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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「ジゲンオルガン/ライブ@岡山ペパーランド(2008.11.23)」 2008年12月21日 仏滅 冬至悲雨

 最近は、酸化防止剤(亜硫酸塩)無添加の国産ワインを好飲している。ワインの銘柄や味の差異にさほど詳しくもうるさくもない小生であるが、景気付けのため手頃な価格のワインを飲むに付け、二日酔いとまでは行かないけれどもやはり翌日に残る、と言う日常にさしたる疑問が無いはずが無く、一般にワイン中のタンニンが日本人の臓器にとって処理困難ゆえに胃や胸のむかつきが残ると言われても納得していなかった。
 個人的な経験則に過ぎぬが300円から600円の廉価ワインは翌日のむかつきが酷く、価格が上がるにつれ酔い残り少なくなり、1000円~3000円だと我慢しうる程度のむかつきを翌日残すものの喉を通過したときの華麗なる濃旨淡旨ゆえ小生如きでも満足できるのであった。それ以上の価格のワイン世界は知らぬ。知らぬにしても、素人目にしてどうにも怪しく映るのが、含有成分表記されている酸化防止剤の存在であった。こやつが何もかもぶち壊しているのではなかろうか。常日頃頭の片隅にそう念じていた矢先、近所の詰まらぬスーパー(惣菜が激マズ)で、酸化防止剤無添加を大きく謳ったラベルの山梨ワインの赤を発見した。値は560円ほど。即買い、飲むに、おお旨い。酸化防止剤が無いためとは早急に考えられぬし一般に赤ワインには皮が入っているからあのシワイ苦味が伴うと言われる。そのシワイ苦味が赤ワインの旨味なんだと愚かしくも自己に言い聞かせていた。国産葡萄と西洋産葡萄の違いの影響も大きいと思われるが、兎も角喉にしつこく絡みつくシワイ感じが尖んがらず、且つ苦味とトロミが全的に転がるように醇乎たる旨味はどこまでもまろやかで濃厚かつ不透明な静まりが胃に沈下していく未分未明のようで、良い。ついつい煽りがちになるものの、翌日の寝覚めは誠にすっきりと、後腐れない爽快であった。
 昨晩も調子に乗って無添加ワイン赤(件の山梨ワインとは別銘柄。)を喉に転がしながら、ブラタモリの放送をNHKで待っていた。その多趣味の一つとして古地図数寄のタモリが、江戸や明治の古地図を頼りに今の東京をぶらつくという企画。タモリ倶楽部から独立したような趣向ではあるが面白くないはずが無い。ただ、タモリ倶楽部同様に深夜1時くらいの番組ゆえ、その時間はたいてい酩酊しておる小生にとっては拝見難しく、結局見逃し睡眠。ただ、以前見たブラタモリ、表参道にて、興味をそそられたタモリが、自身が学生の頃からある山陽堂書店に入った折、山田先生の漫画「へうげもの」最新第7巻が画面の隅に捉えられたのを見逃す視聴者はおるまい。タモリ倶楽部やブラタモリを好む者ならば、へうげものを隔週読まぬ者はおるまいとばかりの、暗黙の符丁が顕在していた。少なくとも小生はそう感ぜられた。
 朝起きればNHKの新日曜美術館。毎週見る。本日は佐伯ユウゾウ。結核を病みながらパリの下町をごりごり描き続けたイメージの強い画家であるが、本日のゲストは高橋源一郎。多くの文化人や学者ゲストが情緒的な感銘や瑣末な相槌しか入れぬが、源一郎氏、当然ながら1930年代の社会(主義)運動隆盛のパリを指摘、佐伯氏がしばしば描きながら見たであろう汚い壁の広告は政治的アジビラではなかったか、と卓見しながら、日本共産党設立との同時代性も指摘するに至っては、これまでの番組にそぐわぬ不穏な空気がスタジオに流れざるを得ぬ。無感覚のアナウンサーが事の重大を感ずる知性を見せぬままそれに対する無反応は致し方無いにしても、壇ふみが、画家最期の作の郵便配達員の絵の印象を、古里日本からの便りを持って来る郵便屋さん、などと解釈することで、源一郎がもたらす不穏な空気を情緒的に誤魔化そうとするも、しかし郵便屋の老人の目の暗く空ろな絶望は何なのか、と、矢張り不穏な空気を最後まで撒き散らす源一郎氏であり、良かった。


