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己のプール開き…
四月以降の心身の不調を根本解決するために念願としていた水泳に、ようやく挑戦がかなう…事前に試着した水着姿は、まさに結果にコミットされる以前の其れであったのを否めないが、破れや着脱の不具合などの問題は無い事を確認後、午前中、近所のプールに行ってみる…思っていた以上に体が動き、夏休みのプールを体が思い出したのか幾分はしゃいで数往復してしまったから息切れする度にプールサイドで休憩を挟みつつ平泳ぎで往復…帽子を忘れて脱衣所から出るのにもたつき、職員に借りる羽目になった細君がまるでリゾートホテルのように優雅なフォームで泳ぐおかしみもありつつ…初回としては充実した時間を過ごす…其の後、川沿いにひっそりと居を構えるアジア系喫茶店に遭遇し、勢いで入店…こだわりの強い女店主の説明と歓待を受けつつ、ベトナムコーヒーを味わう…抽出方法も独自であり、ペーパードリップでもネルドリップでもサイフォンでもメタルフィルターでもなく独自の器具を使う…どちらかと云うと、津山で見た、幕末の蘭学者が最初に試行した抽出器具の構造に近い…いわゆるスペシャルティコーヒーとは一線を画した、野趣溢れる直球の風味は…香りが図太く甘いが、砂糖を入れた訳ではなく焙煎の妙との由…しかし香りは甘いが飲み口はそんなに甘くなく土臭い豊潤で、香りと同じく野太い筋が一本通っている感あり…何よりもヌルめに設定された湯温、と云うのが猫舌の私にとっては殊の外有り難く…ベトナムは暑いから、コーヒーはヌルめが基本との事で好感度アップ…火を使う食べ物飲み物は何でもかんでも舌がヤケドするほど熱くする此の国の風潮に心底うんざり、こう熱くては味も何も分からんではないか、馬鹿の一つ覚えみたいに何でもかんでも熱くしやがって、とやり場のない憤慨を日常的に抱えている私にとっては、ヌルくて旨いベトナムコーヒーは新発見であった。安南直輸入の練乳が別に添えられていたが…ベトナムコーヒーでは此れが基本的に添加されて出て来るけれども日本人には甘すぎるので別添えにしているとの由…現地の味を経験するために少し入れたが舌が痺れるぐらい甘く、辟易…そのまま放っとくと硬化してキャラメルになると云う恐るべき代物…いい気分で雨に降られながら更に行くと、昼飯時となって腹が減り、結局…大阪系の、昼から呑める居酒屋のランチ定食に吸い込まれ…飲む気は無かったのに、隣席の、50代の、夫婦とは異なる謎の関係性らしき男女が会話弾まず黙って蛸ワサだのホッケの開きだの串焼きだのを肴に飲みまくっている既成事実に負けて、から揚げ定食を注文後、ビール追加…帰宅後…差し引き300g太る。運動した後だから、罪深い程飯とビールがが旨くてたまらんわ。
様々な文章や思想において、相互作用と云う概念がしばしば用いられるが…どうも、其の意味が不明確で漠然としたまま任意の現象や思念に都合よく適用されているように思えるから、論旨全体としても信用の置けない仕上がりになって、ミテクレばかり調子のいい空論が罷り通っているように思われる…相互作用を、例えば、AがBに作用してB’になり、B’がAに作用してA’になり、A’がB’に作用してB’’に…と考えると、此の現象の内実は、一方的な作用が交互に連続的に起こっているに過ぎず、要するに一方的な交互作用だと私は考える…しかるに相互作用とは、AとBが同時に互いに作用する事によってAとBの区別すらつかない局面と捉える事こそが、此の作用の一筋縄ではいかない困難と可能性を記述するものであり、まさに相互作用していると思われる諸事象の根源に迫る資格を得ると自覚すべきなのだろう…どうも書き手によっては、何とはなしに前述の単なる一方的な交互作用を相互作用と捉えるから、訳が分からないのだ…しかし、後者の、真の相互作用の意味を受容すると、其れは言説の核心を破壊する概念でもあるから、此の概念を用いるには其の書き手に相当の覚悟と思惑が無いとおいそれと用いられない、極めて困難な概念であるはずである…其処の処の覚悟が足りない輩が手前勝手に相互作用などと云うから、生煮えの愚劣な言説が蔓延るのだ…。
