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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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隠岐の旅 第八回

年の瀬も押し迫り…そこかしこの家家から掃除機の音が聴こえる御近所をのんびり散歩していると、片目を縦断する傷痕の生々しい独眼竜の武闘派野良猫氏が、塀の上で全身の毛を逆立てて荒み、全力で警戒しているのがおかしいのなんの、と。昭和懐かしメロディー垂れ流し番組、とはいえテレ東製作だからその質の高さたるや…70年代、80年代歌謡を無批判に垂れ流すごときで御茶を濁すような自堕落を排し…戦前の、新派演劇や浅草オペラなどを発祥とする浅草オペラ歌謡や、浅草芸者歌謡、昭和ムード歌謡、といった日本歌謡曲のルーツを掘り起こす批評的観点に、製作陣の素養が示唆され見応えあった…そうした、きちんと導かれた誠実な番組の流れで美空ひばりの「悲しき口笛」なぞを聴くと…一つの歌の中で幾通りもの歌唱方法を変幻自在に操る巧みさが一層際立ち、なんだかんだでこの歌手の非凡には瞠目させられるのではあった。凡庸な歌手は当然ながら己の会得した一つの歌い方で一つの歌を歌うしかないのであるが…美空ひばりなどは、フレーズごとにその歌詞の意味に沿った歌い方、例えば歌詞の進行に連れてオペラ歌謡や民謡風歌唱、演歌の歌唱と、いずれも物真似の閾を越えた自家薬籠中のレベルでありながら一つの歌の中で実に機敏に次次に選択しているのである。直線的ではない、すなわち惰性ではない歌への意志の強さ…しかし、歌によってはこのあまりの巧みさがむしろ炙り出されて鼻に衝く場合だってあろう…それは、「愛燦々」である。小椋佳が美空ひばりに提供した楽曲である。この歌に限っては、美空ひばりが歌うとどうにもうま過ぎて、歌に、職業的プロフェッショナルが成せる艶が出過ぎて、この歌本来が持つ小ざっぱりした伸びやかな諦念からはみ出してしまうのである。「愛燦々」を歌って、原作者小椋佳に優る者はいない…小椋佳は、発声法は現代化しているものの、いわゆる「昔の人の美声」の系譜における最後の歌手だと思う。そんな佳が、今年やらかしてくれたのが、「小椋佳 生前葬コンサート」である。70歳を迎えて己の歌唱力の衰えを自覚する佳だからこそ、戒名、葬式無用を公言した上でのつつましい終活に入る佳の生き方に、往年のファンたちは激しく納得する…元々、時に、僧侶の読経と己の歌とのコラボレーションなどといった突飛もしでかす傾向もあった小椋佳が一つの区切りとして挑む往年の名曲の数々…変に意固地や反抗に閉じこもる事無い開けっぴろげながらも季節や人生への感受が高い寂しさを終生湛えつつ幸せ過ぎて涙を流している…そんな小椋佳の歌唱力、年齢からくる衰えも禁じえないがそれでもしみじみとよかった。デビュー当時の、薄めで黒黒した頭髪に顔がまるまるとして昭和サイケ風の柄物シャツ、そしてティアドロップ型サングラスという胡散臭い出で立ちが似合っていて目が離せぬのはタモリと小椋佳のみである。番組でのビートたけしの衰えは否めず、発言に呂律が回らずその内容も笑いと批判の的を外したつまらぬものへと堕しつつあるのは本人も自覚していようが…衰えを知らぬのはやはりタモリである。「ヨルタモリ」である。ゲストや、番組ホステス役の宮沢リエとのトークについてはまだ様子見であるが、その合間に挟まれるタモリの芸はやはり見入ってしまう。小生は坂田明や赤塚不二夫ではないから往年の密室芸を同時代的に生で享受できた経験は無い、あるとすればCD(「タモリ」「タモリⅡ」)で聴いた事があるだけ…しかし此度のヨルタモリではタモリが、そうした往年の密室芸を彷彿させながらそれに匹敵しうる新ネタに正面から(?)取り組んでいるのだから目が離せぬしその結果も、味わい深く抉ってくる唯一無二の笑いである。タモリの年齢的な事も考えれば、これはこの国で起こっている様々な事に比しても大変貴重な機会なんだと受け止めるべきである。小椋佳もタモリもそうだが、死に近づく年齢に際しての総決算、といった見苦しい気負いが全くない淡々とした歌唱ないしは笑いであるから、受け止める当方も余計に興をそそられるのである。年明けには「ブラタモリ」も再始動するから、楽しみだし、この有難さをかみしめたい、そんな有難さなどタモリにしてみれば有難迷惑なのは百も承知だが…。

