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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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【集中連載】続き②

さて、次に、「現代思想」1月号を読んで怒りにわなわな震えてしまった理由は何か。其れは、収録された論文や対談全体に云える事だが、現在 の国際的な全体主義状況に対して抵抗する方策を思案する姿勢が欠如しているばかりか、寧ろ此の世界的な全体主義状況に対して御手上げとばかり に諦めたり、追認したり、果てはどこか偽悪的に賛美する論調が大半を占めており、抵抗の気概など微塵も無いばかりか、斯様な気概などは最早前 時代的な遺物としてどこか嬉しげにこき下ろす論調さえもが目立っていたからである。抵抗などと云う、思想業界的には糞ダサい弁証法を回避しよ うとして、全体主義を解消させるネットワーク理論を小奇麗に構築しようとしても絶対に弁証法は免れない、即ち、全体主義に抵抗するには人民主 権と基本的人権を擁立しない事にはどうにもならないのだが、どうも業界的かっこ良さと云う思弁的装いに執着しているのか、人権と云う黴の生え た言葉を使うのも吐き気がするとばかりに、彼らの論述には人権が一切出て来ない。従って、人権即ちヒューマニズムが最早通用しない現代を規定 する用語として、ポストヒューマニティーズなどと喧伝し、人権思想の壊滅を目論む輩を礼讃するが如き論調が目立っている。此の、人権思想をこ き下ろす反ヒューマニズムと云う現代的な動きを加速主義と称したり、暗黒啓蒙、ダーク啓蒙、ダーク・ドゥルーズなどと調子こいてる輩も各所で 勃発しているという…。

 だいたい、思想家として、此の世界の実相を見極めようとしたら、どうしても多様世界に撞着するのは今や陳腐な帰結である。合理的に此の世界 の仕組みを論証していけば自ずと多様世界を表現する事になる。そして、此の多様世界から、人権や民主主義の正当性を合理的に導出する事は不可 能である事も自明であり、此の事は拙書でも証明している。加えて其の事は、例えばドゥルーズの哲学が本質的に人権を擁立できない事を暗示して いた事から、既にポストモダンにおいてある程度は示唆されていた。しかし、ドゥルーズも含めてポストモダン思想は、たとえ本質的に己の思想が 人権を定立出来ない事を薄薄感づいていたとしても、其れを隠蔽するまでの能動性は無かったものの、少なくとも遠慮なく公表する事は差し控える 節操を保持していた。ポストモダン思想の特徴は、基本的に、人間の意志と云う概念を、心理的な幻想として哲学の領域から退けるのが特徴とも云 えるから、根拠無き処に立つ意志を否定したら、人権が擁立出来ないのは論理的帰結であった。

 そして、ポストモダンの思想家たちが死に絶え、彼らの著作が古典として扱われるようになった今、ポストモダンから、人権が定立出来ない事に 気付く輩も出て来るのは自然の流れであった。尚且つ国際/国内情勢を鑑みれば、殆ど歴史的必然であるかのように全体主義状況が劣悪化を増し、 国家原理と市場原理、そして情報技術の原理がよってたかって人権思想の無効を既成事実化する様を日日見せられては、人権思想の無力を肯定する のもむべなるかなであった。思想業界が現状への屈服の裏返しである開き直りとして、陳腐な新しさを装う悪趣味に走るのと連動するようにして、 全体主義科学は其れなりに発達している。全体主義科学とは、全体主義の諸相と連関を考察する学とでも云おうか。昨今の全体主義科学は、G・オ ーウェルの「1984」で予言された全体主義的事象の要因系を、ネット社会などの情報技術の運用実態と絡ませて炙り出す事に成功している。国 家原理や経済原理とは別に、そして其れらと結託して、ネットの根幹を握るプラットフォーム企業などが独自の覇権を社会に通底させているのが、 現在の、大まかな全体主義の具体的事象の記述となる。今や全体主義科学は、其れを推進する側にとっても、其れの抵抗や破壊を志す側にとっても 、思考の対象となる主戦場といっても良い。全体主義科学は権力と技術と金によって社会化する。

 こうした冷厳なる政治的現実と、そして理論的にも人権は定立出来ないと云う思想的現実が相俟って、其れでも思想は現状にただ甘んじるのを良 しとしない卑小なる自尊心のためなのか、此の現状を変えられないのならば、寧ろ思想として出来る事は此の状況をもっと加速させる事だと思い至 る。あるいは、まだ理論にこだわる者は、どうせ人権が定立出来ない多様世界の理屈をもっと徹底させて、現代社会にまだ残る人間性への未練を対 象とした掃討作戦を積極的に推進し人権思想を破壊した未来に、最早全体主義とすら呼び得ないほどあらゆる差異が均質化した同一平面を夢見て、 抵抗に依拠した全体主義と云う矛盾の解消を目指したりする。此れが、ポストヒューマニティーズの通俗的な流行であり、いわゆる加速主義の実態 らしい。私には陳腐な蛮勇を誇る幼稚なルサンチマンにしか思えないが、思想の末期状態として、此の加速主義とやらが既に現在蔓延っているらし い。