個別の生の謳歌と、種(=国家、あるいは民族でもよい)としての生の存続のどちらを優先すべきか、と云う問いに対して、後者を優先すべきという答えが暗黙の裡に罷り通っているから、個別の生の謳歌を抑圧する言説が罷り通り、抑圧への疑義を封じ込めるために無闇矢鱈に不安や恐怖を煽る権力が際限なく横行しているのだろう…本来は、種としての生の存続などと云う言説は妄想に過ぎないので、個別の生の謳歌を優先すべきなのだろう…少なくとも、一旦は、個別の生の謳歌を優先すべきである…其の上で、個別の生の謳歌を優先する事で種としての生の存続が成り立たない事によって個別の生の謳歌も困難になる、と云う事実を経験するなり、思想的に真に己のものとして実感する局面を個別に味わう局面を迎える事にはなろう…其の上で改めて、種としての生の存続のために必要な事が自覚的に取捨選択され、其れは畢竟、個別の生の謳歌としての選択へと返り咲くのである…其の際には、当然ながら、主権国家どうしの経済戦争などは無駄事として切り捨てられるだろう…個別の生の謳歌を、判断する己の核心とせず、頭ごなしに種としての生の存続を暗黙の正義として振りかざす心情は、種としての生の存続の危機を前提とした不安や恐怖を煽って事態を無駄に硬直化させ、硬直化した事態を既成事実化するための抑圧機構を大がかりに構築しようとする手練手管に膨大な労力が費やされるから実に非効率的で無駄で、実際にそうした非効率が種としての生の存続さえも本当に危機に陥れている逆説さえも現実となっている…環境、気候変動、現代文明を存続させるための資源やエネルギー確保、核などの、真に種としての存続のために解決すべき問題が棚上げされている現実である…
今回は投票以上の政治活動をしてみる…組織の後ろ盾はなく個人で立候補しており、しかし其の志に賛同できる候補者に、其の志に理論的根拠を与える論述を手土産にして、激励の手紙を送る…其の程度で時局を変える事など出来ないのは分かっているが…せめてもの灯を絶やさぬためにも…微力に過ぎるが…
消えた思い出…
店頭から枇杷が消え去り…初蝉が蒸し暑さに拍車を掛けるが…事此処に及んだ責任は総合的に見て当然監督に帰するのだが…其れにしても…せめてもの救いは…丸が移籍先でそこそこ活躍しているらしい事…鈴木がオールスターのホームラン競争で面目躍如したらしいので、此れが復調のきっかけになるか否か…梅雨寒の曇天は続く…代謝が一層悪くなり、太りやすくなったし、体のあちこちが痛むので個別の痛みに対応した運動を取り入れていると其の種類が無暗に増え過ぎて訳が分からないので自分の身体を救うのは全身を使う水泳しかないのは分かっており、プールの選定と水着の試着まで終えているものの、どうしても行く機会を作れず…悶々と不自由な陸上生活を強いられる鬱屈もある…
生口島茶会記 後編
夜の海辺の茶会
日時 2019年5月25日 21時頃
場所 生口島 瀬戸田港 防波堤
亭主 私
主客 先輩 讃岐住
半東 細君
菓子器 新緑図七宝合子 岩国骨董市にて
菓子 金平糖(檸檬、サイダー、苺) 京都 緑寿庵清水
茶杓 黒木 亭主先端を尖らす
茶入 アルミ缶
茶 宇治 至宝の昔
茶碗 萩 平筒
湯 宿のT-fal
水筒 ?
