- 2025.05.14
[PR]
- 2015.10.04
「車輪付き旅行箱のガラガラ音」
- 2015.09.27
「ジュンテンドーのテーマ」
- 2015.09.20
今週休載
- 2015.09.13
「城ミチル/イルカに乗った少年(2015バージョン)」
- 2015.09.06
「私設応援団/丸のテーマ(20??)」あるいは不穏Ⅳ
- 2015.08.30
「strawberry alarm clock/the world in a sea shell(1968)mvce-22009」
- 2015.08.23
不穏Ⅲ
- 2015.08.14
余熱そして休み
- 2015.08.09
安全保障談話
- 2015.08.02
「あぶらだこ/[亀盤](1988)tkca-70829」
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「車輪付き旅行箱のガラガラ音」
鈍器で殴られたような眠気に吐き気すら覚えつつ眠るのも体力が要る老いを痛感しつつ眉間に皺を寄せて昼寝に成功した直後に付けたテレビではガンダムの新シリーズ鉄血のオルフェンス、朝っぱらから無理矢理プリキュラとか強制視聴させられて昨今の、テレ東以外の地上波で垂れ流されるアニメの劣悪ぶりに辟易、こんなの作ってて製作陣は楽しいのかと疑念を抱かざるを得ないのだがさすがにガンダムの新シリーズは気骨に溢れ、製作陣の熱意が伝わる、鑑賞に堪える出来栄えであった。昨日は、いささか不便な処にあるが潰す訳にはいかないから月に一回は訪ねようと思っている良心的な、書肆というものをよく分かっている品揃えの古本屋景雲堂まで歩いて行った疲労や思いの外金継ぎにてこずる羽目になった苦悩、昨日の対ヤクルト戦、4-1でほぼ勝ち試合だったのを8回大瀬良が炎上してその後の中継ぎも傷を広げるばかりでまったく駄目でまさかの逆転負けという、これまでも一抹の不安要素の残る投球内容だったが此の重大局面で明白なる戦犯を演じるという現実への頭痛…技術は兎も角メンタルが弱すぎる大瀬良もさることながらその後の中継ぎ陣のメンタル&技術の両方の弱さは本当に使えない感じがありありとしていて中継ぎ陣への絶対的不信感と云うシーズン当初から引き摺る此のチームの宿あが此処に来て…先発への負担が大きすぎる。あ、今日の対阪神戦では6-0で快勝、9回途中まで先発黒田を引き伸ばす、大瀬良は使わないと云う当然の監督采配…今回も、男気あわや完投の黒田で9回2アウト1,3塁のピンチから交代してきっちり抑えた肝の据わった勝負強い中崎への尊崇の念が否応なしに高まる。
虎視眈々と狙うは金継ぎならぬ銅継ぎであり…岩国の骨董市でお助けした源内焼…二枚の皿がシャム双生児みたいに繋がっていると云う有り得ない珍品だが…緑釉の縁が所所欠けた箇所を緑のマジックみたいなので誤魔化してあったからそこの処を漆で補修して銅粉を蒔く、という目論見…銅粉は入金済み、後は先方からの入金確認と発送待ちなのがもどかしい…銅を蒔いた暁には時が経つにつれて味わい深く緑青を吹き、緑釉と馴染む事だろう…何にしても矢張り金は高価だ(金粉は0.1gで1000円ほど、銅粉は25gで240円)…痛恨のしくじりはファイヤーキングの耐熱ガラスカップ…体の内部から真珠のように自光するが如くのルノワールの裸婦の肌色を呈しており…しかしお助け前からなのか、それとも小生が輸送中にやってしまったものなのか取っ手に罅が入っており…それを補強すべく接着剤を罅に回し掛け、欲が出てもっと掛けてやろうとしたら案の定垂れて見苦しくなり、漆の余分な部分を除去するのに実績のあった、つまり器の釉薬を傷つけなかった水ペーパーで垂れた接着剤を取ろうとしたらルノワールの肌が傷だらけで色気ある艶を失うという失態へ転落…これを挽回するためにもまた漆と金で補修しないといけない…来週は忙しくなるために今日は先日施した金継ぎの仕上げ…色々と思い当たる技術的しくじりのせいで結果として艶の無い、もしゃもしゃした仕上がりになってしまったが鯛の牙で磨くとよいと文献にあったから、小生はその昔入手した、岩手に打ち揚げられたという抹香鯨の牙で慎重に擦ってみると金継ぎの金がいかばかりかの艶を獲得するという発見は自分にとって快挙であった。金と云う物質はそれ自体だけ想像すると派手で、ともすれば下品な印象を持ちがちだが其の物質と対峙してみるとさまざまな取り合わせによってはどっさり豪奢に侘びた印象を放射する…
津山への一泊旅行とは云えど覚醒中に過ごした時間は圧倒的に移動に費やした時間が多く…と云うのはそもそも計画を立て始めた発心は津山が目的ではなく中国地方山間部の在来線完乗の一環、であった。行きは在来線で山陽本線で岡山経由で津山線にて津山駅まで…その日は津山を観光して一泊、帰りで本望を果たすべく…津山から新見、新見から備後落合、備後落合から三次、三次から最寄駅まで在来線、という、ほぼ半日ほど電車に乗り継ぐという苛酷な旅程…旅の途中で気付いた事だが小生は尾てい骨に罅が入っているから長時間椅子に座れないという持病があり…此れは小学生の頃、河原と云う名前の、母親が生け花の師範代を自宅で営業している同級生によって何の配慮も無くカンチョーされ、尋常でない疼痛のためレントゲン撮ったら先述の結果で二か月体育を休むことになり、今でも長時間椅子に座ると痛むという形で引き摺っており…恐らく当時流行っていたコロコロ系の御下劣少年漫画の影響なのだろう、医学的施術である「浣腸」ではない、遊び半分で両人差し指を合わせた印を結んで油断した他人の肛門目掛けて力任せに突っ込む、いわゆる「カンチョー」であって、此の馬鹿げた、しかし其の結果は笑えない、下らん子供のおふざけによる被害を未だに引き摺って生きていかなければならない憎悪と惨めを思い起こしつつ…充実した疲労ではあったのである。
特に、新見~備後落合~三次間の、谷底はるか下に清流が小さく見える崖っぷちのヘリを、最徐行で恐る恐る走る、というよりか歩くスピードの電車一両…其のスリルは乗らないと味わえない貴重な価値があるが保線への不安というのは実際恐ろしいものである…すべてを確認した訳ではないが護岸工事がなされている訳ではない、草木が茂るだけの崖の中腹を僅かばかりに平らに削っただけの線路用地なので、幅数メートル足らずの其れが崩れたら車両ごと谷底に真っ逆さまなのが恐かった。ダイヤは極薄、電車を一本乗り逃すともう終わり、その日中に家には辿り付けないという、失敗が許されないミッションのスリルも合わせて…かつての鉄道交通の要衝を彷彿とさせて広大なる引き込み線の数々が今は昔の備後落合駅は、撮り鉄と乗り鉄の一大ターミナル駅として奇妙ながらも、昔日とは異なった賑わいを見せていた。最終的にはミッションは成功、尻を痛め腰砕けになりながらも無事へとへとに充実して家に着いた。途中下車した新見駅で昼食を取ったが…駅前の、ほどよくこってりと如何わしい内装と雑貨で脂ぎった定食屋で御当地焼き豚丼を頂く…旨い。津山もそうだったが、この辺の山間部は肉ばかりである。
最寄駅から家までのキツ過ぎる歩き…後ろからゴロゴロと耳障りなのは、どうせ国内旅行の2、3泊のくせに、名称を忘れたが、車輪がついた旅行用の箱をガラガラガラガラと、小生らと帰路が重なったらしい二人の他人男女がいつまでも引き摺っており…舗装の悪さ、古さも手伝ってやかましく…数週間の海外旅行であの箱を使うのは受け入れるがどうしてたかが数日の国内旅行であのガラガラ箱を使うのか、周囲は迷惑先般であり…と、ここで、近くのマイルドヤンキーが窓を開けて涼みながら下卑た事を無神経な大声で喚き散らすからイラツキが針のように劈く…此のマイルドヤンキーは毎晩、夜間になると辺り構わず此の人種特有の酒と煙草で痰が絡んで粘ついてしゃがれた濁った甲高い声で大声で喚きまくったりテレビの野球中継に反応して手を叩きながら喚き散らす猿なみの知性で傍若無人の狼藉の限りを尽くして目に余るにも程がある…奴が風邪をひいたのも分かるくらい痰の絡んだ大仰な咳が聞こえるのも本当胸糞悪い…此のマイルドヤンキーの馬鹿声に触発されて近所の馬鹿犬も無駄吠え連発。最近はテレビの音量をどんどん下げているほど、音への感度がびんびんに過剰になっており、マイクがハウリングする要領なのか頭の中でキー―――ンと、いわゆる耳鳴りも頻発するようになって…だからあの旅行箱のガラガラ音や近隣の騒音にはもう本当に我慢ならない憤りでむしゃくしゃする。マイルドヤンキー論を展開すれば今夜は眠れないほど大著になるので割愛するが…マイルドヤンキーと云う用語が作られる以前に小生が開陳したジモヤン(地元ヤンキー)実録「俺の見たジモヤン」を参照していただきたい…かなり昔に書いたので若書きの感は否めない。
写真下手で実物の凄さを写せなかったが…淡青の漣が静かに打ち寄せる斑唐津の猪口…見込みの底が罅割れて汚物が堆積して使用に堪えなかったから、底を砥の粉漆で埋めて、水ペーパーで均して朱合漆を塗って金粉を敷き詰めてみた…酒を満たせば、水底に満月が揺らめく風情…
「ジュンテンドーのテーマ」
ストレスという外来語を日本語に翻訳すると何なのか鬱屈、鬱圧とでも云うべきか腑に落ちないがどうにもストレス、イラツキを溜めながら野球のテレビ中継を見るともなく…12連戦、8勝4敗くらいなのかと希望していたらまだ一勝…連休明ければ安保法制の報道は下火、辛うじて小規模のデモは持続されていると云う彼らの意志は立派であるにしても強行採決してしまえば後は参院選まで経済政策という餌をばら撒いておれば忘れっぽい愚民の票は得られるという見え透いた思惑の、しかし此の国においては惨めなまでに確固たる其の有効性たるや…連休明ければ報道の蓋を開ければ北斗晶の乳がん手術と失楽園で脱いだワイン女優の胆管がんによる逝去報道(気の毒ではあるが正直どうでもよい…)、あとは個別犯罪殺人の…所詮は個別的事件でしかなく国家の大局を揺るがすに足らぬ瑣末が賑わうばかり…このようにしてほとぼりの冷めた顛末の惨めを噛み締めつつ此の現時点で安保法制反対論者たちに云い置くべき事は、何にしても、「遅すぎた」と云う事である…
