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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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隠岐の旅 第二回

何か心ゆきが梗塞した、先端の麻痺したこの感覚この心のもどかしさが…浅い呼吸しか出来ず、深く吸えない息苦しさもまた、閊える。赤茶く錆びついた抜き身の日本刀を往来でぶんぶん振り回したくなるどころか心の内ではとうに腹巻一つで寒空の下、殺伐とした心情が夜道を運転すると、アスファルトと空力抵抗に挟まれてますます研ぎ澄まされる感覚の切っ先は硬く脆い…素通りする経験、目星つけたはぐらかし、空しい発作、息が浅い。長続きはしない。文化は土地の意志であろうか。文化は土地の生命体であろうか。あらゆる事物の「出入り」を仮説的に規定する「膜」…内部と外部を穏便につなぐ細胞膜のような…この状態の出入りの抵抗を中とするならば、この出入り抵抗力が極大なのが壁、出入り抵抗力が極小なのが道、となろう…。道、膜、壁。イラつき、衝動、不発、鎮火。煤。関ジャニの顔とか、殺されそうになってでも二度と見たくはない。いつのまにか赤瀬川原平氏が亡くなられていた。ネオダダや路上観察の嚆矢としての活動は元より、小説家、尾辻克彦としての作品も愛読していただけに、改めてこれまでの業績を顕彰したいものです。「父が消えた」、「雪野」、「贋金つかい」など、折に触れての味読玩読に耐えうる、いずれも傑作です。盟友秋山祐徳太子氏は彼の死をどのように捉えているのか他人の慮りなど排すべきなれど、鎮痛御察し致しますれば。厭厭ながら目当ての商品があるから行かざるを得なかったメガモールは祝日景気で超満員どこもかしこも三世代ぞろぞろ、中には小奇麗なメガモールの内装には場違いな、山谷か西成風情で何故かそこらでズボンを脱ぎ出し縞模様のパンツ剥き出しの翁の出現という望まぬ多様性もありながら(望んでいるが)、更には、奥まったトイレ地帯の中では最もメイン通路に近いからか車椅子用トイレに駆け込んだ火急らしき熟年氏が取る物とりあえずズボンを脱いで洋式便座に座ったものの扉を閉め忘れ、しかし身障者用のトイレ個室だから広くて便座に座ったままでは扉に手が届かない、しかしながら不幸な事にちょっとやそっとでおさまりはしない己の脱糞の長続きで身動き出来ないから己の脱糞を、モールに集う老若男女に公開する破目になっている馬鹿げた椿事の最中で半ば自嘲気味にその熟年氏は脱糞を途切れなくしながら「誰か閉めてくれよ」とブツクサ呟くがきまりが悪く不貞腐れた表情を示す当の本人が脱糞中とあっては誰もが見て見ぬふり聴いて聴こえぬふり、遣る瀬無い公開脱糞は今しばらく続くのだった。午後2時過ぎても食い物屋は長蛇の列、そんな中で大抵空いている(創価)学会系列の饂飩屋に、やり場の無い怒りを籠めつつ入店し食っているとエンドレスで流されるBGMはこの国の童謡…幼児退行の孤老を集めた介護施設の末期状態のような童謡垂れ流し饂飩屋に毎度の事ながら辟易、此方も早々痴呆に成りかねぬ、と、胸糞悪くて想起したのは、ついさっき、テレビで、三丁目の夕日的な昭和懐かし高度経済成長での暮らしの悲喜こもごも懐古趣味番組を見ていたらまた痴呆になりそうな気分になったからであった。西岸良平氏には何の罪も無いが…。ひた迫り冷めやらぬ不安が己の肺と心臓を冷たく握り締め潰しにかかる…気忙しい浅い呼吸と潰れそうな動悸を伴う刺々しさを鎮めるには今週の鑑定団二本立てをじんわり思い返す事くらいしかなく…(省略)それでも今朝はなぜか、汚水をたっぷり含んだ雑巾がきっちり搾り切れたように、眠気がすっきり切れた目覚めという僥倖を得たのであった…濃い目のウヰスキーの水割りの御蔭かしらん。

