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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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隠岐の旅 第八回

年の瀬も押し迫り…そこかしこの家家から掃除機の音が聴こえる御近所をのんびり散歩していると、片目を縦断する傷痕の生々しい独眼竜の武闘派野良猫氏が、塀の上で全身の毛を逆立てて荒み、全力で警戒しているのがおかしいのなんの、と。昭和懐かしメロディー垂れ流し番組、とはいえテレ東製作だからその質の高さたるや…70年代、80年代歌謡を無批判に垂れ流すごときで御茶を濁すような自堕落を排し…戦前の、新派演劇や浅草オペラなどを発祥とする浅草オペラ歌謡や、浅草芸者歌謡、昭和ムード歌謡、といった日本歌謡曲のルーツを掘り起こす批評的観点に、製作陣の素養が示唆され見応えあった…そうした、きちんと導かれた誠実な番組の流れで美空ひばりの「悲しき口笛」なぞを聴くと…一つの歌の中で幾通りもの歌唱方法を変幻自在に操る巧みさが一層際立ち、なんだかんだでこの歌手の非凡には瞠目させられるのではあった。凡庸な歌手は当然ながら己の会得した一つの歌い方で一つの歌を歌うしかないのであるが…美空ひばりなどは、フレーズごとにその歌詞の意味に沿った歌い方、例えば歌詞の進行に連れてオペラ歌謡や民謡風歌唱、演歌の歌唱と、いずれも物真似の閾を越えた自家薬籠中のレベルでありながら一つの歌の中で実に機敏に次次に選択しているのである。直線的ではない、すなわち惰性ではない歌への意志の強さ…しかし、歌によってはこのあまりの巧みさがむしろ炙り出されて鼻に衝く場合だってあろう…それは、「愛燦々」である。小椋佳が美空ひばりに提供した楽曲である。この歌に限っては、美空ひばりが歌うとどうにもうま過ぎて、歌に、職業的プロフェッショナルが成せる艶が出過ぎて、この歌本来が持つ小ざっぱりした伸びやかな諦念からはみ出してしまうのである。「愛燦々」を歌って、原作者小椋佳に優る者はいない…小椋佳は、発声法は現代化しているものの、いわゆる「昔の人の美声」の系譜における最後の歌手だと思う。そんな佳が、今年やらかしてくれたのが、「小椋佳 生前葬コンサート」である。70歳を迎えて己の歌唱力の衰えを自覚する佳だからこそ、戒名、葬式無用を公言した上でのつつましい終活に入る佳の生き方に、往年のファンたちは激しく納得する…元々、時に、僧侶の読経と己の歌とのコラボレーションなどといった突飛もしでかす傾向もあった小椋佳が一つの区切りとして挑む往年の名曲の数々…変に意固地や反抗に閉じこもる事無い開けっぴろげながらも季節や人生への感受が高い寂しさを終生湛えつつ幸せ過ぎて涙を流している…そんな小椋佳の歌唱力、年齢からくる衰えも禁じえないがそれでもしみじみとよかった。デビュー当時の、薄めで黒黒した頭髪に顔がまるまるとして昭和サイケ風の柄物シャツ、そしてティアドロップ型サングラスという胡散臭い出で立ちが似合っていて目が離せぬのはタモリと小椋佳のみである。番組でのビートたけしの衰えは否めず、発言に呂律が回らずその内容も笑いと批判の的を外したつまらぬものへと堕しつつあるのは本人も自覚していようが…衰えを知らぬのはやはりタモリである。「ヨルタモリ」である。ゲストや、番組ホステス役の宮沢リエとのトークについてはまだ様子見であるが、その合間に挟まれるタモリの芸はやはり見入ってしまう。小生は坂田明や赤塚不二夫ではないから往年の密室芸を同時代的に生で享受できた経験は無い、あるとすればCD(「タモリ」「タモリⅡ」)で聴いた事があるだけ…しかし此度のヨルタモリではタモリが、そうした往年の密室芸を彷彿させながらそれに匹敵しうる新ネタに正面から(?)取り組んでいるのだから目が離せぬしその結果も、味わい深く抉ってくる唯一無二の笑いである。タモリの年齢的な事も考えれば、これはこの国で起こっている様々な事に比しても大変貴重な機会なんだと受け止めるべきである。小椋佳もタモリもそうだが、死に近づく年齢に際しての総決算、といった見苦しい気負いが全くない淡々とした歌唱ないしは笑いであるから、受け止める当方も余計に興をそそられるのである。年明けには「ブラタモリ」も再始動するから、楽しみだし、この有難さをかみしめたい、そんな有難さなどタモリにしてみれば有難迷惑なのは百も承知だが…。

さて、隠岐の旅の後日談…鳥取駅前のホテルナショナルで小休憩した小生は待合場所の鳥取駅に向かう…最近はどこの県庁所在地の駅も改装が進んで小奇麗にされているようだが数年ぶりに訪れた鳥取駅もシャレた雰囲気に仕上がり、駅舎内には工夫に富んだ雑貨屋や舶来品を売る店などが入っている…午後七時に友人夫妻と合流し、居酒屋目当てに繁華街に繰り出す…そこかしこに、若い男どもが屯、なかにはスケボーのようなもので歩道をガーガー走り回る元気なのも居る…昨今は若者のアルコール離れが進み、アルコール消費量の減少が飲料メーカーで取り沙汰されているが…ここ鳥取市ではそうした小奇麗な一般論を無遠慮にぶち壊すようにして、若い男どもがうじゃうじゃ飲み歩いて大声奇声を上げ散らかし、中高年は皆無だ。ほどなく見つけた海鮮居酒屋のほどよい個室に案内され…料理、酒、接客いずれも申し分なく気持ちが行き届いており大満足であったが、旧交を温めつつ、隠岐の旅の土産話として、これまで書いてきた分の7割くらいをその場でしゃべり通したからゆっくり食えなかったのは些か心残りであった。刺身も盛り合わせを頼むと当然のように船盛りで、三人分なのに優に五人前くらいはある気前の良さ、うろ覚えだがタンシチューもほろほろとして絶品である。例外もあるが概ね、隠岐の島の、どこかもう、客へのもてなしを諦めたかのような殺伐とした飲食関連の蟻地獄にうんざりしていた手前、本土の方が遥かに新鮮で旨い魚介や気の利いた料理に有りつけるという現実を目の当たりにして、情けなさと喜びが溶解せぬ複雑な気持ちになりしっかと拳を握りしめる…夜9時過ぎに居酒屋を出て通りを歩くと、またそこかしこで、産毛が生える頬を赤く染めた若い男どもの集団が酔いにまかせて濁声の威勢がよく、下卑ている。今宵の宿り木を求めて次は、店名忘れたが洋酒を飲ませるバーに潜り込む。ストレートでウヰスキーを飲みながら、ひとしきり時局について懇談…絶望すら失われた昨今の文化状況の棲み分けの固定化について指摘したところでそれを停滞だ進歩だと批判する取っ掛かりさえも失われた現在であって、最早交流も批判も済し崩し的にその契機が失墜させられ一切の論拠が寂滅した今となっては、そうした棲み分けの停滞と安全は不動…よい音楽を聴く人はとことん全身全霊人生かけてよい音楽を聴くし、エグザイルを聴く人は、エグザイルに類する家畜音楽しか聴かないという現実…結局…作品性だの表現だの思想だの啓蒙だの繰り出したところで通じるはずもなく何やっても無駄、それに、エグザイルと関わるような、本然的に管理された家畜人間に対して、よい芸術を与える事でよい芸術を感受できるよい人間に仕立てたい、などというそれこそ馬鹿げた啓蒙的努力への意志など最早発揮しようがない、そんな気力は起こり得ない、そもそもなんでエグザイルが好きな人間と小生が関わらなければならないのか、という疑問が生じた時点で説得と啓蒙への意志は霧散を免れぬだろう…一方で、ここでは大雑把に「よい」と表記しているに過ぎないが要するによい芸術を感受している人に対しては、此方が言葉や表現を尽くして躍起になって説得などしようとしなくても、自ずとそれを分かってもらえるのであるから、そうすると、ほとほと芸術と思想の無意味に直面せざるを得ない…とはいえ、そうした決定的隔絶を乗り越えるがために、啓蒙やら思想が定立されるのだろうが…今はもう、棲み分けられた各々のテリトリーの中で皆が痴呆のように満足しきっている以上、どうにも付け入る隙間は無い。西洋啓蒙主義の背景にある植民地主義への反省も現在では常識ならば猶更である。

ところでそうした時局放談の現場とは別に小生が想起したのは…過日小生が訪れたライブの後の、出演者と客の有志が入り混じったちょっとした懇親会のような場での事…好きなロック奏者の生き様に纏わる逸話や楽器に関するデータ、メンバー間での関係性などが話題となっており、聴いていて気付いた事として小生は、ロックの演奏者の人生や服装、楽器というものに全く興味がない、という事であって…音楽との関わり方や聴き方などは千差万別あって繚乱すべき自由なのであろう、だからそうした聴き方もさもあらんであるが、ならば小生はどうなのかというと、突き詰めると、人間自体というものに自分は興味がない、という事を悟るのであった。小生は、人間などどうでもよい、それよりむしろその人間が出した音がどうなのか、を、ファッションや楽器選択、あるいは人格への好悪で聴くのではなく、思想として聴く、という事に思い至ったのであった。思想を現象として噛み砕くと、言葉、で音を聴いている事になるのであった。だからなんだというとそれ以上の事は無い。ロック奏者の服装や逸話が好きな人もおれば、ロック奏者が出す音を思想で聴く者も居て、いずれも同格である。思想というものは陳腐で貧しいものなので、服や楽器といった多彩な具体物をアテにして聴く方がいいのかしらんとも思えども、多様性などというと途端に貧しい思想になる、かといって服や楽器にいちいち新鮮に出逢って驚いて虜になるには、もう、手遅れなのだろうし、元より、そうした虜に素朴を見出す喪失感も焦燥も劣等感も皆無なのだから…思想も多彩な具体物のガラクタの一種に成り果てている現在でも構わぬ。思えばドストエフスキーという人はその作品からも、一日中通りに出て人間観察する習慣からも人間への興味が尽きぬのはよく分かるが結局小生はドストのそういう処がついて行けぬ感はある。馬鹿げた区別だが、人間性というものを前提にして人間に興味があるのが人文系、人間を前提せず人間に興味がないのを理系だとすると小生は後者だ。「猿の惑星」とはよくいったものだ。秀吉は「人間は知恵のついた猿よ」というが、…小生にしてみれば、人間とは、知恵さえもない、ただの猿である。笑ったり道具や言葉を使ったり、人間の条件なるものは色々あるがそれを、価値判断に止揚しうる根拠など何も無い、あるのはただ博物学的分類のみ…政治でも文化でも何でもかんでもほっとけば世襲封建制の惰性=自然法則に後戻りする昨今の状況に出会う度、つくづくそう思う。御託はもういいだろう、何の根拠も払底する中で己自身が何をするか、という意志を問うだけでよかったはずだ。無駄筆となった。

ほっとけば後先顧みず、これまで何度も苦しめられてきた二日酔いも辞さず、その時が気持ち良ければ自堕落にとことん飲んでしまう小生だが…切り上げ上手の友人にうまくあしらわれてちょうど良いほろ酔い加減でホテルに戻る…朝、健康的な空腹をバイキングでもりもり満たしていると聞き耳、旅慣れた中年女性が、若い男の人生相談に乗っている…慶応に入った弟が都会で遊びまくり留年、それを親父に叱られ短絡的に退学したらしい…その若い男は京大、旅先で出会った中年女性と京都で再会する約束してアドレス交換…小生の嗜好に精通した友人の車でおススメの骨董屋「風庵」へ行く。日曜日の、午前10時にもならない早朝にも関わらず、しっかり営業している。しかも、若いスタッフが揃いのTシャツを着ており、元気よく接客するという骨董屋にあるまじき営業姿勢、小生は均整のとれた青磁の茶碗と、蝶が樹脂に封入された昭和風情の灰皿を購入すると、明朗会計、きちんとレシートまで出してくれた。だいたい、不貞腐れたおっさんが一人で、入店すると奥からのそのそ、やってんだかなんだか分からん、やる気ない、品物を新聞紙に包むだけでレシートなど有り得ない骨董屋が多い中で、こうしたガッツあふれる若さにはあきれるくらい頼もしく、尊敬に値する稀有である。品揃えも、真贋別にして本物の骨董もあれば、安価な古道具、古民具風情まで幅広く、初心者から呪われた人まで対応しうる間口は広い。心理分析など糞食らえだが、多分、「人間」の死への意識⇒博物学趣味、そして陶磁器の中では最も鉱物に近い青磁へ、という傾向なのだろう。

それから鳥取の山間部の若桜町というところで遊ぶ。折しも、町内の祭りの最中であった。古い街並みが今も残る…その中に、何故か町民お手製の人形が設置されている不気味がある。



古民家カフェで、誠実な素材を誠実にきめ細かく料理した、体に優しい昼食を頂く…岩窟におさまる御堂を見物。



鳥取市に戻り…帰路のバスまでの時間、鳥取駅近くのデパートの喫茶店で、黒曜石を愛でながら…。帰りの高速バスは…午後4時半鳥取駅出発、小生の最寄りのバスセンターには9時50分頃到着、家に着いたのは11時ほど、という長い苦しみがあった。感謝し尽くせぬほどお世話になり通しの友人に隠岐誉一本贈呈する。もう一本は自分への土産である。端麗辛口の謳い文句通りに、辛口で、そして舌残りはあっさりして後味なく、小生としてはもう少し酒のコクの余韻を楽しみたいところであった。

 

もう一つの自分への土産は乾物のとろろめかぶ細切り、である。水で戻さず、酢、醤油、テンサイ糖の三杯酢で直接ふやかして食すと…栗田の表現でいえば「シャッキリポン」として磯の香高く、歯ごたえ旨み申し分無く小ざっぱりしてよい。こうして隠岐の旅は終わった。ほんとういうと今それどころじゃなく、紆余曲折あって自分へのご褒美にネットでお助けしたヴォイドの腕時計が、写真の色だと肌色のプラスチック風の侘びた感じだったのを気にいったのに、届いてみると研摩されたピカピカ真鍮だったから動揺がおさまらないのであった。よいお年を。



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隠岐の旅 第七回

※以下、フィクションです。

時雨明けながらも雲は途切れず…弱い寒の余風が…辿り付かない。糞汚い腸の蠕動に身を任せるのを強制させてきた文章は抜本的な無力ゆえにいつしか読む者は絶え、人知れぬ綴りへと空しくする久方…実力の潰えは如何ともし難く、ともあれ旅の山場は越えた今、麻痺と発作の、底辺での波動に縋る失墜がまた歯切れ悪く途切れ、実録がふんぞり返る瞞着を両断する気力も。隠岐の島の黒曜石を手中にした今、莫迦犬の徒な怯えの如き言を弄する蓋然無し、無気力の、いっさいの心の取っ掛かりを放棄した憔悴のままに後日談を費やすのみであった。民主主義的手続きを経て安倍翼賛体制が駄目押し的に確立、議会制民主主義への絶望を目の当たりにする今となっては…議会主義打破への直接行動へも奮起せず…そんな事で無聊を託つしかない。ルーブル下落も…対岸の火事にあらず、円の暴落もまた…

