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手抜編「the damned/live at the lyceum ballroom(1981)meci-25119」夏至
6月25日午前11時23分 下線部緊急追記
ザ・ダムドのライブ版。まことにすっきりと筋を通さぬ混乱ぶり、手詰まり感のまま、何はともあれ始まったようなさわやかな開き直りとも無縁のまま、構造をはにかむ幽かな至誠ともいうべき、洗練を拒む武張ったがなりが、頼もしくも、よい。ロックと云う音楽の天然というのは、それこそつぶさに個々の星粒をきっちり見つめなければその当の星の、海月の毒のごとき光の貫きに貫かれる不名誉の証を刻まれることはないだろう、と改めて思わせてくる。星座にとらわれていては星の光輝を見出せはしない、しかし、物言わぬ星辰から星座という物語を創造せざるを得なかった人間もおざなりにはできぬわだかまりも一生、ずっしり背負いながら、というのがハード&へヴィの道程である。ロックは死んだなどと、したり顔でいう、物語に尻尾振るのが生活だと思い込んでいる志願奴隷の人々の大声への批判力が無ければ、影響あるいは継承性を拒むハードロックというものが、商業的にはパンクとも言われたりすることの無効と同時に、このダムドにおいてさえもきっちり、しぶとく、生まれてしまっていることに気が付かないかもしれない。本来的に、あの、影響、という悪しき概念に無反省に従属する大きい流れやムーブメント、物語、ロック史に限って言えばビートルズ史観、なぞに囚われていてはロックの勃発は聴こえぬし、そういう史観とは端からそっぽむく生業であって、各自が、公の教育を拒む独学でもって、まずは勝手にやってみる(政治的に言うといわゆるDIY。do it yourself)ことから世にはみ出るようになった。勝手にやってみたところで、結果的に他の、勝手にやってみた人の音楽と似てしまうこともあるだろう、しかし、似ている似ていないはこの際、言語上の分類と系統と統一をよしとする概念に過ぎず音楽の現在とは全く関係ないことである。誰かの影響でやりはじめた、という出発論も、始まりと終わりを社会化された妄想で措定した上で成り立つ、その内実は無意味な虚栄心を隠蔽する恰好よさ自慢の統一理論、韻を踏んだ作文に過ぎず、音楽にとってどうでもよい。かといって、ここでは、殊更にそれぞれの存在の固有性を強調し持ち上げようとしているのでもない。この際言語的概念も含めて相違も特徴も固有性も認識の否定も含めてそれぞれがばらばらにあるがままにあるといってもよい。姑息であれ。影響、という概念も、そうした意味で、音楽から拒まれ、付け入る隙は無い。そういえば、かつてこの王道なきロック史でサイケデリア論を論ずる際にしきりに言っていた点在する系譜という考え方であるが、既にちゃんと、世の中にあったのに最近気が付いた。小生は専らサイケデリアという芸能文化を聴き込むことで到達したのであるが、一般的には政治理論として、1950年代末には存在したようである。いわゆる状況主義である。組織されることもないし今後もそれを望まぬ、しかしある志を有する者らが各々、自らのタイミングで決起するということ、市場や公権力からの承認を根気強くいじましく忠犬よろしく待ち続けたり小奇麗で小器用なプレゼンテーションのスキルアップとやらに励むみじめな努力に没頭するのでなく、非承認・反承認のずたぼろのまま、脱兎するということ、それは文化を運動するのでなく運動を文化するということ、ブランショがいうところの、明かしえぬ共同体ということ、計り知れぬノマドの炸裂ということ、その例は文化的にはダダやフルクサス、60年代のハプニングや2000年代のプランクスター、革命後に理想社会を作るのでなく、全社会の革命前に勝手に革命後の社会を作ろうとする個別の先走りであること(素人の乱)、体制を破壊するのでなく体制が破壊された状況を生み出す事こそが直接行動であるということ(シチュエーショニスト・インターナショナル)等々、枚挙にいとまないこと。勝手に自分で思いつめて吐き出したものと志を同じくする思想が既にあったとしても、しかし、それはそれで構わぬとも思っている。それは、まさにそうした点在する思想の有り様を体験することでもあるし、加えて、似たような同志の存在を知ったところでこの明かしえぬ共同体には到底、連帯の安心感など求めようもない殺伐なのだから。ダムドに話が戻るが、もたつくリズムであって、形振り構わぬゴチャ感がいい。器楽の轟音による歌声(といっても絶叫)の埋没、というのはロックの肝心だと思う。劇団四季のような朗々たる歌唱を聴くと反吐が出て当然である。その心は、もう、言わずもがなであろう。影響は影響を自認し追認する者によってその存在が承認される従属の証である。こういうことは明治以降の近代的な学者よりも江戸時代の国学者のほうがよく分かっている。
読んだ事は無いが鈴木先生という、なかなかにエッジの効いているらしい漫画に出てくる鈴木先生は若年のように見えるがループタイを召していた。自分を追い込んでいる人に相応しいお洒落です。
