忍者ブログ
 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
[166][165][164][163][162][161][160][159][158][157][156]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「the who/sell out(1967)uicy-2311」時雨日和



 率直に楽しかった数寄三昧&旧交温め泥酔へろへろ恥ずかし旅も終わった途端、またぞろどこかに行きたくなる芭蕉気分。祖父の見舞いでは切実な体験をせざるを得なかったがおおまかに何だか今は珍しく幸せ夢気分の今日である。 旅、見舞い、そして立て続けのハイライトは小生自身の人間ドッグであったが、心のしこりであった健康問題、少しく改善の兆しを見せるデータが示され一安心であった。血中の悪玉コレステロール値が去年は危険な閾値に漸近していたが、今回は、完全なる安全圏ではないにしても値が下がっていた。体重も少し減っていた。完全にはできていないが魚を増やしたし、週一回腹に入れていたラーメンも止めたが、多分効いたのはもずく健康法だと思っている。週三~四回はもずくの黒酢和えを食っている小生、このほど、プレミアムもずくというのを食した…もずくのくせに、何がプレミアムなんだ…そういえば、サントリーの旨いビールにプレミアムモルツというのがあったのを思い出す。いや、胃が少し荒れているという警告もあったので、ここに備忘のため記す。気をつけねば…毎日が充実していないので、できるだけ長生きしたいと思っている、長生きしたとて充実など決してしはしないのであるが、生への執着いぎたなく無能に丸出し結構。
 北野天満宮での天神市でのプチ御大尽でやや反省点あるものの小生好みの品々をお助けしてきたが、人間ドッグ後、まだ麻酔によるダルさも残っておりながらも、地元の陶器屋と骨董屋にぶらり迷い込み、思いの外廉価で、実に和む、大らかな天目形の黄瀬戸茶碗(夢に浮かぶ野山のようなタンバンの緑は時折尋常でないカサつきを轟かせ、黄瀬戸釉の牧歌的ホツホツがたまらぬ)をお助けしたとあって相当満足である。この骨董屋、店内の半分はレゲエ系のアイテムを売っており、店主は異様に長い腕に汚いタトゥーいれまくるドレッドヘア、BGMも当然ディープレゲエ。たぶん親父がやっていた骨董屋をレゲエ好きの息子が継いだと見える。
 比較的平穏であるがこんな安定がいつまでも続くわけがないと疑心暗雲たぎらせながらもそこそこいい感じであるから他者や制度に悪態つく気持ちも消沈しているにも関わらず、消音して見るともなく見ていた青春リアルには怒りが勃発するではないか。心が満足した人間に対してさえも怒りを呼び覚ますこの番組は何なんだ。しかし、慢性的な腰痛は慣れすぎてあまりに自然に庇っているので最近は意識すらしないが、このほどは首筋が痛く、さらにこめかみなどの頭痛がちょっとひどい。そして、何だかはっきりしない、下手糞な歯科技工士作製のいまいち収まりが悪い銀歯をかぶせたところの奥の神経が曖昧に痛む…確実に痛ければすぐ歯医者にいくのであるが…

 日本国における国防ひいては日米安保という問題は、沖縄問題等の解決策として勘案される自主防衛と安保解消ということに焦点を当てた場合、他国にとは異なる過酷かつ特殊な決断を日本国民に強いるということを念頭に置かなければいつまでも議論が曖昧なままだろう。他国民が自国民を命がけで殺しに来た時に、自国民は命がけで、それこそ相手も殺すし自分も殺されるかもしれないという覚悟で防衛できるか、というのが国防の生の姿である。一般の国々は既にそうした問いが問われる以前に、選択の余地なく制度上否応なく、自国民は命がけで他国民とやりあわなければならない状況なのである。集団的自衛をとっていようとも、それはこうした国防の生の姿を希釈しようとする仕組みに過ぎず、国防の本質は変わらない。しかしながら武装蜂起をうたう憲法9条そして日米安保という特殊状況下の日本人にとっては、制度上、そうした殺し合いを免除されていた。その上で自主防衛を選択するということは、自主防衛と同義ではある上記の問い、即ち殺し殺されるということを自らの意志で選択しなければならないのである。こうした問いかけと意思というのを受け入れるのに躊躇するのは、一般普遍の人間であれば当然であって、日本人は平和ボケしているから云々というような石原慎太郎的な老害の論拠では説明つかぬ。こうした問いかけがなされる状況が初めから無い中で既に殺し殺されが制度化して機能している国と、こうした問いを受け入れた上で自主的に意志的に防衛を選択しなければならない国の状況は全く過酷さが異なるのであって、この点を抜きには結局沖縄や尖閣や安保は語れない。どちらが過酷かとは言えないが、少なくとも意志でもって殺し殺されを選択しなければならない状況の日本国にある種の曖昧さが伴うのは必然である。良くも悪くもこの曖昧さが戦後の日本を形成している。政治とは、白黒つけるだけではなく時に灰色を選ぶことも肝要なのだ…と、以上、文藝春秋や論座風のお堅い政治記事を書いてみました…。ブラタモリ復活が目出度い。

