確かに彼のいう程度の改善ならば工場の現場責任者の許可なくとも出来るだろうし、事後報告でも済む程度だろう、しかし…「こっちは作業しながら、溺れる者のみが掴みうる栄光の藁とも云うべき音楽を反芻したり、諸般や将来について思索したりしているんだ。作業方法を変えられたらそっちの方にしばらく頭を使わなければならないじゃないか。蟻の頭についている複眼のそのまた一つに過ぎぬ程度のことで俺の思索を乱すな。この期に及んで、小賢しい知恵を振りかざすな。気付け!」と、憎悪が心をどす黒く染め上げるのを、小生、自覚した…人間機械の完成である。結局、兎に角目の前に容赦なく迫る、秒単位で設定された過酷な生産ノルマを達成するのに頭よりもまず手を動かさないといけないことに気付いたのか、日が経つにつれて彼も口数が少なくなり、ついには無言となった…こうしてまた一台、人間機械が増設された。
 
 さて、ビーチボーイズのスマイリースマイルについて。小生が勤労中、心の中で最も多く反芻したのが、このアルバムであった…聞く者の心を壊すアルバムであるが、もう、これくらいの音楽でないと聞く気がしない、しかし聞くと心が壊れる…もう、壊れてしまったのだろう…スマイルに比べると、ペットサウンズの楽曲は曲の輪郭や構成ともにくっきりしっかりして聞こえる…ペットサウンズは境界領域の音楽であるが、スマイルは、もう、彼岸に行ってしまった音楽なのである…そんな音楽しか、自分の心に糸をつけることができぬようになってしまった…出勤中、そして勤労中、ほぼ毎日、泪で視界が霞むほど、悲しくて仕方が無かった…ああ、何もかも悲しくて明るい、透き通っているが何も見えない…何も見えないという時にこそ、聞こえるという境地に至る…そして、聞こえるのはこの音楽である…この事実に比べれば、盲目の人が検校や津軽三味線やブルースを生業にさせられるという史実は卑俗な事例にすら思える…
 前触れ無く始まる。前触れという雰囲気作りが整わぬまま始まるということは、前提が無いということである。何も定まらぬまま、未熟に弾き出される、繊維が剥き出しの風に戦ぐ葦のような衰えた歌が、はじまりというものの不当と無残を陽気に歌う…生まれることを意識せぬまま卵から世に出た、内臓まで透明に剥き出しの稚魚の無防備が、そこかしこでの早速の捕食という当然過ぎる残酷もありつつ、やはり無心理で苦悩が思いつかれない程の事の移り行きによどみが無い。絶え間なく移ろう気象への過敏…晴れ間から日差しが注ぐ明るみを見上げた刹那、どんより黒黒と曇る雲行きの怪しさを感知するがそうした雲もまた明るみを増す目まぐるしさのいちいちに新鮮に応ずる、中味のない剥き出しの無邪気な神経性である。生まれいずることの無かった水子たちの囃し唄が、生まれ出てしまった者が大人びた声を上げて発する多大な恐れをあやす子守唄になる…なぜそうなるのか、それ以上言葉が進むのが拒絶されつつ、ただただそうなっている事に対して親は感情が喜怒哀楽の形を成さずに泣き崩れるのみである。ここまで、このアルバムについて思いを致すならば、楽曲を織り成す斬新な曲構成やアレンジ、テルミンやチェロなどの特異楽器や野菜を齧る音といった技術的な事に対して言及する気も失せる…
 ところで、ビーチボーイズのペットサウンズがビートルズのラバーソウルからの衝撃により作られたという逸話がある。こんなことは誰も指摘しないが、ロック史上、この伝説はビートルズ史観を補強する最強の基盤となっていると思われる。「あのペットサウンズさえも、ビートルズの影響を受けてできたんだ…」という論法である。これについては、今後、小生が展開するペットサウンズ論において徹底批判する予定である。
 概念の当てはめ作業に興味は無いが悪い癖で一応指摘しておく。以前にサイケデリアの諸条件に示したが、ザ・マザーズやザ・フーのように、ビーチボーイズもまた、「男たちの顔が皆、異なる」。ビーチボーイズ、とりわけブライアン・ウイルソンや、そしてスマイル作製の友であったヴァン・ダイク・パークスもまた、アメリカ音楽における点在する系譜たる、孤立した特異点である。