昼飯抜きで島中を心身共に走り回り、ようやく夕刻、出発地点の西郷港付近に到着した小生の目下の関心事は空腹を満たす事のみであった。しかし時刻は午後5時くらい…この今を晩飯の限りにすると10時くらいにはまた猛烈に激減りとなるは必定なので用心せねばならなかった。しかしその前に、まずはその夜に宿泊するホテルにチェックインした。一日目、二日目は木賃宿風情の小汚系ビジネス旅館で済ませたが隠岐最後の夜の三日目は掃除の行き届いた、部屋に風呂とトイレも完備してある清潔で、何かとキチンとしたホテルのベッドで暖かく過ごしたかったのである。嗽後に喉の根元に錆臭が据えられながら堅湿りの薄く冷たい布団の中で、放熱量が多くて恒温せぬ足先を温めるべく足先を他方の脚の膝裏で挟んで温める動作、交脚弥勒菩薩座像のような姿を布団の中で交互に繰り返す苦境から解放されて、ぬくぬくと、明日の出立に思いを馳せたいのであった。隠岐ビューポートホテルである。このホテルは複合施設として1階は観光協会と土産物屋、2階は生態系の博物館剥製だらけ、3階からホテルとなっており、港ターミナルへは陸橋で直通であり、甚だ利便性は高い。同島に宿泊した先日の宿は港から徒歩20分の、暗渠じみた、腐った海藻で屋根が拭かれているような雰囲気だったのと雲泥の差である。寝ぼけた顔の宿のジャージ娘に気づかれるのを待つ必要なくフロントでチェックインして部屋に荷物を置く。もう、事細かに描写する必要は無い、いい感じの室内である。先日秘かに目を付けていた、港付近の、ラーメン屋に行く事にする。赤い脂がねっとりした感じのギトついた内装に昭和風情の珍物数知れぬがもういいだろう…小生がガラリ、と入ると、まさか客が来るとは想定せぬ顔で店員家族がキョトン、とするがそそくさ仕度を始める…ラーメンと、生ビール(小)を注文する。爺が厨房に入り、婆はその辺で、インスタント珈琲を啜りながら付けっパのテレビを見ながら、今か今かと厨房入口をしばしば覗く。娘の熟年女史はジョッキに、サーバーから生ビールを注ぐが泡ばかりになって幾度かやり直しもたつき、しかも中ジョッキに注いでいるのを婆から叱責され、やっと(小)用のグラスに注ぎ入れるのを完了したのであった。中ジョッキのビールどうするのかな捨てるのかなと見ていたら熟年は躊躇なく流しに捨てた。間、髪入れず婆から、割り箸を買ってくるようお使いを頼まれ店を出る。しかしラーメンはまだだ。気を揉む婆は何度も厨房を覗くが出来ない。そのうち娘が買い物から戻ってきて、早速割り箸を各テーブルに補充し終わってもまだ出来ない。ようやくラーメンが出来た。魚介系のダシを効かせた中華そばである。舌を無闇矢鱈に馬鹿の一つ覚えみたいに麻痺させる豚骨醤油味噌ラーメンばかり食わされて来たためか、こういう小ざっぱりした中華そばへの憧れは募らせていたものの、いざとなると、物足りぬ…劇物しか受け付けぬ舌にされてしまったのか。しかし問題はそれ以前に、如何せん、ラーメンがぬるい、という事があった。キンキンに冷えていたどんぶりにラーメンを盛り付けたのだろう…猫舌だから親の仇みたいに熱くないのは有難いがぬる過ぎても興醒めであって…個々の素材の持ち味の輪郭がぼやけてしまい、…食い終って店を出る。食料品や日用品を並べたスーパーがあったので、ヨーグルトとサラダ、ポテトチップスのり塩を買う。複合施設に戻り、土産物を物色…海藻の乾物と、隠岐誉(純米吟醸)を二本買う。最初から最後まで、隠岐では、工芸系で見るべきものは皆無であった。侘びた骨董屋古道具屋なども探索したが見つからなかった。ホテルの部屋に戻り、ヨーグルトとサラダを補給して、のり塩は食えず、ベッドに横たわり、漫然とテレビを見、思い出して、黒曜石の包みを解いて水洗いしてまた元に戻したり、少し寝た。最早、2階の博物館で学ぶ気力は無かった。

午後8時半頃だろうか…そろそろ小腹が空いてきて…のっそりと夜の港町に繰り出す…目は付けていた。堅く閉じたシャッターか、不貞腐れたような飯屋呑み屋の長屋じみた廃れたメイン通りの隅に、何ぞ小ジャれた風情の、地ビールと料理を提供するお店…内装、そしてサービス内容共に、しっかりしたコンセプトを元にして日々向上心に溢れた営業姿勢を厚かましくなく、変にべたべたせず、清潔で、客との間合いを気持ちよく割り切った若い知性を彷彿とさせる外観であったから最後の夜にとっておいたのである。階段を上がって入店してみると予想通り小ざっぱりとしたアメリカ西海岸な感じ、若い店長と若い女給が切り盛りしている。港を見通せる窓際に着席する。島根、鳥取の地ビールの他に、耳慣れぬ舶来の地ビールも揃えるが無駄に品数豊富というのではなく、客にとって選びやすいのと店側の管理コスト低減も兼ねて、すっきりと5種類ほどの地ビールのみに絞っているスマートさである。料理も緩急の塩梅よろしく…小生が注文したのは…ミニピザ、鴨のロースト、ソーセージ盛り合わせ、それと名前忘れたがフランスの田舎料理の珍品、であったか…付き出しに速攻でチーズの盛り合わせを出してくるのも気が利いており、かと思えばソーセージ盛り合わせは思わず「こんなに食えないよう」と嘆息したくなる程のやんちゃな豪快が好ましく、大人の大腸丸ごと肉詰めしたが如き大きさのソーセージがぐるりと皿の縁を囲繞する中に、骨付きソーセージやらスパイスの効いたのやらがどかどかてんこ盛り、年に一度の楽しみである、中世ドイツあたりのブリューゲル的太鼓腹農民の食い溜め、といった感じである…小生以外は、男二人で一組の客が二組である。現場系労務者の先輩と後輩…後輩が、その後輩の更なる後輩の駄目さ加減を先輩に愚痴る、という構図もあった。野趣香る鴨肉に果実系ソースが肉本来の甘みを引き立てて基本に忠実であり…コクのふくよかなビールをぐいぐい…ビールと料理を大いに堪能させて頂いた。全身上気しながら人気のない真っ暗な港をふらふら、ふらふらホテルに戻ってここぞとばかりに風呂に湯をためてざぶりと浸かり四肢をほぐして…何も考えなかった。三つの宿泊施設に泊まったが、隠岐諸島の宿泊施設で共通して良いのは、いずれも、小生好みの枕の低さとねっしりした固さであった事である。枕のせいで安眠が害されることは無かった。

起床、鱈腹食い過ぎて馬糞みたいなので便器内の水を埋め立て、人糞火山島創生しばし快感に放心…しかし午前8時半出航のフェリーに乗らないと帰れない、ホテルの朝食…またしても烏賊の刺身が出てくるがもう何も云うまい。しかしそれ以外は悪くない。もろに朝のまじりっけ無い陽光がホテルの食堂に真横から突き刺さり光に包まれた朝食である。ホテルを後にし、切符を買う…またお世話になるフェリー白島は昨日から港に停泊している。

 
出航を待つ朝のフェリー白島

 
また、雑魚寝フロアーに乗る。朝っぱらからダルな雰囲気に仕上がる。乗客はおっさんと爺ばかりである。あるいは団塊男女の団体ツアー客である。隠岐諸島はいわゆる女子旅などとは無縁である。行きのフェリーとは打って変わって乗客は疎らである。右端の靴下は、速攻で仰向けに寝て壁際に己の場所を確保した小生の足である。団体客フロアーには、少年野球の遠征とおぼしきが騒ぐ。名将、などと奉られているおっさん監督がジャージ姿で、取り巻きの母親連にちやほやされながらガキどもにデカい顔しているのは醜悪である。何を血迷ったか10時半には仕出し弁当を一斉に開くから揚げ物の臭いで胸糞悪かった。

 
この便は隠岐諸島の、残り三つの島のそれぞれの港(別府港、菱浦港、来居港)に各駅停車した後に、本州の境港に行く行程である。午前8時半西郷港出航で、境港到着が、午後1時20分である。苦しい長い船旅である。老子にも飽き、暇つぶしに途中の港に寄港する時の接岸作業を激写。船員が、錘のついた細い紐をぶんぶん回して離して遠心力で対岸の係員に紐の尖端をわたすと、紐とつながる、港繋留用のぶっといロープが巻き出されて港のあの、巨人の杖の取っ手みたいなのにひっかけられ、対岸と船員とがレシーバーで連絡とりながら、今度は船員が、甲板付設のロープを巻き上げるウインチを操作する事でフェリーが岸に横向きに近づき接岸完了となる。

 
航跡である。穏やかな海況である。泡立ちが波に揉まれて消え尽くす度に隠岐への思いも記憶を昇華して忘却の彼方へ…

 
隠岐汽船所属フェリー「しらしま」の仕様書概要である。嫌な目にあったからとかじゃなくて地理的にもう…二度と乗る事は無いだろう。

定刻1時20分境港に入港。何の感慨も無い。境港線に飛び乗り45分ほどかけて米子駅。2階の、グリル大山的な名前の処で豚カツ定食とビール。折しも、米子駅前では物産系イベントと、女性ボーカルの生ぬるいバンド演奏の賑やかし、各種出店、年若のJR職員がSL型のバスに子供を乗せて親が見張る…云い忘れたが次の目的地は鳥取市である。山陰まで来たついでに、鳥取市の旧友を訪ねる算段である。米子から鳥取まで行くのに、特急券は惜しむにしてもせめて快速に乗ればよかったが、つい目先の電車にがっついて乗ってしまい、鳥取まで行きはするがそれは山陰本線各駅停車である。日本海沿いをひたすら東進…うろ覚えだが二時間半ぐらいかけて、5時半ぐらいに鳥取駅に到着した。晩秋の山陰の風景を否が応にも具に焼き付けた処で今となっては忘却この上なし。無理に詳述する用も無し、疲労のみが鮮明ではある。御醍醐の忠臣名和長年ゆかりの地や船上山なども通り過ぎたがもう…十分である。以前「因州数奇修行」でも使ったが、小生の鳥取での常宿としている、鳥取駅近くのホテルナショナルにチェックインする。ホテルナショナルは、見た目は古びているが、宿泊費から納得しうるサービスに比べて、部屋の清潔や朝食バイキングの質がほんの少し高く、納得と満足を兼ね備えさせる良心的なホテルである。…友人夫妻との会食の待ち合わせは午後7時、鳥取駅としている。それまでの間、ベッドに横たわり、休息を取る…船の揺れと電車の揺れが小生の体の中で残響おさまらぬ。

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隠岐の旅 第六回

※以下、フィクションです。

記憶の抹消が梗塞しながら曾て活力を横溢させた何物かが存在した証だけが…示し合せて辿り付かぬにしても…隠岐郷土館を盛り沢山満喫した後の時刻は正午頃、小腹も空く算段と相成り見渡すと同館に隣接するもう一つの、名前は忘れたが…牛突きやら巨大魚やらの剥製と民俗を展示する施設があってその1階に小ジャレた風情の軽食喫茶があったが…団塊団体客の貸切となって本日は力を出し尽くしたのかもう閉店、一般客個人客は立ち入り禁止の立札、爪楊枝で奥歯シーシーしながら鱈腹食い終ったらしき団塊団体客がだらだら店を出てすぐ前に駐車してなるべく歩かせまいと諂う団体バスに上機嫌で吸い込まれているのだった…

どうしようもなくレンタカーに戻り…さしたる期待も持ち合わせず隠岐の島北端の景勝、白島海岸に向かう…山道を上りに上って展望台に到着。荒波に浸食された岩の剥き出しはその名の通り真っ白に輝いて晴れ渡った空の彼方海の彼方は白く霞んで見通せない。波の音掻き消す風の音がどっふどっふ吹き上がる。


 

 
離島への意識が高く…


風雨に散散吹き晒されてカラカラ鳴る骨のように侘びた鳥居の先に社は無い、季節にまかせて変幻する日本海自体が御神体か。





展望台下の駐車場近くには運動会で仮設されるテントのような簡易建築のつまらん土産物屋がある。やる気の無い…何となく景勝地に来た客のみを当てにした売店には乾物系の土産と、おむすび三ケと沢庵二切れを詰めたパックが木漏れ日に晒され…当然ながら客は小生一人、店員は女性二人である。こういう、半ば商売を「投げて」いる、寺社や景勝地に寄生しながら細々と案外執拗に生き残る土産物屋にこそ、意表を衝く珍品が埃かぶって根強く存在するのであり…小生すかさず目利きを施し、レジに持って行く。淡紅から朱へ移るグラデーションが美しい檜扇貝に電球を接着剤でくっ付けた馬鹿馬鹿しい乱暴趣がそそられる照明具が鬼太郎人形たちの間に無造作に転がっている。店員二人まじまじ顔を見合わせ、「まさか売れるとは思ってなかった」以前に「これが売り物とは知らなかった」といった狼狽と困惑、値札は当然ついていないから値段が分からぬ様子、しばらく二人して店のノートを捲っていたが埒が明かないのだろう…400円と相成った。小生が読書灯に供している盆灯籠は光量少なくスイッチも無いから日々不便が募るが、この檜扇貝ライトは、光量は同じく足らぬがスイッチが付いているのでその分重宝している。

白島海岸へ向かう途中に「隠岐蕎麦」なる看板を見つけたので、当海岸からの帰りに蕎麦でも手繰ろうかと…しかし看板を頼りに現地に行ってみると店というより蕎麦の実の加工工場の、何だか捨て置かれた、廃業した工場独特のブスついた沈閑風情で、そしてまた例によって人っ子一人居ない。完全に食いっぱぐれた小生、白島海岸のおむすびでもゲットしておけばと思うても後の祭り、腹は激減りなれど飲食店皆無。

行く当ても無く、午後3時にはどうせ行く予定の黒曜石店がある久見港まで下るが閉じ切った民家のみで飲食業の気配皆無。無駄に混乱して目先の看板に喰い付いて「ろうそく岩展望台」にまで無意味に誘われると途方も無い山道に誘われ遭難しかけた。舗装はされているが離合不可の細道をぐいぐい上り下り右へ左へ湾曲と見知らぬ分かれ道での選択をあみだ籤のように繰り返した挙句…路上には落石や太い枝が散乱、無我夢中でいつのまにやら展望台入り口の行き止まりに着くが…当の景勝奇岩がそこから徒歩で5km先にあるという…這う這うの体で車で帰路を爆走…ちなみにこのレンタカーにはカーナビがあるが、いろいろとタッチパネルを押しても小生の未発達なデジタル勘では行先設定出来ず、せいぜい現在地表示どまりだが、結局最初から最後まで地名など一切表示されず…道と山林しかデジタル表示されないから何の役にも立たなかった。頼りになるのは観光協会から貰った、大雑把過ぎる地図のみである。無論、今走っている場所は地図には記されていない。どうにかこうにかひょんな事に知っている道にまろび出て…五箇方面なら飲食店があるかもと思って孤走しても行けども行けども何も無し、もう飯は諦め…寂しすぎる海岸沿いに出てしまうと、行き止まりである。



奇しくも、「福浦トンネル」という…日本土木学会が推奨する「土木遺産」。車を止めて、ガードレールを跨いで磯辺に下りると…海岸沿いを南下するために先人が手掘りした隧道がある。見た目軽石のような多孔質で、脆い岩質…掘削の苦労と、妥協せぬ丁寧な仕事ぶりの昔気質を芬芬感ずる。…四角い穴の先に見える掩蔽壕じみた列柱がグレコ・ローマンスタイルの、小さな地中海である。折よく干潮、海藻やなんかが打ち上げられ、個室風の窪みに異形の赤黒い貝が納まる…晒された磯辺でひとしきり遊んで車に戻り再出発している矢先…電話が鳴る。黒曜石店主である。店に着いたとの報告である。急ぎ参上すべく車を飛ばし、午後3時10分頃には店に着いたのであった。


