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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the spiders/the spiders album No.1&No.2(1966)tecn-20387」 2009年3月1日 晩冬


 先週のモーニング誌掲載の「へうげもの」、ついに大きい山場を描き切っており、小生の脳みそ火照りっ放しである。父(利休)なる者を殺した息子(織部)が、父なる者の継承者として否応無く民に承認されてしまうと言う、法や説得を超えた神話的表現の借用は、在り来たりと言われればその通りであるが、そこは漫画家としての山田先生の力量で押し切ったようだ。そしてこの山場に合わせてコミック最新刊も発売とは、商売上手この上なく、速攻で購入する小生である。この間の終末週末は職場での慰安旅行に滅茶苦茶にされ、旅行内容は言うまでも無く最悪を極めたが、宿泊先の尾道はやはり風情がいい。温泉街とか、ああいう浮世離れした歓楽の地、巨大な雇用を守る産業に乏しい遊興の地に住みたいと、志賀直哉ならずとも日頃思います、そういえば坂口安吾も伊豆の伊東温泉に住んでいた。尾道には造船所があるがそれは向島の話、本土の千光寺山はアミューズメントの塊で楽しい事この上無し、古くこじんまりした遊園地は潰れていたが猿山の塔には日本猿が孤独に座り、真言宗千光寺所蔵の千手観音やら愛染明王やらの仏像見物や奇岩名岩、こてこてと土産物や甘味の張り紙した、大阪万博的な展望台そして文学の小路と盛りだくさんである。人々が踏みしめて摩滅した文学の小路の石段は危険極まりかった。小路の道祖神たる、歌の石碑に興味なぞあろうはずも無く、目もくれずひたすら下山する製造業の男ども。千光寺山荘からの、朝の尾道風景は瀬戸内情緒である。自由行動時間、逸早く集団から脱兎した小生は商店街で器屋調査、陶器屋三軒、塗物屋一軒、茶道具屋一軒見つけ、なかなかに安価で程よい具合の織部茶碗や蒔絵の棗なぞが茶道具屋にあったが抑制しといた。句を物したので記録までに。
  文学の小路脇目もふらずに下山する
  岩割りの松の根元に湯気上がる
 尾道出身の漫画家といえば、かわぐちかいじ氏が思い浮かぶ。大正アナキズムの暗黒史を赤裸々に描いた竹中労監修の「黒旗水滸伝」の絵師がかわぐち氏であったし、黒旗水滸伝よりも、「沈黙の艦隊」や現在モーニング誌連載中でこれまた山場の連続である「ジパング」で相当に高い評価を得ているだろう。昨日すさんだお好み焼き屋「R」にて、久方ぶりに「沈黙の艦隊」を読んだ。最終巻までは読んでなかったが、うっかり手に取ったのが最終巻であった。ずば抜けて国家論への意識が高い氏の古典的説得力に圧倒されながらも、どうも、沈黙の艦隊=明かしえぬ共同体(ブランショ)、のようだった。「明かしえぬ共同体」を初めて読んだ時、根源的に孤立して独立した者らが、なぜ共同体、という枠組みで語られなければならないのか分からなかったが、最近は滲むように分かりつつある小生である。その妙はここでは語らぬが、(小生の作「軍国軍記」を読了されたし)国境無き差異が即ち独立であると、小生理解した。すさんだお好み焼き屋でさえも、「沈黙の艦隊」のようなものが手軽に読めるとは、誠に有り難い国である。

