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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「joe jones+chicken to kitchen/fluxsaints(1994)artware015」



※翌日の注:荒みはみてくれのみで規定されるものにあらず、と留意されたし。下線部訂正追記。

いきつけの激マズ寿司屋が、セオリー通り潰れてしまった後、何を糧に荒みを生きて行けばよいのか。ある激マズ寿司がかつて営業していた店舗はつけ麺屋に改装されていた。話題作りもあって早速行ってみる。つけ麺というのは猫舌の小生にとって誠に心優しい麺類でもあるが、反面、物分りが良過ぎるというか、通常のラーメンでしばしば邂逅するような「アッツいなこの糞ったれが!」と思わず悪態をがなりたくなるような刺激に乏しい、悪く云えば生ぬるい感が否めない・・・激辛を売りにするつけ麺屋もあるだろうが、辛さというのは熱さと相まって人を苦しめるに足るのであって、アツアツのつけ汁に、冷水で締め上げた黄色い麺を浸すことで熱さが半減すれば激辛の気もいささか消沈、食べやすくなる。その分香辛料や素材の旨味も分析的にしっくり味わえるので食べ方としては乙ともいえるが、荒みの観点からすると物足りないのは確かだ、つけ麺は。ラーメン数寄は、人の舌に決して優しくは無い日の本産の、奇怪な発達を遂げて味覚より刺激を上位に戴くラーメンに舌が痺れる感覚に痺れるという。

職場の愚昧大声無能且つ卑怯上司男への憎悪を日々滾らせることで、「もう、焼き肉かラーメンしか食べたくない」と言い出した金曜日の細君も、荒みの境地を不幸にも得心しつつあるようだった。古き良き中華そば屋とは隔絶した、やたらと宣伝文句やラーメン画がくっきりと馬鹿でかくひたすらに分かりやすい、ぎたぎたしい感じの昨今流行りの濃厚豚骨醤油味噌ラーメン屋に連れて行く。カウンター席にはしょぼくれた熟年男が替え玉三杯目で生ビールを長っちり。向かいの席では現場系の作業着男ら二人が仕事帰り、タバコふかせながら注文の麺が届くや否やすかさず替え玉を申し付ける。隣の座敷席では熟年女性の母親とその子供二人(中学生の長男と小学生の妹)、唐揚げセットを平らげた後も腰を上げようとしない母親は二杯目の生ビールを追加注文、手持無沙汰の妹は安手のチュチュじみたヒラヒラスカートで落ち着きなく店内を無意味にうろつき、長男に捕まえられ座敷席に戻され、これら一連の動きに無関心に黙って不貞腐れて飲み続ける母親…と、そこへ、親、子、孫三世代揃いも揃って黒系のジャージ&スエットorパーカーでサンダル履きの、当初からぎすぎすした濃い空気を周囲に注入してくる6人家族が入店、中でも目を引くその内の一人、娘と思しき女性の風体、小象ほどの巨漢に鎖系のアクセじゃらつかせながら、黒パーカーの着こなし、袖に腕を通さず、パーカー付属のフード部分のみを頭にかぶってパーカー本体は背中に乗せるだけ、という、あまりにダルな、ワルい有り様で、尼崎の女ヤクザ顔負けのやさぐれた眼光をフードの奥深くから覗かせてくる…早速店内で暴れを開始する孫世代、と思いきや、こうした人々の子はおとなしいものである。たちが悪いのは、抑えの利かないらしい中産階級のママ友連中の子らであり、彼らはギスギスラーメン屋にファミリーで来ることは少ない。…以前にも引用したが山岡が云うようにラーメン屋で幸せそうにラーメンをすする客などいない、という、飲食業としては何ともまれな業態を目の当たりにした細君も、己の荒みの甘さを実感したようだった。味玉ラーメンのチャーシュー飯&餃子セットという、不毛なほどヘルシーという言葉からかけ離れて、速攻でがつがつ掻きこんで。雑誌を興すべきではないか、と言われた。確かに…その名も「荒み」という雑誌を創刊すべきなのだろう。各界の荒みスポットや最新の荒みトレンドの紹介、など…。未来派もバウハウスも白樺派も民芸運動も、およそ運動と云われるものは政治経済芸術問わず皆、雑誌を創刊していたものだった。しゃれっ気を出して、「SUSAMI!」「SUSANOU!」「susa-NO!」「荒ノー!」「荒NO!」「荒王」もいいかもしれない。荒みは、アイロニーからユーモアまで、政治、経済、芸術、あらゆるジャンルを横断できる、古今東西を串刺しに生き抜く底辺の叫びである。「荒み宣言」を、何とか仕上げなければならない…それは、過日の、荒み茶会記の記録と共に、であろう。青く着色されたドライフラワーをお助け、木製のキノコのオブジェの周りにあしらったら紅粉たるスメルが凄まじく、即刻仕舞う。映画が見たい。かつてよく見ていた映画から、また、見たい。ゴダール、トリュフォー、パゾリーニ、フェリーニ、タルコフスキー、ブニュエル、エミール・クストリッツァ、ウッディ・アレン・・・。

困った時の実験音楽。94年、ドイツ。60年代アメリカ・フルクサスへのオマージュとも揶揄とも取れる自称フルクサス聖人たちが、ジョン・ケージやヨーコ・オノといった実験音楽のイコンの名を題目のように、しかし薄汚く吐き捨て、呼び捨てながら、その呪縛の深刻を笑いに変える機会をうかがうのは、放屁にまでミュートされた不快極まる、ふざけた管楽器の単発音の甲高い頓狂であった。そして鳴り止まぬ咳、朗読、ヨーコとの他愛ないテレフォントーク・・・電子のガラス細工を片っ端から割ったかと思うと電子の頬を引っぱたいて、気ぜわしい機関車だか犬の息だかの脅迫神経音、まとまりから逸脱しきった、開かれ切った音のガラクタ、屑。虐待されて媚びることのみを覚えた無残な犬の、死ぬまで止まらない、忙しすぎる呼吸音。楽器とノイズの区別も融解して、不意に響く浪花節のどぶ浚い。

joe jones:lyrics,vocals,solar music orchestra
hans jurgen bauer:synthesizer guitar,e-bow
claus godecker:bass,synthesizer
johannes herschel:bass,sampler
gereon leber:sampler,steel chimes
dietmar muller:tapes,drums,electronics
thomas eisendle:overtone flute
lngrid cap grundheber:voice
ben patterson:bass,toys,percussions

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