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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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安全保障談話

ささやかな里帰りの運転中…川沿いの国道を北上していると河川敷の処々で盆踊りのやぐらを組み立て中の炎天下…しかし注目したのは紅白の幕だ けでなく黒白の幕も設えられて…祖霊の出迎え、今年逝った肉親への慰霊が疎かにされない伝統もひとしおである。衆議院を通過し、参議院で会議 中の安保法制に対する小生の思想的現実的立場を此処に明確にせんとする次第…折しも真夏のBGMとして流しっぱなし学徒出陣保存会=高校野球 を漫然と眺めながらも思い出されるのは…昨夜のNスぺで肉声録音されていた20代の特攻隊員の話し方…遊就館や回天記念館で小生が実見した特 攻隊員の遺書はいずれも立派な漢文調の達筆であったが…およそ70年前に肉声で記録された其の話術は現代の其れとほぼ変わらない口語調に幼さが 残り、奇しくも現在の高校球児と呼ばれる人種の宣誓やインタビューへの応答と何ら変わらない身近な稚拙、という括目があった…8/6広島市長の平 和宣言には特筆すべき何物もなく頭ごなしに原爆の絶対悪と絶対平和を云うのみで詮無い愚説を呈したが広島県知事の平和宣言は…核抑止力の相互 均衡による平和実現という理念よりも、核兵器使用による地獄という現実を此処広島から直視せよと説くから此れには、現実に立脚した確たる思想 があり世に説く力があったと云えよう。ただし実際には、広島に来ても被爆の実相を感得しうるような要素を此の市長、県知事自らが払拭し、通常 兵器とは次元を異にする核兵器の問答無用の悲惨の国際的隠蔽に唯一の被爆地自らが加担しているとしか思えぬ背信行為をしている、と、以前に事 ある毎に小生は書いてきた。「客観展示にそぐわぬ」という浅薄なる配慮から原爆資料館から、被爆の実相を最もよく伝える被爆者人形を撤去した 事が其の証左である。その結果、被爆の実相を来館者に感得させる総本山たる資料館の中で重度火傷した市民の写真や泡を吹いた瓦、炭化した飯が 入ったアルマイトの弁当箱を幾ら見せられようとも通常兵器による被害という印象しか与えられない。語り部伝承と称して戦後生まれの素人への口 伝に予算を使ったりといった小細工をしても実相は伝えられないばかりか隠蔽に加担する背信に陥る…結局、経時による記録と記憶の劣化に抗しう るのは一流の「作品」だけであり、そうした作品に足る「被爆者人形」と「はだしのゲン」を巧みに隠蔽し続ける限り反核どころか核兵器肯定に資 する背信に陥っているのである。被爆の実相を伝承だけに終わらせず現代人の感覚にいちいち喚起/生成させるには、人形の撤去でなく、むしろ、ハ リウッド等の特殊メイク職人に、もっとリアルな人形を作らせて資料館に設置したり、あるいは資料館の一角で常時「ゲン」の放映会を行う、民放 でもNHKでも此の日だけはゲンを流す、それだけでよいはずである。ゲンの親父が下駄作りながら天皇批判する些末に拘泥してはならない。8/6にゲンについて言及したのはカープの大瀬良だけ、という体たらくである。

したたかな政権中枢の緊張感に配慮する知性はまず期待できない取り巻き連中、小判鮫の如き追従者、執行部の持ち駒=捨て駒に過ぎぬ俄か議員ど もが少壮愛国者を気取って意気軒昂なる悪目立ちに走ろうとも雑魚は雑魚なりに中枢の真意を嗅ぎ取る姑息に長けており…政権中枢は雑魚の戯言と して切り捨て、事態をいくら矮小化しようとも雑魚の言はそれなりに政権中枢の真意を代弁していると分析して間違いはない。政治権力を使って経 団連経由でマスコミの言論統制を実施すべしと強弁する議員もおれば、その会議体に同じく出席していた別の36歳の少壮愛国議員は、ツイッターで安保法制へ の反対論者を揶揄して戦争を忌避する市民感情を利己主義と非難することで戦時中の全体主義思想を蘇らせる言説を晒して平気である。