デイヴ・ヴァニアン:ヴォーカル
キャプテン・センシブル:ギター
ポール・グレイ:ベース
ラット・スキャビーズ:ドラムス
地震防止への提言
地震防止の対策
①海洋プレートと大陸プレートの接触面に、水より比重の大きい、岩盤に対する浸透性の高い潤滑剤を流し込み、プレート間の摩擦を低減させ、スムーズに海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むようにしてやる。
②プレート間で強固に接着することによって歪エネルギーを溜め込んでいる地点(アスペリティ)を探索し、そのアスペリティ目がけて地下深く火薬(あるいは核反応)を仕掛け、爆破することでプレート間の接着点を少しずつ減らす。そうすることでアスペリティを減少させてプレート間の歪エネルギーを逐次解放消失させることで大地震を防ぐ。(逆に人為的に大地震を招く恐れもある)
横道編「buzzcocks/another music in a different kitchen(1978?)tocp-53286」五月闇
煎茶よりも抹茶、紅茶よりも珈琲を嗜みつつある。底の見えない飲み物への、いかんともしがたい傾倒。
最近視力が落ちている。遠くの物が霞むことが多い。気のせいかもしれない。自分の感覚と感覚に対する認識など全く信用していないにも関わらず、である。ここ数年の健康診断でもそうしたデータが如実になっている。現場でプラスチック製の防護眼鏡を装着させられるのが原因のような八つ当たりの気分である。かつては視力2.0を誇っていたのが、防護眼鏡の装着を強制されるようになって以来、視力が1.5、1.0と年々落ちている。今年はもっと落ちるような気がする。やり場のはっきりした、意気地の無い憤懣やる方ない憎悪で心の臓が踊り炊きされる煮えくり返る。ブライアン・ウイルソンの存命を日本放送協会の番組で確認した。全米ツアーする模様。日本にも来てくれないかなと切に希望する。彼の音楽は自分の魂を形成するものの一つである。故あって久しぶりにエスパー魔美を読む。アニメ版のエスパー魔美のオープニングテーマ(恋はテレポーテーション、だったか?)は楽曲の作りがまことに丁寧で、凝っており、シュープリームズやロネッツといった女性のソウルフルな歌唱に似合う、良質のソウル・ポップである。尊敬する男、高畑和夫。その至言の数数。「でてる」(魔美から、「あなた最近おなか出てるんじゃない」と聞かれ」)「理屈じゃないんだよ、人を信じるってことは」(魔美が盗聴犯に疑われた時に魔美に言った言葉。理屈の男、高畑さんは、何よりも、理屈の限界を心得ている)そして、言論の自由を守るために凶暴な応援団に対して独力で戦いに出る高畑さん・・・男として、かくありたい、と思わせた、小生にとって唯一の人物である。そういえば、ハウス名作劇場の赤毛のアンのオープニングテーマも楽曲の作りが凝っているな、マーラーの大地の歌をポップにまとめたような、おおらかながら機転の効かせた構造の妙が面白いと思っていたら、三善晃の作曲だった。現代音楽畑の人。昨日、宮本三郎などの戦時中の戦争画の複製17枚と、「肉体のアナーキズム 1960年代日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈」(黒ダライ児 著)を買う。本の装丁が黒ければとりあえず買うことにしている。これもその類である。強まる統制によって当然の因果的に弱まる反撃、では、北朝鮮のようにいかんともし難いが、強まる統制に対して因果を絶して高まる反撃の潮目ということになれば過去に、革命と呼ばれる出来事は起きていた、その内実は簡単には割り切れぬものであるとはいえ。政治的にはアナキズム、芸能的には専ら方法上の区別で文学、絵画、音楽等々と呼ばれる(なぜなら芸能=無政府)、衆に恃まぬ点在の同時多発的自発勃発というのがいよいよ現実味を帯びてきつつある昨今である。強烈な独裁制や、世論調査代議制による無責任衆愚制、国権をレイヤー構造のように透かし見るNPO至上主義などとは異なる、示し合せたわけでもないのに各所の単発的人間が勃発する時、彼らの共通要素をあげつらって何かしらの概念(同時代性云々・・・)にくくることは無意味だ、とも云える、即ち独立した人間の誕生、というのが、来る。絶対、来る。独立した人間に未来は無いから、今、やりたい放題だ。来るも何も、制約が無いから、いつからでも自由である。
今に始まった事ではないがもう、音楽を言葉でどうこうすることに心底うんざりしている。どうこうできているつもりも全く無い己の有限の生の浪費にほとほとうんざりしている。覚書。趣味の弁証法の階段を昇降する者。地獄と下賤の底辺での宴を託つ者。その間。すこやかなもやしの生長。もやしの逆剥け。フランスのシチュアシオニズムについてせっかちに学ぶ過程でセックス・ピストルズの仕掛け人マルコム・マクラーレンの所業に触発されてセックス・ピストルズ聴いていたらいつの間にかバズコックス聴いていた。
steve diggle:guitar and vocals
pete shelly:guitar and vocals