此度の安保法制の顛末…そもそも、政権側は国民側にそれなりの誠意を見せているというか筋を通していると認めざるを得ないのであって…我々は固く思い出さなければならない。去年、政権側は、まず護憲派の内閣法制局長官を更迭して傀儡の長官に挿げ替える、という一手を差した後、多少は子の公明党が駄々こねて抗う姿勢を示すが結局親の自民党の云う通りになるという茶番を演じた後(軽減税率に係る一揉めも結論ありきの茶番。公明に自論を自民に押し通せる気概など無いのは自民に徹底的に見透かされて)、去年の2014年5月14日の閣議で以て憲法解釈変更による安保法制整備が決定されているのである。牽強付会の感はある不可思議な事例を以て集団的自衛権容認を含む此の法案の内容は当時広く報道され、それなりに物議を醸したが国論の二分を迫る程問題意識が先鋭化される切迫感は皆無であったのである。そして去年の2014年12月14日、野党が騙し討ちと称して政権を獲る気の無い杜撰な己の油断の言い訳する見苦しさを呈した、まさかの、しかし周到なる衆議院選挙に首相安倍が討って出たのである。そして安保法制は今年の2015年9月に成立している。この政治日程は決して忘れてはならない。
選挙の争点は首相安倍曰く、確か、消費税を8から10%に上げるのを延期した事に対する民意を問う、という不可思議なもので、国民としては延期する事に大した反対はないのに何故、という狐に摘ままれたような理屈だったがそれはともかく声高に吹聴された争点は経済対策、ではあった。しかし選挙に際して公表された自民党の政権公約には、確かに、「安全保障法制の整備」と、小さい字で明記されていたのである。従って、自民党は、きちんと、選挙前に、安保法制をやる、と云う事を国民に広く公表するという、筋を通しているのである。「でも、あの時は争点が経済対策で、安保じゃなかった」などというのは選挙民としてあまりに甘えた、主体性の欠如した怠惰としか云わざるを得ない。与党の戦略に乗っかるマスコミが騒ぎ立てる情報だけを鵜呑みにする、主体性なき愚民であると自ら札に墨書して首に掛けて街を歩いているに等しい。契約書を隅々まできちんと読まなかった、あるいは読んでいたけれどもさほど重視しなかったのが悪いだけである。なぜならば、自民党はきちんと、「選挙前」に、安保法制整備について閣議決定したと公表しているからである。此れは事実である。従って、自民が選挙に勝って衆議院で自公合わせて3分の2以上の議席を確保すれば、選挙後、直ちに「安保法制の整備」に入るのは必然である。世論調査によると今回の国会での安保法案成立には6割が反対しているらしい…従って、前回の衆院選で、自公が選挙戦略で何を喧伝しようともあくまでもそれぞれの国民自らが安保法制をきちんと重視しておれば、自公の議席は半数に満たない可能性もあったわけで、安保法制阻止もあり得たのである…しかし結果は自公が衆院で多数を占めたのである。だから、自公政権としては、安保法制に対する民意が示されたと解釈する道理は確かに存在する。従って、安保法制反対論者たちは…反対運動を盛り上げるのであれば、当然ながら先般の「衆院選挙の時」に、国会前デモでも何でも実行すべきであったのである。しかし実際は、「その時」に大規模な運動が展開される事はなかった。それどころか、法案成立に腹の据わった自公が絶対多数の国会で法案成立させる「直前」になって慌てて駄々を捏ねるが如く反対運動するという稚戯の体たらくであり、政治的有効性は皆無なのである。せいぜい、遅まきながら、スポーツで云う処の「次につながるプレー」とでもいうのか、政治的問題意識を喚起し行動する事の重要性を世に知らしめた事は特筆に値する…
過ぎた事を云っても仕方がないのであって、安保法制反対論者たちは此度の始末を猛省し、次の参院選では実効性ある運動展開しないと、政権は、とことんまで有権者を馬鹿にした政策を繰り出して憚りないであろう。子供でも分かる事だが「衆院選の後、参院選の後」では後の祭りなのである。既に此度の事で此の国の有権者のちょろさ、愚かしさが露呈したのである。既に、安保法制論者たちは、此度の事で、自分らが守りたいものを如何に守るかという素朴な意味での安全保障という事に対する甘さを自ら内外に露呈した事になっているのである。唯一有権者が政治的効力を発揮しうる選挙の直前に、政権が公表している事に対して即応出来ず、選挙の後の、与党が絶対多数で有権者としては外野から手の打ちようのない法案成立直前の時期になって、純粋に方法論的意味において駄々を捏ねる程度しか効果はないデモ展開を弄するという、寝ぼけたしくじりは最早許されないだろう。
時期的にそろそろ仕上げないとこれからどんどん寒くなるので今年中に出来ないという危惧があって上塗り用の朱合漆と金粉、朱の顔料を購入…夏場に、砥の粉漆で罅割れや欠けを修理していた器の数々…朱と所定の漆を秘伝の配合で練って、その上にこれまた秘伝のタイミングで金粉を蒔いて仕上げないといけないので本日、そういった金継ぎのハイライトを実行に移す…思いの外修理待ちの器が多くて金粉が足りなかったのも出てきて、且つ、これまでは器一個ずつと湿らせたタオルを茶碗用の桐箱に入れて漆の架橋反応を進めていたが今回はいっぺんに多くの器を仕上げたから漆を乾かす風呂もないから部屋で自然反応を待つ状況でうまくいくか不安…温度はいいが今日は天気がいいので湿度低し…うまくいくのだろうか。夢中でやっていたら漆が直に手に着き、大急ぎでテレピン油⇒界面活性剤を使う順番で落とす…今の処痒くない。なんだかんだで噴火したくなるような熱い興奮と充実感に見舞われる日曜日の昼下がり。
ホームセンターのジュンテンドー…店内に入ると時折、此の、自社のテーマソングがかかっているが…此れが思いの外悪くないばかりかなかなかに聴かせる楽曲である。初音ミクほど電化されていない、恐らく20代前半の女子の、これ見よがしな歌の上手さが鼻に衝くほど玄人がかってはいない即ち素人風情の生声に多少電化をかけて中性的に均した耳触りの良い歌声…曲自体も、たとえばナカタヤスタカであるとか、そういった当代きってのポップ職人の手になるを想像させる出来栄えで、企業ソングに要求される、思わず頭の中でルーティンさせてしまうような心憎い作りであって、酒で云えば飲み飽きない淡麗水の如しとでもいようか。AメロであるとかBメロであるとか、そういったくだらん概念で構成された音楽など歯牙にもかけなかったつもりでいたが、此のジュンテンドーのテーマソングは露骨にAメロBメロなんだろうけれども爽やかに購買意欲を掻き立てる。此の曲は近々ブレイクするのではないかしらんと数年前から小生思いを寄せていたところ、去年の年末、大掃除シーズン、ジュンテンドーは矢張り自信があるのか、此の楽曲を前面に出したCM展開を繰り出していたが…今の処人々の耳目を集めるには至っていないとは云え…なかなかの佳曲であると推したい。連休中に津山に旅行したが…来週、その事に少し触れたい。
中秋の名月には間に合わなかったが…今年は何とかして御月見などしてみたいものだ。しかし場所が無い…自宅だと夜間窓を開けると階上のマイルドヤンキーが下劣な大声を上げているから台無し…
「城ミチル/イルカに乗った少年(2015バージョン)」
台風一過、快く涼しい風、気持よく澄んだ青空…鬼怒川や宮城での決壊、水没映像の広範囲…収穫前の田畑が思いやられて見かけ倒しの沈痛しつつ実際には第一義的には他人事でしかなく…泥水に映る青空から突き出た電柱や電線の束の写真がまるでエヴァンゲリオンの絵…小社会的に追い詰められたシンジとの野性剥き出しの激闘の末に静止した使徒の遺骸が大きく転がっていてもおかしくない…また此度の災害も国家財政を圧迫するという間接的影響を先取りして鬱屈、加えて、除染作業で溜め込んだ草やら土の袋詰め群がそのまま洪水にごっそり流される、という深刻なニュースがさらっと流されて金輪際其れに触れられる事の無い此の国の翼賛深刻状況が毎日更新、相変わらず安保に関する世論調査は大々的にマスコミで公式に発表され続けられるが肝心の労働法制に関する世論調査は自民党経団連結託によって徹底的に一切秘匿されたまま衆参両議院で遂に成立、という、国民へのこの上ない侮辱がまた、大した事でもないかのように過小に流される事への、歯噛みする怨念冷めやらずとも…一方で此度の水害がまたぞろ、例の自粛強制ムードを蔓延させるならば、其の内容はどうあれようやく自立した政治的意思を持って個々人が立ち上がったという意味では其の火を絶やすべきではない安保反対運動に冷や水が掛かる可能性がある限り、安倍翼賛政権にとっては此度の水害さえも僥倖とも取れるのであって…その実、ありがと兎による自粛ムード再来とまではいかなくても、水害放送によって、安保法制成立のエックスデーを間近に控えた此の時期に、安保関連の放送と運動は下火になった感は否めず…此の翼賛政権は良くも悪くも運さえも味方に付けた感は否めないからますます憎らしい…私的にも色々あったから殊更に運気という事を思ってしまう…
