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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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リハビリ編「the stalin/虫(1983)tkca-72603」



 普段使っているネット接続用のパソコンでは無い、古いパソコンを引っ張り出して入力開始…マウスの股のような所にあるスクロール用のコロコロのゴムが妙に油っぽく表面にブリードしている…キーボードも水死した人間の白蝋化を思い出したかのように黒光りしている…空気の芯あたりからこれまた滲むように広がる冷えは湿度を伴って、奴の繁殖をしきりに促すようだった…奴…未虫が…極微の米粒のようなものが手足など無いのに(小さすぎて見えないだけだが)うじゃうじゃとうじゃけている。未虫は人間の脂を餌にして繁殖するのだろう。その途絶えを気付かせること無く虫の音が途絶えてしまった晩秋の、日曜日の、陰惨な、予見的労働によって既に汚れきって疲労が焼け爛れた皮膚のように垂れ下がる夕暮れに書き始める。いつもは土曜日の夜更けではあったが、期日変更の理由は特に無い。意外にもったりとさえない感じで始まるスターリンの「虫」…夜の象亀の、雄どおしの、傍目にはのんびりした、しかし当事者にとっては文字通り命がけの厳しい決闘…引っ繰り返された象亀は元に戻ることが出来ずそのままのんびりじたばたしながら決定的に死に行くという。蔵書を整理していたら思いの他アナボル関連の書籍がうようよ出てきて、一箇所にまとめると禍々しさもひとしおではある。実家にいた頃、マルクス・エンゲルス全集を小生が所持しているのを親に見咎められたこともあったし、先刻訪れた客人の一人も、本棚の一角を占めるML(マルクス・レーニン)文献を、小生のしつらいやもてなしにはさほど興味を持たずに激しく注視していたのを思い出す。ソ連崩壊して幾星霜、この資本主義社会にとって、有効かどうかという実践的議論はともかく、禍々しさというのを失っていないというのはあるのかもしれない…誰も殆ど制御できないししようとする意志をも禁ずるのが唯一の主義たる所以である資本主義を、人間性の確立と啓蒙思想の復権を根城にして批判にさらし理論を構築した所業が、禍々しくないはずはないのだろう…デリダが「マルクスの亡霊たち」で書き綴ることにつながるのだろうが、この辺について論じ始めたら夕餉が喰えないので打ち止め。MLに比べればスターリンなど、ネロだの始皇帝だのポルポトだの有史以来輩出されてきた大量虐殺を旨とする独裁者の一人に過ぎぬので思想的には恐れるに足らぬのか、政治手腕のしたたかさは際立つが…。ともあれ、ミチロウたちのスターリンと、歴史的スターリンはほぼ関係ないだろう…類推の悪魔に唆されて駄弁を弄したまでである。どのみちレコード音楽やエレキ音楽などは私有財産の最たる所産ではないか、そんなもので無産者のなにがしを歌われても欺瞞甚だしいというものではないか。そうした矛盾を抱えながら欺瞞承知で苦しみながらそのありのままを表現したところで、そうした表現も表現である限り所有という同じ穴のむじなとして難詰してくるのがマルクス主義ではあった…音楽を聴きたい人の前で音楽を生で演奏するというライブの一回性の姿が辛うじて無産たりうるのか。きりがないのでこの辺で打ち止め。ずっしりと質量が濃く重いドラムが、パンク・ガレージにありがちな明け透けな蓮っ葉感をも戒めるように過度にストイックではある。自分としてはいま少しバカバカに抜けた明るいドラムが好みではあるが、音楽を聴く上で自分の好みなどどうでもよい。時に急加速するリズムは、後ろにのけぞりながらのワン・ツゥーを速射させながら(小生が妄想したドラム奏法表現。一般的かどうかは分からない。一般と一致していたら気色が悪い)大きいうねりを地べたで煽る…愉快だ…極度の意識で短絡された、切り詰められた悪態雑言の破片は崩壊する高層ビルから降り注ぐガラス片のように鋭く肉にパパパパッと突き立ち、容易な除去を許さぬ。比類なく美しい「天プラ おまえだ 空っぽ」。これ以上に美しい詩句がこれまで存在しただろうか…埴谷雄高の「薔薇 屈辱 自同律 つづめて云えばおれはこれだけ」という独白も天プラの前では鼻持ちならない趣味性を帯びてくる。美という観想は満足した堕落の着地点であると断じこの概念を避けることも出来ようが、あえて美の側から申し出るとすれば、かような歌をこそ美しいと呼びたいものである。朝の社会社への出頭中の車で聞くと、これは、独居房ないしは懲罰房で聴くべき音楽、と思った。本当に何も所有していない、まわりにも何もないし壁に激突して自殺しようにも自殺防止の緩衝材が壁面を覆う、光と音の少ない状況であり、尚且つ一切の文化的教養から断絶した者でも、ぼんやり見える壁を見続けるとその微細すぎる濃淡にすら何かしら面白味を見出すように、しかしそれよりは幸運にも懲罰房でこの「虫」が再生され続けるのであれば、はじめは何の事やら分からなくても、いつかガッと括目させるものがありはしないか。そのことを音楽の力、などとしたり顔でいうのはたやすいが、音楽の弱さ、かもしれず、予断は許されない。芸能は他の芸能との相対化により成り立つのであって、それしかないという仮定は楽観的で感傷的な詭弁かもしれないが、そんな教養上の取り繕いなどはどうでもよい。少なくとも「天プラ」は、参照すべき知識財産ゼロの無産者の音楽である。冬眠して越冬する虫もいよう。しかしこれは、春に羽化して初冬に死ぬる、その一生に一度きりしか春夏秋冬を謳歌できぬ虫の歌である。ミチロウ氏と、グラウンド・ゼロの大友良英氏が画策した音楽関連福島イベント「プロジェクトFUKUSHIMA」。テーマを決める時、ミチロウ氏が、往年の尖りで、「原発ぶっ壊せ」的なテーマを提案すれど、大友氏が、「問題はそんな単純なものではない」と、大人的対応なのか、テーマを、曖昧に大きい、しかし鈍磨した馴れ合いのような、広く大衆に受け止められるような感じに仕立て直す、という場面があったのが記憶に新しい。

ミチロウ:vo
タム:g
シンタロウ:b
中村貞裕:dr
ケイゴ:dr

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