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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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兜太忌

何とか其の日其の日に通底する諸問題を誤魔化し、やり過ごして来たが事此処に至っては誤魔化しが効かなくなる事態が、恐れていた通りに顕在化し、諸問題との真っ向対峙を余儀なくされる…其れが戌年なのか、だから戌年は嫌なんだとつくづく思い知らされるのは…小生自身の心身のみならず近しき者たちにも何かしらの大きい変化が此の処一人ならず顕著であったからなのだが…就中小生にあってみれば…右上奥の、20年以上前に地元のへたくそ歯医者にさんざんいじくられた挙句ほぼ原形を止めていない銀歯の奥の歯根と神経の廻りに膿が滞留し、歯根が埋まった顎骨をも溶かしつつある病態が数か月前にX線写真によって発覚していたが…此れまでは膿が溜まってはいても不思議と痛みは無かったのもあり、加えて其の他にも担当歯医者一休(あだ名)との、端的には云い尽くせぬ兼ね合いもあって治療を保留としていたが最近嫌な感じの疼痛を覚え始めたからいよいよ治療せねば不味い状態になり…と云う顛末にも向き合う事になり、更に追い討ちをかけるように右下奥の親不知の傾きによる磨き残しによる歯石が原因で其の親不知の手前の臼歯が虫歯に侵されて虫歯領域が神経に到達する寸前でもある、そして此れを治療するためにはまず親不知を抜いて、其れによる顎の腫れ上がりが収まるのを待ってようやく親不知手前の歯の治療が開始できると云うやっかいな状況でもあり…恐らく他の親不知の手前の歯も同じ事情で虫歯に侵されている可能性は高くて気が遠く、暗澹たる思いだが…更に愚かしい事に、1週間前にカルビーのスナック菓子を莫迦食いしたせいでまたぞろ例の口内炎も再発したから、口の中の痛みが潜在顕在問わず全て増幅されている苦しみは情けなく、辛いもので…しかし兎に角小生の歯医者事情の実情や其の来歴を語るには本腰を入れた一稿を要するから今日は割愛しつつ…膿が溜まった歯茎の奥が、本格的に疼きつつ…カーリング日本女子の声というのは女性の声の中でもとりわけ耳障りな部類であり…一瞬でも耳に入れば不快と苛立ちに襲われるからさっさと終わって欲しい…と云うよりか、オリンピックには心底辟易で、反吐が出て来る…一人で滑ったり三人で滑ったり大勢で滑ったり短く滑ったり長く滑ったり、おんなじような事を手を変え品を変えて一体何が面白いのか…オリンピックなんぞよりもプロ野球の日南・沖縄キャンプ情報の方が遥かに大事だと云うのが分からないのだろうか。

2月20日、小生が尊敬して止まぬ俳人金子兜太先生が御年98歳にて永眠され…御高齢故日頃から気にかけていたといいながら訃報と云うのはそうした常日頃の気に掛けが失念された刹那に限って届く物であり…大往生ながらも慙愧に堪えぬ…晩年は「アベ政治を許さない」と大書した揮毫で書家としても名を馳せ、安保法制の時宜を逃さない往年の政治姿勢が書においても健在であられたのは頼もしくも、其の何の捻りも無い文句が無邪気にも感ぜられる諧謔に、意図的なのか俳味が滲むのであるが…やはり兜太先生の本業=俳業こそが故人を讃えるに相応しく…時に雄大な景を吐く(歌は「詠む」、句は「吐く」、と云うべき)事はあっても花鳥諷詠政経風俗を俳に転ずる俳諧は大を為すに小粒を以て任ずる美徳に収まりがちではあって…談林を経て蕉翁以来、雅を以て俗を為し俗を以て雅を為す俳の美学からの逸脱は子規以降、さしたる成功を収める事は無かった…無論、子規が打った「写生」の杭の縄張りに、「花鳥諷詠」の基礎を張った虚子以降の近代俳句は、江戸時代には到底考えられなかった諸子百家の態を俳壇に開かせ…碧梧桐、山頭火、放哉、三鬼と云った異能が輩出されつつ楸邨や蛇笏はよく本流を守ったとも云えるが…しかし其の中にあって「戦後最大の俳人」と云えるのは、金子兜太ただ一人であったと回顧したい…前述のように小を以て大を覆すのが俳句の本領ではあったが、兜太先生においては其の定説を飄々と覆し、不敵にも俳そのものを大きく構えて、大きい「社会」との等身大の格闘をも辞さぬ俳風を確立したのである…即ち品のいい俳壇の中では、場違いにもゴジラ対キングギドラ的な荒々しい様相を呈しており(一茶に「荒凡夫」を見た兜太の真骨頂)、兜太先生以前にもいわゆる社会派を以て任ずる俳人は居たが兜太先生に比べるとせいぜいが一寸法師の鬼退治の小粒に過ぎず…しかるに金子先生の俳の大きさとは、其の所以とは…戦争体験を核としながら時の政治と真っ向対峙する気概横溢のままに、政治とはかくあるべしとの骨太の大局観が肝に据わっているからで、そしてそうした独立不羈の思想、尚且つままならぬ人間味を知り尽くしたラブレー的大きさの思想は、和漢の学芸は云うに及ばずいっその事縄文にまで遡る貪欲な裾の広さと根深さによってしっかり支えられているから、豊穣に吐き出される秀句の数々は、縄文人が狩りで捕えたばかりの猪の血腥い吐息の傍らで火焔式縄文土器がぐつぐつとどんぐりか何かを煮炊きしている賑やかさと現代社会と政治の諸問題のざわめきと和漢洋の文化の声、さんざめく市井の人々の生活音と素っ頓狂な自然の顕れが混然として生き生きとやかましく打ち寄せる、前代未聞に大きい門構えの俳句なのである…蕉翁以来、静寂を尊ぶ伝統が半ば不文律のように蔓延した俳句だが、兜太先生の俳句は実に騒然として、豪放なる生臭い笑いと共に、政治と社会と美と生活が打ち寄せる自然の息吹を奔流させるのである。俳句における、俳の本質を忘れた些末な御稽古規則(季語とか5・7・5とか)なんぞに基本的に無頓着だから有季定型や無季自由律といった概念に囚われず、ましてや自信が無い承認欲求に苛まれた前衛特有の卑屈に陥る事も無い確立した自我だから、野放図な神経の幅広い鋭敏を以て政治も思想も美も人間も歴史も生のまま丸ごと生かして句に吐いて、本質的な素朴さが社会と文化の欺瞞を暴くぶっきらぼうな野生の本質をぬうっと、夜中に出くわした牛のように露出させながら、自ずから己こそが本流ならんとして堂に入る野太い率直さだからこそ、戦後最大の俳人にして戦後俳壇の巨人であったと銘されてしかるべきなのである。思い返せば蕉風の衣鉢を継ぐと称する者は多けれど、蕪村の俳を不連続的に勃発させ得た俳人は兜太のみであり、たとえ子規が蕪村を憧憬しても其の小器故に至らないならば、唯一金子兜太のみが蕪村の器を髣髴するに足る俳人であった。蕪村を社会化すれば兜太であろう。そして今や、満天のざわめきと共に、燦然たる巨星が大声を咆哮しながら空に揚がった。

抱けば熟れいて夭夭の桃肩に昴    金子兜太

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