 さて、約束の時間である。実は既にこのほどは薄まりつつある怒りや屈辱の思いを如何に焚き付けるかが問題であるが、それはそれで今となってはよかろうとも考える。淡々と、在った事を述べたい。あれはやはり10年前ぐらいのことだったろうか、番組名は分からないが、毎週日曜日、ジャニーズのキンキキッズがゲストを呼んで、そのゲストに種々の質問して掘り下げ、最後に、ゲストやレギュラーメンバーと共にポップスをセッションするという趣向の番組であった。この番組は今でも存続しており、今ではメインレギュラーがジ・アルフィーであるが、その昔は、吉田拓郎であった。そこで、小生は初めて見たのである。下らぬ才能を並外れた努力と巨大資本とその組織力によって広められたジャニーズ的事情の元にあるキンキキッズは兎も角、ともあれ今どきの若者としてのキンキキッズが、終戦前後に生まれた団塊の人々の文化に、抵抗も無く素直に理解を示す姿を、初めて見たのである。80年代から90年代半ばのいわゆるバブル期までは、パンクやディスコや暴走族やツッパリや音痴アイドルに代表されるように、その当時社会的支配層である団塊が眉をひそめるような反抗が生きており、パンク兄さんやディスコギャルが、団塊フォークなぞに理解を示す姿が少なくとも公にされる事は決してなかった。ところがバブル崩壊以降、キンキキッズが、拓郎さんの歌をリスペクトしています、というような発言態度を晒して恥じるところないどころか、何の屈託もない気負いの無さなのである。果ては、出演者全員で、吉田の「結婚しようよ」などといった楽曲を演奏する甘い連帯を演じるのである。そして吉田も、若い連中に受け入れられて満更でもない様子の醜さなのである。同じ事を過去のプロ愚に書いたが、岡林信康、松山千春、泉谷シゲル、吉田拓郎といった者らの和製フォークは音楽上、何の価値もない。音楽上、無価値という現象があり得ることを証明する数少ない音楽の一部である。無論和製フォークとて音楽である以上様々な他流音楽の影響の下に成ったのだろうが、成立以降、他流音楽との、音階や音色や奏法上の相克には聾唖な安泰に浸りながら、至って保守的な、当たり障りの無く害の無い、情緒的ふるさと人情物語を危機感なく蔓延させる衆愚音楽である。岡林や高田渡などの反体制フォークなぞ、フォークがフォークの土壌で何やろうとも音楽上保守に過ぎないため社会的にも保守になるのだから馬鹿馬鹿しいにも程があるし、吉田のニヒリズムフォーク以降のニューミュージックなどといった呼称は音楽を馬鹿にするにも程がある呆れた代物である。ただし、森進一に提供した襟裳岬や、さだまさしはよい。陽水については一言では不可能。勇気はあるが音楽的見識の低い左翼が全共闘の集会や安田講堂内で、フォークなぞを肩組んで車座で歌ったりするからフォークの馴れ合いの毒に犯されて革命が駄目になるのであり、しかるに全共闘の集会や安田講堂内で、スパイダースやゴールデンカップスやジャックスなぞのイカしたロックをバックにモンキーダンスやゴーゴーを踊れば、革命は潰えたとしてもその後の日本社会は変わったかもしれない。その是非は兎も角、ロックは、イタリアのプログレッシブバンドのアレアが自ら宣言したように、インターナショナルでポピュラーな音楽なのだから、左翼の教条ともマッチするだろうになぜロックをせなんだか。それとも、ソ連からの指導を排除しようとした当時の日本共産党の方針に全共闘が従った結果、フォークを取り入れたのだろうか。今となっては分からない。
 さて、そうはいってもテレビのやることだし、小生と同世代の人間で、現実に団塊フォークにおもねる奴などいないだろうし、知りもしないだろう、とたかをくくっていた。ところが、それを覆すロック史的個人的歴史的事件が小生をも巻き込んで起こったのである。あれは小生が製造業に身売りして2年目だったろうか、会社内での、同じ大学の小規模の同窓会での出来事である。参加者は50代の会社支配層の団塊数人と、30、40代がいなくて小生含む20代の者数人、という極端な年齢構成であった。男のみ。一次会の創作和食個室系が終わって、団塊の彼ららがもっぱら目的にしている行きつけの流川のスタンドに行く事に。それまでにも数度あったが、彼らはこともあろうにそのスタンドにあるカラオケで往年のフォークソングを歌うのを何よりの楽しみにしている連中なのである。人前でも独りでも歌唱はおろか発声すらも全く苦手な小生だからカラオケだけは御免蒙りたいところ、しかし日本資本主義の笠を来た身近な目上の衆愚による圧制に叛旗を翻す勇気の無い小生は、時にこの2次会に参加しない勇気を絞り出すこともあったが、頑張らないと勇気が出ないので、この時は嫌々ながらカラオケスタンドまで同行。他の20代も同行。団塊が繰り出す仕事上の下らぬ説教事や根性論など今更批評する気も起きぬまま聞き流すも、団塊が自慢の美声とやらで間断なく歌い上げる和製フォークにだけは、小生我慢ならない。そうしたフォーク地獄の中にあって、スピッツばかり歌うという団塊もいて、呆れるような滑稽空間が現出(絶対に空も飛べるはずがない、お前だけは!)、奇しくも60年代フォークの形式的堕落満足と村上春樹的保身馴れ合いさわやか物語制度とが合流したりして、苦々しく聞き続けるしかない小生のみじめはハラワタ煮えくり返る怒りと屈辱にはちきれんばかりの憎悪を、ギリギリの無表情で抑えるのに必死である。そうはいっても団塊のこうした在り様は最早致し方ない物として諦めもつく。フランス革命このかた、エコール・ポリテクニークの例にあるように(エコール・ノルマルのような文系大学生は積極的に革命に参加したが、ポリテクニークは反動的無関心を決め、革命後はナポレオンの庇護を受けた)、いつだって反動保守的であった工学系の彼らがフォークを好むのは歴史の必然なのだろう。