細君は部屋で寛ぐつもりの軽装のまま成り行きで引きずり出されたので早速蚊に刺されて五百円玉大に腫れ上がり怒り心頭ではあったものの茶事其の物の成否は揺るぎなく、ごく自然に部屋呑みへと移行…酔いが回って思想と政治の桎梏に話が及び侃侃諤諤議論が白熱、頭を冷やすためにもう一ッ風呂浴びるのもおかしな話だが、暢気に造作なくレモンをプカプカ浮かべたレモン風呂に浸かった後にまた呑んで談論風発…就寝…
翌朝…旅先では一睡もできない私の神経過敏に自己嫌悪するも、天候には恵まれ…次に狙いを付けていた場所への道順を、宿の人に教えてもらう…車は其のまま宿の駐車場に置かせてもらい、歩いて此の集落の古刹、潮音山向上寺に向かう石段を登る…朝からもう汗だくの日当たりと急勾配…国宝三重塔を拝観し、頂上の展望台からの景色は風光明媚を絵にかいたような多島美…折しも、ふもとの島の小学校で運動会が催されているらしく、気忙しいマーチングと歓声が穏健なる島の朝におかしみを与えながら、予期せぬ激励を受け取ったような感受性も高まって、ベンチに腰を下ろし、一服。熊ン蜂が辺りをブンブン警戒し睨み付けるようにホバリングする危機感とも同席しながら、勇躍茶筅を奮う…。早速、茶杓で抹茶を茶碗に入れる際、海から山に吹き上がる涼しい風に、抹茶を散らされズボンに茶飛沫が付着するが、此れまでの野点の経験から云ってよくある事。此れを恬淡と受け入れる自分であった。
朝の山上の茶会
日時 2019年5月26日 10時頃
場所 生口島 潮音山 向上寺 山頂展望台
以下、同上。
生口島茶会記 前篇
鋼管の特許などで巨万の富を得た耕三寺耕三氏が、御母堂への思慕が嵩じて一大寺院の建立を企てた由。年譜を見ると、父については厳父だったと一言しか触れられず、其の後はひたすら母礼賛と云う尋常ならざるコンプレックスはさておいて、耕三氏が得度した真宗には親孝行と云う概念はないはずだが…東照宮陽明門や関西の有名寺院を模した建造物が悪趣味を過ぎて圧巻のゲテモノ風情…極め付きは背後の丘に現代美術作家を招いて大理石の山を築き未来心の丘とするに至って…しかし折からの晴天でヘロヘロ…喫茶店でレモンソーダが爽快…茶道具や日本画の蒐集に関しては成金らしく通り一遍のものでたいしたものはなかったが、御母堂のために寺院に併設された家は、贅を尽くした材で細工され…欅の一枚板の廊下、二条城か西本願寺かとおぼしき豪華絢爛な合天井、ぶっとい黒柿の床柱、紫檀の調度、網代の雪隠など、ペンキ塗りの寺院本体よりも本物の材料で拵えられており見ごたえ充分であった。当時の財界人との交友のために必須であったろう茶の湯は藪内流に師事、小山を登った東屋風の茶祖堂には利休と剣仲の木像が鎮座し、此処で一席できればよかったと悔いたが道具は車内だから静かに休憩する。
宿でひとっ風呂浴びた後、旅館料理に舌鼓…海鮮尽くしでどれもおいしいし何よりビール旨しであったが、如何せん量が多すぎて意識が朦朧となりつつ…ゆっくり暮れなずむ入日の瀬戸内を眺めながらは至福であった…食いきれぬ分は折に包んでもらい、部屋に戻る。
腹ごなしに一服やるか、と云う流れになり、部屋付属のT-falで湯を沸かし、水筒に詰めて…茶道具と茣蓙を抱えて、宿のすぐ前の、夜の港近辺へ繰り出す…
さていずこでやったものか、所在なく岸壁の道を三人そぞろ歩き、夜のしじま、ほろ酔いに涼風を伴い…ところどころで島の若者らが何するでもなく自転車で屯し、スマホをそれぞれいじくりながら黙っている鬱屈ぶりも、一時の旅人にとっては風情ではあり…決めかねてだらしなく歩き続けると街灯が途絶え本当に真っ暗になったので怯えて引き返し、もう適当に、開閉式の扉が仕舞われた防波堤の切れ目の階段に座を作った。
