ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
参政党の分析と批判
参政党。憲法草案で主権在民を否定して国家主権を標榜し基本的人権条項をごっそり削除。米国共和党や欧州極右政党でさえ党の綱領で、普遍的人権は明記せぬ事はあっても主権在民を否定せぬ。参政党は、私的な方針である綱領でなく公的適用を目指す憲法草案で主権在民を否定し人権を削除している点で、極右台頭の世界的潮流の中で自制を保っていると見なされて来た日本が、今や他国の追随を許さないウルトラ極右政党を生み出す事になった。参政党の憲法草案の一節「国は、主権を有し」の国がポイント。此れは国家と国民が対立構造で分離する近代より以前の和語だが、近代を否定せず翼賛する彼らが此の語を使う場合、国家に服従し国家と一体化した国民から成る国家を意味する。要するに国家主権の標榜だが、此れをあえて国とする事で剥き出しの近代的国家主権即ち独裁の意味が、一応此の語に含まれる国民の意味で希釈され、且つ、此の語が持つ王朝風の鷹揚な雰囲気のオブラートで包まれて希釈され(国防→国まもり)、保田輿重郎も知らぬ無学な者には新鮮味すら与えて受容させる姑息な観念的且つ美学的詐術。此の一節だけでも彼らが考える国家に適合した者だけを国民と見なし其れ以外は非国民と見なす差別主義と白色テロと大量虐殺を懐胎するが、此れを明証する条文が其の前後で幾らでもある。
自民党の右側を自認する従来の保守政党や右翼団体のいかついイメージや市民運動的左翼の手作り的素人臭さを、コンサル的プレゼン資料に慣れた最近の人々特に若年層は倦厭。対して参政党は此れらと異なり、メルチュ的プレゼン上手な広報を駆使し、且つ好感度の高い属性の候補者(若い女性、?児の母等)を擁立する事で其の極右的本質を巧みに隠蔽しつつ支持のハードルを下げた上で庶民の不満を手っ取り早く解決する単純な主張を繰り返すから支持を広げた。支持者はあの憲法草案を知らぬか、知っても理解できぬか、理解してもどうでもよいのか、理解して賛同しているか、いずれにせよライトからヘヴィな幅広の支持層であり、いずれにせよ主権者として致命的に有害。
日本に限らず現代人の全般的困苦は大企業が潰れると中小企業が潰れるが大企業が儲かっても中小企業は生かさず殺さずで大企業を優遇せざるを得ない事や、物価が上がると賃金を上げると物価が上がる詰んだ資本的階級、賄賂と中抜きが横行し権力の私物化が是正されぬ腐敗した政治、国民国家同士が武力とナショナリズムを背景に領土と資源を奪い合う戦争などの体制運動に起因する。露ウ戦争や地球温暖化による供給不足による物価高は其の帰結。ただ、体制と云う根本原因は私たちの生活と一体的だから目に見えず、抽象的思考に依らないと把握できぬ。資本の包摂により自然と乖離する事で知性が劣化し、困苦の中で庶民は抽象的に思考する余裕もないから、困苦の原因を自分以外の目に見える外国人や弱者、少数者に求める。実際、庶民にとって金持ちや権力者は自分の力でどうにもならず其の存在を知っていても雲の上の存在で不可視も同然だから。人権思想によって目先の原因追及が自制されるが不満が嵩じるとタガが外れ此の種の潜在的熾火を煽り立て公然と延焼させて権力獲得を狙う勢力も出現する。参政党も、何度も繰り返されたそうした歴史的事象の一つ。
従って原因は目先の者ではなく体制其れ自体である事を踏まえた政策を訴える事は疎かにすべきでない。しかし其の一方で、切迫した庶民が参政党の政策に共感する心理や経験、状況を彼らの側に立って分析し、其の意を汲む事も重要。其れをしないと益々リベラルは支持を失うから。