久見港に車を止め、しばし息を整え…黒曜石店に向かう。引き戸をグアラガラッ。すると、やはり、ながら…一癖ありそうな長髪無精髭の中年男性が魔法瓶から湯を紙コップに注ぎ入れており…インスタント珈琲の香が、土臭い作業場の一角にか細く立ち昇る。出入口付近の、石埃が舞うソファに座るよう黙って促され、ざっかけない素振りで珈琲を渡される。そして店主の開口一番がこれである。
「隠岐の島はパリ・コミューンよりも早く独立国家になったんですよ」
これは何とも穏やかではない…出会い頭でも容赦無い、問題意識剥き出しである。小生が何処から来たのか云々といった、他人との距離を宥和する誤魔化しの無駄話などすっ飛ばして一挙に間合いを狭めてくる攻めの姿勢である。さすがに小生も一瞬たじろぎ、言葉の接ぎ穂が途絶えるところへ店主は構わず一方的に話を繰り出してくる…
店主「隠岐は江戸時代の終わりにひどい飢饉があって、200人近く餓死したんだけれども、隠岐を管轄していた松江藩に援助を要求しても米一俵もよこさなかった。だいぶ後になって鳥取の池田の殿様が隠岐の島に米を送ってくれて助かったんだけども…それで、島民が一揆を起こして藩の役人を追い出し、明治初頭までは藩や中央政府の支配を排して独立していたんですよ。」
小生「松江の人はちょっと冷たいといいますし、茶の湯三昧の松平家だから農民への気遣いなんか及びもしなかったんでしょう。パリ・コミューンは1871年の、日本でいえば明治の初めだから、そういう意味では確かに先進的だったかもしれませんね」
店主、不敵に眼を光らせて「詳しいですね」
小生「そう云えば、さっき行ってきました隠岐郷土館に、明治の初めに隠岐の島で凶作による飢饉があって、政府の郡代を島民が追い出した、という記述がありました。その時の指導者の肖像画があったのですが名前は忘れてしまって…」
店主「そうそう、その一揆の指導者は若い頃島を出て、各地を遊学…、そして島に帰ってあの惨状だったから…それにしても昔の人は広い視野と知識を持った上でいざとなれば行動する芯の強さがあったんだ」
小生「江戸時代も中ごろまでは、いわゆる全藩一揆、今でいうゼネストを定期的にきっちりやっていたようですよ。藩の役人にばれないよう隠密に、5年、10年がかりで緻密に段取りを練り上げて、全藩一国の農民総出で一揆するんですよ。一揆に参加しなかった農民の家がまず真っ先に放火されるから参加せざるを得なかった背景もあるかと思いますが…ただ、要求が通ったとしてもだいたい首謀者の処刑は免れないから、相当な覚悟を以て計画したのだと思います。幕末に近づくにつれて一揆の起こる頻度は急激に増加するけれどもそれぞれの一揆の規模は小さくなって無計画に乱発されるようですけども…隠岐の一揆の首謀者はどうなったんですかね」
店主「参加した島民は全員鞭打ちで、首謀者は島から追放されたよ。それで、その指導者は縁あって奈良の十津川に渡って、そこで文武館という学校を作ってね。今は十津川高校になってて、今でも隠岐の島と交流があるよ」
といって店主が見せてくれたのは…一抱えほどある、達磨形の、よく研磨された黒曜石の石碑であり、十津川高校創立百云々年記念、と刻まれており、虹色の貝殻を象嵌した校章がぬめり黒い黒曜石に映えている。奈良のその高校からの依頼で、店主が作製したとのことであった。

小生が、もっと対話を深堀すべく話題を広げて「明治の、たとえば秩父困民党事件もパリ・コミューンと同じくらいの時期だったか、警察権力を追い出して…」などと調子づいていると、ガラリと戸が開いて熟年氏がぶらりと入ってくる。元教員で、地元の郷土史家であるとのことである。この郷土史家の人が仲介となって、奈良県の高校の石碑が注文されたとの事で、この方は石碑の製作を確認しに来たようだった。今晩も飲む約束をしつつ、既に完成した石碑を前にして満足そうな郷土史家を捕まえて店主「ちょうどよかった」と、歴史談義の火に油を注ごうと構えた矢先、郷土史家氏は、見慣れぬ客の小生の出身を尋ね…
小生「○○から来ました」
店主「ああ、そのあたりならよく知ってる。ちなみに、呉とか安佐北あたりにも黒曜石は採れるんですよ。あまり公表されて無いけど」
小生「ええっ、これは灯台下暗し」
郷土史家「隠岐には観光で?」
小生は断言する。「いえ、専ら黒曜石を手に入れるためです。」
黒曜石の語が静電気となったのか、普段から付き合いの深いであろう店主と郷土史家との間で黒曜石形成に関わる古生代あたりの話題で炎上、なおざりにされた、曲がりなりにも客である小生など意に介さず、竜巻のように直情的に盛り上がり手が付けられぬ展開となるが…小生の目的は黒曜石である。

図らずも、離島の宿命を背負わざるを得ぬ、隠岐の島に底流する、本土では殆ど顧みられる事の無い暗黒の反体制史、人間の独立と尊厳に根差した反骨の気概溢るる対話が繰り広げられたのであり、この僥倖には旅先ならではの興奮と感謝を惜しまぬが、…しかし、何とか小生の目的にまで話を戻すためには、彼らの会話の腰を折る野暮も辞さぬ。
小生「あの…レンタカーを午後4時までに戻さないといけないので、そろそろ黒曜石を見せて欲しいのですが」
すると地質学的話題に躍起になって周りが見えなくなっていたと思しき店主と郷土史家、しばしきょとん、として小生に目線を集めると…
店主「ええっと、どんなのがいいんですかね…たとえばこんなのがありますが」
といって店主が取り出したのは、蛤ほどの大きさの、グラインダーでつるつるに研磨されてまるまるした黒曜石に、夜光貝で、どこぞのキャラクターを象嵌した「土産物」であり…古代の黒曜石のナイフや鏃に見られるような野性の賢さが光る鋭利さが無残にも潰された、軟弱な代物である。最近は出雲大社からこの手の発注が多くて繁忙を極め、だから売店はやめて受注生産に専念しているらしい。
小生「いえ、こんなのではなくって…古代の打製石器みたいな、断面が鋭くて切れるほどで、大きさは掌くらいのサイズ感なのがほしいのですが」
店主「ですよね…ちょっと探してみます」
○○から隠岐の島まで、有限無常なる人生の時間を費やしてわざわざ島の最果ての作業場まで直接黒曜石を買い付けに来る目的意識の高い人間が、店主が糊口をしのぐためのものであるのは察するにしても、かような土産物如きを欲しがる筈も無い。その事を感じ取った店主は、床に転がっている黒曜石の原石を物色するがしばらくすると、
店主「割りますか」
小生「お願いします」
店主「ただし、掌くらいの大きさに割るのは難しいですよ。断面を鋭く割ろうとしたら、どうしても小さい薄片状にしかならないんですよ」
という技術的見解を述べるから小生も納得する。店主はその辺の原石を掴むや、床に置いて、金槌で一撃した。
小生、すかさず値交渉、「この塊と、この欠片二つ合わせて、いくらになりますか」
店主「まあ、二千円でいいですよ」





早速新聞紙に包んでもらって支払いを済ませ、時間がないので挨拶もそこそこに黒曜石店をあとにしたのであった。こうして、念願の黒曜石を懐中に愛でるに至ったのである。この、両生類のひくひくする下腹の如き、湿ったヌメ感…硯に摺られてぴかぴかに照る油煙墨の断面…今はかちかちに固まっているがそれでも、油煙墨が練り込まれている過程の、まだ柔らかく、湯気が立つほど温いぬるんとした粘り気を髣髴とさせ…何とも妖艶なる漆黒の断面のヘリは飽くまでも、無用意に触ろうとする者の手を切る問答無用の鋭さであり…潔くかち割られた、永遠に新鮮なるその断面には…太古より秘蔵された波紋が暴かれており、塊にも片鱗にも凍死したその波紋の形でぴたりと合わさり、今にも再度吸い付いて生命体のように密着しそうなほど、静かな光がしとどに濡れている。そのままこの黒曜石が…すうっと、音も無く、小生の心臓に格納され…脈動しつつ、臓器を間断無く内部からずたずたに事ある毎に傷つけるだろう荒みを宿して…



殺伐としながら何かしら遠くまで見渡してしまったかのような、腑に落ちる充実というか、未だかつてない奇妙な感情の余韻に浸りながら…車をブッ飛ばして、それでもレンタカー屋に戻る途中で玉若酢神社を緊急参詣&排尿、御神木のつっかえ棒を拝んだ後、ガソリンスタンドでガソリンを満タンに戻し、レンタカー屋兼便利屋に車を定刻の午後4時まで戻したのであった。駐車場脇に赤黒い多孔質の火山岩をごろごろ、獰猛エクステリア趣味なのか配しているため入れにくい駐車場であった。赤熱してはち切れんばかりの対応力の果て…空腹も忘れて気忙しい呼吸の熱の冷めやらぬ汀…この旅の目的はとうとう達せられた…海から離れ海に寄る波の音は聴こえずして、黄昏の鱗雲から響き渡る。レンタカー屋で車を返した後、そのレンタカー屋の親爺さんに、西郷港前のホテルまで送ってもらう。車中で会話となるが小生はなけなしの勘を働かせて相槌に精一杯、彼が何を云っているのか全く理解できない、それほどまでの早口と奇妙な発音、方言である。ホテル前に着くと、途端に、どっと腹が減る。午後5時くらい、飲みに出るには微妙な時刻である。

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隠岐の旅 第五回

胸の動悸じみたザワツキが一向に解消せぬ…先週までは最高気温20℃、用心してコートを着たらば暑苦しくて悪態ついていたくらいだったのが此処に来て急病の如き厳寒、IT業界の高飛車な商売にむかっ腹を立てる度に無聊を託つ怒り心頭で胸糞悪さがじたじたと心と体の接触面をある種の癌細胞のように滲み侵し…電話会社から書面が来て「あんたらがパソコンでインターネットしているADSLはダサいからもう止めるわ、やってる奴も少ないしこっちが面倒だから、替わりに今一番イケてる感じの流行のWiFiにしとけよボケカス、それと、老婆心ながら言っとくけどガラケーええ加減やめろよダサいから。スマホにしとけスマホに。ちんけな自尊心でお高くとまってないで潔く流されろょ!」、といった内容の最後通牒を突き付けられ…一方的な通告の文言が事務的に素っ気なく刻印された紙と、無暗に賑やかなばかりで意味不明な料金プランが空虚を物語るチラシが一枚ペラッとしているばかりの有様で激昂、具体的に何をどうしろと云うのか全く埒が明かぬからショップに行って順番待ちで2時間も奪われ、スマホの事で頭一杯なアホの中坊がバカ騒ぎしながら屯するのに憤懣やるかたない惨めな気持ちを嵩じつつ…通告の内容を店員に問い質す…すると予感しうる事ながら当方にとって、はなはだ手間と不利がのしかかる、チラシには一言も触れていない新事実の状況ばかりが芋づる式に明るみになり…しかもそれは此方が事前に考えて自ら問うた挙句の事であって此方が黙っていたら上っ面の料金プランのことばかりしゃべくり上げる始末で店員からそうした重要事をお知らせする姿勢は全く見られない詐欺紛いの接客である…そっち(電話会社)の都合でADSLサービスを停止するのは仕方ないとして結局WiFiとやらにしたら当方のメールやホームページのアドレスはどうなるのかと此方側から問うてみると…「消えてなくなります」の一言。アドレスを維持しようとしたらどうすればよいか問うても「知りませんよ、そんな事。別途、金出せばいいんじゃないの。それでも、期限があるかもしれないけど、自分で調べれば?」などと、しれっと云うてくる…ふざけんな、って話で、腸煮えくり返るんだけど…。客にとって大事な事には何一つ斟酌、提案せず、一方的にスマホだのなんだの下らんプランをゴリ押してくる上から目線の商売…あるいは原色のデラックスフォントが厚かましい煽りで一杯な、そのチラシの空っぽな好景気感とはそぐわぬ感じに、隅に、滅茶苦茶細かい字で何とでも解釈できる玉虫色ながら政治的に厳格な注意書きの文言が印字されておりどうもその文言が決定的な意味を持つ事も知らされ、その、大手IT業者の悪徳業者まがいの卑劣なやり口には開いた口が塞がらぬ。久しぶりにタモリ倶楽部を見ると浅草の老舗砥石屋さんでの砥石特集であった。今、ガチで天然石の荒砥石を欲している小生からしてみれば僥倖この上なく、学ぶところ多い内容であった。面白味の誠実とは何たるかを心得る番組内容に脱帽。

というわけでネット回線の環境の変更を近日中に実施しなければならぬのでそれがしくじった暁にはこのブログもおしまいになる可能性をここに報知したい。来週以降ぱったり更新されなくなったらそういう事情である旨、予め此処に伝えるものです。

以下、フィクションです。

さて、恐らく18:30頃、日もすっかり暮れた海を、強力な内燃機関の活動を髣髴させる波動を熱濃く撒き散らしながら…島後の隠岐の島町の玄関口、西郷港に帰投したのであった…例によって団塊団体客らは待ち構えた大型バスにどやどや吸い込まれて島一番のデラックスなホテルへ直行した後、個人客らも三々五々散り散りばらばらに…街灯の少なく暗い港から消えて行くと図らずも取り残された小生は…今宵の宿を目指して地図を開いても暗くて見えず、疎らな街灯を頼りに見知らぬ道を心細く、…ようよう辿り付いたのは、昨日泊まった宿よりも更に値を落としたビジネス旅館…木造二階建て…玄関で靴を脱いで入っても真っ暗、人気に気付いた、そこの経営者の娘からのそのそと2階の部屋まで案内され荷物を下ろす。…部屋にはトイレ無し風呂無し、板敷の窓際に手洗いがあるが締まりの悪い蛇口からぽたぽたする白い陶製受皿は錆臭く焦げ茶色に染まる…朝飯だけ頼んでて晩飯は無い。予約する時に、聞いてもらえたら近所の店を紹介しますよ、と言われていたが…唯一の対応者の、眠そうな娘に聞いてみると、「近くに店はありませんよ」。現場に行けば話が違う、という事など珍しい事ではない。部屋の鍵は、出掛ける時は玄関をしきる事務所の出窓にある皿の上に置いて行くよう言われ、置いて出るが…その事務所には基本誰も居ず、旅館の人は奥まった部屋でぬくぬく炬燵に入っているだけなのだから、よく考えたら誰でもその鍵を取って自由に客の部屋の中を物色できるわけで…今更心配しても致し方なく元来た暗い道を、20分ほど歩いて港近辺に戻る…小寒い中…「おでん」という字が目に入った赤提灯の引き戸をドガラッと開けると、奥行の無い店内、客は、座敷席にサラリーマン二人が一組だけクダを巻き、小生はカウンター席に座る…煮魚定食と生ビールを頼む。女将が一人で切り盛り、定食を食い終わって焼酎飲みながら小腹が空いたらしきリーマンが女将にお勧めの一品を訊ねるに、金離れの良さそうなリーマン相手に店の一押し「山賊おむすび」なるものを提案、早速受注するやりとりを注視する小生…鰈の煮物は…酒をたっぷり使って煮たのだろう、味はしっかり浸みながらも身はふっくらに仕上がって美味、ただし、また出された定番の烏賊の刺身は成形した糊蒟蒻のようにねっとり不味い。山賊むすびというから豪快に大きいのかと思いきや普通サイズよりも小さめ、具材に梅や昆布など複数ぶち込み、飯を包む海苔に隠岐特産を使用しているとはいえこの程度のおむすびが一個1200円もするとは尋常でないぼったくりである。離島に着いたらそこに行くしかない蟻地獄のような飯屋で搾取された気の毒なリーマン組は退散し、小生、ふくふく割烹着の女将とサシで呑む流れに。定食を終え、静かにおでんと酒をたのむ…豆腐、大根、玉子、すじ肉、厚揚げ…出汁は普通である。よく味の浸みた絹豆腐を白川郷のドカ雪のように大いに乗せられ…隠岐の島の地酒で代表銘柄は二種、隠岐誉と高正宗であり、前者は熱燗、後者は冷やに適しているとの由…高正宗をたのむと盛りこぼしで出てくる。枡を受け皿としてコップから溢れださせる…江戸の粋の名残り…以前にもお客さんに会ったことがある気がするなどと、一見さんの客の誰にでも云っていそうな安いセリフを聞き流し…小生の事情について振られても悉く鎮火させるので致し方なく女将の身の上話など聴くともなく聴きながら…温暖化のせいかここ数年は烏賊が不漁である事など…いつの間にかビールをあけて気安くなっている女将に頼まれて赤提灯の電気を小生が消した後もちびちびやる…隠岐の夜はしっとり更けゆく。小水後、勘定を済ませて…ひんやり湿った潮風に吹かれながら鱈腹、ほろ酔いで宿に戻る。荷物は盗まれていなかった。錆臭い、小汚い共同風呂…一旦熱湯を溜めたら後は熱力学の法則に従って冷めるだけで追い炊き不可の…旅の孤老と小生で二人、ぬるま湯に黙って浸かる。共同トイレも、木枠の窓からの隙間風が深刻で、錆の滴が便器にしたたる。糞尿と錆の臭いが噎せ返っている。冷えた部屋に戻って煎茶をすすり、テレビをつけると、この宿には衛星放送無し、NHK総合とNHK教育と民放2局の計4つである。錆臭い水で歯を磨き口をゆすぐ。


