ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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生口島茶会記 前篇
梅雨入り前のうららかな五月下旬…ゲテモノ寺院耕三寺見物がてら、生口島を物見遊山する…ここぞと云う時に天気を良くしてくれる自家製の神、通称テル達磨の御利益が効いたのか、絶好の晴天に恵まれ…播州は大石神社から連れて帰った達磨人形だけに、本願を遂げる能力は一度ならず発揮されており、宮崎旅行に続き此れで二戦二勝…高速道路で一路しまなみ海道を進み、瀬戸内の風光と海上の橋の数々の風貌を楽しみつつ…首尾よくお昼頃現地に到着。腹ごしらえしてから寺見物しようと云う事で、門前の飯屋にて、地元名物蛸天丼を注文…油ぎたぎたの分厚い衣、味濃厚のタレが飯の層の奥深くまで浸透し…蛸脚は太く容易な咀嚼を拒むし全体的に量が特盛が普通と云う感じ…其の店自慢の正規の特盛天丼は其れこそラーメンどんぶりを土台としてドカ盛飯、蛸天が通天閣みたいに聳えて上から特濃タレ、と云う趣向で…ツーリング中のアベックが二人で一つ注文し、インスタ映えとしけ込むのも時流よの…と横目で見やりながら、己が眼前の天丼の減りは鈍く…胃もたれ必至の過剰な腹ごしらえと相成る。
鋼管の特許などで巨万の富を得た耕三寺耕三氏が、御母堂への思慕が嵩じて一大寺院の建立を企てた由。年譜を見ると、父については厳父だったと一言しか触れられず、其の後はひたすら母礼賛と云う尋常ならざるコンプレックスはさておいて、耕三氏が得度した真宗には親孝行と云う概念はないはずだが…東照宮陽明門や関西の有名寺院を模した建造物が悪趣味を過ぎて圧巻のゲテモノ風情…極め付きは背後の丘に現代美術作家を招いて大理石の山を築き未来心の丘とするに至って…しかし折からの晴天でヘロヘロ…喫茶店でレモンソーダが爽快…茶道具や日本画の蒐集に関しては成金らしく通り一遍のものでたいしたものはなかったが、御母堂のために寺院に併設された家は、贅を尽くした材で細工され…欅の一枚板の廊下、二条城か西本願寺かとおぼしき豪華絢爛な合天井、ぶっとい黒柿の床柱、紫檀の調度、網代の雪隠など、ペンキ塗りの寺院本体よりも本物の材料で拵えられており見ごたえ充分であった。当時の財界人との交友のために必須であったろう茶の湯は藪内流に師事、小山を登った東屋風の茶祖堂には利休と剣仲の木像が鎮座し、此処で一席できればよかったと悔いたが道具は車内だから静かに休憩する。
宿でひとっ風呂浴びた後、旅館料理に舌鼓…海鮮尽くしでどれもおいしいし何よりビール旨しであったが、如何せん量が多すぎて意識が朦朧となりつつ…ゆっくり暮れなずむ入日の瀬戸内を眺めながらは至福であった…食いきれぬ分は折に包んでもらい、部屋に戻る。
腹ごなしに一服やるか、と云う流れになり、部屋付属のT-falで湯を沸かし、水筒に詰めて…茶道具と茣蓙を抱えて、宿のすぐ前の、夜の港近辺へ繰り出す…
さていずこでやったものか、所在なく岸壁の道を三人そぞろ歩き、夜のしじま、ほろ酔いに涼風を伴い…ところどころで島の若者らが何するでもなく自転車で屯し、スマホをそれぞれいじくりながら黙っている鬱屈ぶりも、一時の旅人にとっては風情ではあり…決めかねてだらしなく歩き続けると街灯が途絶え本当に真っ暗になったので怯えて引き返し、もう適当に、開閉式の扉が仕舞われた防波堤の切れ目の階段に座を作った。
続く
鋼管の特許などで巨万の富を得た耕三寺耕三氏が、御母堂への思慕が嵩じて一大寺院の建立を企てた由。年譜を見ると、父については厳父だったと一言しか触れられず、其の後はひたすら母礼賛と云う尋常ならざるコンプレックスはさておいて、耕三氏が得度した真宗には親孝行と云う概念はないはずだが…東照宮陽明門や関西の有名寺院を模した建造物が悪趣味を過ぎて圧巻のゲテモノ風情…極め付きは背後の丘に現代美術作家を招いて大理石の山を築き未来心の丘とするに至って…しかし折からの晴天でヘロヘロ…喫茶店でレモンソーダが爽快…茶道具や日本画の蒐集に関しては成金らしく通り一遍のものでたいしたものはなかったが、御母堂のために寺院に併設された家は、贅を尽くした材で細工され…欅の一枚板の廊下、二条城か西本願寺かとおぼしき豪華絢爛な合天井、ぶっとい黒柿の床柱、紫檀の調度、網代の雪隠など、ペンキ塗りの寺院本体よりも本物の材料で拵えられており見ごたえ充分であった。当時の財界人との交友のために必須であったろう茶の湯は藪内流に師事、小山を登った東屋風の茶祖堂には利休と剣仲の木像が鎮座し、此処で一席できればよかったと悔いたが道具は車内だから静かに休憩する。
宿でひとっ風呂浴びた後、旅館料理に舌鼓…海鮮尽くしでどれもおいしいし何よりビール旨しであったが、如何せん量が多すぎて意識が朦朧となりつつ…ゆっくり暮れなずむ入日の瀬戸内を眺めながらは至福であった…食いきれぬ分は折に包んでもらい、部屋に戻る。
腹ごなしに一服やるか、と云う流れになり、部屋付属のT-falで湯を沸かし、水筒に詰めて…茶道具と茣蓙を抱えて、宿のすぐ前の、夜の港近辺へ繰り出す…
さていずこでやったものか、所在なく岸壁の道を三人そぞろ歩き、夜のしじま、ほろ酔いに涼風を伴い…ところどころで島の若者らが何するでもなく自転車で屯し、スマホをそれぞれいじくりながら黙っている鬱屈ぶりも、一時の旅人にとっては風情ではあり…決めかねてだらしなく歩き続けると街灯が途絶え本当に真っ暗になったので怯えて引き返し、もう適当に、開閉式の扉が仕舞われた防波堤の切れ目の階段に座を作った。
続く
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