 ※写真など掲載されていますがなにぶんネットデジタル社会の事ゆえ、それが事実であった事の証明にはならぬ事云うまでもありません。

※分かりやすく云いますと、以下の、これから書かれる事は全て虚構です。

さて、旅の続きである。隠岐諸島は島根沖北方60kmほどの距離、太古の氷河期では本土と地続きだったが今は暖かい対馬海流が横切る日本海の離島である。大別して島前と島後。島前は、地図を一瞥して了解されるようにこの地の地形形成を担ったカルデラ火山を彷彿とさせる具合に三つの島がかつての火口をぐるりと廻るように大方円弧状に配置されている。知夫里島、西ノ島、中ノ島である。島後には殊更島名は当てられず専ら島後、もしくは行政区名として隠岐の島町と呼ばれる。地質と地形の見所は専ら火成岩質とその断崖絶壁の威容に終始し植生にも珍種の多岐に洩れぬ。産業は離島の宿命にして自給自足は余儀無く、沿海の豊富な魚介のみならず自活のための耕作、加えて牧畜が盛んであり近年では隠岐牛としてブランド化の波にも乗る。観光業の実態についてはこれから自ずと詳らかにされるであろう。政治的にはいずれも古来より、対馬や五島列島、佐渡などと並び、大陸から日本本土へ渡る文化文物の中継地にして要衝の地であった。王権樹立後は国府、別府を供え国分寺のみならず島固有の神話的事情に基づいて諸諸の神社仏閣と伝統芸能祭祀を抱える古刹銀座の態を示しており、政治的には流刑の地に供される。殊に隠岐諸島には貴族内部での政変や新興武家勢力との抗争に敗れた天皇上皇の類の遠流先として貴種流離譚、地元に残る伝説や遺物、痕跡に事欠かない。此度の旅の目的を先行で云ってしまうと、主として二つである。一つは、古代史原初の産業革命にして隠岐諸島産の黒曜石を入手する事。もう一つは中世最後の突破者後醍醐天皇の史跡を廻り往時を現地で考察する事、である。そのように目的が設定された小生の内的事情についてはおいおい詳述されるだろう。


宿までの道のり

船酔いによる嘔吐を堪える堪え難い苦痛をついに耐え忍んだ小生がまず上陸したのは島前、西ノ島の別府港である。ちなみに日本各地に所在する「別府」という地名は、律令制時代に遡れば「郡」の役所が置かれた処の意味である。その上位の「国」(出雲国、因幡国、等)の役所は「国府」となろう。島後の隠岐高校の修学旅行生とはお別れできたが、忌忌しく思っていた団塊団体旅行もフェリーから別府港に降り立ったのに臍を噛む思いがしつつ、何かしら全身が搾り取られたへろへろ感で港を出る午後5時過ぎ、近隣の商店はさっさと閉店、団体客はさっさと送迎バスに突入した後は、どうにもざっくばらんとした寂しい静けさ、入り組んだ湾内のちゃぽちゃぽした波音のみで人気は無い。軍嚢から、予めプリントアウトした地図を取り出し、当日の宿を目指して海沿いを歩く…民宿と旅館の中間クラスの建物の質らしき旅館に到着。外観内装の木造くたびれ具合からして築40年以上はありそう、たまたま玄関に居合わせたらしき、この旅館を家族経営している家族の一員のジャージ姿で寛ぐ娘に部屋を案内してもらう…トイレは各部屋にあるだけ上々、風呂は共同である。往時の煙草臭が饐えてきつくて肺病病みの客だったらかなり堪えるだろう和式トイレである。一泊二食の予約である。一時間後に夕飯を呼びに来ると云う。部屋の内装を観察する…月並みな表現だが、「日本の原風景」という言葉を主題としたくなるしつらいである。即座に目に付いたのは、ごりごりに主張する床柱の根元にこびり付く血痕と思しき飛沫の痕跡である…触ってみると蝋状に固着して容易には払拭しきれぬ…