続く
クローバー追想…四葉の。
ネットを開くと胸の苦しさが引き起こされる事に過敏になっても恐らく此の神経症的事態を弩壺に嵌めるので、如何に気にしないかが問われると気になるので如何に気にしないかが問われると気になると云うループを断ち切ると其の刺激でまた気になるので如何に断ち切るかが重要になると其の刺激でまた気になるので…ふと、四葉のクローバーを思い出す。
ひょんな事から四葉のクローバーを二つ秘匿していた事を思い出し…過日、実家の私の蔵書を詰め込んだダンボールを幾らか持って帰るために開封していると、白い封筒が出て来る…恐らく30年以上前に、今も存命の祖母から貰った四葉のクローバーが、ティッシュに挟まれて封入されたもの…数年前から思い出す度に探していたが見つからなかったので紛失したのかと諦めていたが、やはり実家に残置されていたようで…とは云え、思わぬ邂逅に狂喜したかと云うとそうでもなく、経る年月が為せる一通りではない含蓄なのか、結果的には殊更な感慨もなく、寧ろ苦々しい心境で持ち帰る…此れで、ようやく二つ揃ったと云う仕儀であり…と云うのは、既にもう一つ、四葉のクローバーを所持していたのであった…其れは…多分20年前くらいに古書店でふと手に取ったバイロン詩集(新潮文庫)…端面は埃と黴だらけ、表紙も黴が散見し、開くと頁の中は虫食いでぼろぼろのセピア色…そんな中に、四葉のクローバーが挟まれていたのだった。嘘みたいなほんとの話で、些か鼻白む思いすらするセンチメンタルな顛末だが事実だから致し方無い。如何な持ち主がどういう経緯でバイロン詩集にクローバーを挟み、古書店に流れて私の手に渡ったのか、其の因果や来歴の妙を否が応にも想像させる、出来過ぎた話である。
そんなこんなで四葉のクローバーが二つ揃ったので、閉まっておくのは惜しく思い、創意と云うほど溌剌ではない、メランコリックな手慰みのつもりで…何とか此の二つを飾れる額は無いものかと方々探した処…結局家に保管していた此の黒額が最も相応しい事で細君と一致…あまり奇を衒わず、落ち着いた雰囲気に仕上げ、飾って楽しむ…
上のクローバーはバイロン。件の詩集の頁を切り取って背景とする…「空たかき彼方の国より」やってきた「エオリアの琴の調べ」を想起させるよう、クローバーの姿勢に心を砕き…乾ききったクローバーは少しでも乱雑に扱えばぼろぼろになりそうなほど脆くなっているから慎重を期すための集中力は、病的に過敏な神経を忘れさせてくれる健康的な時間の刹那的な到来ではあった。下のクローバーは祖母からのもの。温かみのあるアイボリー調の和紙を背景に選ぶ…夢中になるでもなく、こんな甘ったるい幻想にうつつを抜かしてみる程、心が弱り切っている証拠なのだろうが…一時の慰撫にさえならず…むしろ、下のバイロンの拡大写真において、額のガラス面に撮影者である自分の影がうっすら映り込んでいるのを発見し、大声を上げて腰をぬかしかねないほどの戦慄を覚える…
1
夜の微風よ、さらにやさしき忍び音に
かそけく、波の間にささやきてゆけ
いとしきファニの眼はまどろみそめたり
その枕辺に、やすらけき憩ひおとづれよ。
2
うるはしき、かのエオリアの琴の調べを
空たかき彼方の国よりうばひきたりて
まどろみはてぬファニの耳の辺にかき鳴らし
そのおもひを、愛の夢もてしづめよ。
