[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「大龍(?)/?(?)?」
妙な夢を見る…たいてい、現実よりも夢の中のほうが過酷で苦しいが、今回はそうでもない…亡くなった祖父を偲ぶ会らしき集まり…和風の、しかしゴシック調のホール最奥に拵えられた祭壇にはうつけ者風の祖父の遺影の隣に、何故か、祖父の仕業らしき、赤い珊瑚に細密彫刻を施した盆が二枚…生前は仕立て屋だったと記憶するが…八ミリカメラによる生前の彫刻風景が映写される…湖に浮かべた丸太の上に立つ褌一丁抜き身一本の祖父が、器用にバランス取って丸太を小刻みに回転させながら、ぶんぶん日本刀を丸太に切り付け、抉り、仏像に加工するという…度肝抜かれる曲芸的超絶技巧…ピンク色の色調の式場の扉を開けると町議会の議場が…だから何なのだろう、解釈など幾らでもできるが…カフカ読みてえな、審判とか城とか…一体、どこにいったのだろう…実家の、親の金で小生が買った本が詰め込まれた段ボールの一つにあるに違いないが…買った方がはやい…実家…運不運ひっくるめてほとんど呪いに等しい…中学生じみた強迫観念…iPS細胞などが発達してバイオ工場の反応器から人間が大量生産される、あるいは工芸家が匠の技で独自に規格外の人間を作る、そんな時代を所望…アンチ・オイディプス…欲望機械と器官なき身体の相互貫入…云わんとすることはよく分かる…流れと切断を矛盾の深刻ドラマ化する事無く書けている…接続という事か…デジタル思想?…アナログにおいては矛盾が相克し悲喜劇を大袈裟にするとでもいうのか…屑のような気持には屑のようなノイズ音楽…困った時の実験音楽も過ぎ去り、排泄としてのノイズミュージックへと移行…実験音楽ですらない、在り来たりな、ちんぴらの、柄の悪い、開き直る戦略すらも無い、無能極まる、さして珍しくも無く毎週排出される家庭ごみに等しいほどの日常的なごみに過ぎない…下劣な即興を繰り返す、才能の欠片も無いサックスを軸に、ギロギロのギターノイズや短絡的な、工夫なき電子雑音…無茶苦茶にハウリングする拷問の絶叫風景…鞭…肉を叩く音…あえぎ…女があけすけに許しを懇願…作者もタイトルもレコード会社もレーベルも発表年月日も、そういった、身元証明は何も記されていないジャケット…猫の死体…この辺では時節柄、猫よりも狸の死体が多いが…大龍という文字が裏に見えるから、これが作者か…下にヘミングウェイも文字もあるが…どうでもよいのだろう。もう、土曜日の夜、正確には日曜日に突入…ここで睡眠してさらにもう一回睡眠すればまた社会社へ出社…早くも先取りでくさくさしてくる…来週、やる事ないかもだからまずい…仕事の半分が、来週の仕事作り…それを怠ったから…「ワーッワーッワーッ」大声でなりふり構わず叫びたくなる、趣味にまみれた堕落の独居房で…天井だって落ちるかもしれない…地獄というのは無限でもあるが繰り返すというのがミソでもあり、鬼に体が引き裂かれた後また元に戻ってまた引き裂かれる、というパターンが多い…古来からの地獄絵図や今や消えつつある秘宝館の地獄ジオラマなど、地獄の描写は多くの場合生き生きとしている(都築響一氏)…対して極楽の情景は、のっぺりと平坦で、むしろ死というものに近い…光に満たされているが輝きに乏しい。もう、なんか、ノイズが普通に聴ける。全然無理せず聴けるようになった。来週はメルツバウでも聴くか。低レベルの、あるいは音楽の底辺のノイズを聴きながらタモリ倶楽部、余市の水割り、コーンスナックをチョコレートに浸したコンビニプロデュースの菓子、空耳アワー…木綿豆腐、巻いた…開けて、飲、もう…水割り追加…本当はXTCばかり聴いている…碇シンジはイヤホンでウオークマンをしばしば聴いており、且つ、XTCの文字がプリントされたTシャツを召しているが、XTCを聴いているのかどうか気になる…採用されているオープニング音楽がサイケデリアの獰猛に近いので思わず、金曜日の夜にはNHKで障害者の情報バラエティをよく見る…障害+セクシャルマイノリティの事例…脳性麻痺で且つ性同一性障害の方の、首コルセットが、錯覚かもしれないがデニム生地で、イカしていた。