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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the beach boys/smiley smile(1966~67?)tocp-3323」七夕崩れ



 下線部緊急追記(2011年7月16日午前9時)

 車の運転中、目にゴミが入る。かなり危険な状況が、こうもあっさりと、ありふれた事で生じるとは!本当に危なかった…目が二つある理由に、しっかと感謝する。

 百日紅や立葵、朝顔などと並んで夏の花を謳歌する槿(むくげ)の花をそこかしこで見かけるように…強烈な日差しの裏側の木陰で揺れる槿の花は青白さの先に向けて紅が淡く微か、全的に青ざめている衰えた印象…涼しげであるが何だか儚くも病的な印象である…結核患者を隔離する高原のサナトリウムで、闘病と云うよりも死をやり過ごすために待ち続ける浴衣姿の少女…竹久夢二絵のような…結核治療が確立される以前の結核治療方法というのは、決定打が見つからぬものだからあの手この手で思いつく限りの相当エグイものだったようだ…藤枝静男の私小説を読むと心が苦しくなる…脇腹に孔を空けて新鮮な空気を吹き込んだり、とか何とか…
 
 ここで駄歌を幾つか披露…

 山際の緑あくどいほどに濃い夕暮れ間近の白熱閃光
 紫陽花を燃やし尽くすか梅雨明けの夕暮れ間近の白熱閃光
 山の端にのぞく入道雲遠慮がち

 子供が見たらワッと、手が付けられぬほど泣き出すんじゃないのかこれは、と思わすものが存在した…枯れた笹を使った七夕飾りである…乱暴に扱われても故障ゼロのバンや軽トラックに使い込まれた機材や人足を矢鱈詰め込んだ一連の状況が山奥の現場や工場に向けて走りまくる、信号が無さ過ぎる県道…周囲の、きっちり田植えされた田園と石州瓦の豪農屋敷の点在といった、長閑な風景(小生からしてみればその風景も既に荒んで見えるが…)に無頓着に、暴力的にかような車両が行き交う荒んだ風景である…そうした県道の脇の畑が潰されて、老人が憩う施設として、アメリカンなウッドデッキがある時設えられた。夏は暑いし冬は豪雪だし春秋は極端に短いその地域、かような屋根が無く野晒しのウッドデッキで寛ぐタフな老人など見たことは無いのだが、その施設の入口らしき、丸太の門柱に、七月七日の数日前から、くだんの笹が縛りつけられていたのだった。縛り付けた当初は青々していたが時間が経って茶色に退色した、というのではない。縛り付けられた当初から、既にその笹は茶色に小汚く枯れていたのだった…嫌がらせとしか思えぬ…青々と瑞々しい笹に、願い事をしたためた真白き短冊やら稚拙ながら愛らしい色紙飾りなんかが結われ、さらさらと涼しい夜風に揺れている…多くの庶民が望む、そんな七夕の風情を真っ向から破壊するものが、よく分からんウッディな、決して老人には優しくない野晒し施設に飾られたということ…笹は枯れて、葉も幹(?)も、晩秋の飛蝗のように薄茶色であるが、飾りの色紙だけは退色せず鮮やかで、それがかえって禍々しさを増す。七月八日には撤去されていた。荒んだ労農県道脇の珍事は、真夏の夜の夢のごとく儚いものだが、それにもまして後味の悪さは拭い難くべっとりしている。

 三週間に渡る工場での勤労を終え、来週からまた本社(と工場との往復)勤めである…これはこれで地獄である…そういえば今年に入って報告書の類を全く書いていないなと気付き、早くもげんなりしている…何かしら実験や試作をする度に報告書を提出し、それが個人に対する社会社からの評価になり、一定のノルマは無論課せられている状況なのだが、思想的にこれ以上耐え難い処まで来ている…原因と結果の恣意的数珠繫ぎを社会通念に喜ばれる範囲内で作成するよう言外に強要される事に対して、もう吐き気を催す所まで来ている…国鉄の懲罰的日勤教育や極左の自己批判や物語大好き検察の妄想調書へのサインのように、自分の思想信条と反したことで洗脳されようとする思想的拷問に等しい…自然科学技術とは所詮、政治的フィクションに過ぎぬ…この事の論証は、既に先週、広島を訪れた友人との時局的対話において大いに論じ合ったのでここでは繰り返すつもりはない…美味しいウイスキーを飲ませる流川のバー「ウスケボ」、素敵なお店でありました。カウンターテーブルの分厚さや丸み、ツヤが、お店の中の琥珀めいた時の流れをゆっくり整流するようで…時間も空間も芳醇ウイスキーで満たされる至福の時を見事に演出していた。月に一度くらい、系統的にウイスキーを嗜むために訪れたい店である…
 些細な事ではあるが、工場での重労働中、珍事があったので備忘のために。予め階級化されていない人が複数、何らかの事業を全うするために集められると、たとえ階級化されていなくとも、自ずと、リーダー的存在というのが頭角をあらわすものである…有史以来、狩猟採集や農耕牧畜、手工業重工業サービス産業政治その他に例外なく、こうしたことは起こるのだろうし、それによって今日の文明文化生活が成立しているのも否めないが、小生とは無縁の存在であるのも確かだ。生産が間に合わず追加要員として本社から派遣された人が、同じ場所に居ると自ずと醸し出される、気配りや行動力、声の大きさ等の性状の突出によって、俄的リーダー的存在となっていった。彼は、持ち前の仕事力人間力をここでも発揮せんとして、ここをもっとこうしたら効率がいいのでは、みたいな、作業手順の改良を皆に提唱しつつあった…彼の本社での仕事は抜本的な工程改善などだから当然の発想ではあった…確かに彼のいう程度の改善ならば工場の現場責任者の許可なくとも出来るだろうし、事後報告でも済む程度だろう、しかし…「こっちは作業しながら、溺れる者のみが掴みうる栄光の藁とも云うべき音楽を反芻したり、諸般や将来について思索したりしているんだ。作業方法を変えられたらそっちの方にしばらく頭を使わなければならないじゃないか。蟻の頭についている複眼のそのまた一つに過ぎぬ程度のことで俺の思索を乱すな。この期に及んで、小賢しい知恵を振りかざすな。気付け!」と、憎悪が心をどす黒く染め上げるのを、小生、自覚した…人間機械の完成である。結局、兎に角目の前に容赦なく迫る、秒単位で設定された過酷な生産ノルマを達成するのに頭よりもまず手を動かさないといけないことに気付いたのか、日が経つにつれて彼も口数が少なくなり、ついには無言となった…こうしてまた一台、人間機械が増設された。
 
