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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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隠岐の旅 第七回

※以下、フィクションです。

時雨明けながらも雲は途切れず…弱い寒の余風が…辿り付かない。糞汚い腸の蠕動に身を任せるのを強制させてきた文章は抜本的な無力ゆえにいつしか読む者は絶え、人知れぬ綴りへと空しくする久方…実力の潰えは如何ともし難く、ともあれ旅の山場は越えた今、麻痺と発作の、底辺での波動に縋る失墜がまた歯切れ悪く途切れ、実録がふんぞり返る瞞着を両断する気力も。隠岐の島の黒曜石を手中にした今、莫迦犬の徒な怯えの如き言を弄する蓋然無し、無気力の、いっさいの心の取っ掛かりを放棄した憔悴のままに後日談を費やすのみであった。民主主義的手続きを経て安倍翼賛体制が駄目押し的に確立、議会制民主主義への絶望を目の当たりにする今となっては…議会主義打破への直接行動へも奮起せず…そんな事で無聊を託つしかない。ルーブル下落も…対岸の火事にあらず、円の暴落もまた…

昼飯抜きで島中を心身共に走り回り、ようやく夕刻、出発地点の西郷港付近に到着した小生の目下の関心事は空腹を満たす事のみであった。しかし時刻は午後5時くらい…この今を晩飯の限りにすると10時くらいにはまた猛烈に激減りとなるは必定なので用心せねばならなかった。しかしその前に、まずはその夜に宿泊するホテルにチェックインした。一日目、二日目は木賃宿風情の小汚系ビジネス旅館で済ませたが隠岐最後の夜の三日目は掃除の行き届いた、部屋に風呂とトイレも完備してある清潔で、何かとキチンとしたホテルのベッドで暖かく過ごしたかったのである。嗽後に喉の根元に錆臭が据えられながら堅湿りの薄く冷たい布団の中で、放熱量が多くて恒温せぬ足先を温めるべく足先を他方の脚の膝裏で挟んで温める動作、交脚弥勒菩薩座像のような姿を布団の中で交互に繰り返す苦境から解放されて、ぬくぬくと、明日の出立に思いを馳せたいのであった。隠岐ビューポートホテルである。このホテルは複合施設として1階は観光協会と土産物屋、2階は生態系の博物館剥製だらけ、3階からホテルとなっており、港ターミナルへは陸橋で直通であり、甚だ利便性は高い。同島に宿泊した先日の宿は港から徒歩20分の、暗渠じみた、腐った海藻で屋根が拭かれているような雰囲気だったのと雲泥の差である。寝ぼけた顔の宿のジャージ娘に気づかれるのを待つ必要なくフロントでチェックインして部屋に荷物を置く。もう、事細かに描写する必要は無い、いい感じの室内である。先日秘かに目を付けていた、港付近の、ラーメン屋に行く事にする。赤い脂がねっとりした感じのギトついた内装に昭和風情の珍物数知れぬがもういいだろう…小生がガラリ、と入ると、まさか客が来るとは想定せぬ顔で店員家族がキョトン、とするがそそくさ仕度を始める…ラーメンと、生ビール(小)を注文する。爺が厨房に入り、婆はその辺で、インスタント珈琲を啜りながら付けっパのテレビを見ながら、今か今かと厨房入口をしばしば覗く。娘の熟年女史はジョッキに、サーバーから生ビールを注ぐが泡ばかりになって幾度かやり直しもたつき、しかも中ジョッキに注いでいるのを婆から叱責され、やっと(小)用のグラスに注ぎ入れるのを完了したのであった。中ジョッキのビールどうするのかな捨てるのかなと見ていたら熟年は躊躇なく流しに捨てた。間、髪入れず婆から、割り箸を買ってくるようお使いを頼まれ店を出る。しかしラーメンはまだだ。気を揉む婆は何度も厨房を覗くが出来ない。そのうち娘が買い物から戻ってきて、早速割り箸を各テーブルに補充し終わってもまだ出来ない。ようやくラーメンが出来た。魚介系のダシを効かせた中華そばである。舌を無闇矢鱈に馬鹿の一つ覚えみたいに麻痺させる豚骨醤油味噌ラーメンばかり食わされて来たためか、こういう小ざっぱりした中華そばへの憧れは募らせていたものの、いざとなると、物足りぬ…劇物しか受け付けぬ舌にされてしまったのか。しかし問題はそれ以前に、如何せん、ラーメンがぬるい、という事があった。キンキンに冷えていたどんぶりにラーメンを盛り付けたのだろう…猫舌だから親の仇みたいに熱くないのは有難いがぬる過ぎても興醒めであって…個々の素材の持ち味の輪郭がぼやけてしまい、…食い終って店を出る。食料品や日用品を並べたスーパーがあったので、ヨーグルトとサラダ、ポテトチップスのり塩を買う。複合施設に戻り、土産物を物色…海藻の乾物と、隠岐誉(純米吟醸)を二本買う。最初から最後まで、隠岐では、工芸系で見るべきものは皆無であった。侘びた骨董屋古道具屋なども探索したが見つからなかった。ホテルの部屋に戻り、ヨーグルトとサラダを補給して、のり塩は食えず、ベッドに横たわり、漫然とテレビを見、思い出して、黒曜石の包みを解いて水洗いしてまた元に戻したり、少し寝た。最早、2階の博物館で学ぶ気力は無かった。