 それよりも、外目にも下手な愛想笑いとは裏腹に恥辱と憤怒にさいなまれている小生の内的怒りを促進させたのは、小生よりも一つ年が若いいわゆる新入社員の者が、なんと、吉田拓郎とか長渕剛とかが好きなんです、などと団塊受けする事を何の躊躇もてらいもなく恥ずかしげも無く言い、そして吉田の歌などを団塊の前で披露した事なのである。その若者は、特に媚びているという風でもない意識下の媚びによるのか、今どきの歌は歌わず、率先して、和製フォークを大声で歌い続けるのである。そして、目上の団塊に可愛がられる始末なのである。時としてこの者は大胆な無邪気な事を言ったりしているようであるがそれも目上の許容範囲内のやんちゃに過ぎず、好ましく思われる程度の元気なのである。今となってはありがちではあるがこの者は、理系体育会系肉奴隷である。気持ち悪い、と小生は、極限まで薄められたまっずい焼酎を、場に耐え難いため煽りに煽ったせいもあるが、吐きそうになった。キンキキッズだけではない、一般の若い連中にも同世代にも、こうした文字通り恥知らずの連中が誕生し始めたのである。そうした状況下で、否応無く、いまだに一度も歌っていない小生の有り様が場で目立ってくる。そして目立つ者を、場を盛り上げたいために、衆愚が弾圧を加えてくるのである。団塊から好まれたいと思わぬのは当然だが如何せん勢い系マッスル団塊にとっては何を考えているのかさっぱり分からぬのだろう小生が自然扱いづらく疎ましくなるのは必定、小生が歌わなければお開きにならない、などと勝手な立法するのである。頑として拒否してきた小生もそんなに強くないただの人、負けて、分厚いカラオケリストをめくるしかなかった。歌える歌など今にも昔にもありはしないのだが、渋々入力したのが、何とかなりそうな、スパイダースの「バンバンバン」。ムッシュの名作である。小汚いステージに立たされてバンバンババババババババーン、などとモニターの棒読みで取り合えず声を出す小生。するとまたしても驚愕の事件がそのモニターおよびモニターと同じ内容が映写されたスクリーンで起きていた。バンバンいう歌詞の裏で、何と、安保闘争や安田籠城戦などの全共闘白黒映像が流れていたのである。歴史的には直接何の関係も無いスパイダースと全共闘が、カラオケ配信会社の底知れぬ無知のせいなのか巧妙な嫌がらせなのか全く分からぬが、ただ60年代、というだけで、カラオケの中で一緒くたにされていたのである。冗談として夢想していた事が、こうした形で実現してしまっていたが、いずれにしても、小生は、小生が全共闘世代即ち団塊に媚びていると団塊や同世代に思われるのではないかと直感し、今までに無い激甚なる恥の思いに狂いそうになった。しかし、小生の内的恥を理解する心や知性も、この者らには無いのだろうとも思い安心もしたがその事が逆に、楽曲のノリとは別に、暗澹たる気持ちにさせた。60年代という時代がこうした無邪気な無知と楽観で以って扱われ、そしてそれを承認し流通させているのも団塊とあってみれば、まことに恐るべき滑稽かつ悲惨な事件であった。いやはや、歴史から、予想だにせぬしっぺ返しをくらい申した。悪質な寓話であった。なぜ小生はこんなにもやるせないのか。
 
 さて、スパイダースである。思い出話が長くなったのでスパイダースやGSの本質については、例えば「明治100年、スパイダース7年」といったアルバム紹介の時に稿を割きたい。ここでは、No.1冒頭の「フリ・フリ’66」について一言。ガレージの世界的先駆である。ドラムとベースはリズムの基本であるが、基本であるが故に率先してリズムのタガを外して野蛮に暴れなければ成らないガレージの宿命が既にだばだばと果たされている。津軽三味線の如きエレキの蓮っ葉な叫びがゆるゆるしながら外聞無く生きておる。そして耳に痛いいかしたシャウト。一転した裂け目からポップな調子を覗かせるもすぐさまその裂け目は閉じて再び軽い軽い凶暴へと突っ走る。自慢しても嫌らしくない最高の格好よさ。No.2はロッククラシックのカバー集。言いたい事は山ほどあるが今日はこの辺で。

 田辺昭知 ドラム
 大野克夫 スティールギター、オルガン
 かまやつ ひろし リズムギター、歌
 井上孝之 リードギター、歌
 加藤 充 ベース
 堺 正章 タンバリン、歌
 井上 順 歌 

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