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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「chuck berry/the best of chuck berry(1955~1964)uicy-91032」 2010年1月31日 ライ麦忌


 サリンジャーの訃報を聴く。「へうげもの」最新第10服を早速購入。雑誌でも読んでいるので内容は熟知しているが、またしてもきちりと楽しませてくれた。そろそろと、焼物紀行への思いがもたげて来る兆しの毎日です。問いというものはその本質として回答を範疇的ではあれ問いの中に含むものであり、且つ、如何なる問いを立てるかが、既に質問者の恣意性が免れ難い状況であるとすれば、慎重を期してどうこうできるものではなく、政治学上の厳密な定義が法曹も巻き込んで国会なり司法なりで必要であろう、世論調査に対して。現状では世論調査というものは新聞TV等の各メディアが暗黙なのか取り決めなのか分からぬが半ば歩調(=数値結果)を合わせるようにしてそれぞれ勝手に問いを立て、勝手に数値結果を出し、社会にばら撒く無法状態となっている。そして、それは明らかに政治的力として発動されていく。これに対して政治権力側は、こうした世論調査に対する政治学的定義を確立する考えがないために、闇雲に、調査能力を有する少数のメディアが概ね談合のようにして結果を出してくる世論などというものに、みじめに振り回される結果となるのだ。議会制間接民主主義の現在では、投票結果(リコールも)が唯一の民意という定義はあるが、加えて、メディアが繰り出す世論調査を民意として定義するのかしないのか、何らかの条件付きで考慮するのか、どうなのか。無論、あえて定義せぬ曖昧な状況を、敏感に鈍感に、感度の機微を調節しながら汲み取るようにして世渡りするのも政治の一端ではあろうが、そこまでの政治力を期待できる被選挙民など最早期待できないのなら、そして一方的にメディアが統計世論を武器に政治介入している現在があるならば、政治あるいは主権者側は、防衛手段として、きちりとこれを定義する必要があろう。
 まず、世論調査における問いに、中立を一応旨とするメディアの意に反して、政治的恣意性が含まれているのかいないのか検証するものが何も無いのが問題である。よく言われることであろうが、問いによって、世論調査ならぬ世論誘導が可能となる危険性への意識である。これはいわゆる誘導尋問というもので係争の場面では特に注意すべき類のものだろう。ただし、この改善をメディア側に求めるのは不可能だろうし、報道の自由表現の自由が保証されている以上法的にはどうにもならない。要は、受け取る市民側が防衛手段として、どれだけ、この問いが妥当なのか、疑念を抱き続けるしかない。あるいは統計結果そのものに対して疑念を抱き続けるしかない。そして、市民自らその疑念を表明しメディアを告発するしかないだろう。メディアは、もう、市民の代弁者ではない。仮想敵としてこれを扱い、ネットや連凧やアドバルーンや飛行船や落書きなどの何らかの方法でメディアの愚を市民自ら告発すべきである。その告発内容の信憑性も結局は市民自ら責任を持たなければならない。
 問いに対する客観的疑念の持ちようは個人の素養如何によるので何ともしがたいが、統計結果に対する疑念の刃を握り続けるには、当然ながら、統計ないしは統計学というものの質を理解する必要がある。メディアは、数値の下に、申し訳程度に、調査方法や調査数を記すが物凄く字が小さいかあるいは一瞬であり、それが統計学的に妥当なのかはっきり明示することはない。どうせ分かりはしないだろう、という感じであり、要するに詐欺の手法である。問いに対するサンプリング調査数の妥当性は問いの対象となる母数(=有権者数)との関係に左右されようし、統計学上、ある母数に対してこれ以上サンプリング調査していれば信頼性は何%、という数値が出るはずなので、それを明示しない以上その調査結果の信頼性は全く不明である。よって、こうした、信頼性の不明瞭な数値が政治力を持つことはあってはならないし、主権者もこうした数値を振りかざすメディアの言うことに右顧左眄してはならない。数字で表現しそれに意味を与えるのは飽くまでも人間であり、人間がやる以上はいつまでたっても疑念は拭えぬ。ならばいっそ、統計結果のいちいちに対して、その統計結果を信じますか?という問いへの回答結果も補足でつけておくと面白いと思う。例えば、小沢氏の政治資金についての説明に納得するか、という問いに対して70%が納得しないと回答したとする。そして、この統計結果を信じますか、という問いに対して信じるという回答が70%、というデータも添付しておく。すると、民意としては、納得しないという回答が、0.7×0.7×100=49%と5割を切ることになる。統計学上、誤りとされるかもしれないが…。
 自然現象を数値で表現することにまつわる神学と市民経済との葛藤から実験データ科学が生まれた中世ヨーロッパの歴史を紐解けば面白いし、かつ、戦前、東条英機が、軍部の総力戦研究所の統計データが対米英戦争すれば必ず負けると示したのに対し、必勝の信念、を持ち出し開戦に踏み切った歴史の反動のようにして今日の世論調査数値偏重があるかもしれない視点を交えれば更に議論は深まるがこれ以上ブログに費やす時間が無いので今日はこのへんで。

 「悪趣味の系譜」を論ずる旅立ちの前に、この御方に挨拶申し上げたいと思った。チャック・ベリー。前のめりであること、決して忘れまじ。猪突猛進する内股の、ひょうきんで可愛い内気。形振り構わぬ破れかぶれと、内向的な危うさと、二つ我にあり、と、ロックの行く末を代弁した偉大なる黒人R&R始祖、チャック。
リトル・リチャードが気になる。

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