早朝、火災報知器のジリリリリ警報音で強制的に目を覚まされる。廊下に出ると他の客も廊下に出て様子を伺っているが、どうも報知機の故障のようで、そのうち音が止まる。それに対するフォローの館内放送なり、旅館の人の説明も全くない。朝食のため1階の大広間に下りる…床の間飾り…三幅対の掛け軸、巨大獰猛民芸土瓶、場違いに陽気な大黒天、ガラスの浮き、商売繁盛の幸運を召し取るしゃもじ、薄板に白磁、そば菜のような楚々とした花を生ける。朝食にまたしても烏賊の刺身、不味い。それ以外の飯や焼魚、香の物に味噌汁は悪くない。


宿の玄関先のしつらい。雌雄の雉、海亀の剥製、サソリなりで飄逸なる瓢箪、毛深いがさらさらトリートメントでむさ苦しくはない白髪の鬼面、なんちゃって円空仏、火鉢、コンセント、安手の抹茶茶碗群…「日本の原風景」


使いこまれた常滑朱泥急須は必須。

朝の港…観光協会に行く。島後は大きいので自転車で巡るは不可能、レンタカーの手配を依頼すると、手際よく、最安値のレンタカー屋を手配してくれた。しばらくすると、何とも怪しげな風体の、レンズの半分がグラデーションのティアドロップ型サングラスで中肉中背でハンチング帽、薄茶のストライプのシャツにツータックのダボダボズボン…その他身なりでは表現しきれぬような胡散臭さをその人間自身から発揮しつつ…そのレンタル屋の親爺がやってきた。車に同乗してまずはレンタル屋の事務所に連れて行かれ…四畳ほどの事務所に通され…便利屋稼業を営んでいるようだ、隣では奥さんが美容室を運営。小生の免許証をコピーするのに手間取りどこぞへ大声電話、結局コピー機の電源が入っていなかったという落ちまで1時間ほど浪費されるも仕様がない。この親爺さんが喋る言葉は滑舌の悪さと発音の早すぎによって最後まで全く意味は取れなかった。6時間で4000円である。

三菱自動車のトッポをあてがわれ…途中、珍木銘木の類の、獰悪なる杢目を期待して、うろ覚えだが「もくもく館」という物産屋に立ち寄るが…ちまちました、土産物の、焼杉のコースターの類しかないので失望を禁じ得なかった。さて、目的は此度の旅の最大の目的にして山場、黒曜石である。事前の調べによると、島の北の端、久見漁港あたりにソレがあるらしい。地質学上、黒曜石とは火成岩の一種にして、珪素含有量が多い流紋岩の溶岩が急速冷却されて生成されたものである。人類史的には…古代…打製石器~磨製石器~青銅器あるいは鉄器という道具ないしは武具の素材史において…打製石器の一種ながらその特異なガラス質ゆえの鋭さによって性能的には磨製石器の先駆を為しつつ鏃やナイフに供され…その色味と物性は系譜に納まらぬ異質を燦然と屹立させておる。奥に光を湛えたその漆黒と鋭利は金属器の先駆もなしている事からも…思い起こせばその後の人類の産業の核となる陶磁器とは土と石の胎土にガラス質の釉薬を掛け金属呈色させたもの、つまり古代の素材史の総決算と云えるのだが、土と石と金属を結集させ得たのは他ならぬガラスであり、ガラスの先駆が黒曜石なのである。石器とも金属器ともつかぬ中間の始祖鳥的存在が天然ガラスの黒曜石であるとすればこの重要性には震撼させられよう。何よりも早く、道具を作る者の手を切り、ついで敵や獲物の息を止める厳かな鋭さ、その妖艶なる素材感にまず心惹かれ、否応なくそそられるのであった。ぜひとも実見し、己の手中に納めねば気が済まぬ、という熱に疼く日々が続いたのであった…。

島の道をひたすら北上、地図だけで分かるはずも無く、誰も居ない久見漁港に車を置いて近所を数時間彷徨しても見つからず…簡易郵便局のおばちゃんから手がかりももらい…それでもよく分からず…もう諦めかけたその時、港から川沿いに伸びる未舗装の、道というか単なる隙間に気配を感じて歩いてみると、小屋のようなものがあった。出発して2時間くらい…午前10時半頃か。

黒曜石の店あるいは加工場


暖簾のように柿が吊るされ…しかし、周囲にも中にも人は居ない。引き戸に鍵はかかっていず、がらりと開けると、店と云うよりも純然たる作業場、グラインダーやら削岩機などの設備が無造作に散らかり、そこらじゅうに黒曜石の原石が転がっている。しかし、もぬけの殻だからどうしようもない。車に戻って、控えていた電話番号に電話すると…長々と待たされたあと、婆が電話口に出てきた。店に来ているから対応していただきたい旨伝えると…婆は腰痛で遠方の実家で療養中にて動けぬ由、爺は朝からサザエ採りに出かけて昼には戻ると思われるが連絡はつかない、実質、黒曜石店を経営している息子氏は港の方まで出かけており昼過ぎには戻る予定だが、という。爺でも息子でもよいが何時に店に戻るのか、正確な確約を求めるが婆の返事は要領を得ぬ、小生が諦めてくれるのを待っている感じであるが…遠路はるばる隠岐の島くんだりまで来て、第一の目的事をすごすごと諦める訳には参らぬ、此処が踏ん張り処ぞ、と食い下がって…「私は黒曜石だけのために〇〇から来ましたので、今日中に何としても黒曜石を入手したい、手ぶらで帰るわけにはいかないのですが…」「いや、でもねえ…」など執念深く押し問答を繰り返す内、ねを上げた婆が、「直接息子に連絡をとってほしい…」という事でようやっと息子氏の携帯電話番号を教えてくれた。すぐメモって息子氏に電話すると…出てくれた!小生は見知らぬ番号からの電話には出ない主義なので危ぶまれたが助かった、すかさず要件を伝えると、さしたる当惑も露わにされず、午後3時頃には店に帰る、帰ったら電話連絡差し上げる、という約定を得る。そういえば、屋号の「八幡黒曜石店」というのも…八幡製鉄所しかり八幡大菩薩、八幡様といえば鉄の神様、であり…自ずと鉄と石との因縁に黒曜石が存在する事を証つける。お店だから行けば誰か居ると早合点していたが、実際は作業場でありいつも人が居るとは限らないようで、事前に連絡を入れておけばよかったのだろうが、上々の展開をゲット出来たから結果的によかった。唐突に訪れた正念場を間一髪で乗り越え…安堵する。

黒曜石店の店主との会合まで時間があるので、近辺を観光する事にする。珍木奇石景勝古刹の一大集積地である隠岐の島町であるがいちいち巡っていたらきりがない、時間も限られた中で、…

 
五箇地区まで戻り、由緒正しい古刹、水若酢神社を参詣。隠岐造りという独特の建築様式らしい。孤老旅行者が三脚で撮影に励んでいた。


隣接する隠岐郷土館。訪問者は当然小生一人、小生の来訪を発見した二人の店番の女性が咥えていたアンパンを慌てて置いて立ち上がる。何しに来たんだと云わんばかりにまじまじと小生の挙動が監視され…小生は入館料を払う。地質、動植物、古民具農具漁具、竹島関連等、民俗あるいは博物感覚満載の望ましい雑多である。

 
嘘か真か分からねど…。

 
臨場感あふれる猛禽類や亀、テンの剥製展示。

 
島の子供らの遊具。「でっこ」「バッコ」というらしい。牛の角に見立てて角突き遊びに興じたとの事。こんなので目を突かれる事故があったら失明を免れぬ、それほどまでに枝先を尖らせている。


脚をピンと伸ばして、庭先で吐血して死んでいた珍しい小鳥。雀ではない。


竹島関連の資料室。隠岐の島民と、朝鮮の人が一緒に漁をしていた記念写真などあり。声高に複雑な歴史的経緯を説明する資料ビデオ映像垂れ流し空間である。


わさわさしている呪的民俗祭儀が天上から舞い降りる…太陽神と月神への犠供か。


田打ち車の群れが、滝壺の飛沫のように見える。田打ち車とは、田んぼの草を根っこから除去する道具である。

 
烏賊釣り漁船の漁具である。

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隠岐の旅 第四回

冷めた記憶というある種の死体を舐め続けるような耐え難い痴愚沙汰を続けなければならぬ程悠揚迫らざる事情など皆無、最新の記憶にさもしくガッ付きたい、たとえば縁あって生漆を箆で練り上げる実践や金継ぎの伝授を受けてしまい眠り呆けていた野心の鷹の爪にボウッと点火、そそられる創意の油が絶え間無く継ぎ足される心の炎上でまた不眠を託ち、日中は悪心(おしん)の倦怠に苛まれ湿った布団でぐっとりする肉塊へと成り果てる始末、…来年3月になったらこっちの現代美術館に赤瀬川原平の回顧展が巡業しに来るから参じたい旨心に刻む振りをして殊更にもう、ほとほと嫌気がさして、隠岐の旅を遠ざけたい、疎ましい気持ちが確かに鬱積、台所に溜まる洗い物を横目に通過する後ろめたさにまで生活臭が浸み付いており堪え難い、それでも一度始めたらやめられない性分などといえば恰好良いがそれも嘘、ハードロック論だってまごついている現実もまた…

※以下の文章は全てフィクションです。

秋晴れの国賀海岸を自転車で下り、九十九折の上り下りと曲がりくねったカーブで方向感覚を一掃されながら海岸の風光を楽しむ…

 
目的地への標になってくれた希望のトンネル。誰も居ない…


西ノ島のくびれに掛かる橋の上から。行きはこの橋に辿り着けずに寂滅なる入り江の果てにまで辿り付いたのであった。


旅人を誘うコスモス畑…息の上がった体を休める。

ようやく別府港に着くとフェリーが車輛の乗降作業中で俄かに港が活気づいていた。離島の物資の命運を一身に担うのがこのフェリーである。後刻、港の酒場で一杯やっているとビジネスでしばしばこのフェリーを使わざるを得ない業者が車輛積載費用が嵩む云々と愚痴が止まらない様子だった。時刻は午後12時50分くらいか。やりつけぬ運動で健康的な空腹を覚えるもやむなし、眼前の、港ターミナル2階の古びた軽食喫茶に飛び込むと、既にダルな雰囲気に仕上がっており…入口付近には作業服の業者男4人が小さなテーブルに日替わり定食4人分を乗っけた樹脂盆でぎっしりと無言で、カウンター席には爺がビールと芋の煮ころがし、体を横にしないと通れぬ幅の通路を挟んで向かい側のテーブルには婆がビール且つ煙草…他のテーブルには熟年女性とその娘と思しきジャージの茶髪サンダル三十路後半女が他に行き場がないから休憩がてら必然的に辿り付いた的な経緯が濃厚…速攻で喰い終わった業者の一部はごついガラスカット製灰皿を寄せて珈琲を頼みつつ煙草の狼煙を上げ狭い店内はたちどころに鄙びているが腐った脂のような紫煙(パープルヘイズ)に噎せ返り、煙草を嗜まぬ小生は目が浸みる…昼間からアルコールで目が血走る婆がしゃがれ大声で間断なく向かいの爺と世間話に興じている…旅人風情の小生は奥のテーブルについてビールと日替わりを注文しつつ否応無く耳に入る島事情の荒み具合に耳をそばだてる羽目に…島の男どもも定年や引退を迎えてしばらくはクルーザーなぞを購入して何かから目を背けるようにして遊びの釣りに躍起になっていたが最近はようやくおとなしく家に居るようになってきたよ、といった熟年事情の袋小路にまつわる具体的な事例である…日替わり定食は不味かった、特に、昨晩の宿の晩飯、朝飯に続いて出された烏賊の刺身は真っ白にねっとりと糊のこんにゃくみたいで不味い。ビールだけは何処に行っても裏切らない、ビールを主食として小生に寄生する喉仏に存分にビールを飲ませてやる。高校生らしきバイト娘に勘定して店を出る。