john maher:drums and vocals
steve garvey:bass guitar
横道編「bum kon/drunken sex sucka(1982?)smooch19」kapital
歳を重ね無為の奥山梅雨の入
中陰のような誕生日を迎える。祝いというよりも喪に服したい心境である。一廉の人物なら功成り名を成していてもおかしくない年齢に達し改めて愕然、憮然としてあまり書けそうにないので箇条書き。
天体ショー、というマスコミ用語には本気で腹が立ってくる。人間としての思い上がりも甚だしい、情けない、自然を馬鹿にしきった言葉である。「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」「想定外は許されない」「絶対の安全性」・・・博物館での収蔵品でしか物を考えられない人間が、全てを生み出す大地を小賢しいメッシュ=言葉で区切って推し量ろうとする、翻って非科学的=科学的な増上慢。
社会の椅子取りゲームには勝てそうにないが、電車の椅子取りゲームには勝つ自信のある、卑賤なる魂の小生。電車の乗降口が位置する予定の場所に形成された長蛇の列の最後尾にいようとも、小生は、電車が到着した途端、群衆の遅鈍なる動きをすり抜けて電車内の椅子に座る自信がある。
買って、開いた途端、壊れてしまったコンビニの折り畳み傘。
噴火の有無の可能性は兎も角、富士山の噴火に際して、頂上の火口からの噴火あるいは宝永の頃のような山腹からの噴火、双方の美的価値の是々非々を大いに問いたい。そういうお題のディベートなら歓迎したい。
北朝鮮では美男子の象徴なのか三代に渡っての領導様の肖像によくある紅顔太眉の軍人が印象的な朝鮮の戦争絵が印象的なジャケット。韓国のバンドかと思ったら、中味の英文を斜め読みする限り米国のバンドのようである。ハードコア屋さんでジャケ買いした一枚である。音数は多くけたたましいが耳障り感に欠ける、男臭いハードコア。音数や音量が大きく音質が歪んで複層的な周波数を連発しようとも、統制された音となってしまう事があるのは決定的なところで構造におもねる美意識があるゆえだろう。とはいえ、悪くは無い。割り切れない生活の形。矛盾のあらまし。そっけなく粗野なリフはよい。
larry denning:guitar
erik oberhausen:bass
mark thorpe:drums
bob mcdonald:vocals
横道編「meat puppets/meat puppetsⅡ(1999)rcd10467」資本論
絹漉しの雨音がみたらし団子のようにダサく荒くなったかと思ったら止んだ静けさ。下らぬサンダルのように一日中泣き叫ぶ子供、洗濯物や車の出し入れの度にカーテンを少し開けてこちらを厳しく監視してくる寝たきりの老婆、風呂場で豪快に痰を喉の手前に集めて吐き出す独特の不快音を周囲にまき散らす老人、私用の文を綴っておりもうあまり何も出ないので今回も手短に済ませたい。鼻の下の骨のあたりが妙に痛むと思っていたら、馬鹿馬のように口唇めくり上げたらば見えた、歯茎と口唇との付け根に口内炎が白く膿んでいた。過度の飲酒によるビタミン不足に備えて常備しているビタミン剤を服用する。目も痒い。真っ赤に充血、眼球に夕焼けが訪れたようだ…ビタミン剤を読むと、効用対象として口内炎の他に目の痒み充血も含まれている。目の充血もビタミン不足を因とするようだ。久しぶりに森鴎外を読む。舞姫で、「我学問荒びぬ」と二回出てくるが、どういう意味だろう。
何故か所持している肉人形のもう一つのアルバム。前作のガーベイジ・パンク(ゴミ・パンク…よい意味で)とは打って変わって何故か異常に日当たりのよい床の間に捨て置かれた目刺がからからに乾きながら穏やかに執拗に繰り出す霞んだ素頓狂カントリーミュージックが多かった。本当はビーチ・ボーイズしか昨今は聴いていない。何もしたくない、何もすべきではない、という無色に無色を重ねる無為に、アスファルトの窪みに出来た他愛ない水溜りに産卵する蜻蛉のつがいを眺める夕間暮れ、禁じられた悲しみに堕したところで最早罰するものもない空しい。
今週の言葉のうろ覚え…「泥沼の嫁姑戦争に、法という名の火種がブチ込まれる!」?(「カバチタレ」先週のモーニング所収)
curt kirkwood:guitar,vocals
cris kirkwood:bass,vocals
derrick bostrom:drums
横道編「meat puppets/meat puppets(1999)rcd10466」麗し