マフラーや、首に巻く筒状の防寒布などは既にあるが、首コルセットの斬新化は、これからは新しいのではないか。眼帯と首コルセットの御洒落を、創発したい。これからは、首コルセットが、クる。今宵のカワイイTVも、興味深かった。ガングロ、ヤマンバ系がシヴヤで復権しているようだった…「ゴキブリ」と蔑まされようが、男への媚び、ひいては社会社への媚びを拒否する街のヤマンバ・ギャルたちよ、永遠に勃発せよ。サイクルが年々早くなる印象。所詮テレヴィに騙されたのだろう、尖ったセンスの若者が跋扈しているに違いないと思ってわざわざ足を運んだ原宿の竹下通りとか裏原宿とかぶらついてみたがお洒落な人など人っ子一人皆無、田舎のアメリカ人みたいなダサい連中ばかりだった痛恨の記憶あり、生活がかかっているらしき黒人男性の罵倒まがいの激しい押し売りの、悪い記憶あり…ヒャダイン…
今週は休載のお知らせ
殊更に、アクションやハプニングの事例ばかり読んでいるからではないが、ワークショップ、あるいはイベント、などの生ぬるさが我慢ならない・・・おぞ気が立つので5分以上視聴できやしないNHKソングライターズ・・・
「アンチ・オイディプス -資本主義と分裂症-」が、切実に、自分の問題意識として切迫して読めるようになった。
二足のわらじを履くのは簡単である。故あって三足のわらじを履かざるを得ない時はどうするかどうなるか。限られた時間内での動きの高速化やぼんやり時間の縮小などといった計算は本質ではない。足は二本しかないのだから・・・精神の高速化が、三足のわらじを履かせる。
またしても、おめおめと、有り難く、水曜日から社会社へ出社したのであった・・・三日連続で心の風で休んだら、一線を越えたことになる・・・その事を心底知っているゆえの、卑屈な打算、狡猾・・・己への隷属。
いつの間にか、車の中、モーニング20冊ほど、文藝春秋5冊ほどが嵩張り散らかり、荒れていた。最新刊を残して他は紐でくくって処分待ち・・・
今週は故あって県外に行くので王道なきロック史を休載します。
蒲団者
表より裏葉が好きな彫物師「何だお前は」過疎の焼き場で
DVD買って帰ってきた。4本で4千円セール。
ジャン・リュック・ゴダール「気狂いピエロ」
マルクス兄弟「けだもの組合」
ウッディ・アレン「アニー・ホール」、「愛と死」
虫唾の叫び
「le jazz non/its the new thing…(1995)hermes014」
今夜は書くことはあまりない。毎晩、不毛な、取りつくしまの無い文章を書いている…このブログの事ではない、別件の文書で…かつては多少無理して書いていたのが、今は、幾らでも余白が開拓できるように、不随極まる文章が書けてしまうのかもしれない、そんな自負などいつでも滑落できるのだが。亜米利加大統領選挙…南部の保守的な田舎町で突発した殺人鬼が、カーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドをBGMに、家々を機関銃で乱射、住民を射殺しまくるというベタな音像を思い出す(製作はガイナックス)。指導者が決まって歓喜喝采の情報が大勢を占める、良くも悪くも馬鹿馬鹿しいほど分かりやすい米国、密室の権謀術数で決まった指導者らに対してたいして物を言えない中国、不況と財政の行き詰まりの中、ローマの独裁官復権よろしく、全員が選挙を経ずに今季限りという条件付きで特権的に任命された民間人の内閣(モンティ首相)が、議会制民主主義の制度にきちんとのっとったこれまでの政権では出来なかった改革をどしどし進め議会も追認するしかなくなったイタリア、選挙前にいつもながら、誰がなっても同じでしょと冷め切っている、考えて物を言う習慣が育ちはしないし寧ろ考えると罰せられる愚民の国日本…野田総理はそんなに悪い首相ではなかろう…状況がよければ任期満了まで頑張ってもらって、それなりに筋の通った政策を実現させたに違いない、そうはいかなかった不幸は日本国民自身が招いたものなのだろう、先の参院選で自公を大勝させ衆参のねじれ現象を許した事…、政権を育てる忍耐の何たるかを、あるいは己が託した政権への信頼を己自らが軽んじることで己自身をも貶めている事にすら無自覚な厚顔無恥ゆえに目先の失望(鳩山…)を移り気な投票行動に即反映させる尻の軽い、途方も無く蒙昧な選挙民が自ら招いた失政の被害者である、野田総理も国民も…。とはいえ、鳩山氏は何故切腹しないのだろうか…思えば幕末の藩士などは、たとえ不条理であっても結果として国の立場を危うくする当事者になったのなら、潔く切腹したものだった(本当の処は分からないが)。鴎外の描く堺事件など…。失政ごときでおたつく必然はないにしても…大河ドラマの平清盛だってそんなに悪くは無い、清盛をテーマにした事も、新しくてよい。平家=悪人、源氏=善人、という、旧態依然の歴史観に風穴を開けようとした試みは評価されてしかるべきなのに、その程度の発想転換にもついて行けず便宜的に制度化された史観以外は認めようとしない大衆の動向の、思慮の足りない反射的な感想の被害にあって、気の毒である、15秒ほどしか見たことが無いが…。
困った時の実験音楽。ニュージーランドのフリー・ジャズのようだ。とはいえ、最早ジャスの骨格はほとんど留めていず、フリー・ノイズとも称している。か細い、霧のような、弱い声、緻密なのか杜撰なのか判然せぬ電子音や既成楽器の、気まぐれで稚拙も辞さぬ奇遇なる発音や苦み走った、耳障りも厭わぬ騒音…たいした工夫も、新しい音楽的試みも、ここには全くない。いささか自堕落に、工夫や試みをしようという色気すらも煩わしいとばかりに、何の状況作りの足しにもならぬ屑のような音をばらまいているだけだ。音楽の出来がどうこういう話は、とうに終わっている。ここに、生きている人間が、ただ音を発している事、ただそれだけの事が尊いのだと、そうした時に無音であっても音楽が聴こえる、という、どこまでも音楽的意志が、自然体であった。音が鳴っていればそれでよい、それは、無音であっても音楽を滅する事にならない、ただし、率先したへつらいだけは許すまじ。
「joe jones+chicken to kitchen/fluxsaints(1994)artware015」
※翌日の注:荒みはみてくれのみで規定されるものにあらず、と留意されたし。下線部訂正追記。
いきつけの激マズ寿司屋が、セオリー通り潰れてしまった後、何を糧に荒みを生きて行けばよいのか。ある激マズ寿司がかつて営業していた店舗はつけ麺屋に改装されていた。話題作りもあって早速行ってみる。つけ麺というのは猫舌の小生にとって誠に心優しい麺類でもあるが、反面、物分りが良過ぎるというか、通常のラーメンでしばしば邂逅するような「アッツいなこの糞ったれが!」と思わず悪態をがなりたくなるような刺激に乏しい、悪く云えば生ぬるい感が否めない・・・激辛を売りにするつけ麺屋もあるだろうが、辛さというのは熱さと相まって人を苦しめるに足るのであって、アツアツのつけ汁に、冷水で締め上げた黄色い麺を浸すことで熱さが半減すれば激辛の気もいささか消沈、食べやすくなる。その分香辛料や素材の旨味も分析的にしっくり味わえるので食べ方としては乙ともいえるが、荒みの観点からすると物足りないのは確かだ、つけ麺は。ラーメン数寄は、人の舌に決して優しくは無い日の本産の、奇怪な発達を遂げて味覚より刺激を上位に戴くラーメンに舌が痺れる感覚に痺れるという。