前者の主張は最早今時局において単なる言説レベルではない現実と化していると見るべきであって、その証拠に、経団連が最も肩入れする労働者派 遣法改悪に関する世論調査をマスコミは公表しなかった、少なくとも安保法制に係る世論調査程には頻繁に公表せず、スポンサーの経団連の意向に 服従し視聴者市民=大多数の労働者の幸福追求権を侵害した事実から覗える。既に、政権=経団連結託共同体によるマスコミ言論統制は現実に行わ れており、それによって労働者搾取が公的に認可され、即ち国家が国民を使役する倒錯的人権弾圧が制度的に承認され国家が国民への敵性を帯びた 制度犯罪が明確になったのである。安保法制どころか、小生としてはむしろ労働者派遣法に関して国民は広くわなわなと怒りに打ち震えるべき、そ れぐらいに国民全般の第一たる生活が国家=経団連即ち一部の封建的世襲政治家と資本家の恣意によって搾取され彼らの私腹肥やしの助長に国民全 般の人生が奉仕させられるこの上ない侮辱を強いられる結果を看過したことになるのである。選挙区という票田=石高を一族郎党=後援会組織で以 て代々世襲する民主的封建政治家の問題や、大企業がその傘下の中小企業が製造する部品なり材料なりを安く買い叩く事で文字通り搾取する資本主 義的階級制については別稿に譲る。大企業の社員の給料が傘下の中小企業の社員の給料より絶対に高い、という事実を見れば一目瞭然である事を指 摘するに留めたい。

後者の少壮愛国議員はそのブログで現日本国憲法の三大原則「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を、彼の考えるおよそ陳腐な日 本主義に立脚して否定する処から思想的確信犯であるにしても、その思想の粗末さたるは、人間を主体とした歴史と現実への生々しい感覚を欠いた「空疎」な「知的稚拙」に由来す る…およそ戦争を介した、国家と国民の関係というものを「利己主義」などという意味作用の単純な用語でまとめて何事か言い当てた感に得意であ るという知的脆弱性は滑稽を通り越して情けない。こういう輩は、生まれながらの下級国民は戦争に行って私が考える国益に奉仕すべきだが私は高貴だから戦争に行くべきでない、と考える、有権者国民を愚弄して憚らぬ選民思想、特権階級意識の持ち主であって、元より国会議員の資格は絶無である。戦争という現実に端から対峙する気のない保身の輩に限って声高に戦争への奉仕を説く、だからこその「空疎」であり、思想に値しない「知的稚拙」なのである。こうした下劣者の出現は歴史の凡庸ではあるにせよ…。この輩は持ち駒とはいえ政権中枢の議席数に組する、立法への小さくない影響力を思えば、滑稽を越えて戦慄すべき、 切迫した政治的危機と捉えざるを得ない。国家は本来国民の生命と財産を守るために存在する必要悪の制度である。しかるに其の逆に、国家が国民 にその生命を要求する時、如何なる残虐と人間蹂躙、計り知れない侮辱が起こるか、という現実の歴史に思いを致す誠の知性と歴史感覚に徹底的に 欠けた、薄っぺらい愛国気取りの常套手段が、国家と云う妄想を実物のように奉り国民と云う現実を蔑にする国民の敵になって愛国気取りする有害なる愚昧なの である。国家や文化を考えるにしてもその根幹たる人間を主体として考える現実の知性に欠け、国家や文化という概念を主体として考える妄想に流される愚昧のなせる業である。とはいえこうした腐れ愛国雑魚どもの国家主義的言説は彼らのその場限りの思いつきに過ぎないのではなく、寧ろ、自民党の憲法改正草案 を根拠としているのだから、驚くに値しない。その事については以前、大分の文章で明確にした。