小生のもろもろの思索を貫く幾つかの筋と云うか線というか、それは一つに束ねられるものではなく幾筋も絡み合いながら決して解消される事はなく織り成される混沌ではあるが時として紐解いてみるに行き当たるのが「修験道」ではないかと。ここで詳らかにする必要はないので題目だけ上げると小生の目下の主題の一部として「市井の仙人」「都市の修験者」「来るべき書物」があり…神仏習合、本地垂迹はこの国の文化の一側面に過ぎず…より根本的には(「根本」は仏教用語だが)道教、仏教、神道の三教が混然と沈潜し、この国の歴史と政治と文化の地脈として縦横に走り廻った「修験道」こそに著しくそそられるのであり…そうしてみれば自ずと中世最後の突破者、後醍醐天皇の成り行きと勢いが、当時の修験道勢力を軸としていた事の本質に自ずと必然するのは典型的ですらある。巷の悪党や異形遊行の者どもを寄せ集めては、いかがわしい生臭坊主の文観に唆されて、修験道と血流が往還する密教勢力が三文週刊誌の袋綴じレベルにまで俗化しつつ奇怪な荘厳を遂げた乱交教団立川流に耽溺した後醍醐が挙兵後、南北朝という時代を打ち立てて修験道勢力の総本山吉野に立て籠もって後も(思えばこの国は「総本山」だらけである。中心の点在化、勃発化…)、隠岐配流→脱出後も岡山の児島や鳥取の大山といった修験道勢力と呼応する…普段は政治の及ばぬ山野を跋渉して暗躍する修験道の、数少ない顕在化としてこの、後醍醐という希代のウツケ皇族が発光信号=救難信号を送るようだ…そんなわけで…この西ノ島に残る後醍醐帝の黒木御所跡で現地調査に及ぶ。港から自転車ですぐの処にある。門をくぐると…その辺で暇を持て余して海を眺めていた熟年男氏が、小生の来訪を発見するや、何やらそわそわした動きで小生の動きを、小生から気取られるまいと意識しながら、激しく注視している…小生にしてみればだいたい分かっている。この御仁は、黒木御所跡地に併設された資料館の館長にしてただ一人の係員である事を…後で待ち受ける成り行きが強く予想されるので些か辟易しつつひとまずその館長の挙動は無視して、まずは黒木神社で御在所の跡地に参るべく、石段を上る…後醍醐帝を祀るこの神社の作りは比較的新しく、とりあえず記念に作りました的な上物に過ぎず、歴史的に何の意味も無い。神社脇になぜか、日露戦役の旅順攻略に使った大砲の弾がある。社の奥に、黒木御所跡地を示す石碑が、木陰の湿り気の中にそらぞらしく建つ。見るべきはさほどなく、参道を下りて、気押されるような諦念に漸近する期待感を下地にして隣接する資料館「碧風館」に入る…入口には満を持して先ほどの熟年氏即ち館長が一人、拍子抜けするほど安い入館料を支払って館内を見渡すと、せいぜい八畳くらいの広さ…中央のガラスケースに、中世から江戸後期、明治までの古文書の類、壁面には絵心のある島民が描いた後醍醐伝説の各シーンの絵画の数々…やまと絵や日本画や油絵だけでなく、ちぎり絵で後醍醐を描いた力作も寄贈されておる。無言でそれらを一つずつ眺めていると傍で手持無沙汰の館長がついに口火を切ってきて…マンツーマンの、地味ながら熱い講義が始まる…最大の見所は後醍醐帝宸筆と云われる、三種の神器の処理に関わる綸旨であろう。後醍醐帝が滞在した各地が「黒木御所」と呼ばれ今もその跡地が各地に確認されているが黒木とは木の皮も剥いでいない粗末な雑木の材の事、それほどまでに粗末な在所であった事を意味するとの事、などしっかり学ぶ。黒木という苗字の多い宮崎の事も少し思い、…恐らく上代からある古語だと小生、推察する。明治以降、本土の学者が来て学術調査した結果、西ノ島には後醍醐は来ていない、黒木御所は島後の国分寺近くにあったという結論になって島後の隠岐の島町にも後醍醐の石碑があるが、西ノ島の島民は数百年に渡って此処が黒木御所だと信じてきた手前、学説には耳を貸さず今もこの地を顕彰している。何を学んだかというと掻い摘んだ言葉にはならず…何となく雰囲気を味わっただけのナマ学問の誹りを免れぬかもしれぬが今は後学の実りに託すより他ない。

綸旨の宸筆(後醍醐の自筆)。堂々、風格ある書体である。ちょっと紙が新しい気もするし、出雲大社蔵とあるのもなんだろうか。
 
後醍醐像と、黒木神社奥の石碑の拓本。隠岐の島の著名な書家の揮毫になるものとの由。
碧風館を出て、さらにその近くの、西ノ島の郷土資料館的な処も訪れる…最大の目的物である古代の黒曜石の鏃や、光悦の赤楽に匹敵する軽妙なる丸味を帯びた須恵器碗、漆を入れていたという長頸壺といった興味深い出土品…千歯こきや田打ち車、烏賊伸ばし器といった古民具…目をひいたのは郷土の博物学者が蒐集したという珍鳥類標本であり…ぞんざいにジッパー付きビニールに入れられて転がっている。


光悦を思わせる須恵器碗…極めて薄作りで、手練れの陶工の作とお見受けする。
 
烏賊伸ばし器

西ノ島の鳥類標本

おなかいっぱい郷土資料館を味わい…それでも17:00出航のフェリーには時間たっぷり、港の中で海を眺めながら老子を摘み読みつつ…近辺の土産物屋にも、骨董と呼ばれるほどの時間は経っていないが数十年程度は埃を被って古格を帯びた民芸品や木工品などを期待したがそうした物産は皆無、せいぜい乾燥海藻や酒ぐらいしかなく…ようやく、定刻に出航、島前の別府港から、島後の西郷港に向かう夜の海。昨日とは打って変わって穏やかな波である。

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隠岐の旅 第三回

今年中はもうロックについて書くつもりは毛頭ない、消化試合の態…モーニング隔週連載の最新のへうげものも大いに楽しめたが、コミックス最新19巻も早速入手に及び、速攻で4回は最初から最後まで舐めるように読み返し、その度に、毎度のことながら…一コマ一コマにいちいち腑に落ちる味わいとおかしみ…男たちの確かな意志がそれぞれのやり方で生き抜かれる中での思惑の交錯と移ろいの確かな展開と、それに裏打ちされながらも飄々と宙を浮く創意の数々…清正公(せいしょこ)最期の渾身ロケットパンチに男の生き様ぎゅっと凝縮。土曜日のリーガルハイのスペシャルドラマも感慨を催すに足るしっかりした内容であった…数年前のスペシャルドラマではいじめ問題を扱う中で、ある閉鎖空間に複数の人間をぶち込んだら自ずと醸成される中心なき全体主義という人間社会の本質にまで言及する濃い内容であったが、此度も医療ミス問題に深入りする過程で自ずと自然科学の本質としての非人間性/反社会性と、一般的情緒的人間社会との相克を炙り出す、問題意識の高い内容であった…この事について語ろうとしてハタと想起されるのは隠岐の旅での一考察に含まれる故、ここでは詳らかにはしないが、いずれにせよ小生という人間に打ち込まれるハーケンの如き根深い問題、己自身に付会して当たらねばならぬ事ゆえ…恐らく、隠岐の旅第四回か第五回において論述されるであろう。

※写真など掲載されていますがなにぶんネットデジタル社会の事ゆえ、それが事実であった事の証明にはならぬ事云うまでもありません。

※分かりやすく云いますと、以下の、これから書かれる事は全て虚構です。

何だったか、今しも遠ざかる記憶と空しゅうなる臨場感の梗塞の果て、失った情熱の熾火を掻き起す努力の詮無い事に流される浮世の常、無様に残る写真に何がしかの思いの残滓をなすり付けるが関の山、淡々にして清々ならぬもどかしい切羽詰まりにて些かも奮起せぬ老いの小文にて候。何としても小ざっぱりと省略しながら記す所存。

二日目の朝、隠岐諸島島前西ノ島は別府港を望む民宿と旅館のグレーゾーンを徘徊する立ち位置の、しかし釣り宿程の偏りはない感じにえげつない民芸がドカドカと幅を利かすしつらいだったか…玄関先の床に直置きされた段ボール箱二箱ほどに、隠岐特産の檜扇貝の貝殻がてんこ盛りになっている。色使いが派手な帆立貝のようなものである。段ボール箱の蓋のようなヘレヘレにマジックインキで、「自由に持って行ってください」的な事が記されておる。貝殻には目の無い小生、これは僥倖、紫、黄、赤、朱、など何とも色鮮やかな貝殻群に朝っぱらから手を突っ込んで、己の目にかなった逸品を7枚程お助けしたのであった。後に出会う土産物屋で、檜扇貝の貝殻三枚で500円などで売っていたのからしたら誠に有り難いサービスである。会計を済ませ、別府港付設の観光協会に向かう…その日は自転車で西ノ島を巡り、夕刻17:00過ぎのフェリーに乗ってその日の内に島後の西郷港に行く予定である。

 

綺麗に仕上がった建物の観光協会の窓口前に自転車が十数台置いてあるのでこれを借りるつもりで窓口で手続きを取る。話を聞くと国賀海岸まで30分ほどで着くという。時間はまだ午前8:45くらい。元来方向音痴な小生でも午前中に到着できれば御の字だろうと踏む。電動アシスト付き自転車というものに初めて乗るも、なかなかに快走である。すぐに山越えを免れなかったがアシストのおかげでわりと助かる。逆にアシストがなかったら、この島のサイクリングは絶望的、この後、半端無く急激な坂道の九十九折に苦悶するのであった、アシスト付きであっても…道行くごとに現れる目先の看板に惑わされて横道に突入する度にいつのまにやら目的地と全然異なる島の深部を彷徨する羽目に陥り、ついには田んぼの畦道をアシスト自転車で爆走、大きめの街道と田んぼの畦道を無為に周遊していて迷宮のミノタウロスさながらの放牧牛は人喰いならずも徒に涎をもぐもぐさせるばかりで宛てのない暢気…このままでは埒があかぬ、という事で勇躍、その近辺を何度も出入りしている汗だくの小生を見かねては訳知り顔をしているのを小生は知りつつも人見知り頑な故に素通りしていたのだが…道端で草を刈るシルバーセンター的な熟年氏に素直に道しるべを乞うと…その島人から「この道を迷わずまっすぐ行け」という人生訓、トンネルを三つくぐったところで大きな行き先表示の看板があるからそこから右に山道に入れ、という貴重な具体的示唆を授けて頂く。目先に沸き立つ分かれ道におろおろ惑わされず、大道を悠々と行けばよかったのである。

 
迷い道で通りかかったビザールな建物。

 
体を一回転させた途端、方向感覚を失う小生…あちこち無駄な横道に行き行きて流れ着いたは…西ノ島の、蟻の腰のように細まった深い入り江…国賀海岸へ行くにはアンポンタンなる遠回りとなり…閑散とした寂寥に見舞われる。


ようやく往く道が定まり…参拝したのは由良姫神社。その門前の烏賊寄せ海岸と見張り番所の光景…「珍日本紀行」にも所収されているビザールスポットであるが、名物の、海中鳥居まわりの書き割りの烏賊人形は撤去されており、今ではその跡の鉄パイプが海面に突き出るのみ。


境内脇の森の中に…巨大な烏賊人形が数体、蔦まみれに。


トンネルを三つ抜けて山道を自転車で上っていくと…間近から牛の声。黒毛の隠岐牛が所構わず森の中で放牧されている。この牛には帰路にも出会うが…今度は下り坂を高速で下りていると…この牛が何を血迷ったか道路のガードレールを前二本脚で越え、垂れ膨れる腹が当該ガードレールに閊えて身動きできぬ危機的状況、しかも、一瞬見ただけだが、牛の性器と思しき尻の穴から、桃色のぬらぬらした帯状の膜のようなのを垂らしており出産が近い様子、作業服の飼い主が大声で電話していた。

いろいろあって国賀海岸の展望台に到着。午前10:30くらい。30分で着くと云われていたが、結局1時間半ほどかかったが問題なし。海にせり出す断崖の背中に居る。写真のように向って左側も、多分名のある断崖絶壁。穏やかな陽光きらめく日本海。

向って右側の奇岩風景。展望台がある断崖絶壁を下った先の磯辺には諸星大二郎的な社が…。

展望台から、さらに向かって右側にある断崖絶壁。快晴、白い光に霞む…この断崖絶壁「摩天崖」の頂上には遊歩道で徒歩で行けるようだ。高さ257m、海蝕岸では日本一の高さらしい。そのためには、一旦崖下の谷底の磯辺まで下りて、そこからこの崖の登頂を目指すだろう。何度か、熟年団体客がこの展望台に乗用車やバスで乗り付けては、ひとしきり写真を撮ってさっさと帰って行った。昨晩、宿で同席した団塊男氏も立派なカメラと三脚で撮影していたが、むこうの会釈を無視して一瞥くれた後、トイレ脇に自転車の施錠をする。あの崖っぷちを目指すために…。展望台廻りのオリーブ畑のような斜面に散開したシルバーセンター系熟年爺婆群が、草を刈りながら、小生の挙動を遠巻きに監視する。摩天崖を目指すのはこの時点では小生一人のようだった。



崖下の神社。火野葦平の碑がある。九州の耶馬溪よりもこっちの方が凄い、という内容。磯の岩の紋はのたうちまわっており、露骨に溶岩、火成岩である。遠望するのが目指す摩天崖。

 
展望台を下って後、遊歩道を登山中。間近に迫る摩天崖。登頂の黒いゴマ粒のような点は放牧された黒毛和牛である。背中にじりじり日差しが照り付け…展望台付近の斜面に展開する草刈の島民の姿もようやくごま塩程度にまで小さくなり…自然の景物と対峙しうる静謐の時間である。
 
単独での摩天崖登頂に成功。写真左下の磯辺に、前述の神社が鎮座するのが見える。崖上にて黙る牛、消えた波音、潮風のみが異様にびょうびょう耳元に吹き付ける…牛の親子が小生に怯えるので絶壁の突端まで行くことかなわず。親牛の鼻柱には黒蠅がびっしり蠢き、子牛は小生の動きの一つ一つにいちいち怯えた反応を示してくる…それよりも何よりも、写真では分からぬが牛糞の結界が凄まじく靴の溝には致し方なく牛糞が詰まる。明らかに牛糞のおかげだろう…火成岩質が、ふかふかの肥えた土になっていた。


下山。その途中の荒廃した建築物の中に、ゴミ屑などを無暗に合体させた現代アートの作品が格納、保存されている。昔の、一過性に終わるべくして終わったイベントの…主催者らの檄文も掲示してあるが読まなかった。小生が谷底まで下った時、独りの熟年氏が、傘と缶ビール500mlを詰めたビニール袋をぶら下げた荒んだ風情で、小生が登った道を歩んでいた。時間は午後12:30くらいだろうか。谷底までおりて展望台まで登り、遥か摩天崖を望むと登山道の中腹をその人が登る様子が山水画の人物の豆粒のように見えるのを確認した。ベンチに腰を下ろしてしばし休憩、62円のペットボトル茶500mlをいっきに飲みほし…再出発のため自転車に足をかけた。

