ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「love affair/no strings(1966)vscd-2851」 2010年1月24日 拍子抜け
下の中レベルで不味いのは分かってはいてもまた行ってしまった近所の回転寿司屋、最後に食した太刀魚が何とも不味く、きちりと後味の悪さを提供してくれた。賃貸アパートに帰り、またしても赤ワインで咽喉を焼きながら、青春リアルや会社の星、カウントダウンTVを、見るに耐えないのでそれぞれ15秒ずつ、酔いの為厚ぼったく垂れた半眼で赤く睨み付けるようにして怒りの視聴。青春リアルでは自殺した友人に対する切実な苦悩、というテーマでそれについてここでどうこう言うつもりはない。ただ、その主人公の話題提供者の掲示板での書き込みを読み上げる声が、カワイイアニメ声であり、番組中、本人の声を聞くとそのアニメ声とは似ても似つかぬ低い地声の持ち主のようであり、なぜ書き込み朗読の声をカワイイアニメ声の声優にやらすのか、そこのところで苦悩の切実さが信憑性の薄いものになっていた。せめて、話題提供者に限っては書き込みした本人に朗読させるべきでは。
東京カワイイTVでは先々週に引き続き先週でも、手作りがキているのを紹介していた。ヘッドホーンや耳当てを、独自に手作りで装飾するギャルデザイナーも現れ、おこがましくも小生は危機感を感じた。自分も早々にループタイの万華鏡の世界を世に知らせねば、と。ヘッドホーンに関しては、牡蠣殻やムール貝のヘッドホーンなんかが世に出たら面白いと思う。ジーンズを畑に埋めてヴィンテージ感を出そうとしているジーンズデザイナーも居たが、茶碗を土や池底に埋めて古格を出そうとする数寄者との共通も見出され、興味深かった。
神戸震災を記念する行事で子らが合唱していた。下らない教師に言われて、思想を刷り込まされてやっているのだろう、過剰に表情をつけて指揮者の教師に身を乗り出さんばかりに歌う子らを、消音して見ていると何とも醜悪に見えた。舞台上で何事か演ずる者の姿というのはそのこと自体の原因により、演劇にせよ音楽にせよ美醜が諸刃の剣の如く共存し、ひとえに鑑賞者のうつろな主観によって神々しくも卑しくも見えるものである。(ただし舞台で聴こうが個室で聴こうが音楽だけは、あるいは聴く事に関しては、専ら音楽の有様自体に結果して美醜を判断しうるから不思議なものである。このところが重要だと思われる)義務教育期間中は団結の美名の下に頻繁に合唱させられるが、そのことへの小生の根源的憤怒は書き出すときりがないのでおいておくとして、当時から合唱に対する反骨的疑念を抱きながらも、いざ合唱となると、体調の問題もあろうが、他のどの児童よりも激しく楽曲に陶酔して気をやり、天井がぐるぐる廻り始めたと思ったら心ごと昇天して気絶していた事がある。舞台上に設置された階段状の台から倒れるのだから結構な衝撃であるが意識無く、気がつくと舞台のある体育館の隅に青あざだらけで座らされていた…。同じく学童の頃の運動会で、何故か阿波踊りをやらされたが、これも誰よりも率先して踊りの狂熱的陶酔にのめり込んでしまい、本番、練習での取り決めも無いのに踊りの群れから抜け出た小生は運動場の真ん中で、一人、神がかり的な阿波踊りを踊りまくったらしい、そして保護者教師学童来賓らの唖然としたどよめきが運動場内で沸き起こったらしい。これは見に来ていた親から後で聴かされた話で、小生自身は全く記憶に無いから恐ろしい。合唱のことにしろ阿波踊りのことにしろ、共同幻想にのめり込みがちな自分の浅はかさが心から恥ずかしい。
結局過剰ゆえに速攻で孤立してしまうほどの陶酔への没入と、そうした大政翼賛的な没入に対する過敏とも取れる憤怒憎悪、の両極端が小生の性質としてあるのかもしれず、恐ろしくも心細いほど、疲れます。
英国のポップバンド。1966年くらいから、ソウル・サヴァイヴァーズという、アメリカにも同名バンドがいる名前で開始し、後に、テレヴィ番組企画でラブ・アフェアーというバンド名に変更。情事、という馬鹿馬鹿しいバンド名である。英国のあの叙勲バンドらが産業革命したようなマニュファクチュアルな流通ドリーミングをまぶしながら、肉質硬質のキーボードをギチギチポロポロならし、白人でありながら飽くまでも黒っぽさを本気で目指した結果の、挙句の黒人音楽ならぬロックという音楽になっているという、今となっては在り来たりに聴こえるかもしれないこういう音楽に対してこそ、真正面から向き合わないといけないのだろう。黒っぽく男臭い歌唱、ボトムがよく効く、熱くも愚直なドラム。リズム重視でもあればメロディワーク重視もあり、共倒れしかねぬほど両方大事にするロックの常態である。ピンピン遊ぶギター。何ほどの事も無いように聴こえるからこそ徳の高いベース。そして、常に前のめりであることを忘れぬ姿勢。ちと攻撃性が薄いのが残念でもある、
スモールフェイセスの出来損ないといってしまえばそれまでだが、マージービートもモッズも共沸状態であるほど混乱を極めた創生の状況の中、たとえ後の世において紋切り型だと見なされ歴史に埋没する運命になろうが、やるべきことをやった、大切な大切な偉大なる凡庸音楽である。ラブ・アフェアーのような、今、ここで何をなすべきかわきまえた幾多のバンドがあるおかげで、スモール・フェイセスもザ・フーもありえたのだ…などと、すまし顔で聴きながら書いていたら、何か、ボのジャングル・ビートからディープパープルまで一気に貫きかねぬ、ハード・ロックの祖形のような熱い音楽をドロドロ繰り出し始めた!カウント・ファイブ程度には重要なバンドかもしれない。かと思えば暢気に慰められる、楽観的な雲のような大きいメロウを奏するし、買ってからきちんと聴いた事なかったが、今更ながら、良い、と言いたい。
こんな彼らに相応しい詩を送りたい。
雲
大抵の人は
雲を眺めるのが好きだろう
おれも好きだ
昔っから好きだ
それも
印象派の音楽家がフルートで
のんびり描いたような
晴れた日のぷかぷかした雲の様もよいが
嵐の前触れを見せて青黒く
乱れた雲が何よりだ
限りなく混沌としているようでいて
そのくせ
ひっしひっしとひとつになって
何処かへ移っているのだ
あいつらを見ていると
大声をあげたくなる
恐ろしい速度をもっているに違いない
恐ろしい断面をもっているに違いない
あいつらを
でかいドラムと
牛のように吠えるチューバとで
思い切りうたってやりたいものだ
(思潮社 現代詩文庫 黒田喜夫詩集より)
スティーヴ・エリス:ヴォーカル
モーリス・ベーコン:ドラムス
モーガン・フィッシャー:キーボード
イアン・ミラー:ギター
ワーウィック・ローズ:ベース
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