職場の愚昧大声無能且つ卑怯上司男への憎悪を日々滾らせることで、「もう、焼き肉かラーメンしか食べたくない」と言い出した金曜日の細君も、荒みの境地を不幸にも得心しつつあるようだった。古き良き中華そば屋とは隔絶した、やたらと宣伝文句やラーメン画がくっきりと馬鹿でかくひたすらに分かりやすい、ぎたぎたしい感じの昨今流行りの濃厚豚骨醤油味噌ラーメン屋に連れて行く。カウンター席にはしょぼくれた熟年男が替え玉三杯目で生ビールを長っちり。向かいの席では現場系の作業着男ら二人が仕事帰り、タバコふかせながら注文の麺が届くや否やすかさず替え玉を申し付ける。隣の座敷席では熟年女性の母親とその子供二人(中学生の長男と小学生の妹)、唐揚げセットを平らげた後も腰を上げようとしない母親は二杯目の生ビールを追加注文、手持無沙汰の妹は安手のチュチュじみたヒラヒラスカートで落ち着きなく店内を無意味にうろつき、長男に捕まえられ座敷席に戻され、これら一連の動きに無関心に黙って不貞腐れて飲み続ける母親…と、そこへ、親、子、孫三世代揃いも揃って黒系のジャージ&スエットorパーカーでサンダル履きの、当初からぎすぎすした濃い空気を周囲に注入してくる6人家族が入店、中でも目を引くその内の一人、娘と思しき女性の風体、小象ほどの巨漢に鎖系のアクセじゃらつかせながら、黒パーカーの着こなし、袖に腕を通さず、パーカー付属のフード部分のみを頭にかぶってパーカー本体は背中に乗せるだけ、という、あまりにダルな、ワルい有り様で、尼崎の女ヤクザ顔負けのやさぐれた眼光をフードの奥深くから覗かせてくる…早速店内で暴れを開始する孫世代、と思いきや、こうした人々の子はおとなしいものである。たちが悪いのは、抑えの利かないらしい中産階級のママ友連中の子らであり、彼らはギスギスラーメン屋にファミリーで来ることは少ない。…以前にも引用したが山岡が云うようにラーメン屋で幸せそうにラーメンをすする客などいない、という、飲食業としては何ともまれな業態を目の当たりにした細君も、己の荒みの甘さを実感したようだった。味玉ラーメンのチャーシュー飯&餃子セットという、不毛なほどヘルシーという言葉からかけ離れて、速攻でがつがつ掻きこんで。雑誌を興すべきではないか、と言われた。確かに…その名も「荒み」という雑誌を創刊すべきなのだろう。各界の荒みスポットや最新の荒みトレンドの紹介、など…。未来派もバウハウスも白樺派も民芸運動も、およそ運動と云われるものは政治経済芸術問わず皆、雑誌を創刊していたものだった。しゃれっ気を出して、「SUSAMI!」「SUSANOU!」「susa-NO!」「荒ノー!」「荒NO!」「荒王」もいいかもしれない。荒みは、アイロニーからユーモアまで、政治、経済、芸術、あらゆるジャンルを横断できる、古今東西を串刺しに生き抜く底辺の叫びである。「荒み宣言」を、何とか仕上げなければならない…それは、過日の、荒み茶会記の記録と共に、であろう。青く着色されたドライフラワーをお助け、木製のキノコのオブジェの周りにあしらったら紅粉たるスメルが凄まじく、即刻仕舞う。映画が見たい。かつてよく見ていた映画から、また、見たい。ゴダール、トリュフォー、パゾリーニ、フェリーニ、タルコフスキー、ブニュエル、エミール・クストリッツァ、ウッディ・アレン・・・。
困った時の実験音楽。94年、ドイツ。60年代アメリカ・フルクサスへのオマージュとも揶揄とも取れる自称フルクサス聖人たちが、ジョン・ケージやヨーコ・オノといった実験音楽のイコンの名を題目のように、しかし薄汚く吐き捨て、呼び捨てながら、その呪縛の深刻を笑いに変える機会をうかがうのは、放屁にまでミュートされた不快極まる、ふざけた管楽器の単発音の甲高い頓狂であった。そして鳴り止まぬ咳、朗読、ヨーコとの他愛ないテレフォントーク・・・電子のガラス細工を片っ端から割ったかと思うと電子の頬を引っぱたいて、気ぜわしい機関車だか犬の息だかの脅迫神経音、まとまりから逸脱しきった、開かれ切った音のガラクタ、屑。虐待されて媚びることのみを覚えた無残な犬の、死ぬまで止まらない、忙しすぎる呼吸音。楽器とノイズの区別も融解して、不意に響く浪花節のどぶ浚い。
joe jones:lyrics,vocals,solar music orchestra
