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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the beatles/magical mystery tour(1967)tocp-51124」 2009年2月8日 小春


 今や恒常的ではあるものの時に大きい起伏となる欝に襲われ、職場での労働を二日ほど仮病で休みました。インフルエンザや風邪が流行る中、肉体は最高に健康。何もしたくない、という気持ちで一杯です。それは兎も角、広島県立美術館に巡回に来ている第55回日本伝統工芸展を観覧してきました。陶芸、漆工、金工、木竹工、染織、人形、その他の工芸、で分類して見せていた。伝統工芸などと謳いながら変に現代性に媚びるこの日本伝統工芸展を訝しく思う小生、古来から受け継がれてきた工芸技法を駆使して、現代的、と称されるセンスやデザインを取り込んだものが評価されるこの種の世界にはうんざりさせられるものよ、と思っていて半ば嫌々ながら行った。工芸なのだから一途に技法上の開拓や優劣を競えばよいのに、柳宗悦の言葉でいうならばひたすら昔を守ればよいのに、そうした技法上の開拓を、現代的かどうか、という美観で評価する如何わしさは何なのだろう。それも、本当に現代的であればそれはそれでよいのであるが、やはり、ある許容範囲内の現代的センスに過ぎぬのである。たとえば色漆に糞を混ぜるとか、彫漆したあとに金を埋め込むのではなく糞を埋め込むとか(沈金ならぬ沈糞)、天目釉に糞を混ぜた茶碗とかあるだろう。糞が現代的かどうかは別にして、現代性を問うにしても現代美術の挑戦や成果から全く目を逸らした安全圏で誰からも文句言われず胡坐かいているのである。
 以上の先入観を持って行ったのであるが、そしてその多くがその先入観を確信に変える物に過ぎなかったが、そうはいっても、鉄の地肌をあっさり剥きだした茶釜は、使い込まれていなくても渋いものである。伝統工芸展では萩焼と備前が幅を効かしているらしく、さほど工夫が無くてもそれらの茶入れや茶碗や水差しにはついつい触手が反応してしまうし、それなりに目の保養にはなった。なんだかんだでこの伝統工芸展は小生の物欲を刺戟してしまったのだろう、来週には広島の段原骨董館に攻め上る所存です。展覧会の品々はどうせ警備員や法人の権威に守られてお助け出来ないのであるから、ストレスが溜まる一方だ。
 さて、ビートルズ。英国。たとえ感想文を書くに過ぎないにしても音楽に関わるということは、当然ながら音楽の当事者でいなければならない、つまりたとえ聴くだけの者であっても、常に自らの問題意識を更新しながら身銭を切って音楽を購入、聴取し続ける音楽上の現役でなければならないと今更痛感しています。この一連の文章を書き始めた当初は、今ではかつてほどレコードに身銭を切らない立場の小生がおよそ10年前に考えた事を記録するのを趣旨としていたが、こうして続けるにつけ、音楽への問題意識の更新を要請される、あるいは自ずとそうした意識が否応無く芽生えてしまう状況です。つまりは、ああ、もっとあの辺りを買って聴かんといかんな、という危惧であります。茶道具に浪費してしまう今、レコード購入を再開する事は財政上厳しいのであるが、元々音楽に見切りを付けるために書き出したというのに、因果なものである。やはりロックは一筋縄ではいかぬものよの、とほくそ笑む私です。あの辺り、の一つが、ブリティッシュ物であった。ロック史の一般教養程度に英国ロックを聴きこなしそれなりの見解は有しているものの、サイケの新規性を聴くため米国ロックを重視する姿勢は今も変えるつもりは無いが、それでも英国ロックを、より数寄の耳を持って聴けば新たな聴点(視点)が得られるだろうと思われる。
 したがって、今の時点で、ラジカルヒステリーツアーならぬマジカルミステリーツアーについて新たに述べることは何もない。シングル集からアルバム性への止揚、などの物語論もここではどうでもよいだろう。同名のテレビ映画との絡みも、一般的に知れ渡っていることではある。小生はブライアン・ウイルソンを心底焦心させたストロベリーフィールズフォーエバーやペニーレーンにうっとりするだけである。ストロベリーの、奇怪に焦点の定まらぬファジーな1/f揺らぎサウンド、ライナーを見ると、テンポやキーの異なる二つのテイクを一つにまとめて出来たという、有名な話。ファジーという、20年ほど前に家電業界に流行った言葉も今では死語か。死語も死語である。それぐらいはやって当たり前の時代なのであり、伝統工芸展などと比べるのは全くおこがましいが、ストロベリーは、音楽史を引き受けるのも可能でいながら不意に逸れてしまうこの幻惑的寂しさを聴く者に委ね、かつ、そこには、歴史の止揚といったロマン派的解釈も跳ね除けるしたたかさが倫理的美的判断に絡み取られず、流産されたのである。憐れみを施さずに、生きている水子と共存する私たち。

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