うっかり懐古ボッサ・ノヴァ聴いてしまった事も含めてやっぱり先週の出来事・・・それは自分にとって苦しいだけの経験ではなくむしろ喜ばしい、前向きのような出来事であってもプラスだろうがマイナスだろうが出来事の絶対値に滅法弱い小生は途端に衰弱、へなへなといたたまれなくなり、辛いので社会社を心の風邪で休む生き地獄の月曜日・・・。たいした地獄じゃなかろうに・・・。その時間を利用して己の為す処に励めばよいものをかような殊勝な心がけもすぐさまぽしゃり、一人、布団の中で怯え続ける無駄な一日を過ごす(ゴキブリホイホイを緊急配備するため少しだけ外出)。テレヴィはスカイツリーと日食のことばかり、どうでもよい。青林工藝舎の「青春うるはし!うるし部」面白すぎた。久しぶりに漫画で笑う。漆芸の基礎知識もみっちりつく、首が太過ぎの稀有なギャグ漫画である。またしても、余市を一週間以内で飲み干す。今宵も、己の血液の艶を出すために、琥珀色の飲物を嚥下する。指先から足先まで熱を帯びて宙に浮くような、しかしどっしりと重たさもある痺れるような熱い低空飛行感覚が忘れられなくて。今宵はユイスマンスの「さかしま」に浸りたいので手短に終わらせたい。どうしようもない退廃物欲骨董小説である。ああ、油絵描きたい。そんなことやってる暇は無いのに、無性に描きたい。描き始めるべきか、懊悩冷めやらず。画題は、寿司あるいはピザ。それしかない。金曜日の夜の、和久井映見主演のドラマ「もう一度、君にプロポーズ」は、よい。尖りの無い、ベタな設定の、40代向けの大人恋愛ドラマを、琥珀質の魅力を滲み出す和久井映見が好演している。そうしたドラマでしっとりとしっかりと主演すべきだとかねてより切望していたので、やっと、物のわかるプロデューサーがやってくれた、と感謝している。とまどい、恥じらい、勇気を出して一歩踏み込み、恐れ、悲しみ、吹っ切れ、悔い、とまどう、ほどよくくすんだ女性の機微と艶、思いがけない可憐を醸し出させて彼女の右に出る者はいない。次期候補としては、裏 堀北真希として光背を拝むどころか月光のためらいを独自に醸し出す谷村美月くらいである。谷村美月は最近は色物的なドラマや映画が多いようであるが(「たぶらかす女」などの・・・そうした「ドサ回り」も厭わぬ汚れた仕事ぶりもむしろ彼女の演技の肥やしとなること必定)、和久井映見と同様に本来ならば地味ながらしっかり見せてくるドラマなり映画なりの主演で、その、曇天の魅力を滲み出してくるいぶし銀の役者なのである。古本屋で、大東亜戦争時の、日本人画家による油絵の戦争画の複製が17枚で3000円ほどで売られていたが、買っておくべきであったと後悔している、昭和の戦争画収集、というのも自分のテーマの一つではある。現物はどうしようもないがこの分野はあまり画集でも体系的に取り上げられることが無いので、雑誌のきれっぱしなどで遭遇すると一応蒐集する、という手法に頼るしかないだけに、「日本の美術」という雑誌のバックナンバーが重すぎるのと金を使ってしまったゆえに買う気が失せた自分に腹が立つ。
だいたい、イエスのアルバムをほとんど輸入盤で所持しているのがいけなかった、ということが、ハードロック編の最初の障碍となっている。輸入盤は安いが歌詞の日本語訳がついていない。日本版だったら日本語訳がついているからそれを下訳として改めて自分の翻訳を醸し出す、という早業ができるのだが、輸入盤だから原詩を一から翻訳しないといけないし、ネットでイエスの歌詞を翻訳しているのも見つけはしたが一部に過ぎず、時間がかかり過ぎるのでいっそ日本語版を買うしかないのか、という状況なので横道編。ジャケ買い。ミート・パペッツというバンド。英米のどちらか・・・。ザッパの全集を出しているライコディスク特有の、緑色の樹脂パッケージである。ジャケットの絵面も、毒々しいまでの鮮血である。ソ連映画の「石の花」を思わせる、人工甘味料たっぷりの古格をむせらす、埃をまとう下地で尚鮮やかな、捨てられたドロップ箱(採取されたが標本にされる前に忘れ去られた、珍しい虹色の昆虫が有限の飴にたかってびっしり死す)・・・。ガーベイジ(ゴミ、クズ)系パンクとでもいうべき音楽性である。分かっていながらついに起きてしまった日本国債の大暴落が引き金となって古典的な、銀行への取り付け騒ぎへと恐慌する民衆のけたたましく浮足立った暴走に踏み潰されぐちゃぐちゃになりながらも残留した、路上に咲くラフレシアの如く、爆発で木っ端微塵となった小豆色の花弁が腐乱肉片、小汚くアスファルトにこびり付き獰猛な臭気を、折悪い小糠雨で冷めるはずもなくむしろ糜爛を加速させながら鶏肉の腐った臭みを濃くしてくる。瘡蓋を拒絶するじゅくじゅくの傷口は遺伝子異常の肉腫のようにてらてらと剥き出しに桃色に張る。鼻の穴を塞ぐ青洟の出し入れを呼吸と同調させる律儀な馬鹿馬鹿しさを意に介さず呂律を回さぬ狼狽えを無性にがなる殺伐とした、知恵よりも遅い痴鈍の吠え。燃える際に縮む反古のように解き解すためにあらず、いたずらに雁字搦めに縺れんとする吃りのドラムス・・・。遺品系リサイクルショップで激安だったからたまたま買ってみたギターの音を取りあえず増幅したらこんなだった、という程度の、こだわりに無頓着な、ゆえに生々しいギターのふてぶてしいざっかけなさ。いつの世になっても時間的にも空間的にも点在せざるを得ないサイケデリアの徒花の勃発である。古墳から大量に出土した銅鐸の塊のように大量に出土した、切れ味を放棄したにも関わらず荒んだ動物の牙の塊。
curt kirkwood:guitar,vocals
cris kirkwood:bass,vocals
derrick bostrom:drums
steve thomsen:keyboards