私事ながら小生の重荷になっていた、小生の人生にセットされた比喩的時限爆弾…結局、いったん解除された事が判明して胸を撫で下ろす…あらゆる手立てをこうじていたし、取り越し苦労に済んでよかったとは言え、本物の比喩的時限爆弾と云うものは己が予測しうる範囲の外から唐突に飛来する他者性を有するはずであり…それは兎も角として解除された祝杯も込めて、柄にもなく、たまにはこういうものもいいかと思って、細君とフランス料理のランチコースを食しに行く…飲酒を見込んで電車で向かう…内陸の田舎の駅に降り立つ…まず目を引くのは駅前の、小汚いえげつな系の古道具屋…以前から気になってはいたが通り過ぎるだけだった此の御店…しかしそちらに吸い込まれる訳にもいかず後ろ髪引かれる思いで予約したフランス料理店まで歩く…荒んだ小規模事業者が野原に放置した錆びた産業機械やうらぶれた空家しかない草深い小道を行くと、明らかに店舗らしき、古びた丸太小屋の建屋の裏が丸見えなのだが、食材を運んだ段ボールの空き箱や空き瓶などが小汚く無造作に詰まれた中で白衣の店員らしきが煙草一服中という油断した様が剥き出し…予約の時間より早めに着いた小生らもあれだが…入店してすぐ右側は、元々客席だったはずなのに、今はシェフたちが空き時間に寛ぐ空間に使われているようだが…その一角はスポーツ新聞や週刊誌の束や計算機や帳簿がテーブルの上に山積みの奥でテレビで野球観戦という、だらしなく油断した感じのシェフ…慌てて客席に案内される…店内はなかなかよい雰囲気…飴色を帯びたウッディな内装、昆虫の翅を重ねて作ったような、歪んだガラスシェードのランプの古格…割らずに横から切断しただけの太すぎる丸太が黒焦げのままどかどか突っ込まれた暖炉など…雑木林に続く芝生の庭がよく見える窓際の席…音も無く小雨も降って、モミの木の根元に淡く繁る萩の花がこぼれんばかりの秋の風情…英国調の木組みの椅子の座面の座布団に白髪がこびり付いていたのは気になったが…久しぶりに、カトラリーや皿がきちんとセッティングされた状況に気持よく背筋が伸びる…皿も悪くない、ハプスブルク家やロマノフ王朝の偽物みたいな金彩と瑠璃釉の…料理は皆美味しい。小生は山岡ほどの美食家ではない、誠実な居酒屋料理で十分満足する程度だから、手の込んだ料理の数々に十分満足する…前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザート、珈琲という一連の中で、魚料理の、舌平目のムニエルに焼きナスをすりおろしたソースが玄妙である。オレンジソースのクレープも絶妙であった。覚悟していたものの思いの外お値段が痛いのは、ワインのたのみ方をしくじった余計な出費も悔やまれるからで…初めは場にうろたえてグラスワインにしたものの料理の旨さにつられてあっという間に飲み干してしまい結局ハーフボトルのワインを追加注文するに及び、初めのいささか甘ったるいグラスワインは余計だったと。大いに気に入って店を後にして件の古道具屋に顔を出す…陶磁器は少なく、どちらかと云うとえげつない、下品なガラクタ系が所狭しと…トーチを掲げる木彫のエロ過ぎる裸女であったり海亀の剥製が二体ほど店先に野ざらし、小生好みとは言え、ぐずついた雑多な物品に埋もれる店主の態度は何処か高圧的…話を聞くと、野球の指導法に関する自著があるらしく、積んである著作物を示され…それが第7刷である事をすかさず自慢してくる…元東映フライヤーズ、元瀬戸内何とか高校野球部監督、という肩書、それがどうしてこんなさえない駅前でえげつな系のいかつい古道具屋を…床に放られた隕石とか月の石とかいう胡散臭い物品をしきりにすすめてくる…小生は、琥珀色に古びた、挽き細工の天目台と、裏に、彫った痕に金箔で太極図を描いた枕形の淡緑石の文鎮が気になったが、折からの満腹と引き締まった財布のひものお蔭で何もお助けせずに帰途に着く…寄せ集めればさほどの量でもないように思えるフランス料理だが温かいパンを千切って食べる度になすり付けるバターひとかけが思いの外胃に溜まるのである…その日はそのまま街に繰り出して細君の日傘探しに付き合って歩き回り意中の日傘が見つからぬ徒労のまま脚は棒、へとへとで帰宅し、食い慣れぬものを食べたせいかイタチ一匹分ほどの下痢で全部出してすっきりという顛末。ほろ酔いもすっかり醒める。
既に心の方は解き放たれていたかもしれないがいまいち区切りがついていなかったようだが…既に、手持ちのCDを聴いて何ぞ論ずるというスタイルに閉塞するのには心底辟易しており、そうした枠組みにとらわれず、折々の生活の中で自然に聞こえた音への思いが強くなっているから…これからはもう、手持ちのレコードやCDを聴いて書く、というスタイルを墨守することはないであろう事を此処に宣言したい。数か月前の事だが今年、テレビで、城ミチルが往年のヒット曲「イルカに乗った少年」を生放送で歌っていた…プールの前で熱唱する童顔のまま老いたミチル、その後ろを、よく調教されたイルカたちが次々に超絶の曲芸を繰り出しながら、という気合の入った演出もさることながら、楽曲自体が思いの外凝っているように聴こえて先が読めない…複雑に差し込まれる電子音もピンピコポヨ~ンとすかさず飄逸脱力、其の音色も意外に古格を帯びて…例えば、数十年前の雑誌の電機製品の広告欄など見ると、「インターメディア」、「マルチプレイ」、「ファジー」などといった今では死語の、力のこもった言葉が最先端の装いで近未来に前のめりになっており、其の尖りが今となっては鼻白むほほえましさも禁じ得ぬという事がままあるが、そういう、古色を帯びた電子音が艶っぽく生生しく再現されて、短い時間ながらも聴きごたえのある佳曲であったと記憶したい。ミチルとは関係ないが島津亜矢という演歌歌手…いわゆる歌唱力はあるのだろうがどうにも情感に欠けるから大声張り上げるだけのうるささが救い難い。以上の文章を、珍しくテレビでやっていたウエスタンリーグの、つまりプロ野球の2軍の試合を視聴しながら、同じテレビ画面の右端と下隅に、データ放送で一軍の試合経過を示させつつ、一軍の試合の実況をラジオでも聴取しながら、即ち情報過多の状況で書き急いだ。
いく夏を惜しんで
雲の山山を乗り越え海苔の味
「私設応援団/丸のテーマ(20??)」あるいは不穏Ⅳ
数週間前から煩悶の種になっている、小生の人生に仕込まれた比喩的時限爆弾…その爆発への諦念と恐慌の交互の勃発の振幅が矢鱈に鋭く激化する日々…とはいえ小生の精神の大勢としては沈んだ諦念へと収まりつつあった処へ、そのような天命へ殉ずる平安を真っ先におちょくるような事実が此処に来て発覚し…時限爆弾の事をふと身近な人に独りごちると、其れが爆発する確率を大幅に減らせる手続きの事を教えてくれたりして…早速其の手続きに走るが、しかし時既に遅し、其の手続きの効果が発揮されるのは遅くて10日後とあり最早手遅れとなった可能性が濃厚…もっと早く、数週間前から相談すれば爆弾が爆発する確率は現段階では大幅に減らせていたのに、最も其の爆弾が爆発する確率が高い来週において其の手続きの効果が得られないのだから結局爆弾が爆発する確率は特に来週においては最も高く80%くらい…という手遅れの感が否めないのであって、数週間前から無駄に、内に閉じた惨めな煩悶に汲々としていたがために事態を大幅に打開できるチャンスを自ら棒に振った事に気づいて、先述の諦念と恐慌の感情に加えて、後悔、という、粘着質で濯ぎ難い人間臭い汚れた感情までも新たに抱え込む破目になって吐きそうになっている日常である。しかし手続きを終えたおかげで、仮に来週爆発しなければ再来週水曜日から手続き発動により再来週水曜日~年末にかけて爆発する確率は大幅に減った事にはなり、微小の効能は得た。思えば例えば小生がナチスから目を付けられていつ何時摘発されるか分からないから一刻も早く亡命せねばならないという時に、馬鹿正直に天命を受け入れるように遅々として進まぬ正規の手続きを待つ間にゲシュタポから摘発される確率を日一日と無駄に高めながらも、世知に長けた他人に相談せず内に籠った惨めに甘んじていたために相談すれば其の他人が齎してくれたであろう即効の裏手続の機会を自ら逸していたとしたらそれこそ今頃ゲシュタポの魔の手に落ちていた、という事なのである…内向的な無為というしくじりの放置が人生においてはまさに命取りになるのであって、真新しい後悔の念に苛まれる今となっては澄まし返った諦念の化けの皮があっさり剥がされた無様が一層惨めである…そう思えば小生の、人生の危機に対する甘さ、諦めに逃げる軟弱さが、今回はゲシュタポ絡みのように命こそ取られずに済むだろうが、露呈したのであって、此度の事で改めて厳しく猛省が促されるのである。しかしながら最早手遅れであるのは変わりない、新たに加えられた後悔と共に苦悩の杭を脇腹に打ち込まれつつあるような日々を生きながら生活するしかないのである。
音楽もむさぼるが結局昔から愛聴している、既に此処で紹介したことがある音源ばかり聴いているので此処で新たに音楽に向き合うのが苦しい状況である。記事にしたことは無いが聴きたくも無い音楽を記事のために嫌々ながら聴くことなど到底できない。
ヤクルトの観客たちはほとんどがめいめい異なった普段の私服で神宮球場にぶらりと来ており、其の余裕が好ましいが、どこかの球団の観客のようにほとんどが真っ赤なユニフォームを着て其の一角が真っ赤に染まっているのは、ヤクルトと比較すると其の野暮と窮屈が強調される…しかしヤクルトの応援団の演奏曲はルパン三世のテーマや、ゾーンだかホワイトベイリーだかの少女バンドのヒット曲の打ち上げ花火の歌ばかりで、こうした楽曲は高校野球でも無差別に演奏される定番なのだから、それをプロの試合の応援に使用するのは矢張りアマチュア感が否めぬダサさが際立つような気がする…カープの丸が打席に立った時に応援団が演奏するテーマ曲は金管楽器が色褪せて冴える、どこか懐かしい茜色のオリジナル楽曲で、ナイターが始まったばかりの時間帯の、ホッとだらけながら何かが始まる予感が沸き立つ夕焼け空に似合っている。半音ずれてはにかむ曲調に情趣がある。
18歳以下の野球のワールドカップ…夏の甲子園で勝ち抜いた球児たちから選抜された日本チームが、其の勢いのままに対韓国戦で12対0で7回コールド勝ち、などという試合結果を見ると…単なるアナロジーではあるが、戦国時代を勝ち抜いて生き残った豊臣恩顧の武将たちが朝鮮半島に攻め込んだ文禄・慶長の役、というのを思い出す。実際に、日本チームのことを侍ジャパン、などと云っているし…小保方氏STAP問題→佐野氏エンブレム問題。コピーと切り貼りバッシングの繰り返し…。佐野氏のエンブレム自体はオリジナルだと小生は考えるが、他でボロを出し過ぎた…。