hans jurgen bauer:synthesizer guitar,e-bow
claus godecker:bass,synthesizer
johannes herschel:bass,sampler
gereon leber:sampler,steel chimes
dietmar muller:tapes,drums,electronics
thomas eisendle:overtone flute
lngrid cap grundheber:voice
ben patterson:bass,toys,percussions
「xtc/black sea(1980)cdvx2173 724385063626」
もう、日本シリーズも終わったというのに小生の生活は消化試合。何事かを強固なやる気でもって完遂する気は毛頭ない。今日は社会社からたっぷり己の希少なる人生時間を搾取される・・・結婚式や腰痛などといった論いに乗じて休日出勤を拒んでいたのが、阿るように組織内理屈に折れ、屈服し、おめおめと、はした金で、幾億円積まれても換金不可能なはずの己の時間を売ってきたのであった。金が欲しいから苦役しているのではない、単に強い者に大声で恫喝されて怖いから、という、あまりに空虚な成り行きで苦役している気がする。来年の夏、また、動くしかない。しかし、来年の夏まで待てない待ったなしの状況であるのだけが唯一の確かな秘め事である。もう、日が落ちるのが早くなって寒いから無理だ。アスファルトで地平線を仰がんとする蟷螂も、草色から枯葉色へと褪せる季節。ジュール・ベルヌとマヤコフスキーを、ナーガールジュナを時折挟みながら交互に読んでいると、マヤコフスキーが幼少の砌、ベルヌの科学冒険小説を読んでいたという記述に出くわし、奇怪な再会が読書体験を通して現代の小生において顕現する。読んでいると、と書いたが、読むというほどではない、かつてから、夜中の0時を過ぎないと読書で己を追い込む気がしない、それまでは、細君が風呂あるいは料理している間に執筆し(小生が早く帰ってきたら小生が料理している内に細君が帰ってきて風呂に入っている間に小生は執筆、あるいは、細君が早く帰ってきていたら細君が料理している間に小生、執筆)、その後、晩飯、そしてビール、ワイン、日本酒、ウヰスキーと家の中で不動のはしご酒しながらネットオークションで茶道具を検索したり贔屓の服飾ブランドのページを執拗に跋渉するといった心底退廃した時間を過ごした後に、日付を跨いでようやく読書となって1時半か2時まで読んでいたしそれが成立していたのだが(通例では7時20分起床、賃労働の都合によっては6時起床)、年のせいか、0時過ぎると眠くなって、情けないことに1、2行読んで意識を失う・・・何も進まない。「出口はもう前にしかないようだ」(ながい けん「神聖モテモテ王国」より、オンナスキーの台詞)そして物欲で以て刹那的に己を満たうとするはしたない貧相⇒金遣いが荒くなる⇒ますます賃仕事しなければならない⇒気持ちが荒れる⇒酒、物欲による刹那的慰め⇒金遣いが荒くなる⇒ますます賃仕事・・・という循環がどんどん濃縮される。裏地のチェック模様が透けて見えるリバーシブルの素敵オシャレシャツと、貝殻と砂を透明な樹脂で固めた石鹸置きを購入。
先週の東京カワイイTVで、ルームウェア特集という、目から鱗の着眼点のナイス企画に影響されて小生も・・・と思い、かねてより、家の中では大島紬の着流しで過ごしたい、と想っていたのを思い出して調べると目に適う品は普通に数十万円以上、手が出ない。一生ものだから頑張るべきか。もっと勉強してくれないかしらん。どこぞから大金が降ってきたら細君に着物(留袖などの訪問着など)を見立て、誂えるのが小生の夢。