「nara leao/nara(1963)elenco phca-4217」自閉
とびきりささくれ立ったくさくさ感に苛まれる、ぐっすり眠りに眠って起床した時の罪悪感にまみれ、浮ついた気分でパサージュ論など読んでも殆ど頭に入らず馬耳東風、万古不易の苦苦しさのみが、相変わらずながら慣れることは決してない後味の悪さを残しつつ、輪を掛けて残り少ない人生の消耗に過ぎぬ怠惰な雑文にうつつぬかす仕儀。芸術が商品に使役される資本の横行の象徴たるパサージュの喧騒から身を潜めるようにして室内は芸術の避難所である、蒐集家は室内で商品の使用価値を剥奪し骨董価値を与える、などと分かりきったことを改めてベンヤミンから揶揄されようともそんな事知った事かと不貞腐れて自閉する。勢い込んで見切り発車したハードロック編も引く手あまたの横道にそれにそれて着手あたわぬ怠惰に自分でも嫌気がさす。あまりに人間的な合理性ゆえにおよそ人道というものを突き抜けてしまった絶滅収容所に収容された暁に、せめてもの反乱を企てて射殺される尊厳死を選ぶか、侮辱と苦役に慣れる事など無く耐えに耐えて赤軍による解放まで生き残らんとする道を選ぶべきか、人生に援軍など来やしない。いや、来るかも・・・。ブラジルのブルジョア有閑階級の子息どもが高級アパルトマンで真昼間から集ってはギターに歌に興じる中で紡がれたボッサ・ノヴァという音楽である。今もたいして変わらないが夢見がちだったあの頃、別れの春、楽しい時が終わった頃によく聴いていた、甘ったれた憂鬱は流れ始めた時からイカスミ色に色褪せて、クリープを入れない珈琲は、迷いの無い青春のようなもの、というどこかの少女漫画の、面と向かって言われたらまことに恥ずかしい台詞にあったような、そんな色の、味の、ほろ苦く甘い声をギターが水彩のように、しかししっとりと厚みを樹木の年輪のようにストリングスや木管が引き伸ばしながら、洗いざらしの珈琲染めの木綿のようなナラの歌。穀物の、嘘くさい収獲じみた品のよいマラカスのリズム。樹が空気だったらいいのに、と思う。殺伐と毛羽立つ魂となった今となって聴いたらどんなもんだろう、縋るような懐古に襲われるのかしらんと思って今聞いてみると、案外、それほどのめり込むは無かった。今となってはさほど心に響くことは無かった。過去に聴き過ぎた摩耗によるのかもしれない。とはいえ、過ぎた事、というのはこういう事なのか、と、丈夫なのか無神経なのか判然せぬが、いささか理念的な戸惑いに過ぎぬ事が、沈痛な分銅一滴のようにしてやはり苦しくなる。時間の流れに置き去りにされた喫茶店、という凡庸な比喩で貶めるには、個人的な思い出が多すぎる。修行のほうもいよいよもってそそり立つ壁にぶち当たっているが、闇雲に手を動かしても同じ失敗を繰り返すだけ、しっかり考えながら、しかし、やらないといけない。それしかない。自分の不器用が情けない。明日を思って、年甲斐も無くまた絶叫したくなる。空想的社会主義者シャルル・フーリエは、彼の考える理想の協働体は、爆発によって伝播される、と考えていたようだ。爆発的に、ではない。腹減った。惣菜のコロッケを食する予定。
東寺弘法市再訪とイエス尼崎ライブ(ハードロック番外編)浅はかに・・・
稽古とは一より習い十を知り十より還る元の其の一 利休
単詩
肉離れ
何かの卒業の折りに歌わされた歌
桑の海
光る雲
人は続き
道は続く
遠き道
遥かな道
今は、もう、何事にも深入りする気持ちにはなれない、どんよりと張り詰めた気持ちである。またぞろ、くさくさ感が胃潰瘍のように出血する日曜日の夕方。水底の珪石のきらめきがさらさらと流れているような浅瀬の心持で、時が記憶へと堕落した移ろいごとを淡淡淡と書き綴っていきたい。とはいえ、干瓢(かんぴょう)が、夕顔の実(西瓜くらいの大きさ)を、木椀などの木地師よろしく帯状に切り出したものであることは人口に膾炙するものですが、この度、この夕顔の実をくり貫いてこしらえた火鉢、という、有り得ない珍品を、お助けしました。恐るべきネットオークションで・・・。数週間前に出品されていたのを知っており、その時は、あまりにも、ネットでお手軽に欲しい物が手に入ることが空恐ろしゅうなって、細君の機嫌を憚る手前、こらえて入札せず、そのまま期限切れとなった。どこぞの好事家の手中に収まったに違いないと諦めつつ、澱のようにいじましい、物欲しげな悔いが消えることは無かったが、昨夜、さもしくまたネット界隈をうろついていると、同じものがまた出品されているではないか!どうも、買い手がつかないまま期限切れとなったパターンのようで、再度、出品された模様なのである。もう、形振り構わず、即決で競り落とした。釜もそろい、風炉用の火鉢もついに整った。ついでに、遺品系リサイクルショップで激安大正琴まで手に入れた。荒み茶会の日は、もう、そう遠くない。あわれ、おかし、侘び、寂び、しおり、軽み、萌え、に続く「荒み」の世を興す大事な茶会・・・。とは言え、こんな、刹那的愉快な生活ばかりしていたら、その内、きっと、よくないことが起こる。そんな気がする。
