ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「count five/phychotic revelation(1966~1969)big beat cdwikd230」 2008年12月14日 先負 先春
さて、カウント・ファイブである。米国はカリフォルニア州サンホセ産。ジャケットなぞ見るとマザーズ オブ インベンションのフリークアウトライブの前座を努めており、チャートでもガレージ勢に珍しく首位を得たりと人気のバンドだったようである。本当はエレクトリックプルーンズの紹介を致したかったがコレを先に写真取りしてプロ愚に登録したものだから仕方ない気持ちである。ガレージとはいっても暗闇地獄で水子がしゃれこうべ肋骨ギターをかき鳴らす差し迫った怒りをずぼらに発散する風でも無く、育ちのいい学生さんがブリティッシュ勢に感銘してやり出した卒の無い健康ロックといってしまっては如何ともしがたいが、しかしそうはいっても聴くべき所にパンチを効かす気骨がガレージという出自に根差した黒い攻撃性をギラリとさせるに吝かでない。メタルとなると憎悪を叩き付け出すがこの頃はまだどこか陽性の怒りに留まっているのが好悪分かれるところであろう。先週挙げたミュージックマシーンでもそうであったが、ガレージの緊急的怒りがパファッと眠りに入る時、安らかなサイケデリアの不敵な夢が獰猛に炙り出される。如何に人気のR&Bガレージ学生バンドであろうともそうした音楽の宿命から免れ得ない誇りが固持されているのである。結局、ひたぶるにかっこいいバンドである。比べる必要など皆無であるが20年前からのコンビニ音楽の、こうした宿命をも負いきれぬほどの誇りの無さ、自縛する美意識の無さにはほとほと嫌気がさす。いや、むしろ、どこまでも資本と支持率におもねようとする自動的意識の強固が凄いのであろう、すなわち商魂である。下らないこと書いたので宿命云々は世迷言と思うてくだされ。ともあれ、ガレージもサイケもロックの様相を語る上で重要な概念であり且つ表裏を成すあらましである。また、目印のために、ブルースと、ブルースが片親とされがちなリズム&ブルースとの間に疑問のクサビを打ち込んでおいてまたの再会。
count five
john "sean" byrne:lead vocals, rhythm guitar
kenn ellner:lead vocals, harp, percussion
john "mouse" michalski:lead guitar
roy chaney:bass
craig "butch" atkinson:drum
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