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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「10cc/the original soundtrack(1975)phcr-4417」 2010年2月7日 大工忌


 元来、蕉風の土壌であり芭蕉をして全否定ではないにしてもそこからの脱却を促した、江戸座の点取り俳諧ばかり読んでいるのにも飽きがくるというものである。ボルヘスの伝奇集や高橋和己の捨子物語などの、こってりした小説を味わう。青春リアルが、一流のお笑い番組に見えてきた。その詳細はまた今度。カーペンターズの女性の命日が2月4日。当時から、カーペンターズは、大統領ニクソンに招かれ握手し承認されたことからも分かるように、制度が求める善良で純真な田舎の若者といった風情とその音楽性をロック勢の評論家から厳しく批判され続けたらしく、主因としては体型に関する誹謗中傷であろうが他の一因としてそうした荒くれな批判によっても衰弱し拒食症となった、と昼間のテレビで言っていた。(小生はその日、何もかも嫌になって心の風邪を引いて仕事を休んだ)気の毒ではあるが当時でも、そうした的を射た評論がきちんとあったことに感銘する。

 この「王道なきロック史」において、これまでの歩みをかいつまむと、「(反ビートルズ史観としての)ザッパ/ローリングストーンズ史観」「サイケデリア~ガレージの欺瞞的白人的土着性による獰猛ないしはピースフル」「ハードロックの脆弱性ないしは非継承性」「サイケデリアの点在する系譜」といった事どもについて、まさに寿司でもつまむように手短に述べてきた。本来ならばこれら諸概念の紐帯ならびに離反の趣きを緊密に論ずるべきであるが、引き潮間際の酩酊千鳥足のまま、義務から逃れるように、従来のロック史の樹立にクサビを打ち込むべく、新たに題目を提案したい。
 それは、先般より述べているところの今年の2大テーマ、「悪趣味の系譜」並びに「永遠の詩と肯定の歌、そして次は誰だ」である。今回は、「悪趣味の系譜」について序論申し上げたい。普段、音楽が好きで音楽を聴いている人々は、ある類の音楽を何度も聴く際、ああ、これはよい音楽だ、と思いながら、何度も聴くのだろうか。恐らく、多くの場合、そのようにして音楽は聴かれる。当然であり、何ら非の無い有様だと、確かに思われる。思われるが、しかし、小生のみに限らないだろうが、どうにも我慢ならない御仁もおられるのではなかろうか。自分が、よいと思っている音楽を、ああ、よい音楽だ、と思いながら、幾度と無くその音楽を聴いてしまうこと、そして、特にその音楽だけを排他的に聴くわけでもなく他の音楽も趣味的義務感のようなものを感ずる最低限の教養に添ってある程度聴きはするが、やはり、この類の音楽が好きだから、何度も、全アルバム聴いています、と時に公にしたり身近な友人に話したりする、この有り触れた趣味的様相に対し、どうしようもなく、安全感、安泰感の満足げな腐臭を感じる不安定な人々というのが居やしないか。少なくとも小生が当てはまるだろう。
 ここで、いっそのこと、芸能作物と鑑賞者の両方を対象とした趣味性の段階を定義したい。

 ①趣味性奴隷段階:社会や世論の大掛かりな宣伝装置において、予め、よい、と承認されている芸能を、自動的に購買享受し、自分でも、よいと思って受容している。こうした民主的承認済みの芸能は多くの場合、共同体にとって無害であり、芸能自身の美的論理からするとはなはだ下劣であるばかりか、多くの場合、国威発揚の具に供される。例は全く枚挙に暇がないが、コンヴィニエンスストア音楽、あるいは、在位20周年記念の奉祝歌を天皇に捧げたエグザイル(どこが「ならず者」なんだ!こんな下らない飼い犬音楽に関わる暇などないが、昨今目に余る所業なのでいずれエグザイル批判はきっちり片付ける)など。
 この段階の人々は趣味人の端くれですらない、唾棄にも値せぬ畜生や塵埃以下の存在であるからして、まさにあまりに人間的な人間である。過去にもどこかで書いたが、人間というのは動物植物以下の価値にもなれるゆえに人間であるといえる。「悪趣味の系譜」では論外の存在。無論、こうした人々が、社会生活者として下等だというのではなく、基本的人権も保障されるべきであり、加えて、労働組織内では有能有益な人物が多い。しかし趣味人としては家畜以下の奴隷、と呼ぶことにする。家畜はまだ、人間の勝手ながら人間にとって大事である。いわゆる黒人奴隷、といったことは、人間が家畜扱いされたという最悪の出来事ではある。しかるにここでいう真の奴隷とは、民主主義政体の中で培養される、既成権力や既成価値観に盲従した挙句大勢を作り少数の義を脅かし、時にファシズム的に人間弾圧状況を構築する無責任な日和見連中を意味する。

