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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the nihilist spasm band/vol.2(1978)arcd-083」



なんかまた胸苦しいが…似非オセアニア彫刻の仮面の影に隠れて忘れられていた一角に此れがあった。ジャケットの写真見ると山岳ゲリラの打ち捨てられたアジトから押収した武器のようにも見えるが、彼らの奇天烈な自作楽器であり、ちゃんと物騒である。ドラムと呼ばれる楽器を演奏する範囲内でドラムを叩いているというよりも人間の肉を直に叩きつけている不毛で残酷な虐待としか思えない、聴くだけで全身に青痣が出来そうな打撃音である。歌詞も最早、接続の切れた単なる単語の絶叫と罵倒、一方的な宣言に終始しつつ、何かしらカナダ政府に対する政治的態度を露わにしている。二度と繰り返されない即興に重きを置くスタイルながらも、ノイズほどには溶解していない楽器音の輪郭を際立たせて、苦痛を強いる音の雑多なぶちまけが挑戦的に骨格を成すリズムを保持している。

テレビ東京のように文化度の高い、エッジの効いた処が放送するアニメーション(以下、「動画」と表記する)を見られないから最近のアニメ界の実力を知り得る立場にないのは承知しつつ、何故ならば受信できないからなのであるが、だからテレ東以外の局から受信する動画を瞥見する機会もあるが大抵の場合、小奇麗な、工夫の無い塗り絵の紙芝居にしか見えず、如何にCGだのデジタル技術など小器用に駆使しようとも、すこぶる退屈で見ていられない感が強い…特に、アルプスの少女ハイジを視聴するとその思いが強まるのであり…人間や草木、花々や天象の動きに対して、コンマ数秒ごとに強烈なる考察を加える、動画ならではの創意工夫と物語場面設定上の創意が相乗しながらの創意工夫がコンマ数秒おきに繰り出されるから全く目が離せず、凄まじいくらいに面白いし、登場人物たちも甚だ激烈に尽き…無垢な思いつきで人使いが荒いハイジの傍若無人は見ていて腹立たしいほど確固たるものであり、おじいさんも獰猛を秘めた内向性インテリゲンチャで一筋縄ではいかず、身勝手なハイジの思いつきを強要されるペーターの御人好しもまた犯罪的に正直すぎる牧歌の、あまりに牧歌的なアルム(スイス)の天上界…一応それと比較する形で、ハイジが極悪叔母さんに騙されて拉致された監禁先であるフランクフルトの、産業革命で勃興したブルジョア家庭の病的状況を批判する物語構造も、現在となってはあまりに原型的ゆえに批判として力強い…21世紀が、19世紀や20世紀に努力された市場原理主義への抵抗運動を痴呆的に無かった事にされた上で産業革命発生時の剥き出しの市場原理に基づく18世紀へと退化しているのであれば猶更、である。それにつけても意表をつきまくる自然描写には脱帽であり…動画技術を究極的に追究するのを目的としたらしき崖の上のポニョの動画表現でさえも、線型的な力技に過ぎないように見えて、ハイジの、いちいち惰性から脱線する逸話と動画表現の創意には及ばないと強く思われるのであった。ハイジ(宮崎駿 場面設定、高畑勲 演出)と一緒に視聴したふしぎの海のナディア(庵野秀明 監督)の退屈さといったら無かった。前者は動画固有の創意に満ちているが、後者は動画としてはただの塗り絵の紙芝居なのだから。今の処48話までハイジを見たが、感動のあまり細君はそのほとんどでずっと泣いている…。

フランスの新進経済学者が、資本の自己増殖が労働所得を上回る事を数世紀にわたってデータで示した功績で昨今持て囃されているがデータ化したその功績はよいとしても、そんな結論は共産主義文献を俟たずとも旧約聖書の一節に既に「持つ者にはますます与えられ、持たざる者はますます奪われる」という呪詛が刻まれていた、みんながなんとなく思っている、古来からの人類の実感であった。格差社会を証明したとして、さもしいメディアからその解決策を求められたこの経済学者ピゲティはケインズの修正主義と替わる事無く、累進課税による富の再分配を能なく云うだけで埒が明かない。富の再分配論というのは資本家の食い滓のおこぼれ頂戴と、格差拡大によって多数派となる貧民からの復讐、という、物乞いと脅迫で構成された惨めな情緒論に過ぎず…およそ現実を改良しうる理論の態を成していない。よってピゲティなどが使い古された修正主義で御茶を濁すのは多くの経済学者にありがちな御用学者を出る事は無く、傾聴に値しないどころか、現実への処方の選択肢を矮小化させる欺瞞に加担しているのでもある。同じ修正主義ならば、いっぱしの経済学者であるならば、現状資本主義へのおもねり追従修正主義に盲目的に導くのではなく、少数前衛による一点突破ブランキズムや運動の歴史化による多数派的正統を誇るマルクシズム、マオイズムの再批判を前提とした幅広い選択肢を民衆に考察させる修正主義を興してこそ歴史への責任を果たすというものであろう。

クレラップのテレビコマーシャルで爺と両親と孫という家族が安全な公園の芝生の上で団欒風景しているが親世代はもう救いようがないから諦めるとしてそこで演じられた爺が、頬を桃色に染めてハート型ループタイをしながら孫にデレデレという態で…砂糖菓子のように戯画化されて人間をコケにする甘ったるいが思想も人間も無く排他的な家族主義へと飼い馴らされている様が吐き気を催すのであって、まだ曽祖父世代であれば軍隊経験と戦後のどさくさを生き抜いたとあって容易に飼い馴らされはしないだろうが、兎にも角にも、クレラップ(呉羽化学)は容器表面への吸い付き性能がサランラップ(旭化成)に劣ると思われるので、小生は専らサランラップ派である。

john boyle:kazoo
joohn clement:guitar
greg curnoe:drums
bill exley:vocals, theremin
murrey favro:drums, guitar
hugh mclntyre:bass
art pratten:pratt-a-various

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