 其の結果、彼らは、組織による不当弾圧に対して声を上げるのは無駄で、嫌なら逃げろと主張したり、あるいは、最終的には少数の政治&経済エ リートが残りの99%を支配する身分制、奴隷制を肯定する言説を他人事のように提案したりする。逃げたって現状の悲惨状況は温存されるのだか らいずれ逃げ場が無くなるのは必定であるから、思想が其の場凌ぎに陥った思想の無力を自ら晒しているのだし、階級制を肯定する輩は、上位支配 者層は頭がいいから無軌道な圧制をすれば治安が悪化するのは分かりきっているからベーシックインカムとかで奴隷をなだめすかせれば其れなりに 安定した世になると云った、エリートの善意と理性に縋る生き方を提唱する言説を吐く。しかし、歴史上、エリートの善意と理性が当てにならない 事ほど此の世で確かなものは無い。人間の中味なんて殆ど変わってなく、ネット時代だから人間が賢くなる保証は全く無いばかりか、現に今でも各 所で経営者による横暴が絶えないではないか。馬鹿も休み休み云えといった処である。更に此の輩の主張の行き着く先を推認すると、仮にエリート の理性と善意が当てに出来ないのならば後は各人がスキルを磨いてサヴァイブしろと無責任にのたまうが、武力を国家が掌握しているから殺し合い の戦国時代にはならないにしても、理性と善意が当てに出来ない階級制が個人の能力を客観的に判定できるはずはなく、要は身分と金だけが物を云 う、差別と階級が固定化した賄賂社会になるのも必定である。未来の奴隷制を嬉しげに容認する者は、例によって自分だけは其の奴隷になってひど い目に遭う事は無いと思い込んでいる特権意識を内在させており、自らを貴族と思いこんだ思想的特権階級に普遍的な言葉を語る資格は無い。奴隷 根性=特権意識が此処でも成立する。更に此の輩の言説を精読すると、要するに人権思想があるから全体主義が起こる云云と云うが、そんな事は当 たり前であり、そんな虚無に苛まれてもなお立脚するのが人権である事こそが思想的自明なのである。此の輩は要するに、法律があるから犯罪があ ると主張する、あまりに当たり前すぎる稚拙を今更大発見したかのように吹聴する未熟な吠え面に過ぎない。法律がなくても犯罪行為は現実に人間 社会を苛む歴史的事実さえも想像できない青二才がダーク啓蒙だのと調子こいてるのを見るにつけ、人間社会全体と同じく思想業界も、釜の底が抜 けたが如き底無しの崩壊を野放しにしている思想家どもの無能があまりに情けない。だいたい、多様世界から人権が合理的に擁立できない事に託け て人権を蔑にする正当性に開き直れば、根本的に人権思想を根拠としている法律体系が瓦解するのだから、己の言論が齎す現実を己自身から都合よ く切り離した蒙昧なる無責任でしかない。

 此処で、ポストヒューマニティーズの馬鹿げた動きを、拙書「多様性原理」で展開した概念を用いて分析し直す。多様世界は世界記述として正し い。しかし、多様世界から生命原理を完全に導出する事は出来ず、従って、多様世界から人権を合理的に正当化する事は出来ない。しかし、多様世 界から合理的に人権が擁立出来ないから多様世界を思想的に推し進めて人間性の破壊を目論む此の動きは、合理性の暴走であり、此の事を拙書では 、理性の函数である多様性原理を無限に推し進めると人間の死に至る事で定式化している。要するに彼らは、合理性と云う、思想家の枠組みに盲目 的に嵌まった結果、多様性原理の中に生命原理と云う不合理を擁立する事を拒否せざるを得ず、従って自動的に、合理性と云う自己相似形の論理的 増殖に嵌まる事で、現在の国際的全体主義傾向を理論的に先導する役割をかっている事になる。無論、盲目的に嵌まった要因の大きな部分には、全 体主義科学が分析的に描写する、抗い難い現状の肉迫が存在する事は否めない。