午後8時半頃だろうか…そろそろ小腹が空いてきて…のっそりと夜の港町に繰り出す…目は付けていた。堅く閉じたシャッターか、不貞腐れたような飯屋呑み屋の長屋じみた廃れたメイン通りの隅に、何ぞ小ジャれた風情の、地ビールと料理を提供するお店…内装、そしてサービス内容共に、しっかりしたコンセプトを元にして日々向上心に溢れた営業姿勢を厚かましくなく、変にべたべたせず、清潔で、客との間合いを気持ちよく割り切った若い知性を彷彿とさせる外観であったから最後の夜にとっておいたのである。階段を上がって入店してみると予想通り小ざっぱりとしたアメリカ西海岸な感じ、若い店長と若い女給が切り盛りしている。港を見通せる窓際に着席する。島根、鳥取の地ビールの他に、耳慣れぬ舶来の地ビールも揃えるが無駄に品数豊富というのではなく、客にとって選びやすいのと店側の管理コスト低減も兼ねて、すっきりと5種類ほどの地ビールのみに絞っているスマートさである。料理も緩急の塩梅よろしく…小生が注文したのは…ミニピザ、鴨のロースト、ソーセージ盛り合わせ、それと名前忘れたがフランスの田舎料理の珍品、であったか…付き出しに速攻でチーズの盛り合わせを出してくるのも気が利いており、かと思えばソーセージ盛り合わせは思わず「こんなに食えないよう」と嘆息したくなる程のやんちゃな豪快が好ましく、大人の大腸丸ごと肉詰めしたが如き大きさのソーセージがぐるりと皿の縁を囲繞する中に、骨付きソーセージやらスパイスの効いたのやらがどかどかてんこ盛り、年に一度の楽しみである、中世ドイツあたりのブリューゲル的太鼓腹農民の食い溜め、といった感じである…小生以外は、男二人で一組の客が二組である。現場系労務者の先輩と後輩…後輩が、その後輩の更なる後輩の駄目さ加減を先輩に愚痴る、という構図もあった。野趣香る鴨肉に果実系ソースが肉本来の甘みを引き立てて基本に忠実であり…コクのふくよかなビールをぐいぐい…ビールと料理を大いに堪能させて頂いた。全身上気しながら人気のない真っ暗な港をふらふら、ふらふらホテルに戻ってここぞとばかりに風呂に湯をためてざぶりと浸かり四肢をほぐして…何も考えなかった。三つの宿泊施設に泊まったが、隠岐諸島の宿泊施設で共通して良いのは、いずれも、小生好みの枕の低さとねっしりした固さであった事である。枕のせいで安眠が害されることは無かった。

