ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「mutantes/mutantes(1969) bom22004」 2009年4月26日 旧寒
人々の中で生きていると、時として独り言をぶつぶつのたまっている人に出くわすものである。小生の出会った独り言人は、大きく分けて二つ。一つは純然たる独り言系で、その中でも、何かしらに対する罵詈雑言系(「糞ったれ!」「ああああ」「あいつムカつく」「絶対殺す」「何でワシが死んでアイツが生きとんや」(?)等々)と、己の精神中の出来事を延々と忠実に口にするプルースト-ジョイス-ベケット的なモダン文学系である。こうした例は公共交通機関や公園などによくいる。
しかし、二つ目の、対話型の独り言は、なかなか居るものではない。先週、行きつけの詰まらぬマクドナルドで、小生定番のダブルチーズバーガーセット(飲み物はコカコーラ)を貪っていたら、隣のおばさんが何やら大声でぶつくさ言いよる。携帯電話しているのかと、いまいましく思いながらふり見ると、電話せず、コーラだけをテーブルにおいて、ああ、独り言系の人である。そして、その取り留めの無い内容を聞くに、珍しくも対話型であった。あまりに取り留めの無い言葉たちなので小生にも、そして本人にも恐らく一切記憶に残らなかったが、どうもおばさんが一方的に喋っており、その喋り方は、二人称に対する構造を持ち、時に相槌までうっている。一度店を出たが、置き忘れたどぎついピンク色の帽子を取りに戻り、そして何者かと喋りながら街へ出たおばさん。
さて、ムタンチスである。ブラジル産サイケ。本作は彼らのセカンドにあたる。60年代末、カエターノ・ベローゾやジルベルト・ジルといった人物が中心であるブラジルのサイケデリア運動「トロピカリズモ」に参加していたロックバンドである。プログレッシブロックは英国のみならず、北欧、東欧、アジアなどにご当地プログレが思い起こされるが、プログレほどではないにしてもサイケデリアでもご当地サイケがあるだろう。ご当地ものには、米英と違ってブルースの模倣、消化、脱却といった地道なロック弁証法に鍛えられた生え抜きの経験がなく、そうした米英の経験をパッケージで輸入したのがロック受容の歴史とならざるをえないところがあるとしても、そのことがご当地におけるロックの未熟を説明するものではない。そいしたことは関係ないのがロックのインターナショナルなところであるが、しかし、そうすると、ロック受容が、ブルーノート即ち音階との格闘という音楽の核との桎梏を逃れて、ポップス的なアレンジ感覚あるいはファッション性となりがちになるだろう。そうしたアレンジ感覚の広がりに助力したのがサイケデリアであり、もっと言えばサージェントペパーズ的サイケデリアの功罪であった、とここに断罪したい。英国の植民地主義帝国主義のなれの果てがサイケデリア伝播にも影響を及ぼした、とまで言う気は無い。
このムタンチスでも、名前の通り(=ミュータント)、サージェントペパーズ的サイケデリアのアレンジ感覚と、南米大陸の豊かな音楽文化や新興ジャズのボッサ・ノーヴァとが奇妙にも自然に馴染み、共生している。散りばめられた奔放な不協和音をも辞さぬ創意のフラワー感が、ボッサ調の憂鬱の五月雨にうたれ、熱帯地方の束の間の清涼を聞かす。
ただ、こうした輸出入可能だった貿易サイケとは別の、まさにそのご当地の事情から生まれた土着のサイケデリアはもっと各国に無いものか、と小生欲する。土着のサイケは、各国文化の深化もさることながら、自ずと米国ブルースを突き抜けて、足を踏み入れた事の無い無双夢想のアフリカの土俗土足の荒くれに至るだろう。少なくとも北米大陸には、ザッパ&マザーズ、ドン・ヴァン・ブリート、ブライアン・ウイルソン、ドクター・ジョン、ヴァン・ダイク・パークスなどが、ムーブメントを拒否する猛々しくも土着のサイケデリアを孤立した人の共有されない夢のように発奮させていたし、英国にはソフトマシーンが、そして日の本ではスパイダースが「フリフリ’66」だけでも日の本独自のサイケデリアの可能性を示したのである。
私たちの土着が即ち音楽であることを示す、「サイケデリアの鎖国宣言」を成しうるサイケデリアを欲する。(なぜならば、小生は、米国の独立宣言に否定的であるからである。詳細はまた今度。)
リタ・リー
アルナルド・バチスタ
セルジオ・ヂアス・バチスタ
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