自民党の憲法改正草案では、天賦人権説を否定し、人権を 国家や民族の歴史性文化性の下に相対化する、そうした思想的操作自体が国家的恣意である其の恣意の下で、人権を国家の恣意の下に弾圧する事を 明文化しており、公益と公の秩序という、国家的恣意を動機として言論、表現弾圧が可能な条文に改悪する事を広く世に宣言しているのである。労働者派遣法でもこの憲法改正草案でも同じことだが、自民党の手口は、国会の答弁や条文草案外のQ&A集では、労働者搾取にあたらないし 表現の自由等を侵害するものではないとその場しのぎに上手く言い訳するが「実際の条文」では労働者を搾取し表現の自由等を侵害しているのである。国民は日本語の文 章の意味が読み取れない馬鹿ども、というふうに馬鹿にしているのだろう。自民党の憲法改正草案はその意味ではヒトラーの「我が闘争」と同じである。彼らが今後やろうとしている事は全て公表されているのである。従って、政権与党、自由民主党は国家主義政党である。自民党は全体主義政党である。自民党は国民の敵である。自民党は、憲法三原則の内少なくとも二つを破壊するつもりであり、即ち国民主権を排して国家主権を奉じ、 基本的人権を尊重せず国家の恣意の下に侵害する国家主義政党である。その事は、雑魚の失言に俟たずとも、公表された憲法改正草案から、明白で ある。

とはいえ、…安保である。まず掲げるべきは…他者(他国)との粘り強い言論を諦め姑息な内向的保身に先鋭的に引き篭もる時、武力への依存が始 まる…。此れを前提としながらでも、近隣国への対応には、他者性が問題となるため、己自身の内の思想的練磨だけでは事は足りない。結局、はっ きりせねばならぬのは、尖閣をどう思うか、であって…その前に、当然ながら日本国家としては、対外的に領土的野心を剥き出しにして軍備拡張を 続ける中国のそうした政策の背後にある彼らなりの国内事情、不安、怯え、歴史的背景なども勘案しながら、どっぷり肝胆相照らす話し合いを必要 とせねばならない…そのために、そうした深甚なる話し合いができ、遅れて来た国家資本主義国として頑なな態度の相手の胸襟を開かしめる器量と いうか有徳の士が外交担当者に必要である。前世紀の帝国主義戦争の経験を経て、いまだに、寧ろ今更に旧来の帝国主義的手法に固執する中国…何 とか領海を広げて出来るだけ資源を独り占め確保しつつ軍事的優位性も確保して10数億人の不満を抑え続けねばならない必死さも汲んでやりつつ 、そうした内向的怯えと対外的攻撃性の緊張を対外的条件だけからでも緩和してやらねばなるまい…一体何に怯えているのか、ほぐしてやりながら も友好の門は閉ざしてはならない…核存在下での国家間有事=戦争の無益だけはせめてもの前提としつつ、外交当事者間の、頭突き合わせた生の話 し合いでこそ醸成される、理屈を超えた信頼感をすぐに構築できる有徳の士を輩出できない劣化した民度であっても、話し合いの機会は切らしては ならないのが大前提である。しかし現実は…いまだそこまでの関係は築けていない。これも現実である。懸案の歴史問題、経済関係強化など一つ一 つの問題を愚直にやりおおすのは外交官僚が当然ながらしっかり遂行するとして…話し合いで尖閣問題が早期決着できれば安保法制など無用である 。互いに自分らの原理原則の建前を遠くから声明し合うだけでは互いに引くに引けず文字通り水掛け論以上には進まないばかりか言論への絶望だけ が増す悪循環を生むであろう。それは避けねばならない。