さて、隠岐の旅の後日談…鳥取駅前のホテルナショナルで小休憩した小生は待合場所の鳥取駅に向かう…最近はどこの県庁所在地の駅も改装が進んで小奇麗にされているようだが数年ぶりに訪れた鳥取駅もシャレた雰囲気に仕上がり、駅舎内には工夫に富んだ雑貨屋や舶来品を売る店などが入っている…午後七時に友人夫妻と合流し、居酒屋目当てに繁華街に繰り出す…そこかしこに、若い男どもが屯、なかにはスケボーのようなもので歩道をガーガー走り回る元気なのも居る…昨今は若者のアルコール離れが進み、アルコール消費量の減少が飲料メーカーで取り沙汰されているが…ここ鳥取市ではそうした小奇麗な一般論を無遠慮にぶち壊すようにして、若い男どもがうじゃうじゃ飲み歩いて大声奇声を上げ散らかし、中高年は皆無だ。ほどなく見つけた海鮮居酒屋のほどよい個室に案内され…料理、酒、接客いずれも申し分なく気持ちが行き届いており大満足であったが、旧交を温めつつ、隠岐の旅の土産話として、これまで書いてきた分の7割くらいをその場でしゃべり通したからゆっくり食えなかったのは些か心残りであった。刺身も盛り合わせを頼むと当然のように船盛りで、三人分なのに優に五人前くらいはある気前の良さ、うろ覚えだがタンシチューもほろほろとして絶品である。例外もあるが概ね、隠岐の島の、どこかもう、客へのもてなしを諦めたかのような殺伐とした飲食関連の蟻地獄にうんざりしていた手前、本土の方が遥かに新鮮で旨い魚介や気の利いた料理に有りつけるという現実を目の当たりにして、情けなさと喜びが溶解せぬ複雑な気持ちになりしっかと拳を握りしめる…夜9時過ぎに居酒屋を出て通りを歩くと、またそこかしこで、産毛が生える頬を赤く染めた若い男どもの集団が酔いにまかせて濁声の威勢がよく、下卑ている。今宵の宿り木を求めて次は、店名忘れたが洋酒を飲ませるバーに潜り込む。ストレートでウヰスキーを飲みながら、ひとしきり時局について懇談…絶望すら失われた昨今の文化状況の棲み分けの固定化について指摘したところでそれを停滞だ進歩だと批判する取っ掛かりさえも失われた現在であって、最早交流も批判も済し崩し的にその契機が失墜させられ一切の論拠が寂滅した今となっては、そうした棲み分けの停滞と安全は不動…よい音楽を聴く人はとことん全身全霊人生かけてよい音楽を聴くし、エグザイルを聴く人は、エグザイルに類する家畜音楽しか聴かないという現実…結局…作品性だの表現だの思想だの啓蒙だの繰り出したところで通じるはずもなく何やっても無駄、それに、エグザイルと関わるような、本然的に管理された家畜人間に対して、よい芸術を与える事でよい芸術を感受できるよい人間に仕立てたい、などというそれこそ馬鹿げた啓蒙的努力への意志など最早発揮しようがない、そんな気力は起こり得ない、そもそもなんでエグザイルが好きな人間と小生が関わらなければならないのか、という疑問が生じた時点で説得と啓蒙への意志は霧散を免れぬだろう…一方で、ここでは大雑把に「よい」と表記しているに過ぎないが要するによい芸術を感受している人に対しては、此方が言葉や表現を尽くして躍起になって説得などしようとしなくても、自ずとそれを分かってもらえるのであるから、そうすると、ほとほと芸術と思想の無意味に直面せざるを得ない…とはいえ、そうした決定的隔絶を乗り越えるがために、啓蒙やら思想が定立されるのだろうが…今はもう、棲み分けられた各々のテリトリーの中で皆が痴呆のように満足しきっている以上、どうにも付け入る隙間は無い。西洋啓蒙主義の背景にある植民地主義への反省も現在では常識ならば猶更である。