 20世紀型の全体主義は、端的に多様性とそりの合わない生命原理が、物語を自己相似形で増殖させた結果としての人間性の壊滅であった。対し て、21世紀型の全体主義は、端的に生命の特権を否認する多様性原理が理性を自己相似形で増殖させた結果としての人間性の壊滅と云える。此の 両者は相互作用するが、其の詳細を論ずる余裕は無いにしても、分かり易く云うとそういう事になる。
 ①生命原理の増殖による人間性の壊滅は、非合理的な弁証法的葛藤としての物語の暴走である。具体的には、①は国家原理による全体主義であり 、現在においても動物、子供などの弱いものへの虐待や学校や職場での不当暴力と云った身近なレベルから、ナショナリズムや民族紛争と云った国 家レベルまで発現する、葛藤をこじらせた心理のシステムとして連綿と蔓延している。②多様性原理の増殖による人間性の壊滅は、合理的で葛藤の無い記号の暴走である。此れは、制度として土着した日常での心理的葛藤とは別に、 専ら思弁的理性によって暴走するもので、歴史的には宗教的な、教義によって定義された合理性の彼岸であり、積極的に多様世界との合一を図るた めの苦行や自死として現われる。
  ところで経済原理は、①と②の両方に跨り、此の両側面に寄与する事で尚一層全体主義を駆動する根本原因とも云えるかもしれない。経済原理は 、生命の存続を率直な目的とする事で多様性を排除する①の動因でもあるし、其の目的達成のためには効率化と云う非人称の合理性を葛藤無く稼動 させる正当性の暴走と云う意味では②に属するとも云えるからである。現在ではインターネットのプラットフォーム企業に内在する飽くなき合理化 を動因として、例えばキャッシュレス決済しないと手数料と云う形で罰金のように反抗者を地味に苦しめたり、あるいはネットへのアクセス回数が 高いとキャッシュレス決済の使用限度額が大きいが少ないと使える金を少なくさせると云った、経済と情報の理屈に隷従しない者から事実上の罰金 を取るようにして経済的に苦しめる事で異物を排除し、経済原理への隷従を強いる全体主義が現実化しつつある。

 基本的に全体主義は、①と経済原理が結託した相乗効果で昂進し、①は経済原理を、経済原理は②を補強するが、ポストヒューマニティーズは、 ②の合理性の暴走と云う思想的掩護を、経済原理による全体主義傾向に与えた事で、結果として①のナショナリズムさえも強化しつつ、トータルと して全体主義を加速させる愚行と云える。思想が②の暴走に走る事で経済原理や国家原理の全体主義に深く加担した理由は、経済原理や国家原理に よる精密な全体主義科学の成果に抵抗の可能性が殆ど見出せないほど、此の科学が猛威を振るっている現実を目の当たりにした事が大きいだろう。 此の全体主義状況において、思想の出来る事は、思想に内在する合理性を突き進める事で全体主義と云う文脈さえも消失する差異の彼岸に人間社会 全体を移行させる事で人間諸共に全体主義を破滅させる事しかないと云う思想的自爆テロを無意識に思いつめる者がいても不思議ではないからだ。 こうして全体主義状況の軍門に下った腐れ思想家どもが、ダーク啓蒙や加速主義者として巷で持て囃され、刹那的な承認欲求を満たしては調子こい ていると聞く。此の種の全体主義を、私はスマートファシズムあるいはソーシャルネットワークファシズムと呼ぶが、恐らく此の通俗的な呼称が生 温く感じられるほど、実体は複雑怪奇なのだと思う。

 しかし此の場で断罪せねばならないのは、此の状況に抗しきれないからと云って、経済原理による全体主義に、思想が新たな補助エンジンを取り 付けた事である。其の内容は、論理の合理性と云う自己相似的加速によって合理的には正しい多様体を標榜するが、其の事が経済の合理性と云う自 己相似形を加速させる事で、合理的には説明出来ない生命原理と云う現実を無かった事にする欺瞞に正当性を与えるものである。陳腐な多様体をさ も新しく発見したかの如く吹聴するが、結果としては経済原理による全体主義のみならず①をも助長させつつ、人間の生命を脅かす無責任な言説を 撒き散らす行為は、思想家としてのちんけな功名心を満たす行為でしかない。生命原理を否定して思想的に多様世界に突っ走る事で結果的に現実世 界に少数エリートによる奴隷制に加担する連中を看過できない。

 生命原理とは何か。其れは、死ねと云われても死に難い本性と云う現実である。しかし、合理的思弁が帰着する多様体からは個々の生命の価値は 立脚できない。多様体から生命原理は生まれているが、生命原理の全てを説明出来るものではない矛盾こそが現実である。此の二つの矛盾した現実 を直視出来ないから、合理性と云う表層的な美学に没入し、多様体に突っ走る事で、生命を軽んじ、階級社会を容認する陳腐に堕す。此れがポスト ヒューマニティーズの粗末な実態である。ポストヒューマニティーズなどと吹聴して思想的に浮かれる輩は、目の前の命と云う現実を捉える事が出 来ない幼稚な妄想を自ら晒しているに等しい。国家原理や経済原理によって今まさに脅かされている生命や尊厳の危機に際し、ポストヒューマニテ ィーズはユートピア的な多様世界を謳うばかりで、此の悲惨な現実に対して全くの無能であるばかりか、積極的に生命を毀損する側に加担するのだ から、結果的に罪深い言説である。