 わが病のその因るところ深く且つ遠きを思ふ目を閉ぢて思ふ
 こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ

 石川啄木

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今週休載のお知らせ 梅雨明け

今週はいろいろあって、休日出勤もさせられ疲労困憊しておりますので休載いたします。

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「デキシード・ザ・エモンズ/SOMETHING Dew(1996)k.o.g.a-103」夏至




 菊でいえば厚物咲よりも平弁や管弁などの小ざっぱりと風通しのよい簡素な品種に心惹かれるし、そういう意味で紫陽花も、ガク弁が赤子の頭部大に折り重なった、市井の路地裏では一般的な厚物よりも、山紫陽花などの、中央部に楕円星雲のように虫の複眼のように濃紫の小粒が集結した周りに、はらはらと疎らに花びらのようなガク弁が蝶のように舞う、簡素にして精妙に工夫された生態に心奪われる…

 NHKタイムスクープハンター、毎週楽しく拝見…だいぶ前の、室町時代の闘茶レポートでは使用されていた茶碗があの時代にはあり得ぬ品ばかりで辟易したが、最近のレポートでは、昔の人の、侍や農民なんかの月代(さかやき)が、異様にリアルだ…頭頂まで剃り上げた跡に、薄汚い産毛まで生えていたり、頭側の髪をひっつめて油で撫で着けているべとつき感も生々しい…かつらには見えず、まさか本当に役者さんが月代を剃っているのだろうか。

 朝…工場での仕事の前に何が何でも脱糞しなけらばならぬ事に何よりも気を使わなければならぬ惨めな状況となっている…間断なく製品が流れて来、いちいち加工しなければならぬ工場労働に、自由に排泄する自由などない…始まってしまえばそこから決して動けぬ…監督者どもによる、あらゆる方向からの絶えざる監視…まさに監獄の誕生(M・フーコー)は監獄というよりも産業革命後の工場制手工業において広く社会化されたようだ…山奥の現場までの1時間45分あまりの運転(毎朝6時起き…耐えられない)による微妙な運動が括約筋に刺激を与えるという素地があって、いざ労働が始まると激しい運動により腸が活性化され確実に便意を催すは必定、しかし労働が始まれば脱糞は許されぬので始業前に必ず脱糞する必要があるのだ…従って、以前にもどこかで書いたが、山奥の現場に向かう途中の、つまらぬ県道脇の郊外型コンビニで脱糞しなければならないことは相当切実である…そして、こうした位置づけのコンビニの便所は、毎朝、同じような理由で脱糞したがる現場系の男たちがひっきりなしに出入りする、朝っぱらから心底荒ませる状況が露わなのである…そして自分もその一員なのである…あああ、何だかもう、本当に荒んでくるなあ、と心の声を絶叫しつつ、モーニングを手に取り「へうげもの」を立ち読みしながら先客が終わるのを待っていると、その日は、いつもと違って、異様に長い…始業に間に合わなくなるし、意識的に早めた便意もあって、たまらず、ドアをノックしたり軽く蹴ったりするが、一向に出てくる気配がない…だいたい長くて5分だろう、こいつは15分以上も便所で何やってんだ、一つしかない貴重なコンビニの便所をいつまで独り占めする気だこの野郎、と思っていても、便所のドアの向こう側からは何やらカチャカチャとベルトのナックルを震わす音をさせるのみで、出てこない…糞、朝っぱらから最悪だ、もうこいつは待てない…という事で工場に向かい、着いて、便所に行くと、案の定、労働者たちが全個室でりきんでいる始業前ぎりぎりの時間…最悪だ…