ところでそうした時局放談の現場とは別に小生が想起したのは…過日小生が訪れたライブの後の、出演者と客の有志が入り混じったちょっとした懇親会のような場での事…好きなロック奏者の生き様に纏わる逸話や楽器に関するデータ、メンバー間での関係性などが話題となっており、聴いていて気付いた事として小生は、ロックの演奏者の人生や服装、楽器というものに全く興味がない、という事であって…音楽との関わり方や聴き方などは千差万別あって繚乱すべき自由なのであろう、だからそうした聴き方もさもあらんであるが、ならば小生はどうなのかというと、突き詰めると、人間自体というものに自分は興味がない、という事を悟るのであった。小生は、人間などどうでもよい、それよりむしろその人間が出した音がどうなのか、を、ファッションや楽器選択、あるいは人格への好悪で聴くのではなく、思想として聴く、という事に思い至ったのであった。思想を現象として噛み砕くと、言葉、で音を聴いている事になるのであった。だからなんだというとそれ以上の事は無い。ロック奏者の服装や逸話が好きな人もおれば、ロック奏者が出す音を思想で聴く者も居て、いずれも同格である。思想というものは陳腐で貧しいものなので、服や楽器といった多彩な具体物をアテにして聴く方がいいのかしらんとも思えども、多様性などというと途端に貧しい思想になる、かといって服や楽器にいちいち新鮮に出逢って驚いて虜になるには、もう、手遅れなのだろうし、元より、そうした虜に素朴を見出す喪失感も焦燥も劣等感も皆無なのだから…思想も多彩な具体物のガラクタの一種に成り果てている現在でも構わぬ。思えばドストエフスキーという人はその作品からも、一日中通りに出て人間観察する習慣からも人間への興味が尽きぬのはよく分かるが結局小生はドストのそういう処がついて行けぬ感はある。馬鹿げた区別だが、人間性というものを前提にして人間に興味があるのが人文系、人間を前提せず人間に興味がないのを理系だとすると小生は後者だ。「猿の惑星」とはよくいったものだ。秀吉は「人間は知恵のついた猿よ」というが、…小生にしてみれば、人間とは、知恵さえもない、ただの猿である。笑ったり道具や言葉を使ったり、人間の条件なるものは色々あるがそれを、価値判断に止揚しうる根拠など何も無い、あるのはただ博物学的分類のみ…政治でも文化でも何でもかんでもほっとけば世襲封建制の惰性=自然法則に後戻りする昨今の状況に出会う度、つくづくそう思う。御託はもういいだろう、何の根拠も払底する中で己自身が何をするか、という意志を問うだけでよかったはずだ。無駄筆となった。

ほっとけば後先顧みず、これまで何度も苦しめられてきた二日酔いも辞さず、その時が気持ち良ければ自堕落にとことん飲んでしまう小生だが…切り上げ上手の友人にうまくあしらわれてちょうど良いほろ酔い加減でホテルに戻る…朝、健康的な空腹をバイキングでもりもり満たしていると聞き耳、旅慣れた中年女性が、若い男の人生相談に乗っている…慶応に入った弟が都会で遊びまくり留年、それを親父に叱られ短絡的に退学したらしい…その若い男は京大、旅先で出会った中年女性と京都で再会する約束してアドレス交換…小生の嗜好に精通した友人の車でおススメの骨董屋「風庵」へ行く。日曜日の、午前10時にもならない早朝にも関わらず、しっかり営業している。しかも、若いスタッフが揃いのTシャツを着ており、元気よく接客するという骨董屋にあるまじき営業姿勢、小生は均整のとれた青磁の茶碗と、蝶が樹脂に封入された昭和風情の灰皿を購入すると、明朗会計、きちんとレシートまで出してくれた。だいたい、不貞腐れたおっさんが一人で、入店すると奥からのそのそ、やってんだかなんだか分からん、やる気ない、品物を新聞紙に包むだけでレシートなど有り得ない骨董屋が多い中で、こうしたガッツあふれる若さにはあきれるくらい頼もしく、尊敬に値する稀有である。品揃えも、真贋別にして本物の骨董もあれば、安価な古道具、古民具風情まで幅広く、初心者から呪われた人まで対応しうる間口は広い。心理分析など糞食らえだが、多分、「人間」の死への意識⇒博物学趣味、そして陶磁器の中では最も鉱物に近い青磁へ、という傾向なのだろう。

それから鳥取の山間部の若桜町というところで遊ぶ。折しも、町内の祭りの最中であった。古い街並みが今も残る…その中に、何故か町民お手製の人形が設置されている不気味がある。



古民家カフェで、誠実な素材を誠実にきめ細かく料理した、体に優しい昼食を頂く…岩窟におさまる御堂を見物。



鳥取市に戻り…帰路のバスまでの時間、鳥取駅近くのデパートの喫茶店で、黒曜石を愛でながら…。帰りの高速バスは…午後4時半鳥取駅出発、小生の最寄りのバスセンターには9時50分頃到着、家に着いたのは11時ほど、という長い苦しみがあった。感謝し尽くせぬほどお世話になり通しの友人に隠岐誉一本贈呈する。もう一本は自分への土産である。端麗辛口の謳い文句通りに、辛口で、そして舌残りはあっさりして後味なく、小生としてはもう少し酒のコクの余韻を楽しみたいところであった。

 

もう一つの自分への土産は乾物のとろろめかぶ細切り、である。水で戻さず、酢、醤油、テンサイ糖の三杯酢で直接ふやかして食すと…栗田の表現でいえば「シャッキリポン」として磯の香高く、歯ごたえ旨み申し分無く小ざっぱりしてよい。こうして隠岐の旅は終わった。ほんとういうと今それどころじゃなく、紆余曲折あって自分へのご褒美にネットでお助けしたヴォイドの腕時計が、写真の色だと肌色のプラスチック風の侘びた感じだったのを気にいったのに、届いてみると研摩されたピカピカ真鍮だったから動揺がおさまらないのであった。よいお年を。



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