リベラルが参政党の政策を差別的排外主義的と非難する事は的外れではないが雑過ぎるため、其の政策に共感する者の現実感を蔑ろにし、却って参政党の支持を挙げる愚。
外国人問題。参政党は総じて尊王攘夷せよと訴えるにあらず。中国人が合法的に自由に侵略目的で日本の不動産を買ったり投機目的で其れを買う事で不動産価格上昇を招いて日本人が家を買えなくなるから 規制せよと訴えているので一理ある。また違法、迷惑外国人の規制も訴えており、此れに対してメディアが外国人犯罪検挙率は低いと云う統計を示しても、支持者は日々SNSで新幹線の指定席を違法に占拠するインバウンド外国人や街で屯しゴミをまき散らす外国人や神社仏閣で狼藉を働く外国人の動画(真偽不明も含めて)など、抽象的な統計に回収されない具体的な違法、迷惑動画を浴び、または実際に経験した場合もあるので統計に説得力はない。統計的に少なくても違法で迷惑である事実は変わらず、違法、迷惑外国人が検挙されない事、寧ろ検挙率が低い事に憤っているのだから。
少子化対策で参政党は、働きたい女性の選択肢も認めつつ、一方で子供三人産み育てれば其の間資本労働しなくても経済的支援と社会的身分保障を国が与える政策を訴える。此れに対し女性を生む機械と見なす差別や子なし者への差別を助長するとリベラルが非難し確かに其の通りだが、一方で此の政策には当の女性が共感する理由もある。かつて女性が資本労働する事は三世代同居の家制度(家長の権威の下で実際に家を切り盛りする姑)による抑圧からの解放だったが、核家族化が進み家制度が物理的に消え資本の下で働くようになると強大な資本に抑圧されて解放でも自由でもない事が今の庶民には周知の事実。資本と人格が一体化した人には生きやすいが殆どの人がそうでないのに、左右両翼揃って社会から、資本労働しながら出産育児せよと要求され、其の道徳に文句言えない雰囲気と言説に抑圧された現実がある。抑圧の中で口に出せぬが現実には、資本労働よりも家事育児に専念したいタイプの女性も多いだろう。そこへ参政党が、出産を条件とするが少なくとも資本からの抑圧からの解放の選択肢を与えたから当然救いを求めて共感する女性がいてもおかしくない。
此れらの問題は全て資本の行き過ぎによる生活破壊であり、参政党はナショナリズムに基づいて資本の行き過ぎを抑制する政策を打ち出すから支持を増やす。資本の規制緩和を訴える維新の凋落が其れを裏付ける。昨今の保守は資本の言いなりだったが、参政党は資本の論理(観光や労働で外国人を増やせ、産みつつ働け)に嚙み付いた点は目新しい。対してリベラルや、やや右傾化に慎重な現自公政権は、此れらの問題に対する参政党の対策が差別だと類推されるのを恐れて懐手する無策だから庶民からそっぽ向かれて参政党を勢い付かせる。
しかし本来ならリベラルは資本の行き過ぎを批判する立場だから、人権堅守で差別助長に歯止めを掛けながら一方で人権堅守を根拠として毅然と参政党のような政策提案ができたはず。外国人が事業や住宅目的以外で不動産を買っていると見なされる場合は侵略目的と見なして禁止し、国籍問わず投機目的の不動産売買を禁止し(共産党案)、違法、迷惑外国人の検挙を日本人と同じく厳格化し、資本労働以外の人間の働き方を肯定して出産育児への専念も選択肢とする事ができたはず。 こうした提案は差別には当たらない。少子化対策は出産に関わる限り生産性差別に直結するセンシティブな問題だからリベラルが斯様な提案に臆するのは無理もなく、且つ、結局リベラルも資本の論理に盲従していた事への批判は免れない。いずれにせよ此の問題を腫物の如く等閑視する内に、ウルトラ極右が業を煮やして少子化の不安を煽り此のセンシティブな問題に先に手を付けたら取り返しの付かない事になる。