 はっきり云って、多様性原理における生命原理から立脚される人権思想は、根拠無き意志によって定立される根性論に過ぎない。人権とは、根性 であり、気合いである。確かに、思想として、単なる道徳論、根性論ほどかっこ悪いものはない。だからポストモダンまでの思想潮流は、何とかし て此の根性論を糊塗すべく華麗なレトリックで理屈をいじくり廻すのだが、此処に来て其の隠蔽工作が、理論的にも現実的にも不可能である事は明 白である。ポストヒューマニズムは、ヒューマニズムの流通が自明であった時代の終わりを自覚する限りにおいては正しい認識である。しかし、だ からと云って人権と云う根性論を否定する事は、根性論でしか生きていけない人間と云う現実を無視した妄言である。根性論と云う現実を嫌がるの は恣意的な美学に逃避したに過ぎない。多様性原理から生命原理を導出し並立させるなどと云うのは黴の生えた弁証法に過ぎないが、多様体におい て生命を尊ぶなどと云う糞ダサい汚れ仕事に手を染める気がない貴族趣味的思想業界の妄言が、現実から乖離した合理性に浮かれて人間の尊厳を蔑 ろにする事は許し難い。

 恣意的な美学の結果として、思考の自己相似形である合理性のみに没入する事は、現実とは無関係な幻想的説得力に過ぎず、己の無力を慰めるル サンチマンの裏返しである。あるいは、根性論に帰着したら思想家としての仕事が終わって食いっぱぐれるから、見え透いた手練手管を尽くして根 性論と云う真実を隠蔽しようとするのか。ポストモダンやポストヒューマンの論文をよく読めば、巧みに排中律(アレかコレか)を回避するレトリ ックを弄んだ挙句、結局は人間の意志に依存するしかない根性論を露呈している悪あがきが散見される。だとしたら其の思想家は単なる私利私欲で 他者の生命の尊厳を毀損しようとする全体主義勢力の立派な手先であり、とうに思想家としての存在意義を放棄している。生命原理を無視すれば連 続的な多様体が得られるのだから合理的ですっきりするのは当たり前である。しかし生命原理もまた現実である以上、此れを無視した原理は如何に 合理的であっても幻想に過ぎない。結局、政治的現実を生きる私達は、多様性原理の中に生命原理を組み込んだ不合理な不連続体を多様性原理とし て生きるしかないと私は思う。

 無論、私とて、スマートファシズムが、直接的に生きるか死ぬかの極端な領域で展開されるとは思っていない。諸制度は基本的に、言論の自由な ど、あってもなくても直接には生活に困らないような領域をいつの間にか掘り崩す処から少しずつ巧みに展開されるのは分かっている。少しずつ巧 みに隷従と云う既成事実を、各個人に日常的に積み上げる、高度に発達した全体主義科学が駆使する繊細でソフトな技術と制度に雁字搦めにされて 、自発的隷従へと洗脳される過程が強力なのは分かっている。しかし、此処で、拙書で証明したテーゼを簡単に紹介しておく。「ポストヒューマニ ティーズが夢想するような、全ての差異が均質化した完全全体主義は、不可能である」従って、全体主義は其の極限においても完成されないから、 全体主義は、其の極限においても、其の不当性が告発される必然性を内在させている。合理性に浮かれて多様体への回帰を煽る論者は、全体主義が いつか完成し、異議を唱える者が居なくなる未来を前提としているが、其れは誤りであり、異議を唱える者は原理的に残り続けるから、全体主義は 原理的に告発され続ける。従って、思想が出来る事は、根拠が無い事を暴露した不合理を暴露した上で、だからこそ尊い生命とか人権と云う根性論 を堅持し続ける事しかない。其れが嫌なら、全体主義科学に抵抗し、あるいは凌駕し得る技術的課題や方策を自ら発見し、実践する事である。私達 を守ってくれる超越的で絶対的な理論や法則は此の世に存在しない。制度化されてさも説得力ありげに見えるが其の実、根拠の無い理屈に惑わされ ずに、他者の命をよく観察する=尊ぶ事を起点とするしかない。自然科学と民主主義は表裏一体である。

 ところが、此の御時勢に、絶対的な法則や形式の追究に邁進し始めた人が居る。カンタン・メイヤスーである。ポストモダン以降の新思潮を作っ たいわゆる思弁的実在論、本人曰く思弁的唯物論の構築を企図している…(続く)

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