平成24年4月21日。春の京都の雰囲気にあたりたく、やはり、東寺を選択する。久方ぶりの弘法市である。相変わらずの膨大な人出。毎月毎月やっているのにその勢いは衰えるどころか増しておるのじゃないかと勘繰りたくなるほどの、尋常じゃない人気が持続する、日の本の、縁日、骨董市、陶器市、手作り市…政経がどうなろうと、こうした市の繁盛は約束されているのだろう。古格古式を愛する分厚すぎる購買層の絶えない物欲。絶対に飽きられることのない、これ、は、一体何なのだ。お助けした織部茶碗、楽の緑釉管耳香炉(裏に楽印があるが怪しい)、志野織部向付、姿よろしき山の木、釣り合いよろしきトンボ細工。
同日。京都から尼崎に急行。ここでは、イエスの音楽性について詳論するつもりはない。ライブの模様を簡単に記すのみ。尼崎アルカイックホールの外壁は、線路の敷石のような、赤茶色に錆びた、牡蠣のような不定形の石をびっしり敷き詰める凝りに凝った意匠がなされており、ペラペラの建材が幅を利かす平成じゃ考えられない、昭和遺産ともいうべき古格あるミュージックホールである。音質にも定評のあるホールであり、イエスのライブ会場に選ばれたのもむべなるかなである。二階席のさらに奥の方が、小生の指定席である。膝が、前席の背もたれに接触するしかない、拷問のように窮屈な、昔風の造りである。いざ音楽が始まるとその拷問の苦しみはさあっと忘れてしまったが…。開演前、多くの客がステージ前に屯し、巡礼のように順繰り順繰り、ステージ上の機材のセッティングや楽器の機種、ドラムセッティングなどを激しく拝見してごった返し且つ人が流れているさまが、何だか茶の湯での床飾りや道具組み拝見、のようで、数奇の道に共通するものがまざまざと露見され、たのもしくも面白かった。スティーブ・ハウ…まさにギター職人、であった。往年の武満徹のような内省的な宇宙人的風貌である。ハウの立ち位置にだけ、何故かペルシャ絨毯が敷かれている。曲の最中に幾つものギターをとっかえひっかえするその、音質へのこだわりよう…。こだわりのキツそうな御仁である。なるほど、あの曲はこうやって演奏していたのか、という事が如実に納得できる、レコードに忠実な再現であった。時間でいえば往年の名曲が7割、老いてなお盛んなのか相変わらず異様に長い新曲が3割ほどのプログレッシブなライブ構成であった。上から下までホールをびっしり埋める客層は、9割5分が男、母国のバンドを懐かしんでか白人客もちらほら。しかし昔の人サイズの、江戸指物のようなこじんまりした座席であるから大概大柄な白人男性は脂汗たらたら、凄まじく窮屈そうで気の毒である。イエスTシャツを無言で着込んだ、一癖ありそうな一家言ありそうな青年~壮年ばかりの年齢層が、今や遅しと開演を待つのは、まことに息苦しい。スティーブ・ハウ:ギター、クリス・スクワイア:ベース、アラン・ホワイト:ドラムス、ジェフ・ダウンズ:キーボード、ジョン・デイヴィソン:ボーカル。ハウ、スクワイア、ホワイトといった、70年代の名盤をものしたメンバーが健在で三人も揃っているのは単純にうれしいし、ダウンズ氏も出戻り組とはいえ往年のメンバーである。新入りのボーカルのジョンも、きっちり、かつてのジョン(・アンダーソン)の歌唱を踏襲する、何が何でもイエスを継承しようとする伝統の理不尽を思う。「こわれもの」「危機」といった、何度も聴取した金字塔を、ご本人らの、全く衰えやしない激しい生演奏で聴くことが出来て、素直に感激である。(イエス史というのは本当はとてもじゃないが一言では片付けられない紆余曲折を経ているので、そうしたことを無論知悉しているファンからしたら、三人ものオリジナルメンバー(この言い方も本当はよろしくないが)の会合にあいまみえることができるのは、それこそ感慨無量なのだろう)ライブのハイライト、かつてはリック・ウエイクマン、その時は色々あって出戻りのジェフが背中を見せながらキーボードで有名なフレーズを繰り出すと、興奮した隣席の男が己の膝の上で鍵盤上での指の動きを真似ていたのがついにおさまりきらず小生の膝の上で指を高速でびろびろやり出すに至っては主客一体となった興奮の坩堝であった。気持ち悪かったけど・・・。スティーブ・ハウの声はいい感じに飴色に干からびた小柄な体躯に似合わず、屋久杉の洞のように茫洋と粗剛の低音であった。
東寺弘法市再訪とイエス尼崎ライブあるいは冥福の春
家内閑吟
なじられて放哉取り上げられる妻
東京の原宿の竹下通りに行きたい。行ってデザイン性の高い服をお助けしつつクレープを頬張りたい。クレープのしっとりした生地と甘すぎない生クリームの塩梅が好きだ。でも地震が怖い。
写真は、先月の弘法市で連れて帰った、鹿の角、蓮の種、朝鮮の錠前、手作り市系のガラスのペンダント。
いつになく後先考えぬ穏やかな心で連休を過ごしている。波風立たぬと言の葉も荒ぶれぬのもひとしおとは言い条、たまたま休みだから、という外的因果のみではない、小生の内的変化というのも言葉が薄く遠のいてゆく謂いがかりのようになって、そうすると言の葉が枯れる前にさっさと書くべきことを、例えばハードロック論や秘密文書の類についても早々にものにしなければならぬ重い危惧もあれども、当の言の葉が炙り出されるその基盤が、緩むというよりか、目に物みせず遊びもなくさあっと挿げ替えられる、理不尽な結果のみのような、これ以上掘り下げようのない文字通り浅はかな契機が押し迫っている油地獄も隠微にとめどなく知ったかぶりに均されることで、基本どうにもならない。