床の間の蝋状の血糊

思うに…ほとんどとち狂って過剰なくらいにかまびすしい社会状況としての「日本礼讃」という昨今の異様…テレビをつければ寝ても冷めても日本礼讃、白人に日本を誉めてもらう番組続出、日本よいとこ、日本のおもてなし、日本人は礼儀正しい、日本人は世界でこんなに頑張ってる、日本の技術は凄い、日本人の気配り、ジャパンブランド、マッサン…総じて、最早事態が此処まで至ると、常軌を逸しているとしか思えぬキチガイ沙汰である…あげつらわれる個々の事例を否定するつもりも無いし事実もあるのだろうが少なくとも数年前にはこうした翼賛現象は無かったのは確かだ、そうすると、社会の底流での何かしらの変化がこうした現象となって歪に現れていると考えるのが自然だろう…過剰なまでの自国礼讃は暗に他国への蔑みと不信と恐れを前提にしたもの(遅れてきた帝国主義、武力で脅して隣国から欲しいものを強奪するゴロツキ国家中国)、その帰結は独善的で偏執的で狭量で冷静な思慮を排除するいきり立ったナショナリズムと異物排除の統帥的自滅である。その歴史の前例は戦時中の、大逆事件、治安維持法、プロレタリア文学検束後の、「近代の超克」座談会を分水嶺として一挙に傾斜した「日本浪漫派」の勃興を思えば済む話であり、…世相の統帥状況の指標として「日本礼讃」ほど顕著なものはあるまい。マスコミの耳目を引き付ける少量の上澄みの泡立ちに過ぎぬ日本礼賛の事例などはいずれその深層の流れたる大部分の日本人の実相に溶け去るだろう…少なくとも小生の知る現在の日本人とは…組織内での立ち回りに汲々する者どもは天皇制に見習って責任不在の玉虫詣で、組織の既得権に預かれぬ下層階級は経済から吹く変化の風を忌み嫌い大勢を見ずして己の小さな職制に引き篭もる旧態依然の頑迷固陋の怠惰癖、自然の中での人間の振る舞いには意志しか存しない事を忘れ、いかな先端技術であれ所詮技術の根幹は人間の野生の勘、強烈な意志に優るものはない(ここではその詳論は省くが)、その本質を忘れ徒な標準化明文化を頭ごなしに進める結果、いざという時、の技術的羅針盤を示せる野生の勘=意志が働くはずもない官僚的プレゼン上手技術者が育つばかりでいざって時にはものの役には立たぬ、これが現実だ。ちょうど今、民放では中国への悪口映像番組、その裏返しでNHKでは日本礼賛「ジャパンブランド」番組やっているよ。そつなくまとめたプレゼン上手の事例紹介如きに現実は存在しない「ジャパンブランド」、上から目線で他国の人を小馬鹿にする映像垂れ流しにも現実は存在しない「世界衝撃映像」。


旅館の床の間

少なくとも小生が知る現代の下層の、即ち多数派の日本人は…とりわけ日本の「おもてなし」とやらの先兵に率先するのは日本「旅館」なのだろうが…しかし、現実を見よ。無論、一流の、「加賀百万石」みたいな三ツ星旅館はそうした「おもてなし」の見本の具に供されるのだろうが…この国の地方の端々に棲息する民宿だとか家族経営の旅館だとかの実態は…盛んに吹聴される「おもてなし」などといった建前が無効の、剥き出しの実態こそが点在するのである。まあ、要するに、これが人間の当たり前の自然の姿とも取れるが…そんなに「やる気」はない、おもてなしおもてなししてない、がつがつしてない、なりゆきまかせに古びてゆくが客が来れば昨日と同じ今日の飯を出す、といった手合いなのである。こうした気付きは何も小生を初として帰するものではない、それこそ先日亡くなった赤瀬川原平/尾辻克彦氏の超芸術トマソンや都築響一氏の「珍日本紀行」「tokyo style」などによって紋切り型の日本文化の底流で庶民に根付くこの国の怠惰で居心地の良くそしてずぼらで愉快な生活実態という異議申し立ての烽火が挙げられたのであり…(省略)


