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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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氷点下の水

打つ手なしの円安…日本人も外国人もみんな分かっている事だが、責任ある当事者である日本の閣僚や日銀、官僚などが其れを言葉にした途端、破局が現実化するから事実を言葉にできない状況…いまだ日本経済は弱含みだから利上げできないと日銀は利上げしない理由を経済のせいにしているが、経済界自体は利上げして困る事は無く円安から脱却するためには一刻も早く利上げしてほしいところだろう…しかし、利上げすれば、最早天文学的に膨れ上がった国の借金が加速度的に増大し国家財政が組めなくなって破綻し日本円が大暴落するスーパーインフレを惹起するのは、誰もが分かっている…だから利上げできない訳だが…しかし、此れを公言すれば、公言しただけで本当に通貨破綻が現実化するので少なくとも日本人は誰も口にできず、ましてや、総理や日銀総裁などが、利上げすれば国家財政が破綻するので利上げは最早不可能などと公言したら其れこそ恐慌の導火線に点火した事になるから、誰もが分かっている本当の理由を当局のみならず一般民衆やメディアさえも口にできず固唾を飲み続ける状況…事実は既に現実に作動している…しかし、其の事実に、事実を言葉にすると云う刺激を与えただけで、事実の真の姿である恐慌が一挙に社会的に相転移するのだ…零度以下だけど凍っていない水…此れに少し刺激を与えたら一挙に結晶化して氷へと相転移する…極めて静かな揺らぎがぎりぎりのバランスで保たれている…そんな危機的状況…世界経済の変動による為替変動に対する日銀の調整シロをなくした政権安倍の責任は大きい…超低金利の金融緩和策は為替変動への調整シロをなくすから、緊急避難的な策であるべきで恒常的に続けるべきではないのに、結局大企業を甘やかしただけで、低金利に甘えた大企業は環境対応などの新規産業転換による実体経済の強化を危機感を持って進めることなく漫然とやっている素振りだけで大企業だけ儲かる仕組みが定着したから(法人税も下げて)、税収もたいして上がらず国の基礎的財政収支は改善できず、ずるずると金利を上げられない悪循環に陥り…あるいは、一時避難的な低金利策の間に、経済成長しないと潰れてしまうような未来のない資本主義から決別して別の経済体制への転換を模索すべきなのに、低金利に甘えて殆ど何もせず日本経済を弱体化させた政権安倍の責任は大きい…其の結果が外部変動に対して全く打つ手なしと云う体たらくで、ツケは国民が払わされる…日銀上層部は此れくらい予見できていただろうに強権安倍に追従する曲学阿世の輩に堕したのだろう…こうした事をツイッターのような拡散力の強いSNSに上げたら日本恐慌の呼び水になる責任は負いかねるので、殆ど誰も見ないしほとんどの人は分かっているが口に出せない事を此処で書いた。事此処に至った以上、此の事実をさも新事実かのように喧伝する得は何もないので、分かっていても口を噤み続けるしかない事、お含み置き下さいませ。ならばなぜこういったセンシティブな事を危険を承知でネット上の離れ小島ではあるが公言するのか、其れは矢張りどうにも腹の虫が収まらないために言葉で吐露せざるを得ないと云う衝動のためである。当局は白々しい嘘でごまかすが、其の真意は汲んだ上で其れはやむを得ないものとして受忍するしかない。腹は立つが… 次回は7月3日です。

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今週休載

所用のため今週は休載します。次回は6月19日です。

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冷蔵庫は成功した

良かったことは忘れがちでなかった事になりがちだから報告を失念していたが、一、二か月前に購入を決意した冷蔵庫は、結論を云うと成功以外の何ものでもなかった。最も懸念していた騒音に関しては不快感で気になるレベルでは全くなく、前の冷蔵庫より少しサイズも大きいため、余裕を持って食材を配置、保存できる…此れまでは、食材の大きさ、腐りやすさ、使用頻度を評価項目として、立体的なテトリスよろしく細々した食材をベストの配置に布置し直すまめまめしい日々と云えば聞こえはよいが面倒此の上ないストレスでもあった事から変革的に解放されたのであった。うだつの上がらぬ人生ではあるが、ささやかな成功事例もある事を抱懐して生きていきたい…腰痛、膝痛、いよいよ限界が迫っている歯など健康不安もばかにならない状況で忍び寄りつつ…。