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問わず語りに…

昨日は胃の下部がのったりと満腹感と空腹感の痛みをこき交ぜたモタレに苛まれる。事前に休載とはいいつつ案じていたよりも早くに帰郷できたがゆえに筆のすさびにまかせて問わず語りに徒然なるままによしなしごと。過日、午前3時半頃…小生の携帯電話が鳴っているのを細君に知らされ起こされるままに…夜更けの架電、すわ訃報かと即座に思い当たる節のある二人ほど念頭しながら電話に出ると意外な御方の急逝を知らせるものでありしばし呆然。父方の叔父の訃報であった…死因まで問う余裕なく電話を切りまんじりともせぬ夜を過ごして明け、旅支度となる…自ずと肉親間の密事が絡む故委細書き立てる訳にはまいらぬため順不同で障らぬ限りで点々と綴られるのは単純に小生の手癖の悪さに尽きる…思い起こせば…何かと含むところのある吾が血族親族…過去の因縁浅からず陰に顕にいさかいとわだかまりが解消されぬばかりか積年の煮凝りのように変質しながらより頑なに関係性を決定づけているものだから表向きこうした折には大人の対応がこなされども…この者はその者を嫌悪しあの者はかの者を嫌悪する嫌悪関係が毛細血管のように組み合わされる過去から地続きの怨恨冷めやらぬ恨み骨髄慇懃無礼の静かな地嵐の態…どこの家族も一皮むけばその内実たるや似たり寄ったりとも思うが…そんな中にあって唯一、誰からも好かれる陽性の、人当たりのよい好人物であった叔父の急逝は自ずと吾が眷属の均衡が崩れる確実なる変化を齎すは必定であった…皆それぞれに寄る年波に襲われて劇的なる波瀾はなかろうが静かなる袋小路にそれぞれが辿り付く大きな一押し、もともと不安含みの生活が一層窮屈に追い込まれる、決して明るくはないケ・セラ・セラ、なるようにしかならぬこの人生への逸早い諦念くらいがぎりぎりの希望であった。話は飛んで火葬を終えて葬儀屋へ戻る車中、息子に先立たれた祖母の繰り言は詮無いばかりで応答する者もいず、元より何かと個別的人間状況の繊細な処に無神経な言葉をずけずけ投げ込んでくる癖が年を経る毎に直接的になるばかりか物忘れと認知症を往還するうちに数少ない近親からいなされるのがますます繰り言を長引かせる…方言キツメだから言葉を直して要約するに「家に居てもいい事も悪い事も無い、うれしい事も腹立たしい事も何にも無い、外に出るのも億劫だし、二人でいたころは楽しい事も腹立たしい事もあったけれども、独りだとうれしい事も腹立たしい事も何にもない、近所はいつも静か、近所の子供らの声も数年前に途絶えたし、老人すらも減って訪ねてくる人もこちらが訪ねていく相手もいない、みんな死んでしまって…代われるものだったらかわってあげたかったよ、でもこればっかりはね」といった事…祖母は数年前に祖父を亡くして以来独り暮らし、同じ県内に住む叔父がちょくちょく訪ねて様子を見守っていただけに、その叔父、即ち息子にも先立たれ、この状態ではこの先ますます孤独を託つこと是必定、その叔父の兄は遠隔に住むゆえに叔父ほど頻繁なる訪問は現状では難儀…残された者たちがそれぞれの立場で何かしらの決断を迫られるだろう…叔父のこれまでの役割の大きさがこの事だけでも際立つがそれに加えて、叔父の妻、即ち小生の義理の叔母は…数十年前から更年期障害をこじらせて鬱病になり心身不安定でふさぎ込みがち、目下入院中だが葬儀にだけは出席という危うい状況、その微妙なる心の病は踏ん切りつかず細く長く長引いて今に至り…叔母は叔父に物心ともに頼りきり、就職したこともなく子もなく、口さがない祖母から何かといびられ離婚騒動に発展するほどかき回された時期もあったと伝え聞く…叔父はそんな叔母の全てを受け止めて愛していた事もあって叔母の落胆と憔悴は他人の推察にあまるもの、とりわけ更年期障害をこじらせて云々という事に親族間では通説しているが本当はそれは最後の一押しに過ぎず事の発端はもっと根深い日常に地続きの暗雲にあると思われるがその暗雲は何かを結局他人でしかない者が憶測で社会通念を振りかざして好き勝手囃し立てるのはあまりに人道に劣るゆえ小生でさえ慎まれる。焼香後に泣き崩れる叔母、読経前に泣き崩れる祖母、読経が佳境になり真似しやすい単調な調子になると真宗特有の言い回しで南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と坊主の念誦に唱和し参列者の涙をさそう祖母などがフラッシュバックされるが…叔母は葬儀が終わり次第また入院するらしいが…叔母の独り言…これからまたマンションに戻った時にいよいよ独りになるかと思うとぞっとする…、私名義の銀行口座に26円しか入ってないんですがこれからどうしよう…。差し迫る金の話、叔父の兄は叔母のその手の問題をすべて叔母の弟夫婦にまかせようとして相撲で言えば土俵の外に寄り切る感じに、これを機に縁遠くなるだろう事を現実化させる。傍目にもしっかり者の弟とは性格が合わぬしここ十数年は疎遠であったのにそんな弟夫婦の世話になるしかない状況への不安を口にする叔母。本葬の朝、遺骨を自分の家に持って帰る、〇〇さん(叔母の事)はすぐ入院するのだし、お寺さんにお経読んでもらわないと△△(叔父の事)がさみしがる、と、祖母が言い張り、遺骨を、叔父叔母夫妻が住んでいたマンションに持っていくことを拒むのへ、叔父の兄がそういう問題じゃない、遺骨は叔母のマンションに持っていくのが筋、と言い聞かせる一悶着もあり…集骨の際、祖母が遺骨の一カケラでもほしがるのを冷淡にいさめて許さぬ顛末もあり、それでも場は何か決定的な無関心におさまるのだった。叔父の兄からすれば祖母が息子の遺骨を毎日拝んでいたらこの先認知症の進行が早まるのではという危惧ゆえであった…いろんなことがある。鬱病が囁かれるようになった叔母と、祖父の葬儀の時に初めて再開した時、叔母の表情が、小生が会社の中で何人も遭遇した事のある鬱病の人の表情の特徴を備えたものになっており、納得しつつ空しい衝撃を受けたものだが…眼の奥行が失われてどこか表情筋がだらんと弛緩し、肉体はともあれ心がしわくちゃの紙みたいに乾いた印象である。かつては幼心に若くてきれいなお姉さん的存在だったのがこうもなろうとは。しかし小生がこたび戦慄したのは…火葬が終わって葬儀屋の、親族控え室に供された畳敷きの広間に戻った時…小生の一族と叔母の実家の一族らが合計十人程度立って居るところへ、やおら叔母があたり構わずスルスルと喪服を脱ぎだして上半身裸、痩せて背骨と肋骨のゴツゴツしたバター色の剥き出しの背中が鮮烈に小生の記憶に残ったのであった。もともと羞恥心の無い御人だったのかそれとも心の病のせいなのか余程喪服が嫌だったから一刻も早く脱ぎたかったのか解釈はどうでもよいが少なくとも椿事ではあった。普段着に着替え終わった叔母は日本企業の技術研修にこき使われるアジア人のように垢抜けない服装であった。小生も含めて皆、何事も無かったかのように黙って目を背けざるをえない。定年を間近に控えて、これからゆっくりと、心に不調をきたした妻と向き合える日々が送れると願っていた矢先の急死…叔父の無念いかばかりぞ。ビール一口で顔を真っ赤にしながらそんな事を云っていた叔父の笑顔を思い出しては悲しみが…小生如きに言葉が見つかろうはずもない。死因は膵臓がん、メガ病院に入院して2週間で亡くなったとか、2か月で亡くなったなど情報が錯綜しているがいずれにせよあまりに急な事態である。葬儀には、込み入った金の話に対応できる仕切り役の親族はいないか人を見定めながらうろちょろする保険屋も参列客に紛れて暗躍しつつ成り行きで御焼香している。浄土真宗本願寺派の坊主の読経はどこかぞんざいでビジネスライクであった。法話も無し。最後の方はいわゆる巻きで読んでいるのが丸わかり、かなりの早口でコメカミに血管浮き上がらせつつ力任せに誦するばかりでどうも肉肉しくスキンヘッドが照かるばかり、…後で聞くと、本葬の読経に初七日の読経もセットにしてやってもらっているとのことだった…そうした不信心な遺族の要求に内心憤っていたのかしらん。読経前に控室にあいさつに行くとタバコをふかしていたガラ悪系住職。遺族は遺族で喪主の叔母が心身不安定で初七日も四十九日法要も無理と踏んでのお願いだったのである。組織人として会社人生を全うした叔父の葬儀には会社の会長社長親子も出席、読経前に鹿児島銀行とどこそことの合併云々といったビジネスの話に余念がないのを小生聞き耳立てる。思うに…実際に実行できるかどうかはいざ知らず今は意気盛んに宣言するくらいの愛嬌は許されようが、己の問題として引き付けるならば…己のなすべき事があるうちは精一杯生きてやるが、己自身が決断した、己のなすべき事がなくなった暁にはさっさと自決したい、無駄にずるずる長生きしたくないものだ、と痛感する。己のなすべきことを、職制や家族制などの社会関係などに依存して独断できない者が結局、むやみやたらに命に執着して長生きしたがり未来永劫の一族繁栄を願ったり狭量なる独善の結果他人の生き方を自分の思い込み通りに御する事を企んで失敗してはヤキモキする惨めと自堕落に陥ると推察する。無論、己のなすべき事を独断できる者とできない者とでどちらに価値があるとかいうつもりはないしそもそも独断とはそうした関係性を断ち切る事なのだから云々することは無駄であろう。それと、己のなすべき事をしっかり見据える小生にしてみれば最終的に天涯孤独、話し相手が皆無になってついには声を失おうともどこか平気でもくもくと己のなすべき事を誰に頼まれるでもなく進めるだろう、という妙な確信が、自分にとって恐ろしくないというのが不思議に恐ろしいという事もあって…自分と云う人間の、創作に徹しうる人間の、非人情の心が小生の中に無能にも恬淡と、情緒的な迷妄を突き放して存在している…(漱石の「草枕」でいうところの「非人情」なのだろう)いささか筆が滑り過ぎた。もとより他言無用の身内の恥、広く見渡せばありきたりな俗事の顛末に過ぎぬが、無用意な他言は慎まれる事を、親愛なる読者諸賢におかれては信頼するがゆえの筆のすさびにて候。とはいうものの…達観などしていない、問題は他人事でもなく深刻、どうにかせねばと焦れば焦るほど泥沼の…なすべき事を為し終えるまではやっぱり天涯孤独はきつい、などと途端に錯乱する。

いやあ、今週の黒田官兵衛も面白かった。関ヶ原に向けて回を追うごとに面白くなる。家康と如水の腹の探り合いがスリリングであった。正則、清正、忠興、長政などの武断派による三成襲撃事件ほど燃えるものはない。今週末は「へうげもの」の新刊発売、リーガルハイのスペシャルドラマと、楽しみな事が続く。マッサンはほとんど見ていない…朝からピン子がきつすぎるし、主演女優の面立ちが若かりし頃のベニシアにしか見えないし、中島みゆきの歌も経団連のコマーシャルソングにしか聞こえないからムカつくばかり、ウヰスキーには罪はないのだけれども…。

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今週休載

緊急事態があったため今週11月16日は休載いたします。次回は11月23日です。

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隠岐の旅 第二回

何か心ゆきが梗塞した、先端の麻痺したこの感覚この心のもどかしさが…浅い呼吸しか出来ず、深く吸えない息苦しさもまた、閊える。赤茶く錆びついた抜き身の日本刀を往来でぶんぶん振り回したくなるどころか心の内ではとうに腹巻一つで寒空の下、殺伐とした心情が夜道を運転すると、アスファルトと空力抵抗に挟まれてますます研ぎ澄まされる感覚の切っ先は硬く脆い…素通りする経験、目星つけたはぐらかし、空しい発作、息が浅い。長続きはしない。文化は土地の意志であろうか。文化は土地の生命体であろうか。あらゆる事物の「出入り」を仮説的に規定する「膜」…内部と外部を穏便につなぐ細胞膜のような…この状態の出入りの抵抗を中とするならば、この出入り抵抗力が極大なのが壁、出入り抵抗力が極小なのが道、となろう…。道、膜、壁。イラつき、衝動、不発、鎮火。煤。関ジャニの顔とか、殺されそうになってでも二度と見たくはない。いつのまにか赤瀬川原平氏が亡くなられていた。ネオダダや路上観察の嚆矢としての活動は元より、小説家、尾辻克彦としての作品も愛読していただけに、改めてこれまでの業績を顕彰したいものです。「父が消えた」、「雪野」、「贋金つかい」など、折に触れての味読玩読に耐えうる、いずれも傑作です。盟友秋山祐徳太子氏は彼の死をどのように捉えているのか他人の慮りなど排すべきなれど、鎮痛御察し致しますれば。厭厭ながら目当ての商品があるから行かざるを得なかったメガモールは祝日景気で超満員どこもかしこも三世代ぞろぞろ、中には小奇麗なメガモールの内装には場違いな、山谷か西成風情で何故かそこらでズボンを脱ぎ出し縞模様のパンツ剥き出しの翁の出現という望まぬ多様性もありながら(望んでいるが)、更には、奥まったトイレ地帯の中では最もメイン通路に近いからか車椅子用トイレに駆け込んだ火急らしき熟年氏が取る物とりあえずズボンを脱いで洋式便座に座ったものの扉を閉め忘れ、しかし身障者用のトイレ個室だから広くて便座に座ったままでは扉に手が届かない、しかしながら不幸な事にちょっとやそっとでおさまりはしない己の脱糞の長続きで身動き出来ないから己の脱糞を、モールに集う老若男女に公開する破目になっている馬鹿げた椿事の最中で半ば自嘲気味にその熟年氏は脱糞を途切れなくしながら「誰か閉めてくれよ」とブツクサ呟くがきまりが悪く不貞腐れた表情を示す当の本人が脱糞中とあっては誰もが見て見ぬふり聴いて聴こえぬふり、遣る瀬無い公開脱糞は今しばらく続くのだった。午後2時過ぎても食い物屋は長蛇の列、そんな中で大抵空いている(創価)学会系列の饂飩屋に、やり場の無い怒りを籠めつつ入店し食っているとエンドレスで流されるBGMはこの国の童謡…幼児退行の孤老を集めた介護施設の末期状態のような童謡垂れ流し饂飩屋に毎度の事ながら辟易、此方も早々痴呆に成りかねぬ、と、胸糞悪くて想起したのは、ついさっき、テレビで、三丁目の夕日的な昭和懐かし高度経済成長での暮らしの悲喜こもごも懐古趣味番組を見ていたらまた痴呆になりそうな気分になったからであった。西岸良平氏には何の罪も無いが…。ひた迫り冷めやらぬ不安が己の肺と心臓を冷たく握り締め潰しにかかる…気忙しい浅い呼吸と潰れそうな動悸を伴う刺々しさを鎮めるには今週の鑑定団二本立てをじんわり思い返す事くらいしかなく…(省略)それでも今朝はなぜか、汚水をたっぷり含んだ雑巾がきっちり搾り切れたように、眠気がすっきり切れた目覚めという僥倖を得たのであった…濃い目のウヰスキーの水割りの御蔭かしらん。

 ※写真など掲載されていますがなにぶんネットデジタル社会の事ゆえ、それが事実であった事の証明にはならぬ事云うまでもありません。

※分かりやすく云いますと、以下の、これから書かれる事は全て虚構です。

さて、旅の続きである。隠岐諸島は島根沖北方60kmほどの距離、太古の氷河期では本土と地続きだったが今は暖かい対馬海流が横切る日本海の離島である。大別して島前と島後。島前は、地図を一瞥して了解されるようにこの地の地形形成を担ったカルデラ火山を彷彿とさせる具合に三つの島がかつての火口をぐるりと廻るように大方円弧状に配置されている。知夫里島、西ノ島、中ノ島である。島後には殊更島名は当てられず専ら島後、もしくは行政区名として隠岐の島町と呼ばれる。地質と地形の見所は専ら火成岩質とその断崖絶壁の威容に終始し植生にも珍種の多岐に洩れぬ。産業は離島の宿命にして自給自足は余儀無く、沿海の豊富な魚介のみならず自活のための耕作、加えて牧畜が盛んであり近年では隠岐牛としてブランド化の波にも乗る。観光業の実態についてはこれから自ずと詳らかにされるであろう。政治的にはいずれも古来より、対馬や五島列島、佐渡などと並び、大陸から日本本土へ渡る文化文物の中継地にして要衝の地であった。王権樹立後は国府、別府を供え国分寺のみならず島固有の神話的事情に基づいて諸諸の神社仏閣と伝統芸能祭祀を抱える古刹銀座の態を示しており、政治的には流刑の地に供される。殊に隠岐諸島には貴族内部での政変や新興武家勢力との抗争に敗れた天皇上皇の類の遠流先として貴種流離譚、地元に残る伝説や遺物、痕跡に事欠かない。此度の旅の目的を先行で云ってしまうと、主として二つである。一つは、古代史原初の産業革命にして隠岐諸島産の黒曜石を入手する事。もう一つは中世最後の突破者後醍醐天皇の史跡を廻り往時を現地で考察する事、である。そのように目的が設定された小生の内的事情についてはおいおい詳述されるだろう。