 かような、直腸周辺での切迫した状況と同時進行で、通勤(=出頭)中の車の中で聴く音楽の存在はかなり切実である…1日10時間近く、ただひたすら、一つ一つでは単純な要素作業が、人間がある時間内にこなしうる限界量まで詰め込まれた作業を文字通り休む暇なくしなければならない労働環境…2時間おきに休憩があるとはいえ、精神衛生にはすこぶるキツめである…慣れぬ内はそれでもあっという間に時間が過ぎるが、慣れてくると、時間の経過の遅さが、懲役並みに苦痛となってくる…時間を意識し出すと、たとえばまだ5分しか経っていないのを時計で知って、愕然たる絶望に襲われるものだ…気が狂いそうになる…隣にいる、商業高校卒の女性が、ぶつぶつ、「気が狂いそう」「気が狂いそう」…そのように呟くことで、その呟きがある種のリズムとなって忘我の境地に自らを至らしめ、つらい現実を気休めでも軽減しようとしているのだろう…立ちっぱなしで、加えて荷の上げ下ろしもあるしで足が真鱈の干物のようにつってくるし腰は石臼のように鈍重に痛む、そして何よりも、インダストリアルな理由が指先に、ある特殊な動きを何度も強いる、しかも一回やっただけでも指がおかしくなるほど力を籠めないといけないのだから、指を動かす特定の腱が切断しそうな恐れと実際の痛みに襲われる…何度も、というのは、1個作るのに7工数ほど、それを10時間の内に650個ほど作る、という内訳である。そうした労働時間をやり過ごすのに、件の女性工員は一定のリズムで「気が狂いそう」と呟くのと同じ効能を期待して、小生は、頭の中で、記憶した音楽を何度も何度も再生させるのである…そのために、通勤中に音楽を記憶することに必死なのである…記憶するために聴くという事…そのうち、聴くという事が記憶の反芻へと自閉しつつ、これから確実に訪れる過酷な労働を恐れながら、諸々の人生状況もこの際ひっくるめて、先走る惨め、汚辱、情けなさや焦燥、不甲斐無さや荒みや乾ききった渇望などと共に、こらえ難く、音楽を思念の中でひたすら再生し続けること…指定された動きを、はた目には滑稽に繰り返しながら、いつしか周囲の騒音も自分の行為も消え去りながら、自分が掴みとった音楽を、記憶力が悪いからアルバム一枚分とはいかずある曲の一部分のみを、徹底的に繰り返すしかなかった。これもまた切迫しているが、2時間おきの休憩で、座る場所がない…トイレから現場に帰ったら、誰もいない…みなさんどこで休憩しているのだろう。脚がつってきついので1分でもいいから座りたいのに、現場には座る場所はない…休憩中電気消しているので暗い現場で1人、立ちっぱなしで作業開始を待つ。4時間立ちっぱなしはきつすぎる…かといって人に休憩場所を聞けるほどのコミュニケーション能力はないし、あったとしても発揮するつもりは全くない。持ち前の孤立のせいとはいえ、きつすぎてこれではあと2週間も続けられないよ…

 特に今宵はデキシード・ザ・エモンズの音楽性について語りたいわけではない。かような状況下で、たいした理由もなく、なんとなく暢気で穏やかな、どこか枯れた雰囲気のロックで労働をやり過ごそうと思って、本作を手に取ったまでであった。しかし、それでも、迂闊だった…ボーナストラックのドッグスとオール オア ナッシング…ドッグスは、誰かのカバーなのだろうか、詳細は忘れてしまった、オール オア ナッシングはスモールフェイセスのカバーだろう…ドッグス…自分の状況とは関わりなく楽しくやってそうな、気のいい連中の野放図なコーラスと、悲しい人間の声…他人が楽しそうなのが、たまらなくうれしく思える虚ろな感謝の念…オール オア ナッシング…本当にその通りだ…全てか、無か、こんなにも残酷なことが、希望や美ですらなく、ひたぶるに心を打つ妙境…次に眠ってしまえばそのまま死んでしまいそうな、優しい荒みというものなのだろう…もう何も言うまい、小生が、労働している間、ずっと記憶の中で反芻していたのは、結局、この二曲であったことを特筆するだけで十分だろう。不覚にも運転中と労働中、はらはら溢れそうな涙で視界が霞んだ危険をも伴っていた。
 
