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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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【集中連載】立春、怒髪天を衝く!①

落ち着いて此の思想的事件を受け止めないと自分自身が壊れて先に進めないと云う、半ば形振り構わぬ事情が切迫する故に、努めて淡淡と事の次第を記述する事で、心理的に無駄な蟠りを鎮火しなければならなかった。ある程度の腹案はあるものの、漠然たる其れに任せて思うがままの文章を書き綴っていてはにっちもさっちもいかない閉塞感があって、此の危機的状況を打開すべく、一度、此の世界を捉える思想を自前で拵える試みに走る事は、思えば早々に済ませておくべき必要事項であった。其処で、ゼロからとまではいかなくても20ぐらいから100を目指して思想体系らしきを拵えたのが、拙書「多様性原理」であった。其れに何とか目途を付け、其処で展望された次なる創意に着手する準備段階が現在ではあったものの…卑しい功名心が頭を擡げたのか、取りあえず形になった己の思想と比較したい下心のままに、最新の思想業界の動向が気になってしまい…どれどれ、どんなもんかいな、どうせまだポストモダンの死肉を貪るが如き、毒にも薬にもならない詰まらん言説を垂れ流してるんじゃないのかな、とたかを括りながら、青土社の老舗雑誌「現代思想」1月号、現代思想の総展望2019ポストヒューマニティーズを購い、しかも一ヶ月ほどほったらかしたまま、ようやく最近、何の気なしに頁を捲ると…さぁーっと血の気が失せて指先が冷たく顔面蒼白になりながら頭の中は沸騰寸前に眼球が飛び出る赤熱した焦慮が突発し、なんじゃこりゃあと思わず一声叫んで愕然と膝を折ったのであった…絶望的なまでに自分は井の中の蛙だった、最先端を行っているつもりが周回遅れに過ぎない、寒寒しい滑稽を晒す浦島太郎だったのをまざまざと思い知らされ、自分のちっぽけな傲慢による盲目の怠惰が今更ながら恨めしいが時間を無為に過ごしてしまった後悔もまた後の祭りでもあり…情けなかった。悔しかった。此の世界でも指折りの無力な自分であるが、其れでも世界レベルでの絶対的な己の思想的優位のみを唯一の矜持として生きて来た自分にとって、未だかつて此れほどまでに悔しい焦燥で掻き毟られる感情を経験した事は無かった。雑誌の中では…馴れ親しんだポストモダンの思想家たちは既に古典とされて縦横無尽に言説の引用元に使役されつつも、初めて聞く固有名たちがそれぞれのやり方で自由闊達に理論を展開しており…しかも卓抜なアイデアや緻密な論証を駆使する様を見せ付けられるにつれ、自分の思想が如何にも素人じみて稚拙で、雑で、見劣りするのは否めなかった…