とはいえこれは自分として珍しく断固として選んだ道でもあって、一時的かも恒久的かもしれぬ言葉からの遠のきなぞ、過去の文芸者たちにおいてありふれた人生の一幕ではある。ようするに、たとえば宇宙開拓史においてのび太の部屋の畳の裏の遠くに、コーヤコーヤ星との、時空を超越した繋がりが小さくゆらりゆらりと切れかかっている、そんな危うくも儚い悲しい状況で書かざるを得ない。それでもまさに今書いているのは、それこそ底意なく単純に、文字が、そして言葉が黒いから、というのがまずある。PCやインク、墨による文字が黒くなければ、こうして氷柱が滴るように惰性で書き綴ることすらできなかったであろう。酒の飲めぬはずの亡くなった祖父がなにゆえか自作していた、15年物のあんず酒の水割りを飲みながら、そうしたことを思う。それにしてもこの琥珀色のあんず酒、なんとも喉の沢を流れるように後を引かない甘露が爽快だが、本当にアルコールが入っているのだろうか・・・と思っている端から脳髄が頭蓋と脊柱からすっぽり抜けて春の海をふわふわ浮き上がるような感覚が静かにやってくる。ウヰスキーや日本酒のような、ある瞬間に横殴りで襲来してくる粗暴な酔いとはまた別格である。しかし、と、ここで、やはり横殴りの粗暴な酔いが欲しくて、星や月や雪を愛でる余裕をかなぐり捨てた、競走馬の目隠しのような熱い暗黒の酔いを欲し、ウヰスキーに切り替える。
最早、時間がない、というのがある。半ば必死で、自分に言い聞かせている節もある。人生の節目は自分で作らなければならないのだろう。思う事はこの盛春を迎えられずに逝ってしまった人々の事である。春まだき三月は葬式の多い季節…。
思い出すのは今年の三月、吉本隆明氏の悲報。ちょうど、彼の膨大な著作の一つ「源実朝」を読んでいたところであったという奇矯もあった。氏の戦後思想における影響云々はここで論ずるつもりはない。今も昔もたいしてその本質は変わりはせぬたかが資本主義に対してしきりに高度、という単語を冠して高度資本主義と呼び習わすバブル期の彼の資本主義論の楽観性には辟易したが、今となっては読み返してもよいかもしれない。80~90年代、構造主義批評全盛のころ、物語の類型による文学の腑分け作業が新しがられ、そして氏の批評の方法も徹底して批判されていた頃、どこぞの三文記事で、正確な言葉は忘れたが、内容は「類型という形でしか小説を見ないのであれば小説の類型化が可能なのは当たり前のことだ。小説個々の機微や文体を読まないで、小説を読んだと言えるのだろうか」と、歯切れ悪く云っていたのを思い出す。無論そうしたことを承知の上で戦略的に類型化を推し進めているのだというのが当時の構造主義者の弁なのだろうが、今となっては、あらゆる類型に収束されない機微と仕草の固有性への固執が、生身の突飛として人間や、それと紐帯する諸芸能に厳然とあるということのほうが、滅法浮足立っていると思う。しかしながら自分としても歯切れの良さや機微に全幅の信頼を置くものではない。類型だろうが機微だろうが所詮説得力の化けの皮に過ぎず、それを取ったところでのっぺらぼうだ。ほとんど反射的に、統制の狂気である類型よりも共同の迷妄である機微のほうに、どうせ歩かなければならないのだから致し方なく重心を預けているに過ぎぬ。こんな区別も無意味だと分かっているにしても。ともあれ80年代以降は歯切れ悪かったが、それ以前は、理論はともあれ、歯切れの良い啖呵、悪態が彼の批評の真骨頂の一つであった。
「転向論」では、日本共産党トップが獄中から発表した転向声明文にあった転向理由の一つとして(大衆的運動として組織化できなかったという力不足云々が主要理由ではあるが)仏典の一つである「大乗起信論」を獄中で初めて読んだことを挙げているのに対し、日本の前衛党指導者のインテリゲンチャが大乗起信論も読まずして共産主義革命を起こそうとしていたことへの、日本の当時のインテリゲンチャのみじめな教養ぶりに憤りを隠さぬのが痛快であった。(中野重治の文章の孫引きかもしれぬが・・・)
もう一つ、今読んでいる「源実朝」も痛快である。氏は、戦時中、二人の文学者、即ち太宰治と小林秀雄が源実朝についての文章を書いていることに触れている。この問題意識は、小生がいつか論文にしたいと思っている、「戦時中における平家物語の読み方」というテーマとも通ずるものがあって面白い。ちなみに平家物語については戦時中、保田輿重郎と小林秀雄がそれぞれの論旨で書いている。どちらにも小林氏が居るというのも興味深い。その内容はここでは触れぬとして、中世日本の新興武家政権中枢における、それこそ共同の迷妄の中で状況的に殺されるのが必然となっている鎌倉幕府三代将軍源実朝が、そうした宿命から逃れようと、周囲の反対を押し切るばかりかその宿命を早める効果しかないことも承知の上で、唐突に、宋への渡海を試みる・・・。