宿の玄関先…マッサージ機、卓球台、甲冑、鷲の置物、提灯、魚拓、木魚、演歌歌手ポスター…近くのソファには宿を経営する家族の娘がジャージで夜半までだらだら寛ぐ。

それはさておき、部屋の床の間をつぶさに観察する。「この国の現在の原風景」がある。6畳和室の床の間に、こうした旅館にありがちにも、まず、テレビがどかっと設置されている。加えて、有料赤電話、貴重品用の金庫。そして、プリント地の一富士二鷹三なすびの掛軸にゴミ箱、最近では遺品系リサイクルショップで埃を被るが落ちの、粗雑な造りの謎の置物、という風情。数寄文化発祥の室町期に成立した書院造の床の間が、いわゆる上流文化の最たるものが…時が流れて、庶民の成り行きまかせに至って、テレビを置かれるは金庫を置かれるはのやりたい放題、この無神経、この節操の無さ、この生活優先感覚、この雑多感、この出鱈目、この面白さ。床の間に唐物飾って悦に入っていた足利義政公などが見たらさぞや驚愕するしつらいであろう。小生が案内された時には、薄く、湿った蒲団が既にしいてあった。観光旅館や一流旅館のように、客が飯ないしは風呂の間に仲居さんが蒲団をひく、といったおもてなしは此処にはない。合成樹脂製茶櫃に仕込まれた茶道具で煎茶を啜りつつ甘く煮た昆布のような菓子を食みながら(常滑焼の急須は思いの他使い込まれて艶を出している)、かような鑑賞していると、飯の支度が出来た事を知らせる館内放送がかかる。従業員が知らせに来るのかと思っていたが、思わぬ効率化に驚くも、特に悪い気はしない。そんなもんだろと思っている。あちこちからどたどたと階下に下りる木造の音が聴こえる。急須の湯きりが悪く、碗に注ぐ際に零れた煎茶液で座卓はべちゃべちゃ。

大広間の座敷に入ると…厚かましさと人懐っこさを混同した押しの強さが売りらしき、田舎の婦人服店にあるような独特な感性の派手な婦人服を着た女将(妻兼母親)から差配されるままに席に着く。正面の、床の間を大ぶりにしたようなステージを正面にして、横長机一つにつき客二人が横に並んで座るようになっている。そうした横長机が合計6つほどある。客はだから12人ほどである。皆、早々と備え付けの浴衣に着替えているが、…小生以外の客層は皆、老いた男の一人旅、といった風情である。翁や熟年男たちが黙って俯いて食っている。正面の巨大テレビの音量は不様にデカイ。いきなり見知らぬ他人と袖擦れ合うほど横並びに座らされたために、変な緊張感が会場いっぱいに漂う中、女将が何かしら張り切っている感が悪目立ちしている。料理は、もう逐一覚えていないが各人に、固形燃料つきの小鍋が二基(厳密には一つは白身魚と茸と白菜を醤油ベースで煮る小鍋、もう一つは豚肉とレタスを敷き詰めた蒸し器)設えられたのを中心に、小振りの鰈の焼物、刺身(貝多し)、味噌汁、牡蠣フライ、香の物といった取り合わせである。女将に生ビールを頼む。腹は激減り、まずは腹に飯を入れたい小生は飯を探しにあたりを見回すと、広間の中央に業務用の大型炊飯器が。飯はセルフのようだった。鰈の焼物の身は干物のようにかちかちに固く、何とか箸を刺す無作法に甘んじて身を毟った所で身はあまりない、それほどの小物の鰈であった。名物と知らされたイカの刺身はおろし生姜で頂くが、身は真っ白でねっとりと口内に張り付き、本土の、魚介のレベルが低い地域とさほど変わらない。透明で、細切りした断面の角がピンピンに立つ新鮮なイカの刺身を期待したが旬でなかったのなら致し方ないと思う。船酔いの影響で体が万全でないためかその他の料理もさほど美味しくは感じられなかったのは残念であるが、満腹にはなった。貝類の刺身だけはコリコリに旨かった。酒だけは無闇に旨く、補修中の設備のナットを増し締めするようにグッグッとビールを喉に流し込むが…と、かように小生が内省を深めていた所へ、同じ横長机の、小生の隣の、浴衣の、団塊世代の熟年男氏が、他人との間の沈黙の気まずさに耐えかねたのか、小生に話しかけてきたのである。

