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「buddy guy/i was walking through the woods(1970)mvcm-22009」忌中
とりたててそのことに意見なり理論なりを持っているわけではない無責任でありながらも、しかし何らかの関係のありそうな幾つかの見聞を列挙したいと思う。いろんな動機の一つに、己を荒(すさ)ませたい、荒み体験によって己を研ぎ澄ませたいという欲望もあって、しばしばマクドナルドで餌にあずかる小生。平日昼時のマックやファミレスはママ友会合で占拠されている事が多い。その両方をしっかり体験済みである小生だから断言するが、そのママ友会合による荒み度はやはりファミレスよりもマックが激しい。
そうした中で明らかに現場労働者風の出で立ちの小生が一人、コンビニで売っている、漫画雑誌以外のゴミのごとき書籍の中で辛うじて、嫌々ながら読んでもいい、日の本の皇室崇拝オピニオン総合誌文藝春秋を斜め読みしながらダブルチーズバーガーセットを摂取している光景の違和感は、ごく稀に居る、モバイルパソコンを操作しながら端正なスーツ姿でバーガー食っているオフィス系サラリーマンに比しても著しい。また、1店内に計4~5グループに大別されるママ友会合群(1グループにつき親子が3~4世帯)に比すればその違和感孤立感は尚更高まるのだが、そんな事を意に介する小生ではない。連れられた子らが幼いので仕方ないとも思いつつ時にこれはどうなのだろうと思わないでもない、子らの店内でのドタドタ走りや暴れ、耳に痛い絶叫、容赦無い食べ零し飲み零しは、先述したママ友会合の人数からも予想はつくように、マック内は、その騒音の内容はこれから精査するとしても兎も角若い母親とその子らによる阿鼻叫喚地獄となっている事実をまずは一報したい…ことにこういったママ友会合において、おとなしく椅子に座って零さず食べている子は皆無と言っていい、あれだけの人数の子らが同時に暴れ廻りそれを制したり放置したりするママらの怒号も加わるからその音量たるや…(物凄く長くなりそうなので今週はこの辺で打ち止め。続きはまた来週…)
バディ・ガイ。シカゴブルースの老舗チェスレコードの名盤であり、モダンブルースの金字塔の一つである。しっかり電化されたギターを、スモーキーな闇に刻み込むようにビンビンビロビロとよく鳴らしつつ、同じく闇が大口開けて扁桃腺を鰹のようにビチビチに共振させるように歌い上げるシャウトやいやらしくなめずるようなメロウを器用に使い分ける芸達者である。響きを甲高く拒絶する硬質の、鍵盤楽器というよりも打楽器という原始をごまかさぬ単調なピアノプレイが耳を痛ませる。熟れた黒い果実からの滴りじみたベース、黒い土地をじかにゆったり歩きながら(be walking!)出鱈目に大柄であり、発情のためテラテラに黒光りするホーン部隊が時折道化する気忙しい滑稽をもあったかく包み込む度量が凄まじいドラム。調和を崩してクサビを打ち込むハーモニカの粗暴が噴煙を上げる。演歌師のような流浪の個人が歌う素朴な労農呪詛の歌だったブルースが、楽曲構成上他が付け入る余地の無いバンド形式という専門集団の礎石を得た事によって、ブルースは演者と聴衆の区別無く共に歌い共に聴くかつての民俗から遊離してしまったのだろう。良くも悪くも演者と聴衆を隔ててしまい、その心情はどうあれ、演者にとっては聴衆に聴かせるもの、聴衆にとっては演奏を聴くもの、という分離が発生したのだろう。この分離がモダン化であり、電化という、それを所有するものしか奏する事が出来ぬ楽器の採用によってこのモダン化は拍車をかけられた…もう、ほとんどロックだ…と、今更当たり前のことかも知れぬことを、改めて自分で考えると言うかなぞってみた。だからどうだ、と何かしら意見を言う気は毛頭無い。
buddy guy:guitar and vocals
jack myers:bass
otis spann:piano
fred below:drums
jarret gibson:tenor saxophone
bob neely tenor:saxophone
donald hankins:baritone sax
junior wells:harmonica
lafayette leake:piano
leonard caston:piano
lacy gibson:guitar
al duncan:drums
maurice white:drums
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