今日のNHK日曜美術館はあまりに視聴者を馬鹿にした糞番組だった。先々週あたりに放送したETVスペシャル、江戸時代の輪島塗の超絶技巧を現代の若手職人が再現する、という番組を、構成もそのままに冠だけ日曜美術館という題目で放送する、最後の最後で申し訳程度に日曜美術館の出演者井浦新を輪島でちょこっと取材させる、という安手の作りで…こんな糞番組の制作者が、日本の物作り云々などと厚かましいにもほどがある。
しつこく来訪しては直ぐ去る不審者…夕刻再訪してきて、ようやく出てみると国勢調査員である事が判明…居住者数と小生のフルネームを聞いてきたが、身分証明らしきを首に下げてはいるものの酔っぱらったような、水色のポロシャツの小太り中年男で、胡散臭い人物なので、偽名を教える。
「strawberry alarm clock/the world in a sea shell(1968)mvce-22009」
手短に…CD販売業界における、十数年前のソフトサイケ復興、再評価の折に入手したアルバムの中でも群を抜いた出色である…不穏の暗雲が闇雲に立ちはだかる、いっそなるようになってしまえばと捨て鉢、やけくそへと開く時もあれば燻製前に肉塊を凧糸でぎゅっちぎゅっちに縛り上げる閉塞から胆汁が滲み出る苦悩の重力地獄に苛まれたり…そうともなれば近所の…エンジンかけっぱなしで数十分数時間も停車し続ける騒音が神経を無性にイラつかせて鋭角の石礫を其の車のフロントガラスに突き立てたい怒りに苛まれ追い打ちをかける具合につくつく法師が喚き散らす。我慢の限界間近、たまらずベランダに飛び出て其の車を睨み付けると、そうなる前に車が去る。
野分尾に揚羽飛び立ち蝉は泣く
泣き喚き組み伏して落つ夫婦蝉
ロックの基本楽器以外にも様々な小物楽器を手際よく配置する神経の行き届いた緻密なれども工芸じみた、緻密ゆえの硬直はなく、緩い遊びの余裕が楽曲を浸すから、そこかしこに控えめな弦楽を蒔いても嫌味なく…とは云えポップ職人が生産するパッケージ化されて取っ掛かりの無く記憶にさっぱり残らない演奏とは隔絶して、味の諧調が渾然としたコクは否めないロックであるから昔から愛聴している。ソフトサイケの名盤…。どうも台所が臭い、しかし出所が分からなかったが…ある日、電子レンジを使うとあまりに濃い腐臭が劈くから浮足立つと、電子レンジの中の隅に、豚カツの欠片が転がっており、…豚カツを温めた記憶は最近ではないから、恐らく数週間前に、マイクロ波で弾け飛んだ豚カツがそのまま放置、時の流れで激しく、胸に詰まる甘ったれた腐臭を蔓延…其の物を除去し、電子レンジ内部をアルコール除菌しても、いまだに豚カツ腐臭が機器にこびり付いて文字通り払拭出来ぬ。どういう現象で有機物成分である臭いが金属表面に付着して取れないのか理解に苦しむ。国家主義政党自民党は安保法制に集中するため労働基準法改正を今国会では見送る事を決定…いわゆる残業代ゼロ法案、今の処は年収制限をもうけるとしても一度法案が成立しさえすれば条件の緩和など赤子の手を捻るように簡単なことであり、此の政党の国民への敵性が明らかになる度にやり場のない憎悪と怒りに苛まれて本当のたうちまわる、心の中の邪鬼を召喚するべく憤懣身悶えする。何か知らんが何をするでもなく定時過ぎてもだらだらと職場に居続け、残業時間の棒グラフを高く積み上げる事でたくさん働いているようにみせかける馬鹿者や、そうした風潮が通用する今時愚昧なる社風が存在するが、そうした連中を払拭するための効率化のためなら残業自体をゼロ、残業禁止にすればよいのに、それを残業代ゼロとは剥き出しの資本の理屈をそのまま立法に反映させる資本贔屓⇒労働者搾取…封建徳川の再来とばかりに生かさず殺さず働かせても相応の賃金はやらない腹。自民党に献金をたっぷりくれる経団連の御用聞きとして国家としての主体性を自ら放棄する、あるいは主体的に御用聞きに徹する敵性政党。国会前や日本各地で安保法制反対のデモ…その行動力自体は多いに励ましたい所存なれども…安保もさることながら労働法制に対してこそ目くじら立てて事を荒立てねばなるまいに。そういえば、アメリカの共和党の大統領候補のトランプ氏という、ブッシュに輪をかけて頭の悪そうな不動産王が、…彼は国民の下層の下劣な本音を代弁する事で人気急上昇のようだが…案の定、日米安保の不平等性(アメリカは日本を防衛する義務があるが日本はアメリカを防衛する義務はない)に対して歯に衣着せぬ悪態をついていた。アメリカ外交当局の公式見解は建前上、こうした見解をたしなめる姿勢を見せてはいるが…本音ではあるだろう。安保法制の騒ぎを隠れ蓑に、着々と進む労働法制…労働者派遣法がヤラれて…そして今回は延期だがこのままでは早いうちに労働基準法もヤラれるだろう…自民党経団連の北叟笑みが目に浮かぶようだ。栗の実の尖った方をコメカミにめり込ませられるように頭痛がひどい。かと思えば気を失うように急激な眠気で頭がぐらぐら、ホワイトアウト。ライナーを幾ら読んでもメンバーと楽器の相関が不明だから以下に記しようがない。
不穏Ⅲ
表
裏
どういう経緯か忘れたけれども義理の祖父からあまりに真新しい、従って失笑を禁じ得ぬ、メッキがテラテラしている鋼鉄製の十手を、一本のみならず二本セットで頂戴仕り…流しの古物商から無理やり売り付けられたと聞くが…護身用あるいは魔除けに、玄関先の堆朱紛い傘立てに一本入れておいて、もう一本は自室の流し掛け鉄釉雲助壺に、羊毛埃取りと共に放り込んで。温暖化の影響も看過できぬが地軸の傾きに比べれば此の大局…残暑の彼方に秋空が澄んで…内省の嵐は相変わらずなれど一見平穏無事な毎日だったのが…内心恐れていた通り矢張り外部から不穏分子、比喩ではあるが時限爆弾的なものが飛来して来た事実は…恐らく今年の9/6から12/31の間で其の比喩的時限爆弾は炸裂するだろう…他者Aの偽善的悪意によってそそのかされた他者Bが小生に攻撃を仕掛けてくるという目算…最早自分には制御しようも無い天命に甘んずる他はない、元より覚悟は済んだ事だけれども…理屈とはよく云ったもので、理に屈するという事であり…およそ中途半端な、程度の低い知性であるほど命(=死)に怯えてぐちゅぐちゅと閉じた理屈を捏ねるのに汲々となり、理屈から解放された他人を目ざとく見つけるや無反省に徒に怯えて小心者の馬鹿犬の如くやかましく吠え立てる、底辺で足を引っ張り合う事にしか能が無い不様を晒すもので鬱陶しい憂き世のしがらみ。完全に大悟して自由自在、遊戯三昧の境地に至れば楽だが…きれいが過ぎて魚も棲まぬは寂しかろ。いずれにせよ、性労病死愛別離苦の四苦八苦はいまだ健在。事に及んで度々生活乃至は生活苦という単語を選んできたが最早…生活という言葉が指示する、社会的でありながらどこか即物的な側面に逃げ込もうとも粉飾しきれぬ此の苦悩は陳腐を諦めながらも、人生乃至は人生苦という割り切れぬ言葉を使わざるを得ないほど…どろどろとして窒息しそうな程息苦しい、割り切れぬ人生の苦しみ、性労病死愛別離苦が他人事でなく日に日に重とうなってくる今日この頃である事は比喩的時限爆弾がセットされた外的事件も相俟って否定しきれなくなって来た。日々の不穏が日増しに色濃く苦しくなり…休みが挟まると元のリズムに戻るのも億劫、というよりか…もう、
…今の切実な心境としては…媒体に録音されたものを再生させて聴く、というおとなしい有り方やそこで出される音の限界、にも飽き足らなくなって来て…生音がオリジナルで電気処理が複製、などという二元論はエレキを前提とするロックという音楽のみならず空気という媒体と耳と云う個別の受容体が音の聴取には必須である以上、全音楽にとって既にして成立し得ない妄想ではあるが…それでも尚、現場現物という生成から噴出する妙というかご家庭では味わえない大音量と荒みという即物への傾倒が深まっており(音が大きければいいというのではない。詳述は割愛するが荒んでいてこそ…)、兎も角、CDを再生させて聴いて感想するのに辟易し、ライブやコンサートの荒んだ大音量でないと満足しきれぬ鬱屈した切迫した欲望、微細な変化や工夫を捉える好事的嗜好もすっかり磨滅した、もっと直接的な荒削りの何か=妙を浴びたいのであって…従って自宅に所蔵する音源の再考察という今までの書式が、今回限りかもしれないがすっかり潰えているのも致し方無いのである。とは云え、演奏者の肉体の動きや人格が滲む佇まいなどが演奏音と共に味わえるからライブやコンサートを渇望しているという事では、小生に限って有り得ず…どのみち人間自体から発せられる諸特徴や動きは凡庸の限りを出る事無く学ぶ処も少ないと存念する次第…人間から「出た」人間外の音という創作物こそが面白いと思うのであって、よってライブ会場では目をつむって聴いている事が多い、ということは全然なく、しっかり括目して聴いている…
固唾を飲んで見守られた首相安倍の戦後70年談話…その内容はさておき、談話発表の直前という緊張の最中にあってやっぱりやらかしてくれたのはトリックスター元首相鳩山。日本官憲による、韓国人活動家への拷問強殺を謝罪するための、現地韓国でのまさかの土下座。かの地での礼法に則った所作だったとは云え…茨城護国神社での全裸金粉塗りちんどん屋的コンテンポラリーダンス奉納への不敬視騒動と共に滑り込んでくれた脱力の珍事である。しかし、トリックスター鳩山の此度のやらかしは、あながち間違ってはいないから特筆に値するのであって、此の国の天皇皇后の慰霊行脚は所詮日本人の軍人軍属民間人犠牲者に向けたもので、占領地や植民地での日本人の卑劣な、差別主義的な蛮行の標的にされた外国人犠牲者への謝罪でも慰霊でもない。此の後者の役割を進んで引き受けるトリックスター鳩山の所業は一概に等閑に付す事は出来ない、天皇皇后の内向き慰霊行脚などよりも貴重で困難で有意義な事である。しこたま飲み過ぎた日本酒がビタミンを奪って痛過ぎる口内炎を発症…一週間たってようやく治癒に進む…
