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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「them/the angry young them featuring van morrison(1965) pocd-1977」 2008年11月30日 先勝 静春

 厚生省の元事務次官を狙った事件、誠に痛ましいが当然ながら現代的であった。思い起こせば昨今、年齢は20代後半から30代前半の若者による無差別殺人事件が頻発していた。吾等の時代、と40年前のように大上段でのたまうのはおこがましいが、90年代終わりから2000年代はじめに就職活動をむかえたエヴァンゲリオン世代の我々はバブル後の不景気による就職難を大きくこうむっているだろう。

 バブルの名残りのような楽観とじわじわ来た不景気のそよ風に煽られた不安に抗うようにして、気丈なのか気楽なのか今となっては何ともいえないが、我々の少し前の世代の者たちが、自分探し、と称して正規雇用を拒み、アルバイトしながら、演劇とか、音楽的に何の価値も無いし頭の悪さの露呈でしかないストリートフォークにうつつをぬかしていたのを逆手にとって、巨大資本が、ああこいつらは面倒くさい生活保障しなくても労働してくれるのか便利便利、とばかりに、昔で言う口利き屋を資本の体系にがっちり組み込みいくらでも非正規雇用者を再生産しうるシステムを構築してしまった。口利き屋や周旋屋などは少なくとも戦前までは地回りヤクザと表裏をなした裏稼業であるが、これが資本におもねる事甚だしい小泉政権(郵政民営化は正解!)の規制緩和の後押しもあって、経済構造として合理合法されたのが、今日の派遣業の隆盛を作り、資本に対して争議の武器を持たぬ非正規非組合員とその貧困を増大させたのであった。(無論、アルバイトしながらの諸芸道への精進を徒に否定するものではない。その芸の質は当然風評の対象になるが。ここでは資本のしたたかさを言いたいだけである。)

 また、こうした、純朴な自分探しを逆手に取る資本のしたたかさとは別に、バブル後に促進された人事システムの強化が、非正規雇用を増大させた大きい要因であろう。バブルまでは金の卵とばかりに上げ膳据え膳で無差別に学生を大量に迎えていたのが(一部の共産主義者は排斥されたかも知れぬが)、不景気により功利主義がより研ぎ澄まされた結果、人格が資本主義に合わぬ者は絶対に正規雇用されぬ制度がえげつなく横行し始めたのである。内気な者、発言出来ぬ者、声が小さい者、内向的な者、活発でない者、覇気が無い者、分りにくい者、特徴の無い者、コミュニケーション出来ぬ者らはことごとく内定を貰えず派遣に流れた。一方でこうした人格とは真逆の、制度内の許容範囲にいるやんちゃな者元気な者らが目上の者ら(団塊、あるいは学生運動を免罪符にして憚らぬ恥知らずの管理職)の覚えよろしく行く先々で内定を得る2極化が現出した。即ちこれが90年代終わりから2000年代はじめなのである。こうした傾向は上場企業ほど顕著であると思われるが、つまり制度内でキャラクター化しがたいししても面白くない内向的な者らが、現実の貧困と自己疎外された工場労働とキャラクターしか許容せぬ制度への憎悪に発奮して、彼らは事件を起こしたのではなかったか。それが秋葉原のあの事件ではなかったか。

 ただ、秋葉原の彼はなぜ無辜の民を無差別に殺傷したのか、このことは赦し難いし不可解であった。自らのとらえどころの無いやり場の無い殺意を、せめて拙いながらも理論付けるほどの知性と努力すら無いのだろうか、殺意に疼く者らよ。無差別に殺人したところで何も世は変わらぬし、自分を苦しめた仇にもならぬだろう、それならばいっそ、憂国の士として、のうのうと私腹を肥やしている権力者が目に付くはずではないか。戦前の、血盟団事件や虎ノ門事件(当時の社会運動から全く孤立しながら独自に決行した難破大助による皇太子暗殺未遂)や無政府主義者たちによる政府要人暗殺未遂、果ては2.26事件から何事かを学んで、悶々とした殺意を思想的に形象化しうる努力を怠っていないか。極右ないし極左的思想に逢着する半端な勉強にすら至れぬほどの勉強不足ではないのか。この思想的形象化が必ずしも暗殺へと帰着するとは限らないが、少なくとも、たとえ過去であっても政治的権力を持っていた個人を狙った今回の暗殺という事件を、テロなどという、アメリカ独裁グローバリズムの象徴のような言葉に無自覚に連想的に置き換えて恥じぬこの国の政治屋やメディアに腹立たぬはずはない。