 さて、ビーチボーイズのスマイリースマイルについて。小生が勤労中、心の中で最も多く反芻したのが、このアルバムであった…聞く者の心を壊すアルバムであるが、もう、これくらいの音楽でないと聞く気がしない、しかし聞くと心が壊れる…もう、壊れてしまったのだろう…スマイルに比べると、ペットサウンズの楽曲は曲の輪郭や構成ともにくっきりしっかりして聞こえる…ペットサウンズは境界領域の音楽であるが、スマイルは、もう、彼岸に行ってしまった音楽なのである…そんな音楽しか、自分の心に糸をつけることができぬようになってしまった…出勤中、そして勤労中、ほぼ毎日、泪で視界が霞むほど、悲しくて仕方が無かった…ああ、何もかも悲しくて明るい、透き通っているが何も見えない…何も見えないという時にこそ、聞こえるという境地に至る…そして、聞こえるのはこの音楽である…この事実に比べれば、盲目の人が検校や津軽三味線やブルースを生業にさせられるという史実は卑俗な事例にすら思える…
 前触れ無く始まる。前触れという雰囲気作りが整わぬまま始まるということは、前提が無いということである。何も定まらぬまま、未熟に弾き出される、繊維が剥き出しの風に戦ぐ葦のような衰えた歌が、はじまりというものの不当と無残を陽気に歌う…生まれることを意識せぬまま卵から世に出た、内臓まで透明に剥き出しの稚魚の無防備が、そこかしこでの早速の捕食という当然過ぎる残酷もありつつ、やはり無心理で苦悩が思いつかれない程の事の移り行きによどみが無い。絶え間なく移ろう気象への過敏…晴れ間から日差しが注ぐ明るみを見上げた刹那、どんより黒黒と曇る雲行きの怪しさを感知するがそうした雲もまた明るみを増す目まぐるしさのいちいちに新鮮に応ずる、中味のない剥き出しの無邪気な神経性である。生まれいずることの無かった水子たちの囃し唄が、生まれ出てしまった者が大人びた声を上げて発する多大な恐れをあやす子守唄になる…なぜそうなるのか、それ以上言葉が進むのが拒絶されつつ、ただただそうなっている事に対して親は感情が喜怒哀楽の形を成さずに泣き崩れるのみである。ここまで、このアルバムについて思いを致すならば、楽曲を織り成す斬新な曲構成やアレンジ、テルミンやチェロなどの特異楽器や野菜を齧る音といった技術的な事に対して言及する気も失せる…
 ところで、ビーチボーイズのペットサウンズがビートルズのラバーソウルからの衝撃により作られたという逸話がある。こんなことは誰も指摘しないが、ロック史上、この伝説はビートルズ史観を補強する最強の基盤となっていると思われる。「あのペットサウンズさえも、ビートルズの影響を受けてできたんだ…」という論法である。これについては、今後、小生が展開するペットサウンズ論において徹底批判する予定である。
 概念の当てはめ作業に興味は無いが悪い癖で一応指摘しておく。以前にサイケデリアの諸条件に示したが、ザ・マザーズやザ・フーのように、ビーチボーイズもまた、「男たちの顔が皆、異なる」。ビーチボーイズ、とりわけブライアン・ウイルソンや、そしてスマイル作製の友であったヴァン・ダイク・パークスもまた、アメリカ音楽における点在する系譜たる、孤立した特異点である。

 わが病のその因るところ深く且つ遠きを思ふ目を閉ぢて思ふ
 こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ

 石川啄木

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