贔屓にしていたカレー屋「一楽章」…潰れたのかと思ってがっかりしていたら引っ越ししていたと判明、しかし如何に調べどもその引っ越し先が見つからず臍を噛む思いであったが満を持してやっと発見…店名も「一楽章~f(フォルテ)未完成~」という、くどく、思いの詰まったものに変更しており…クラシック音楽からの出典があるのかもしれないが…心機一転気合十分が覗える…店内の内装もリニューアルされて重厚欧風趣味全開の調度品で取りそろえ、新設のスピーカー前のテーブルについたためか大音量でクラシックをかけてくる…チキンカレーは相変わらずの絶品、香辛料が天高く先駆けるエスニックに調理されたパプリカまみれの焼き揚げ鶏のもも肉(タンドリーチキンというものなのか?)が、インド~イギリス~日本風がブレンドにブレンドされた固形物皆無の渾然絶妙カレールーにどっかと鎮座、飯の量の多さ、ルーと絡めた場合を考察した少し固めの炊き具合も健在であった。観葉植物の枯葉が鉢に放置されていたが小汚いのでそこは片づけた方がいい…厠に行くと、正面に、赤、紫、緑、黄色を薄く油で溶いた筆で不気味な魔女がいかついポーズで描かれており…赤い、どろっとしたゼリーが小汚くぶるんと沈む小鉢からカイワレ大根みたいな観葉植物がいじけて生えており。店内が広くなったのを機にアプライトピアノなども設置し、小さなクラシックコンサートも盛んに催すらしき…店員さんに熱心に、そちらの方での来店も勧められビラを持って帰させられる仕儀。カレーが旨かったから大満足であった。満腹過ぎて何も考えられず、久しぶりに古本でもあさる予定であったが集中できず、結局、戦時中にアメリカ軍が日本各地に撒いた降伏勧告ビラ、というのを500円で購入しておく。
余熱そして休み
先般発表させていただいた安保談話…結局一週間にわたりちょこちょこ加筆を施してしまう、そんなお盆休みだったから思ったより読書が出来ず後悔する…暇な時ほど読書できず、忙しい時ほど自分への嫌がらせのようにして寸刻を惜しんで読んでしまう…安保談話では、石垣島の現況について、今も中国漁船の「違法」操業が恒常化していると書いたが、改めてネットで見てみると違法性かどうかは分からなかった、というお詫びと訂正をしたい。…地元の漁協幹部は、石垣島近海では、日中、日台漁業協定の下に、共有漁場として日本、中国、台湾が漁業しており、互いに漁法が違うから競合する事は無いと申しているし、一方でその幹部はスパイだという恐らく偏った見解も横行しており、公正中立な情報を得る事は出来なかった。現地に行って直接島民に聴くか、現場を見るしかないようだ。小生が記憶しているのはテレビニュースで、石垣島漁民が、共有漁場で大型船を乗り回す中国漁船が怖くて近づけないから、実質、とても漁は出来ない、というコメントを言っていたという記憶であって、これはこれで事実だと思うが、それが先走りして、かような事を記述したのである。確かな事としては、石垣島の市長は、尖閣および石垣島周辺漁場の安全確保を目的に、隣国による尖閣奪取への脅威を取り除くために、此度の安保法制には賛成しているという事実だけを取り上げる。
複雑な内面性を抱えながら集団的自衛権容認の論陣に参じてみたもの、実際の処、小生もいまだに迷っている…米軍による安保形骸化を焦って先取るように懸念し、集団的自衛権に前のめりになるのが本当に国民の生命、財産を守ることになるのか、分からないのである。日米安保の強化などと考えず、現状維持したまま、あやふやな日米安保の余得を期待しつつ集団的自衛権というパンドラの函の封印を解くことだけは厳に戒めるべきなのか…一旦集団的自衛権を容認しておいて、しかし容易にはその権を使えないように歯止めをしつつ、しかし使えないと断定されると意味が無いので何となれば使える風を匂わすという…ザ・政治としか言いようがないテクニカルでクリティカルな、最後は肝なのか、此の決断を、インテリジェンス如きに落とし込めれば楽なのだが…こうなったらかくなるうえは集団的自衛権の歯止めとしては矢張り国民投票しかないのか、とも考える…有事の際、3日程度で投票できるよう、専用の投票用紙を印刷して備蓄、投票日を空欄にして投票場所だけ記載して、有権者証明?のあの選挙案内ハガキを全有権者に先行で送付しておくとか。あるいは、9条を正直一徹に守って、いざ日中有事とあらば当てにならない日米同盟に固執するよりも現行自衛隊戦力を飽く迄維持、研摩する事で専守防衛に徹する方に腹をくくる方がいいのかもしれない…自衛隊だけだと隣国よりも艦船数には劣ると云えども、自衛隊は精鋭である事を信じて一矢報いる戦力を誇示するだけでも抑止力とはならないか、否、甘い見通しだろう…誰もガンジーにはなれないのである…いずれにせよ、世論調査にある「どちらとも云えない」などという生温い選択肢が許されない時が来る、人生のみならず、国家においても…覚悟の夏である。
それはそうと、戦争による悲惨ばかりを被害者づらで強調する戦後特集番組が横行しているが…日本人は戦争の被害者、そうした側面がゼロとは云わないが…事実である加害者の側面ももっと露わにすべきではないのか。民放で少しだけその部分にスポットを当てていたが…もっと、この国の憲兵や、特攻ならぬ特高(特別高等警察)の、地位に乗じて剥き出しになる下劣残虐性、大陸で解き放たれた皇軍による住民虐殺の嗜虐性という、日本人というものの本質の一端を、事情、背景も含めてさらすべきである。
一雨去れば光もかげって、あら涼し。早くも秋の気配…憎し憎しと思うていた暑熱も過ぎてしまえば寂しさもひとしお、つくつく法師、ひぐらしが泣き始めた残暑…
安全保障談話
したたかな政権中枢の緊張感に配慮する知性はまず期待できない取り巻き連中、小判鮫の如き追従者、執行部の持ち駒=捨て駒に過ぎぬ俄か議員ど もが少壮愛国者を気取って意気軒昂なる悪目立ちに走ろうとも雑魚は雑魚なりに中枢の真意を嗅ぎ取る姑息に長けており…政権中枢は雑魚の戯言と して切り捨て、事態をいくら矮小化しようとも雑魚の言はそれなりに政権中枢の真意を代弁していると分析して間違いはない。政治権力を使って経 団連経由でマスコミの言論統制を実施すべしと強弁する議員もおれば、その会議体に同じく出席していた別の36歳の少壮愛国議員は、ツイッターで安保法制へ の反対論者を揶揄して戦争を忌避する市民感情を利己主義と非難することで戦時中の全体主義思想を蘇らせる言説を晒して平気である。
前者の主張は最早今時局において単なる言説レベルではない現実と化していると見るべきであって、その証拠に、経団連が最も肩入れする労働者派 遣法改悪に関する世論調査をマスコミは公表しなかった、少なくとも安保法制に係る世論調査程には頻繁に公表せず、スポンサーの経団連の意向に 服従し視聴者市民=大多数の労働者の幸福追求権を侵害した事実から覗える。既に、政権=経団連結託共同体によるマスコミ言論統制は現実に行わ れており、それによって労働者搾取が公的に認可され、即ち国家が国民を使役する倒錯的人権弾圧が制度的に承認され国家が国民への敵性を帯びた 制度犯罪が明確になったのである。安保法制どころか、小生としてはむしろ労働者派遣法に関して国民は広くわなわなと怒りに打ち震えるべき、そ れぐらいに国民全般の第一たる生活が国家=経団連即ち一部の封建的世襲政治家と資本家の恣意によって搾取され彼らの私腹肥やしの助長に国民全 般の人生が奉仕させられるこの上ない侮辱を強いられる結果を看過したことになるのである。選挙区という票田=石高を一族郎党=後援会組織で以 て代々世襲する民主的封建政治家の問題や、大企業がその傘下の中小企業が製造する部品なり材料なりを安く買い叩く事で文字通り搾取する資本主 義的階級制については別稿に譲る。大企業の社員の給料が傘下の中小企業の社員の給料より絶対に高い、という事実を見れば一目瞭然である事を指 摘するに留めたい。
後者の少壮愛国議員はそのブログで現日本国憲法の三大原則「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を、彼の考えるおよそ陳腐な日 本主義に立脚して否定する処から思想的確信犯であるにしても、その思想の粗末さたるは、人間を主体とした歴史と現実への生々しい感覚を欠いた「空疎」な「知的稚拙」に由来す る…およそ戦争を介した、国家と国民の関係というものを「利己主義」などという意味作用の単純な用語でまとめて何事か言い当てた感に得意であ るという知的脆弱性は滑稽を通り越して情けない。こういう輩は、生まれながらの下級国民は戦争に行って私が考える国益に奉仕すべきだが私は高貴だから戦争に行くべきでない、と考える、有権者国民を愚弄して憚らぬ選民思想、特権階級意識の持ち主であって、元より国会議員の資格は絶無である。戦争という現実に端から対峙する気のない保身の輩に限って声高に戦争への奉仕を説く、だからこその「空疎」であり、思想に値しない「知的稚拙」なのである。こうした下劣者の出現は歴史の凡庸ではあるにせよ…。この輩は持ち駒とはいえ政権中枢の議席数に組する、立法への小さくない影響力を思えば、滑稽を越えて戦慄すべき、 切迫した政治的危機と捉えざるを得ない。国家は本来国民の生命と財産を守るために存在する必要悪の制度である。しかるに其の逆に、国家が国民 にその生命を要求する時、如何なる残虐と人間蹂躙、計り知れない侮辱が起こるか、という現実の歴史に思いを致す誠の知性と歴史感覚に徹底的に 欠けた、薄っぺらい愛国気取りの常套手段が、国家と云う妄想を実物のように奉り国民と云う現実を蔑にする国民の敵になって愛国気取りする有害なる愚昧なの である。国家や文化を考えるにしてもその根幹たる人間を主体として考える現実の知性に欠け、国家や文化という概念を主体として考える妄想に流される愚昧のなせる業である。とはいえこうした腐れ愛国雑魚どもの国家主義的言説は彼らのその場限りの思いつきに過ぎないのではなく、寧ろ、自民党の憲法改正草案 を根拠としているのだから、驚くに値しない。その事については以前、大分の文章で明確にした。
