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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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休載しながら絞り出すⅡ⇒ハードロック編「led zeppelin/led zeppelin(1968)amcy-4005」



いつものことだがむしゃくしゃしていらついている。いらつきが度を越していままで絶対買ったことのない缶チューハイなどという軟弱な飲み物をうっかり購入するほど狼狽がひどい。涼しげで悪くはないがチューハイのほろよい程度では我慢ならず結局がつんと酔いの杭を首の根元に打ち込みたくて濃いめのウヰスキーの水割りを作製…とてもじゃないが心千々に乱れ通して、書けない。以前から胡散臭く、不信を以て接していた三菱のエアコン霧ヶ峰の不具が決定的となり、怒り心頭、蓄熱すさまじく風が外からほとんど訪れない蒸し風呂状態アパートではいたずらに荒みがこみ上げ、手近に鉈、でもあればむんずと握って何もかもぶった切りたい荒んだ心やみがたく、冷却機能は失われ高価な送風しかできなくなったエアコンの役立たず、修理の手間にげんなり、もう捨て鉢に、買い替えを模索する、こうした、己の思索と創作とは関係ない生活雑事に煩わされることが心底我慢ならずかように垂れ流すありさまで。人の好い大家さんが植えてくれたプランターの紫陽花があろうことか真っ赤っ赤、薄紫や青の移ろいによる涼感が全く期待できない暑苦しさに八つ当たりしたくなる。それというのもまた「明日地獄」が執行されるのを待つからだが…もぐらたたきのもぐらの、さえない怒りのわだかまりの心境がますます濃く煮詰められ、ランダムとはいえ決められた穴に出頭しては叩かれ出頭しては叩かれて小銭をせしめるエンターテイメント=資本の余興、に嘔吐を催す。道野辺の立葵がわさわさ夕泥む風に揺れて、夏。といいつつ怒りにまかせてまとまらぬまま寸鉄射る思想の研磨の余裕もないままにレッドツェッペリンのファーストが。フーとイエスとツェッペリンを同時多発的に聴くことを主眼とするハードロック論であるが三つ巴の糸を縒り合す前に糸そのものを紡がなければならない…ガレージ・サイケ/ガレージ・パンクが無計画で無道具で徒手空拳な自滅であるならばツェッペリンは人を正確に殺傷しうる拳銃を入手した意識的テロリストの覚悟と現実である。今夕はこれだけ書けたら賭けたらいいと思っている。いったい、何がこの音楽を、ロックという音楽をここまで追いつめてしまったのか、それを思うだに悲傷が疼く恐るべき孤立の暴発が、敵の武力でもある認識とか働きとか形などを、本来破壊すべきそれらさえも敵と敵対するためには己の武力にしてしまえるほどの冷静な絶望にまでに、一体何が追いつめてしまったのか…苦しくも悲しくも兎も角まっすぐに敵対と対峙するこの音楽が、共同体的恥を捨てるという卑屈への甘んじではなく尚且つ浅はかにはしたなく野蛮を形にすると、あまりのあけすけで聴く者の動揺を音楽への遮断に変えずに恫喝しながらあくまでも、何だ、その、怒りが…聞けば聞くほど苦しいのにその苦しさに糊塗されぬ、よく研がれて鋭利な怒りの刃が込み上げてくる…精密な研ぎなどに興味が無かったガレージの無軌道な獰猛を懐かしみこそすれそれを以てしても甘んじられぬ憤怒がその汚濁ぶりを増しながらも、つんざく。制動の効かない理性の暴力が静と動のコントラスト・ドラマではなく静と絶叫の、心肺をショック死させながら蘇生させる荒療治の突発と断絶、その、手の付けられない感が息を引きちぎって余りある…最早黒人音楽の影響云々は意味をなさないこの新味は古くて新しい荒みの一言であるが、ドラムの音を無理やり訓読すれば立て続けに「蛮社の獄」「蛮社の獄」と嗚咽しており、オルガンはファンク臭を排した、キリスト教的な理念の理念たるゆえの冷徹なる過剰な暴力性が、狂った幾何学を樹立している。そしてコミュニケーション・ブレイクダウン…こんなにボトムが地に足がついているのにその逆で足に地がついてくる重量級でポップを奏でる面会謝絶の音楽の恐ろしいまでに明るいことっ…!けつまづきながら辺りを巻き込む底上げの乱れが人を踊らせはしないが立ち上がらせるに十分である。「強い」という概念に飽き足らなくなった格闘(思想)漫画バキでは、「武」(ぶ)という概念を提唱していたのを思い出した…用法としては「何という強さだっ!」ではなくって、「何という武っ!」あるいは「歩く姿が武」。この武が何を云っているのか、心技体の総合としての有り様ではない何かに至ろうとしているとしかいえないのは、バキを読めば分かるだろう。無論、封建性への抵抗という葛藤を無事に内面化する過程で過剰に成長する媚びとしての忠誠を説く武士道とは似て非なるものである。あくまでも徹頭徹尾個人的な、武である。ツェッペリンの振武の魂など自分で書いていて信じられないが、少なくとも、弱者が抱懐する抵抗の時、抱卵の時は終わった…伝統だろうが畸形だろうが未来だろうが理想だろうが卵の中身に惑わされてはならない、卵を踏み潰して己自身が覚醒しなければならない。ずしりと重たい、よく手入れされ油光りする拳銃を渡されてしまったのである、これをぶっ放すも捨てるも聴く者次第、逃げ場なく意志が試される時が来たのである。ハードロックは引き金である。リフという引き金である…

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