次回は6月12日です。

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五月晴れの憂鬱

科学技術文明社会が総力挙げて気候変動問題、エネルギー転換、石油材料からの脱却に努めて人類全滅阻止に邁進せねばならないのに世界を二分する戦争勃発で国境を超えた協力体制も見通せず人類衰退の加速に歯止めが全く掛からない全体的な恐れが加わりつつ…芥川のような漠然とした不安と云うよりも輪郭のくっきりした恐怖が足音立てて迫り来る状況に、お先真っ暗の暗澹たる陰鬱が深まる惜春の五月晴れ…中露北とならず者から虎視眈々と白眼視される此の国…戦備えを煽り立てるだけで巧みな交渉能力など全く期待できず其の外交的失敗を国民に押し付けることしか能がない無能な政治当局者…済し崩し的に戦争となれば…其れは敵国を追い払うと云う防衛の大義に託けて、国家主義者どもによって恣意的に指定された自国の不要分子を一斉処分する機会に利用されるのは必定…20~50代の非正規雇用の独身男性と云う、日本社会で最も蔑ろにされた階級に加えて、かつて隠遁隠逸の士と呼ばれ東アジア圏にて文化的に一時代を築いたが国家=資本主義者から画一的なイメージ(社会性と自己との意識を勝手にこじらせて自滅混じりの攻撃性を突発させる等)に嵌められて今や引きこもりと蔑称される推定数百万人の階級に加えて、思想犯と目されたリベラル階級などが優先的に懲罰的に徴兵され引きこもリベラル非正規連隊などと嘲笑されながら、敵国に殺されても全然かまわないが生き残りたければ敵兵を殺せとばかりに前線に放り込まれる、当事者として、と云う状況がありありと先取的に経験されてしまう絶望…百歩譲って徴兵されるのはよいが沖縄の離島に船で輸送される途中に敵の魚雷一発で撃沈&溺死と云う結末を一番リアルに恐れおののいて日常生活に支障を来たすほど抑鬱している…災害派遣などで外面の好感度を上げているようだが散発する内部での陰湿な暴力沙汰や自殺者などの報道を聞くにつけ内部の旧皇軍的体質は隠然と温存しているらしい自衛隊員から剥き出しの暴力的な拷問や罵倒や腹いせや私刑などの陰惨な仕打ちを受ける事以上に、溺死だけは自分にとって耐えがたい苦しみに死ぬ間際まで苛まれる最悪の死に方を妄想…国際、国内情勢が今や直接的に自分を絶望そのものの溺死に追い込む具体性がはっきりした今…気持ちが晴れるきっかけが全くつかめず…その日その日の恵まれた幸運を味わう事にも暗い影が忍びより…アーレントの暗い時代の人々と云う著作の意味が身に染みる痛恨である…。

次回は5月22日です。

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暗澹たる暗雲…

国家権力の暴走や資本主義経済の暴落に気候変動等の大きな世界の劣悪化の成り行きは確実なのに個人として対処できる事に踏み込めないままならぬ状況もある中でも、些細な事くらいは対処せねばと柄にもなく焦り…今後ますます半導体入手が困難となって電気製品がある日突然買えない事態も現実味を帯びている気がするので、恐らく30年以上稼働している冷蔵庫の買い替えに着手する…いつ故障するか分からないと云う不安に駆られての事だが…此れまで何の問題もなく稼働してくれた忠臣への知らずの浅はかな仕打ちではないのかという罪悪感に責め苛まれてもいる…昔の家電の驚異的な頑丈さに比べたら、虚栄と欺瞞が小奇麗に隠蔽された最近の家電の方が信用ならないのは明らかなのに…時局に踊らされて浮足立った浅慮を弄したために返ってろくでもない結果になりそうな不安の方が現実味を帯び…何の問題もなく極めて静粛にきちんと食品を冷やしてくれる冷蔵庫に替わって、地味に糞うるさい上にきちんと冷やしてもくれない、物作りの誠実さの欠片もないような冷蔵庫が来たらどうしよう…と、…もう注文してしまった後悔を抱えて、最早神頼みしかないと思いつめ…早朝、七時前、近所の神社に願掛けのお参りに走ったりする…もう祈るしかない、と云う切羽詰まった心理が妙に純化されて…賽銭も百円と奮発して…せっかくだからと生活上の種々の不安も含めて具体的に一つ一つあげつらって長々とお参りした後振り返るとお参り待ちの人影が鳥居に…其の方に場所を譲って少し見やると…先に本殿だけでなく本殿以外の三方に深々と拝礼した後威儀を正して改めて古式にのっとりお参りする堂に入ったお参り慣れした姿が垣間見られ、…自分のような俄かの神頼みにとてもご利益が期待できそうもない現実を突きつけられて気が滅入りはするが、少々晴れ晴れとした気分でもあった。相変わらず、今や日常的に宇多田のバッドモードを聴いている…世界を滅びに導く歌…。