なぜなら参政党の政策はいずれも差別を煽る萌芽を含むが其れ自体だけでは差別とは言い難いため支持を得てもおかしくないが、しかし其の政策が彼らの憲法草案(主権在民と人権の否定)と共同した時、誰も非難できない出産を絶対的価値として生産性差別を暴発させる蓋然性が高いから。国内の身体・精神、発達障害者、高齢者、引き籠り、子なし者、性的少数者、自由主義者、共産主義者、民主主義者等が生産性の低い非国民と見なされ、片っ端から社会的物理的に弾圧、粛清、虐殺される地獄。此の国は外国人に依存し外国人を差別し排除する国力はないので外国人差別は飽くまでも差別の着火点とし、その差別は「日本を大切にする心」と云う、独裁者が無限に恣意的に解釈可能な曖昧な指標に基づいてひたすら国内の異分子や弱者を攻撃する。国民は此の曖昧な指標を廻って萎縮と忖度の抑圧に晒される。相互監視の密告制度も完備されて密告されたくないばかりに我先に当局に密告するスターリン体制の再来。既に参政党と其の批判者との応酬で参政党側が非国民と云う言葉を公然と相手に使っている。
結局参政党は資本の行き過ぎをナショナリズムで抑制する事で支持を集めて国家権力の強化を正当化し体制の目的=独裁へと導く体制補完の運動。云うまでもなく資本自体の問題を解消するつもりはない。 此の地獄の事態を回避するには今からでも遅くないのでリベラルが、たとえ差別の契機になりそうな政策であったとしても、リベラルならではの立脚点である人権堅守を前提条件としながら、庶民の不安や不満を其れなりに受け止める政策の必要性を理性的に訴えよ。 リベラルは参政党を差別主義と大上段に非難する暇があったら(間違ってないが)自らの硬直して雑な知性を反省し、庶民の不安や不満を読解して、しれッとウルトラ極右の政策を踏襲するくらいの柔軟な抜け目なさが欲しい。
其の上で、参政党の政策は彼らの憲法草案の精神と共同した時、間違いなく社会に差別の地獄をもたらすと、参政党を糾弾すべき。 其の論理が難しいのであれば、憲法草案だけを取り上げて徹底批判する事は簡単だろう。
彼らの終末期医療や発達障害に関する見解についても言及したいが今回は割愛する。ただ、いずれも庶民が経験に基づいてある程度疑問を抱いているが差別につながるから口にするのを憚っている問題に対して雑な解決策を示して支持を得るのと同時に憲法草案の精神によって生産性差別を扇動する事は間違いない。
参政党許すまじ。
自民党の右側を自認する従来の保守政党や右翼団体のいかついイメージや市民運動的左翼の手作り的素人臭さを、コンサル的プレゼン資料に慣れた最近の人々特に若年層は倦厭。対して参政党は此れらと異なり、メルチュ的プレゼン上手な広報を駆使し、且つ好感度の高い属性の候補者(若い女性、?児の母等)を擁立する事で其の極右的本質を巧みに隠蔽しつつ支持のハードルを下げた上で庶民の不満を手っ取り早く解決する単純な主張を繰り返すから支持を広げた。支持者はあの憲法草案を知らぬか、知っても理解できぬか、理解してもどうでもよいのか、理解して賛同しているか、いずれにせよライトからヘヴィな幅広の支持層であり、いずれにせよ主権者として致命的に有害。