 デキシーについて一言云えば、彼らは、スモールフェイセスのカバーにあっては、原作と区別がつかぬほどの、しかし妄執を感じさせぬほどの自然さで正確無比にコピーしてくる、ということを指摘するに留めたい。声色までスティーブ・マリオットそっくりだ。絵画のデッサンや書道の臨書のように、スモールフェイセスをきっちりカバーするということが、彼らの音楽の核となっている。

 そして、テレビで、福山で骨董市があることを知るや否や、矢も盾もたまらず早速、出かけた…とんでもない品々に出会い、お助けしてきたが、それについては長くなるのでまたの機会に。写真では分かりづらいが、参考までに。肉眼で実物見ると本当に凄まじい品です。

阿部智康:ベースギター、オルガン、ピアノ、スティールギター
ハチマ氏:ファズギター、ベースギター、ドラム

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「van morrison/astral weeks(1968)us:1768-2 europe:246024」夏至



 下線部緊急追記(2011年6月26日午前9時50分)

 朝のニュース番組…膝上30cmの短いスカートから生脚を見せる、甘ったるい顔の女性レポーターが最近多く感じる…朝から甘ったるくて気持ち悪い…どこまでも従順に保守的な人格がうかがえる…一方で、女性の服を売っているショップで、ブラウス売り場をまさぐる小生…「これは工夫が凝らしてある」「この刺繍とヒラヒラの造形が斬新であるな」「ガーゼ生地か…ナチュラルよの…」などとぶつくさ思いながら、女性客や店員の目も多少気にしつつ、全品きっちり目利きする。

 クーラーから出る機械音ではなく、冷風がさあさあ出る音が好きだ…よく耳を澄ますと、わずかな乱流が、風向きを指定する魚の鰭の如き舵のような部材に当たるためなのか、夜水引き入れた田にぬるむ蛙どもの鳴き声まで聞こえるようだ…乱流の音が蛙に聞こえるのか、それとも本当に、クーラーの冷風音に混じって蛙の下戸下戸も混じっているのか分からぬ…クーラーを消せばその真偽明らかになろうが、暑すぎてそれは出来ぬし、それをはっきりさせる気も、毛頭ない…クーラーも蛙も、有ろうが無かろうがさわさわ下戸下戸鳴いておるよ…。