次回は5月1日です。

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バッドモードに突入…

鉢植えの白梅…週末恒例の水やりをしていると、花を終え新芽が旺盛な葉陰に小さな実がなっており…ささやかな幸せに浸るが…全体的にバッドモードであるのは間違いない…狂ったように宇多田を聴いているが…ひょっとしたら自分が聴く度にウクライナでの殺戮が回を増しているのだろうかと云う疑念と不安はどうしても拭えない…宇多田の新譜を買ったのはロシアによるウクライナ侵攻開始を確認した後だった…戦争や経済制裁の応酬の影響で物資が不足しCDが生産できなくなって宇多田が入手できないのは困ると判断して、其れに、もう既に侵攻が既成事実化しているので宇多田を此の戦禍の原因とするのは論理的に誤謬だろうと云う常識もあるから、侵攻三日後にバッドモードを購入したのであった…しかし、買いはしたものの中味を聴かなければ宇多田の楽曲の呪的能力は解放されまい、とも考え、しばらく聴くのは控えておこうと思っていたが購入翌日には何度も何度も微に入り細に渡って聴き込むと云う済し崩し的状況は取り返しがつかないと分かっていても覆水盆に返らず…作品の出来は良い意味で予想通り、ファントームや初恋を超えるものではなく、逆に其れらを超えて更にもう一歩此の宇宙の核心に迫られたらリスナー側が悶絶して生きていけないから助かったと云うべきで、気負いなく楽しめるポップな仕上がりではあるものの、今となっては其れが宇多田の呪へと誘い込む甘い罠のようにも勘ぐってしまう…此れまで培ってきた作曲、アレンジ能力を手堅く発揮して、過去に縋らず未来に期待しない厳然たる今のみを生きる姿勢に貫かれて、どうしようもなく行き詰った科学技術文明と政治の世界を肯定的に生き抜く身近な情愛と公的勇気を、業の深い肉声で慈悲深く罪深く、情念の深みのみが奥へ奥へと突き抜けるが流されることが無い実存的抑制が社会性さえも伴って的確に歌う…配置された音の粒立ち、音色、音量、其の相互関係、全てが、聞けば聞くほど此れ以外にないと云う選択である事を確認させられる…こうした作品の出来と当然関係するが通常の関係ではないような、存在者と存在との関係を問う存在論のような形で宇多田の楽曲に関係/無関係する呪は、其れを聴く人一般と云うよりも、其れを聴く小生個人のみを狙い撃ちする…其れは、小生の現在の生活を成立させている基礎的条件を小生が思いもよらない方法で崩壊させるはずだが…まさか其れが戦争であるとはまさに思いもしなかった…確かに此度の戦争は小生の基礎的条件を将来的に確実に破綻させるが、其れにしては他の人への文字通り破壊的影響が大きすぎるではないか、小生1人を狙い撃ちするのであれば専ら小生個人に帰する基礎的条件を狙い撃ちで破壊させればよいのに、民主世界全体を混乱に陥れる方法で小生個人を破綻させなくてもよいではないか…確かに民主世界の基礎的条件の破壊は小生個人に係る根本的な基礎的条件でもあり、尚且つ小生が全く思いもつかない方面からの崩落ではあるから、宇多田の呪的能力の根源性に改めて恐れ入る次第…此度のウクライナでの悲惨事は…簡単な線形方程式を解くように確実に小生の今の暮らしの基礎的条件を破綻させるのがまざまざと見えている…そして此の苦難を召還したのも宇多田であれば、此の苦難に立ち向かうための論理的根拠と元気を与えてくれるのも宇多田と云うジレンマに苦しんでいる暇もないのであろう…限られた時間を精一杯使わねば…実在論から内面=場の形成までは論証できたが…まだまだ主体や意識には程遠く、焦って机にかじりついても碌な事は書けず時間ばかりかかる熟慮と云う正攻法を要するから…遅々として進まずもどかしい。

