ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
逃亡編
自分の盆燈籠収集の一つであった、夏の広島の墓石を彩る竹と紙製の盆燈籠、黴臭い部屋の隅でほこりかぶって小汚い感じだったので、夜、人目を憚りつつ、川に捨てに行く…当初は季節外れの自分独自の燈籠流しのつもりではあったが、街中でもあるしどこで他人の目が光っているやもしれぬ、単に盆燈籠を不法投棄するだけであっても、闇夜に乗じてこそこそしていたら変に怪しまれて殺人事件の犯人にでっち上げられそうな被害妄想に襲われ落ち着かない、後ろめたい気持ちに苛立ちは募る。ついでにリサイクルショップで100円でとりあえず買ってしまったつまらん備前と萩焼のぐい呑みも、河口付近で流れる気がほとんどないのっぺりした川に放り込む。自室を整理していたら変に満足してしまい一挙にやる気が喪失される。スラッシュメタルについて語ろうと思い聴取に励んでいたが書くの止めた。書斎を自分好みに整えては悦に入るなど、たとえば家に帰るということをこの上なく恥じた坂口安吾からすれば、反吐が出るような体たらくなのだろう。心のうつろいなどよりも物物のありようのほうがよっぽど美しいし、心惹かれる思いではある…主体の感官による客体の再構成、など、何と言われようともどれだけ証明されようとも小生は信じやしない…説得説明証明など糞くらえだ…ことあるごとにルサンチマンだとレッテル貼る、言葉の出世階段を上ることしか能がない知的ビジネスパーソンどもの小洒落たフライヤーなど、太宰の原稿を尻拭き紙として厠に設置していた志賀、というエピソードを踏まえるまでもなく尻拭き紙にもならぬ…言葉からどんどん遠ざかる気持ち…10年20年やそこら書かないでいる時期があるのはありがちなことなれど、ふと、コンビニで数週間前に発売されたまま売れ残っているビッグコミックか何かに連載中のA先生「愛…しりそめし頃に」を立ち読みすると、テラさんが漫画をあきらめたようだった…戦前を引きずるあまりに古い作風から脱却しようとしなかったテラさん…手塚、石ノ森、藤子不二雄、赤塚といった、漫画のモダンを築いていった仕事が自分の目と鼻の先でどんどん生み出されているのに対し、テラさんは、内心、何を思っていたのだろうか…全部読んでないので分からないが、漫画道や愛…しりそめし頃に、でその辺のことはきっちり書いておいてほしいものではある…今回のテラさんの話は、自分が知る中では、唯一、テラさんの心情を髣髴とさせる話ではあった…あくまでも満賀からの、後輩としての気遣いによる規制がかかった類推をぼんやりと濁す、という感じではあったが…。
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL
この記事へのコメント