 とは云え、此の焦燥のままに心的恐慌状態を後生大事に引きずり続ける訳にも行かないので、此の焦燥の中味を分析すると…一つは妬みであり、もう一つは怒りであった。

 妬みの対象は、グレアム・ハーマンのオブジェクト指向哲学である。してやられた、と思った。先を越された、と歯噛みする思いが地団駄を踏み、これから自分がやろうとする事が全部無意味になる事を宣告されたような気になり…ハーマンの最初の著作が2002年、直近の、其れこそオブジェクト指向哲学や思弁的実在論の成果をまとめた主要著作が2018年に上梓されたから、先を越された事に関しては今更手の施しようも無い事は認めざるを得なかった。私はまだ、雑誌の中のハーマンの短い紹介文と本人の小論文を読んだだけで主要著作は読んでいないから勘違いもあるかもしれないが、オブジェクト指向哲学とは…事物を何か別の単位要素に還元して考察する還元主義を拒否した上で、事物其のものを階層や種類に分類する事無く、事物其のものと其の関係性を考察する体系であって…還元主義とは、例えば事物を素粒子の集合と見なしたり、あるいは何か大いなる実体があって、個別の事物は其の大いなる実体の局所的な表れであるとする唯物論の二大潮流の事であり、物理学の二つの形式とも云える。つまり、素粒子の粒子性と波動性であり、万物を、原子論か、あるいは晩年のシュレーディンガーが固執した大いなる波動函数の個別的な収縮として扱う事である。ハーマンは手際よく此の還元主義を否定した上で、異種異層の事物どうしの直接的な関係性の可能性を肯定する。例えばニュートリノと豆腐と駝鳥と銀河の関係も思弁の対象とする。
 此れはまさしく、拙書「多様性原理」の3.4.4③や5.7の後ろの方で詳述した、多様性原理の言い換えである「相互作用の非対称性」や「万物=根源=表層」と全く同じじゃないか。私も日頃から、事物を素粒子に還元する原子論には疑問を持ち、疑問を通り越して憎悪すら抱いていたから、斯様な思想的結論に至るのは必然であった。例えば意識を、脳内の分子や電流のやり取りに還元する事に何の根拠も無いのに正当化される科学的制度は許し難く思っていたし、理論的に間違っていると思っていた。原子論と云うのは原子どうしの関係においては科学的正当性が保証されるが、だからと云って原子同士の関係のみが科学的に正当であり、異層の事物どうしの関係が正当化されないのは間違っているとずっと思っていた。しかし、其の事をハーマンは、恐らく拙書よりも遥かにアカデミックに厳密に論証して思想業界に発表し、業界で大いに評価され、既に現代思想の一大潮流を築いていると雑誌が云うのだから…後から私が、同じ事を考えてた、などと間抜けが過ぎる厚顔無恥で発表しても、馬鹿にされて一顧だにされぬが落ちだろう…悔し紛れに勝者を称えるが、何だかんだで済し崩し的に還元主義が幅を効かす此の世の中で、此れを敢然と拒否したハーマンの創意と勇気の意義はでかい。反還元主義と云う結論を、ハーマンはハイデガーの道具論の考察から導出しているらしく、しかし私は量子力学を端緒とした不連続体の考察による生成と消滅の同義性から導出しており、恐らく到達経路は異なるから、其の辺りで新規性を主張できるかもしれないが…彼の主著を読んでおらぬので確認できておらず…其れに、所詮は還元主義の閾を出ない現状の量子力学から出発してしまったから、生成と消滅の同義性も、結局はハーマンに云わせたら概念的な還元主義として否定されてもおかしくはなく…しかしハーマン自身も、事物の関係を検討するのに四方対象などと云って些か都合の良い概念操作としての還元主義に依存しているように見え…ハーマンは、事物を形式で捉えるのはOK、などと御手盛りで逃げ道を作ってるが…実際、一切の還元を拒否してしまえば其の事物について何も云えない思想の終着地点となるのは目に見えているから仕方ないのかもしれないが…ハーマンの四方対象、即ち感覚と実在の性質と対象の四つの組み合わせによる概念導出は、何となく、拙書の、多様性原理と理性の肯定と否定の四つの組み合わせにも似ている気がするし…
 何となれば、ハーマンや私の思想は、実際の処、華厳経なのではないかと私は踏んでいる…オブジェクト指向哲学などと目新しい名称で持て囃されているが、そんなものは遥か昔の最重要仏典の一つである華厳経に書いてあるんだよ、と云う事を意地悪く証明してみせてハーマンの成果を貶めてやろうか、と、一瞬思ったが、そんな下らない妄執に囚われて価値の無い学術的論証に時間を費やすほどお前は馬鹿だったのか、と吾に返る…其れに、多分、ハーマンの方が華厳経よりも、西洋人らしく緻密に論証してるのだろうし…。
 とは云え思い出すべきは、私の目的は理論を構築し、其れを講釈する事ではなく、飽くまでも実践であって…元元、拙書にて理論を組んだ背景は、いきなり実践物を世に提出しても、其の実践物はあまりに新しすぎて、其れを評価する基盤が此の世に存在しないがために捨て置かれる破目に陥るのは目に見えているし実際幾度と無く無視されて来た経験もあるから、自ら評価基準となる新理論と新実践物を合わせて提出する事で何とか社会への流通の扉を開かんとする目論見なのであった。ところが、理論の方は、完全に私の理論と一致する訳ではないにしても(其の異同の内容は、次の「怒り」の理由にて述べる)ある程度ハーマンによって先に出し抜かれてしまったから、今後、私が独自に考え続けて創作した実践物を提出しても、其れは、ハーマンの理論に便乗した二番煎じのスノッブな代物と世人に解釈され、ハーマンの後塵を拝すと云う、私にとって最も屈辱的な扱われ方に甘んじなければならない公算が大きく…やる気も生き甲斐も失せると云う、人生上の敗北感さえもが伴う個人的な思想的危機なのである。ただ、今のところ、と云ってもハーマンの主要著作を読んでいず、断片的な情報を得た段階に過ぎない留保は付くが、ハーマンの思想の結論についても、其の過程と同じく、完全には私と一致していない、其の僅かだが質的には結構大きい差異に賭けるしかないと、辛うじて希望を繋げている状況…ハーマンの思想の結論と云うよりも、ハーマン自身が、己の思想の可能性に気付いていない可能性もあり、無論、私は気付いているが、其処の所を衝くしかないのか、と…。
 あるいは、どのみち私としては、全体主義予防の効果は理論的に見て低いと考える理論自体のの発表が目的ではないから、既に理論が広まっているのであれば、私の新実践物が評価され易いと云う好機とも考えられる。ただし、此の場合、理論が既にあるから、其れを読んだ野心家どもが、早速其の理論を元に実践物を創作して来る、即ち競争が激しくなる事が現実味を容易に予想されるから、今までのように、どうせ自分のライバルは10億人に1人、即ち世界で合計5~6人くらいだろうと慢心してちんたらしてる場合ではなく、ハーマンのせいで、如何に上手い事速く仕上げるかと云う早い者勝ち競争に参戦せざるをえなくなり、其の意味でもハーマンが恨めしいが、普遍的だから幾らでも応用できる理論の公開のせいで今後雨後の竹の子のように増殖するライバルたちとの熾烈な開発競争に打ち勝たなければならない…実際、ハーマンの理論は、現代美術の分野で重宝されていると聞く…其の創作物が、コンセプチュアルアートや物派をどの程度乗り越えているのかは分からないが…文学でもオブジェクト指向哲学を応用するスノッブな輩が出て来るのは時間の問題だろう。私は数年前から、ハーマンとは独立に同様の事を考えていたのに…。

 さて、次に、「現代思想」1月号を読んで怒りにわなわな震えてしまった理由は何か。其れは、…(次回に続く)

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