起床、鱈腹食い過ぎて馬糞みたいなので便器内の水を埋め立て、人糞火山島創生しばし快感に放心…しかし午前8時半出航のフェリーに乗らないと帰れない、ホテルの朝食…またしても烏賊の刺身が出てくるがもう何も云うまい。しかしそれ以外は悪くない。もろに朝のまじりっけ無い陽光がホテルの食堂に真横から突き刺さり光に包まれた朝食である。ホテルを後にし、切符を買う…またお世話になるフェリー白島は昨日から港に停泊している。

 
出航を待つ朝のフェリー白島

 
また、雑魚寝フロアーに乗る。朝っぱらからダルな雰囲気に仕上がる。乗客はおっさんと爺ばかりである。あるいは団塊男女の団体ツアー客である。隠岐諸島はいわゆる女子旅などとは無縁である。行きのフェリーとは打って変わって乗客は疎らである。右端の靴下は、速攻で仰向けに寝て壁際に己の場所を確保した小生の足である。団体客フロアーには、少年野球の遠征とおぼしきが騒ぐ。名将、などと奉られているおっさん監督がジャージ姿で、取り巻きの母親連にちやほやされながらガキどもにデカい顔しているのは醜悪である。何を血迷ったか10時半には仕出し弁当を一斉に開くから揚げ物の臭いで胸糞悪かった。

 
この便は隠岐諸島の、残り三つの島のそれぞれの港(別府港、菱浦港、来居港)に各駅停車した後に、本州の境港に行く行程である。午前8時半西郷港出航で、境港到着が、午後1時20分である。苦しい長い船旅である。老子にも飽き、暇つぶしに途中の港に寄港する時の接岸作業を激写。船員が、錘のついた細い紐をぶんぶん回して離して遠心力で対岸の係員に紐の尖端をわたすと、紐とつながる、港繋留用のぶっといロープが巻き出されて港のあの、巨人の杖の取っ手みたいなのにひっかけられ、対岸と船員とがレシーバーで連絡とりながら、今度は船員が、甲板付設のロープを巻き上げるウインチを操作する事でフェリーが岸に横向きに近づき接岸完了となる。

 
航跡である。穏やかな海況である。泡立ちが波に揉まれて消え尽くす度に隠岐への思いも記憶を昇華して忘却の彼方へ…

 
隠岐汽船所属フェリー「しらしま」の仕様書概要である。嫌な目にあったからとかじゃなくて地理的にもう…二度と乗る事は無いだろう。

定刻1時20分境港に入港。何の感慨も無い。境港線に飛び乗り45分ほどかけて米子駅。2階の、グリル大山的な名前の処で豚カツ定食とビール。折しも、米子駅前では物産系イベントと、女性ボーカルの生ぬるいバンド演奏の賑やかし、各種出店、年若のJR職員がSL型のバスに子供を乗せて親が見張る…云い忘れたが次の目的地は鳥取市である。山陰まで来たついでに、鳥取市の旧友を訪ねる算段である。米子から鳥取まで行くのに、特急券は惜しむにしてもせめて快速に乗ればよかったが、つい目先の電車にがっついて乗ってしまい、鳥取まで行きはするがそれは山陰本線各駅停車である。日本海沿いをひたすら東進…うろ覚えだが二時間半ぐらいかけて、5時半ぐらいに鳥取駅に到着した。晩秋の山陰の風景を否が応にも具に焼き付けた処で今となっては忘却この上なし。無理に詳述する用も無し、疲労のみが鮮明ではある。御醍醐の忠臣名和長年ゆかりの地や船上山なども通り過ぎたがもう…十分である。以前「因州数奇修行」でも使ったが、小生の鳥取での常宿としている、鳥取駅近くのホテルナショナルにチェックインする。ホテルナショナルは、見た目は古びているが、宿泊費から納得しうるサービスに比べて、部屋の清潔や朝食バイキングの質がほんの少し高く、納得と満足を兼ね備えさせる良心的なホテルである。…友人夫妻との会食の待ち合わせは午後7時、鳥取駅としている。それまでの間、ベッドに横たわり、休息を取る…船の揺れと電車の揺れが小生の体の中で残響おさまらぬ。

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