渡海するための大型船建造を、宋からやってきて、東大寺修復も手掛けた陳和卿なる人物に託すも、由比ヶ浜でその大型船は技術的問題で浮かべることが出来ず、砂浜に朽ち果てるのみだった…。この陳を、吉本氏は、「ちょうど三流の技術者でも、後進地域へでかけて技術指導にあたったら、何とかなったということかもしれない。多少のはったりをきかせながら、後進地域へやってきて、しかつめらしい顔をしてみせるといった、平凡な仏師を想像すれば大過がないと思える。…(中略)…ここでは先進国の三流技師として失策をしでかしたまま、陳和卿のそのあとの消息は杳としてわからなくなってしまった。」と断ずる下りは、中世史専門の学者には書けない文章であり、何より内情を活写していると思わせた。今、読むと、過去にはあまり読解できていなかった箇所が自分なりに節を立てて強固にその主張が飲み込めるようになってきたに違いないと、吉本氏の著作に対しては最近、思う。
私事であるが、もうあっという間に数年前の事になってしまった、それでもごく数年前の、二人の祖父の死が、あった。いずれの御方も春を迎えることなく、薄ら寒い三月に生を全うした。
父方の祖父の死があった。阿蘇の火山灰土ゆえに稲作が向かず、麦や綿、玉蜀黍畑といった、本州で馴染んだ日本的風景とは一味違った田舎風景が広々と続く肥後の内陸での葬式…。そこに至るまでの紆余曲折の出来事や思い出や至った時の思念をめくり返せばそれこそきりがないし極私的な事でもあるので割愛するが、今はどうか分からぬが少なくとも20年以上前、夏休み、熊本の祖父母の家で飲んだ単なる水道水がすこぶるうまい、本当の水のうまさというのは他にたとえようのないものであったという記憶がある。遺体との対面、ということも小生にとっては初めてのことであった。たったその事だけでも、自分の思いを全て吐き出せるのならば自分としては全2巻くらいの長編小説あるいは手紙が書けそうだが、その後の火葬、遺体とはいえ死んだ身体ではあったその身体が、つい先ほどまでは身体だったという前提を何の拠り所も無く提出しながら骨となって出てくるということにいたっては、あくまでも自分の普段と地続きである日常の中で度し難い眩暈と途方も無い断絶を強要される混乱を生じせしめた。薄ら寒い日々が続いていたのが、この日、春らしい霞んだ青空、ひばりが宙で、春の瞬きのように舞い踊り、真新しいような草木が翠に匂い初めるこの季節、葬式までのどうしようもない悲しみと重圧が、まことに理不尽な断絶の下できれいな白骨が生まれた途端、やり場のない、拠り所の無い悲しみと違和がかすかに後を引きながらも、変にからっと明るい気持ちになったのも事実だ。火葬というものの独自性である。弔いは三つの形式に大別されるだろう。遺体を遺体のまま、もう見ないようにするのが土葬や水葬、遺体をあえて白骨にするのが火葬、そしてまた次元が違うのが鳥葬、である。それぞれ、全く違う。遺体が焼かれて白骨になるのではないのだろう、あの時、白骨が生まれるのだ、というほうが、絶望的なあの断絶に際してはしっくりくる。今分かったが、道元も同じような事を言っていた。物が焼けて灰になるのではない、灰が生まれるのだと道元は言っていた。そこでいう物とは、遺体の事なのだ。灰とは白骨のことだ。
青空にからりと焼けて荼毘の祖父
母方の祖父の死があった。それこそもう祖父の時間が残りわずか、という、覚悟してはいた知らせがあり、病院に行く。つい数か月前までは近所を自転車で走り回るほど元気だったのが、病を得て、病院のベットの上で、あっという間にあまりにも小さく紙縒りのように縮んでいた。元々大柄な体格だったゆえにその事実にまた眩暈を感じた。乾いた舌の表面が深く割れ苔が生えている。もう長くはない、ということが否が応にも伝わってくる。しかし、ふと視線をずらすと、かつては気が付かなかったが、兎も角かつてと変わらぬ獰猛なまでの太い足首が二つ、強烈な存在感で突き出ていたのであった。なるほど、この太い脚で、大陸の戦場を生き抜き、戦後を生き抜いてきたのだ、と思った。戦争について語ることはなかったが、悲惨な出来事を単に逃げるように見てきただけでなく戦争の行為者でもあったという意味も含めてまさに生き抜き、何とか母国に辿りつかせたのがこの、危篤であっても残り続ける逞しい脚なのだろう。ここでも割愛するがさまざまな思い出も、この瀕死の御姿に、全部吹っ飛んだ。
こん棒だ縮んだ祖父の脚太し
死という事にまつわる様々な思想や想念はこの際どうでもよい。ただ一ついえることは、自分が生きている時間も、これからやろうとしている事を考えれば、ほとんど無いに等しい、というあまりに即物的なことであった。ハードロック論の番外編としてイエスのライブ模様について報告する予定が、またしても書けなくなってしまった。専ら自分の、精神の相克をなおざりにしては、ハードロックについては勿論の事、その他の、自分が取り組むべき重要ないくつかの事も何も出来やしないという切迫した内的状況ゆえに、自分としては致し方ない。ロックについて読みたいと思っていた方は、読み飛ばしてもよいと思うし、できれば過去の記事を読み返して復習するよい機会かもしれない。金麦っていう発泡飲料は、ちょっと信じがたいほど不味い。