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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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続「10cc/the original soundtrack(1975)phcr-4417」 2010年2月28日 2.26忌

 
 来るべき高野山野点珍道中に備えて、余計な物欲を鎮めるべく、広島中小企業会館で催された日本海骨董市・大蔵ざらえに行く。主目的は硯。分相応な、雲居に龍を掘り込んだ大ぶりの硯をお助け。フライパンほどの大きさで彫りに彫りまくった派手な硯もあり、値も手が出せぬほどでもなかったが気が引けてそれは見送り。その他諸々もお助けした。ループタイに出来そうな竹の茶合も求めており、ありはしたが、彫りがあまりにひどく、手を出さなかった。囲炉裏の上でよう燻された良い竹で、彫りの無い茶合もあったが、そちらをお助けすればよかったのだと後悔しても遅し。明日、無理して買いに行くべきか、迷っている。あの、派手な、分不相応なフライパン級の硯も結局気になって仕方が無い。日曜日、外出は決してしない小生であるからして…。
 先週、またしても浅間山荘事件の映画をテレヴィ放送していた。去年か一昨年もテレヴィ放送しており、まるで浅間山荘事件は、宮崎アニメなのか、寅さんなのか、果ては釣り馬鹿なのか、と思わず突っ込みたくなりました。この繰り返しに、内容が政治的であるだけに、政治的意図を感ずるのは小生だけか。最早国策機関となりつつある大手メディアにおける浅間山荘事件あるいは全共闘あるいは成田闘争の扱いに関する小生の意見は過去に本ブログで述べたのでお手数かけますがそこを参照されたい。
 さて、懸案の10ccである。1975年、英国。悪趣味の系譜というのを提唱するのに重要な概念の一つに、モダン・ポップというのがある。パンクやニューウェーブ、ニューロマンティックスといった考え方が欧米でかしましく述べ立てられていた時代であるが、モダン・ポップという概念は、当時ロックマガジンという雑誌の編集長をしていた阿木譲の発案であるとされる(なお、テクノ・ポップというのも阿木氏創案とされる)。従ってロック文化圏の欧米には無い範疇であるかもしれず、通用せぬかもしれない概念である。この考え方が日の本発祥であるということは後々重要な意味を持つだろう。
 賢明なる読者諸君には煩わしいおさらいだろうが整理するために我慢いただきたく。時は70年代半ば~80年代初期。サイケデリアも続行されつつも表向きはプログレッシヴ・ロックの華やぎがあり、また、それへの嫌がらせのようにしてパンクの、幼い、スノボー選手国母氏の腰パンの如き無邪気無学な反発をよしとする、狼煙ならぬ、近所迷惑なだけに徹した爆竹が鳴らされたが、このことも認識による矮小化の憂き目に遭っていた時代である。
 (国母氏はなぜ、帰国時も、腰までズボンを下げたダルダルファッションで帰らなかったのだろうか。それは、彼が、腰パンをただの無意味ながらも何となくかっこよい「ファッション」と捉えていたためであろう。腰パンは、一説によると、アメリカの刑務所で自殺や犯罪防止のためベルトを取り上げられた受刑者の実態であり、それを、反体制の証として黒人ラッパーなどが装いだしたものである。形骸化する前のファッションの出自をたとえ知らなくても、己の装いに確固たる自覚を有しておれば、反動的大人に怒鳴られて、すごすごと言う事を聴く不様を晒す破目にはならぬだろうに。しかし、そもそも反体制の人間がオリンピックなどという国威発揚祭りに参加などしない…しかし、如何に国威発揚という下劣な発端ではあっても、出来てしまったものというのは、そういう意図を超越することもあるのが美というものであるのも皆ご存知だろう…。)
 そんな時代にあって百家放斉、ロックの系が多様に派を唱え入り組む混乱とも整理ともつかぬ様相にあって、既成の方法の隙間を縫うようなきわどい音楽性を際立たせるバンドらが現れ始めた。このような音楽性は既成の音楽方法への明確な認識もさることながら隙間産業たる敏感さ敏捷性をたくみに具現化して初めて成立する。従ってプログレッシヴ・ロックへの批評もその音楽構造に含みうるという意味でパンクの国母性とは一線を画すのもモダン・ポップの一特徴ではある。いや、パンクの国母性というのも、一概に否定は出来ないと小生は考えている。既存の流れに対し何事かする方法として、過去に何度も試されたことではある。それは、モダン・ポップとて同じことであろう。有体に言えば、パンクがベケットであるならばモダン・ポップはブランショになるということだ。体制から逸脱するか、内部から破壊するかである。また、パンクの国母性というのも、当初においては戦略的態度であったろうし、パンクに限らず、後続する継承者は、かつて意味のあった様式を矮小化形骸化しがちであろう。その風化の嵐の中で、消えるように運動が現れるだろう。
 それは兎も角、小生としては、モダン・ポップという考えの中に、ニュー・ウェーブもテクノポップも含めて語りたい。そうした方が事の骨組みが分りやすいと思われるからだ。ここで、ニュー・ウェーブとは何か、テクノ・ポップとは何かを語り、それによって、ニュー・ウェーブにもテクノ・ポップにも包括されぬがモダン・ポップに包括される特徴が炙り出しの如く浮き上がり、自然としてモダン・ポップの全体像が完成する論法を足がかりとしたい。そして、ロックにおける、あるいはサイケデリアにおける点在性の異相、あるいは飛び石ならぬ飛び火のような点在的伝播が悪趣味の系譜という概念で口説かれるに違いない。 本来ならば、いつものように実際に音楽を聴き書きしながら音楽の正体を晒したり秘密にしたりするのがよいのだが、10ccにおいては、まだ、前提の説明が必要だろう。仕方が無いので、しばらく演繹的な説明が必要です。またしても、10ccについては来週に延期です。

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