 ザ・フーのセルアウト。1967、英国。昨日細君から指摘されて今更ながら初めて気付いたのであるが、同じくフーの「who's next」のジャケット、礫岩の荒野の中にコンクリートの矩体が突き刺さっており、その付近にフーの面々が佇んでいる…としか思っていなかったが、よく見ると、徹頭徹尾顔の異なる彼らの手はズボンのチャックあたりを所在無げに触っており、コンクリートの矩体には4つの、液をかけられたばかりとおぼしきシミが残っている…そう、彼らがあの矩体に立ち小便したばかりの写真だったのだ。フーとは関係ないが、同じく細君が小耳に挟んだ噂によると、過剰に上半身を反り返らせて放尿する男が実在するらしい。その立派なる姿、見たいような見たくないような…
 トミーやフーズネクストなどは重要すぎて心が高ぶり冷静に聴けない、そんな逃げの姿勢から愛聴し始めたこのセルアウトにしたって聴けば聴くほど危うさの沼地のような音楽性でありすっかりのめり込んだ今、眩暈のような恐ろしさが、視界無き眼前に歴然とするではないか。その途方も無い怯えについては結局フーの音楽に通底するものであり一筋縄ではいかないので今朝は勘弁願いたい…7.「恋の魔眼」といったサイケ調の意匠をまとった名曲もあるが基本的にはサイケデリアのドリームに拘泥しながら身にはならぬ性がフーであり、むしろハードロックの根源たるアイロニーあるいはメランコリアの発散がフーというバンドでは如実である。世間への攻撃的逆恨みたるアイロニーあるいはメランコリー。
 殊更に激しい演奏の炸裂力を示すでもなく凝った編成や楽曲に挑戦しているように聴こえるでもなく、一聴すると淡々とした印象しか残らぬ本作かもしれぬが、こうした他愛無いのが何度も味わえる。秋の日のように穏やかだ…名曲も多い。ある分野の芸能の中の何でもないような他愛無いものが好きになれるかどうかが、その芸能全般が好きかどうかの試金石になるのだろう。しかし繰り返すが、やはり、全く何がしたいのか分かりかねる、謎めいてはいないが謎としか言い難いような奇妙さが、聴くほどに際立つ…殊更前に出るわけではないがツボを的確するパンチの効いた演奏なり確実なドラミングなりに、能天気なパーティー歌詞や切実に衰弱へ傾倒する歌詞(8.「私は君に至らぬ」は絶唱)を乗せて、不安に満ちた陰鬱曲調で熱く奏する統合失調を容赦なくポップに盛り込むからその危うさは、ビーチボーイズのペットサウンズやシルヴァーアップルズの危うさとどう違うか再考せねばなるまい。
 フーをしてハードロックの祖ならしめるのはその卓越した熱い演奏といった側面だけではなく、彼らがわだかまるアイロニーやメランコリア、あるいは寂びといった壊れかけの姿が大きいのであって、従って、言わずもがなではあるが元気いっぱいに旺盛に演奏すればハードになる、あるいはレディオヘッドのように内向性を問題化させる抑鬱楽曲がハードロックになるといったものではなく、ハードロックというのはそうした破れかぶれへの尋常ならざる踏み止まりを意味している。破れかぶれを矛盾と書かなかったことで弁証法から逃れた気になっているのではないが、しかるにその後のロックを聴くに、

ピート・タウンゼンド:ギター
ロジャー・ダルトリー:ボーカル
ジョン・エントウイッスル:ベース
キース・ムーン:ドラムス

 後味悪く終わってみました。
 

拍手[0回]

PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

この記事へのトラックバック

トラックバックURL

忍者ツールズプロフィールは終了しました

HN:
々々
性別:
非公開

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ロック史最新記事

(03/03)

ブログ内検索

最新トラックバック

忍者アナライズ

Copyright ©  -- 仄々斎不吉 --  All Rights Reserved

Design by 好評ゼロ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]