結局、尖閣と云う具体物を取り巻く現実だけは何をするにも現実的にとらえなければならないのである。だから、尖閣を中国に譲って事を収める、のも一つの手では ある。此れも否定するつもりはない。安保法制反対論者がどこかラブ&ピースに空疎で非論理的なのは尖閣という現実への見解が欠けているからで ある。彼らが結局尖閣をどうしたいのかよく分からないのである。尖閣を中国に譲るというのであれば反対論者の行動にも一貫性、正当性、説得力 はあるのである。既に石垣島の漁業者には中国漁船の違法威嚇的操業の被害が恒常化しているが、尖閣を譲ることで済し崩し的に近海の漁業権を奪われて 沖縄漁業者の生活が脅かされ、漁獲規制というものを知らない中国漁民に根こそぎ海洋資源を簒奪され(小笠原の赤珊瑚事件を思い出せ)、その他 海洋地下資源も独占されたとしても、戦争よりはましだというならそれも正しい思想である。尖閣が奪取されるにしろ割譲するにしろそうなったら 免れない日米安保の形骸化に伴って米中結託が現実化したものとして中国の漁船団が数にまかせて大挙、沖縄から九州近辺までの日本の排他的経済水域は確保されなくなるであろう…数十隻の中共の艦隊が控える数百隻の巨大漁船団に対して、数隻、よく集めて十数隻の海保、海上自衛隊艦船に 何ができるか。事実上沖縄までも中国に割譲を余儀なくされたとしたら、1、2年は沖縄の自治が認められようがその後は香港の例にあるように中共の独裁に甘んずるというのであればそれも思想であり、正しい選択である。歴史的に基地問題の混迷や旧皇軍による住民への蛮行の記憶もあって昨今掻き起されつつある沖縄アイデンティティという熾火を尊重し沖縄独立へと進むかもしれない岐路に沖縄人民自身が立った時、現実的には、日米による基地問題を抱えながら曲がりなりにも憲法で保証された言論の自由の中で種々の問題解決に挑むという遅々たる相変わらずを選ぶのか、日米が去ればすかさず駐留するだろう人民解放軍/中共による絶対的言論封殺を選ぶのか、どちらかである。どちらを選んでも沖縄人民の意志ならばそれは正しい。何度も云うが、尖閣は中国に譲って、領海や排他的経済 水域を確定して紛争の火種を消した後に、他の領海領土は専守防衛に徹するというならそれも正しいのである。そうした態度で果たして火種が消え るのか、弱腰に付け込んで更なる要求も突きつけるかもしれぬという疑心暗鬼は現時点ではきりがないが…。尖閣を譲るにしても守るにしても、生の話し合いによる、ある程度でもいい、100点でなくてもいい、そこそこの信頼だけでも成立させないと疑心が幾らでも暗鬼を生んで問題の解決には至らない。

小生個人の見解は、尖閣を中国に割譲する必要はないしそうしてはならないと考える。少なくとも現時点では南シナ海での既成事実作りに注力し東シナ海では現状の緊張関係維持を容認していると思われる中国に、わざわざ過剰な貢物をする道理は何もない。それをすれば、弱腰にはとことん付け込む大陸人の野性を思えば済し崩しの漁船団殺到と相まって国境確定による周辺事態の安定化も困難になるだろう。とはいえ軍事バランス逆転を狙って一国建艦競争に突っ走る中国の動きを話し合いで止められない現実があるならば安保の備えもやむなしと考えなければならない。武力に頼らずとも己の言論一つで以て中国の動きを止められると豪語する有徳の士があれば直接間接に、在野でも中枢でもいいから、しかるべき地位と実績を以てそうした活動に邁進していただきたいものである。そうした有徳の士の不在を嘆きながらも、そうした活動を自分自身で遂行する気が無いのであれば口先だけで安保反対する道理はない(尖閣割譲を許すならその限りではないが)。苦渋であるが、小生とて、そうした有徳の士に立候補する志は皆無であるという現実なのである。小生には小生にとってやるべきことがあるのだから。それに、何よりも石垣島の同胞の事を思えば、現状も既にひどいのに更に中国船籍による周辺海域での乱獲や漁船の数に物を云わせた威嚇的操業に拍車がかかるのは必至なのだから、尖閣割譲などもってのほかであり、同胞の事を思えば尖閣防衛しかないだろう。話し合いへの絶望は事態悪化の真の原因となるから厳に戒めねばならぬが、今の処、話し合いでは、中国による軍拡と尖閣奪取という脅威を除けていないという現実だけは重視せねばならない。脅威が続こうとも現状が維持されるならまだよいが、その保証も無いのである。この現実は究極の処、話し合い自体への絶望状況ではなく、日中双方の、肝と腹で以て言葉を吐く人物、有徳の士の不足という現実を示しているのである。言論を吐くのは取りも直さず人間なのである。