宿までの道のり

船酔いによる嘔吐を堪える堪え難い苦痛をついに耐え忍んだ小生がまず上陸したのは島前、西ノ島の別府港である。ちなみに日本各地に所在する「別府」という地名は、律令制時代に遡れば「郡」の役所が置かれた処の意味である。その上位の「国」(出雲国、因幡国、等)の役所は「国府」となろう。島後の隠岐高校の修学旅行生とはお別れできたが、忌忌しく思っていた団塊団体旅行もフェリーから別府港に降り立ったのに臍を噛む思いがしつつ、何かしら全身が搾り取られたへろへろ感で港を出る午後5時過ぎ、近隣の商店はさっさと閉店、団体客はさっさと送迎バスに突入した後は、どうにもざっくばらんとした寂しい静けさ、入り組んだ湾内のちゃぽちゃぽした波音のみで人気は無い。軍嚢から、予めプリントアウトした地図を取り出し、当日の宿を目指して海沿いを歩く…民宿と旅館の中間クラスの建物の質らしき旅館に到着。外観内装の木造くたびれ具合からして築40年以上はありそう、たまたま玄関に居合わせたらしき、この旅館を家族経営している家族の一員のジャージ姿で寛ぐ娘に部屋を案内してもらう…トイレは各部屋にあるだけ上々、風呂は共同である。往時の煙草臭が饐えてきつくて肺病病みの客だったらかなり堪えるだろう和式トイレである。一泊二食の予約である。一時間後に夕飯を呼びに来ると云う。部屋の内装を観察する…月並みな表現だが、「日本の原風景」という言葉を主題としたくなるしつらいである。即座に目に付いたのは、ごりごりに主張する床柱の根元にこびり付く血痕と思しき飛沫の痕跡である…触ってみると蝋状に固着して容易には払拭しきれぬ…


床の間の蝋状の血糊

思うに…ほとんどとち狂って過剰なくらいにかまびすしい社会状況としての「日本礼讃」という昨今の異様…テレビをつければ寝ても冷めても日本礼讃、白人に日本を誉めてもらう番組続出、日本よいとこ、日本のおもてなし、日本人は礼儀正しい、日本人は世界でこんなに頑張ってる、日本の技術は凄い、日本人の気配り、ジャパンブランド、マッサン…総じて、最早事態が此処まで至ると、常軌を逸しているとしか思えぬキチガイ沙汰である…あげつらわれる個々の事例を否定するつもりも無いし事実もあるのだろうが少なくとも数年前にはこうした翼賛現象は無かったのは確かだ、そうすると、社会の底流での何かしらの変化がこうした現象となって歪に現れていると考えるのが自然だろう…過剰なまでの自国礼讃は暗に他国への蔑みと不信と恐れを前提にしたもの(遅れてきた帝国主義、武力で脅して隣国から欲しいものを強奪するゴロツキ国家中国)、その帰結は独善的で偏執的で狭量で冷静な思慮を排除するいきり立ったナショナリズムと異物排除の統帥的自滅である。その歴史の前例は戦時中の、大逆事件、治安維持法、プロレタリア文学検束後の、「近代の超克」座談会を分水嶺として一挙に傾斜した「日本浪漫派」の勃興を思えば済む話であり、…世相の統帥状況の指標として「日本礼讃」ほど顕著なものはあるまい。マスコミの耳目を引き付ける少量の上澄みの泡立ちに過ぎぬ日本礼賛の事例などはいずれその深層の流れたる大部分の日本人の実相に溶け去るだろう…少なくとも小生の知る現在の日本人とは…組織内での立ち回りに汲々する者どもは天皇制に見習って責任不在の玉虫詣で、組織の既得権に預かれぬ下層階級は経済から吹く変化の風を忌み嫌い大勢を見ずして己の小さな職制に引き篭もる旧態依然の頑迷固陋の怠惰癖、自然の中での人間の振る舞いには意志しか存しない事を忘れ、いかな先端技術であれ所詮技術の根幹は人間の野生の勘、強烈な意志に優るものはない(ここではその詳論は省くが)、その本質を忘れ徒な標準化明文化を頭ごなしに進める結果、いざという時、の技術的羅針盤を示せる野生の勘=意志が働くはずもない官僚的プレゼン上手技術者が育つばかりでいざって時にはものの役には立たぬ、これが現実だ。ちょうど今、民放では中国への悪口映像番組、その裏返しでNHKでは日本礼賛「ジャパンブランド」番組やっているよ。そつなくまとめたプレゼン上手の事例紹介如きに現実は存在しない「ジャパンブランド」、上から目線で他国の人を小馬鹿にする映像垂れ流しにも現実は存在しない「世界衝撃映像」。


旅館の床の間

少なくとも小生が知る現代の下層の、即ち多数派の日本人は…とりわけ日本の「おもてなし」とやらの先兵に率先するのは日本「旅館」なのだろうが…しかし、現実を見よ。無論、一流の、「加賀百万石」みたいな三ツ星旅館はそうした「おもてなし」の見本の具に供されるのだろうが…この国の地方の端々に棲息する民宿だとか家族経営の旅館だとかの実態は…盛んに吹聴される「おもてなし」などといった建前が無効の、剥き出しの実態こそが点在するのである。まあ、要するに、これが人間の当たり前の自然の姿とも取れるが…そんなに「やる気」はない、おもてなしおもてなししてない、がつがつしてない、なりゆきまかせに古びてゆくが客が来れば昨日と同じ今日の飯を出す、といった手合いなのである。こうした気付きは何も小生を初として帰するものではない、それこそ先日亡くなった赤瀬川原平/尾辻克彦氏の超芸術トマソンや都築響一氏の「珍日本紀行」「tokyo style」などによって紋切り型の日本文化の底流で庶民に根付くこの国の怠惰で居心地の良くそしてずぼらで愉快な生活実態という異議申し立ての烽火が挙げられたのであり…(省略)


宿の玄関先…マッサージ機、卓球台、甲冑、鷲の置物、提灯、魚拓、木魚、演歌歌手ポスター…近くのソファには宿を経営する家族の娘がジャージで夜半までだらだら寛ぐ。

それはさておき、部屋の床の間をつぶさに観察する。「この国の現在の原風景」がある。6畳和室の床の間に、こうした旅館にありがちにも、まず、テレビがどかっと設置されている。加えて、有料赤電話、貴重品用の金庫。そして、プリント地の一富士二鷹三なすびの掛軸にゴミ箱、最近では遺品系リサイクルショップで埃を被るが落ちの、粗雑な造りの謎の置物、という風情。数寄文化発祥の室町期に成立した書院造の床の間が、いわゆる上流文化の最たるものが…時が流れて、庶民の成り行きまかせに至って、テレビを置かれるは金庫を置かれるはのやりたい放題、この無神経、この節操の無さ、この生活優先感覚、この雑多感、この出鱈目、この面白さ。床の間に唐物飾って悦に入っていた足利義政公などが見たらさぞや驚愕するしつらいであろう。小生が案内された時には、薄く、湿った蒲団が既にしいてあった。観光旅館や一流旅館のように、客が飯ないしは風呂の間に仲居さんが蒲団をひく、といったおもてなしは此処にはない。合成樹脂製茶櫃に仕込まれた茶道具で煎茶を啜りつつ甘く煮た昆布のような菓子を食みながら(常滑焼の急須は思いの他使い込まれて艶を出している)、かような鑑賞していると、飯の支度が出来た事を知らせる館内放送がかかる。従業員が知らせに来るのかと思っていたが、思わぬ効率化に驚くも、特に悪い気はしない。そんなもんだろと思っている。あちこちからどたどたと階下に下りる木造の音が聴こえる。急須の湯きりが悪く、碗に注ぐ際に零れた煎茶液で座卓はべちゃべちゃ。

大広間の座敷に入ると…厚かましさと人懐っこさを混同した押しの強さが売りらしき、田舎の婦人服店にあるような独特な感性の派手な婦人服を着た女将(妻兼母親)から差配されるままに席に着く。正面の、床の間を大ぶりにしたようなステージを正面にして、横長机一つにつき客二人が横に並んで座るようになっている。そうした横長机が合計6つほどある。客はだから12人ほどである。皆、早々と備え付けの浴衣に着替えているが、…小生以外の客層は皆、老いた男の一人旅、といった風情である。翁や熟年男たちが黙って俯いて食っている。正面の巨大テレビの音量は不様にデカイ。いきなり見知らぬ他人と袖擦れ合うほど横並びに座らされたために、変な緊張感が会場いっぱいに漂う中、女将が何かしら張り切っている感が悪目立ちしている。料理は、もう逐一覚えていないが各人に、固形燃料つきの小鍋が二基(厳密には一つは白身魚と茸と白菜を醤油ベースで煮る小鍋、もう一つは豚肉とレタスを敷き詰めた蒸し器)設えられたのを中心に、小振りの鰈の焼物、刺身(貝多し)、味噌汁、牡蠣フライ、香の物といった取り合わせである。女将に生ビールを頼む。腹は激減り、まずは腹に飯を入れたい小生は飯を探しにあたりを見回すと、広間の中央に業務用の大型炊飯器が。飯はセルフのようだった。鰈の焼物の身は干物のようにかちかちに固く、何とか箸を刺す無作法に甘んじて身を毟った所で身はあまりない、それほどの小物の鰈であった。名物と知らされたイカの刺身はおろし生姜で頂くが、身は真っ白でねっとりと口内に張り付き、本土の、魚介のレベルが低い地域とさほど変わらない。透明で、細切りした断面の角がピンピンに立つ新鮮なイカの刺身を期待したが旬でなかったのなら致し方ないと思う。船酔いの影響で体が万全でないためかその他の料理もさほど美味しくは感じられなかったのは残念であるが、満腹にはなった。貝類の刺身だけはコリコリに旨かった。酒だけは無闇に旨く、補修中の設備のナットを増し締めするようにグッグッとビールを喉に流し込むが…と、かように小生が内省を深めていた所へ、同じ横長机の、小生の隣の、浴衣の、団塊世代の熟年男氏が、他人との間の沈黙の気まずさに耐えかねたのか、小生に話しかけてきたのである。

気付くと、周りの客も、酒が入ったせいか、隣人との会話を始めているささやかな賑わいを呈していた。しかしその頃の小生は己の内省を研ぎ澄ませながら、正面の、「この国の原風景」の最たるものとの邂逅と、がっぷり四つに組んで、他愛無いとはいえそれなりに思索を研いでいたのであるから、正直いって、話しかけられるのが煩わしかった。先方がしきりに、小生がどこからきたのか、明日はどうするのか、といった、通り一遍の質問をする度に、小生は一言で済ませ、会話の種火を悉く鎮火せしめつつ本土から持ち込んだ小生の荒んだ魂、やり場の無い憤りが尖鋭化した果てに心の中で唾棄した言葉とは…小生の身勝手な妄想も含まれるが「おい、いい加減、僕に構うな、じゃれるな糞おやじ、てめえの生温い旅情に僕を巻き込むんじゃねえ、定年後の自分探しと僕の切迫した問題意識を一緒くたにするんじゃねえよ、いい年こいて己のなすべきこともわからねえのか、定年ごときにうろたえて自分探しに四苦八苦、隠岐くんだりまで自慰しに来たとはみっともねえったらありゃしねえ、ボケかてめえは」といった、西村賢太風の口調の悪罵の絶叫であって…

大広間の床の間

そうまでして小生がその時に夢中になっていたのは…往時の繁栄を忍ばせる大広間の正面の床の間形式のステージ的小上がりに…まずは馬鹿でかいデジタルテレビ大音量、そしてこれも往時を忍ばせる巨大な、今では使われやしないカラオケセット、そして郷土特産の巨大凧と、欅(けやき)の刳り物の大盆(今だと10万円は下らないだろう)、どす暗い恨みをひっそり滲ませる般若の面や、おどろおどろしい緑釉と灰釉がどろああっと流し掛け競う、突起がごつごつした異常なる花器、焼き締め壺に百合の投入れ、鼓、書の掛け軸といった取り合わせであって…この無造作趣に激しく興をそそられ、目が釘付けになっていたのである。


大広間の床脇

床脇の風情も荒々しくてよい。この大広間を埋める分には足りぬかも知れぬが今となっては過剰に多い座椅子をどどどっと重ね置きするのは、激しい大地変動による断層の褶曲を思わせるし、その背後の違い棚や地袋の上には動かない置時計や五円玉の宝船、布袋様の木彫に、なんちゃって円空仏、獰猛民芸急須、などの激しい無造作趣があるのである。堪能したのであった。熟年氏より早く飯を切り上げ、温泉ではないがボイラーで沸かした湯を常時流し掛けの共同風呂は運よく小生一人でのびのび疲れた四肢を伸ばし、家では見られぬから貴重な衛星放送の鉄道ものを満喫したあと、眠りについたのである。わずか一日で、思えば遠くにきたもんだ、と浸る間も無くくったり昏睡する。明日は西ノ島の景勝第一、国賀海岸を廻るだろう。


朝、宿の窓から…捨て置かれたポンプ系設備。奥に見えるのが港。天気はよさそうだ。

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隠岐の旅 第一回

もう年の瀬、暮れも押し迫り…年末気分で正月まではやる気無い消化試合の態だからして…嘘か真か知らねども、虚実皮膜のあわいを縫って、隠岐の旅路に誘い誘われ一人旅、これから綴られる紀行文、元より過去のものとも未来のものともつかぬ創作虚構の懸念免れぬ類である事読者方々におかれては固く肝に銘じて頂きたく存上候由、酒にほぐれた深秋の調べに言祝ぎ言祝ぎ九十九折。出し抜け捏造の旅行記此処に有り。結局行きもしなかった可能性が殆どの隠岐諸島への旅日誌はそれこそ奥の細道の虚構性をも上回る作り話にさもあらん。

※写真など掲載されていますがなにぶんネットデジタル社会の事ゆえ、それが事実であった事の証明にはならぬ事云うまでもありません。

※分かりやすく云いますと、以下の、これから書かれる事は全て虚構です。

某月某日、午前6時10分起床。積年の期待と不安による意識の紅潮により例によって寝つけず…浅怠い頭痛に容赦無く切り込んで毎度のことながら癪に障るデジタル時計の目覚まし電子音がピピピピッと鳴る、その冒頭のピの半分程の間合いで時計を叩き付けて徹底的に黙らせ、目覚まし能力を解除せしめる。腹は激減り、朝食用に前日買い込んだコンビニおむすび3ヶを貪りつつ、小生と同格に寝起きの悪いパソコンを立ち上げ…旅装束整え終わる頃ようやくパソコンがこちらのいう事を効き始める…毎日6時半に公表される事も事前の調べで承知しているので、少し待って6時40分に隠岐汽船のHPを開き…今日の運行状況を確認するのであった。周辺海域の波の高さは4~5m、高速船は全便欠航、しかし小生が乗船予定の、境港発のフェリー「しらしま」は予定通り通常運行との事。折悪しく、前日から低気圧と前線が西からせり上がり風雨が強まっていたため、出航が危ぶまれたが現時点では予定変更を余儀なくさせる情報は無かった。万が一船が出ないならばその日は松江に投宿し、次の日松江の七類港から再度隠岐諸島への上陸を試みる予定であったが、もしそうなった場合、その日中に隠岐に到着して宿泊予定であった宿をキャンセルせざるを得なくなり、これも離島特有の事情に乗ずる一種の儲け口なのか知らんが多大なキャンセル料をふんだくられる事になるのであった。しかし現時点では計画通りに進めるしかない。旅先で買うと高いので予め酒屋で調達済みの、税込で1本62円の激安500mlペットボトル茶を3本仕込んだリュックサックは軍嚢のように重く両肩に食い込むのに既にして途方にくれながら…なぜならば日程が過ぎるほどに荷が減って軽くなる可能性があるならまだしも、大抵の自分の旅の場合、旅が進むにつれてこの軍嚢が荷重を増すのは分かりきっていることなのだから。数日分の下着と時刻表と常備薬と髭剃りと耳かきとピンセットくらいしか入ってないのに何故こんなに重いのか分からない。げっそり項垂れて無表情の、塗り壁のような通勤客が吸い込まれたり吐き出されたりする経済の呼吸の合間を縫うようにして最寄駅から某国鉄駅に下車、その駅の新幹線口横のホテル付近に高速バスのバス停がある…無性に気が逸った報いでバスの出発時刻までまだ30分ほどある…天気は悪い。垂れ込めた雨雲がもりもり下腹を見せ、氷雨混じりの風がパラパラ横殴りに吹き付けてくる寒さ…雨風凌ぐため一旦駅の休憩室に戻ると熟年団体客が屯していた。活きのいい40台女性の旅行会社の添乗員に切符渡されたり点呼受けたりワイワイしたり、朝8時前に集合するだけで既に疲弊した老夫婦(うっかり手から滑り落ちたペットボトル茶が隣の椅子の下まで転がったがそれを拾う元気も無い…)の気の毒な沈黙などもある団体客のもたついた動きの間隙をぬって椅子を確保し、薄いから今回の旅の友として持参した老子を読む…如何な雑踏でも思いの外集中できる老子の新たな効用に北叟笑んでいるとバスの時間だ。バスが少し遅れ、雨の日は決まって大渋滞する駅前だから朝っぱらからやきもきしていると程なくバスに乗れた。米子行きの高速バスである。予約席に着いて軍嚢を、隣の空席に置くと、途端に激しい眠気に襲われた…。こうした職種の社会的意義は別として、小生は朝が弱いので、苦役の通勤列車風景から、漁業、酪農などの、やたらと朝早い職業への憎悪を想起し、個人的に新たにしながら…。