次回は4月10日です。

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次回更新日

暗澹たる現実から現実逃避するために魔女の宅急便を鑑賞し、やはり其れなりに面白かったのは良かったが…本当は火垂るの墓を鑑賞する予定で、其の下準備としておもひでぽろぽろを先週借りており、其れを返却するタイミングで火垂るの墓を借りるはずが、其の直前にウクライナ侵攻勃発し、とても火垂るの墓と向き合う意気が消沈し…魔女の宅急便に逃げた事を告白しておく…次回は3月20日です。

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ウクライナ情勢さえも個人的なクサクサ感に収束する

最早不可逆的な自由主義陣営の後退と云う国際情勢に対する自責の念と云うよりも、そうなる事は分かっていたのに、其れが及ぼすであろう私の個人的生活への攻撃的な危機に対して個人的に対処できなかった事への慙愧の念に堪えず、どうしてあの時こうしていなかったのかと云う後悔が嵩じて取り返しがつかないクサクサ感に苛まれている…ロシアのウクライナ侵攻に乗じて日本国内の国家主義勢力が危機を煽って翼賛を正当化する常套手段の紋切り型が、世界でも指折りの社会的弱者である小生の生存権を剥奪する手練手管の全ても十分予想済みである事に加えて、有限の地球を食いつぶす資本主義の暴走を止められない事による物の価値の高騰も十分予想されていたはずなのに…デジタル化によって交換可能な仕事や物事はとことん交換されて価値が消尽するが、食糧や資源や土地など本質的に何物にも代えがたい物の価値は絶対的にまで高騰する…こうなる数年前に不動産にでも手を出すべきだったのかと後悔してもいるがそんな才覚があるのかと細君から疑念を云われると確かに商売人の海千山千に騙されて馬鹿を見るだけで太刀打ちできるはずはない気もすると二の足を踏んでいたら不動産は最早手が届かぬ高値となり…建設当時は、なんか近所に背の高い建物が建っているな、と呑気に認識して気にも留めていなかった物件が、しがないながらも自分の人生の先行きに直結していたと気付いても後の祭りで行き場は自分にしかない責めに事あるごとに苛まれる…行き詰った人生の吹き溜まりみたいなところに逼塞しているクサクサ感のみが出口なく熟成され…国家主義と資本主義の暴風暴走による生命の危機もさることながら、さりげなく阿蘇山の警戒レベルが上がっている事も地味に不安を通底させるし、更に気に病んでいるのは宇多田の新譜…とうとう入手してしまったバッドモード…しかし此れの中身を聴いてしまうとそれこそ取り返しがつかないほどの不運に突き落とされる恐れもあり、しかし聴きたい焦燥感はほぼ中毒レベルと云う時限爆弾を抱えている懊悩もまた、件のクサクサ感にたちの悪い陰影を与えて自分でもどう対処してよいか分からず、魔女の宅急便をレンタルするなりふり構わぬ現実逃避さえも決行…無論、宇多田の新譜が、ファントームや初恋を上回るほどの度肝抜く実存を屹立させる事はない事は分かっている…あれほどのレベルのものはそう簡単には出来っこない…恐らく此れまで培ってきた手法で、決して出来は悪くはなく上質ではあるが手堅くまとめた感のある作品に仕上がっているのだろうと思うが、最早宇多田の新譜の芸術的中身はどうでもよく、其れが備えているだろう呪的効力を畏れている…。

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紅白梅茶会






去年、白梅を楽しんだものだからやはり対で欲しうなって…去年の年末、紅梅も贖う…白梅は手持ちの萩焼の大ぶりの片口碗に穴を開けて鉢としたが、紅梅についてほどよい大きさの器がなく、素焼きの鉢に植える…室内に紅白揃うとむせ返るような香りが…気に入った和菓子屋さんにて生菓子を買い…菓子切り、いわゆる黒文字を手作りする。旅先の南国のホテルの庭先で拾ったヤシの木の枝?をナイフで割り、薄く削って黒文字とする…水で洗って分かったが耐水性はあまりなく、水分を含むと柔らかくなるから、将来的には漆で固める必要がある…其れに、繊維に黒い斑点が染みついているのが単なる模様なのかそれとも黴なのか懸念はあったが、使ってみることにした…生菓子を切って口に運ぶと、変な後味がして…其れは菓子のせいなのか、いや、やはり手づからの菓子切りのせいだろう…直後、何だか体全体がぐったりと倦怠感に襲われ、変な毒を盛られたような状態になった。やはり、ヤシの枝の菓子切りは漆で固める必要あり。