しかし尖閣を譲る気はない、けれどもラブ&ピースで安保法制反対というのであれば、現実に尖閣奪取を外交と軍備の両現実で以てちらつかせる中国への対処を 無視した妄言に留まり、「権力への意志」に長けた狡猾老獪なる自民党並びに中共はびくともしないし、それのみならず国民運動にも成り得ないだろうし尖閣は奪われる可能性は消えない。先述した、36歳の少壮愛国議員が、戦争反対ならば日本の国会ではなく中国、北朝鮮大使館前ですべき だ、とつぶやいたが、此れは確かに正しいのである。後で詳述する必要があるかもしれないが、自民党が、かつての左右両陣営を混淆しうる多様性 を働かせた与党でなく、国家主義政党へと徹底的に偏った現在にあって、今必要なのは、酸いも甘いも噛み分けた「権力への意志」をどっしり備えた健全なる中道左派の擁立である。民主党はその役にたりえていないのが自民党の国家主義化、昨今の政治状況の悲惨の根源である。国会論戦を垣間見ても民主党の議員は、思想的に自民党の法案の不備を鮮やかに衝く論理を自在に構築し得ず幼稚な駄々を捏ねるような喚きに過ぎない体たらくなのである。民主党の不様、 そうなった経緯は痛い程よく分かるにせよ…立党の原動力の一人老獪小沢を切り離した功罪か。安保法制反対論者が正しいのは、自民党に国家主義 、全体主義を嗅ぎ付ける直観だけであり、その限りにおいては、老獪なる大人の中道左派再編のためには欠くべからざるエキスではあると付言するに留める。

結局、尖閣を守るとなったら、話し合い以外の手法としては日米安保堅守以外にないのが現実であろう。以下、自民党の懸念を推測するに…尖閣を守るとなったら、人間力というのか言論にまさる有徳の士による解決が早期に見込めない以上、不断の話し合いの機会保持と、武力均衡の両面に頼ら ざるを得ないのが現実である。武力均衡が無い南シナ海での中国の既成事実的侵攻と、見かけ上、日米安保で武力均衡が取れている東シナ海の現実 を見ればよい。トリックスター首相鳩山のやらかしで日米安保が揺らいだと見るや、中国は尖閣へ公船や漁船を送って既成事実の機会を虎視眈々と増やしまくったかつての民主党時代を思い出せばよい。(鳩山がやらかした基地問題…災い転じて福となすのか、見所である。)日本単独での武力増強などは戦術的にも戦略的に経済的ではない。今できる事としては同盟国アメリカの武力を背景にしない手はないのである。そして アメリカが尖閣ごときで、大国としてのメンツ以外に中国と敵対する利益が無い以上は、米中結託を憶測しない訳にもいかず、そうなるとアメリカ は日米安保を形骸化してもよい言い訳を探すのは目に見えている。その言い訳、日米安保条約の亀裂の元こそは、アメリカは日本を守る義務がある が日本はアメリカを守る義務はない、という現状の条約内容である。軍事の常識に照らし合わせておよそ平等とは言えない非常識な此の条約内容は アメリカ側による日米安保条約破棄乃至は形骸化を促進する世論のいい口実にされるのは目に見えている。面倒な紛争回避と宥和を建前にして中国への尖閣 譲渡をアメリカが日本に仲介してくるのは目に見えている。あと数年もすれば東シナ海の軍事状況は中国優勢になるのははっきりしている現実を直視しなければならない。安保を平等化しても尚、アメリカが尖閣と日本を見限って米中結託に流れるというのであればその時こそ堂々と日米安保破棄、米軍基地の接収、一応違憲にはならぬ個別的自衛権で以て気持ちよく専守防衛に原点回帰すればいい。

