ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the electric prunes/lost dreams(1968?) bmr022」 2009年4月12日 散春
所蔵している書籍の記憶が遠くなりがちなのは、全ての本を収蔵、総覧可能な本棚がいまだ無く、そこいらに無造作に積み重ねては奥の本が見えない悪状況のためとも言えず、自身の怠慢による、自身の記憶が日々曖昧に霞んでいるためなのだろうと思い、老いと呆けへの微かな恐れをちらとでも感ずる。そうした由でうっかり、既に所持しているのにもう一冊、なぜか新しい気持ちで購入してしまった本としては、ベルクソンの「思想と動くもの」、そして幸田露伴の「幻談・観画談」であった。特に後者に関しては、忘失の彼方から定まり難く迷い現れる感がその風情に合っており、よろしいのであるが、そうはいっても本日、読み終わったので書庫にこの露伴晩年の傑作を納めようとしたら、既に同じ岩波文庫のものが鎮座しており、ぎょっとせざるを得なかった。
さて、エレクトリック・プルーンズである。プルーンというのはそういえばしきりにザッパの歌詞に、恐らくイヤラシイ意味合いで出てくるが、どこかアメリカの、サイケデリアの風土に根差した風物なのだろう。そして何よりもエレクトリックであるからして、電気的であり、且つセクシャルである両義性を含む事は確実であろう。ガレージ・サイケデリアの徒花である。本CDは彼らのLPを纏めたコンプリートである。ドン・ウオーラー氏の解説も、当時としてはありがちながら滋味あってサイケデリア人脈の妙を綴っておるのでそれを読み、そして音を聴くだけでよいのであるが、ご閑読の段。
結論としては、全曲、よい。ダルく不敵なリズムと分明ままならぬまま、独自の素人くさい実験ファズ音が利いたギターと変態じみた野蛮な声どもが噛み付いてくるし、演奏技術を振り捨ててまで生き急いでいる性急さなのであるから、正真正銘のガレージの国民、否、移民である。the 13th floor elevatorsやブルーチアー、ブルースマグースなどと並んで、ガレージ、そしてサイケデリアを解するのに最も適したバンドの一つである。
昨今、NHKで、一押しのバンドとして、黒猫チェリーズなるバンドを聴いた。エッジの利いた裏のリズムを攻撃的にまとめる技量は相当高く、邪気をがなる凶暴性の音楽であり、中々に聴かすものであった。しかしながらその音楽性は、意識的なのかサイケデリアの地獄を排除しているのか知らぬのか、パンク由縁の、パンカビリーやサイコビリーなどと90年代以降創出された鋭さと技巧なのである。悪くは無いので今一度聴きたいものであるが、小生の、鬱屈に荒れに荒れた心と相伴してくれる音楽は、火事場に石臼を担ぎ出して大八車で暴走する不器用な暴走あるいは凶暴な、ささくれ立った形振り構わぬガレージの原初である。サイケデリアの殺意であり、パンクやメタルの小器用ではなかった。
サイケデリアを現在に蘇らせるに際して懐古趣味から脱するのは容易ではないが、ガレージの、ロックの坩堝の怒りに思い致せば可能であると、一縷の望みつないで、エレクトリック・プルーンズの殺伐には、小生、心より癒されます。
「最初に抜けるのは誰だ?」などと言い争った挙句、あっ気なく彼らは解散した。
james lowe-vocals/autoharp/rhythm guitar/tambourine/harmonica
weasel-vocals/rhythm guitar
ken williams-lead guitar/effects
mark tulin-bass guitar/piano/organ/marimba
mike gannon-rhythm guitar/vocals(track 12&22)
preston ritter-drums
quint-drums/percussion(track 1,11,12,23)
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