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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「nara leao/nara(1963)elenco phca-4217」自閉


 とびきりささくれ立ったくさくさ感に苛まれる、ぐっすり眠りに眠って起床した時の罪悪感にまみれ、浮ついた気分でパサージュ論など読んでも殆ど頭に入らず馬耳東風、万古不易の苦苦しさのみが、相変わらずながら慣れることは決してない後味の悪さを残しつつ、輪を掛けて残り少ない人生の消耗に過ぎぬ怠惰な雑文にうつつぬかす仕儀。芸術が商品に使役される資本の横行の象徴たるパサージュの喧騒から身を潜めるようにして室内は芸術の避難所である、蒐集家は室内で商品の使用価値を剥奪し骨董価値を与える、などと分かりきったことを改めてベンヤミンから揶揄されようともそんな事知った事かと不貞腐れて自閉する。勢い込んで見切り発車したハードロック編も引く手あまたの横道にそれにそれて着手あたわぬ怠惰に自分でも嫌気がさす。あまりに人間的な合理性ゆえにおよそ人道というものを突き抜けてしまった絶滅収容所に収容された暁に、せめてもの反乱を企てて射殺される尊厳死を選ぶか、侮辱と苦役に慣れる事など無く耐えに耐えて赤軍による解放まで生き残らんとする道を選ぶべきか、人生に援軍など来やしない。いや、来るかも・・・。ブラジルのブルジョア有閑階級の子息どもが高級アパルトマンで真昼間から集ってはギターに歌に興じる中で紡がれたボッサ・ノヴァという音楽である。今もたいして変わらないが夢見がちだったあの頃、別れの春、楽しい時が終わった頃によく聴いていた、甘ったれた憂鬱は流れ始めた時からイカスミ色に色褪せて、クリープを入れない珈琲は、迷いの無い青春のようなもの、というどこかの少女漫画の、面と向かって言われたらまことに恥ずかしい台詞にあったような、そんな色の、味の、ほろ苦く甘い声をギターが水彩のように、しかししっとりと厚みを樹木の年輪のようにストリングスや木管が引き伸ばしながら、洗いざらしの珈琲染めの木綿のようなナラの歌。穀物の、嘘くさい収獲じみた品のよいマラカスのリズム。樹が空気だったらいいのに、と思う。殺伐と毛羽立つ魂となった今となって聴いたらどんなもんだろう、縋るような懐古に襲われるのかしらんと思って今聞いてみると、案外、それほどのめり込むは無かった。今となってはさほど心に響くことは無かった。過去に聴き過ぎた摩耗によるのかもしれない。とはいえ、過ぎた事、というのはこういう事なのか、と、丈夫なのか無神経なのか判然せぬが、いささか理念的な戸惑いに過ぎぬ事が、沈痛な分銅一滴のようにしてやはり苦しくなる。時間の流れに置き去りにされた喫茶店、という凡庸な比喩で貶めるには、個人的な思い出が多すぎる。修行のほうもいよいよもってそそり立つ壁にぶち当たっているが、闇雲に手を動かしても同じ失敗を繰り返すだけ、しっかり考えながら、しかし、やらないといけない。それしかない。自分の不器用が情けない。明日を思って、年甲斐も無くまた絶叫したくなる。空想的社会主義者シャルル・フーリエは、彼の考える理想の協働体は、爆発によって伝播される、と考えていたようだ。爆発的に、ではない。腹減った。惣菜のコロッケを食する予定。

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