其れはさておき…愛…しりそめし頃に…を読み返すにつけ…A先生の安否が気がかりである…うろ覚えであるが確か数年前に癌手術に及び、静養していると思われるが…モンキー・パンチ先生も亡くなられただけに、もしやそろそろ…と心配が募る…まんが道も当然よいが、愛…しりそめし…の方が確信を以て細かく書き込まれ…成熟したコクが深く楽しめる画となっている…A先生にはいつまでも、出版社のパーティーにふらりと現れては一杯きこしめて頂きたいものである…此の頃思うのは、さしもの不死身のルパンも、製作陣には敵わなかったと見えて…最新のルパンの映画は、製作陣がルパンの魅力を殺しているとしか思えないからとても見られたものではない…原作のパンチ先生も草葉の陰で慙愧に堪えないのではなかろうか。猛省を促したい…。
ヤクルトの連敗記録は気の毒だが…何故か去年は交流戦に滅法強かったから、案外今年もオールスターの頃にはAクラスに返り咲いているのではなかろうかと。
打って良し走って良しの野間、往年の超人的守備に陰りが見え始めたものの今年は珍しく得点圏打率が高く勝負強い菊池、丸が抜けてもなんのその、安定的に機能するバティスタ、鈴木、西川のクリーンナップに続くは難しいサードの守備と粘り強い打撃でいぶし銀の働きを示す古株小窪、そして石原直伝のリードが冴える打てるキャッチャー會澤の頼もしさに、不調が長引くも徐々に復調を見せる田中と云った具合なのだが…打てない長野が指名される度にチームの雰囲気に水を差すのよりも目に余るのは抑えの中崎だろう…中日の鈴木博志が守護神剥奪らしいが…数値を比較した訳ではないが、安定感の無さから云えば鈴木より中崎の方が深刻に思える…だからこそ、守護神中崎への疑義が、梅雨入り前の曇天のようにして燻り続けている…泣きの大瀬良が今や相手のエースと競り合う立派な先発の柱に成長…完投勝利も一度ならず…
枇杷随想…
桃や梨、柿など、旬の果物は生気に満ちていずれも旨いが…数年前から、初夏の風物詩、枇杷の魅力にのめり込む…井戸茶碗などを評するのに兎角枇杷色が持て囃されるのもむべなるかな…その昔…茶席で枇杷を出されたある茶人が、後日自害したと云う逸話も、嘘か真か、あるそうな…枇杷と云うのは指を少々汁で濡らしながら薄皮を剝いてしゃぶりつくしかないがために…どうあっても行儀よく頂けない事に我慢ならず、切腹、と云う仕儀…恐らく「茶道」に成り果てた江戸時代あたりの話なのかな、と思いつつ…意地悪な亭主への怨念なのか、あるいは枇杷そのものへの遣る瀬無さなのか、あるいは斯様な事態に至った己の運の尽きを悟ったが上での無念なのか、いずれにしても常軌を逸した心情は推し量り難く…其れはさておき此の器…黄色粉引片付き皿は…北海道産の作家のもの…轆轤の勢いを殺さない手際の良さが伝わる作行きにて、高台もびしっと決まり、ごく自然に亀の形に歪ませ、片口の作りにも迷いが無い様は相当の手練れとお見受けしつつ…何よりも感服したのが、黄色に発色した粉引手と云う新提案…普通の粉引は白泥をさっと塗りたくり、其のままの色で焼き上がるが…まるで黄瀬戸の油揚げ手を思わせる滋味深い発色をする泥土を北海道の山野にて自ら発見したとの由…多分、鉄分が多い土で還元気味で焼成するのかなと推測するが…萩焼風の貫入まで入り表情豊か…そして何よりも、枇杷がよく映える。
此の土日は生口島近辺を漫遊…暢気な話だが、今後の遊びの方向性について会談の機会を設けるのを口実に、野点三昧…抹茶よりも煎茶への興が沸いて来ているこの頃だから、此れで一旦一区切りし、次は煎茶に挑戦したいが…まずは急須探しから。