自民党の憲法改正草案では、天賦人権説を否定し、人権を 国家や民族の歴史性文化性の下に相対化する、そうした思想的操作自体が国家的恣意である其の恣意の下で、人権を国家の恣意の下に弾圧する事を 明文化しており、公益と公の秩序という、国家的恣意を動機として言論、表現弾圧が可能な条文に改悪する事を広く世に宣言しているのである。労働者派遣法でもこの憲法改正草案でも同じことだが、自民党の手口は、国会の答弁や条文草案外のQ&A集では、労働者搾取にあたらないし 表現の自由等を侵害するものではないとその場しのぎに上手く言い訳するが「実際の条文」では労働者を搾取し表現の自由等を侵害しているのである。国民は日本語の文 章の意味が読み取れない馬鹿ども、というふうに馬鹿にしているのだろう。自民党の憲法改正草案はその意味ではヒトラーの「我が闘争」と同じである。彼らが今後やろうとしている事は全て公表されているのである。従って、政権与党、自由民主党は国家主義政党である。自民党は全体主義政党である。自民党は国民の敵である。自民党は、憲法三原則の内少なくとも二つを破壊するつもりであり、即ち国民主権を排して国家主権を奉じ、 基本的人権を尊重せず国家の恣意の下に侵害する国家主義政党である。その事は、雑魚の失言に俟たずとも、公表された憲法改正草案から、明白で ある。
とはいえ、…安保である。まず掲げるべきは…他者(他国)との粘り強い言論を諦め姑息な内向的保身に先鋭的に引き篭もる時、武力への依存が始 まる…。此れを前提としながらでも、近隣国への対応には、他者性が問題となるため、己自身の内の思想的練磨だけでは事は足りない。結局、はっ きりせねばならぬのは、尖閣をどう思うか、であって…その前に、当然ながら日本国家としては、対外的に領土的野心を剥き出しにして軍備拡張を 続ける中国のそうした政策の背後にある彼らなりの国内事情、不安、怯え、歴史的背景なども勘案しながら、どっぷり肝胆相照らす話し合いを必要 とせねばならない…そのために、そうした深甚なる話し合いができ、遅れて来た国家資本主義国として頑なな態度の相手の胸襟を開かしめる器量と いうか有徳の士が外交担当者に必要である。前世紀の帝国主義戦争の経験を経て、いまだに、寧ろ今更に旧来の帝国主義的手法に固執する中国…何 とか領海を広げて出来るだけ資源を独り占め確保しつつ軍事的優位性も確保して10数億人の不満を抑え続けねばならない必死さも汲んでやりつつ 、そうした内向的怯えと対外的攻撃性の緊張を対外的条件だけからでも緩和してやらねばなるまい…一体何に怯えているのか、ほぐしてやりながら も友好の門は閉ざしてはならない…核存在下での国家間有事=戦争の無益だけはせめてもの前提としつつ、外交当事者間の、頭突き合わせた生の話 し合いでこそ醸成される、理屈を超えた信頼感をすぐに構築できる有徳の士を輩出できない劣化した民度であっても、話し合いの機会は切らしては ならないのが大前提である。しかし現実は…いまだそこまでの関係は築けていない。これも現実である。懸案の歴史問題、経済関係強化など一つ一 つの問題を愚直にやりおおすのは外交官僚が当然ながらしっかり遂行するとして…話し合いで尖閣問題が早期決着できれば安保法制など無用である 。互いに自分らの原理原則の建前を遠くから声明し合うだけでは互いに引くに引けず文字通り水掛け論以上には進まないばかりか言論への絶望だけ が増す悪循環を生むであろう。それは避けねばならない。
結局、尖閣と云う具体物を取り巻く現実だけは何をするにも現実的にとらえなければならないのである。だから、尖閣を中国に譲って事を収める、のも一つの手では ある。此れも否定するつもりはない。安保法制反対論者がどこかラブ&ピースに空疎で非論理的なのは尖閣という現実への見解が欠けているからで ある。彼らが結局尖閣をどうしたいのかよく分からないのである。尖閣を中国に譲るというのであれば反対論者の行動にも一貫性、正当性、説得力 はあるのである。既に石垣島の漁業者には中国漁船の違法威嚇的操業の被害が恒常化しているが、尖閣を譲ることで済し崩し的に近海の漁業権を奪われて 沖縄漁業者の生活が脅かされ、漁獲規制というものを知らない中国漁民に根こそぎ海洋資源を簒奪され(小笠原の赤珊瑚事件を思い出せ)、その他 海洋地下資源も独占されたとしても、戦争よりはましだというならそれも正しい思想である。尖閣が奪取されるにしろ割譲するにしろそうなったら 免れない日米安保の形骸化に伴って米中結託が現実化したものとして中国の漁船団が数にまかせて大挙、沖縄から九州近辺までの日本の排他的経済水域は確保されなくなるであろう…数十隻の中共の艦隊が控える数百隻の巨大漁船団に対して、数隻、よく集めて十数隻の海保、海上自衛隊艦船に 何ができるか。事実上沖縄までも中国に割譲を余儀なくされたとしたら、1、2年は沖縄の自治が認められようがその後は香港の例にあるように中共の独裁に甘んずるというのであればそれも思想であり、正しい選択である。歴史的に基地問題の混迷や旧皇軍による住民への蛮行の記憶もあって昨今掻き起されつつある沖縄アイデンティティという熾火を尊重し沖縄独立へと進むかもしれない岐路に沖縄人民自身が立った時、現実的には、日米による基地問題を抱えながら曲がりなりにも憲法で保証された言論の自由の中で種々の問題解決に挑むという遅々たる相変わらずを選ぶのか、日米が去ればすかさず駐留するだろう人民解放軍/中共による絶対的言論封殺を選ぶのか、どちらかである。どちらを選んでも沖縄人民の意志ならばそれは正しい。何度も云うが、尖閣は中国に譲って、領海や排他的経済 水域を確定して紛争の火種を消した後に、他の領海領土は専守防衛に徹するというならそれも正しいのである。そうした態度で果たして火種が消え るのか、弱腰に付け込んで更なる要求も突きつけるかもしれぬという疑心暗鬼は現時点ではきりがないが…。尖閣を譲るにしても守るにしても、生の話し合いによる、ある程度でもいい、100点でなくてもいい、そこそこの信頼だけでも成立させないと疑心が幾らでも暗鬼を生んで問題の解決には至らない。
小生個人の見解は、尖閣を中国に割譲する必要はないしそうしてはならないと考える。少なくとも現時点では南シナ海での既成事実作りに注力し東シナ海では現状の緊張関係維持を容認していると思われる中国に、わざわざ過剰な貢物をする道理は何もない。それをすれば、弱腰にはとことん付け込む大陸人の野性を思えば済し崩しの漁船団殺到と相まって国境確定による周辺事態の安定化も困難になるだろう。とはいえ軍事バランス逆転を狙って一国建艦競争に突っ走る中国の動きを話し合いで止められない現実があるならば安保の備えもやむなしと考えなければならない。武力に頼らずとも己の言論一つで以て中国の動きを止められると豪語する有徳の士があれば直接間接に、在野でも中枢でもいいから、しかるべき地位と実績を以てそうした活動に邁進していただきたいものである。そうした有徳の士の不在を嘆きながらも、そうした活動を自分自身で遂行する気が無いのであれば口先だけで安保反対する道理はない(尖閣割譲を許すならその限りではないが)。苦渋であるが、小生とて、そうした有徳の士に立候補する志は皆無であるという現実なのである。小生には小生にとってやるべきことがあるのだから。それに、何よりも石垣島の同胞の事を思えば、現状も既にひどいのに更に中国船籍による周辺海域での乱獲や漁船の数に物を云わせた威嚇的操業に拍車がかかるのは必至なのだから、尖閣割譲などもってのほかであり、同胞の事を思えば尖閣防衛しかないだろう。話し合いへの絶望は事態悪化の真の原因となるから厳に戒めねばならぬが、今の処、話し合いでは、中国による軍拡と尖閣奪取という脅威を除けていないという現実だけは重視せねばならない。脅威が続こうとも現状が維持されるならまだよいが、その保証も無いのである。この現実は究極の処、話し合い自体への絶望状況ではなく、日中双方の、肝と腹で以て言葉を吐く人物、有徳の士の不足という現実を示しているのである。言論を吐くのは取りも直さず人間なのである。
しかし尖閣を譲る気はない、けれどもラブ&ピースで安保法制反対というのであれば、現実に尖閣奪取を外交と軍備の両現実で以てちらつかせる中国への対処を 無視した妄言に留まり、「権力への意志」に長けた狡猾老獪なる自民党並びに中共はびくともしないし、それのみならず国民運動にも成り得ないだろうし尖閣は奪われる可能性は消えない。先述した、36歳の少壮愛国議員が、戦争反対ならば日本の国会ではなく中国、北朝鮮大使館前ですべき だ、とつぶやいたが、此れは確かに正しいのである。後で詳述する必要があるかもしれないが、自民党が、かつての左右両陣営を混淆しうる多様性 を働かせた与党でなく、国家主義政党へと徹底的に偏った現在にあって、今必要なのは、酸いも甘いも噛み分けた「権力への意志」をどっしり備えた健全なる中道左派の擁立である。民主党はその役にたりえていないのが自民党の国家主義化、昨今の政治状況の悲惨の根源である。国会論戦を垣間見ても民主党の議員は、思想的に自民党の法案の不備を鮮やかに衝く論理を自在に構築し得ず幼稚な駄々を捏ねるような喚きに過ぎない体たらくなのである。民主党の不様、 そうなった経緯は痛い程よく分かるにせよ…立党の原動力の一人老獪小沢を切り離した功罪か。安保法制反対論者が正しいのは、自民党に国家主義 、全体主義を嗅ぎ付ける直観だけであり、その限りにおいては、老獪なる大人の中道左派再編のためには欠くべからざるエキスではあると付言するに留める。
