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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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<未完>リハビリ編「tsunami attack!! japanese garage rock'n'roll vol.2(1998?)vscd5495」師走






 いきなり下線部追記しました。12月4日 21:30

 どうも書く時間が良くない。土曜日の深夜でないと思考が鋭くささくれ立つことがなく、ふわふわと漠然たる不安を持て余すのみの日曜日の午後である。数時間たったら地獄への出頭がまっているというに…ランボオの地獄の季節を精読…やつれて荒んだ魂の、ずたぼろの雑巾の妖怪じみた熱っぽさ…腐乱した熱の絢爛…思えばこの熱を、小生は、利休の茶、芭蕉の、蕪村の、一茶の句の鼓動として読む度に同期していたのだった…冷え枯るる侘びとは言い条、茶会記を読めば読むほど、句集を読めば読むほど、尋常ならざる、己の身体から飛び出さんばかりの熱っぽさを感じるのだった…こういうのを魂と呼ばずして何と呼ぶのか。とりわけ蕪村の、とりわけ牡丹の句などはその激情が安易な運動を許さぬほどの、どっしり沈痛した深みのある油絵の静物画のごときである。並べてみれば分かる。

牡丹ちりて打ちかさなりぬ二三片
閻王の口や牡丹を吐かんとす
地車のとどろとひびく牡丹かな
ちりて後おもかげにたつ牡丹かな
牡丹切って気のおとろえし夕かな
山蟻のあからさまなり白牡丹
広庭の牡丹や天の一方に

牡丹を見る蕪村…しかしそれは蕪村が見た牡丹の絶対の固有性をゆるがせにしないままに、何か別の物がしっかり見えている感じ…こういうのを魂であるとか本質であるとかイデアであるとかいうのは簡単であるがそこには認識の限界をも批判しうる別次元の心身が要求されるのだろう…思えば今更小生が発見したわけでもなく、古来からつづく問題ではあった…否、自力で歴史をやり直すくらいの忍従も必要なのだろう…ようするに認識と信仰が未分化だった仏教しかり、政治と言葉の季節によって合理的に離れてしまった認識と信仰を合理的に結合しようとする信仰的努力のようなトマス・アクィナス以降の近代哲学の系譜しかり、哲学、科学、芸能を一挙に風呂敷に包んで信仰を臨んだショーペンハウアー…彼らが何を大切にしようとしていたかに思いを致さぬのであればニーチェを読んで神が死んで悦に入る資格は無い。無論、仏教の信仰とキリスト教の信仰は相違はあるのだろうが…いずれにせよ、私たちは、目があるから見えるのではなく、目があるにも関わらず、見えてしまう(ベルクソン)のだろう…フランス人の皮肉な言葉ではある。実際には、目があるにも関わらず見えてしまう者はどれだけいることか。目があるゆえに、見えていない。目を耳、と変えてみてもよい。

ライブの模様がユーチューブですかさず録画公開となり、垣間見た小生の嘔吐感、までは先週記述した。なんてことはない、いわゆる実存体験なんぞよりもはるかに卑近なる体験ではあるが、卑近ゆえにありふれた、日頃では意識せず素通りしてきたような事に、重大な陥穽がある…自らが墓穴に住まっていることに今更気づくような。ユーチューブに乗せることを非難しているのではない、今日びの振る舞いとして至極当然であろうし、単純に良い演奏をデータとして残しかつ広めたいという私心のない、ほとんどふとした好奇心に近いくらいの他愛ない仕草に過ぎぬことに何を目くじら立てているのか、と自分でも思う。思うがしかし、言いたいのはただ一点である。あのライブの模様をユーチューブに乗せたとき、あるいはそれを見て楽しんだ人は、「ちりて後おもかげにたつ」と歌える心があるのか、いいや、無いだろう、ということであった。かようなことに目くじらを立てるのであれば問題はユーチューブにはとどまらず、当然ながら録音ということにも広がるだろう…録音ということの恩恵をたっぷり受けているロック聴衆…おかしくなっているとすれば既におかしくされているのが現代の聴衆である。おかしいもおかしくないもない、既にそれは異変ですらない常態に過ぎぬとしても。ライブをじかに聴くということは、録音聴取漬けによって命の感覚がおかしくなったのを目覚めさせる良い機会、とするならば何とも馬鹿馬鹿しい、言わずもがなの結論であるが、だいぶ行き詰った…。「ちりて後~」と歌える心は、散った命の一回性の、無意味な壮絶を云いながら、記憶による再生しか見る事あたわぬもどかしい限界を端的に歌うのみではあった無告の、歌うことを自らに許さぬ詩歌でもあった。絶望の描写にこそ情趣が生まれるが情趣とは絶望に過ぎぬ。ネットやレコードその他もろもろによって行き着くところまで至ったかもしれない最底辺における麻痺という絶望は救いの声を上げることなく最底辺での生活を日常化する…新しい荒みの世紀の到来…現代の芸能者や思想者にとって、これほどの「最高=最低」の「舞台=生活」があろうか。以前にも書いたが、「待ちに待った閉塞感」である。いや、いつだって、如何なる時代も過酷に困難である。あらゆる現在が「最高=最低」の「舞台=生活」である。