 ②趣味性普遍段階:趣味人として中等にして凡庸普遍の有様。国家世論資本の宣伝を盲信する愚を避けようとする趣味的教養的意識があるゆえに、自分で、自分好みの芸能を探求する。その結果、自分好みの芸能を発見し、日々、それを楽しむのであるが、そうした自分好みを選ぶ美的感覚を懐疑したり、あるいは自分好みを楽しむ安住的姿に対して懐疑や不安がない。悠々自適という有様で第二の人生を送る団塊世代のビートルズ好きやフォーク好き、そうした団塊に媚びる程度の許容範囲の教養を身につけた団塊ジュニアのビートルズ好き、フォーク好きに多い。極端に言えば、去年ビートルズの利マスター版が出た時、ビートルズ・バーみたいな店で、往年のビートルズ好きの団塊世代客に混じって、団塊ジュニアも居て、テレヴィインタビューに対し、「昔の音楽、フォークとかビートルズが好きなんです。ビートルズを通して、上の世代の人とも話ができるから、やっぱりビートルズって偉大だな、て思います」などといった媚びを公言して憚らぬ恥知らずの団塊ジュニアの満足したゆとり顔に相当する。

 ③趣味性弁証法段階:いろいろ、何でも聴く、やる。雑食であることを本望とする。確かによい、と思える芸能と遭遇し、確かによいが、そのように、よい、と思って安住する満足げな態度に我慢ならない。そして、最早、自分が、よい、と思える芸能との出会いを趣味の目的にすらしていない、不断の不安を忸怩としている。これはひどい、と思う芸能でも、積極的に、我慢強く味わう中から、新しい味わい方を方法論として会得しようとする絶え間なき貪欲に苛まれている。よい芸能をよいと思いながら味わう趣味的安住への捨て鉢な反感を常に尖らす。しかしながら、そうした不安は不安という形式で安定と同義ではないかと怯えてもいるが、いっそ如何なる態度も諦めるべきか、とも考えつつ、しかし、不安を諦念に代替させる場合ではない、安住顔に脱糞する不逞は、いかに論理的には弁証法的形式に収用されようとも、美学的に特有の意味があるはずだ、と懊悩しつつ、苦渋の決断を迫られている。奏者と同じくらいにこうした受け手の責任意識は高い。よいと思えるもの思えないもの全てに対して、自分が試されている、この芸能が何をやっているのか分からなければ自分の芸能への数寄は瓦解するのでは、という危機意識が鮮明である。不安や苦悩を、蛸が自分の脚を食べるように駆動力にしているといわれればそうかもしれないが、意固地に、それは違う、と思い、愚かしくごね得を期待しているが、衰弱著しいのも確かだ。袋小路で人知れずもよおした野糞から沸き立つ湯気に乗ってどこか飛んで行きたい。

 嫌いが好きになり好きが嫌いになる弁証法的美的発展という論法については既にカント、ヘーゲルの論述があるだろう。昨日、両者の美学関係の書物を読む必要に今更ながら迫られ、2学期が始まる前の小学生が慌てて宿題する未熟さで、カント「判断力批判」とヘーゲル「美学」を古本屋に買いにいった。なぜもっと早く読んでいなかったのか、悔やんでも遅い。「判断力批判」は安価で買えたが、「美学」は全9巻で14500円、とあり、持って帰る体力に自身が無くお助けできなかった。またいつか、汚名返上したい。ともあれ、「悪趣味の系譜」をものするには、当然ながら美学を学ばなければならなくなった。恐らく、上記の3つの定義くらいは、既に先人らがきちりと書いていることだろう。自分如きが駄文を晒す必要など無かったのだ…と悔やんでも後の祭り。
 哲学は神学の端女、という言葉があるが、自分としては、ニーチェを道連れにして、神学・哲学は美学の端女ではないか、という観点から、弁証法や脱構築も含めて諸理論を洗い直す必要があると考えている。その成果をいつか発表したい。
 従って、④の段階も、まだ存在すると考えている。それは、段階でも存在でもないかもしれないが…。
 
 さてロックは、その誕生から極めて短い間に、③の聴き方や奏し方を旺盛にやりだし、その結果、ジャズや西洋古典音楽以上に、多岐に渡る音楽性を創出した。それは、ロック内の多彩な分野の内実をわきまえながら境界領域や未開発領域をあざとく認識した上でのことなので、実にきわどい処を鋭敏に狙う嗅覚を奏者と聴衆に要求した。よって、ロック史、③の観点から、常に既成の価値が覆されながら別種の音楽が現れた。この史観が即ち「ザッパ/ローリングストーンズ史観」であることは、事細かに説明しなくても過去の記事を読んでいただいた諸賢には仄かに分かるだろう。(対して、①または②の史観が「ビートルズ史観」である。)
  
 悪趣味の系譜を通じてモダン・ポップという概念を論じ、そしてその代表の一つである英国の10ccについて述べる予定でいたが、更に長くなるので来週に回します。

 kevin godley & lol creme
 graham gouldman & eric stewart

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