なお、此度の安保法制反対者らは、此の法案の内容、背景に対してよく分からない、説明不足、審議が尽くされていないなどとうそぶくが…国内法であれば何もかも国会の場で説明しつくさればよいが、此度の安保法制に関してはそうはいかない事は特筆したい。反対論者の政治感覚の欠如が愚かしいと云わざるを得ないのである。60年代安保とは状況は違うのである。上記のような国際関係を、国会の場で何度も明言すればどうなるか分からないのか。幾ら中国を念頭にしていると云ってもそれを国会の場で何度も説明する事は、まるで敵国扱いを政府見解として既成事実化しているようなもので安保法制論議が火に油を注ぎ安全保障を損なわせるものなのである。それに、自民党の最大の懸念である、同盟国アメリカが尖閣有事に際して、現行の日米安保を反故にして軍を動かさないかもしれない、という懸念を、国会の場で首相安部が公表できるのか。そんな疑念を公表すれば、曲がりなりにも東シナ海の均衡を保っている現行の日米安保すら危うくなるのは必定である。首相安部が、同盟国アメリカが裏切るかもしれないからこんな法律が必要なんですよ、などと国会で、即ち世界に向けて、アメリカに向けて言えるわけがないじゃないか。だから、外国との関係が枢要となる法案に関して何もかも国会の場で公言するなどあり得ず、そこは阿吽の呼吸というのか、正確な情報を元にして国際状況を機敏に察する政治感覚が有権者/国民の側にも求められるのであり、此れはそういう事案なのである。公の場で説明すればいいというものではない。説明すれば何もかもぶち壊しになるセンシティブな事案なのである。黙って察知しろ、という話である。こうした背景を察知せず馬鹿の一つ覚えで国会の場で詳しい説明を求めるのは現実を知らない政治的幼児と云わざるを得ない。何度も云わせるな、愚民どもが、と自民党は苦々しく思っているだろう。政治、とりわけ安保とは危ういものだという現実を直視せよということである。無論、石垣島の同胞の更なる困難を見捨てて尖閣を中国に譲って手打ちにしたいと考えているならば此の限りではない。

さて、日米安保の平等化、即ち相互防衛義務は畢竟集団的自衛権の行使である。しかるに集団的自衛権は憲法9条に違反する。此れは正しい。従って此度 の安保法制を通すならば先に憲法改正が必要である、というのも正論である。しかしよく考えてみよ。自民党は国家主義政党、全体主義政党である 。こんな政党に憲法改正されたらば、9条だけでなく、その他、表現の自由その他基本的人権の条項まで国家の恣意の下に侵害を余儀なくされかね ない、あまりにも多大なる危険性が存在するのである。無論、9条だけ改正するというならそれでもよい。しかし現実は、マイナンバー制度一つと っても、初めは行政の効率化に資するためということで法案成立させながら後になってぽろぽろと、私企業によるマイナンバー管理や銀行口座にまで絡めて個人財産そのものを危険に晒してでも個人財産を国家の管理下に置こうとするという、水面下で思惑通り事を運ぶ政治的「うまさ」を現実化するのだから、油断はならないのである。安保法制にしたって集団的自衛権から国際貢献までいくつもの法案を一緒くたにして毒を薄めようとするゴマカシ工作だけは抜かりない。自民党は国家主義政党なのだから、憲法改正となれば9条だけで なくその他の人権条項にまで改悪を施して発議する可能性が高いと思わざるを得ない。仮に9条改正だけを先行で成功させたとしたら、その前例の勢いを借りて、次の段階で憲法の人権条項を巧妙に無力化し国家主義政体成立を目指すのは既定路線である。これは、自民党自身が公表している事である。

現実として資本封建制が進む此の国にあって何事も忘れっぽい奴隷型人間ばかり、人権など必要ないと思っている奴隷人間ばかり増殖している時局にあって、9条改正に賛成したいからその他の人権条項の変更を問題視せずに改正に賛成し、結果として人権蹂躙を憲法の条文の中で正当化される恐れがあるのである。こんな危険極まりない、政治上手の、強権的国家主義を公表した与党自民党に、如何なる理由があろうとも憲法改正に着手させることは国民/有権者として自殺行為に等しい。集団的自衛権の必要性 、9条改正を人質にして済し崩しに人権条項改悪を許すことだけは、如何なる理屈や状況があろうとも、あってはならないのである、と小生は強く云いたい。そうなってしまう可能性が僅かでもある限りは、自民党に、絶対に憲法改正だけは担わせてはならないのである。思えば首相安倍が始めから堂々と、9条改正発議して集団的自衛権容認へと仕向ければ巧みなプロパガンダで国民投票で案外可決出来たかもしれない。恐らく首相小泉であればそのような正面突破をやり抜けた可能性がある。しかし首相安倍はそこまで政治的胆力に欠けたものだから砂川判決だの憲法解釈変更だので以て小手先にゴマカシ、閣議決定による法案ご り押しで近道しようとして余計遠回りした感は否めない。集団的自衛権反対者だけでなく、集団的自衛権に賛成だけれども違憲だから反対だという 人まで敵に回したからである。しかしこれは政治的には僥倖と云わざるを得ない。始めから周到に憲法改正発議されたら愚昧なる民度の国民ゆえに9条改正に釣られて人権条項改悪までも国民投票で可決され立憲主義の下に人権蹂躙が決定的になったかもしれない可能性を思えば、そう思わざるを得ない。