正午前には米子駅に到着か。故あって幾度か訪問した事があるが、どことなく店舗や人心が荒廃した雰囲気が否めない街である。また空腹に襲来されるも、港の状況を知りたいがため境港線に飛び乗る。乗客の殆どは熟年女性、時折子を抱えた若い女性とその母親と思しき組み合わせである…米子から境港まで45分程の行程だが駅数は半端無い程多く、少し行っては停車する印象である…なぜか、こんなもんなのか団体客の高齢者でぎゅうぎゅう、立ち客びっしりの列車内で…小生うっかり優先座席に座ったためか何となく周囲の爺婆から非難がましい目線を浴びつつ、軍嚢を膝の上に載せて荷重に耐える拷問に耐え忍びながら、これ見よがしに隣の婆が「若いお前が席を譲らぬのが諸悪の根源」という言外の悪罵を添えながら無理やり隙間を作って、立ってつり革に縋る同じ団体客の爺に座らせようとするとその狭すぎる隙間を見て爺は「運動のためだから」と丁重に断ると、近くに、今時珍しく襷掛けの抱っこひもでほっぺが真っ赤な乳飲み子を背負いながら両手に白菜丸ごとや大根といった重量級野菜や肉をパンパンに詰め込んだビニール袋を計4つ、さらに鞄やらおもちゃやら兎に角荷物が多すぎるほっぺが真っ赤な豊満の女性が「もうすぐ降りますから」と爺に席を譲る、といった場面があったにも関わらず小生は優先座席を譲る事は決してしない、なぜならば座席に座る事へのこだわりが人一倍強いという自負、何が何でも座るという意志は生半可なもんじゃないという強烈な意志で以て座っているのであって殴られて負ける事でもない限り譲る気はしない、それにこの重すぎる軍嚢…小生は軍嚢を、他人が土足する床や地面に直置きするのは我慢ならない最低限の潔癖ラインがあって、網棚は天井すれすれ過ぎてこの肥大化した軍嚢は押し込めない、しかし立って背負うのはこの汗牛充棟では無理、立つとしたら前で手で持ってぶら下げるしかないがそれは手が千切れるほど辛い、だから座って膝の上に載せるのがこの場合のベストなのであって、といった並々ならぬ手前勝手な意志があるから高齢者団体客の譲れ圧力如きに屈する事はなかったのである。あつぼったい曇天、びょうびょう風に吹かれる、沿線の葱畑を眺める…。

蠅眠る婆の乳首に布ごしに

背高の毛並みは悪し泡立ち草

ようやっと境港駅に午後1時半頃到着。小雨なれど風はドッフドッフ吹き付けて強い。隣接の港ターミナルに行くと、予定通りフェリーは出航するようだった。波がちゃぽちゃぽした瀬戸内の観光フェリーなぞでは書かされる事はなかったが、隠岐汽船では切符を買う際に氏名や連絡先をきっちり書かされる…万が一の時のためなのだろう、と、後で痛感する事になる。最安2等席の切符を買うと、2時25分の出航までまだ40分ほど時間があるので昼餉に。とは言え悠長に出来る時間は無いので同じターミナル1階で営む回転寿司屋に直行した。すると、小生の動きに釣られたのか熟年団体客の一部がどっと回転寿司屋に流れ込み…言わんこっちゃない悪夢が再編されたのである。境港、という事で俄然ネタの新鮮さへの期待が膨らむが団体客が席を決めるのにワイワイもたついている間に二皿ほど食すに、さほどでもない感じで…基本的に小生が棲息する、魚介が不味い地域とさほど変わらぬ印象で少しがっかり、しかし境港だから少し足を延ばした処にある回転寿司屋はきっと美味しいのであろう、と、諸事情を勘案して致し方ないこの状況を腹に納めている矢先の事…空腹で猛り狂った団塊団体客らは、目ざとくその店の、各座席に設置されたタッチパネル方式を利用し始め、激しく注文を始めたのである…たちどころにコンベアを廻っている寿司は消費しつくされ、廻っていないからタッチパネルでどしどし注文を繰り出すものだからタッチパネルの注文をこなすのに店側は必死でコンベアには寿司は流れない、だから、これまでコンベアで廻っていた寿司を食する、回転寿司のマナーを順守する善良な客までもがタッチパネルで注文を始め、客は店員=人間の状況をじかに観察しながら注文するという古き良き気遣いがタッチパネル方式によって破壊されているのだから、店側は注文をこなせず、今度はタッチパネルで注文してもいつまでたっても品が届かぬという悪循環に陥ったのである。「廻る寿司屋の廻らない営業実態」という、回転寿司の本道を忘れタッチパネルなどという、客の食欲を無軌道にのさばらせる、客に媚びた設備を導入した自業自得の結果ながら、笑えぬ悲劇をまたしても目の当たりにした小生…そうやって客に「食い潰されて」しまった激マズ系回転寿司屋を幾つも知っている小生…生魚ばかり食べて少し揚げ物を、と思ってタッチパネルでカニクリームコロッケを注文するも、15分くらい待った挙句、店員が来て「申し訳ございませんがカニクリームコロッケは時間がかかるのですが」「あとどれくらい?」「10分くらい」、と、注文をキャンセルしてほしげな応対ぶりだったので、時間も無い事だし、キャンセルしたのであった。タッチパネルで「寿司ランチセット」などという、手の込んだものを6人分注文したらしき団塊団体客らが「船の時間があるので早くしてくださいよ」と焦燥露わに店員に声を荒げ、この時点でランチセットをキャンセルすべきか、ならば替わりの寿司はすぐ来るのか云々と客、店員共々揉めに揉めている荒んだ恐慌状態を背中で聴きながら、小生は会計を済ます。「狂ってるよ」と、内心、吐き捨てながら…。団体客らが、所詮それ自体は「架空の寿司」に過ぎないタッチパネルの小奇麗な寿司画像に目を奪われているのを尻目に、回転している寿司を食うという回転寿司の大道を尊ぶ小生が、今その時に眼前に廻っている現実の寿司ときっちり向き合い、平らげたのが、タッチパネル恐慌の呼び水になったかもしれぬが、小生のみが責を負うものではない事は云うに及ばず。

小生が今まで乗った中では一番大きい部類だろう…ひと目では見渡せない程巨大な隠岐汽船フェリー「しらしま」は、境港14:25発、隠岐諸島西ノ島別府港17:00着、それから隠岐諸島島後の西郷港に18:30着の航路である。小生は別府港で降りる予定である。船の中腹の穴に港の2Fから伸びる通路が挿入され…二等席に案内されると大きく3つに区分されたフロアーで、それぞれに絨毯が敷き詰めてあるのみ、雑魚寝席である。しかしながら、右翼側は讀賣旅行社の団塊団体客の予約席でびっしり、左翼側は隠岐高校の修学旅行生80人の帰りと思しき予約席でびっしりとなっており、一般客は中央の雑魚寝フロアーに居るしかない。折からの強風高波で隠岐諸島行き高速船は運行中止だったからであろう、高速船に乗る予定だった乗客もこのフェリーに一筋の希望を見出して流入しており、且つ、両翼は件の予約席で一杯だから、中央フロアもまた乗客でぎちぎち詰めでごった返しであり、文字通り肌を寄せ合いながらとなる。一般客の客層は男性老人の一人旅ばかり、ちらほらスーツ姿のビジネスマンが散見される。後で分かった事だが旅慣れた人は雑魚寝席に着くや否や素早く壁際に陣取り、数の限られた備え付けの毛布と四角いスポンジ枕を速攻ゲットして四肢を伸ばして仰向けになる姿勢を取っていた…他人の目を気にせずおおっぴらに仰向けに寝るのに躊躇した一人旅のおっさんどもと小生は胡坐で座ってテレビを見るが、湾を出てしばらくするとテレビ電波を受信出来なくなり、そして厳しい現実に遭遇する事になる。外海に出た途端、船の揺れ方が尋常でない程耐え難い激しさであったのだ。パシパシ堅そうな雨粒が叩き付け、波頭が白く牙を剝き、悪意や虐待、執着のままに暴力的に揺すられる揺り籠のような激しい横揺れの様は、窓枠内の景色が、全面、海になったり曇天の空になったりする事で恐れを増す。進行方向の揺れはジェットコースター並みの高低差でふわっと体が浮いたかと思うとドーンドーンという、船底に海面が叩き付けられる音と共に確かな重力を個々の客の人体に叩き付けられる。10トンほどの漁船の話ではない。2300トン級の大型フェリーにしてこの揺れであるから、同じ角度で揺れたとしてもその角運動のモーメントの大きさは計り知れよう。はじめのうちは揺れる度に物珍しさの感嘆の声を上げていた団体客や高校生らだったが次第に剥き出しの恐怖の叫びになり更に時間が経つと幾ら叫んだところで詮無く体力を消耗するだけで揺れはおさまりはしない諦めの重苦しい無言が広がり更なる段階だと、所々から…堪えるような呻き声や、荒げる呼吸、嘔吐の予兆であるアクビ音がか細く聴こえるのだった…そう、ほぼ乗客全員に船酔いが始まったのだ。そうすると、胡坐で座っていると頭がぐらぐらして船酔いを増長させるのに体が気付いたのかもう座ってられなくなり、既に人体でぎっちりのフロアに己の体をクサビのように打ち込んで無理矢理横臥するスペースを創出する必要が生ずる。激しい船酔いによる嘔吐感と目眩で天井がぐるぐる回るように見え始めた小生の上半身が思わず土嚢のようにどっさり倒れて仰向けになったその頭はおっさんの股間と爺さんの尻に挟まれている…脚が伸ばせずにいた処を、見かねた、旅慣れた壁際の中年女性が声をかけてくれてスペースを空けてくれたので脚を伸ばせた…客室フロアは、誰しも歴史の教科書で見たことがあるだろう、奴隷船に積み込まれた黒人奴隷の船内配置図のように身動きできぬ汗牛充棟、マッチ箱の中のマッチ棒状態である。おさまるどころか激しさを増す船体の揺れ、客室下に結構大きいトラックを何台も積み込んでいたし、縁起悪い事に修学旅行生も同乗しているから隣国の惨劇を髣髴させて余りある、積み荷のトラックの固定具が外れて片方に寄ったらば転覆は必定…死にたくない、こんな冷たい海で溺死とは死んでも死にきれぬ…と切実に思う中、ついに…フロアのあちこちから、吐瀉物を嘔吐する声とも音ともつかぬものが聴こえてくるようになる…首を挙げて見やると…新参団塊団体客や団塊男一人旅は云うに及ばず、この船に馴れているはずの隠岐高校の修学旅行生の男子女子の一部までもが、嘔吐している。女子は皆、スカートの下に体操服のジャージズボンを履いている。雑魚寝フェリーでの正装とお見受けする。

「オゴッ、オゴッ、ゲエーッ(オロロロロロ…)」ベジャッベジャジャジャジャ。「ゥオエッ、オオッ、カハッ、カハットハッ(ゲロロロロ…)」ジャベジャベジャベべべ。「」は嘔吐時に人から絞り出される声、()内は嘔吐音である。そして見てしまったのは…横臥した老婆が涙目で嘔吐するその、ミミズ色の吐瀉物を、…両の掌で受け止める老人の姿という地獄絵図。咄嗟の事だったのだろう、バスの座席にあるような袋などありはしないから、老婆の夫は、糟糠の愛妻の、ホカホカで湯気立つミミズ色の吐瀉物を、湧水を掬うようにして受け止めていたのであった…例の、「寿司ランチセット」の未消化物の成れの果てかもしれない吐瀉物。腹ばいの老人は床に両肘をついて老婆の口元で掌を丸めてゲロてんこ盛り、止まらない吐瀉物を絨毯に溢れ出させながら、激しい船の揺れで身動きもとれず、船酔いで皆ぐったりしている中手を差し伸べられる乗客は皆無、途方に暮れる老人でしかない状況なのであった…すると、示現したのであった。涙目で吐き続ける老婆の腰の辺りから冬虫夏草のように怨霊のようなものがすっくと伸び上がったのを…赤熱した焼け爛れた腕のように老婆の腰辺りから立ち上がった怨霊の頭にあたる握り拳に残像する悲しみと忿怒の阿修羅表情の奥で、涙がこぼれるのを必死にこらえる涙目の怨霊が小生の肉を噛むように小生の神経中枢に直接送電して真正面から喝して大音声で誦するに…「地獄ぞ…この世は地獄ぞ…この世は地獄ぞ…」と…小生とて念仏でも唱えて成仏させてあげたかったが、小生にしても各方面からむせ返る吐瀉物の饐えた臭いが更なる吐き気を誘発するのをこらえ、船の揺れの度に喉元に何度も黄色く酸っぱい液がせり上がるのを辛うじて飲み下すムカつきとの苦闘の最中の地獄絵図であった…そして…時刻表を枕にして体を仰向けにして、船の巨大な揺れと体の感じる揺れをなるべく一体化させる心頭滅却によって多少は船酔いが軽減する事に気づいた小生は地獄絵図から目を背けるようにして老子の岩波文庫を顔に掛けて光を遮断し集中に徹するしかないのであった…とはいってもこのままでは時間の問題、もう…吐くしかないのか、と、たまたまコンビニで何かを買って運よくゲットしていたビニール袋を口元に当てて、苦しみにうるんだ目を白黒させつつ、えずき寸前の荒い呼吸をしていると…不意に波が穏やかになり、揺れが小さくなったのである…隠岐諸島の湾内に入ったのだ。露骨なまでの安堵のため息がそこかしこから漏れ…フェリー「しらしま」は無事、定刻に隠岐諸島西ノ島の別府港に入港を果たしたのである。吐かずに済んでよかった。船員各位に敬意と感謝をここに表する次第。団体客と修学旅行生がいたから、通常だったら欠航する波の高さなのに無理矢理出航したのではないか、という疑念は拭えぬが結果オーライ。


別府港に入港した「しらしま」

天地に仁あらず。聖人に仁あらず。 老子

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