 閑話休題、ジゲンオルガンである。日の本は鳥取産。2000年以降結成か。小生が聴いた時はベース兼キーボードとドラムの二人編成、主に中国地方でライブを中心としており、現在いまだに彼らのレコード音源は全国流通していない実情のため、小生もレコード音源は入手していない。従って一度聴いたライブ模様を中心に記録し、ささやかながら立派な出世の一助としたい。そう、音楽体験は笑いと共に記憶し難いゆえ、如何に印象強かろうとも詳細の音の仕組みが忘却に晒されつつある始末、いわんやジゲンオルガンの音楽性は、小生が私物する、たかだかではあるが千枚程度の音源を全て紹介し終えた後に導かれるであろう新しい未来性を孕むゆえ、今書く事は性急に過ぎるにしても、もったいぶられる結論などありはせぬ、隠し立てされぬ結論の、繰り返しも厭わぬ連打こそ重要必至と心得、既に朧ろの記憶を頼りに記録するしかないのである。よって忸怩たる思いをされるであろう曖昧な記述ご容赦願いたい。それほどの緊急的歴史的出世を要するほどの重要なバンドである。
  さて、ライブというからには、音楽について語る前に舞台演芸の是非について批判せねばならなかった。ギリシャ悲劇、オペラ、オーケストラ、室内楽、ワーグナー楽劇やご当地神楽、人形浄瑠璃だの京劇だの民族音楽だのと個別に分析する必要も無いほど、舞台演芸ではいずれも、見る者見られる者問わずその演芸に集う集団が認知する舞台という場所が概念化されており、境界を成しながら見る者(聴く者)/見られる者(聴かれる者)あるいは行為される者/行為する者、の二分を定式化していた。この時点で既に退屈である。退屈には罪は無いが、この退屈さは破壊されなければならない。
 主体と客体、言葉と対象、といった定形の安全への無自覚な連なりへの最たるものが舞台演芸であった。(以降、何も小生が拙い説明などしなくても物の分かった人士であるならば常識レベルのことをくどくどしく述べるのを容赦いただきたく。)こうした二元論を他者論の函数として考えると分かりやすいかもしれない。古来より、他者との関係性の下で自己が定立されてきたが、この際に関係性を能力化することで他者の他者性が軽んじられてきたのである。即ち、絶対的に関係性を持ち得ない他者が、である。こうした他者性に関して、ヘーゲルまではまだその他者性に踏み止まろうとする誠実な煩悶、迷いがあった。これまた当然のことながら、ヘーゲルの弁証法はテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼへと至る単純な機械論ではない。それは彼の「精神現象学」での主張そして文体に見られる。あの、どこまでもテーゼとアンチテーゼの存在を認めながら、ジンテーゼには容易には至ろうとせぬ踏ん張る螺旋の文。ちなみに小生は「精神現象学」を小説だと考えている。文体論を否定しながら文体でしか何事も語れぬものが小説であるとするならば。(文体は何事も語らぬので小説は何事も語らぬ。)マルクスは彼のヘーゲル批判の中で、テーゼとアンチテーゼとの共犯関係、結局テーゼあってのアンチではないかと、ヘーゲルの他者性(アンチテーゼ)の不徹底を揶揄しているが、ヘーゲルにしてみれば、もっと俺の迷いを察してくれ、と言いたいところであろう。マルクス主義以降の、こうした他者性への無自覚はブランショやデリダ、ヴィトゲンシュタインらに改めて批判されても尚、現在蔓延っている。そして、一旦関係性の中で消化された他者は分類されキャラクタライズされながら、自ずと分類不能のものを差別化し、敵視化しかねず、もっと説明可能であるが極論すると全体主義に陥るだろう。芸術芸能に目的は無い。ただ、その時々に面白おかしければ良いのである。何事かを成す能力も無い。ただし、唯一目的として許されるならば、現にある全体主義への批判と破壊である。これ以外に無い。全体主義は予防するに限るが、予防は、これまた説明を省くが全体主義的概念に連なるので、従って、起きてしまった全体主義に対して、全力で戦わなければならないのが芸の道である。無論、全体主義の様相は多かれ少なかれ権力組織の常であるからして、芸人はその有形無形の作品でいついかなる時でも全体主義と戦わざるを得ぬ。
 よって、舞台演芸の歴史的位置に思いをいたさぬ演者並びに客は、致命的に、その音楽を奏する乃至は聴く権利を失するのである。客の居る会場で音を出せば客が聴く、あるいは会場に行けば金を出せば音楽が聴ける、と意識せず思っているのであれば、音楽にとって不幸な事である。舞台演芸に関して言えば、予め全的に承認された大ホールで大声で大仰に演ずるのへの批判から、例えばロシア革命前後にて、街頭での、さながらそれが革命の実際ではなかったかと思われるほどの大規模な群集劇が演じられたし(当時、レーニンのそっくりさん俳優が数人居たようだ)、寺山修二の街頭劇や、平田オリザの、舞台の隅でぼそぼそ普通の音量で喋る演劇(大声発声練習演劇への痛烈批判)などによって、舞台性の定式化が批判されてきた。音楽では・・・(長くなったので今日はここで打ち切ります。来週、音楽分野での舞台性批判の例から始めて、結局舞台性批判とは関係ないが本論のジゲンオルガンの音楽性について語ります。続く。)

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