日本に限らず現代人の全般的困苦は大企業が潰れると中小企業が潰れるが大企業が儲かっても中小企業は生かさず殺さずで大企業を優遇せざるを得ない事や、物価が上がると賃金を上げると物価が上がる詰んだ資本的階級、賄賂と中抜きが横行し権力の私物化が是正されぬ腐敗した政治、国民国家同士が武力とナショナリズムを背景に領土と資源を奪い合う戦争などの体制運動に起因する。露ウ戦争や地球温暖化による供給不足による物価高は其の帰結。ただ、体制と云う根本原因は私たちの生活と一体的だから目に見えず、抽象的思考に依らないと把握できぬ。資本の包摂により自然と乖離する事で知性が劣化し、困苦の中で庶民は抽象的に思考する余裕もないから、困苦の原因を自分以外の目に見える外国人や弱者、少数者に求める。実際、庶民にとって金持ちや権力者は自分の力でどうにもならず其の存在を知っていても雲の上の存在で不可視も同然だから。人権思想によって目先の原因追及が自制されるが不満が嵩じるとタガが外れ此の種の潜在的熾火を煽り立て公然と延焼させて権力獲得を狙う勢力も出現する。参政党も、何度も繰り返されたそうした歴史的事象の一つ。
従って原因は目先の者ではなく体制其れ自体である事を踏まえた政策を訴える事は疎かにすべきでない。しかし其の一方で、切迫した庶民が参政党の政策に共感する心理や経験、状況を彼らの側に立って分析し、其の意を汲む事も重要。其れをしないと益々リベラルは支持を失うから。
リベラルが参政党の政策を差別的排外主義的と非難する事は的外れではないが雑過ぎるため、其の政策に共感する者の現実感を蔑ろにし、却って参政党の支持を挙げる愚。
外国人問題。参政党は総じて尊王攘夷せよと訴えるにあらず。中国人が合法的に自由に侵略目的で日本の不動産を買ったり投機目的で其れを買う事で不動産価格上昇を招いて日本人が家を買えなくなるから 規制せよと訴えているので一理ある。また違法、迷惑外国人の規制も訴えており、此れに対してメディアが外国人犯罪検挙率は低いと云う統計を示しても、支持者は日々SNSで新幹線の指定席を違法に占拠するインバウンド外国人や街で屯しゴミをまき散らす外国人や神社仏閣で狼藉を働く外国人の動画(真偽不明も含めて)など、抽象的な統計に回収されない具体的な違法、迷惑動画を浴び、または実際に経験した場合もあるので統計に説得力はない。統計的に少なくても違法で迷惑である事実は変わらず、違法、迷惑外国人が検挙されない事、寧ろ検挙率が低い事に憤っているのだから。
少子化対策で参政党は、働きたい女性の選択肢も認めつつ、一方で子供三人産み育てれば其の間資本労働しなくても経済的支援と社会的身分保障を国が与える政策を訴える。此れに対し女性を生む機械と見なす差別や子なし者への差別を助長するとリベラルが非難し確かに其の通りだが、一方で此の政策には当の女性が共感する理由もある。かつて女性が資本労働する事は三世代同居の家制度(家長の権威の下で実際に家を切り盛りする姑)による抑圧からの解放だったが、核家族化が進み家制度が物理的に消え資本の下で働くようになると強大な資本に抑圧されて解放でも自由でもない事が今の庶民には周知の事実。資本と人格が一体化した人には生きやすいが殆どの人がそうでないのに、左右両翼揃って社会から、資本労働しながら出産育児せよと要求され、其の道徳に文句言えない雰囲気と言説に抑圧された現実がある。抑圧の中で口に出せぬが現実には、資本労働よりも家事育児に専念したいタイプの女性も多いだろう。そこへ参政党が、出産を条件とするが少なくとも資本からの抑圧からの解放の選択肢を与えたから当然救いを求めて共感する女性がいてもおかしくない。
此れらの問題は全て資本の行き過ぎによる生活破壊であり、参政党はナショナリズムに基づいて資本の行き過ぎを抑制する政策を打ち出すから支持を増やす。資本の規制緩和を訴える維新の凋落が其れを裏付ける。昨今の保守は資本の言いなりだったが、参政党は資本の論理(観光や労働で外国人を増やせ、産みつつ働け)に嚙み付いた点は目新しい。対してリベラルや、やや右傾化に慎重な現自公政権は、此れらの問題に対する参政党の対策が差別だと類推されるのを恐れて懐手する無策だから庶民からそっぽ向かれて参政党を勢い付かせる。