結局、尖閣を守るとなったら、話し合い以外の手法としては日米安保堅守以外にないのが現実であろう。以下、自民党の懸念を推測するに…尖閣を守るとなったら、人間力というのか言論にまさる有徳の士による解決が早期に見込めない以上、不断の話し合いの機会保持と、武力均衡の両面に頼ら ざるを得ないのが現実である。武力均衡が無い南シナ海での中国の既成事実的侵攻と、見かけ上、日米安保で武力均衡が取れている東シナ海の現実 を見ればよい。トリックスター首相鳩山のやらかしで日米安保が揺らいだと見るや、中国は尖閣へ公船や漁船を送って既成事実の機会を虎視眈々と増やしまくったかつての民主党時代を思い出せばよい。(鳩山がやらかした基地問題…災い転じて福となすのか、見所である。)日本単独での武力増強などは戦術的にも戦略的に経済的ではない。今できる事としては同盟国アメリカの武力を背景にしない手はないのである。そして アメリカが尖閣ごときで、大国としてのメンツ以外に中国と敵対する利益が無い以上は、米中結託を憶測しない訳にもいかず、そうなるとアメリカ は日米安保を形骸化してもよい言い訳を探すのは目に見えている。その言い訳、日米安保条約の亀裂の元こそは、アメリカは日本を守る義務がある が日本はアメリカを守る義務はない、という現状の条約内容である。軍事の常識に照らし合わせておよそ平等とは言えない非常識な此の条約内容は アメリカ側による日米安保条約破棄乃至は形骸化を促進する世論のいい口実にされるのは目に見えている。面倒な紛争回避と宥和を建前にして中国への尖閣 譲渡をアメリカが日本に仲介してくるのは目に見えている。あと数年もすれば東シナ海の軍事状況は中国優勢になるのははっきりしている現実を直視しなければならない。安保を平等化しても尚、アメリカが尖閣と日本を見限って米中結託に流れるというのであればその時こそ堂々と日米安保破棄、米軍基地の接収、一応違憲にはならぬ個別的自衛権で以て気持ちよく専守防衛に原点回帰すればいい。
なお、此度の安保法制反対者らは、此の法案の内容、背景に対してよく分からない、説明不足、審議が尽くされていないなどとうそぶくが…国内法であれば何もかも国会の場で説明しつくさればよいが、此度の安保法制に関してはそうはいかない事は特筆したい。反対論者の政治感覚の欠如が愚かしいと云わざるを得ないのである。60年代安保とは状況は違うのである。上記のような国際関係を、国会の場で何度も明言すればどうなるか分からないのか。幾ら中国を念頭にしていると云ってもそれを国会の場で何度も説明する事は、まるで敵国扱いを政府見解として既成事実化しているようなもので安保法制論議が火に油を注ぎ安全保障を損なわせるものなのである。それに、自民党の最大の懸念である、同盟国アメリカが尖閣有事に際して、現行の日米安保を反故にして軍を動かさないかもしれない、という懸念を、国会の場で首相安部が公表できるのか。そんな疑念を公表すれば、曲がりなりにも東シナ海の均衡を保っている現行の日米安保すら危うくなるのは必定である。首相安部が、同盟国アメリカが裏切るかもしれないからこんな法律が必要なんですよ、などと国会で、即ち世界に向けて、アメリカに向けて言えるわけがないじゃないか。だから、外国との関係が枢要となる法案に関して何もかも国会の場で公言するなどあり得ず、そこは阿吽の呼吸というのか、正確な情報を元にして国際状況を機敏に察する政治感覚が有権者/国民の側にも求められるのであり、此れはそういう事案なのである。公の場で説明すればいいというものではない。説明すれば何もかもぶち壊しになるセンシティブな事案なのである。黙って察知しろ、という話である。こうした背景を察知せず馬鹿の一つ覚えで国会の場で詳しい説明を求めるのは現実を知らない政治的幼児と云わざるを得ない。何度も云わせるな、愚民どもが、と自民党は苦々しく思っているだろう。政治、とりわけ安保とは危ういものだという現実を直視せよということである。無論、石垣島の同胞の更なる困難を見捨てて尖閣を中国に譲って手打ちにしたいと考えているならば此の限りではない。
さて、日米安保の平等化、即ち相互防衛義務は畢竟集団的自衛権の行使である。しかるに集団的自衛権は憲法9条に違反する。此れは正しい。従って此度 の安保法制を通すならば先に憲法改正が必要である、というのも正論である。しかしよく考えてみよ。自民党は国家主義政党、全体主義政党である 。こんな政党に憲法改正されたらば、9条だけでなく、その他、表現の自由その他基本的人権の条項まで国家の恣意の下に侵害を余儀なくされかね ない、あまりにも多大なる危険性が存在するのである。無論、9条だけ改正するというならそれでもよい。しかし現実は、マイナンバー制度一つと っても、初めは行政の効率化に資するためということで法案成立させながら後になってぽろぽろと、私企業によるマイナンバー管理や銀行口座にまで絡めて個人財産そのものを危険に晒してでも個人財産を国家の管理下に置こうとするという、水面下で思惑通り事を運ぶ政治的「うまさ」を現実化するのだから、油断はならないのである。安保法制にしたって集団的自衛権から国際貢献までいくつもの法案を一緒くたにして毒を薄めようとするゴマカシ工作だけは抜かりない。自民党は国家主義政党なのだから、憲法改正となれば9条だけで なくその他の人権条項にまで改悪を施して発議する可能性が高いと思わざるを得ない。仮に9条改正だけを先行で成功させたとしたら、その前例の勢いを借りて、次の段階で憲法の人権条項を巧妙に無力化し国家主義政体成立を目指すのは既定路線である。これは、自民党自身が公表している事である。
現実として資本封建制が進む此の国にあって何事も忘れっぽい奴隷型人間ばかり、人権など必要ないと思っている奴隷人間ばかり増殖している時局にあって、9条改正に賛成したいからその他の人権条項の変更を問題視せずに改正に賛成し、結果として人権蹂躙を憲法の条文の中で正当化される恐れがあるのである。こんな危険極まりない、政治上手の、強権的国家主義を公表した与党自民党に、如何なる理由があろうとも憲法改正に着手させることは国民/有権者として自殺行為に等しい。集団的自衛権の必要性 、9条改正を人質にして済し崩しに人権条項改悪を許すことだけは、如何なる理屈や状況があろうとも、あってはならないのである、と小生は強く云いたい。そうなってしまう可能性が僅かでもある限りは、自民党に、絶対に憲法改正だけは担わせてはならないのである。思えば首相安倍が始めから堂々と、9条改正発議して集団的自衛権容認へと仕向ければ巧みなプロパガンダで国民投票で案外可決出来たかもしれない。恐らく首相小泉であればそのような正面突破をやり抜けた可能性がある。しかし首相安倍はそこまで政治的胆力に欠けたものだから砂川判決だの憲法解釈変更だので以て小手先にゴマカシ、閣議決定による法案ご り押しで近道しようとして余計遠回りした感は否めない。集団的自衛権反対者だけでなく、集団的自衛権に賛成だけれども違憲だから反対だという 人まで敵に回したからである。しかしこれは政治的には僥倖と云わざるを得ない。始めから周到に憲法改正発議されたら愚昧なる民度の国民ゆえに9条改正に釣られて人権条項改悪までも国民投票で可決され立憲主義の下に人権蹂躙が決定的になったかもしれない可能性を思えば、そう思わざるを得ない。
だから、国家主義政党の自民党に、憲法改正という正論、すっきりした、誰もが納得するスジを通させてはならないのである。違憲状態という喉元 の痛烈な小骨を飽くまでも居心地悪く差し込ませたまま、仮に尖閣防衛を絶対とするならば、日米安保の平等化=集団的自衛権の容認というリスク を負わなければならないのである。現政権与党の、「国家主義的善意」が許容されるのは、国土防衛に係るこうした形にのみ限らなければならない 。ただし、安保法制に対して違憲と云う小骨を残したからとて、いざとなったら最高裁が其れに違憲判決を出して歯止めとなってくれるという期待 に依存する故の事だとしたら、それはもう現時点で、希望的観測に過ぎない絵空事として、諦めた方がよい。此の国の三権分立は建前に過ぎず、そ れも無いよりはましだが、政権の根幹に関わる事で最高裁が違憲を出す可能性はそれこそ皆無、その事はあの砂川判決が物語っているだろう。そうした絶望状況を踏まえた上での、苦渋の受け入れなのである。政権の恣意的解釈による憲法の形骸化と、憲法そのものの、民主的手続きを得た凶悪化のどちら がよいか、究極の選択とはいえど、前者にごく僅かな光明を見出すしかない、苦渋の選択なのである。
集団的自衛権を問題視する論点としてはアメリカがやらかす戦争への無益な巻き込まれがあるが、当然それはリスクである。しかし軍事同盟とはそ ういうものであるとしかいいようがない。尖閣と云う、アメリカにとってどうでもよい小島に、自衛隊共々アメリカに馳せ参じてもらう体制を作る ためには致し方ない代償である。都合よく解釈すれば、平等なる軍事同盟であればアメリカの暴走に物を申す事も可能であろう。守ってもらうだけ の子供のような同盟国から金をせびりこそすれ、及び腰の諫言などに聴く耳は貸さないのが常識である。集団的自衛権行使容認の条件、歯止めの条件の完成度に関しては確かに怪しく政権の恣意に支配され、此れを理由に反対するのも分かるが…いったん集団的自衛権を容認したとなると混迷する有事に際し法律で以て賢明なる判断を下すのは至難だろう…腹をくくるしかないか、国会決議よりも国民投票を条件にするしかないだろう。
