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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「うしろゆびさされ組/うしろゆびさされ組ベスト(1985~1987) pcca-01615」 2009年4月5日 桜春


 洋式便所の便座を下ろしたまま排尿することは男にとってささやかな挑戦であろう。わずかに入口が狭くなるだけではあるが粗相すればそれなりに被害は甚大であるからして、こうした挑戦に賭ける事からでも何かしらあてどない人生の飛躍を遂げたいものである。
 本日はNHK日曜美術館の新編成スタートの日。壇ふみの後継が和久井映見にならなかった不満を押し殺しつつ、姜氏の手並み拝見と相成った。結果、ゲストの村上隆の、西洋近代論から一歩も出ぬ詰まらぬ発言はどうでもよいとして、まだ馴れぬながらも持ち前の小声で説得力を番組に染み渡らせていた。今後に期待が持てよう。女性NHKキャスターがお約束のように、画家の青年期までの孤独な生涯、という定形から画風の解説をゲストに求める陳腐も、もう何も云うまい。ただ、スタートから蘇我蕭白を取り上げるとは、過去に取り上げたテーマでもあるが、やはり見る者を相当に本気にさせずにはおかぬ。しかも、生涯初めての、野点茶会を控えた茶人にとっては、奮起されることこの上ない。ついに、野点放浪記が始まりました。その第一席「花見茶会」の模様、後日発表したいので、乞うご期待!

 さて、うしろゆびさされ組である。おニャン子クラブの音楽性は50年代の前ロック的な、プレスリーがいるかいないかのいわゆるアメリカオールディーズ楽曲に、秋元歌詞が乗っていたし、ウインクの音楽性はクラフトワーク、YMOの経験も生きているユーロビート・テクノ音楽を基調としていた。その間に当たるうしろゆびさされ組は、ロックに近いポップスであるだろうとの想像に難くない。おニャン子でも歌唱力があってスピンアウトしたデュオの彼女らの楽曲は、例えば代表曲「うしろゆびさされ組」や「渚の『・・・』」に聴かれる只ならぬ性急さによって、ガレージサイケの性急さ、あるいはガレージサイケの模倣あるいはその模倣不可能性の下に不敵に居続けたパンクまでの歴史に通ずるだろう。一瞬ではあるが土俗的に迫るドラムがその証拠だ。うしろゆびさされ組という、世間から弾かれた諸相に生きようとする気概がそのままバンド名になった彼女らの音楽は、アイドルといえども反抗のロック史に燦然と輝く。ハイスクール奇面組の主題歌でもあった「うしろゆびさされ組」の歌詞では、ロマン的狂人から逸脱した「変態」(無論、奇面組リーダー、一堂零のこと)への愛を歌っており、ザッパ的なるものとしてのサイケデリアを発端とする「変態」の、系譜ならざる点在する系譜が、80年代日本アイドル界で突発したのである。勿論、サイケデリアの殺人的変態と、文字通り戯画的な奇面組のハチャメチャな変態とは大いにことなるが、変態どうしに共通点などあるはずがない、途方も無く異なるから変態なのである。前述した性急さは、「うしろゆびさされ組」の歌詞にもあるように、趣味が悪いねとまわりの友達は言うけど魅かれてしまうその悪趣味の対象と合致する。異常で野蛮な性急さと悪趣味が合致したとき、米国のDEVOあるいは80年代英国のモダンポップをも彷彿させる、と言い添えたい。秋元康らの80年代アイドル歌謡のある種天上的トロピカル世界観については、いずれ課題としたい。

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