しかし本来ならリベラルは資本の行き過ぎを批判する立場だから、人権堅守で差別助長に歯止めを掛けながら一方で人権堅守を根拠として毅然と参政党のような政策提案ができたはず。外国人が事業や住宅目的以外で不動産を買っていると見なされる場合は侵略目的と見なして禁止し、国籍問わず投機目的の不動産売買を禁止し(共産党案)、違法、迷惑外国人の検挙を日本人と同じく厳格化し、資本労働以外の人間の働き方を肯定して出産育児への専念も選択肢とする事ができたはず。 こうした提案は差別には当たらない。少子化対策は出産に関わる限り生産性差別に直結するセンシティブな問題だからリベラルが斯様な提案に臆するのは無理もなく、且つ、結局リベラルも資本の論理に盲従していた事への批判は免れない。いずれにせよ此の問題を腫物の如く等閑視する内に、ウルトラ極右が業を煮やして少子化の不安を煽り此のセンシティブな問題に先に手を付けたら取り返しの付かない事になる。
なぜなら参政党の政策はいずれも差別を煽る萌芽を含むが其れ自体だけでは差別とは言い難いため支持を得てもおかしくないが、しかし其の政策が彼らの憲法草案(主権在民と人権の否定)と共同した時、誰も非難できない出産を絶対的価値として生産性差別を暴発させる蓋然性が高いから。国内の身体・精神、発達障害者、高齢者、引き籠り、子なし者、性的少数者、自由主義者、共産主義者、民主主義者等が生産性の低い非国民と見なされ、片っ端から社会的物理的に弾圧、粛清、虐殺される地獄。此の国は外国人に依存し外国人を差別し排除する国力はないので外国人差別は飽くまでも差別の着火点とし、その差別は「日本を大切にする心」と云う、独裁者が無限に恣意的に解釈可能な曖昧な指標に基づいてひたすら国内の異分子や弱者を攻撃する。国民は此の曖昧な指標を廻って萎縮と忖度の抑圧に晒される。相互監視の密告制度も完備されて密告されたくないばかりに我先に当局に密告するスターリン体制の再来。既に参政党と其の批判者との応酬で参政党側が非国民と云う言葉を公然と相手に使っている。
結局参政党は資本の行き過ぎをナショナリズムで抑制する事で支持を集めて国家権力の強化を正当化し体制の目的=独裁へと導く体制補完の運動。云うまでもなく資本自体の問題を解消するつもりはない。 此の地獄の事態を回避するには今からでも遅くないのでリベラルが、たとえ差別の契機になりそうな政策であったとしても、リベラルならではの立脚点である人権堅守を前提条件としながら、庶民の不安や不満を其れなりに受け止める政策の必要性を理性的に訴えよ。 リベラルは参政党を差別主義と大上段に非難する暇があったら(間違ってないが)自らの硬直して雑な知性を反省し、庶民の不安や不満を読解して、しれッとウルトラ極右の政策を踏襲するくらいの柔軟な抜け目なさが欲しい。
其の上で、参政党の政策は彼らの憲法草案の精神と共同した時、間違いなく社会に差別の地獄をもたらすと、参政党を糾弾すべき。 其の論理が難しいのであれば、憲法草案だけを取り上げて徹底批判する事は簡単だろう。
彼らの終末期医療や発達障害に関する見解についても言及したいが今回は割愛する。ただ、いずれも庶民が経験に基づいてある程度疑問を抱いているが差別につながるから口にするのを憚っている問題に対して雑な解決策を示して支持を得るのと同時に憲法草案の精神によって生産性差別を扇動する事は間違いない。
参政党許すまじ。
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