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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「back from the grave part one!the rawest,crudest mid60s american teen garage punk rock(1966)crypt cd-0123 efa cd 11566」



 息が息できない。鉄を呈色剤とする丸っこい褐色の飴釉が濃淡を光に捧げる笠間焼の蕎麦猪口に冷酒をそそげば見込みに、白い滝が仄かに浮かび上がる幽玄なる釉景にはっとし、日本酒や焼酎のような酒には飴釉がいい、底に渦巻く煮卵の焼き付けの如きが酒のとろみを芳醇、左手で喉に酒の清流を濯がせながら右手によく冷えた胡瓜の一本漬を齧り齧り、梅雨時の雨の恵みに感謝の念抑えがたく、はや七夕風情を夜風に心する。明日からまた、丼に盛られたゲロ飯を啜るに甘んじる惨めに、往来に吐き散らされたゲロをいじましく丹念にかき集めたものを白飯にどっぱあと掛け注ぐ不味すぎる丼を啜らされる苦しい心境である。コーンビーフ丼。コーンビーフをパスタに絡めたら本当にゲロパスタのように糞不味かった記憶が噴く。ガレージパンクが癲癇(てんかん)の発作ならばハードロックは癇癪(かんしゃく)持ちの家庭崩壊なのかと思い込みが激しい。いずれにせよ破滅的である。最早手のつけられぬほど追い込まれたハードロックの荒みの頑なな硬質もキツメすぎてふと懐かしいのは、己の幼さを露呈してかガレージの早合点と粗忽ぶりであって。真っ白な西日、しかし、言の葉を紡ぐのを妨害する撹乱でしかない音楽を聴きながらでも書くしかないのがこの音楽の窮屈な業でもあって、上滑りを恐れていては滑るのもままならぬぞっとする脱臼の瞬間、骨から滑り落ちたゾンビの宴が、もう、始まってしまった。要は、滾る、という事である、徹底した無力と諦観が悟りの高みならぬ業の底辺へと導くのでもあって。60年代ガレージパンク集成であるこの「バック フロム ザ グレイヴ」(さしずめ邦訳は墓場の鬼太郎か)は数あるガレージVA(いろんなバンドから各1~2曲選びいれたもの)の中でも編集者の目利きならぬ耳利きが際立つ、壁になすり付けられた糞の如き渇きが決して湿りを欲さぬ、しかし砂漠の音楽を気取るほどの軽やかなかっこ良さ自慢知的自慢からも隔絶した、草が枯れたまま空っ風に靡きながらも根は生きている荒野の音楽が誠に高純度に濃縮されている。ガレージ集成という試みはナゲッツを嚆矢としガレージ概念の樹立に役立ったもののナゲッツではまだガレージの本質たる獰猛を鷲掴みしきれぬ雑多感があるがそう感じさせるのは他ならぬこのバックフロムザグレイヴがサイケポップとガレージパンクとの峻別を屹立させたからであった。これは専らこの編集者の耳利きによると云えよう。と、二つ隣に住まう頭の小さい御座敷莫迦犬が、ガレージの音洩れを嗅ぎつけたか、しきりにやかましく憤怒剥き出しにガルルガルル吠え立てるではないか。点在する火山が大ぶれにがなりだした声が間を読まぬ鉈の如く汚いのを叩き込んでくるし屁のように内実が抜ける瓦礫の爆音が地響きを伴うドラムはアフリカ民族の創意、土に穴掘ってそこに獣の皮を張って連打するプリミティヴが民族主義に留まらず近代への無意識の抗いを癲癇してアスファルトやコンクリートや土をも発破かける大らかな軽さが汚さをけんかいにも奇矯にも護持するドカドバであって、水も無いのに無鉄砲に長く延びた変異の萱の枯れた葉脈をばらけつつ束ねつつばらけたギターが野趣溢れる星をその辺の草にうもれる橄欖岩にまで落としめるほど。ベースは水脈を乱す直情のノリを変態させるドスを研ぐ鍛錬が徒によこしまである。もうどこのことでもないが意見具申しても決して聞き入れられぬからかような現状が続くのだが掃除してくれるのはあり難いが掃除道具の数々を決して自分では片付けようとしないのは一体どういう事なのか、なにゆえ小生が散乱した掃除道具をいちいち餌にあずかるように片付けなければならないのか心底腹が立つがこのいらつきを元手に更に執筆を殺伐させたいが為に己に我慢を強いると下劣なサックスも闖入する。
 中でも際立つ奇跡が二曲収録してある。バリ取りや面取りする入念が欠落するから端々がささくれ立っている金属製の羽毛が、落ちるべき地からも遂に解き放たれて高く高く青空を舞い狂う妙境に至ったralph nielsen & the chancellorsのscreamという楽曲、これ以上分解や説明しようのない簡素な主題をおが屑のように捨て鉢に執拗に反復する上にメラメラと可燃物から事切れた炎がこれもまた宙宇を舞い上がる地に足の付かなさが軽やかさも吹っ飛ばして不安この上ない殺伐が切り切り舞いである。明るい青空を真っ直ぐいけば真っ暗闇の外宇宙の真空につながる途方も無いリズムの屈曲のけたたましい駆け上がりが兎も角獰猛で凄まじいとしかいいようのない、生まれてから死ぬまで止まらない苦しい絶叫が残響を許さず始終能動的に叫びっぱなしの儚い終わりであって。
 何だこの、変質者は…唾棄するにふさわしい値千金、腐った海老が歪んだ虹色の腐った異次元空間で無闇にびちびち脱皮しながらうねりたくる手のつけられぬ異質感隔絶感、chentellesのbe my queenという楽曲、こういう常軌を逸した作品は他の優れた作品を持ってしか紹介も出来ないので云うと、山田先生の初期作品の「やあ!」に出演する源という何ともクエぬ飄々としてぬめっとしたキャラクター(ハーマン・メルビルのバートルビに比肩する)が真面目な薄笑いでひょんな事に目覚めた芸能の産物が原色の楕円がぶんぶんしながらいやに冷静に発作する情動のほっこりイヤラシク照かる崩壊が目の当たりであり、これもまた手がつけられぬほどおかしいモダンポップの魁でもあるし、頭陀襤褸のガレージパンクの意表をつく点滅感覚が音波によって重力場を歪める奇行。収録曲が後半に行くほど癖がひねりにひねられた楽曲が目白押しになるのがこの集成の特徴である。vol.1からvol.3がよい。ガレージパンクの焦点は数うち当たらぬ散弾である。

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