だから、国家主義政党の自民党に、憲法改正という正論、すっきりした、誰もが納得するスジを通させてはならないのである。違憲状態という喉元 の痛烈な小骨を飽くまでも居心地悪く差し込ませたまま、仮に尖閣防衛を絶対とするならば、日米安保の平等化=集団的自衛権の容認というリスク を負わなければならないのである。現政権与党の、「国家主義的善意」が許容されるのは、国土防衛に係るこうした形にのみ限らなければならない 。ただし、安保法制に対して違憲と云う小骨を残したからとて、いざとなったら最高裁が其れに違憲判決を出して歯止めとなってくれるという期待 に依存する故の事だとしたら、それはもう現時点で、希望的観測に過ぎない絵空事として、諦めた方がよい。此の国の三権分立は建前に過ぎず、そ れも無いよりはましだが、政権の根幹に関わる事で最高裁が違憲を出す可能性はそれこそ皆無、その事はあの砂川判決が物語っているだろう。そうした絶望状況を踏まえた上での、苦渋の受け入れなのである。政権の恣意的解釈による憲法の形骸化と、憲法そのものの、民主的手続きを得た凶悪化のどちら がよいか、究極の選択とはいえど、前者にごく僅かな光明を見出すしかない、苦渋の選択なのである。

集団的自衛権を問題視する論点としてはアメリカがやらかす戦争への無益な巻き込まれがあるが、当然それはリスクである。しかし軍事同盟とはそ ういうものであるとしかいいようがない。尖閣と云う、アメリカにとってどうでもよい小島に、自衛隊共々アメリカに馳せ参じてもらう体制を作る ためには致し方ない代償である。都合よく解釈すれば、平等なる軍事同盟であればアメリカの暴走に物を申す事も可能であろう。守ってもらうだけ の子供のような同盟国から金をせびりこそすれ、及び腰の諫言などに聴く耳は貸さないのが常識である。集団的自衛権行使容認の条件、歯止めの条件の完成度に関しては確かに怪しく政権の恣意に支配され、此れを理由に反対するのも分かるが…いったん集団的自衛権を容認したとなると混迷する有事に際し法律で以て賢明なる判断を下すのは至難だろう…腹をくくるしかないか、国会決議よりも国民投票を条件にするしかないだろう。

ちなみに、もう一つの論点として、自衛隊が戦争に参加する事で生命の危険が及ぶかもしれない、というセンチメンタルな言説である。此れに関しては小生、同情の余地なく笑止である。自衛隊員は自ら望んで国策に殉ずる覚悟を持った人間であり、彼らを一般国民とは峻別すべき理性こそ働かせねばならないのである。自衛隊は、危険地域、そして法制次第では紛争、戦争地域で生き残りつつ任務を遂行するために、経済生産活動には直接従事する事無く、国民の血税で以て日々訓練に励んでいる者である。過剰な尊崇も卑しめも不要、自らの意志で国民の負託に応えようとする自衛隊に非論理的な感傷は無用である。自衛隊が戦地に行かされる事で済し崩しに徴兵制になるかも、という、物事を区別できない反理性的不安も、理解できないでもないが、そうした反理性に付け込んで済し崩し的に徴兵制だろうがなんだろうが既成事実にさせるのが今の自民党である。人の耳目を驚かせ興味本位に先走る言説が、既成事実の下地作りに寄与するという言葉自体の恐ろしさも肝に銘じなければならない。ここまで書いておいて手遅れかもしれないが…要するに断固たる理性を保持すればいいだけである。徴兵制の動きになれば国家の恣意的強制による国民の生命蹂躙としてその時の政権の無能を断罪し国家の資格なしとして断固戦うしかない。法制によって、戦地に赴く自衛官が直前で大量退職し始め戦力の不備が看過できないようになったら、まずは、国民は、実力組織の本質を知らず国策に殉ずる覚悟も無しに入隊して多大なる血税を浪費した挙句国民の負託から逃避する隊員の卑怯を街で嗤えばよい。災害救助などの無害な英雄イメージに殊更に感化されて入隊した挙句、実力組織が対峙する本来の現実を目前にして慌てて逃げ出す知的薄弱、志の無さを街で嗤えばよい。それでも、嫌なら辞める自由はある、という話である。隊員減少による弊害が現実化したら、国民としてのそれへの対処は、それからでも遅くはない。

