ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the very best of ma rainey(1927~)」 2008年11月2日 友引 裏湿
10月の最終週のいつだったか、民放だったか日本放送協会だったかも忘れたが、テレビジョンのニュース番組で、アイスランドにおける金融恐慌の煽り、貧しい漁業国だったのが小手先金融に目覚め、バブルしていたが一転、奈落に落とされ豪邸競売、昔の漁師生活に戻るよ、と力無く浜辺をさすらうアイスランドの民の現状を報道していた。デモ行進らしき人々の映像もあったが、その片隅に、○の中ににA、そして黒旗が少ないながらも明らかに林立していた。まぎれもなく、アナキズムの人々の健在であった。歴史上、資本主義を批判しえた思想ないしは運動としてコミュニズムが見直されつつあり、さらには共産主義の中央集権をも批判しえたアナキズム運動にも光が当たり始めた昨今ではある。そうはいってもいわゆるお茶の間で話題にもなりうる時間帯に、赤旗ならぬ黒旗が放映されるのは度肝抜かれる思いであった。
ロックとコミュニズムとの関係となると、とりあえずだがMC5やヘンリー・カウが思い起こされるだろう。アナキズムだとセックス・ピストルズになろうか。西洋古典音楽の世界では社会主義リアリズムとしてプロコフィエフなぞが定説であるが、いずれ、コミュニズムないしはアナキズムがロックを様式化しえたか、サイケ・フラワームーヴメントとアナキズムをあえて結ぶ短絡を導火線として、詳細に論じたいものである。
さて、マ・レイニーである。1920年代後半の彼女のブルース音源をまとめたものである。先週末にレコード市があり、ロックに興味が無いので3年ぶりに気まぐれで音源を買った中の一枚。興味の有無や我武者羅な義務感、必要性との無縁において、このロック史を書いています。ブルース初期には女性歌手の活動目覚しいが、女性の場合ギター片手の独演と言う有り様よりは、ジャズバンドをバックにしての、ブルースがジャズの中の一概念に過ぎなかった頃の名残りのブルースジャズ・ムード歌謡が多かったようである。この辺の歴史はポール・オリヴァー著「ブルースの歴史」(晶文社)を読了されたし。ブラスとピアノのぷわぷわな演奏に乗っかり、予め知らなければ男のそれとしか聞こえない声で歌っている。歌謡がフロントでバンドがバックである情況はいまだロックからは遠い姿であり、従ってブルースといえどまだロックに目覚める契機のない音楽であった。関係ないが、ボ・ディドリーのボとか、彼女のマ、とか、一体何なのだろう。先行する名前の極端な短縮形だと推測されるが、恐らく黒人の名にありがちなところから、奴隷性と関係があるのか調べてみたい。
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