 と、そこへ、如何にも政治的イデオロギー的意志のありそうな今回の暗殺事件が起きたのである。目撃証言によると歳は30~40の間と言うし、とうとう我々の世代の中から、政治権力を標的に見据えた確固たる思想的暗殺に走る者が輩出されてしまったか、と、痛ましい胸中であった。ところが、出頭した被疑者は47歳と微妙な年齢であるし、ペットを殺された恨みだと供述する始末。精神異常を装った裁判対策かもしれぬが、いずれにせよ被害者の方がただただ気の毒なだけの顛末になりそうである。大きい物語とのつながりの無い、ちっぽけな、詰まらぬ暴力の突発的発露は、さながら中原昌也の小説世界のようである。所詮、この国の現代に、イデオロギーなどという大きい物語を期待するのが無駄なのだろう。なお、ここまで読んで何か感じたそこのあなた、今すぐ非業組合の小説「軍国軍記」の注文フォームをクリックしてくだされ!本体価格無料、送料無料です。また現在、新作「夜学歴程」を推敲中。予約承ります。

them.JPG さて、是無もといゼムである。後にヴォーカルのヴァン・モリソンはゼム解散後、独自の不思議音楽を奏でるだろうし、既にこのバンド音楽にも後のヴァンの音楽性の萌芽が聞き取れるが、そうした穿った聞き方が不要なほど、かけがえの無いビートロックに邁進する様に聞き惚れよう。イカシタR&B演奏の熱さと躍動に心ノル快アルバム。

 60年代後半の英国の、黒人音楽に範を得た白人バンドの多くが、「黒っぽい」と評判のヴォーカリストを擁していただろう。枚挙し難いがまず思いつくのは二人のスティーヴ、即ちスモール・フェイセスのスティーブ・マリオットとスペンサー・デイヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッドであった。この二人に共通するのは、黒っぽさの範疇で如何にソウルフルにシャウトするかを念頭している点である。ゼムの本作が全楽曲中5割程度がオリジナルに対して、他のバンド同様9割近くをカバーが占めていたローリングストーンズの、くねくねする彼を入れてもよいだろう(無論、カバー曲のこうした実直かつ堅固な持続が後年のストーンズの達成を支えたのであった)。

 この当時、黒っぽさを白人ながら追究するか、はなから諦めて得意のアイリッシュフォーク調を基盤とするか、まあ普通に歌っているかしか英国には聞き出されなかった事情から、突如のように現れたのがレッド・ツェッペリンのロバート・プラントの歌唱であった。いずれ詳しく書きたいが、兎も角、どんなに叫ぼうとも基本的に人間に優しい黒人さんや黒っぽい感じの白人の声とは一線を画して、ロバートは人の耳に悪影響を及ぼす凶暴な高音で白人独自の身勝手なゴシック的狂気を絶叫したのであった。その事の決定的さはこの王道なきロック史の大きい主題の一つであるからして今日は深入りせぬ。そして、この主題よりも重要な事として、米国ではザッパ&マザーズやジミ・ヘンドリクス&エクスペリエンスが黒白混合という、英国では俄に考え難い編成であったことを示唆するに留めよう。とりあえず、ヴァンの歌唱には、ソウルフルでありながらどこか冷え枯るるものが底流していることを、アイリッシュの影響も含んでいるから、と安易な風土論で説明する事への遠慮もありながら、ロックのご当地性は無視出来ぬ事実であるからして、語るためのとば口としては有効であると言い添えたい。このご当地性が顕著なのがプログレッシヴ・ロックであった。

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