「悪趣味の系譜」スチーム・パンクからの影響なのかXTCの黒海は、ベルヌの海底2万マイル風のジャケット写真である。かしましい、耳障りな苦みを効かせるが要所ですっかりキメてくる楽曲目白押しのポップンロックは相変わらずの健在である。悪とはなにか、そして悪が趣味と結ぶとどうなるか、考えたいと思ったが無駄話が多すぎた。
「the rolling stones/it's only rock'n roll(1974)virgin records cdv2733」
中世やティコ・ブラーエなどはいったんおくとして少なくとも19世紀以降の科学という、経済と政治からお墨付きを与えられた古典的思考様式に過ぎぬものにへつらうことを糧としたサイエンス・フィクションというものを頭ごなしに馬鹿にしていてあまり読んでいなかったが、先週、スチーム・パンクというファッションの先鋭化を知るにつけ、いささか気になり、筑摩文庫のジュール・ベルヌの月世界旅行を、あらぬ理由で平日の16時頃に物欲しげに街ブラする中で古本屋で購入した。ページを開くと、上段の本文よりも下段の注釈のほうが文字が小さく膨大である。面白そうだ。ついでにマヤコフスキー・ノートも。水戸黄門が始まるまでは布団被って竜樹の中論を読む。もう、今年は終わった気がする。これ以上、何かしら小生の生活上の事でまた決起する気概も無い。悠長に構えるどころではないと分かりつつ、最早焦慮する気配もくったり衰微しつつある。次のXデーに向けて、己をして意志づかせるしかない。(「意志づく」、という言葉を創出してみた)休日、立ち向かわなければならない生活懸案あまたなれど何も乗り越えていない端から億劫にへたり、廿日市で新たに、フレンチ&アメリカ雑貨屋を開拓し刹那的物欲に浸らせることで小生自身と細君から、生活上の苦渋から目をそらせようとするせこく安っぽい隠蔽工作に走ったりする、目が慣れてきたら細君よりもここぞとばかりに雑貨たちと美意識を通わせ獰猛なまでに物品を多めに購買する体たらくの休日である。雑貨屋の帰りによさげな骨董屋にも立ち寄り、世にも珍奇な信楽焼のぐいのみをお助け。見込みの底に、いわゆる緑のビードロ釉ではなく、世にも珍しい漆黒のビードロ釉の中に恒星の光芒が白く青く爆ぜ、口縁には煙る灰かぶりとなっている。ただし高台の削りがぴっとせずいまいち。良心的な値段でこれも一度分け入ると奥が深すぎる伊万里コレクションが系統的に陳列してある。抹茶茶碗を置いていないところに店主の潔いこだわりを感ずる。髪切って鼻水が止まらず憔悴に拍車がかかる。今日は何でも鑑定団(再放送)が2連続、という退廃ぶりであった。再放送で2連ちゃんがたまにある、というのは鑑定団ぐらいだろう。いったいどこまで支持層が分厚いのか。出張鑑定では毎回毎回、地方の公民館の席が奥までお客さんでいっぱい。
同じことを何度も書くが、ザッパ&ザ・マザーズと共に、ローリング・ストーンズというバンドは、「サイケデリアの点在する系譜」「悪趣味の系譜」のいずれにおいても、具の外れた扇のかなめである。そして、しぶとい。もう、今宵は、あまり小難しいことはいいたくない。小難しいことなど一度も書いたことは無い。小生は、これ以上剥ぎ取りようも無いほど単純で短絡的な、ほとんど罵詈に近い意志のみを繰り返し叫んでいるだけである。浅はかである。都と鄙の卑猥が、洗練と野暮が土俗の下に共沸するように共倒れする、脱力した、出来不出来も無いのか感じさせない巧みなのか模糊として、しかしそこそこ器用に立ち回る、いくらでもできるんじゃないかと思わせる強靭な、「失敗」というのを概念的に恐れる必要が無いしそんなものは創造し得ないほど最底辺のロックとなっている、無理して、うけるロックというのをやろうとしていない、どう転んでもロックになる人間の産物である。苦労もあるのかもしれない。ただもう、ほだされる。小生が吸っては吐いて吐いては吸う空気=環境が、意識=時間に意味を与える楽しみになろうとは。削ぎ落としてみたら虚栄と意匠のごちゃごちゃな空虚しか残らなかった、削ぎ落としてみたら、ロックしかなかった。のったりと。セレブ?
