ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the beatles/revolver(1966)tocp-51117」 2009年2月22日 灰春
憂さ晴らしに深酒、酸化防止剤無き国産ワインのまろやかさに溺れるようにして二日酔いとなって頭痛。こうした記述は、見苦しさをあえて晒す写実的告白あるいはアイロニー(自己を貶めて他者を貶める事で自己を持ち上げる保身のやり口)であるが、アイロニーがヒューモアから否定される根底的理由は一切ないであろう。時代によりヒューモアよりもアイロニー、またはアイロニーよりもヒューモアが称揚される転変無常を見据えなければ、近代制度を批判した事にはならない。ヒューモアはアイロニーと比較してどこか開放的であるから、という素朴な感想によってヒューモアを称揚していた「日本近代文学の起源」(柄谷行人)であるが、暗いよりも明るい方がよい、と無批判に愚鈍をさらす頭の悪い教師や実業人と変わらぬレベルであり、近代批判にはならない。内部も結構、外部も結構、ヒューモアも結構、アイロニーも結構、引きこもりも結構、遊行も結構である。
さて、頭痛がひどいので、特にコメントすべき事が無い手頃なアルバムは無いものか、と探したところ、これ以外にないようだ。自分への罰として、次回は、小生とGSとくにスパイダースとの個人的ロック史的事件に端を発して(「~に端を発した」はフローベールの「紋切り方事典」に追記したい)、吉田拓郎フォークおよび吉田拓郎とキンキキッズとの結託すなわち俗情との結託(大西巨人)批判、という長丁場を課すことにしたい。
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