話が変わるが「地獄の季節」の事を思いながら駅の中のつまらんコンビニをうろついていると、砂糖やケチャップといった、うっかりスーパーとかで買い忘れた人用の日用調味料が並んでいる棚の上にあったラジカセからのラジオ放送が、フランク・ザッパの「ジャズ フロム ヘル」(地獄出身のジャズ)を流し出した…気が立っていると、現実のほうから、頼みもせぬのに意味や符号をまき散らしてくることはよくある。アンドレ・ブルトンの「ナジャ」という小説は、シュールリアリズムやらオートマティズム云々言う前に、かような現実における意味(啓示)の奇跡を主題にしたものだった。

ライブ演奏…個々に向き合うべき固有の問題はあろうが、過ぎ去ってしまった今、無自覚の慢心、ということを思わざるを得ぬ…無論、これは小生自身にも向けて責め立てている言葉である…聴衆の慢心、ということもある…音楽の現場における聴衆の慢心、とは、己を聴衆であると自己規定してはばからぬ民主主義的大衆の一形態である。無責任ながら権力はあるうえに口は出す、あるいは無言かつ無思想の購買行動によって経済の動態となる…人と同じことをすればそれが世の趨勢となって自らの利となる、市場原理と科学が結託した政治形態、民主主義の産物=大衆。何度も書いてきたことであるが人間万事徒手空拳…音を出せば音が出て、音を聴けば音が聴こえると思っている自明などありはせぬ。決まりきった方法など無い、しかし創造などという大げさな仕草に創造すらあり得ぬ、絶えざる身近な日常の創意工夫しかないのだ…演者も聴衆も。創意工夫は、自分が良いと思っている音楽性を、自分が良いと思う演奏で再現する安心からは生まれてこない。これは本当に良いのだろうかという不安の相の下でふっきれぬ捨て鉢の引っ込み思案が暴発するしかない…しかるにあの時の現場には、自分がよいと思っている音を自分がよいと思いながら演奏、尚且つ自分がよいと思っている音を自分がよいと思いながら聴く、という、無邪気な、罪の無い、慢心安心した楽しい状況が呈されていた…創意工夫というのは、先の述べた、一回限りの生ないしは事への手向けであり、おもかげに過ぎぬとしても営まれる情けない祈りである…音を聴く者の振る舞いとして、未熟ながらも思案工夫した小生が打ってでた挙行も、それ自体力不足の工夫ではあったが、聴衆の何となく踊る有り様を批判するものでもあったにも関わらず、殴られたり詰問されたりすることもなく「少し変わっている人」という具合に安全認識の棚に陳列されただけであった…それなりに切実な音楽への祈りと演者への励ましの所作のつもりであったが…よくあることだ。次はもっと本気でやるしかないのか。そこまで渇望している小生の状況にも何の価値もないのだから上記の批判は一切の説得力を放棄していることを注記したい。ただしいろいろ矛盾したことを書いているが、書くべきことというのは言語を絶したところにしかないのであるからかような表現になるのも致し方ありませぬ。

欺瞞と正直さは不安においてこそ同居しうる。

城と云うのは下手に鉄筋コンクリートで再建するよりも、石垣のみ、礎石のみ、が往時を偲べて、よい。米子城の城跡を登頂してそう思った。戦国の野面積ほど荒くないが安土桃山~江戸初期の、熊本城のようなきっちり切り分けて接合した石垣ではない、その中間の味わい深い石組み…たまらぬ。山の上の天守跡から望む日本海、中の海、米子の町…蕪村の句の後でまったく烏滸がましいが、小生の、長屋のご隠居の手すさび程度の旅中吟をいくつか。

またまたと水のひた寄る秋の岸
黒色の向日葵立ち枯れて土を拒否
石垣のさびに染まりし死に蟷螂
城山や伯耆の不二は雲隠れ
暗雲の底に轟く道の音

土曜日の夜何してたかというと、先週、神戸の三宮まで行って買い付けてきた電燈の設置作業。先カンブリア紀あたりの地層から出土した琥珀の巨塊のごときが宙に浮いてその光輝たるや…夜になれば小生の書斎は濃厚馥郁たる蜜の光で満たされる…マイ・ルーム作りなぞ、先ほどまで「荒み」「慢心」云々と鼻息荒く述べていたのが恥ずかしいばかりだが、どうしようもありませぬ。自分好みの物を飾り立てて慢心しています。なんだかんだでNHK年末ドラマの坂の上の雲が気になるなあ…。

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