キース・リチャード:ギター、ボーカル、ベース
ミック・タイラー:ギター、ボーカル、シンセサイザー、コンガ、ベース
チャーリー・ワッツ:ドラムス
ミック:ジャガー:ボーカル、ギター
ビル・ワイマン:ベース、シンセサイザー
ビリー・プレストン:ピアノ、クラビネット
ニッキ―・ホプキンス:ピアノ
イアン・スチュワート:ピアノ
レイ・クーパー:パーカッション
ブルー・マジック:バッキング ボーカル
チャーリー・ジョリー:タブラ
エド・リーチ:カウベル
酔いどれの早速
妻の母となりてこしらふ御御御付け焼鮭に納豆だし巻きも添ふ
何故平日の夕方5時のことを言っているのか、と思われた方、そこはもう、問うてくださるな。問われるまでもありますまい。ただただ、明日が来るのが苦しい。
「peter gabriel/peter gabriel4(1982)pgcdr4 7243 8 11747 2 2」
震災の話・・・言葉を刻むのであれば、震災のために悲惨な目にあったと思っている、承認された大多数の人間に対してではなく、震災のおかげで、嫌な人や嫌な組織や嫌な場所が壊滅してくれたとほくそ笑んでいる、公にされることなく隠蔽された、小さな声なき声を拾い上げるべきだと。最近の東京カワイイTVは、また面白くなってきた。先々週の、ハンドメイド、クラフト特集は、これからの人間界の歴史では、工芸、というのがクる、と思っている小生にあっては紹介するに遅きに失した感があるが、今日の、スチーム・パンクの紹介は勉強になった。工芸=アナキズム論は別稿に譲るとして、スチーム・パンクというのは、19世紀産業革命期における蒸気機関の機械仕掛けの勃興に案を得ており、思えば日の本ではジブリやナディアやジョジョといったアニメや漫画で先行で形成されたジャパニーズ産業革命観といったものが既に四半世紀前には醸成されていたが、そこで見られる機械仕掛け風味や服飾を、現在、ファッションとしてハンドメイド界の鬼才たちが落とし込んでいるのだった。19世紀ヨーロッパというのはいまだに現代に対して生きる問題意識を突きつけてくる革命と産業の世紀であったのが、懐古的ファッションとして解消されるのはいささか寂しいが、元よりファッションなので仕方がないのかもしれない。恰好よい。
なにはともあれ、王道なきロック史「悪趣味の系譜」編を再開することにする。再会と云ってもどこまで進んでいたのか、進むものなのかも判然せぬままに、まずはピーター・ゲイブリエル(ガブリエル)の動向を聴くことにする。プログレッシブ・ロックの人やバンドにおける、80年代パンク期の過ごし方というのが、この、悪趣味の系譜における一つの潮流をなすだろう。キング・クリムゾン後期やイエスの支離滅裂分裂期など興味をそそる音楽性の変遷があるが、思えばブリティッシュ・プログレの中でも当初から違和のあるとんがりを聴く者に突き立てていた感のあるジェネシスから、パンク期にあってソロという形に天心転身したのがピーター・ゲイブリエルであった。悪趣味の系譜の対象としようとしているのは、要領よくいえば、70年代後期から80年代中盤あたり、その発生派生原因を教科書のようにプログレ反動ということで済ませるつもりもないがけたたましくあられもなく肉腫のように盛り上がってきた、モダン・ポップ(モダン・ロック)やテクノ・ポップ(エレクトロ・ポップ)といったものに焦点が合わされるだろうが、この、ピーター・ゲイブリエルという人はそうした流れとはまた逸脱した、むしろジャズにおけるフュージョン、ワールド・ミュージック、アフリカへの回帰といった概念を専ら考え方としてのみ援用しつつ独自の調性の音楽をロックの文脈で開花させた。先行きの暗い仕組みの音楽から、どこか19世紀の白人によるアフリカ探検といった楽観的文明論的視座から抜け切れぬ博物学的アフリカ民族音楽が、使い込まれて透明度と艶を増したムーグ・シンセできらびやかに降り注ぐ、この当時の、ワールドワイドという感覚を知らしめながら、暗黒のヨーロッパに寒々しいが小さく熱ぼったい曙光を煌めいてもたらさんとしてくる、湿度の高い歌唱と、地鳴りから地面が消えた轟きの打楽器群、神殿が音も無く崩壊するピアノ、ファーファー云う、心休まる懐古的シンセ・・・あらゆる矛盾と欺瞞を抱え込んで、尚歌われるからこそ、いかがわしい。アフリカへの直視によってブルースの約束から解き放たれた時、気ままに転調を配置する劇的構成となるところがプログレでありつつ、世俗のタルコフスキーのような情緒を持つポップスのまとまりも結構する匠でもある。
jerry marotta:drums, surdo drums, percussion
ekome dance company:ghanaian drums,
peter gabriel:vocals, surdo drums, linn programming, cmi, prophet,additional,piano,backing vocals
tony levin:bass,stick, fretless bass
larry fast:moog ,prophet, moog brass,moog bass,electric percussion
david rhodes:guitar,backing vocals
john ellis:guitar,additional guitar,backing vocals
jill gabriel:backing vocals
david lord:poly moog,prophet,piano
stephen paine:cmi
peter hommill:backing vocals
morris part:timbales,percussion,traditional ethiopian pipes