紅白梅見茶会
日時:2022年1月30日
場所:拙宅
菓子:多津瀬 氷牡丹、こぼれ梅、椿羊羹
菓子器:鉄釉トルコ風織部亀甲紋小皿、志野檜葉紋小皿
菓子切:ヤシの枝
茶碗:黄瀬戸鉄絵蟹図天目形、黄瀬戸緑釉雲紋平形
濃茶:宇治

次回更新は2月27日です。

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ゼロと無限小の間の無限の差異

去年の紅白歌合戦をタイムリーに見た訳ではないが何かのきっかけで東京事変の緑酒の演奏を視聴して、悪い曲ではないと気に留め…今や恐らく遠くロンドンで創作に没入する宇多田に、飽くまでも日本の地において匹敵し得るのか、椎名林檎を仮設…南蛮人を強く意識した襞襟の洋風和装をメンバー全員で召す創意にて林檎は拡声器で気を吐く東京事変の新曲「緑酒」…政治意識剥き出しの歌詞を安易なノリや理解を拒む玄人好みの曲調で根源へと目指すのは評価に値するが…ユーチューブで三回聴くと飽きた。結局、有限から無限小概念を通じてゼロを目指す椎名林檎と、始めからゼロ地点に端座する宇多田の才能には無限大の差異があると云う事であった。其れは、林檎が最低限、無限小を戦略し得るからこそ顕現する、宇多田との雲泥の差であった。宇多田登場以降、雨後の筍のようにディーバと称する女性シンガーが散見され、今に至るも、五輪で国歌なぞ受注したミーシャだの、ジュジュだの小柳ユキだのは宇多田と比較して論評するに値しない輩であるから無視すればよいが、東京事変の仕事の有意義性は件の通り認めざるを得ず、其れゆえに宇多田との比較論評に値するものの、論評した途端宇多田との無限大の差異を以て劣等と位置付けられる羽目になる…宇多田本人の意志に関わらず、宇多田と東京事変の作品の本質がそうなせる、と、緑酒が、近年Jポップと云う名のメジャーシーンにおいて稀に見る良作だからこそ、そう痛感した。
今や宇多田を聴いていると、聴覚と云う感覚器官を通じて認識的に聴いている気がしない、自分の心の中から宇多田の声が沸き上がる…自分が宇多田を歌っているのか、宇多田が自分において歌っているのか、最早自分が宇多田に成りきっているのか、宇多田が自分に成りきっているのか、心の声が宇多田の音楽そのものとして宇多田が根源を歌っていて其処には自分と云う枠組みすら消失しているように宇多田が歌っている無我の境地…そんな訳ないだろとCDを切ると、ほらやっぱり宇多田が聞こえると云うよりも既に宇多田だ、心が宇多田だ、最早同一化とか共通化と云う論理過程さえもすっ飛ばして直接的に宇多田としか云いようがない…いや、冷静になるべきだろう、CDを切れば宇多田は聞こえない、少なくともCDからは聞こえてこない、聞こえていると思っているのは自分が心の中で宇多田を記憶において反芻しているだけで其れは宇多田ではないはずだ、と云う常識が其のまま肯定されたまま、心が宇多田の作品を形式として宇多田が歌っている、宇多田が溢れると云う大仰ですらなく、ごく自然な細々とした意識の流れとして…今、自分の顔を鏡に映したら、自分以外の他人が見ても其の顔立ちは宇多田の顔になっているのではなかろうかと云う疑念も現実味を帯びて(バカも休み休み云えと云う正気も気弱に…)…宇多田に成りきる、宇多田への生成変化と云う批評的態度の限界を超えて、自分とロンドンの宇多田とは量子エンタングル的に時空を超越して混然としているのか。
そうした状況を踏まえつつ、宇多田を聴き続けると其の不幸体質が根源へと誘い込むから此れ以上聴き続けるのは危険だと日増しに懸念が付きまとうので入手すべきか逡巡しているにもかかわらず、宇多田のニューアルバムの入手へと確実に動きそうな事に逡巡するまでもなく確信していると…其れをあざ笑うように、ニューアルバムのタイトルは確か「バッドモード」。宇多田が一リスナーの自分の人生状況を見透かした訳でも無かろうに、まるで見透かしたかのようなタチの悪い偶然が必然であるかのよう…最早人生のバッドモードからは逃れられないのか。

次回は2月6日です。

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