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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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<メモランダム>リハビリ編「tsunami attack!! japanese garage rock'n'roll vol.2(1998?)vscd5495」談死

 他者との交流や話し合いが鬱陶しい、気ぶっせいな気持ちは自然と棘立って苛立ちばかりつのる袋小路で自分のみを祭る儀式にも浅ましく飽き果ててもなお季節のみは幾たび相まみえようとも心ひかれる風俗の化身であって、心許無く目移りするに任せる。木枯らしも止まって。米子に行った。そこであるライブの現場に立ち会うこととなって、本稿ではその時の諸相が主に語られるであろうが一方でその時にすかさず購買したコンパクトディスクについても織り交ぜられるだろうしそこの所の判別を区切る潔癖も忍耐も持ち合わせていないこと御承読の段つかまつる。米子に赴く旅路での高速バス、ハイウェイを下りると山間部のそま道を横幅いっぱいに這いずり回りながら見た車窓に、強烈に侘びた、半壊寸前のずんだれた鳥居がおわす御社が気になった。
…と、ここまで書いたところで、ぱったりとこれ以上文章を書けなくなってしまった。日曜日の夕方、という憂鬱すぎる時間帯ゆえであろう。致し方ないので小生が備忘のために走り書きしておいたメモランダムの箇条書きでお茶を濁したい。無論、箇条書きだと分かりづらいし誤解も多くなる恐れがあるので次回、ここで示された骨子を再構成することで如何なる論旨となるか文章できっちり行間を埋めていきたい。分かる人にはわかるかもしれませぬが…

・ふとしたきっかけで先週のライブの模様をユーチューブで一瞬垣間見る…吐き気を催す…昨今ではごく普通のことだろうに、否、専ら個人的な問題だろう、専ら自分の心の状況…軽々しく録画、録音してはならない…自分が過敏すぎるのだろうか…たいしたことじゃない、よくあることだと自分に言い聞かせても心の動揺おさまらず。
・じゅんこたる、いとおしい時間のこと。
・もう、レコードが聴けない、ライブ演奏しか聴けない心になってしまったのか。
・なんという冒涜だろう。
・小林秀雄に言われるまでもなく、何もせずじっとして聞いていることを強いられたことから始まった近代音楽の思弁性。かような聴衆の誕生が近代以後の音楽にも影響を与えた、ロックもしかり。
・ジゲンオルガン…その崩れ、ハードロック性…録音のほうがよいかも…ハンナ・アーレントによるヘルマン・ブロッホ論(「暗い時代の人々」所収)…詩人になりたがらなかった詩人、その小説…ライブを希求すれどライブでは分かりづらい音楽性かもしれぬ…録音を再生した音でこそ滋味が広がるだろう、しかしその荒みはスタジオにこもることを自らに許さぬ、だがいまだ野にあらず粗にあらず卑にあらず浮遊…そこを聴くべきなのかわからぬ…その固有の芸能が抱えた矛盾…大衆性と前衛性…古来仏教における、大乗と小乗への分離に見られるように、古くて新しい、退屈な、のがれがたく苦しい視座…経済という実力の前ではポスト近代の言論もその場しのぎのごまかしに過ぎぬ…大正期…菊池寛の凡庸作家論…昨今のライトノベル論よりもはるかに…否、これは歴史哲学ではなく、専ら芸能固有の問題である…ハードロック=リフのえげつなさが足りぬ。はかない本願であり専念であり一途であることが同時に無明不安たる、物語なき現実でもあって。今のままでもよいかもしれん。ノリのいい、しかし危うい生活苦を無神経に背負う聴衆の踊りと共にあればよいかもしれない。切り捨てるべきは小生のような聴衆かもしれない、決して高級なものを求めてはいないし屑が屑について考えたところで自我を持った屑にすぎぬとはいえ…
・ザ・フライ…本題しかない。工夫や装飾といった媚び無し。ブルースのリフというのは本来、人の気持ちを魅惑しよう、ノリをよくしようというような誘惑と関わりない、自然の造化に近いぶっきらぼうなむき出し。その辺の石ころや板切れに等しい…魅力的なリフ、そんなものは存在しない…歌のサビやメロディとは断絶…ブルースのリフ=ハードロックのえげつなさ…そうしたものこそが聴く者の心を燃やす。さらさらときれいな灰。恥知らずの乗り出し…しかしめでたくも確立せるその達者な芸能の安泰に今後の音楽の可能性はありやなしや。
・基底に亀裂が走る、追い詰められ問い詰められる鳴動…小生も共に追い詰められている。
・ゴーデビルス…ロックをきっちり教則通りに演奏するだけでもロックという音楽の劫火を延焼させてやまぬ…しゃがれ声。よかった。ジャニス・ジョプリンやあふりらんぼを引き合いに出して女性が歌うロックの絶望的な荒みへの至らなさ、ドスの効かなさという、偏見に満ちた寂しいことをいつか論じるつもりでいたがそのことを一度は思いとどまらせた。さっそく買ったCD録音を聴くといまいち…
・ジャパニーズ・ガレージというくくり…聞いてみると、舶来ロックのGS的受容を出るものではなかった…ロックという音楽のこらえがたい欺瞞と矛盾を専ら音楽的思考と実践によって体現しえたガレージの、正直と欺瞞がおかしなことに同居した獰猛という根暗な相克が皆無であった。あまりに日本的な、近代的自我にとらえられることのない、搾取も虐殺も天災のように受け入れる日本大衆の祭りなのか…新しいのやら古いのやら…手のひら返したように民主主義を受け入れた戦後…その素地は明治以前からあった…蜘蛛の糸…我欲のために切れても切れても、たった一人の渇望せる貪欲な心のもとに垂らされるのがロックだろう…ロックに垂直構造は似合わぬが…大衆を救う音楽ではないのは確かだ、そこのところ肝に銘じたい。

立川談志の芝浜における二日酔いの演技は、聞いてるだけで胸焼けがするほど秀逸に真に迫っていました。合掌。

「安全神話」「原子力村」などといった決まり文句を使ってはばからぬ者こそが、「安全神話」「原子力村」的なものの構築に率先して加担する。意図せずして。

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