 先週末、大阪、雨の新世界、鶴橋温床旅行から帰る…過ぎ去ってしまったということが今だ納得しえず、今週の金曜日、大阪への旅の支度をいそいそと始めてしまいそうな自分がいた…もう終わってしまった事なのに、それが過ぎ去ってしまった事への深甚なる心のうろたえは自分でも計り知れず、夢見心地と虚脱感で地に足つかず生活の実際に萎えきっている…国立民族学博物館の、圧倒的な数量と質の民族収蔵品を思い出すにつけ、メルビルの白鯨を読むのが一層面白う感ずる…文明と文化が各国で一体化していた時代を思い、西欧科学技術が文明を文化から拉致した挙句、文明=科学技術へと矮小化され統制化された現在を思う…まあ、何にしても、名品というのは思いの外デカいな、とつくづく思う…大人ぐらいの直径の石貨も立てかけてあったし…新世界で串カツとビール、外は割り切れぬ雨模様…最近小生がウイスキーを嗜むのを知っている友人から、どういった銘柄を飲んでいるのか聞かれ、「黒ラベル」と答えてしまう愚かしい始末…どこまで惨めに、情けなくなれば気が済むのだろう、小生は…黒ラベルはサッポロビールの銘柄だろう…しかもこのビール、小生は飲んだ事も無いのに、自堕落にテレビやなんかの宣教に洗脳されて、宴の先発のビールによる、忍び寄る老いによるいささか早すぎる酔いがあったとはいえ、決定的な間違いを真顔で晒してしまったのである…どうしてこういう大事な時にこういう間違いを犯してしまうのだろう、思えば、一事が万事、こうした些細な体たらくでいろんな事態を台無しにしている気がする…ニッカウヰスキーのブラックのことなのだろうと件の人にフォローされ、話の流れで、表面上は何事も無かったかのようにその話は過ぎたが、意味も無く、忸怩たる思いは、内容の無い悔悟と共に渦巻いていたのである。その時、きちんと正確に答えられたからと云って、小生が日頃悶々と考えるでもなくまとまりもせぬが徒に怨念のように蟠りがきつうなるその一端でも披瀝できるかと云えばそんな器量があるはずもないのだが…彼のあの発言に対して、こう云えば、もっと話は深まったかもしれない、小生の取るに足らぬ拘泥疑獄がへどろのように吐き出せたものを…といぎたなく後悔したところで、一週間たった今となっては、どの発言に対してどういうべきだったのか、その内容丸ごと忘れてしまい、あるいは、そもそも何も思っていない、内容すらもともと無かったのかもしれず、どうしようもない…同じくどうしようもないニーチェを読む…ふて腐れて荒んだ、山の現場の職人らが週刊現代とか週刊大衆などを睨み付けるようにして、足をトラックのハンドルの上に投げ出しながら読むように、小生は、善悪の彼岸などを、憂さ晴らしに週刊誌感覚で読む…哲学や教養が到達しえた、最高にして最低の書物。告白というほどでもないが、小生は週刊大衆や週刊現代や週刊実話なんかも、憂さ晴らしのために実際に読みまくっている。だから、ああいうのを読んでしまう人間の荒んだ気持ちというのは痛いほどよく分かる。書物は下劣なだけでも構いはしないのだが…。製品の不具合が見つかり緊急の設計変更となり現場では対応できないため、来週から手作業で片っ端からやらされる、工場での勤労をとりあえず三週間限定で命じられる…若年性認知症ほどではないが認識やら実行やらが軽く壊れている小生がやるのだから、しくじるのは必定、仕事を増やし続け怒鳴られ続けるのは目に見えている。労働基準法ぎりぎりまでの残業と休日出勤を一方的に強制通告される…こういうのを、剰余価値説における、資本主義による搾取という…しかし、日頃の、組織の制度と人間の感情との狭間で渡り合うことが不可能なことによる水圧のような出口無き軋轢や恨みから一時的に解放されはする。それでも、いずれにせよ生活地獄である…いずれにせよ毎日くさくさしている。その手で何一つとして物を作ったことがないアナウンサーや評論家どもが物作り立国などとのたまうのは論外に吐き気がするが、一方で、実際に物を作っている人間の、一見如何に謙虚に見えようとも、その社会的安定感から嗅ぎ付けることもできる、生産体制を後ろ盾にした傲岸不遜なる態度も気持ち悪い。この生産体制を何とか破壊できないものか…破壊できるとしたら、自分しかいない、己の身を挺して…。