ちなみに、もう一つの論点として、自衛隊が戦争に参加する事で生命の危険が及ぶかもしれない、というセンチメンタルな言説である。此れに関しては小生、同情の余地なく笑止である。自衛隊員は自ら望んで国策に殉ずる覚悟を持った人間であり、彼らを一般国民とは峻別すべき理性こそ働かせねばならないのである。自衛隊は、危険地域、そして法制次第では紛争、戦争地域で生き残りつつ任務を遂行するために、経済生産活動には直接従事する事無く、国民の血税で以て日々訓練に励んでいる者である。過剰な尊崇も卑しめも不要、自らの意志で国民の負託に応えようとする自衛隊に非論理的な感傷は無用である。自衛隊が戦地に行かされる事で済し崩しに徴兵制になるかも、という、物事を区別できない反理性的不安も、理解できないでもないが、そうした反理性に付け込んで済し崩し的に徴兵制だろうがなんだろうが既成事実にさせるのが今の自民党である。人の耳目を驚かせ興味本位に先走る言説が、既成事実の下地作りに寄与するという言葉自体の恐ろしさも肝に銘じなければならない。ここまで書いておいて手遅れかもしれないが…要するに断固たる理性を保持すればいいだけである。徴兵制の動きになれば国家の恣意的強制による国民の生命蹂躙としてその時の政権の無能を断罪し国家の資格なしとして断固戦うしかない。法制によって、戦地に赴く自衛官が直前で大量退職し始め戦力の不備が看過できないようになったら、まずは、国民は、実力組織の本質を知らず国策に殉ずる覚悟も無しに入隊して多大なる血税を浪費した挙句国民の負託から逃避する隊員の卑怯を街で嗤えばよい。災害救助などの無害な英雄イメージに殊更に感化されて入隊した挙句、実力組織が対峙する本来の現実を目前にして慌てて逃げ出す知的薄弱、志の無さを街で嗤えばよい。それでも、嫌なら辞める自由はある、という話である。隊員減少による弊害が現実化したら、国民としてのそれへの対処は、それからでも遅くはない。
自衛隊の作戦決定過程において防衛大臣に直接進言できるのは文官の背広組だけに制限することで文民統制の 基盤ならしめていた制度を、文官だけでなく武官も直接進言できるようにして作戦決定過程の迅速化と効率化を図った法案があったが…これは防衛大臣が国会議員である以上文民統制は保持されているという政権の解釈を小生としてもぎりぎり許容範囲とするものであり、もっと言えば、文官が現場の実態を知らないのが問題なのだから制度を変えずとも文官を叱咤し現場に行かせるようにすればよいだけの話なのだが…ある日の事、このニュースを、ある番組のアナウンサーは涼しい顔で「これにより文民統制は解消されました」などと原稿を読んで平気でいるのを耳にして激怒した事があるが…、間違いに気付かないこの無神経、この理性の無さが問題なのである。文民統制が解消された、という事は実力組織である自衛隊によるクーデター、独裁さえも可能になるのであって、こうした重大な意味を知らない、感じない原稿起草者とそれを読んだキャスターの政治的無神経、政治的無知こそが軍国主義的既成事実の下地作りに寄与するから恐ろしいのであって、こういう無知、非理性こそが、国家主義政党に付け入る隙を与えるのである。
結局、現段階では、革命でも起きない限り、安保法制も早々成立するだろう…此れも現実である。安部政権は、傷口を最小限に止める方策を小出しにしながら(新国立競技場の計画白紙、沖縄基地問題の冷却期間…)、政権への支持率低下も辞さぬ覚悟で安保法制成立に臨むだろう…民主党には見いだせない、そうした政治的胆力だけは見習うべきものがある、残念ながら…。我々はこの、以上のような種々の状況、観点から鑑みて困難なる苦渋を受け入れなければならない。集団的自衛権へ踏み切る選択という苦渋を受け入れ、且つ、これまでの円高是正、消費増税と云う、ファシストならではの経済上手を見せた自民党にしか出来なかった経済政策の成功だけは認めながらも、しかる後に、来る参院選、衆院選で以て、自民党という国家主義政党を確実に政権から引き摺り下ろさなければならない…そうした場で改めて集団的自衛権を見直してもよい。繰り返すが、国家主義政党の自民党の役割は円高是正、消費増税~安保法制まで、と見限らねばならない。これ以上自民党を野放しにしておくとそれこそ国民主権が国家主権になるだろう。そこで云われる国家の実態とは、経団連大企業の幹部と世襲政治家(資本封建制と票田封建制の結託)という少数のちんけなのであり、国民多数とは乖離しているのである(兎にも角にも投票率の低さ、政治への無関心即ち有権者の奴隷化がすべての原因)。取りも直さず肝の据わった中道左派、健全なるリベラルの再編が喫緊の課題である。歴史問題という口実を与えて反日、尖閣問題の硬直化を招いた面もある安部自民党が政権を下りれば歴史問題一新のチャンス、ひいては反日、尖閣問題緩和の契機にもなろう。社民党があまりに弱小化し、民主党は、自民党に寸鉄を刺すが如き質問が出来ず子供の駄々のような抗議しか出来ない稚拙政治から脱却できない現国会において、歴史的に極左であろう共産党が、今の国会内では数少ない中道左派候補とは幾らなんでもあまりに名と体が解離した、笑うに笑えぬ滑稽ではないか。名よりも実を取る、という考え方もあるが…。
「あぶらだこ/[亀盤](1988)tkca-70829」
いわゆる亀盤…楽曲の輪郭は比較的はっきりまとまっている分、演奏作業に係る個々の打撃や弾きの強力や殺伐が鈍器や炎のように極められ、例によって軍靴で踏み躙られた不屈の雨蛙の内臓迸り引き摺りながらの薄汚く姿勢の低い濁声による読経朗誦も詩形の逆光に映える…言葉の問題からすれば着目するに足らぬ安易なうわべ自慢、例えて云えばさしずめ、いくら全国荒野を行脚しようともどうにも金まみれの卑しい自意識過剰から脱却出来ぬ自称漂泊俳人種田山頭火が老境の狂いで以てロックという目先の流行に便乗したらばこうした楽興になるのかしらんと思われる…とは言え、行脚で培われた草いきれの濃さはむんむん感じる、聴いて損なしの佳作である。またしても鑑定団二本立て連続視聴の極楽地獄…正式な昼寝2時間後のんべんだらりと、しかし厳しい鑑賞眼が体から独立して自ずと働くから制御できぬ疲労だけは体に押し付けられて次次目が物を見る無駄な時間を過ごす…漆で繕わないといけない器が山ほどあるのに怠惰に流されるまま…明日挽回できるのか早くもげんなり…国内外から狂ったように怒涛のように押し寄せるから既にどこの宿も一杯、結局この夏もどこにも行けない蟄居の寝正月ならぬ寝盂蘭盆なのか。本気でどこかに観光に行きたい訳でもなかったからゆえのもたついた対応による必然。全く悔いなく、しずこころなく里帰りする凡庸もまた良し。細君の友人の紹介で本格的な中国茶を喫せるお店「露伴茶館」で優雅な時を過ごす…一階が上客相手の骨董屋でその二階に位置するこの店内の調度や什器も趣味よく古格を帯びて清潔、茶道具は過剰に暑苦しい骨董趣ではない新物なれど店主の目利きは覗えるから嫌味なく眼福…剛毅な鉄釉がのぺえと広がる板皿にあしらわれた茶うけ菓子の創意はまるでルネサンス、ポッティチェリの「春」で集う女神たちの足元で可憐に息づく小さな花々たちのような繊細な野趣溢れる菓子たち…極上である。店内の厠までの小路脇の本棚にはさりげなく岩波書店の幸田露伴全集全巻をきちんと懸架して問題意識の高さが覗える…喫茶店で茶や珈琲を出されても猫舌の小生にとっては熱すぎて舌が火傷、せっかくの工夫が凝らされた味わいが台無しになる口惜しさなのだが…露伴茶館では湯の温度をきちんと整えられ、薄手小ぶりの色絵煎茶碗で頂くから茶の妙味が存分に興されて心憎い…赤児の手ほどの急須の一杯目は格別ながらその後五煎ほどしても全くその仙味が衰えない。茶と、そのひと時を、まさに「珍重」する。人間人間いうても結局この世は、殊更人間と呼称すべき存在など殆どいない。社会内存在だろうとその実態たるは、その背後で支配的な退屈な生命原理に束縛された動物ばかり、生まれて喰って繁殖して死ぬだけ。何が楽しくて生きているのやら分からぬ。それに難癖をつけられるほど、人間の立場の優位性を前提にして云えやしないのは承知しているものの、一抹の空しさは禁じえない。ジミー・ペイジが平和公園に献花していた…。あんな人間の動きを誰が欲しているのか理解に苦しむシンクロナイズドスイミングの過剰にとち狂った演技。官公庁や学校での国歌斉唱は、国家が国家主義者を育てる場所なのだからとやかく云わぬがプロ野球の試合前に観客に国歌斉唱&起立させるのには、民間の興業にまで潜入する国家主義の抜け目ない発露に対して自明なる革命権を根拠とした忿怒がわなわな震える…野球が国家主義の手先であるのは重々承知しているにしても…。生ごみ系の蚊が水分補給しに、小生が唐津湯呑に備蓄する麦茶を飲みに来る煩わしさ…倒せない。アンデルセンのカヌレが旨過ぎる…中はしっとり重厚な得も言われぬ甘味…パンをその場で食べられる単なる一階だけのパン屋だと思っていたらなめていた、三階までパン空間で上質の暮らしに躍起になる来客でびっしり、舶来の珍しいパン焼き立て展示販売もすればビュッフェというのか、小生にはバイキングと区別できぬがパンと一緒に意中の洋食も食べられるシャレ乙スタイル予約制、浮世離れした器や雑貨なども陳列…。アメリカのブロカントなぞを仕入れる別の店で…ルノワールの裸婦の肌色みたいに真珠色にうねりながら輝くガラス製のカップとソーサーを見かける…如何なる飲物でも不味く見せるそのカップにそそられ…覚えておく。酷熱のアスファルトには蝉の死、蒼白い腹を見せて三対の脚を合掌する図…南無大師遍照金剛。
「陥没」 あぶらだこ
錯乱と土人道を 西に向かい歩けば
硬貨は砂となれ そのかわり麦となれ
チョルテンの上を泳ぐ 魔鏡の砂利船
緘黙のガラパゴス
上げ湖飲みこめ直結 剣山の傭兵
地獄を凌駕した 調合された怪物
肉体を棄て去り 永遠の文字となれ
溺れる天の民 苔にもこけず
小町 裕:bass
伊藤健一:drums, kake-goe
和泉明夫:guitar
長谷川裕倫:vocal, piano