自衛隊の作戦決定過程において防衛大臣に直接進言できるのは文官の背広組だけに制限することで文民統制の 基盤ならしめていた制度を、文官だけでなく武官も直接進言できるようにして作戦決定過程の迅速化と効率化を図った法案があったが…これは防衛大臣が国会議員である以上文民統制は保持されているという政権の解釈を小生としてもぎりぎり許容範囲とするものであり、もっと言えば、文官が現場の実態を知らないのが問題なのだから制度を変えずとも文官を叱咤し現場に行かせるようにすればよいだけの話なのだが…ある日の事、このニュースを、ある番組のアナウンサーは涼しい顔で「これにより文民統制は解消されました」などと原稿を読んで平気でいるのを耳にして激怒した事があるが…、間違いに気付かないこの無神経、この理性の無さが問題なのである。文民統制が解消された、という事は実力組織である自衛隊によるクーデター、独裁さえも可能になるのであって、こうした重大な意味を知らない、感じない原稿起草者とそれを読んだキャスターの政治的無神経、政治的無知こそが軍国主義的既成事実の下地作りに寄与するから恐ろしいのであって、こういう無知、非理性こそが、国家主義政党に付け入る隙を与えるのである。

結局、現段階では、革命でも起きない限り、安保法制も早々成立するだろう…此れも現実である。安部政権は、傷口を最小限に止める方策を小出しにしながら(新国立競技場の計画白紙、沖縄基地問題の冷却期間…)、政権への支持率低下も辞さぬ覚悟で安保法制成立に臨むだろう…民主党には見いだせない、そうした政治的胆力だけは見習うべきものがある、残念ながら…。我々はこの、以上のような種々の状況、観点から鑑みて困難なる苦渋を受け入れなければならない。集団的自衛権へ踏み切る選択という苦渋を受け入れ、且つ、これまでの円高是正、消費増税と云う、ファシストならではの経済上手を見せた自民党にしか出来なかった経済政策の成功だけは認めながらも、しかる後に、来る参院選、衆院選で以て、自民党という国家主義政党を確実に政権から引き摺り下ろさなければならない…そうした場で改めて集団的自衛権を見直してもよい。繰り返すが、国家主義政党の自民党の役割は円高是正、消費増税~安保法制まで、と見限らねばならない。これ以上自民党を野放しにしておくとそれこそ国民主権が国家主権になるだろう。そこで云われる国家の実態とは、経団連大企業の幹部と世襲政治家(資本封建制と票田封建制の結託)という少数のちんけなのであり、国民多数とは乖離しているのである(兎にも角にも投票率の低さ、政治への無関心即ち有権者の奴隷化がすべての原因)。取りも直さず肝の据わった中道左派、健全なるリベラルの再編が喫緊の課題である。歴史問題という口実を与えて反日、尖閣問題の硬直化を招いた面もある安部自民党が政権を下りれば歴史問題一新のチャンス、ひいては反日、尖閣問題緩和の契機にもなろう。社民党があまりに弱小化し、民主党は、自民党に寸鉄を刺すが如き質問が出来ず子供の駄々のような抗議しか出来ない稚拙政治から脱却できない現国会において、歴史的に極左であろう共産党が、今の国会内では数少ない中道左派候補とは幾らなんでもあまりに名と体が解離した、笑うに笑えぬ滑稽ではないか。名よりも実を取る、という考え方もあるが…。

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