 ヴァン・モリソン。英国。是無の声…極度に粘っこい声質だが熱いということは決してなく、むしろ冷たげなのが不思議である…雪原が荒漠たる岩の島の底にはマグマがとぐろ巻いているアイスランドのような国柄なのかアイルランド気質なのか…兎に角粘っこく、端的に、うるさいといっていい。全然ソウルフルなんかじゃない。25年ほど前の日本の電気製品の興亡を知っている世代の人がたまに「ファジー」という言葉を使うのを聴くと、その当時の記憶を有する小生でさえも何となく鼻白む思いが拭えぬ…自然現象や数理現象を複雑系で捉えるのが流行った時代、揺らぎとか1/f揺らぎとかがもてはやされ、そうした理論に基づいた動きが人間に優しいという事で扇風機の風量の振幅に応用されていた頃…ヴァン氏の音楽はまさにファジーに、人のノリを容易に許さぬ不確定な揺らぎを備えた珍妙なリズムを繰り出してくる…楽曲に、その楽曲とは別個に設えられたかのような薄暗いストリングスが不安定に打ち寄せてくる…地震の長周期振動に揺れる高層ビルの上での体感のような、気持ち悪い揺れがまことに大きくうねる。いわゆるプログレの変拍子のような、凡俗のリズムからの尖った反抗的逸脱とは異なり、音を聴取し始めた時点で決定的にずれてしまっている違和というのが、将来解消される可能性が絶無なままに、ようするにおかしいのである。何の技巧も仕掛けも突出することなく、極めて自然にずれてしまっている。他の楽曲も、たとえば、フルートやらドラムやらが、それぞれ互いが聞こえない丘の上で自主練習している音を、何の調整も無くスタジオワークで合体させてしまったかのような、それぞれの楽器の、リズムに追従せぬ気ままさがのどかに狂っている。しかしそれぞれの楽器演奏がこれ見よがしな前衛的にずれているわけでもなく、ぎりぎりの処でまとまっているように聞こえて、しかし、それが偶然によることをきちんと知らしめてくる、そういう意味で生活感あふれる音楽なのである。アイルランドがどうのロックがどうのジャズがどうのと云おうと思えば云えるのだろうが、彼の音楽に、そんな説明は侮蔑であろう、途方もない珍妙音楽がここにあった、今もある、と、放置するべきだ。二日前に、百円を拾った。

van morrison:vocals, guitar
jay berliner:guitar
richard davis:bass
connie kay:drums
john payne:flute, soprano saxophone
warren smith,jr.:percussion and vibraphone

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「しずこころなく」松尾

 今日は夏のループタイ作りにいそしむ…指先を現実に動かしながらの、承認された物理現象と四苦八苦する、思い通りになったりならなかったりの手作業は人の心を薄気味悪い健康へと導くのか、何も書く気が起きぬ…おかげで日々の課題の秘密文書執筆も遅々として進まず、気乗りせずともそれこそが、執筆遂行の境地と考え、おからを紙になすりつける不毛さを書き綴るも、それさえも持続を許さぬ何もなさ…悟ったわけでもなく苦悩は徒に深甚を極めるが葛藤すらもまばらに解ける痴呆化は着実であろう…秋のループタイの部材探索のため大型ショッピングモールに出かけ、店内ブラブラ…すると、女性服飾店のマネキンが、襟の無いブラウスにループタイを着けていた。装飾留め具はチャラい品であったが、確実に時代が小生に追いつきつつあるようだ…NHK会社の星…仕事に役立つ漫画…心底下らぬ…奇しくも6月9日ロックの日、うれしくも無く誕生日を迎えた小生は齢33を迎えてただ愕然とするより能が無かった…30にして立つ(而立)、40にして惑わず(不惑)と論語か何かにあるが、闘病中の野坂昭如先生の小説で、論語か何かのくだんの箇所を痛烈にもじったところがあったと思うがどんなだっただろうと、その部分を引用したくて骨餓身峠死人葛などのページをめくるが見つからない…うろ覚えよりももっと忘れているのでどんな文句だったか表記すらできない…そしてやはり愕然とするのは、会社の星に出てくるスマートで小奇麗な連中と、骨餓身峠死人葛の業の深すぎる人間模様の歴然たる隔絶である…秋のループタイ作りの部材探索のため訪れたレゲエ骨董屋で獲物を連れて帰るついでに久方ぶりに立ち寄った大型レコード店でジョニー・ウインターのライブ盤を連れて帰り、車の中で聴くが、これは最低でも1週間連続でしっかり聴取しないといけないぞ、ということになり、はたまた、たまたま目に留まったドイツの物音実験音楽で今宵は御茶を濁そうかと思うたがこれも気乗りがせず、したがって、何も書けなかった。来週は大阪へふらふらするので休載します。

 

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