気付くと、周りの客も、酒が入ったせいか、隣人との会話を始めているささやかな賑わいを呈していた。しかしその頃の小生は己の内省を研ぎ澄ませながら、正面の、「この国の原風景」の最たるものとの邂逅と、がっぷり四つに組んで、他愛無いとはいえそれなりに思索を研いでいたのであるから、正直いって、話しかけられるのが煩わしかった。先方がしきりに、小生がどこからきたのか、明日はどうするのか、といった、通り一遍の質問をする度に、小生は一言で済ませ、会話の種火を悉く鎮火せしめつつ本土から持ち込んだ小生の荒んだ魂、やり場の無い憤りが尖鋭化した果てに心の中で唾棄した言葉とは…小生の身勝手な妄想も含まれるが「おい、いい加減、僕に構うな、じゃれるな糞おやじ、てめえの生温い旅情に僕を巻き込むんじゃねえ、定年後の自分探しと僕の切迫した問題意識を一緒くたにするんじゃねえよ、いい年こいて己のなすべきこともわからねえのか、定年ごときにうろたえて自分探しに四苦八苦、隠岐くんだりまで自慰しに来たとはみっともねえったらありゃしねえ、ボケかてめえは」といった、西村賢太風の口調の悪罵の絶叫であって…

大広間の床の間

そうまでして小生がその時に夢中になっていたのは…往時の繁栄を忍ばせる大広間の正面の床の間形式のステージ的小上がりに…まずは馬鹿でかいデジタルテレビ大音量、そしてこれも往時を忍ばせる巨大な、今では使われやしないカラオケセット、そして郷土特産の巨大凧と、欅(けやき)の刳り物の大盆(今だと10万円は下らないだろう)、どす暗い恨みをひっそり滲ませる般若の面や、おどろおどろしい緑釉と灰釉がどろああっと流し掛け競う、突起がごつごつした異常なる花器、焼き締め壺に百合の投入れ、鼓、書の掛け軸といった取り合わせであって…この無造作趣に激しく興をそそられ、目が釘付けになっていたのである。


大広間の床脇

床脇の風情も荒々しくてよい。この大広間を埋める分には足りぬかも知れぬが今となっては過剰に多い座椅子をどどどっと重ね置きするのは、激しい大地変動による断層の褶曲を思わせるし、その背後の違い棚や地袋の上には動かない置時計や五円玉の宝船、布袋様の木彫に、なんちゃって円空仏、獰猛民芸急須、などの激しい無造作趣があるのである。堪能したのであった。熟年氏より早く飯を切り上げ、温泉ではないがボイラーで沸かした湯を常時流し掛けの共同風呂は運よく小生一人でのびのび疲れた四肢を伸ばし、家では見られぬから貴重な衛星放送の鉄道ものを満喫したあと、眠りについたのである。わずか一日で、思えば遠くにきたもんだ、と浸る間も無くくったり昏睡する。明日は西ノ島の景勝第一、国賀海岸を廻るだろう。


朝、宿の窓から…捨て置かれたポンプ系設備。奥に見えるのが港。天気はよさそうだ。

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